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カテゴリー: travel

  • STONE HOUSE LODGE跡地

    STONE HOUSE LODGE跡地

    ゲストハウスが無くなったくらいで『跡地』とは大げさかもしれないが、かつて存在した格安ドミのあった宿で日本人バックパッカーに人気だった。ニューロードから路地を北に少し進んだところにあった。伝統的なネワール建築・・・といっても庶民の長屋だったので、大変奥行きの狭い前後に薄い木造建築だった。入口の上階がオーナー家族の居宅で、食事時になると、調理の音や匂いですぐにわかった。

    オンボロだったが、タメルあたりのどこの宿よりも安かったので、長期旅行者はよく利用していたし、他の宿に滞在して空き待ちをしている人もあり、ドミトリーのベッドが空く際には、チェックアウトする宿泊者に直接「ベッドの引き継ぎ」を依頼するなんてこともあった。

    とにかく安かったので、カトマンズに沈没するにはもってこいだったのだ。かくいう私もバックパッカー時代にここで沈んだことがある。

    ニューロードから路地に入る。
    昔ながらの建物も一部残っている。
    電線がものすごい。
    正面の薄い色の壁の建物は、かつて「ビレンドラ・ゲストハウス」であった。
    黄色い門の向こうに「ストーンハウスロッジ」があった。今では別の建物が建っている。

    当時の入口の門柱は残っているが、建物は建て変わっている。

    すぐ隣に1990年あたりに新築されたビレンドラ・ゲストハウスは、ロケーションの割には安くて部屋も清潔だったのだが、なぜか人気の宿とはならず、すでに廃業している。個人的には、ビレンドラ・ゲストハウスにも思い入れがある。

    当時、バンコクで泊まったゲストハウスで知り合い、一緒に市内のあちこちを観光したり食事したりする中で親しくなった北米の女性旅行者がいた。当時のエコノミーな宿のドミトリーはエアコンなど付いていないサウナ状態。異性の宿泊者が同室にいても、西洋人女性は気兼ねすることなく衣類を脱ぎ、あられもない姿でベッドに寝そべっているのが普通だった。そんな姿の彼女のメリハリの効いたボディーを目にしていた私は、ぜひもっと親しくなりたいと思いつつも時間切れ。彼女がバンコクから南方面へ向かうときに見送る際、日本人としては慣れない抱擁をされてムギュっと胸元に押し付けられた豊満なバストにドギマギするとともに、軽いキスに頬を赤らめる若者の私であった。

    私よりも少し遅れてネパールに来るというので、カトマンズで宿泊を予定していたストーンハウスロッジの住所を渡してあったのだが、ありがたいことに彼女は本当に現れてくれた。その晩、一緒に夕食を取った後、思い切って愛を告白すると事態は急展開することとなった。

    翌朝、朝日の差し込む部屋のベッドで目覚めると、一緒にシーツにくるまって寝ている彼女の一糸まとわぬ姿。昨夜のことは夢ではなかったのだと、胸がキューンと鳴る。ここはストーンハウスロッジ隣のビレンドラ・ゲストハウスの一室。私は宿を引き払い彼女のもとに転がり込み、安宿ではあったが新婚旅行のような生活が始まった。

    まだ雨季であったためトレッキングに行く気にはなれず、カトマンズ市内はもとより、カトマンズ盆地内には見どころが多いためカトマンズをベースに日帰りであちこち訪問したりした。朝は近所のカフェで軽食、それから観光に出て夕方ゲストハウスに戻る。当時のカトマンズは夕方8時を回ると深夜の雰囲気。彼女と過ごす長い夜がとても楽しかった。

    ストーンハウスロッジに宿泊していた人から「安旅行者の分際で愛の巣を構えた」と冷やかされたりした。真新しいビレンドラ・ゲストハウスはきれいで良かったのだが、なぜかカーテンがついておらず、電気をつけたままだと室内の私たちの様子がドミトリーから見えいたようで恥ずかしい。

