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カテゴリー: politics

  • トリプラ州都アガルタラの空港「国際化」へ

    東南アジアとの接続ということで、やがてバンコク便就航となるのだろう。アガルタラ空港の「国際化」のプロジェクトが完了する時期は示されておらず、北東インド・東南アジア間の行き来への需要がどれほどあるのかまだ判らないが、これまで世界の果てといった行き詰まり感のあった北東地域が東南アジアへの玄関口になることから、新たな時代の幕開けが期待される。また、これまで漠然と「北東地域」「North East」と一括りに呼ばれていながらも、その実この地域間での協調や連携には欠けていた部分についても、今後修正が求められることになるだろう。

    すでにマニプル州のインパール空港は「国際空港」のステータスにアップグレードされており、今後の進展が注目される。マニプル州においては、ミャンマーとの国境のモレー(Moreh)を経由する陸路の輸送ルートによる人やモノの行き来の今後ますますの活発化が予想されるとともに、このモレー経由でインドからミャンマーへの鉄道接続の計画もある。
    1990年代以降、減速した時期もいくつかあったが、基本的に順調な経済成長を続けてきたことによる変化の波が、ようやく北東地域にも及ぼうとしているかのようだ。

    近年は、隣国ミャンマーの民主化による欧米先進国を中心とした経済制裁が解除されたことも有利に作用している。これはインドの北東地域だけではなく、ミャンマー西部にとっても同様で、これらふたつの地域は互恵関係にあるといってもよい。

    ただし不安材料も決して小さくない。現在においてとりわけ不安定なナガランド州においては、先行きを見通すことは困難だろう。

    Will Nagaland Ever Have Peace? (Diplomat)

  • ナガルジュナコンダ

    ナガルジュナコンダ

    ハイデラーバードを午前9時に出て、クリシュナ河を堰き止めたナガルジュナサーガルダムにより形成されたナガルジュナサーガル到着は正午を少し回ったあたり。この人造湖にある島、ナガルジュナコンダに行く船は1日往復している。ここから1時間ほどかかるらしい。できれば11時半の船で行きたかったのだが間に合わなかった。時は金なり、もう少し早く出れば良かったと反省。

    ナガルジュナサーガルダム

    今は湖底に沈んでいる、3世紀から4世紀にかけて存在したスリ・パルヴァタと呼ばれた土地では仏教が隆盛を極め、多数の僧院が存在するとともに、大学まであったとされる。インド各地はもとより、スリランカや中国からも仏法を学ぶために多くの人々が集まったとのことだ。そうした遺跡群がダム建設に際して、人工湖の建設により島となるナガルジュナコンダに移築されている。

    船着場の近くにはホテルが数件あり、みやげ物屋や食堂などが軒を連ねている。軽い食事を済ませて、船が出る時間よりも少し前にチケット売り場で乗船券とセットになった入域料チケットを購入。

    ナガルジュナサーガル

    ボートに乗り込んで出発を待っていると、柄の悪い手下たちの取り巻きが付いたヤクザの親分?みたいな中年男性が乗り込んできた。カービン銃を手にしている護衛までいて、なんとも物騒な雰囲気であったが、地元ではよく顔を知られている人物のようで、近くに座っている堅気の人たちに愛想よく声をかけたり、小さな子供を抱え上げて、記念写真など撮らせたりなどしている。

    ずいぶん変わったヤクザもいるものだと思いきや、昨年アーンドラ・プラデーシュ州から分離したテーランガーナー州の州議会与党の議員であることがわかった。州の分離を推進した政党の議員だけあり、地元の誰もがよく見知っているらしい。農業を生業とする地主出身のようだが、支持基盤は庶民であるらしいことは、英語は得意ではない本人や彼が連れている人たちの様子から見て取れる。今日は彼の取り巻きたちへの「慰安旅行」であるそうだ。

    船の中

    専業のヤクザではないことはわかったので、船では親分の隣に座らせてもらう。相当酒好きな親分のようで、コーラのボトルに仕込んだウイスキーをぐいぐいやりながら、酒臭い息で
    とても楽しかったという「フィリピンでのナイトライフ」とやらのお話が続く。

    ナガルジュナコンダに到着

    ナガルジュナサーガルの島に着いてから、博物館や周囲の小さな遺跡などを見物しながらも酒を楽しんでいる。酔うほどに声が大きくなってくるが、けっこう気配りの人物であることは、周囲の市民たちとまめに声を交わしていたり、手下たちにも使い走りみたいな若者に命じて水だの何だのを買いに行かせては配ってやっていたりしていることからも窺える。ヤクザな雰囲気とは裏腹に、なかなか気のいいオヤジさんという印象。

