
生活のサイクルの中で、駅までの道のりや電車やバスといった交通機関の中で『いつも見かける人』として記憶している人物は少なからずある。その人と擦れ違うのがどの地点であるかにより、『今日の私は少し時間に余裕があるな』とか『まずい、今日は遅れてしまった』などと感じたりする。毎日顔を合わせる人たちだが、どこかで何がしかの接点がなければ、会話どころか挨拶をすることもない。
本日4月19日、東京の池袋西口公園にて、『カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ』が開催された。昼過ぎから会場に出かけて、長男とビリヤーニーをパクついていると、ちょうどそういう『顔見知り』がいた。いつも私が降りる駅で、ホームから乗り込んでくるインド系の人が。普段一人でいるところしか見たことがないが、今日は奥さんと子供と一緒である。
『いつも××駅から乗ってるでしょう?』と声をかけてみると、バーングラーデーシュの人であった。なかなか話好きな人のようで、しばし楽しく会話させてもらった。明日からは、憂鬱な朝の鉄道駅のプラットフォームで挨拶する相手ができたことにもなり、ちょっと嬉しかったりもする。
さて、今日のイベントは、少し汗ばむほどの好天に恵まれたこともあり、盛大な人出であった。池袋西口公園が文字通り『満員』といった具合で、そろそろ他の会場へのシフトも考慮したほうが良いのではないかとも思った。この手の屋外イベントで、外国出身の人が八割以上というものは他にほとんどないのではないかと思う。もちろんここで言う外国出身者とはベンガル人たちのことである。
私が常々感じているとおり、彼らが日本に定着してからすでにかなりの年月が経過している。特にバブル期に来日して、日本で所帯を持った人たちについては、子供たちがすでに中学生やそれ以上になっている家庭が少なくない。そういう早い時期に来日した人たちに限ったことではないが、配偶者が日本人というケースが多く、日・バ混血の新しいタイプの日本人が育ってきている。
果たして、日本に定着したバーングラーデーシュの人たちは、時間と世代を重ねるにつれて、日本社会に同化、あるいは消極的な表現を取れば埋没していくのか、それともベンガル人ないしは南アジア系としてのアイデンティティを保ち、独自のコミュニティや生活文化を発展させていくのだろうか。
もちろんバーングラーデーシュ出身者とひとことでくくることは適当ではない。80年代後半から90年代初頭にかけて来日した人々は出稼ぎ目的でやってきた者が多かったのに比べて、この国からやってくる留学生たちはおしなべて高学歴志向だ。大多数が理系専攻で、留学先である日本で専門分野の修士号や博士号を取得後、外資系を含む日本の一流企業でプロフェッショナルとして勤務するエリートが多いことは、意外にあまり知られていない。
そうして日本で生活の基盤を築いた兄は弟を、叔父は甥を呼び寄せて同じように日本で高等教育を受けさせる。もちろん彼らも大半が理系分野に進学する。やがては彼らもそれなりの蓄えができると、身内の中で優れた者に同様の機会を与えるだろう。こうしてバーングラーデーシュから理系に強い人材が次々に日本へと渡ってきている。
IT関係で来日するインド人技術者と比べて、今のところ彼らは日本での定住志向が高く、今後日本に南アジア系社会なるものが形成されるとすれば、その中核となるのは間違いなくバーングラーデーシュの人々であると思われる。
ともあれ、池袋西口公園で毎年この時期に開催されるベンガル人たちのお正月イベントは大盛況であった。今年もまた良い年でありますように!