    残念なことに、私としては不本意ながら彼女との交際は長続きすることはなく、ネパール滞在中の数週間で終わってしまった。仲違いしたわけではなかったのだが。

    ネパールからインド、パキスタン、イランを経てトルコ、ギリシャへという方向は同じであったので、もう少し長く一緒にいたかった。しかし彼女は私よりも10歳以上も年上の既婚者であり、半年間の旅行が終わったら家庭に戻る立場。一度でいいから世界を旅してみたいという長年の夢を叶えるため、ご主人の理解を得て出てきていることは、バンコクにいたときから知っていた。

    お互いあまり深入りすべきではなかったのだ。あまりに仲良くなり過ぎた私たちは距離を置くことに決めた。それでも相変わらず親しい男女がただの友人の関係に戻るのは容易ではなく、ふたりが物理的に離れるしかないことを悟るまでに時間はかからなかった。

    彼女はどちらかがカトマンズを離れようと言い、私はインドに向かうことに決めた。最後の一日はそれまでと変わらない楽しい時間を過ごしたが、あっと言う間にバスの時間になっていた。バススタンドに見送りに来てくれた彼女と交わした最後の長い長い抱擁とディープなキスが思い出に残っている。このまま永遠に時が止まってくれないものかと願った。バスがそろりと走り出し、手を振る彼女の姿がすぐに彼方へ消える。切なさに胸が張り裂けそうになるのをこらえつつ、私の恋は終わったことを実感した。

    だがその2か月ほど後、彼女とインドでバッタリ再会することになるのだからわからないものだ。そのごく数日前から同宿を始めていた別の北米女性とレストランに入ると、通された席の隣になんと彼女がいたのだ。そんなわけで気まずくはあったのだが3人で食事をすることになった。

    再会がとても嬉しかった反面、「君のことは生まれ変わっても忘れやしない」「出会えて本当に良かった。君のことを愛している。永遠に・・・」などと言って、涙で別れたすぐ後に、他の女性と一緒になっていて大変申し訳ない気もした。数日前から連れ合いとなった女性が彼女に「彼と一緒に旅行していて」とペラペラ喋ってしまうのを遮ることはできない。もちろん女性は私と彼女が恋仲であったことはまったく知らない。

    さらには食事を終えて戻る宿が同じで、これまた同一のフロアーのすぐ近くの部屋という非情な偶然が重なり愕然とする。すぐ近くで独りで寝ている彼女への思いは断ちがたく、いたたまれない気持ちになった。もしここでひとりで彼女と再会していたならば、今晩はどうなっていただろうかとか、この部屋を出て再び彼女に言い寄ろうかなどと、ろくでもないことを考えてしまう。

    翌朝、新しい連れとなった人と宿を出立して他の街へ移動する前、ひとりで彼女の部屋を訪れて最後の挨拶をした。別れてそう時間の経たないうちに別の女性と旅していることに罪悪感を抱いていた私には謝罪のような気持ちもあった。カトマンズで別れ話を切り出したのは彼女自身とはいえ、いろいろ思うところあったはずだ。それでも「元気そうで安心したわ。これからきっと良いことがあるわ。」と温かく長く抱擁してくれて、慈しみに満ちた眼差しで送り出してくれたので感激した。まるで以前の恋人が突然実の姉になったかのようでもあった。やはり当時20代前半だった私よりもずっと大人の彼女の落ち着いた物腰と度量に私はさらに惚れなおした。

    バックパッカーとして長期旅行をしている人たちだが、多くは特に詳細な予定があるわけではなく、なんとなく「アジアを横断する」とか「インドに半年、それから東南アジアでも半年くらい滞在したい」「もしかしたら中国も行くかもしれない」「お金が続けばアフリカか南米にも」などと、ごくフワッとした「旅程」を考えていることか多い。

    つまりスケジュールはあってないようなものなので先の行動はフレキシブルだ。通常は仕事をしているわけではない(今の時代はパソコンや通信環境も手元にあるので旅行しながらフリーランスの仕事をしている例外もあるかもしれない)ため身軽であり、しかも圧倒的に若い独身者が多いため、恋愛に対する関心が強い年代だ。宿泊費が高めの大都市でドミトリーに滞在する場合を除けば、安宿ながらも誰に気兼ねすることもなく自由に使える部屋がある。