    仏塔だが復元の状態は好ましくない

    親分というものは、威張っているだけでは人はついて来ないので、なかなか大変なのだろう。最後に帰りの船へと向かう中、親分はベロンベロンになっての千鳥足で、おもむろに道端で立ち小便。その最中もカービン銃を手にした二人のSPたちは、きちんとポジションを取って周囲に目を光らせている。この人たちだけは、他の取り巻きの柄の悪い兄さん、オヂサンたちとは一線を画すプロフェッショナルな態度であった。

    乗ってきたボートは、島で1時間強ほど停泊した後に、ふたたび湖の岸辺まで折り返す。遺跡は島内の各地に散在しているようで、着いてから最初に博物館を見学した後には、遠くまで足を伸ばす時間は残されていなかった。

    移動の足の不便なところでは、早めに計画、早めの時間帯に出発することが肝要である。

  • バングラデシュからのヒンドゥー移民に市民権をという主張について

    隣国バングラデシュから経済的な理由からインドへ不法な移住を図る人々の流れは絶えず、常に政治問題となっている。

    北海道の7割増程度の土地に約1億8千万人の人々が暮らすという人口があまりに稠密すぎるバングラデシュから雇用機会とより高い賃金を求めて、同じベンガル人が暮らす西ベンガル州、おなじくベンガル人たちが多く暮らす近隣州に出ようというのは自然なことでもあるだろう。もちろん彼らが移住する先はこれらに留まらず、インド各地の主要な商業地域や工業地域にも及ぶ。

    そもそも同国が東パキスタンとして1947年にインドと分離して独立(その後1971年にパキスタンから独立して現在のバングラデシュが成立)したことが、悲劇と誤算の始まりであり、経済面・人口面での不均衡の根本でもある。

    しかしながら、国家の成立には往々にしてその時代の流れに沿った必然と不条理が混じり合うものであり、その枠内で国家意識が形成されていくとともに、国民としての一体感も醸成されていくものだ。

    そうした中でも、国境の向こうで異なる国籍が与えられることになった家族や親族に対して、こちら側の者はある種の憐憫の情を抱いたりすることもあれば、羨望の念を持つことも少なくない。同様に、宗教をベースとした分離の場合、ボーダーの向こう側にマイノリティとして残された、こちら側と同じ信仰を持つ者たちに対する「同胞」としての感覚には、社会で一定のシンパシーを共有することになることが少なくない。

    ムスリムが大多数を占めるパキスタンにおけるヒンドゥー教徒たちの境遇については、インドでしばしば報じられるところであり、そこにも「国籍」の違いとは別次元の一体感があり、不幸にして異なる国籍を与えられることとなった「同胞」とでも言うような感情がベースにある。

    さりとて、イスラームという宗教を旗印に、ムスリム主体の国家の建設を目指した東西パキスタンに対して、宗教的にニュートラルな「世俗国家」を標榜してきたインドとの決して相容れるところのない部分は、例えばカシミール地方の領有に関する両国の主張が平行線であるところにも現れる。

    パキスタンと隣接する地域で、ムスリムがマジョリティであることが自国領であることが当然とすることがパキスタンの考えの根底にある。かたや宗教に拠らない世俗国家としてのインドにとっては、イスラーム教徒が多くを占めるからといってこれを隣国のものとするわけにはいかないのは当然のこととなる。現在、両国ともカシミール全域についてそれぞれ自国領であることを主張しているが、イギリスからの独立直後に勃発した第一次印パ戦争ならびに1965年の第二次印パ戦争の停戦ラインが実効支配線として、事実上の国境として機能することにより現在に至っている。

    パキスタン建国に際して、多くのムスリムたちが当時の西パキスタンならびに東パキスタンへ流出するとともに、それらの地域からヒンドゥー教徒たちがインドに難民として逃れることになった。しかしそうした動きにもかかわらずインドを捨ててこれらの地域に移住することなく、あるいは経済的に移住することがならず、そのままインドに残ったムスリムたちも大勢いたわけだが、独立後はそうした人々が内政面での不安材料となることを避けるためもあり、インド政府は彼らの歓心を買うために様々な努力をする必要があったことは否定できない。ちょうど、欧州にて共産主義のソビエト連邦と隣接する地域で、高い福祉や社会保障制度が発達することとなったことと似ている部分がないでもない。

    それが「世俗主義」を標榜しつつも、独立以降長年に渡って、少数派であるムスリムに譲歩する政策を継続せざるを得なかった理由でもあり、その世俗主義自体の矛盾と綻びであったとも言える。マイノリティとはいえ、規模にしてみるとの世界最大級のイスラーム教徒人口を抱えていることもあり、現実を見据えた上での選択であったはずだ。

