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カテゴリー: travel

  • eリクシャーの普及ぶり

    eリクシャーの普及ぶり

    近年のインドにおけるeリクシャーの進出ぶりは凄まじい。地域差もあるが西ベンガルの田舎町でも沢山走り回っており、カルナーでもオートリクシャーの大半はすでにこれに置き換わっていると言っても良い。これを電気自動車の一種と捉えるならば、インドはその普及の先端を行く国のひとつと言えるだろう。

    都市部では環境問題に対応するため、タクシーやオートリクシャーのエンジンがガソリンからCNGを燃料とするものに変更されて久しい。その中にこうした電気式のリクシャーが参入していく形となったが、田舎ではガソリンからCNGのものへという変化を経験することなく、いきなりeリクシャーが導入されるというドラスティックな展開となっている。

    さて、このeリクシャーだが、夜間に充電しておき、昼間の時間帯に80kmくらいできるようだ。昔と違って個燃料代不要で良いではないかと思いきや、運転手曰くオーナーから充電代金名目で取られるのであまり変わらないとのこと。

    それはともかく、乗り心地は良好だし、地をスルスルと滑るように進む感覚も良い。気持ちよく運転できそうだ。

    カルナーで、eリクシャーを含めたオートリクシャーはシェアベースで走行しており、一人で乗っても満員でも10Rs。よほど遠くまで行くと20Rsになるが、とりわけ他の乗客がいないとお得感が高い。ただし、夕方遅い時間になり、運転手にとって他の乗客の利用がまったく望めない時間帯、場所でもその料金で利用できるかといえば、もちろん運転手次第ということになるのだろう。

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • OYOのホテル

    OYOのホテル

    共通のアメニティー

    ベッドカバーも共通デザイン

    フランチャイズ方式で加盟ホテルを増やしているOYO。各ホテルでは客室にこのようなアメニティーが置いてある。またOYOウェブサイトに自分のホテルが地域ごとに掲載されるなど、集客のための仕掛けが用意されている。フロントでスタッフが操作するタブレットも共通仕様だ。その他いろいろ加入するホテルがOYOに購入させされるものはあったり、スタッフの研修などもOYOが実施しており、円滑で合理的な運営と集客を目指すようになっているが、各ホテルの了解もなく、突然「キャンペーン」とか言って、びっくりするほど安い料金で勝手に予約を取っていたりする。

    そんなわけて、訪れた客とホテル側にとで、「オレはこの料金で予約した」「いやこちらは了解していない」とモメたり、ひどいのになると一度お客にキャンセルさせて、最初の料金からの交渉に持ち込もうとするなど、いろいろあるようだ。カルナーで私が遭遇したのもこのケースである。とにかくお客からもホテルのオーナーからも、大変評判のよくない会社である。

    もともと、OYOが勧誘するようなホテル、これに応じて加盟しようとする宿泊施設は、運営は良くなく、経営状態も好ましくない宿泊施設が多い点にも注意する必要があるだろう。

    ”詐欺的”と指摘のインド・OYOホテル問題が宿泊業界に投げかけた課題【永山久徳の宿泊業界インサイダー】(TRAICY)

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • OYOを脱退したホテル

    インドその他の国々で急成長しているOYOにはまったく好感を持てないのは、どうしようもなくて、経営がたちゆかないような宿泊施設が頼る先であるからだ。これまで各地で幾度か利用してみたことはあるが、いずれもロクなものではなかった。

    それでもOYOアプリを入れてみた。検索してみると、加盟しているホテルがインドのみならず日本その他、OYOが進出した国で出てくるため、OYOの増殖ぶりがわかるのは興味深い。日本では不調が伝えられてはいるものの。

    アプリを入れると使ってみたくなる。列車でヒマだとなおさらのこと、やってみたくなる。

    列車を降りる駅近くの宿を探してみるといくつか出てきた。表示される住所から駅は近くであることは間違いないようだが、なぜかGoogleマップで検索すると「クルマで1時間」と出るホテルもある。なんと雑な造りだろうか?

