インド国鉄のウェブサイトにて、最新版の鉄道時刻表(2013年7月から2014年6月まで)が公開されている。同時に夏季特別列車の時刻表もアップロードされている。
時刻表改定は、毎年この時期に行われるものではあるものの、イン鉄ファンとして注目すべきは、ダブルデッカーの列車の運行だろう。
India’s First Double Decker Train Gets The Green Signal (daily jag)
ぜひ乗車してみたい。
インド国鉄のウェブサイトにて、最新版の鉄道時刻表(2013年7月から2014年6月まで)が公開されている。同時に夏季特別列車の時刻表もアップロードされている。
時刻表改定は、毎年この時期に行われるものではあるものの、イン鉄ファンとして注目すべきは、ダブルデッカーの列車の運行だろう。
India’s First Double Decker Train Gets The Green Signal (daily jag)
ぜひ乗車してみたい。

ナショナル・ジオグラフィックによるインド国鉄特集のビデオGREAT INDIAN
RAILWAY」「がYoutubeで公開されている。
といっても、ナショナル・ジオグラフィック自身がコンテンツを広く公開しているわけではないようで、要は海賊版ということになってしまうのだが、インド国鉄の魅力をうまく伝えている作品である(・・・がゆえに、ぜひオリジナルを購入したいところだ)ので、取り上げてみることにした。
蒸気機関車が登場したり、2001年に事故死したマーダヴラーオ・スィンディヤー(旧藩王国の王族で国民会議派議員)が登場したりしているので、いつ作製されたものなのかと思えば、1998年1月にリリースされた作品であった。
興味深いインド国鉄の世界であるとともに、今や事情が少し違ってしまっている部分もあるため、鉄道史を語る貴重な記録であるともいえる。












インドの隣国バーングラーデーシュの首都ダーカー近郊のトンギにて、毎年1月あるいは2月に、3日間に渡って行われるビシュワ・イステマーは、ムスリムの人々が一堂に集まる催しとしては、サウジアラビアのメッカにおけるハッジに次ぐ規模の人々がやってくるという。
北インドのデオバンド学派の流れを汲むタブリーギー・ジャマアトの呼びかけにより、1946年に始まったものであるというから、まだ歴史は浅いものの、近年ではそこに集う人々の数は400万人とも500万人とも言われるようになっている。タブリーギー・ジャマアトの影響力の大きさを感じずにはいられない。
一国の首都に匹敵する規模の人数がその祝祭のために各地からはるばるやってくるということになるから大変だ。そんなわけで、交通機関も大変混み合うことになるようだが、その典型的(?)なラッシュぶりや祝祭の様子を伝える写真を掲載したウェブサイトへのリンクが、Facebookでシェアされていた。
こちらがその驚異的な混雑ぶりだ。機関車の形や客車の色合いさえもよくわからないほどで仰天してしまう。
願わくば、トンギに集うすべての善男善女たちに幸多からんことを。
2017年までに、インド西部で最高時速200キロの高速鉄道を導入することが計画されている。
Railways looks to run Delhi-Mumbai trains at 200 kmph (The Times of India)
これにより、たとえばムンバイー・デリー間の列車移動にかかる時間が相当短縮されることになるらしい。プネー・ムンバイー・アーメダーバード間については、日本の新幹線システムを採用する方向にあるという点にも注目したい。
インド、日本の新幹線システム採用軸に協議 両首脳合意 (asahi.com)
現在のインドの「高速鉄道」といえば、ラージダーニー急行、シャターブディー急行といったところだが、どちらも最高速度は時速120キロ程度。ゆえに日本の新幹線システムや他国の高速鉄道技術の導入が計画されているわけだ。
インドの場合、どの分野にあってもシステムとしては良いものであっても、現場のクオリティ・コントロールが粗雑であるがゆえ、いろいろと問題が生じているケースが多い。鉄道についてはどうだろうか?
