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カテゴリー: life

  • 新生エアインディアへと着々

    インドの財閥ターターの元で民営化されるエアインディア。財閥を所有する筆頭企業ターター・サンズでは新生エアインディアのトップの人選が進んでいるそうだ。

    航空会社は半期ごとにダイヤを見直しつつ、シームレスに操業しているわけなので、民営化された瞬間に大きく変わることはないにしても、1年、2年のうちに国内であまりに手を広げ過ぎた(官業によくあること)路線の整理、労組の強さから国際的にも引けを取らない給与水準と言われる同社操縦士の報酬、その他スタッフの人員整理などの労務管理面での大ナタがふるわれることだろう。

    国営エアインディアでとりわけ足枷になっていると言われる旧インディアンエアラインスの国内路線及びSAARC内や湾岸産油国への路線は、既存のLCCに任せることになるのかもしれない。少なくとも政治主導で開設させられたローカル路線については、もはや継続する義理もなくなる。

    それはそうとコロナまでは順調な経済成長が続いていたインドでは各地で空港の新設が相次ぎ、出来上がったものの定期便の乗り入れがないとか、乗り入れ開始したものの利用者が少なく半年か1年で撤退してそのまんま放置されている空港がけっこうある。官業というものは、なんといい加減なものなのかと思う。

    Tata Sons looking at hiring new Air India Management as sale proceeds (mint)

  • URBANPODという鉄道駅構内宿泊施設

    URBANPODという鉄道駅構内宿泊施設

    鉄道駅のリタイアリングルームといえば、大部屋にたくさんのベッドが並んでいた李、簡素な部屋が用意されていたりするが、大きな駅だといつも満室でなかなか利用することはできなかったりする。繁華街に面していたり、商業地に近い場所にある鉄道駅ならば、他に宿はたくさんあるので困ることはないのだが、ヘトヘトになって深夜過ぎに到着したりしたときには、やはり駅構内にある宿泊施設が利用できるとありがたいものだ。

    ムンバイセントラル駅構内に日本のカプセルホテルのような宿泊施設「URBANPOD」が出来たそうだ。こちらは国鉄ではなく民間業者による運営だ。同様のサービスが他の主要駅にも広がることを期待したい。

    Staying in India’s First Pod Hotel | Under Rs1400 | Urbanpod (Youtube)

    India’s First Capsule Hotel Tour | UrbanPod Hotel Mumbai | Only 900 Rs. Per Night (Youtube)

    India’s First Capsule Hotel For Train Traveler | Urbanpod Hotel Tour Mumbai Central | Rs.799 per N (Youtube)

  • ゆるいヒンドゥー主義

    ゆるいヒンドゥー主義

    バナーラスのヴィシュワナート寺院。モーディー肝いりのこの地域の再開発工事が完成しての式典。こうして上空からの映像を見ると、もともとはたいへん建て込んでいた地域にあった寺院だが、周囲を広く取り壊して見事な空間を創出している。このお寺のシカラが間近に見下ろせる宿に泊まったことがあった(今はどうかしらないが、当時外国人は入れないことになっていたので、そこに宿泊するメリットがあった)が、それらも含めて地ならししたのだろう。

    BJP、RSS、VHPのいわゆる「サングパリワール」の中の政治部門としてのBJPが推進する「ヒンドゥトヴァ」は、よく「ヒンドゥー至上主義」と邦訳されるが、こうした言葉では誤解を招くだろう。厳しい戒律、教条主義といったものを連想するであろうはずだからだ。これとは裏腹に、伝統回帰や復古主義ではない新たな(緩くて広い)ヒンドゥー文化の創出。厳格な原理主義とは反対に、ゆるやかに、そして幅広く人々と社会を包み込んでいく。これが実際の「ヒンドゥトヴァ」の姿だ。

    うまい例えが思いつかないが、日本でゆる〜く浸透している英米文化、スポーツであったり祝祭であったり、キリスト教の行事などに近いもの、とも言えるのではなかろうか。

    ヒンドゥーが本来持っていた差別的構造を否定するとともに、ヒンドゥーを宗教ではなく、インド地域共通の文化として、民族的結合性には弱いものがある多民族・多文化国家を民族国家として統合へと導こうという試みのようで、それ自体は悪くないように思えるこのごろ。北東州でのBJP勢力拡大、そしてラダック地域での支持拡大は、まさにそれを象徴しているようだ。本来は「周辺地域」であった少数民族エリアを次々にメインストリームの中に取り込んでいっている。