    AC部屋2泊で入れてみると、1290Rsと出る。エアコン付きで1泊645Rsとは安い。ウェブで支払うとさらに50Rs安くなるとか、朝食が無料で付くなどとも表示されるのだが、OYOにクレジットカードを情報入れたくないのでやめておく。実はこの判断が正しかったことは後になってわかった。

    カルナーの鉄道駅はアンビカ・カルナー(Ambika Kalna)駅という名前になっている。ここからリクシャーでホテルに着いたが、赤いOYOのマークがない。もしかしたら似た名前の別の宿かもしれない。とりあえず入ってマネージャーに「OYOで予約したんだけど」と告げると浮かない顔をしている。

    「実はOYOとトラブルがあって、加盟を取り消そうとしているところなのです。」

    なんでも、宿泊料金の2割をOYOに持っていかれるとかで、しかも自分たちが合意していない料金でOYOのウェブサイトに出てしまうのだとも。

    「申し訳ないのですが予約をキャンセルしてください。まだ支払いしていなければ今日の今日でもキャンセル料金取られないはずですから。」

    マネージャーは続ける。

    「それで、これから申し上げる料金を提示させてもらいますが、それに同意できなければ他のホテルに行って下さって構いません。こちらとOYOとのトラブルで迷惑かけて申し訳ないです。」

    「お客さんの予約は2泊1290Rsで出ていたんですよね。でも考えてみてください。AC付きで1泊645Rs、OYOに2割引かれて516Rsというのは、おかしくないでしょうか?」

    そんなことを私に言われても知ったことではないのだが、すくなくとも宿側が想定していなかった都合の悪さがOYOとの間に起きたことはわかった。

    駅からここまでに他の宿は見かけた記憶はなかったし、すでに夜で他を探すのは面倒なので本日1泊はすることにしたが、やはりOYOはいろいろ問題がありそうだ。加盟してまだ日が浅いのにやめたというのは、しばしば聞く話だし、実際に「今すぐにでもやめたい」という話を直接聞くことになった。

    まだ脱退できていないので、OYOで予約したと来る人がいたら、いつもこうして事情を伝えてキャンセルしてもらっているというが、もし前払いしてしまった人がいたらどうするのだろう?宿の人も無責任だが、こんなことをしている宿を今でも加盟ホテルとしてウェブ予約を受け付けて、さらなる割引をエサに前払いを勧誘していたりするOYOにも大いに問題がある。

    そんなことも、アプリを入れてためしてみないと知りえなかったことで、OYO問題について、インド雑学研究の視点からのアプローチをするきっかけとなったのは良かったかもしれない。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 鈍行列車でカルナーへ

    鈍行列車でカルナーへ

    ムルシダーバードからベルハムプル方面に戻り、橋を渡った対岸から少し進んだところにあるカグラーガート・ロード(Khagraghat Road)駅に到着。果たして列車に間に合うかどうか、ギリギリのタイミンクであったが、運行が大幅に遅れているとのことで、2時間近く待つこととなった。

    ここから各駅停車に乗車して、カトワー・ジャンクション(Katwa Junction)駅で乗り換えると、アンビカー・カルナー(Ambika Kalna)駅に行けるらしい。

    やはりインドの汽車旅の醍醐味は鈍行列車。日に何本かしか停車しないローカル駅。駅前といっても畑しかない景色を見ながらのんびり過ごすのが良い。

    車中の人々の入れ替わりも盛んで(長距離移動するならば急行を使うので)、気分も変わって良い。顔ぶれが変わるため、さきほどと同じ質問に再び答えなくてはならないが。

    ゆっくりと列車が動き始める。さほど速度を上げることなく、ノロノロと進んで行く。ほどなく次の駅に停車すると、また人々は降りていく。これが夜行の鈍行列車であれば大変疲れる割にはぜんぜん進んでいなくて散々だったりするのだが。

    ガンガーティクリーという鈍行専用駅。近年のインドでは駅の整備が進んだため、こういうところでもホームに屋根があったり、蛍光灯が付いていたりするころが増えた。ホームもちゃんとコンクリートで仕上げてある。

    鈍行列車用駅も施設が良くなったとはいえ、従前からの「ホルト」の駅は変らない。「ホルト」とは、ちょうど郵政民営化前の特定郵便局みたいなものと言えばよいだろうか。国鉄職員が配置されない簡易駅。働く人は国鉄マン(公務員)ではない民間人である。

    正式な駅ではない「ホルト」

    カトワーからはハウラーを中心とする郊外電車のネッワークを利用。カトワーとバンデルを結ぶこの列車はパンタグラフから給電する全車両駆動の通勤電車スタイル。この車両の背後に接続しているのは郊外からカルカッタ都市圏に移動する行商人や物資運搬の人たち専用のコーチ。