ときに、同じ線路の上を両方から走ってきた列車が正面衝突したり、古い橋梁が崩壊して車両が落下したりといった、信じられない惨事が起きたりするのもインドの鉄道。
輸送の高速化はもちろんのこと、安全管理についても飛躍的な向上が見られることを願ってやまない。
インド国鉄の関連団体IRCTC(Indian Railway Catering
and Tourism Corporation)による豪華列車ツアーはいろいろあるが、本家本元といえば1982年にサービスを開始したPalace on Wheelsである。
豪華な設備の整った車両で、デリーから出発し、アーグラーに加えてラージャスターン州のいくつかの土地を巡る7泊8日の行程で、その模様はPalace on Wheelsのウェブサイト上にて動画で公開されている。
費用についてはこちらをご参照願いたい。提示されているのは一泊当たりの料金であることに注意が必要だ。
Palace on Wheelsは、アーグラー以外の訪問地はラージャスターン州内であるのに対して、行程もカージュラーホー、バナーラスといった他州の観光地も含まれることに加えて、設備もモダンなバージョンが、2009年に開始されたRoyal Rajasthan on Wheelsだ。
Palace on Wheelsの南版といえるのが、2004年に運行開始したDeccan Odyssey。ムンバイーを出発し、7泊8日でマハーラーシュトラ州内に加えてゴアを訪れる。東南部に目を移せば、2008年に開始されたThe Golden Chariotという豪華列車もある。こちらはThe Pride of Southと題したバンガロール出発でカルナータカ州内とゴアを訪れる行程と、Southern Splendorという、同じくバンガロール発だがタミルナードゥとケーララの両州を訪れるツアーがある。
こうした豪華列車によるツアーの売り上げがなかなか好調なのか、2010年からはMaharajas’ Expressというサービスも開始されている。他の豪華列車と異なるのは、お決まりの7泊8日の行程が、ムンバイー発でアジャンターからラージャスターン各地、そしてアーグラーを経てデリーが終点となるHeritage of India、デリー発ではアーグラー、ラージャスターン州の複数個所、M.P.州はU.P.州を経てデリーに戻るIndian Panorama、デリー発でラージャスターン州を経てムンバイーに至るIndian Splendor、3泊4日でデリー、アーグラーとラージャスターン州を訪れるTreasures of India、Gems of Indiaがあるという力の入れようだ。
個人的には、こうした豪華列車にどの程度の関心があるかといえば、正直なところまったくないのだが、かねてより乗車してみたいと思っているものがひとつだけある。Fairy Queenというのがそれで、デリーからアルワールの区間のみ、いつか利用してみたい。
蛇足ながら、ツーリスト・トレインのパッケージは、必ずしもひとつの行程が数千ドルもする高額なものばかりというわけではなく、数千ルピー程度から参加できるものも用意されている。もちろんこれらは「豪華列車」ではないことは言うまでもないが。
前回は、今年7月にIRCTC (再アップデート)と題して、ウェブでのインド国鉄のEチケット予約について、携帯電話(インドの携帯電話会社のSIM利用)に送られてくる認証パスワードが必要になっていることについて触れたが、それを含めてインド人の間でもインド国鉄予約サイトの使い勝手は評判がよくないようだ。
その不便さを解消する目的で、これまでのクレジットカードでの支払いに加えて、近々RDS (Rolling Deposit Scheme)なるものが開始されることになるようだ。要はネット予約を扱っているインド国鉄関連会社のIRCTCに「プリペイド」でお金を預けておき、そこから予約するチケットの代金が差し引かれるという仕組みだ。
このシステムを利用することにより、これまで予約作業途中にエラー表示が出たり、携帯電話で受信しなくてはならなかった認証パスワードが不要になったりという面倒が解消されるという触れ込みではある。
詳しいことはまだ明らかになっていないので、インド国内からの銀行送金以外にどのような「プリペイド」方法が可能になるのか、その「プリペイド」の支払い手段としてクレジットカードが使用できるのかも今のところ不明。
IRCTC to launch deposit scheme for faster bookings
(Times of India)
IRCTC mulls prepayment cards to reduce