    いつも観光客でごったがえしているメジャーなスポットはともかく、ちょっと辺鄙なところで、ひょっこり「同じ外国人旅行者」と出会えば、しばらく話し込むこともあるだろうし、夕食に誘い合ったりもするだろう。そんな中で夜遅くまで話し込んで親しくなるということは珍しくない。普段の生活とは違う非日常空間でもあるため、あっという間に大胆な展開を経てアツアツの恋仲となり、旅路を伴にするというロマンチックな関係に発展することも少なくない。

    その背景には、まず『人は恋をする生き物である』ということがある。一人旅は気楽で良いのだが、しばらく続けていると気の合う話し相手も欲しくなるのは自然なことだ。本質から外れた些末なところでは、宿代を折半して安く上げるという経済的な誘因もあったり、一人だと何かと不便なこともある移動中の安心感(バスの小休止地点でトイレにいくとか、ちょっと買い物に出るとかなども含む)もあれば、女性の一人旅があまり良しとされない国での安全確保という利点もあるかもしれない。

    もちろん互いに相手の人柄や感性を認め合っての真面目な交際であり、性的な衝動だけが目的ということは、あまりないだろう。それでも旅先での恋の常として、ボンヤリとした予定であっても、やはり各々が目的を持って旅しており計画している期間や予算もそれぞれなので、どんなに互いが相手を好きになっても仲睦まじくなっても、遠からず別れのときがやってくることはお互いわかっている。帰るべき国が異なれば、なおさらのことだ。それだけに一緒にいる今という時間が愛おしくなり、旅先の恋というものは激しく燃え上がるのだ。

    旅から離れて自国の忙しい日常に埋没して過去の思い出になっていくこともあれば、旅を終えて帰る先がごく近いエリアでその後も会う機会に多く恵まれて付き合いが続いていったり、あるいは違う国同士の遠距離で交際を続けて愛を育みゴールインするカップルもある。

    昔は『ここの鉄道駅から私は北へ、彼女は南へ向かう』『彼女の帰国を空港まで見送る』といったシチュエーションでは、まさに『今生の別れ』という気がしたものだ。往復に時間のかかる手紙のやりとりをしていても、やがて間隔が空き、いつの間にか途切れてしまったり、互いに引っ越しして新しい住所も判らなくなったりする。もっとも、それよりも前に新しい出会いがあって、以前の相手とは一気に縁遠くなってしまったりもする。

    インターネット、SNSの発達した今では、引き続き相手と近況をオンタイムで交換できるし、ビデオチャットなどでごく近くに感じることができるし、場合によってはその旅行中に向かう方向が同じであれば、どこかで落ち合って旧交を温めることもあるだろう。昔とはずいぶん事情は違うことと思う。。

    そうは言っても、今も変わらないのは、人の縁というものは、まったくもって先が読めないものであり、旅先の恋の行方というものもとうてい予測がつかないものであることだ。まさに筋書きのないドラマである。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • カトマンズ発デリー行きのバス

    カトマンズ発デリー行きのバス

    Redbusなどで検索しても出てくる。デリーまで24時間くらいのようだ。近年はインド側の国道が良くなったが、それ以前であればもっと時間がかかっただろう。

    ネパール・インド間のバス移動は、チケットは通しでも、国境でネパールの会社のバスからインドの会社のバスに乗り換えるものだったが、今は車両もそのまま通しで走るのだろうか?

    Redbusで出てくるバス会社のものだと、座席指定も出来るため、やはりそうなのかもしれない。シートは通路挟んで2☓2であるため、バスが新しければ快適そうではある。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 空港目の前のホテル最上階からの眺め

    空港目の前のホテル最上階からの眺め

    カトマンズ市内、たとえばタメル近くから空港は直線距離にするとわずか6km強。ひどく渋滞するとはいえ、わざわざ空港近くに宿を取る理由があるとすれば、早朝のフライトでよほど朝に弱いとかいうことくらいしか思い浮かばないが、「明日はバンド(ゼネスト)」というようなことになれば、一気に混み合うのかもしれない。

    特にここに宿泊しなければならないわけではなかったのだが宿泊施設も多いので、どんな具合だろうか?と1泊してみることにした。

    ここからパシュパティナート寺院までは徒歩圏。ずいぶん昔の話になるが、空港からパシュパティ寺院、さらには寺院からけっこう先まで、のどかな田園風景が広がっていたものだが、今は市内からずっと途切れず市街地が続いている。