    しかしながら、このあたりが圧倒的なマジョリティを占めるヒンドゥーたちから成る社会の中での不満を醸成することになったのも事実で、宗教別に定められている民法について1980年代末あたりから、「統一民法」の制定を求める声が高まっていくこととなる。これがやがて90年代にはいわゆる「サフラン勢力」の核となるBJPに対する支持数の急速な伸張へと繋がっていく。

    その後、国民会議派を中心とするイスラーム勢力や左派勢力を含む統一進歩同盟(UPA : United Progressive Alliance)とBJPがリードする保守から中道あたりの政党が集結した国民民主同盟(NDA : National Democratic Alliance)が一進一退の駆け引きを続けている。

    さて、このほどインドの北東地域では、隣国バングラデシュからの不法移民について、バングラデシュから来たヒンドゥー教徒に対して市民権を与えるべきだと唱えるBJPに対して、国民会議派はヒンドゥー、クリスチャン、仏教徒(要は非ムスリム)の移民に対して市民権付与による保護を訴えるという形で、信仰を根拠とする論争が起きている。

    こうした主張はインドの独立以来の国是である世俗主義に対する挑戦であるとともに、とりわけ国民会議派については、大きな方向転換のひとつの兆しであるのかもしれないようにも思える。

    同時に、インドにおけるこうした動きについて、隣国バングラデシュ国内に与えるインパクトも少なくないかもしれない。同国内人口の一割近くを占めるヒンドゥー教徒たちの取り込みと捉えることも可能であるとともに、コミュナルな対立が発生した場合に、「インドによる差し金」を示唆する口実にもなろうし、敵性国民として排斥する動きに出ることもあり得ないことではないだろう。

    宗教をラインとする国家形成を経てきた国と、世俗主義を国是として歴史を刻んできた国の間で、それなりのバランスが保たれてきた中で、後者が前者と近いスタンスを取ることになることについて非常に危ういものを感じる。

    インド東北部におけるこうした動きが現実のものとなるようなことがあれば、やがてインドとバングラデシュの間での国際的な問題に発展する可能性を秘めていることから、今後の進展には注目していきたい。

    BJP & Congress Raring to Provide Citizenship to Hindu-B’deshi Migrants (Northeast Today)

  • NIZAMUDDIN URBAN RENEWAL INITIATIVE

    NIZAMUDDIN URBAN RENEWAL INITIATIVE




    久しぶりにフマユーン廟に足を踏み入れた。四半世紀ぶりくらいだと思う。デリーはしばしば訪れて、近くを通ることはしばしばあっても、中に入ってみようと思わなかった。この度はちょっと気が変わって、ごくごくそばまで来たついでに見学してみることにした。

    ずいぶん見ない間に敷地内も建築物そのものも、非常にきれいに整備されるようになったのもさることながら、世界遺産(指定されたのは(1993年なので、もうふた昔以上も前のことになるが)となったことによる効果を有効に活用しているように見受けられた。

    Nizamuddin Urban Renewal Initiativeというプロジェクトが実施されており、このフマユーン廟、その周辺地域のスンダル・ナーサリー、ニザームッディーン地域において、イスラームの歴史的モニュメントを保護・発展させていくため、地域の人々自身による史跡の建築の装飾を含めた伝統工芸の振興により、これを持続可能なものとしていき、雇用・就業機会の確保とともに、公衆衛生の普及等も図っていくという、いわば地域興し的な計画である。

    このプロジェクトにおいて、フマユーン廟だけでなく、スンダル・ナーサリーやニザームッディーン地域の史跡等も整備されることになっている。

    これに参画する官民合わせて五つの組織は、それぞれArchaeological Survey of India(ASI)、Municipal Corporation of Delhi (MCD)、Central Public Works Department (CPWD)、Aga Khan Foundation、Aga Khan Trust for Culture (AKTC)である。

    同プロジェクトのホームページ上で写真やテキストで発信される情報以外にも、同サイトで公開される年報にて、様々な事業の進捗も報告されるなど、情報公開にも積極的に努めているようだ。

    世界遺産を核として、地域社会の発展に貢献するとともに、その地域社会からも世界遺産の整備に働きかけていくというサイクルがすでに軌道に乗っているのか、今後そうなるように試行錯誤であるのだろうか。

    いずれにしても、地域社会と遊離した、政府による一方的な史跡の整備事業ではなく、このエリアを歴史的・文化的に継続するコミュニティという位置づけで参画させていくという手法が新鮮だ。歴史的なモニュメントを含めた周辺のムスリムコミュニティにとって、これらの活動が地域の誇りとして意識されるようになれば大変喜ばしい。

