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カテゴリー: travel

  • Googleで眺める景色 4  ガンジス上流と水源地

     やがて流れはハリドワールからリシケーシュへとたどると山間部にと入ってくる。

     デーワ・プラヤーグコーテーシュワル・ダムと遡上していくと、すでに山間の深い谷間を流れている。地形からしてかなり急流であろう。大規模な崖崩れの痕らしきものも見える。川沿いにいくつか集落も見える。特に橋もないようなので、両岸はすぐそこに見えても、互いに『ヨソの世界』みたいな感じではないだろうか。 このあたりで景色が開けているところといえば、テヘリー・ダムとその先でちょっとした扇状地が広がる集落。 

    さらに進むとウッタルカーシーの町がある。少しでもまとまった平坦な土地があれば、居住地あるいは農地として有効に活用されている印象を受ける。だがそこから先に行くと町らしきものは見当たらなくなってくるし、規模の小さな集落も少なくなってくる。 しばらく進むと、ローハリーナグパラー・ハイドロ・プロジェクトと表示されているものが目に入ってくるが、このあたりにダムを造る計画でもあるのだろう。 

    さらに上流へとたどると急峻な山岳の合間を縫うように進むことになるのだが、突然広い川床が見えてきた。周囲の景色に雪らしきものが見えるため、川床が白くなっているのは砂ではなく、降雪のためなのかもしれない。気候も厳しく、何かにつけて不便な土地に違いないと思うが、それでも川沿いの斜面には集落があり、人々が暮らしている。 やがてガンゴートリーの集落が見えてくるあたりになると、周囲を4000~5000メートル級の峰々が囲んでいる。 

    ガンゴートリー氷河の端であり、ガンジス河の始まりでもあるゴームクはこのあたりだ。そこからさらに上の氷河の張り付いた山の姿はこんな風になっている。 

    ガンジス河の本流に限らず、下っていくに従い合流してくる支流も同様に、こうした氷河なり、山間の積雪や湧水なりを水源としている。沢山の細い流れが次第に合わさり、やがて大きなひとつの河となる。最後には海へと注ぎ込まれるわけだが、今度は大海から蒸発した水分が雲となり、雨となって大地に降り注ぐことにより、それがまた河の水となって流れていく。 

    私たちの身体には常に血液が流れているが如く、絶え間なく水が循環している大地もまたひとつの大きな生命体であることが感じられ、人間もその大きな命の中の一部(限りなくちっぽけな存在だが)であることを思い起こさずにはいられない。大地は生きている。 

    <完>

  • Googleで眺める景色 3 ガンジス下流

    特定のスポットをズームアップしてみたり、外国の友人の住む街を表示して『ああ、こういうところなのか』などと眺めていたりしても、やがて飽きてしまうのだが、広域を俯瞰したり特定エリアをズームアップしたりと繰り返していると、地表がシームレスに繋がっていることをつくづく実感できる。従来の紙に印刷された地図等ではあり得なかったことだ。 

    緑の分布からその地域の気候等も把握できるし、海面の色合いからそれぞれの海域の深度もある程度想像できるだろう。私たちの命の源である水を運ぶ河川をたどっていくのもなかなか興味深い。 

    エジプトのように、湧水のあるオアシスが点在しているのを除けば、ナイル河沿いの細い帯状に耕作地や街などが集中している状況からは、まさに『エジプトはナイルの賜物』であることが納得できるし、水なしでは人々が生活できないことがよくわかる。 

    エジプトほど極端ではないが、インドもやはり大河沿いに人口の多い地域が広がっている。先日、スンダルバンのあるバーングラーデーシュのガンジス河口地域に目を移してみよう。 

    拡大してみるとよくわかるが、低地帯なので河は幾筋にも分かれて蛇行している。さらにズームアッブしてみると、さらに細い流れも確認できたりして、実に水量豊かな大地であることが一見してわかる。 

    少し上流に向かうと、首都ダーカー南東でアッサム州南西部から流れてくるカールニー河と合流する。少し遡るとラージバーリーあたりで同じくアッサム州の東部から流れてくるブラフマプトラ河と合流する。このあたりから水量・河幅ともに一気に拡大する。 

    ナワーブガンジ(ノワーブゴンジ)の少し先からバーングラーデーシュを出て、インドの西ベンガル州に入る。そこから隣のビハール州へと越えたあたり、ちょうどバガルプルの北側はガンジス河がコースィー河と合流しているが、このあたりでは一番の低地となっているため、その他中小の河川も流れ込んでいることもあり、非常に複雑な地形となっている。雨季に河川の氾濫や洪水に悩まされがちな地域であるのは頷けるところだ。 