    元来、洒落者のモーディー。彼の装いをイメージしたアパレルのブランドもあるほどなのだが、近年の彼は(聖者に近い)賢者といったムードでの演出が多くなっている。このあたりも戦略の一環となっているのがこの人の凄さの一面だが、それほど自信を深めているということだろう。

    ただし多くの人々を結合させるには、やはり外なる敵と内なる敵との対峙が効果的という面もあるようで、現政権が外の敵としてパキスタン、内なる敵としてムスリムへの対応が冷淡であったり、しばしば苛烈であることがとても気になる。

    काशी वो है… (Twitter @narendramodi)

    PM Modi inaugurates renovated Kashi Vishwanath Dham Corridor (Youtube)

  • ムスリムの政党

    英領期、独立運動の高まるインドで「インドムスリム連盟」が国民会議派と袂を分かち、印パ分離独立へと導いたが、それとは裏腹に独立後のインドでは、「イスラームを旗印にする政党」はなかった。それほどインドのムスリム社会はリベラルかつ融和的であると言える。ムスリム票の主な行き先は国民会議派及び左派政党。つまり左寄り勢力と相性が良い。

    正確にはまったく存在しなかったわけではないのだが、地下組織ではない合法的な政党として、イスラーム主義を掲げてイスラーム教徒を票田として、国政や州政治を左右する存在はなかった。

    「J&Kにはいくつもあるではないか」と言われるかもしれないが、カシミールにおけるそうした政党はイスラーム主義ではなく、カシミールの民族主義政党だ。中央政界に融和的でカシミールにも地盤を持つ国民会議派などの世俗政党と友党関係にある政党もあれば、中立的な党もあり、はてまたインド共和国からの分離を志向するグループもあるが、いずれもムスリムのカシミーリーであり、80年代後半から90年代にかけて当地を追われたカシミーリー・パンディット(カシミーリー・ヒンドゥー)に同情的ではないとはいえ、彼らは民族主義者である。

    そんな中で、この5、6年ほどの間にちょっと注目すべき存在が浮上している。それはAIMIM(All India Majlis-e-Ittehadul Muslimeen)だ。

    独立後に正式な政党となったイスラーム組織だが、英領時代にハイデラバード藩王国で組織され、藩王国の支配者であるニザームと彼の元での体制に対する翼賛団体Majlis-e-Ittehadul Muslimeen (MIM) を起源とする。

    わずかな議席を得て、国政と州政治(アーンドラプラデーシュ州。州の分離後はテーランガーナー州)の舞台に登場したのは1989年と遅く、ハイデラバードを地盤とする弱小政党であり、影響力も存在感もほとんど無視してよいスケールであった。イスラーム政党というよりも、むしろニザーム体制の名残りからくる地元主義政党のひとつであったとも言えたかもしれない。

    それが2010年代に入るあたりから、強い発信力と一部でカリスマ的な人気をあらわし始めたアサードゥッディーン・オーウェースィーのリーダーシップのもとで、国政選挙や他州の州議会選挙にも積極的に展開するようになっている。

    先の西ベンガル州議会選挙でも、州与党で女傑マムター・バナルジー率いるTMC、TMC追い落としを狙い、党のツートップであるモーディーとアミット・シャーが盛んに現地入りしての闘いで、票が拮抗した場合にはAIMIMがキングメーカーとなるかも?という観測すら一部にはあった。

    来年予定されているUP州議会選挙にも意欲を見せており、今後もそうした拡張路線は続けていくのだろう。

    「イスラーム主義政党」が未来のインド社会に波紋を広げていくことになるのかどうか、それとも従前どおりムスリム票は中道左派及び左派政党へと向かうのか、推移を見守りたい。

    Row in Bihar assembly as AIMIM MLAs refuse to sing vande mataram (THE NEW INDIAN EXPRESS)

  • 現代のタージマハル

    現代のタージマハル

    裕福な人は本当に裕福になった今どきのインド。

    「タージマハルを建てた」というような報道はときどき見られるが、今回は亡くなった奥さんのためにというものではなく、元気にしている配偶者のために建てたといういい話。

    しかも施主のアーナンド・プラカーシュ・チョークスィーさんは、ムスリムではなくヒンドゥー教徒。「平和の象徴、博愛・連帯の象徴、愛の象徴。愛と互助を」と言う彼は、この建物の上にインド国旗を掲げるつもりとのことだ。