    ハウラーまで行く列車なのでやはり車内は都会的なレイアウト

    そうこうしているうちに日が暮れてきた。鉄道は乗ること自体がエンターテイメントである。

    昔であれば、TRAINS AT A GLANCE(という時刻表)に掲載されていない各駅停車で乗り換えをともなう移動をする際、ルートや時間がわからなくて困ったりしたこともあったが、今の時代は全国各地で走行するすべての列車のタイミングや実際の運行状況(遅れなど)が検索できるサイトhttps://etrain.info/inがあるため、とても楽になった。

    目的地に到着するのが遅くなりそうであれば、スマホで旅行予約サイトから宿を確保しておくこともできるし、フロントに電話して到着時間を伝えておくこともできる。便利になった分、気持ちにも余裕が生まれて、ゆったりと旅行を楽しむことができるのだ。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ムルシダーバード

    ムルシダーバード

    オートの若い運転手はとても感じの良い人でとてつもなくおしゃべりなのもいろんな話を聞けて良かった。

    ラージバーリー、文字通り領主の館なのだが、現在の当主はコールカーター在住とのこと。年に一度、ドゥルガープージャーの時期に一族が集まる習慣になっており、その他の時期は不在となる。

    ここで働く年配女性に館内を案内してもらったが、本日雇った若い運転手によるベンガル語からヒンディー語への通訳なしには、私には何もわからなかった。運転手はとても感じの良い人でおしゃべりなのでいろんな話を聞けて楽しいが通訳としても活躍してくれた。

    残念なのは、館の中は撮影禁止であること。オーナーは、使用人が観光客から心付けをもらって館内を見せるのは黙認しているようだが、写真については厳しく禁止を言い渡しているそうだ。「ネットに拡散されたら私はクビですから」とのこと。そんなわけで敷地外の柵の外から建物の外観しか撮ることができなかった。中も見事なもので、欧印折衷の華やかな館。屋敷内に家族専用な立派なお寺も複数ある。

    界隈には他のラージバーリーがある。同じ一族が異なる目的(商取引等のための事務所など)のために複数の館を持っていたそうだ。ここに来る途中で、クリーム色の壁でボロボロになった屋敷も見えたが、それはすでに廃屋とのこと。

    ラージバーリー

    現在も整備してあるこの屋敷は、もともと一族の居住用であったので、現在も彼らが一堂に集まる際に利用しているとのことだ。屋敷の一部は、ROOPKATHA GUEST HOUSEという名前で宿泊施設になっており、きれいなレストランも併設している。

    こちらのサイトにこのラージバーリーの来歴等が記されている。

    他にも見学できるラージバーリーがあり、入ってみたのだがかなりひどく荒れていた。もったいないが、本来の修復ではなくコンクリートでやってしまっていたものもある。費用が安く済みメンテナンスの頻度も少なくて済むのだろう。私有財産なので、所有者がどのように処理しようが、こればかりはいかんともしがたい。

    ラージバーリーだがハザールドワーリーを想起させるファサード
    このラージバーリーもハザールドワーリーを模倣した正面となっている。
    かなり残念なコンディションのラージバーリーもある。

    壮大なイマームバーラーは残念ながら中に入ることはできなかった。修復作業が行われていたからだ。こうした場所でしばしばあることなのだが、全館このような形にするのではなく、部位ごとに異なるフェーズで修復を実施し、工事中でも該当エリア以外は見物できるようにしてもらいたいものだ。近年も旧パティヤーラー藩王国見学の際、パレスのひとつがそのような具合で見学できなかったことを思い出した。

    イマームバーラー

    これと向かい合う場所にあるベンガルのナワーブの宮殿であったハザールドワーリーは現在博物館となっているため見学することができる。

    ハザールドワーリー
    ハザールドワーリー
    ハザールドワーリー

    イマームバーラーやハザールドワーリーのようなハイライトはもとおり、それ以外の規模の小さなマスジッドや遺跡などにも実に見どころが多いことに驚かされるムルシダーバード。まさに古都としての趣にも満ちており、できれば2、3日滞在してじっくり見学したいところだ。時間の制約があり、午後の列車で出なくてはならないのが惜しい。