    ビハール州都パトナー東側でガンダク河、西側でカルナーリー河、ソーン河との合流点から遡ると、かなり川幅は狭まる。そしてU.P.州のバナーラスを経て、イラーハーバードのヤムナー・ガンジス両河の合流点に至る手前には中洲がある。

     河床にある島であるため、市街地らしきものは見当たらないが、全体が耕作地になっているようだ。雨季の増水で洗い流されることさえなければ、河による沖積で出来た土地であることから水と地味に恵まれた良質な農地であるはずだ。 

    カーンプルを経て、ウッタラーンチャルに入るあたりまでは単調な風景が続く。さきほど眺めたバーングラーデーシュあたりの景色も含めて、ここまで遡上するまでの間に通過する大きな街や工業地は多い。生活排水や工場等から流出する排水等々、相当大量の汚水が日々流されているのだろう。 

    <続く>

  • Googleで眺める景色2 壊されていく船舶、造られる船

     スンダルバンから東に視点を移すと、バーングラーデーシュで『船の墓場』として知られるチッタゴン近郊の浜辺の様子が目に入る。浅瀬に座礁させた大型船舶が解体を待つ様子が見て取れる。 

    同様の景色は同じく船の解体場として有名なインドのグジャラート州のアランのほうでもあり、少なくともこの画像の撮影時点では、こちらのほうが処理される船舶の数は多いように見える。 

    さらに西のパーキスターンのバローチスターンにあるガッダーニーも同様の作業が行われていることが知られており、無数の船舶が海岸線に打ち捨てられた状態になっていることがわかる。 

    こうした現場の作業員たちが非常に劣悪な条件下で働いていること、また環境保全の面からも有害物質等の流出への対策が何ら取られていないことから、様々な問題提起がなされているところだ。 

    それとは反対に、今まさに建造作業真只中のダウ船が並ぶ景色も見ることができる。グジャラート州のマンドヴィーは、かつてアラビア海を越えての交易に活躍していたダウと呼ばれる帆船の建造が盛んであったが、現在も同様にこうした船が造られている。もちろん現代のダウはエンジン付きだ。作業は露天で進んでいくため、こうした風景を上空から撮影することができるわけである。 

    外部の人間の立ち入りに制限のある船の解体場は訪れたことがないが、こちらは幾度から訪ねてみたことがある。誰でも作業の様子を船の外から見学できるし、関係者らしき人も気さくに質問等に答えてくれる。 

    18世紀から19世紀にかけて、現在はパーキスターンとなっているスィンド地方はもちろんのこと、ペルシャやアラビア、さらに遠くは東アフリカとの交易の拠点であり、この地からそれらの地域へと足を延ばした商人たちも多かったようだ。 

    その後、印パ分離前、そして船から飛行機の時代に移るまでは、それなりの賑わいを見せており、カッチ地方随一の商都として栄えたマンドヴィーも、今ではすっかりひなびた田舎町になっている。 

    そんな歴史に思いをはせながら、今なお建造されているダウ船を眺めているのもなかなか楽しいものだ。 

    <続く>

  • Googleで眺める景色1 マングローブの大森林

     Google EarthでもGoogleマップでもいいのだが、ベンガル地方のスンダルバンの様子を見てみよう。 

    茶色がかった薄緑になっているエリアと濃い緑色になっている地域とが鮮明に分かれている。これは植生の違いによるもので、前者は地元の人々の開墾地、後者は国立公園として保護されている土地だ。 

    ガンジス河下流のデルタ地帯の南端に位置し、土地の高さがほとんどないことから、入り組んで流れる大河の河口に点在する無数の島のようになっている。 

    とりわけモンスーン期には、地形がかなり変わるはずだし、水の流れに削り取られる土地があるいっぽう、新たに土砂が堆積して出来上がる土地もあるはず。拡大して仔細に眺めてみると、開墾地の中にも無数の水の流れがあり、多くは人の手によって水路として調整されているようだ。地味豊かで水量豊富で温暖なこのデルタ地帯は、世界有数の米どころでもある。 

    だが大自然は人の手で管理しきれるものではない。とりわけこのような大河の最下流地域では。地表の画像はときどき更新されているが、少なくとも今日現在公開されているものでは、明らかに水没していると見られる広大な開墾地もある。 

    深い緑に包まれた保護地域の側は、世界最大のマングローブの密林。その中を流れが幅や方向を複雑に変えながら進む無数の流れが見て取れる。 

    スンダルバンのマングローブのジャングルは、国境をまたいでインド側はSundarban National Parkとして、バーングラーデーシュ側はSundarbansとして、ともにユネスコの世界遺産に登録されている。 