    This man from Madhya Pradesh built a replica of Taj Mahal (THE HINDUSTAN TIMES)           

    最愛の妻のためにタージマハル、インド人実業家がレプリカ建設(JIJI.COM)

  • ラヴォー

    パールスィーの甘物、ラヴォーだそうだ。キールみたいだが水分少なくハルワーみたいに仕上げるらしい。

    スイーツでも料理でもそうだが、彼らの先祖の地イラン風のアイテムもあれば、定住したインドから採用したアイテム、そしてイギリスから取り入れたものなど、いろいろあるのが楽しい。イスラーム化が進んだイランからインドに来て定住してインド化、そして植民地体制の中でライフスタイルが西洋化したパールスィーの生き方そのものを象徴しているかのようだ。

    それでいて、外国起源ということで不利な扱いを受けることなく、インドで愛国的かつ模範的なコミュニティーとして認知されているのは、まさに彼らの最初の移民グループとされた一団が彼らを受け入れることになった地の王に対して忠誠を約束した「ミルクと砂糖の誓い」が今なお受け継がれていることを示すかのようでもある。

    Parsi Ravo Recipe | Parsi Style Sooji | Semolina Pudding | How To Make Parsi Style Ravo | Sheera (Youtube)

  • ハビーブガンジ駅の改名

    こちらはMP州。同州の選挙は2023年なので選挙戦とは関係ないようだが、州都ボーパールにある鉄道の「ハビーブガンジ駅」が「ラーニー・カムラーパティ駅」に改名。

    BJP政権下で、ムスリムやイスラーム教関係者に因んだ地名等をサンスクリット起源の名前に置き換えて「純化させる」という事象が頻発しているが、こちらは少し趣が違う。

    先住民のゴンド族の女王に因んでとのこと。同様に先住民族が多い地域では、これまでほとんど顧みられることがなかった「先住民族の英雄」が再評価されて、地名、施設、道路などの名称に使われるという現象が起きている。これらを実施しているのはBJPだけではなく他の政党にも見られる。

    チャッティースガル州、ジャールカンド州などでも見られるものだ。この2州はBjP政権下になく、前者はJMMという先住民族が主導する政党、後者は国民会議派だが、先住民族たちの歓心を呼ぼうという政策の一環。

    Habibganj railway station renamed after Gond queen Rani Kamlapati: MP CM Shivraj Singh Chouhan (INDIA TODAY)

  • サルマーン・クルシード

    国民会議派の重鎮のひとり、世俗派を代表するムスリムの国会議員で、著述家としても広く知られるサルマーン・クルシードのナイニタルにある屋敷が放火される事件が起き、ネットで拡散されたその様子がインドのニュース番組でも取り上げられていた。このようなことが起きた原因は先月リリースされた彼による著作が原因らしい。

    Four arrested for vandalism at Salman Khurshid’s house in Nainital (INDIA TODAY)

    1992年のバーブリー・マスジッド破壊事件に至るまでの道筋とその後の展開を回想したもので、この事件については立場によっていろいろな捉え方があるが、世俗国家インドからサフラン勢力台頭へと転換した分水嶺のような事件であった。これを境にインドの国是と常識が一転したと言える。それまでのインド中央政界は「中道左派vs左派」の対立軸であったものが、「ヒンドゥー右翼vs中道+左派」に移行してしまったからだ。

    穏健かつ良識ある世俗派のベテラン政治家がこれをどのように総括しているか知りたいので、キンドル版を購入してみることにした。

    書名:Sunrise over Ayodhya Hardcover – 25 October 2021

    著者:Salman Khurshid

    ISBN-10 ‏ : ‎ 0670096148

    ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0670096145

  • ミャンマーの元サッカー代表GKがFリーグのY.S.C.C.横浜に入団

    ミャンマーのサッカー代表GKで、試合後に帰国を拒んで日本で難民申請している選手がフットサルのYSCC横浜にプロ契約で入団したとのこと。まだ選手登録はされておらず、サッカーからフットサルへの転向のため格闘中らしい。

    フットサルのゴレイロは、サッカーのGKとかなり違う部分が多く(むしろハンドボールのGKの守備に近い)、サッカーから派生した競技とはいえ、ルール、戦術、ゲーム運びなどかなり異なる。