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4月19日 池袋西口公園でバーングラーデーシュのイベント開催
今年で10回目を数える『カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ』が、Japan Bangladesh Societyにより開催される。時間は午前11時から午後6時まで。
特にバブル以降に来日して根付いたバーングラーデーシュの人々は数多く、日本で結婚し、子供をもうけて、この国を第二の祖国とする人たちは少なくない。生活の基盤を日本に築き上げた親族の援助により、留学その他の目的で来日する『新世代』の若者たちの姿もある。
毎回大盛況で、もはや池袋の年中行事のひとつとして数えられるこのイベントだが、この楽しい催しが今後も末永く賑やかに開催されることを願おう。
吉祥寺の井の頭公園でダヂャン

4月12日(日)に、東京の吉祥寺にある井の頭公園にて、在日ビルマ人たちの『お正月イベント』であるダヂャンが開催された。
国名をビルマと呼ぶか、ミャンマーとするかについては、ちょっと迷うところではある。1988年8月8日から始まった大規模な民衆蜂起で、それまでビルマを支配していた社会主義計画党による政権の瓦解を受けて、当時国軍参謀総長の地位にあったソウ・マウン率いるクーデターにより軍事政権が発足。
1989年6月に、軍事政権が英語による国名をそれまでのBurmaからMyanmarに変更。これをうけて、日本政府も『ビルマ』改め『ミャンマー』と表記するようになり、大多数のマスコミもこれに従った。だが『妥当性のない政権』による国名変更は認められないと、各国の人権団体や一部メディア等においては、今でも英語で『Burma』あるいは日本語では『ビルマ』と表記しているところが少なくない。
しかしながら、もともとミャンマー語において自国を『Myanmar』と称していたため、英語による名称もそちらに合わせることになったからといって、何か理不尽な名前を押し付けられたということにはならない。国名以外にも地名がラングーンからヤンゴン、パガンからバガン、ペグーからバゴーに改称されるなど、1,000前後の地名変更があった。多くはやはり植民地時代に付けられた英語式のものからビルマ語式のものへの統一であったようだ。
話は英語による国名の変更に戻る。民主化運動への関わりのため、自国を出て日本やその他の国で長期に渡り生活している人々にとって、軍事政権によるこの決定は受け入れがたいことから日本語で自国を旧来の『ビルマ』としており、このイベントにおいて『ビルマ』という文字はステージや各テントその他に見られても、『ミャンマー』という国名はどこにも見当たらない。
イベントを運営する、あるいはここに参加していた人々の意思を尊重し、今日の記事中において『ビルマ』という名称を用いることとする。

前置きが長くなったが、本日の会場は公園内のテニスコート脇にある緑地である。陸上競技場としても利用できるようになっている場所だ。週末ともなると大勢の人々で賑わう井の頭池や井の頭自然文化園のあるエリアと違い、スポーツを行なう目的で来る、あるいは近所の人がジョギングや犬の散歩のために訪れるといったケースがほとんどのようだ。吉祥寺通りからかなり奥に入ったところでもあり、「たまたま通りかかったら、ちょうど何かやっていたから覗いてみた」という具合に偶然このイベントに参加したという人はほとんどなかったようだ。
そんなわけで、会場にいた人々の大多数がビルマ人、それに加えて彼らの友人あるいは他前もってこの催しのことを耳にしてやってきた日本人がチョボチョボ・・・といった様子。それでも人出は相当なもので、いろんな食べ物や飲み物を出す露店では、料理のプロらしき人も、まったく素人らしき手伝いの人も、みんな賑やかに働いていた。
大勢の人々が集まっているといっても、在日ビルマ人の社会はけっして広いものではないようで、会場で多くの友人・知人と出会い、大いに盛り上がっている姿を目にした。
在日ビルマ人の知り合いはほとんどいない私でさえも、数少ない知人のうちの一人にバッタリ出くわし、『ああ、やっぱり』と思った。
この集まりで特徴的なのは、反体制側にある人々が開催するものであるがゆえに、こういう類のイベントでよくある在日大使館による後援ないしは協賛といったものはあり得ないこと。また在日ビルマ人たちの自治組織が多く参加していることだろうか。