    今のカトマンズは、まだスカイスクレーパーが林立するような風景ではないが、もはや「メガシティ」であることは間違いない。

    こちらは、空港正面にあるエアポートホテル「Summit Residency Airport Hotel」最上階の展望レストラン。宿泊したわけではないのだが、フロアーがゆっくり回転していることに気がついた。

    360°ガラス張りの展望レストラン。ついさきほどまで、眼下の眺めは市街地のはずだったのに、いつの間にか空港ビルになっている。まだ飲んでないのに酔っているのかと思った。

    街並みを見下ろしていると思ったら・・・。
    いつの間にか空港ターミナル前の景色になっていた。
    床板がゆっくりと回転している。
    建物正面は空港敷地入口
    周囲の建物は大きくなく、丘陵地から市内を見下ろす形になっているため、この程度の高さでも眺望は抜群となる。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • カトマンズ空港前の商業地

    空港正面の商業地。このエリアは宿や両替やらの客引きの男たちが多いことは特徴的だ。歩いているだけで、入れ替わり立ち代わり、いろんな人たちが寄ってくる。耳元で「May I help you ?」とささやいてくる、ちょっとスレて厚かましい感じの30代くらいの女性もいるが、これは風俗関係者だろう。

    雑貨屋に入ると、誰もいない。声をかけてしばらくすると、髪の毛を慌ててまとめながら、店番の若い女性がノーブラのワンピース姿で「大きなお尻みたい」に豊満なバスト揺らせて出てきた。どうやら下着は付けていないようで、思わず「おおっ、これはっ!」と息を呑み、二度見してしまう。店のたたずまいからすると、カタギの人の若奥さんであるはずだが、慎ましいネパールにおいて、こうした煽情的な装いをしているのは普通ではないが、界隈の猥雑なムードからすると、あり得ないことではないようだ。

    カトマンズとは比較にならないほど忙しいデリー空港近くもそんな感じのようだ。生活圏や仕事で出入りするエリアから離れた匿名性のようなものがあるのが、この地域の特徴かもしれない。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • インド政府はお見通し!

    「ムルシダーバードはどうでしたか?何の目的でムスリムのエリアに行きましたか?」

    滞在を終えてインドから出国するところだった。コールカーター空港のイミグレーション担当官が手元の端末を操作しながら言った。

    「えー!?」とビックリするのは私。

    かつてムルシダーバードは、かつてナワーブが支配したエリアだが、今でもそこにムスリムが多いのかどうかは知らない。それはともかく、私がそこを訪問したことがなぜわかるのか気味が悪い。

    担当官に「よくご存知ですね。宿泊したのはベーヘラムプルで、ムルシダーバードで観光しました。帰りにはカルナーで108 シヴァ寺院に参拝したり、ISKCONのマーヤープルも行きましたが。でもどうやってそんなことをご存知で?」と尋ねると、はぐらかして答えない。

    おそらく担当官が見ていたのは、宿泊の際のC-Formの情報だろう。なぐり書きした用紙が、そのまま積み重ねられていくだけかと思ったら、ちゃんとオンラインで共有されているということらしい。そういえばC-Formのウェブ版もしばらく前から運用されているし。

    こんな具合だと、もし誰かがデリーのジャマーマスジッド界隈のムスリム宿に泊まり、コミュナルなテンションが高くて観光地でもないUP州のモラーダーバード、ムザッファルプル、ムザッファルナガルのような、原理主義過激派と関わりのある人たちがいることで知られる街をハシゴしてデリーに戻ってからすぐにカシミールのスリナガルに飛び、デモや鎮圧が頻発するラールチョウクに滞在して、他の地域に行くことなく飛行機でデリーにとんぼ返りしてからすぐに帰国しようとしたら、「いついつどこで誰に会ったのか?」と、別室で詰問されることになるかもしれない。

    インド訪問する人たちの足取りはインド政府によってモニターされている。もちろんインドの法律をしっかり守って物見遊山をする私たちには何らやましいものはないので、まったく気にする必要はないのだが、唐突に滞在先についてドンピシャリなことを言われると、さすがに驚いてしまう。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • マーヤープル&ナバードウィープ