transaction failure rate (The Indian Express)
詳細が明らかになるまでは批評を差し控えたい。だがiPhoneやiPadのアプリケーションで、『Indian Railway Booking』アプリケーションが出てきて、サクサクと簡単に予約すれば、予約代金はiTunesに登録してあるカードから引き落とされ、あとは乗車後に『My Booking』のアイコンにタッチすると表示される予約内容を車掌に見せるだけ・・・という具合になればありがたい、と思うのは私だけではないだろう。
南アジアの鉄道で、ウェブ上での予約・発券が可能な国はインド以外に存在しない。現状でもインドは『大変進んでいる』ので、あまり多くを求めるのは酷かもしれないが。
またインド国鉄時刻表改定の時期の7月となった。先月末の時点で、同鉄道のウェブサイトにアップロードされているTrains At A GlanceのPDF版は、2012年7月以降(2013年6月末まで)の内容に改められた。
ひところ、インド国鉄のウェブ予約を扱うIRCTCのサイトでは、インド国外発行のクレジットカードによる支払いができず不便であったが、cleartripという助け舟的な旅行予約サイトの存在があることは、1年半ほど前にIRCTC (アップデート)と題して取り上げてみた。
だがしばらく前から、事前にIRCTCのサイトで手続きして、インドで入手した携帯電話に送信される認証パスワードを入力しないと購入できなくなっている。厄介なのは、インドの携帯電話でないとこれを受け取ることができないため、もともとそうしたものを所持していないとか、持っているけれどもインド国外にいるという場合だ。
そうしたケースの場合は、IRCTCにその旨の電子メールを送れば、メール宛に認証パスワードを送信してくれることになっているのだが、パスポートの写しを送信しなくてはならないし、返信が来るまで1日か2日程度かかるので、「ああ面倒!」と思う人も少なくないだろう。
そのあたりについては、『インド鉄道利用法:予約から乗車まで』というウェブサイトに詳しく書かれているのでご参照願いたい。
予約内容をプリントアウトすることなく、携帯電話やiPad等に送信された予約内容をそのまチケットとして利用できるという措置が取られるようになっている一方で、予約手続き自体は利便性の向上と逆行しているのがもどかしいところだ。
目的は、クレジットカードの不正利用、そして乗客に対するセキュリティ対策の一環といったところに尽きるのだが、運用されるシステム自体はいかにも「お役所的」である。つまり何か対策が取られるべき問題があるとして、それに対していかに効果的に実施するかという方向ではなく、「これを実行しました!」「こういう対策を取りました!」といった具合に、場当たり的な『私たち、仕事してます』というアリバイ作りに終始しているように思われる。
クレジットカードの不正使用はともかく、仮に犯罪をもくろむ人物が狙いをつけた列車のチケットを入手しようとするならば、駅の窓口や旅行代理店などいくらでもある。ちょうど、鉄道駅のセキュリティ対策と同じようなものだ。
大きな主要駅のエントランスから入場する乗客たちに大げさなセキュリティチェックを施していても、実は沿道からプラットフォーム脇に入ることができるようになっていたり、駅構内にテナントとして入っている食堂等を経由したりすれば、保安要員の検査を受けることなくプラットフォームに入ることができてしまうことが往々にしてある。また中途駅ではそのような措置さえないところが少なくない。
ペーパーレスのチケットが有効となっているならば、いっそのことIRCTCがAppleのiPhone / iPad用あるいはGoogleのアンドロイドの予約用アプリケーションでも開発して、それらを経由して予約・支払いができるようにでもしてくれたら、販売側も管理は楽になるだろうし、利用者側ともによほど助かるのだが。
今のところ、IRCTC用のそうしたスマートフォンやタブレットPCからアクセスできるIRCTCのモバイル用サイトを除けば、アプリケーション自体でインド国鉄のスケジュールや路線のチェック、PNRステイタスの確認等が出来るものはいくつか存在しているのだが、直接予約をできるようにはなっていない。
今後の進展に期待したいところだ。

ヤンゴンから夜行バスでモウラミャインに着き、宿に荷物を置いて少々仮眠してからタンビュザヤ行きのバスに乗り込む。
混雑していても、そこは人々のマナーの良いミャンマーなので、ガサついた感じはないのだが、窓から差し込む強い陽射しを避けようと、車内窓際の座席で日傘を広げる女性が少なくないのには閉口する。邪魔なだけではなく、危険ではないか!