    マスジッド
    マスジッドの遺跡
    マスジッド風の意匠のヒンドゥー寺院
    ヒンドゥー寺院
    見事なハヴェーリー
    オランダ人墓地
    オランダ人墓地
    オランダ人墓地

    オランダ人墓地などを経て、最後に訪問したのは、総レンガ積みのカトラーマスジッド。石材をほとんど産出しないベンガル地方ではこういうタイプのマスジッドや寺院が多い。

    カトラーマスジッド
    カトラーマスジッド

    古都の趣があるにもかかわらず、現在のムルシダーバードは「だらだら広がる大きな村」になっていて、この地域の中心地は隣のベルハムプルになっている。ASI(インド考古学局)管轄下にある遺跡はもちろんのこと、民間所有のラージバーリーに至るもチケット売り場には「外国人料金」なる10倍から20倍もの料金を掲げているが、実際には適用されない有名無実なものになっているようだ。

    この地方の秋の風物詩として、束ねたヨシの茎をきれいにクロスさせて干している風景がある。これを水に浸して腐らせてからとりだした繊維で紐を作るのだ。あとは繊維を取るだけの段階で建物にかけて干していたり、道路に 広げて干していたりするのを見にする。

    ヨシの束を乾燥中

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • オートでムルシダーバードへ出発!

    ベルハムプルは、ローマ字ではBerhamporeと綴る。ベンガルやオリッサなど、インド東部の地名には、このBerhampore(ベルハムプル)、Jeypore(ジャイプル)などのように、表記を現地化せず英領期からそのままのもの、そしてFraserganj(フレイザーガンジ)、English Bazar(イングリッシュバーザール)などのように、なぜか改名されることなくそのまま使われている地名がけっこうある。

    朝食を済ませてすぐにチェックアウト。もうここには戻らないため荷物すべてを背負ってムルシダーバード見学に出かける。やはり旅行荷物は極力軽くするに限る。

    ベベラームプルでは、流しのオートがけっこうあり、ほぼ決まったルートで乗り合いの形で走っているのだが、誰も乗客がいないオートの運転手に「6時間程度かけて、どこそこをこういう具合に回りたい」と話すと、運転手たちはいずれも料金を吹っかけるでもなく、「お断りします」と言うのには困った。高いことを言われるのではなく、断られ続けるとは想定していなかったので、ちょっと驚いた。

    沿道でクルマの部品屋を営む人が「何かお困りか?」と声をかけてきてくれたので、電話でオートの運転手を呼び出してくれた。しばらくしてから若い運転手がやってきたが、この人もチャーターについては、しばらく渋っていた。ずいぶん欲のない運転手たちだ。

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ベヘラームプル到着

    ベヘラームプル到着

    ベヘラームプル駅到着は午後7時50分くらい。駅舎を出るところでホテルに電話をかけるつもりだった。迎えの人を寄越すと聞いていたからだ。

    実は予約サイトでブッキングすると、直後にこのホテルのレセプションから電話がかかってきて驚いたのだが、その後質問したいことがありSNSでこのホテルのページを探してコンタクトするとすぐに回答が届くとともに「駅へ迎えを寄越す」という連絡。

    駅出口はかなり人々でワサワサしていて、とても見つけようがないのではないかと思ったが、こちらがスマホからコンタクトしようとしているまさにそのときに迎えの人が現れた。その男性は私のほうへ真っすぐ歩いてきて「お待たせしました」などと言うので、最初は何か怪しい奴かと思ったりしたのだが、スマホに私の写真を持っていた。やはりSNSかコピーしたのだろう。もっとも駅出口で東アジア系の顔をした人は私だけだったので、写真がなくてもそうと見当を付けて声をかけてきたことだろう。

    エアコン付きのホテルの名前が入ったクルマだったので、日ごろからお客のピックアップサービスを実施しているようだ。たいへん繁盛している宿らしく、しじゅう人々が出入りしている。やはりこうした営業努力の成果なのだろう。

    予約サイト経由ではなく、直接電話で予約したほうがかなり安いことがわかったが、特に良い宿だと思うので、ウェブサイトを以下に記しておく。

    HOTEL SAMRAT

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ラール・チャー

    ラール・チャー

    西ベンガル州内で鉄道車内によく売りに来るラール・チャー(文字通り紅茶)。ジンジャーティーである場合が多いが、汗を思わせるような匂いのマサーラーを入れたものもある。その場合、生姜は使用されない。いずれも美味で、ときにはチャーイでなく、こういうお茶も良いと思う。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • コールカーター駅