    世界遺産の有効な活用例として、今後長きに渡り注目していくべきプロジェクトではないかと私は思っている。

    遺跡の修復に関するコミットメントの具体例を紹介する表示がいくつもあった。

    こちらも同様に、装飾の復元に関わる情報を記載

  • バングラデシュ横断計画 西ベンガル州都コールカーター発、トリプラー州都アガルタラー行き直行バス運行へ

    遠からず、西ベンガル州都コールカーターとトリプラー州都アガルタラーとを結ぶ直行バスが運行されることになるようだ。隣国バングラデシュを囲む位置にある北東州だが、とりわけ「本土」から見てバングラデシュの向こうに位置するトリプラー州へのアクセスがバングラデシュを横切る形で可能となることによるメリットは大きい。

    これは同時に、本来ならばひとつづきの経済圏であったはずのインド東部地域にバングラデシュという他の国が成立してしまっていることの不条理さの裏返しでもある。

    バングラデシュにおいても、過密すぎる人口とは裏腹に少なすぎる就業機会、乏しいインフラなどから、隣接する地域と断ち切られた形で存在する自国について、「もし印パ分離がなかったら」と思う人たちも決して少なくはないようだ。2014年おけるインドの1人当たりGDPが1,165ドルであるのに対して、バングラデシュは625ドルと、およそ半分でしかない。

    パキスタンとともにインドから分離して英国からの独立を果たした東パキスタン(現在のバングラデシュ)だが、その後に高揚したベンガル人としてのナショナリズムにインディラー・ガーンディー政権下のインドがバングラデシュ成立を強力に後押しした。

    いわばインドの傀儡とも表現できる形でスタートしたバングラデシュだが、その後は決してデリーの意向になびくことなく、独自の国体とナショナリズムを固持して歴史を刻んできた。

    アッサムからの水運、物流は長いこと断ち切られ、歴史や言語、文化や習慣を共有する西ベンガル地域に第一次産品を大量に供給し、それと反対に工業製品の供給を受けるという分離以前には存在していた地域内の分業の機能を国境が阻害する。雇用機会やベターな賃金を求めて向こう側に出る人たちは、同じベンガル人ながらも不法移民ということになる。

    これとは逆に、インド側にしてみても地域の真ん中に、あまり友好的とは言えない国が存在することにより、当然のことながらこのエリアにかかる国防費などの負担を抱えることとなる。独立以来、インド北東部が不安定であることの背景に、その地域の特色ある民族構成以外に、ベンガル北部の頼りないまでに細い回廊地域のみを経て到達できるという、地理的な要因もあるようだ。

    イデオロギーによる国家の分断の悲劇は、固定された格差、域内経済の振興への足かせなどとともに今なお継続中である。コールカーターから、ひとつづきのはずのベンガル地域の北東端にあたる地域への直通バスが話題になること自体が、現状の理不尽さそのものである。

    Direct Bus Between Agartala-Kolkata via Bangladesh (Northeast Today)

  • ロヒンギャー難民(続き)

    つい先日、「ロヒンギャー難民」と題して書いた内容の続きである。

    ミャンマー国内に70万~80万人ほどが暮らすとされるロヒンギャーの人たちは、ベンガル語のチッタゴン方言を母語とする集団ということになっているが、英領時代に現在のバングラデシュを含む当時のインドとビルマ(現ミャンマー)が合邦していた時期に、農業その他の生業のため移住した人たちの子孫が多くを占めるとされる。

    軍政期に隣国バングラデシュに大量に流出した時期もあったことを記憶している方も多いだろう。そのロヒンギャーの人たちが今もなお、とりわけ国際社会復帰を果たした「民主化後」のミャンマーから国外に難民として流出しているのは皮肉なことである。

    対ムスリム感情の悪化もさることながら、同国での市民権を与えられない宙ぶらりんの立場が常に彼らを危機に晒し続けているともいえる。幾世代にも渡り、ミャンマーで暮らしていながらも、ミャンマー政府による「不法移民」という位置づけがなされている。

    しかしながら、北海道の倍程度という国土に1億5千万人以上が住んでいるというバングラデシュ国内における人口圧力から察すると、ミャンマーと隣接するチッタゴン地域をはじめとするエリアから、ミャンマーに相当な規模の越境者たちが、バングラデシュの前身である東パキスタン、はてまた1971年のパキスタンからバングラデシュ独立後もミャンマーに相当規模の移住者があってもまったく不思議ではないという推測も可能だ。このあたりの事情について私はよく知らないし、この類のデータがミャンマー政府から公表されているのかどうかはよく知らないため、私自身の勝手な想像に過ぎない。