    以前、『スンダルバンへ』と題して、インド側の国立公園を訪れたときのことを書いたが、いつか機会があれば東側のバーングラーデーシュの側にも行ってみたいと考えている。

    しかしながら、同じひと続きの広大なマングローブの大森林を分け合っている両国が、その保全を共同で担うとともに、貴重な自然遺産であるとともに大きな観光資源でもあるこの地域を相互に行き来できるような時代が将来訪れないものだろうか、とも思う。 

    開発が厳しく制限されている地域であり、大河の河口地域の湿地帯という地理条件もさることながら、トラやワニなどといった危険な肉食動物が徘徊するエリアでもあることから、観光客が自前の足で自由に見物できるよう具合ではない。少なくともインド側では基本的にツアーボートでのみ訪れることができるようになっており、上陸できる地点も限られている。 

    そうした意味で観光客の出入りを管理しやすいということもあり、インド・バーングラーデーシュ双方が合意のうえで、共同で観光業の振興を図ることはあながち不可能ではないように思われる。文化遺産においても両国にまたがって関連する遺跡が散在している。またガウルのように、遺跡群そのものが国境を境に分かれているものもある。 

    東南アジアに目を移せば、タイ・カンボジア国境のカンボジア側にあるカオ・プラ・ヴィハーン遺跡(タイ側が領有を主張しているがカンボジアが実効支配している)のように、訪れる人々のほとんどがタイからやってくるような場所もある。自国領であると主張するタイ側のチェックポストの類はないが、カンボジアの側ではイミグレーションらしき簡素な施設があり、パスポートのチェックがなされるものの、ヴィザは不要で入国印が押されることもない。ちなみにGoogleで表示されたロケーションはこちらである。 

    両国の係争地となっているにもかかわらず、どちらも観光に力を入れている国であるがゆえに、地域振興や外貨収入等を目的に観光客に広く公開されているようだ。『カンボジア側』にある同遺跡を訪れるために、バンコクから直接乗り入れるツアーバスもあれば、比較的近いところにある大きな街のウボン・ラチャタニーからタクシーをチャーターする人も多い。タイ東北部には他にも大きなクメール遺跡は多いが、その中でもハイライト的な存在である。 

    遺跡の入場料の収入は、カンボジア側に落ちることになるが、タイ側でも遺跡の手前にある事実上の国境にたどり着く前にチェックポストがあり、観光客は『国立公園入場料』名目にて一定の料金を支払わされる。この国立公園内にいくつかクメール遺跡が散在しているものの、カンボジア側にあるカオ・プラ・ヴィハーン見物以外の目的でここを訪れる人はほとんどいないため、タイ側で徴収する同遺跡の入場料ということになる。 

    カンボジア側にしてみても、このあたりは反政府勢力の軍閥クメール・ルージュが拠点としていたエリア界隈で政府側が確保していた飛び地のような存在であった。内戦終結後もしばらく1990年代末あたりまでに多くの有力幹部が投降するまでの間、不安定な状況が続いていた。今でもカンボジアで最も多くの地雷が残されている地域のひとつとして知られている。 

    そんなわけで、カンボジアとしても『自国領内』にありながらも、アンコール遺跡を訪問する観光客をそのままこちらに誘導するには困難なものがあったため、『国境の向こうのタイ』側からお客を誘致する必要があった。 

    そうした具合に、要は観光業による収益の確保という極めて実利的な目的のもとに両国の思惑が一致しているがゆえに、実際に幾度か銃火を交えての紛争の舞台ともなった係争地でありながらも、カジュアルないでたちの観光客たちが日々押し寄せるという平和な光景が実現されている。 

    タイから見れば観光客たちは自国内の遺跡を観光するのだから出入国管理のようなものはない。カンボジアにしてみると、タイ側から人々が入ってくるので、一応イミグレーションのようなものはある。だが手続きは省略されているため、この遺跡を見物するのにヴィザは要求されず、出入国印が押されることもない。 

    話は大きく逸れてしまったが冒頭のスンダルバンの関係に戻る。 

    もちろんインド・バーングラーデーシュ間には、タイ・カンボジア間とは異なる事情がいろいろあり、スンダルバンは単一のスポットではなく極めて広大なマングローブの大森林であるなど、地理的な条件もまったく違う。もちろん両国の係争地などでもなく、デルタ地帯の末端にあるため地形が変化しやすいとはいえ、インドとバーングラーデーシュの間の境は決まっている。 