    コールカーター駅

    ハウラー駅、スィアルダー駅に並ぶ第3の鉄道ターミナル、コールカーター駅(旧チトプル駅)は、もともと貨物用の鉄道施設だったが、今世紀に入ってから旅客ターミナルとして整備されたため駅全体が新しく、ムードはまったくない。

    ベルガチア(Belgachia)地区南側にあり市内中心部に近いのに周囲は広大な空き地となっており、よくもまあこんなスペースが残っていたものだと感心する。やはり鉄道施設周囲にはかなりゆとりを持って用地を確保してあることが多い。

    出発まで1時間近くあるが、本日利用の列車が入線してきた。AC車両は1両のみ。予約取ってあるので、涼んで行ける。

    バスはただの移動手段だが、鉄道は乗ること自体が体感するエンターテイメントでもある。英国では鉄道趣味は紳士的な趣味という認識が行き渡っているように聞く(聞き違いかもしれないし、英国の鉄道オタクが勝手に紳士を名乗っているのかもしれない)が、日本ではかなり異なる理解がされているように思う。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • コールカーターの通りの名前

    ベトナムを訪問した際、とうの昔に「ホーチミン市」と改名したにも関わらず、誰もが「サイゴン」と呼び、文字でもそう書かれていた。ベトナムの独立の父として尊敬されている「ホーチミン」だが、政府がそれを市の名前にしようとしても、公式文書以外ではなかなか定着しないのだ。

    同様のことがインドでもある。ストリートの名前、地名が政府によって改称されても、それが本当に市民の間で定着するかどうかは別の話。

    たとえばコールカーターを例に挙げてみても、今でも英語で言及する際には「カルカッタ」と呼ぶ人は少なくないが、混乱するのはストリートの名前だ。

    コールカーターでは、ストリートの名前は同じ通りについてふたつあることが多いと思って良いだろう。なぜならば英国人に因んで付けられた名前はインドの偉人の名前に置き換えられて現地化が図られているし、そうでない場合でも変更されていることが多い。

    訪問者にとって面倒なのは、政府関係機関が印刷した地図(観光局でくれる地図を含む)に記されたストリートの名前がまったく世の中に浸透しておらず、植民地時代の名前で広く知られていることが多いことだ。また新聞等メディアや出版社から出た刊行物でさえも市民が普段使っている通称(=植民地時代の名称)で記すことが多いからだ。

    代表的な通りの名前でもChowringhee StreetをJawaharlal Nehru Roadなどと言ったら、「ん?」という顔をされるし、Park StreetのことをMother Teresa Saraniと言えば、一瞬間をおいて「もしかしてPark Streetのことかね」と言われるかもしれない。あるいは理解してくれない人もいるだろう。

    「Ballygunge Road」をタクシー運転手にAshutosh Chowdhury Avenueと告げたら、彼は「どこだそりゃ?」となるだろう。サダルストリート界隈ではFree School StreetをMirza Galib Streetと呼べば、首をかしげて「Free Shool Streetと言う」と訂正されるだろう。KYD STREETに至ってはDr. M. Ishaque Steetなんて呼んだら完全にアウトだ。おそらく誰も理解してくれない。政府が勝手に変えた名称ではなく、「元々こういう名前なのだ」として人々が知っている名前が堂々とまかり通るのだ。これは企業や商店などの所在地の表記においても同様で、普段市民の皆さんがなれ親しんでいるほうの表記で書いてある。

    そんな状況なので、政府の命名による不人気なほうの名称はいつまでたっても浸透しない。

    政府関係の機関ならば、政府の命名したもので表記しているかと言えば、そうではないのは、たとえば地下鉄の駅出口の表記を見ればわかるだろう。「なんとかストリートはこちら」というような案内版は市民の間で通用しているほうで表記されている。そうでないと表示する意味がないからであろう。もちろん駅名も同様で、先述の「Park Street」の名前の付いたメトロの駅がある。コールカーターでは政府による改名を拒絶するかのように、古い名前が多く現役として使われているのだが、インド全土でそうというわけではなく、むしろ改名されたら、そちらのほうが次第に優勢となるケースが多いだろう。