    マーヤープル&ナバードウィープ

    アンビカ・カルナー(Ambika Kalna)駅からナバードウィープ・ダーム(Nabadwip Dham)駅まで30分ほどの乗車。

    降車してからマーヤープルへの渡し船が出るマーヤープル・ガートまでシェアオートで向かう。ここでも走っているオートはeリクシャーだ。電気自動車の定着という意味では、乗り合いオート三輪に限れば、インドは先端を走っていることになるのかもしれない。

    船のチケットを買ってからボケッと待っていると、ドカドカっと人々が乗船してきて出発。

    マーヤープル到着

    フーグリー河を渡った対岸がマーヤープル。クリシュナ信仰の地でもあり、ここにはISKCONの大きな寺院がある。この寺院の敷地内にはISKCONのプシパ・サマディー寺とシュリー・マーヤープル・チャンドローダヤー寺がある。後者については、西洋の建物のようなたたずまいをしていて、正時になるたびに西洋の教会の鐘にそっくりな音が流れる。

    マーヤープルには、地場のいろいろな寺院もあるのだが、規模や集まってくる人々の数などでも圧倒的なのが、やはりISKCONである。インドにおけるISKCONは、西洋人信者が見られることを除けば、特に新興宗教的なムードはなく、いたって普通の寺院が大きくなったものという具合だ。

    ISKCON施設の近くにはピッツェリアの看板を掲げる店もあった。入ってみようとすると今の季節は営業していないとのこと。やはり西洋人が多くなる時期にやっているようだ。

    ISKCON寺院を見学してから船着き場に戻る前に、ようやくプリーとサブズィーで、遅い朝食を摂った。

    ナバードウィープは、特に目玉はないけど、落ち着いた感じのなかなか良い町だ。しばらくマーケットを散策してから駅へと向かう。

    ナバードウィープの駅から電車でカルナーに戻ろうとしたら、「工事につき3時まで運行取りやめ」とのことで、バスを利用した。

    ナバードウィープ・ダーム駅発の鉄道時刻表
    鉄道はしばらく運休していた。

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • マイスプーンとマイ靴磨き

    マイスプーンとマイ靴磨き

    マイスプーン

    いつも旅行にもち歩くマイスプーンを忘れたのでカルナーで購入。アイス、ヨーグルト、ケーキその他でけっこう使う。果物をほじくるにも重宝する。なるべくフラットな形のものが多用に使えて望ましい。その意味で、このスプーンはまさに理想形だ。誰でも旅行に持参するモノへのこだわりがある。

    昔々、バックパッカーとして世界を放浪していた時期、ボロは着ていても足元にはこだわりがあって、いつも革のモカシンシューズを履いていた。

    南米を旅行した後にそうなったのだが、ペルーもボリビアもたいてい靴はきれいにしている人が多くて感化されたのだ。

    安宿のドミトリーで、朝目覚めてリュクからブラシ、ボロ布、靴墨を出して磨いていると、「旅先で靴磨くやつは初めて見た」なんて言われたりしたが、毎朝ピカピカの靴で外出するのは気持ちが良いものだった。たとえ衣類は5日くらい洗わず臭いものであっても。

    また、ゴシゴシと磨いているときに、何か楽しいアイデアが浮かんだり、急に大切なことを思いだしたりする。気持ちの整理にもなかなか良いものであった。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 舌こき(ジービー)を購入

    舌こき(ジービー)を購入

    良質な「舌こき」いわゆる「ジービー(jeebhee)があったので、何本か購入。1本22Rs。だいたいこのくらいの価格までだが、このクオリティのものはなかなか見つからなかったりする。薄すぎたり、ステンレスなのに赤サビたりするのは多いけど。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 食事運絶好調

    食事運絶好調

    テラコッタ建築の寺院訪問の本日、その中のひとつのお寺で食事をしている集団があった。

    その中から幾人かの女性たちが出てきて、一緒にどうか?と誘ってくれたのだが、あいにくさきほど市内の「Royal Family Restaurant」でたくさん食べてきたので丁重にお断りする。