    しかしながら、同じくバングラデシュと国境を接するインドの西ベンガル、アッサム州、トリプラ州をはじめとする東部地域に、雇用や農耕地等、要は稼ぎ口を求めてやってくる不法移民は後を絶たず、これが常に大きな社会問題、政治経済問題になっていること、ベンガル人移民が押し寄せる波は、バングラデシュ国内でもチッタゴン丘陵地域で、チャクマーと総称されるモンゴロイド系住民が居住する地域でも様々な軋轢を生んでいることなどから思えば、このような流入が相当規模あるとしても決して不思議ではない。まさにそれがゆえに、ミャンマー政府はヤカイン州周辺に定着しているベンガル系の人々をロヒンギャーと呼び、不法移民と位置付けているのかもしれない。

    果たして、ミャンマー政府が言うところの不法移民(が多く含まれる)ことが事実であったとした場合、このあたりの発信力の弱さで、同国政府は実際の「悪業」以上に大きく損をしている部分があるようにも思える。さりとて、ミャンマーないしは、その前身のビルマ成立以前から居住しているロヒンギャーの人たちに市民権を与えることなく、幾世代にも渡り「違法に定住した外国人」扱いしていること、彼らが難民として周辺の国々に流出していることなどをはじめとする著しい人権侵害に対する非難から逃れることはできないのだが。

  • ロヒンギャー難民

    最近もまたミャンマーからのロヒンギャー難民たちに関する記事がメディアに頻繁に取り上げられるようになっている。

    【ルポ ミャンマー逃れる少数民族】 漂流ロヒンギャ、苦難の道 迫害逃れ、過酷な船旅 (47 NEWS)

    昨年、ロヒンギャー問題で知られるヤカイン州のスィットウェを訪れたことがあるが、かつて英領時代には、この街の中心部でおそらくマジョリティを占めて、商業や交易の中心を担ったと思われるベンガル系ムスリムの人たちのタウンシップがある。そこには同じくベンガル系のヒンドゥーの人々も居住していた。

    スィットウェへ3 (indo.to)

    滞在中にヒンドゥーの人たちの家で結婚式があるとのことで、「ぜひお出でください」と呼ばれていたのだが、その街区はバリケードで封鎖されていて、訪問することはできなかった。
    その数日前に、たまたま警官たちのローテーションの隙間であったのか、たまたま入ることが出来て、幾つかの寺院その他を訪れるとともに、訪問先の方々からいろいろお話をうかがうことができたのだが。

    実のところ、その結婚式には日程が合わず出席はできないものの、同じ方々からもう少し話を聞いてみたいという思いがあり、足を向けてみたのであるが、バリケードの手前で、「ここから先はロヒンギャー地域だぞ。誰に何の用事だ?」と警官たちに詰問されることとなった。

    うっかり先方の住所や名前を口にしては、訪れることになっていた人たちに迷惑が及んではいけないと思い、「いや、向こう側に出る近道かな?と思って・・・」などと言いながら踵を返した次第。通りの反対側から進入を試みてみたが、同じ結果となった。゛

    ロヒンギャーとは、一般的に先祖がベンガル地方から移住したムスリムで、現在のミャンマーでは国籍を認められず「不法移民」と定義されている人たちということになっているようだが、ベンガルを出自とするヒンドゥーもまた同様の扱いを受けているように見受けられた。

    そのロヒンギャーの人たちだが、母語であるベンガル語の方言以外にも、インド系ムスリムの教養のひとつとして、ウルドゥー語を理解すること、またヒンドゥーの人たちも父祖の地である広義のヒンドゥスターンの言葉としてヒンディーを理解することはこのときの訪問で判った。もちろん個人により理解の度合いに大きな差があり、まったくそれらを理解しない人たちもいるのだが。とりわけ若い世代にその傾向が強いようだ。

    アメリカをはじめとする先進主要国から経済制裁を受けていた軍政時代には、ミャンマー国内の人権事情について、各国政府から様々な批判がなされていたが、民政移管に伴い制裁が解除されてからは、そうしたものがトーンダウンするどころか、まさに「見て見ぬふり」という具合になっているように見受けられる。ここ数年間に渡り大盛況のミャンマーブームだが、同国政府の不興を買って、自国企業の投資その他の経済活動に支障が出ることに対する懸念があるがゆえのことと思われる。

  • 青蔵鉄路

    インドと関係のない話で恐縮ながら、インドの隣国にして中国による武力占領地のチベットの鉄道に関するNational Geographicによるドキュメンタリー作品。

    内容は政治的なものではまったくなく、2006年に開通した青海省のゴルムドからチベットのラサに至る青蔵鉄路建設に関わるストーリー。

    National Geographic – Extreme Railway: Qinghai Tibet Railway (YouTube)

    単線から成るこの鉄路だが、1950年代から構想が始まり、建設に当たってはチベット高原における高低差を克服するだけではなく、永久凍土上の地層、つまり冬季には凍結して嵩を増し、夏季には溶解して沈み込むとともに、場所によっては泥濘状態となる大地とどうやって折り合いをつけるかという難問もあった。