このバスは、沿道の人々の貴重な移動手段となっているため、あちこちで客を降ろしては、少し先で乗せてということをチョコチョコと繰り返しながら進むため、行きは3時間もかかってしまった。帰りは乗り合いのピックアップを利用したのだが、その半分の1時間半ほどでモウラミャインに戻ることができたのだが。
それはともかく、モウラミャインの町に着いた。かつて泰緬鉄道で使われていたという蒸気機関車、ミャンマー側の終着駅であった場所、連合軍墓地などを見物したかったので、とりあえずバイクタクシーにそれらの場所に向かってもらうことにした。
タイでもミャンマーでも、揃いのベストを着用した運転手たちによるバイクタクシーは各地にある(走行するバイクを見かけないヤンゴンを除く)が、ふと思ったのは、インドにおいては、ゴアのような一部の地域を除けばこうした開業が手軽で、利用者にとっても手頃な交通手段がないのかということ。とりわけ、山間部にあるヒルステーションのように、街全体が斜面にあり、道路は狭くて勾配も急であったりして、バスやオートリクシャーなどが往来できないような土地では、ずいぶん重宝される可能性がある。
だが、よくよく考えてみるまでもなく、インドにおいては、運転手との距離が近すぎて、身体的な接触があることについては、とても抵抗感があるはずだ。もちろん公共交通機関に関する法的な規制等の関係もあることだろう。私自身、運転手とのこの距離感はどうも馴染めないし、それにタイの若いバイクタクシーの運転手のようにカッ飛ばす者に乗せてもらいたくないので、やはりミャンマーでも落ち着いた感じの中年運転手に頼むことにしている。
町中から少し出たところに、かつて泰緬鉄道で使われていたという日本製の蒸気機関車がひっそりと置かれていた。C56型のこのタイプの機関車は泰緬鉄道に導入され、第二次大戦が終わってからも、タイ・ミャンマーそれぞれの国鉄で用いられていたという。この車両が置かれているところから、古びた単線のレールが南方向に延びているが、少し先からは茂みの中に消えていく。


タイで走っていた機関車のうちの二両は、その後タイから日本に「帰国」し、一両は靖国神社の遊就館に展示されており、もう一両は大井川鐵道にて現役で走行している。
タイのバンコクから北西方向、カンチャナブリーを経て、タンビュザヤに至った泰緬鉄道は、第二次世界大戦時に日本軍がその建設を決行するより以前から、当時のビルマ(現ミャンマー)を統治していたイギリス当局により、このルートの鉄道敷設の構想はあったものの、地理条件により断念されていたとされる。
建設にあたり、日本の担当者は5年程度の歳月が必要であると見積もっていたが、日本軍はこれをわずか1年とひと月で強行した。これにより、連合軍捕虜1万6千名ならびにアジア各地から徴用された8万人を超える労働者たちが死亡することとなった。
この鉄道建設については、デヴィッド・リーン監督による1957年公開のThe Bridge on the River Kwai(邦題:戦場にかける橋)にも描かれており、旧日本軍による苛烈な捕虜虐待と戦争犯罪の一例として、世間でよく知られているところである。

市街地に戻り、そこから少し西に進んだところには駅舎があった。新しい枕木が置かれていたり、レール上部が光っていることからもわかるとおり、とうの昔に泰緬鉄道は廃線となっているものの、この駅自体は遺蹟化しているわけではない。モウルメインからイェー経由でダウェイに向かうルート上にあり、今でも毎日数本程度の客車や貨物車が往復しているようだ。

さらに西方向に行くと連合軍墓地がある。広大な敷地の奥に慰霊塔では、オーストラリアの国旗が掲げられるとともに大きな花輪が捧げられていた。何かの記念日に当たるのか、セレモニーが開かれているようであった。参列している人たちの多く、といっても十数名程度だが、白人の人たちであった。おそらくオーストラリアの人たちなのだろう。リーダー格と見られる人は中年男性、その他は小さな子供を含めた家族連れであった。


ちょっと話をしてみようかと思ったが、集っている人たちも私も戦争を知らない世代ではあるものの、ここに埋葬されている人々にとって、彼らを散々苦しめた加害国の人間であるがゆえに、非常にためらわれた。結局、声をかけることなくその場を後にした。こうした場でのセレモニーであるだけに、日本人であることを非常に重荷に感じてしまう。
数多くある墓標の中には、やはり名前がわからず記されていないものも多い。身元がわかっている人物の場合、記されている享年は多くが20代あるいは30代。またある墓標には花が供えてあった。ちょうど開かれていたセレモニーに合わせて、誰か身内の人が訪れたのかもしれない。

タンビュザヤから乗り合いのピックアップでモウラミャインに戻る。着いたのは午後4時。見物に夢中になったり、適当な食事処が見当たらなかったりで、昼食を抜いたり、ずいぶん遅くなってから食事したりということは多い。