    昨日はオンボロのダーバーのひどい飯ばかりで、なにかちゃんとしたものを食べたいと思ったのだが、今日は打って変わって素敵なレストランは見つかるし、楽しそうな会食にも呼ばれるなど、食事運は絶好調である。食事については心苦しくもお断りしたが、そのボースさん一族としばらくおしゃべり。

    とにかく楽しそうなので、何があったのか尋ねると、意外にも「父親が亡くなり葬儀を済ませたので」とのこと。「失礼かもしれませんが、お幾つでお亡くなりに?」と尋ねると、「90歳で」とのこと。

    高齢で満を持しての大往生であったため、湿っぽいものにならなかったらしいことは理解できた。

    「この年齢まで生きるというのは稀ですから(居なくなって寂しいけれども)長生きで良かった!という気持ちですよ」とのことを、食事を負えて寺院内を案内してくれた息子さん(大往生した翁の)が言っていた。兄弟3人+姉妹5人の大世帯。本日は一族郎党300人が集まったとこのと。

    そうこうしているうちに食事会はお開きの時間に。翁の遺影を飾った祭壇のところから何か紙箱を取り出して、「ぜひお持ち下さい」と渡される。

    一応、こちらは「いえいえ、そんな・・・」というフリをして、先方も「いやいや、気持ちばかりのものですから・・・」と振る舞うのは日本とインドは、実はけっこう似ている。

    お菓子だろうとは思っていたが、なんとラスグッラー。これは今日中に食べなくてはいけないだろう。汁入りの生もので、10個以上入っている。

    あまり急に食事運が良くなり過ぎるのも考えものだ。

    大量のラスグッラー

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 108シヴァ寺院その他の寺院群

    108シヴァ寺院その他の寺院群

    108 シヴァ寺院

    西ベンガル州のカルナーで、かねてより訪れてみたいと考えていただけに感慨深い。けっして大きくはないのだが、想像していた以上に宇宙的ともいえる広がりを感じさせるレイアウトだ。

    この寺院はカイラス山を象徴しており、108の小部屋にそれぞれシヴァのリンガムが安置されている。外周部の小部屋には白黒のリンガムが互い違いに配置されているが、内円部は白だけとなっている。

    寺院内の108すべてのリンガムに対して時計回りにパリクラマー、つまり順繰りに回る形で参拝することにより、カイラス山を一周したのと同じ意味を持つことになるのだという。

    建立は19世紀。とかく古いものが多いインドでは、歴史の浅い寺院ということにはなるのだが。

    この寺院のすぐ北側には、プラタペーシュワル、バドリーナラヤン、クリシュナチャンドラ、ラールジー、ギリー・ゴーワルダン、ルーペーシュワル・シヴア、ヴィジャイ・ヴェーディャナータン、パンチャラトナといった寺院群があり、いずれも美しいテラコッタ細工があしらわれており、大変見応えのあるものだ。

    プラタベーシュワル寺院
    バドリーナラヤン寺院
    クリシュナチャンドラ寺院
    ラールジー寺院
    ルーペーシュワルシヴァ寺院
    ヴィジャイ・ヴェーディナータン寺院
    パンチャラトナ寺院

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • インド側にあるベンガルはありがたい

    インド側にあるベンガルはありがたい

    街の中にいくつもあるタラーブのひとつ

    町を散歩すると住宅地内でこんなタラーブの風景が無数にあり、のどかで良い。もっとも、これだから蚊がものすごく多いのだが。

    ベンガルの田舎町を訪問すると、目に入ってくる看板等の文字はすべてベンガル語で、特にムスリム地区だと視覚的にバングラデシュに来たような気がすることもある。

    文字はベンガル文字ばかり
    文字はベンガル文字ばかり

    でも国境の向こう側なようなアウェイ感がないのは、インドでおなじみのブランドや商品の広告に満ちていることと、ヒンディー語がちゃんと通じるからだろう。

    やはりインド側にあるベンガルというのはありがたい。

    お馴染みの商品
    お馴染みの商品
    お馴染みの店

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • カルナーのレストラン「Royal Family Restaurant」

    カルナーのレストラン「Royal Family Restaurant」

    カルナーには汚いダーバー(簡易食堂)しか見当たらず、ちょっと残念な気がしたが、クグってみると良さげなのが出てきた。短い滞在なので食事は美味しいところで楽しみたい。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。