    どのようなアイデアでこれらを克服していったかについて、淡々と綴られているものの、その背後にこの事業に関わる人々による飽くなき探求心と情熱、深い知識と応用力あってのことだろう。

    こうした中国は、ネパール国境まで鉄道を延伸させる計画、さらには首都カトマンズまでこれを伸ばしていく構想まで持っている。

    China to extend rail to Nepal (ekantipur.com)

    中国の鉄道は、隣国ネパールを将来大きく変えることになるかと思うが、これはまたインドとネパールの関係、ひいては南アジアにおけるパワーバランスに多大な影響を与えることとなる。

  • W杯アジア二次予選 アフガニスタン代表

    サッカーのワールドカップのアジア二次予選の組み合わせが決定した。

    日本、シリアなどと同組…サッカーW杯2次予選 (YOMIURI ONLINE)

    非常に有利なグループ(日本・シリア・アフガニスタン・カンボジア・シンガポール)に入ったとメディアで取り上げられているが、そのとおりだろう。また、個人的には組み合わせはともかく、アフガニスタンと一緒のグループに入ったことについて興味深く感じている。

    2011年にアジアカップ一次リーグでシリアと対戦して、2-1と日本が苦戦した相手シリアはともかく、まったくノーマークのアフガニスタンに注目したい。FIFAランキングのシリア126位と同じく、アフガニスタンの135位はどちらも苦しい国情のためもあり、国際試合の機会が希薄であることからくるもので、実力を反映したものとは言えない。

    南アジアで開催された国際大会やアフガニスタン国内リーグなどをネット中継で観戦したことがあるが、南アジアサッカー連盟加盟の8か国(アフガニスタン、インド、スリランカ、ネパール、パーキスターン、バーングラーデーシュ、ブータン、モルジヴ)の中で、アフガニスタンは一線を画す存在だ。

    南アジア選手権においては、2011年大会に大躍進を見せて準優勝、続く2013年大会では見事優勝している。この大会の決勝戦で対戦したのは、2011年大会と同じくインド代表であったが、2-0でこれを下した。ちなみにこのときのインド代表には、日本で生まれ育った日系インド人(父親がインド人、母親は日本人)のMFプレーヤー、和泉新(いずみあらた)選手が出場していた。アルビレックス新潟のサテライト(シンガポールのSリーグ加盟)でプレーしていた選手だが、日本のアマチュアチームを経て、インドのIリーグの名門イーストベンガルに加入後、同じくIリーグのマヒンドラ・ユナイテッドFC、そして現在はプネーFCでプレーしている。

    さて、長年国内リーグを安定的に運営してきたインドをはじめとする国々が出場する大会で、これまでサッカーのインフラもなく、復興に向けてゆっくりと歩みを重ねつつある国の代表が制するというのは尋常ではないが、実はそれには訳がある。

    アフガニスタン国内を横断するトップリーグ「ローシャン・アフガン・プレミアリーグ」は2012年に始まったばかり。それでいながら、報酬を得てプレーする「プロ」選手も少なくない。現状はよく判らないが、少なくとも発足当時、選手たちは年契約ではなく、試合ごとに「日払い」で報酬を受け取るというのが普通であったようだ。もちろん勝敗や個々の活躍ぶりによって受け取る額は変動したのだろう。

    しかしながら、国内リーグの惨状とは裏腹に、海外のクラブにて活躍中で、母国の代表に招集される選手たちの存在と彼らのポテンシャルの傑出した高さがあるのがアフガニスタン代表の特異なところだ。代表選手たちの半数ほどは欧州を中心とする様々な国々のクラブでプレーしており、国外生まれの者も少なくない。

    よって、スタメンで出てくる主力は海外仕込みの選手たちとなるであろうことから、日本が相手にする相手の大半は、本格的なサッカー環境とはほど遠いところで育った「アフガンの地場産の選手たち」ではなく、外国の2部や3部のクラブに所属とはいえ、紛れもない「本場仕込みのプレーヤーたち」であることを念頭に置く必要があり、他の南アジアサッカー連盟に加盟している国々の代表とは格が違うのは当然ということになる。

    地域では突出しているとはいえ、日本代表が圧倒されるケースは想像しにくいが、「意外にいいサッカーをする!」と評価される可能性があるアフガニスタン代表だ。国内が安定して成長が見込めるようになると、今後さらに急伸していく可能性もある。

    アジア二次予選では、ホーム&アウェイ方式で二試合ずつ、合計8試合行われることになるが、情勢が緊迫しているシリアもさることながら、果たして首都カーブル(「カブール」という表記がメディア等で見られるが、ペルシャ文字で「کابل」と綴るので、「カーブル」が適切)で今年9月8日に予定されているゲームが実現できるのか、第三国での開催となるのかについても注目したい。