この日も、ほとんど夕食に近い時間になってしまったが、河沿いにある食堂に入ると、ヤンゴンからの夜行バスで一緒だったイギリス人青年がちょうどビールを飲んでいたので相席する。よく冷えたビールが喉に心地よい。彼と軽食をつまみながら二杯ほど飲んでから、午後8時くらいに付近にある他の場所で待ち合わせて一緒に夕食をすることになった。
1943年の泰緬鉄道を建設に関わった旧日本軍の人々も連合軍側の人々も、やがてこういう平和な時代が訪れるとは夢にも思わなかったことだろう。すべての人々にとって不幸な戦争、国家の名のもとに敵味方に分かれて命を奪い合うような時代を繰り返すようなことは、今後決してあってはならない。そのためにも戦争の記憶を風化させてはならない、歴史を曲解させることがあってはならない、と私は常々思っている。
チェンナイからバンガロール経由でマイソールまで繋ぐ高速鉄道建設計画があるのだとか。バンガロールからマイソール間には、なんと30分で到着してしまうものだというから驚きだ。
最高時速は350kmというから、速度もまさにワールドクラス。だが気になるのは、それが実現した際の安全性か。どうも中国の新幹線のことが脳裏をよぎる。
Bullet train may connect Mysore-Bangalore in 30 mins (YAHOO ! INDIA FINANCE)
上記リンク先に出ている画像は、世界各国の高速鉄道の車両。インドの新幹線構想のプロトタイプではないので念のため。
昔々のデリーは、とてもクルマが少なかった。スズキのマルティが独り勝ちしていた頃のことだ。他の自家用車といえば通常はアンバサダー、パドミニーくらいと、非常に車種も少ない時代で、今やもう大昔ということになる。二輪の類も古いヴェスパのモデルをバジャージがインド現地生産したスクーター、あとはバイクといえば排気量125cc程度の小さなものくらいしか見かけなかった。
乗用車にしても、バイクやスクーターにしても、購入できる層が限られていたため、道路は閑散としており、「渋滞」という言葉さえも知られていなかった。同じ頃、まだ首都圏の高速道路網が無く、BTSや地下鉄もなかったバンコク市内は各所でひどい渋滞で、どこに行くのも一苦労。それに比べてインドの大都市の道路は何て空いているのだ!と思ったものだ。市バスでもオートでもビュンビュン飛ばしてすぐに目的地に着くことができた。
やはり転機は90年代前半以降であった。経済成長が軌道に乗り、デリー首都圏の人口が急増、人々の可処分所得も急上昇していく中、政府の外資の積極的な導入姿勢と外資による新興市場インドへの期待感から、様々な四輪・二輪メーカーがインドに続々進出していき、それとともに道路を急速に様々なクルマたちが埋め尽くしていった。
そんな中、デリー・メトロ建設の槌音が聞こえてくるようになったときには大きな期待感を抱いた。このネットワークが完成した暁には、昔みたいにスムースにあちこちに出かけることができる、いやバスのルートを知らなくても、簡単にどこにでも行くことができるようになるのだろうと。
そして現在、デリー・メトロのネットワークが広がり、市内の長距離移動が格段に楽になった。とりあえず目的地の最寄駅まで乗車して、後はオートでも利用すれば非常に短い時間で到着することができる。便利なものである。
昨年10月からはラージャスターン州都のジャイプルでも建設が始まっている。市内各地で工事が進行中だ。
完成時のネットワークはこのような具合になる。
他にもムンバイー、バンガロール、チェンナイ、ハイデラーバード等でメトロ建設が進められており、同様にアーメダーバード、ラクナウー、コーチン、ルディヤナー、チャンディーガル等でもメトロ建設着工の計画がある。多少の紆余曲折があっても、これからも引き続いて右肩上がりの経済成長が見込まれるインドはまさに日の出の勢いといった具合だ。
一昔、二昔前を振り返れば、現在との大きな違いを実感でき、今後も更にベターな明日を思い描くことができるインドが、とても眩しく見える。
日々が過ぎ去っていくのは早いもので、2011年もすでに半分以上が終わってしまった。インドにおいて7月は鉄道時刻表改定の時期だ。例年のごとく国鉄のウェブサイトにこれがPDF形式でアップロードされている。
Trains at a Glance (July 2011 – June 2012)
なお今年5月から7月までの夏季特別列車の時刻表も閲覧できる。
All India Summer Specials Time Table (April-July2011)
インターネットでの鉄道予約といい、ウェブで閲覧できる時刻表といい、かつて列車の予約が大仕事だった時代がまるでウソのようだ。