主催がビルマ民主化同盟であり、屋台などを出している参加団体については、日本語あるいは英語による表記があって私が確認できただけでも、在日ビルマ難民たすけあいの会、在日ビルマ人ホテル・レストラン労働組合、ビルマ女性連合、在日ビルマ連邦少数民族協議会、Punnyakari Mon National Society等があった。
日本での在留に関する相互扶助、労働問題への対応といった日本での生活にかかわるものの他に、多民族国家ビルマらしいのは、様々な民族団体が多数存在することだろう。今回もモン族その他の民族団体が来ていたが、昨年以前に飛鳥山公園で開催されていたときには参加団体はもっと多く、在日のシャン族その他各民族組織による出店がいくつもあったことを記憶している。
会場には、数は決して多くはないものの、インド系ビルマ人たちの姿もあった。東京都内で営むハラール食材屋の中には、ビルマ人ムスリムないしはインド系ビルマ人ムスリムが切り盛りする店がいくつかあるが、そうした店舗ではハラール食材ないしは南アジア食材を買い求めるインド系ビルマ人の姿を目にすることがある。
姿カタチはインドと同様でも、味付けがいかにもビルマ風に深いコクのあるサーモーサーをパクつきながら、ビルマが一時は英領インドの一部であったこともあること、主に都市部におけるインド系住民の多さなどを差し引いても、文化習俗など東南アジアの中でも地理的に最もインドに近いところに位置していることからくるインパクトの大きさなどをあれこれ思い浮かべたりしてみる。
カチン州、サガイン管区、チン州、ヤカイン州などといったインドやバーングラーデーシュと境を接する地域は、まさに東南アジアと南アジアというふたつの大きな世界の境目にあるわけでもあり、このエリアを縦断するアラカン山脈など、大きな史跡などは存在しないとはいえ、このあたりの生活文化は実に興味深いものなのではないかと思う。
ただし、この地域は往々にして外国人の訪問に制限があり、飛行機で特定の街にピンポイントで訪れることしかできなかったり、通れるルートがごく限られていたり、あるいは訪れる許可さえも取れなかったりする。
国境の反対のインド側の地域と合わせて、自由に往来して訪れることができる日が将来やってくることがあれば、これまであまりよく知らなかった新たな世界が私たちの目の前に姿を現すことになるのではないか、とさえ思うのである。
・・・と、他愛もないことを考えつつ、初夏を思わせる陽射しと爽やかな風を肌に感じつつ、ビールをごくりと飲み干す。屋外でこうしてノンビリ過ごすのが心地良い。今年もまた楽しい季節が巡ってきた。
4月12日 井の頭公園でダヂャン開催
昨年4月に『今年のダヂャンは熱かった』と題して取り上げた、インドのお隣りの国、ビルマからやってきた方々によるイベント『ダヂャン』が開催される。主催はビルマ民主化同盟で、ミャンマー大使館とはもちろん何の関係もない催しである。
日時は4月12日(日)の午前10時半から午後5時まで予定されている。以前は東京都北区の飛鳥山公園で行なわれていたが、今年は会場を移して吉祥寺の井の頭公園で開催される。
在日ビルマ人の様々な団体が出店等を出し、様々な食べ物や飲み物が並ぶ。今年のステージでは何が予定されているのかわからないが、おそらく歌あり踊りありのカラフルなものとなるのではないだろうか。
ビルマの人々が、日本でいえばお正月にあたる自国の水かけ祭りの時期を日本で祝おうというイベントだ。昨年のように制服姿の公安当局関係者が会場をウロウロして、あたり構わず来場者たちの写真を取りまくるような無粋な行為のないよう願いたい。
今週末、東京の桜は満開。長く寒い時期が終わり、ようやく屋外イベントを楽しめるシーズンの到来である。
CHALO ! INDIA
東京の六本木ヒルズ森タワー53階にある森美術館のパブリックプログラムとして、『チャロー! インディア』と題する企画展が開催される。
これは「インドの現代美術の今の姿」を伝えようというもので、概要や出品アーティストについてはこちらをご覧いただきたい。会期は11月22日(土)から3月15日(日)までと4ヵ月近くにわたるものである。
これに関連する一般プログラムとしてインドの美術や社会にかかわるレクチャーも行なわれるが、こちらは日時が限られているので事前にチェックしておくことが必要だ。
新しいインド、ダイナミックなインドに触れる良い機会となるはず。ご家族やご友人たちと誘い合わせて出かけてみてはいかが?