    安全確保が最優先であるのは当然だが、関係者たちの努力により、カーブルでのアフガニスタン代表のホームゲームが開催されるとなれば、アフガニスタンサッカー界にとって歴史的な快挙となるだけではなく、アフガニスタンのサッカーファン、とりわけ元気な子どもたちへの大きな贈り物にもなる。また、長く続いた内戦でズタズタになった国で、異なる民族の人々が声をひとつにして「私たちの代表」を応援できるということは素晴らしいことだ。

    スポーツが平和のためにできることはいろいろある。勝ち負けだけではない「絆」や「共感」を持つことができることもまた、スポーツの国際大会の大きな意義のひとつだろう。アフガニスタンのサッカーファンにとっては、今や世界的な強豪国の一角となった日本を迎え撃つ「ワールドカップ予選試合」をホームで実現することは、日本がこの二次予選、そして最終予選を制して6度目の本大会に出場する以上に大きな意味のあることだ。勝敗はともかく、これを実現するということは、人々の心に届く、真に勇気ある国際平和貢献となることは言うまでもない。

    はなはだ残念なことであるが、シリアにしても、アフガニスタンにしても、こうした大きなイベントは反政府勢力にとって格好のターゲットとなり得ることは間違いない。スポーツに政治を持ち込むことなく、誰もが心ひとつにして自国代表を力いっぱい声援できる環境を造ることは、思想や主義主張を越えて、FIFAや日本とアフガニスタンサッカー協会関係者たちはもちろんのこと、アフガニスタンの行政、治安当局や反政府勢力等々にかかわるすべて大人たちひとりひとりに課せられた責任でもあるとともに、私たち日本人もまた実現に向けて世論を後押ししていくべきだろう。

    アフガニスタンで、後世に語り継がれる「伝説の試合」が現実のものとなることを期待したい。

  • ニュース雑誌 Northeast Today

    インド北東地域の通称「セブン・シスターズ」。アッサム州、アルナーチャル・プラデーシュ州、トリプラー州、ナガランド州、マニプル州、ミゾラム州、メガーラヤ州のことだが、「充分にインドらしさがある」アッサム州とそれ以外の州では様相が大きく異なる。

    地理的には隣接していながらも、民族的にも文化的にも差異が非常に大きく、それぞれ別々の国であるかのようだ。ヒンドゥー教や仏教に取り込まれることがなかった地域さえある。
    北東地域を総括する共通項といえば、「どれもインド共和国に所属している」ということくらいではないだろうか。

    そんな民族のモザイクのような魅力に溢れる北東地域だが、アッサム州を除けば巷にこの地域の情報があまり多くないのは、同州以外は経済的に重要な地位を占めていないという事情はもちろんのこと、人口が少なく、地元マスメディアのインフラが貧弱であることなどがあるだろう。情報発信力が弱いだけではなく、記事の質や信憑性といった面でも、アッサム州を除く北東地域以外とは比較にならないといって間違いない。

    そんな中で、北東インド地域を包括する月刊ニュース雑誌Northeast Todayはなかなか重宝する。アッサム州の州都グワーハティーをベースとするメディアだが、ヨソではあまり話題にもならない「セブン・シスターズ」各地のニュースを精力的に取り上げている。

    興味深いことは他にもある。誌面で取り上げられる中央政界のニュース、対中国その他の国際関係の記事などが、北東地域の視点から書かれていることだ。

    近年は、MAGZTERで定期購読もすることができるようになっているのだから、インド世界も狭くなったと言えるかもしれない。月刊誌であることから、トピックのフレッシュさの面で不利になることは少なくないため、同誌のウェブサイトのほうも併せてチェックしていくといいだろう。

  • ニュース番組Aaj Takの 「So Sorry スワッチ・バーラト最新版」

    ニュース番組Aaj Takの 「So Sorry スワッチ・バーラト最新版」

    おい、あんたたち!
    ちょっとキレイにしたらどうだ!
    家の中だけじゃなくて小路も、道路だけじゃなくて溝も、自宅周辺だけじゃなくて地域をキレイにしようぜ。
    家だけじゃない、屋敷だけじゃない、寝室だけじゃない、庭だけでもない。
    そもそも君たち、インドはなぜ汚いんだ。

    ・・・といった具合の歌とともに、清掃を呼びかけるモーディー首相が人々に訴える。

    So Sorry: Swachh Bharat

    ニュース番組Aaj Takの中でしばしば流れる風刺アニメのシリーズだが、これは昨年10月にモーディー政権がSwachh Bharat Abhiyan(クリーン・インディア運動)を打ち出した直後にリリースされたSo Sorry: Swachh Bharat Abhiyanの最新版だ。