    また、ゴレイロからのスローから味方のダイレクトボレーでのシュート、相手のパワープレーを阻止してそのまま相手ゴールに蹴り込む「パワープレー返し」のように、攻撃そのものに絡むシーンも多いなど、サッカーのGKにはない役割もある。

    国の代表GKにまでなるほどの人なので、サッカーからフットサルへうまくコンバートして、ピッチで活躍を見せてくれる日が来ることだろう。

    今後の活躍に期待をしたい。

    サッカー元ミャンマー代表が、松井大輔と共にフットサルチームに加入した理由 (YAHOO!ニュース)

  • 刑務所か保釈か

    刑務所か保釈か

    INDIA TODAY  (HINDI) 11月10日号

    インディアトゥデイ11月10日号の特集記事は「刑務所か保釈か」である。

    先のシャールク・カーンの息子、アーリャンがドラッグの関係で先月初めに逮捕され、同月下旬に釈放された件のことかと思いきや、そんな単一の事案に関するものではなかった。

    インドの審判は、とにかく時間がかかることで知られている。2002年にグジャラート州のアクシャルダーム寺院で起きたテロ事件があったが、この関係で逮捕された人たちのうち、2014年になって、ようやく「事件に関与した証拠がない」として釈放された者が複数あったという。12年間もの間、未決囚(被疑者)として塀の中に放り込まれていたのだ。

    インドの刑務所でこうした未決囚(被疑者)が占める割合は69%に上るといい、未決囚(被疑者)のままで10年、20年に過ごして、やはり「証拠不充分」として釈放されるケースはまったく珍しくなくそうだ。中には30数年間、実に40年近く留め置かれた例もあるのだとか。

    ちょっとした実業家や地方語映画のスターなどが半年から複数年拘禁された例も挙げられており、シャールクが息子のために途方もない金額を費やして、ムンバイ随一の弁護士を複数雇ってアーリャンを保釈させたのは、あながち親バカとも言えないらしい。

    いやはや、たいへんだ。

    Bail or jail? (INDIA TODAY)

     

  • 「ディワーリーおめでとう!」とボリス・ジョンソンの目配りと気配

    英国首相ボリス・ジョンソンによるディワーリーのメッセージ。国内に大規模なインド系人口を持つこと、インドとは伝統的な縁と現代においても政治・経済で強い紐帯があることからも、こうしたメッセージの発信は大切だ。もちろんこの動画はインドでも各報道機関使いまわしでたくさん流れたし、SNSでも共有された。

    UK PM Boris Johnson wishes Happy Diwali, Bandi Chhor Divas to everyone around the world (THE ECONOMIC TIMES)

    同様にアメリカのカマラ・ハリス副大統領も、こちらは本人がインド系ということもあるが次のような動画を発信している。

    US VP Kamala Harris extends Diwali greetings to everyone around the world (THE ECONIMIC TIMES)

    アメリカからは前政権時にも当時のトランプ大統領が得意のツイッターで「ディワーリーおめでとう」と発信していたし、大統領時代のオバマ氏もディワーリーのメッセージとして動画を発信していた。

    インドとの繋がりは日が浅い日本とはいえ、私たちにとってインドの経済的な重要度は高くなり、戦略的にも大切なパートナーとなりつつある。もし外務省が入れ知恵して岸田首相がツイッターでもいいから、ディワーリーに関して動画メッセージを配信したら、日本という国に対するかなり良い反響があったことだろう。お金と手間をかけずに得点を稼ぐいいチャンスであったはずだ。

    もちろん在印の大使館、領事館等ではこうした対応や発信はしていることだろうが、自国政権中枢からも相手国に対して「東京からいつも気にかけています」「日本から常に注目してますよ」という意思表示は大切だ。

  • 合掌

    合掌

    ご存知のとおり「ナマステ」のポーズだが、この挨拶の動作は上座部仏教の地域、タイやカンボジアあたりまでは、神々はもとより、世間の人々に対する日常の挨拶に用いられるが、日本においては、寺院参拝以外では、よほど必死に懇願するような場面を除いて、死後の人(葬儀や墓参りなど)に対するものとなる。つまり私たちの観念での「仏さま」に対する専用の挨拶となる。おそらく他の大乗仏教の地域でも同じだろう。この違いは、いったいどこからくるのだろうか。