    だが仮に将来、両国間にまたがっての壮大な『スンダルバン観光』が可能となったならば、東西ベンガルの観光の魅力が今よりもよりインパクトの大きなものとなることであろう。スンダルバン以外にも、潜在的な観光資源は豊富に国であるものの、知名度においてインドに対して甚だしく劣るバーングラーデーシュにとっては利するものがとても多いように思われる。

     もちろんスンダルバンに限らず、狭い国土のバーングラーデーシュは、それを取り囲むインド東部の各地からのアクセスは入国可能な地点は限られているものの、かなり良いといえる。また西ベンガル州都コールカーターからインド北東州のアッサム、メガーラヤ、トリプラー等を陸路で訪れようという場合、バーングラーデーシュを通過すると近道であるうえに、同国の見物もできるという一石二鳥の観があった。 

    『あった』と過去形で書く理由は、ご存知のとおり今から一年近く前に導入されたインドのヴィザの『2カ月ルール』がそのゆえんである。隣国と合わせて訪問する場合、ヴィザ申請時点で、余所への一時出国で出入りする地点や時期などの詳細が決まっていれば融通は利くようだが、たまたま近くまで来たからこちらも訪れてみよう!というのは難しくなった。 

    インドと合わせてこの国を訪問する人は相当あるはずだ。この2カ月ルールの導入により、インドを経由して訪れる人が減っているのかどうか調べたことはないが、もしそうであるとすれば非常に残念なことである。

     <続く>

  • Lonely Planet 2

    もっともこうした傾向はここ数年のものではなく、90年代半ばから特定のエリアに限ったガイドブックが出てきていたものだが、ごく最近の動きとしては昨年あたりからKindle eBookと題して、アマゾンを通じたキンドル版の電子書籍の販売がなされていることが挙げられる。 

    こちらは通常の書籍版のIndiaに相当するものとともに、各州ごとのチャプターとして切り売りされている。前者が20ドル弱であるのに対して、州ごとに個別に購入すると各チャプターが7ドル弱と非常に割高であるため、格別の理由でもない限りは全体をまとめ買いする人のほうが多いことだろう。 

    同様に書籍版をPDF化したものもLonely Planet社自身のウェブ上で販売されている。価格についてはこちらも同様である。全体を購入すると24ドル弱だが、チャプターごとに個別に買うと一部あたり5ドル弱とかなり割高になっている。 

    PDF版にはセキュリティがかかっており、購入者がAdobe のAcrobatのようなPDF作成・編集ソフトを持っていても、これに書き込みをすることはできなくなっているが、複製を保存することは可能であるため、同社にとってはコピーが簡単に世間に出回ってしまうリスクを抱えているともいえる。今後その部分について何らかの対策が打たれるのではないかと思う。 

    ともあれこのPDFについては、旅行する人自身にとって必要なチャプターのみをプリントアウトして持参している例をしばしば見かける。予定外のところを訪れる場合、データをUSBメモリかウェブ上のストレージにでも保存しておいて、どこかPCとプリンタを利用できる場所で、印刷して使うということもあるだろう。 

    豊富な情報が満載されているのはいいのだが、いかんせん紙媒体ということもあり、ロンリー・プラネット社の最新のインドのガイドブック(2009年版)については、総ページ数1244という分厚いものとなっており、重量は約1キロ。 

    旅行荷物中のアイテムの中で、一番重いのはこのガイドブックというケースは多々あるのではないかと思うし、訪れた先で日中出歩くのにどうも邪魔であるとか、そもそも全州いっぺんに訪れるわけではないため、こんなに厚くなくていいのだ、という人もあるだろう。 

    まさにそれがゆえに、既述のとおり特定地域に特化したガイドが出ているわけでもあるが、それよりも明確な形でこうしたニーズに応えているのがこうしたKindle用のeBookないしは汎用的なPDFといった電子書籍販売ではないかと思う。

    ただしこの『電子書籍』という媒体についても一考の余地ありで、旅行先でパソコンを立ち上げて読むというのは防犯上好ましくないだけでなく、いちいち立ち上げる手間もあるため現実的ではなく、バスや列車等交通機関の中や雑踏でキンドルや高価なスマートフォンの画面中の地図を見るというのは犯罪を誘発するようなものだ。 

    前者はそれなりにカサがあるので書籍に比べて手軽とは言い難いし、後者の場合は頻繁に電子書籍を開いているとバッテリーが1日として持たないため、外付バッテリーその他やはり高価な周辺機器をさらに持参しなくてはならないことになる。するとやはり手軽で安心なのは紙媒体ということになる。 

    ともあれいろいろな選択肢が出てくるのはいいことだ。またそうしたニーズに応える柔軟な姿勢とアイデアを惜しまないのはさすがロンリー・プラネット社といったところではないだろうか。 