    番組でしばらく間をおいて同じアニメが何度も出てきたり、これが毎日繰り返されたりすると飽きてしまうものの、So Sorryシリーズにはなかなか秀逸なものも多いので、見応えがある。何かちょっとした出来事があると「どんな具合に取り上げるのかな」と期待したりもしてしまう。

    政治がエンターテインメントの具にもなるのはインド人たちの政治意識の高さならではのことであるし、辛辣な風刺も少なくないことに、メディアのしたたかさ、批判精神の旺盛さを感じたりもするだろう。

    2月にデリー首都圏の選挙があり、AAP(Aam Aadmi Party)が70議席中67議席を占めるという大勝で新政権が発足したが、この選挙戦の迷走ぶりについてこのようなものがあった。

    So Sorry – Aaj Tak – So Sorry: On ‘parachute netas’

    So Sorry:’Kiran raise’ BJP’s hope

    インドの政治動向をフォローしていないと、何のことだかよく判らなかったりするかもしれないが、多少なりとも関心があれば、今後フォローしていくと楽しいことだろう。

  • ナガランド 暴徒による性犯罪者のリンチ殺害事件の背景

    2月24日にナガランド最大の街であるディマープルで起きたナガ女性に対する暴行事件で逮捕された男性が収監される刑務所が暴徒に襲われ、この男性が外の往来に引きずり出されて殺害されるという凄惨な事件が3月6日に発生した。

    Indian ‘rapist’ who was lynched by mob who broke into prison and beat him to death had ‘offered his victim £50 to keep quiet about the attack’, she claims (MailOnline)

    メディアが掲げるヘッドラインを目にする限りでは、インドで近年増加している性犯罪に対して業を煮やした市民たちの怒りが社会の秩序と正義を求めて暴発という具合に読めるだろう。もちろんそれには間違いないのだが、もうひとつの側面がある。

    文化も人種も異なる「抑圧者」インドに長年虐げられてきたとされる鬱積とベンガルやアッサムからの移民流入に対する不満の爆発で、こちらは前述の社会秩序や正義とは大きくベクトルが異なるコミュナルなものとなる。

    今回の事件については、ディマープルでしばらく続いていた市民による抗議活動の延長線上にある。

    Protest against Feb 24 rape rattles Dimapur city (Nagaland Post)

    レイプ事件を起こした犯人はアッサム州出身のムスリム男性(2月24日の事件発生後以降しばらくはそのように伝えられていた)であった。そして被害者は地元のナガ女性。ディマープルは、ナガランドの最大都市でありながらも、州内のその他の土地と異なり、アッサム州に隣接する平地にあり、人口の相当部分がナガランド州外の平地から来た日々とであるため、まったくナガランドらしくない普遍的な「インドの街」に見える。
    そんなディマープルの刑務所に押し掛けた数千人とも言われる群衆の大半は地元ナガランドの人々であったようだ。

    ナガランド州首相は、この事件の背景にコミュナルな対立の構図があることを否定しているが、同州内のいくつかの有力な在野政治団体がこの機を利用しないことはないだろう・・・というよりも、そうした組織がこれを絶好の機会とみて、市民による抗議活動の中に活動家を合流させて扇動し、数の力に任せてこの事件を起こしたと捉えるほうが正しいことと思われる。この事件は、現在それなりの安定を手に入れたナガランド州をふたたび不安定な状況へと陥れる導火線となり得るかもしれないため、今後の進展から目を離すことができない。

    また、2月24日にこの事件が起きた際の報道では、犯人の男性は「アッサム出身のムスリム」ということになっていた。また3月6日のこの事件を受けて、アッサム州首相は、おそらくこの事件がナガランドの野党勢力中の政治団体による反ベンガル人、反アッサム人のシンボルとして利用されていることを念頭に置いて、デリーの中央政府に対する治安強化を促す発言をしている。

    殺害された性犯罪者について、いつしかナガランドポストのような地元メディア、そして全国をカバーする大手メディアでもこの男性をアッサム人ではなく「バングラデシュからの不法移民であることが疑われる者」と報じるようになっている。「外国人による犯罪」とすることにより、国内でのコミュナルな色あいを薄めようという当局の意思が反映されているのか、報道機関による自制ということなのかもしれない。あるいは隣国から不法に移住したがゆえに、逮捕された際に自らのアイデンティティーを偽っていたことが後になってから判明したということなのかもしれないが。

    Centre concerned as tensions run high in Nagaland (The Hindu)

    北東インドでコミュナルな色合いの濃い流血事件が起きると、その背景には奥深い闇が横たわっていることが多々ある。