    だが不思議なのは、市民が「何が何でも昔ながらの名称」にこだわっているわけではなく、新しい名称のほうが通りが良いものもある。例えばBBD Bagh (旧称Dalhousie Squair) やChittaranjan Avenue (旧称Central Avenue)のような例もあるからだ。

    旧名が英国の特定の人物の名前が冠されている場合、対抗するようにインドの偉人、とりわけ地域ゆかりの人物の名前を付ける場合が多いが、デリーのQueens WayがJan Path(人民路)となったように、独立後の民主主義インドを象徴するような改名もあった。

    傑作はベトナム戦争時期に、当時ソビエトブロックにいたインドが示した北ベトナムへの連帯感だろう。コールカーターでは、アメリカ領事館が位置するHarrington StreetをHo Chi Minh Saraniに変更して、アメリカを激怒させた。当然、アメリカは強硬に抗議したようだが、「偶然による一致である」と涼しい顔であったと聞く。

  • デリーのオートワーラー けっこういい人もいたりする。

    デリーのダリヤガンジの目当ての本屋に行くとき、手始めにケンブリッジ大学出版会のショールーム、それから他の出版社のショールームに行くことが多い。
    とりあえずケンブリッジの所在地の目印として、「ダリヤガンジのサンジーワン・ホスピタルまで」とオートワーラーに告げる(誰でも知ってるから)のだが、小さい子連れだと走り出してから振り向いて「お子さん具合悪いの?」「何の診察受けるの?」などと尋ねてくることがけっこうある。
    「実はそのすぐ脇にある書店に用事があってな・・・」と告げずに、「あぁ・・・」なんてテキトーに放置しておくと、ときどき振り向いて、子供の様子を気にしてくれたり、降りるときに「さあ、ここだよ。すぐ良くなるさ。お大事に」みたいなことを言ってくれる運転手はけっこういる。
    他にも、やはりランドマークとして病院名を告げてオートに乗ったとき、ちょうど運転手が勤務終えて帰宅する途中だったのかもしれないし、目的地が近距離であったからかもしれないが、いくらと決めて乗ったのだが到着したら「お代は要りません。坊っちゃんお大事になさってください」と告げて、立ち去る爽やかな若者運転手に遭遇したこともある。
    息子は血色悪いほうではないが、見るからに具合悪そうに見えたのだろうか。顔色も顔立ちも違う異民族なので、インド人には「子連れで病院へ行く。だから子供は具合が悪い」という状況判断しかないのかもしれない。
    あんまり良い印象のないデリーのオートワーラーたちだが、やはり人の子なので人情味のある人は決して少なくない。
    インドもなかなか良い国ではないか!

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • パールスィーのお話(QISSA E PARSI)

    パールスィーのお話(QISSA E PARSI)

    インド在住ゾロアスター教徒に関するドキュメンタリー作品。人口面では微々たるマイノリティーだが、存在感は高い。

    地域社会で「外国人」のようなかけ離れたイメージはあるものの、本来は閉鎖的な集団でありながらも、愛国的な人たちとして尊重される。資本家や富裕層が多いものの、清廉なイメージで語られ、地域や社会経の貢献度の高さから搾取のイメージすらないどころか、彼らに対する批判的な声すら耳にすることはない。

    文化芸術方面での活躍で知られる人たちも多く(指揮者のズービン・メヘター、ファルーク・バルサラーことクイーンのフレディー・マーキュリー、俳優ボーマン・イラーニー等々)、クリエイティブな印象で語られることも多い。人口規模に対する存在感に社会から寄せられる好感度を加えると、たぶん世界最強のマイノリティーのひとつ。
    タイトルが「キッサー・エー・パールスィー」と、ペルシャ語的な表現となっているのは、もちろん題材のパールスィーの故地に因んでのこと。

    こうしたペルシャ風の言い回しがごく普通にあるのは、ヒンディー/ウルドゥー(及びインドの諸語)のリッチな部分的のひとつ。日常的に使用される語の中に、同じものを指す言葉に土着の語彙に加えて、サンスクリット/パーリー由来、ペルシャ語、アラビア語起源などのものが重層的に連なる。
    語彙の豊富さは、やはり出自の異なる多くの人々が古来より往来してきたインド亜大陸らしさ、ということになるのだろう。

    Qissa e Parsi : The Parsi Story (Youtube)