漢字から眺めたインド

 普段、日本人の私たちは漢字圏の国ぐにの地名・人名を漢字で表記し、そのほかの地域についてはカタカナを使っているが、中国語では当然のことながら世界中のあらゆる土地の名前を漢字で書いている。東南アジアの河内(ハノイ)、バンコク(曼谷または盤谷)、ヤンゴン(仰光)、シンガポール(新加坡)などは、現地でも華人が多いため、こうした綴りをよく目にする。
 インドの地名はどうなっているのだろうか。国名「印度」はともかくとして、徳里(デリー)、恒河(ガンガー)、古吉拉徳邦(グジャラート州)、孟加拉湾(アラビア海)などローマ字表記と照らしてみれば「なるほど」と思うが、日本では馴染みがない。
 周辺国の都市を見回せば、伊斯蘭堡(イスラマバード)、廷布(ティンプー)、馬累(マーレ)など。加徳満都(カトマンズ)なんていうきらびやかな綴りもある。漢字で書いてみると、ちょっぴり「大唐西域記」のムードが漂っている(?)気がする。


 中国・北京で発行された世界地図帳を開けば、スィッキムは「錫金」。中国ではインドへの併合を認めていないため、独立国扱いとなっている。巻末の各国の紹介記事には「17世紀建国、19世紀英国強占錫金。1949年6月印度派兵進駐。1950年12月規定錫金為印度的『保護国』、1974年9月又規定錫金為印度的1個『邦』」とある。だが近年印中関係が改善されつつあるため、スィッキムの扱いについては今後変化がみられるかもしれない。
 漢字は表意文字なので、文字面を読むと奇異な感じもする国もある。インド世界から離れてしまうが、埃及(エジプト)というずいぶん貧相な綴りもあるし、危地馬拉(グアテマラ)ともなると世界史の教科書に出てくる「吐藩」「匈奴」のようで、ちょっと「あんまりじゃないか」と思う。
 漢字はローマ字やカタカナと違い、音を耳にしただけで簡単に綴ることはできないはずだ。そもそも外来語の表記は、大陸と台湾の間で違いがあるくらい。近い将来、インドと中国が接近するにしたがい人々の行き来も盛んになってくることだろう。するとこれまで漢字表記の必要がなかったインド都市の街区や通りの名前、政界・財界の著名人以外の名前までもが話題にのぼるようになってくるに違いない。
 それらすべてを漢字で表記するのは大変そうだし、同じ名前を綴るにもあちこちで表記にズレが生じて不便なのではないかと想像しているが、実際のところどうなのだろうか。

「漢字から眺めたインド」への1件のフィードバック

  1. 言葉って面白いですよね。同じ音・意味でも文字が変わると違うイメージになったりして…。ちなみに、サモサは裟芋裟、アミターブ・バッチャンは阿弥陀婆長(後半当て字)かなぁ…と勝手に想像してみて遊びました。
    話はちょっと飛ぶけれど、赤塚不二夫の名作「天才バカボン」のバカボンって、あのサンスクリット単語「Bhagavan」に由来するというエピソードを聞きました。バカボン(バガヴァン)は漢字でかくと「婆伽梵」または「薄伽梵」で、「煩悩を超越した徳のある人」という意味がこめられているとか。へぇ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください