
ハリヤナ州やデリーとの境の南側に位置するラージャスターン州北部に、「砂漠の中のオープンエアギャラリー」と形容される地域がある。まさにカラフルな絵であふれているのだが、こうしたタイトルの常設絵画展が開かれているわけではない。
この地方の町の多くには、18世紀から20世紀初頭にかけて建築された、内も外もあらゆる壁という壁が派手な色彩のペインティングで飾り立てられたハヴェリー(屋敷)がいくつも連なる一角がある。まさにこれがオープンエアギャラリーと言われる由縁である。
だが現地を訪れたのが四年ほど前であり、観光地の「発展」の速度はときに想像を超えるものであることもあることから、現状と違う部分があるかもしれないことは最初にお断りしておきたい。
インドで「壁画」言った場合、古代の寺院などに描かれたもののように深遠な思想背景や途方もない歴史的価値を持つもの、ワールリーやサンタルといった部族の村々で見られるトライバルアート(差別的な言葉ではあるけれども・・・)と呼ばれるもの、あるいはミティーラー画のように特定の地域で社会区分の枠を越えて広がる民俗画など様々だが、シェカーワティーの場合は商業という極めてグローバルかつ世俗的な分野で台頭してきた人々による豊かな経済力を背景にしたものであることから、それらとは性格も絵そのもののありかたも大きく異なる。
こうしたものを見物できる主な町としてジュンジュヌ、ドゥンドロッド、ナワルガル、ファテープル、マンダワ等がある。
屋敷を見るといっても、これらは遺跡ではなく現在も人が住んでいる住宅であるため、居住者の好意で中を見せてもらう機会があっても礼を失しないようにしたい。
このあたりはラージャスターン西部へと続く広大な砂漠地帯への入り口にあたり、緩やかに起伏する大地が広がっている。地味が豊かとは決して言えない荒野と貧しい田舎の町々から成るこの地方に、なぜこのような大邸宅群が多数建設されたのか誰もが不思議に思うに違いない。

シェカーワティー地方のこうしたスタイルのハヴェリーの歴史は、中世まで遡ることができる。
中世にはジャイプル藩王国に臣属する領主が統治していたが、周囲にはビカーネールやアジメールなどの旧諸藩王国、北にはパンジャブやデリーといった地域へとつながる交通の要衝であった。
これといった資源の無い地方ではあるが、海洋貿易で栄えていたグジャラート沿岸からの物資をキャラバン交易によってムガル帝国の首都デリーへと運ぶ道筋に位置し、物流の要衝であったことと同時に、地場の綿工業で栄えた時代があったらしい。ここで大いに活躍して勢力を伸張させたのが当地の商人たちであった。
現在ではこの地方は、町中でも孔雀が闊歩しているのどかな風景が広がっている。民家の軒先でエサをついばむ姿、屋根の上から周囲を見下ろす様子は、さしずめ日本でいえばハトかカラスのようなものかもしれないが、ごくありふれた鳥の姿としてはあまりに美しすぎる。
財を蓄えた豊かな商人たちは、競うようにして豪壮なハヴェリーの建設に着手した。多くの場合、敷地一杯に立てられたこれらの建物は、一言で表現すれば、サイコロの中央を四角くくりぬいた形になっている。空から眺めると「ロ」の字型で、広い中庭に面したいくつもの部屋を持つ。地中海沿岸から中東を経てインドあたりまでよく見かける構造だ。
建物の内側も外側もびっしりと鮮やかな絵が描かれている。唐草文様風のもの、ラージプート画風のもの等々に加えて、当時の西洋人が持ちこんだ新しい文明の利器や習俗等を題材にしたものもある。例えば電話や自動車などを描いたものなどだ。しかし当時の絵師たちがこれらを実際に目にしたことがあるかどうかについては怪しいものだ。現在の遊園地にある子供用の電気自動車ように小さな車両の上に乗った正装した紳士が、ボンネットから突き出たハンドルを握っている図を目にしたが、自らの想像で自動車を描いたのではなかろうか。
<続く>


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