    また似たようなのサービスは他にいくつもあるとはいえ、同社のウェブサイトで提供されているTravel Serviceのフライト検索もなかなか便利だ。複数の提携先とタイアップした予約サイトだが、ここでブッキングしないまでも『ココからアソコまでどの会社のフライトがあるのか?』といったことを調べることができるし、おおよその料金も把握できる。 

    そうした意味では同サイト内のホテル検索についても同様で、インドでなくともどこか初めて訪れる国の街に夜遅く到着する予定の場合、事前に予約しておくと安心ということもあるだろう。同一の街の中でエリアや価格帯を絞り込んで検索することもできるし、かなり詳細なロケーションまで表示させることも出来る。なかなか秀逸である。 

    ずいぶん便利な時代になったものだと感心するとともに、まさにそういう世相を業態に如実に反映させて、今やロンリー・プラネット社はガイドブック専門出版社という範疇には収まらない、総合的な旅行サービスを提供する企業になっていることがわかる。 

    <完>

  • Lonely Planet 1

     ロンリー・プラネット社といえば、言わずと知れた世界中で売れているガイドブックの版元。 

    元々は主に欧米から世界各地を旅するバックパッカー向けの旅行案内書としてスタートしたが、今ではあらゆる層の旅行者たちがこれを手にあちこちを訪れている。 

    シリーズがカバーする国の多さ、それぞれのガイドブックで紹介されている地域やスポットが広範囲に渡っていること、旅行するに当たってのプラクティカルな情報量の豊富さと正確さが支持される理由の主たるものだろう。

    また広告収入に頼らないことからジャーナリスティックで客観的な記述がなされていることも重要だ。そのためシリーズ内のどのガイドブックもほぼ同様のフォーマットと視点による記述がなされている。 同社による一連のガイドブックはどれも一定のインターバル、概ね2~3年程度で版を更新というのもちょうど適当なところだろう。 

    各地の見どころそのものの紹介にはかなりあっさりしたものがあるが、これについては個々が興味のあるものについて他の書籍を買い求めるなりすればいい。旅行案内書としては、安旅行者から富裕層のバカンスまで、いずれにも対応する内容である。特定の国や地域については、同様に便利なガイドブックは出ているようだが、総体的には他社の追随を許さないものがある。 

    ベストセラーのガイドブックだけあり、世相を如実に反映する部分もあるようだ。travel survival kitと題されていた各国ガイドブックは、いつごろからかシンプルにtravel guideとなっている。大陸規模の広域ガイドブックのShoestringシリーズは、東南アジア、ヨーロッパ、中央アメリカ、南アメリカといったものは出ているが、アフリカシリーズ、南西アジアシリーズは絶版となっているようだ。 

    世界的な不況のためか、あるいは日本同様に若者たちの海外旅行離れがあるのかどうかよくわからないが、仕事を辞めてフラリと気ままに長い旅に出るという人が少なくなってきているのかもしれない。 

    その分、各国の都市ガイド、山や海あるいは特定の地域などに特化した案内書が増えている。インドに関するものだけ取り上げてみても相当な数になっている。

    India

    Northeast India

    South India

    Mumbai & Goa

    Goa Beaches

    Rajasthan, Delhi & Agra

    Trekking in the Indian Himalaya

    Asia & India: Healthy travel guide

    Hindi, Urdu & Bengali phrasebook

    India phrasebook 

    上記に加えて、North India, Delhi, Mumbai, Kerala, Goaといった、個々の独立したガイドブックが出ていたこともある。 

    <続く>

  • 日本でムスリム観光客増加の気配

    クレセント・レーティングをご存知だろうか。『Halal Friendly Travel』をモットーに、イスラーム教徒が利用しやすいホテル、レストラン、空港、パッケージツアー、医療等に関する情報を提供しているサイトだ。ホテルについてはハラールな食事を提供しているか、ムスリムの礼拝に対する配慮があるか等々の観点による格付けもなされている。 

    同サイト内ではイスラーム教徒向けの旅行書籍(?)の販売も行なっている。 スリランカ出身のムスリムのビジネスマンが立ち上げたサービスだが、その目新しさからちょっと注目されつつあるらしい。 

    ところで、もともと土地っ子の間でムスリム人口がほぼ皆無に近く、これまでムスリムの人々による訪問も少なかった日本では、当然のことながら食事その他さまざまな面において『ハラールな』環境を得がたいのは無理もない。 

    その日本では、2008年10月に設置された観光庁が、ビジット・ジャパンというキャンペーンを通じて、訪日外国人3,000万人という目標を掲げているところだが、訪日外国人旅行者数の多い15の国・地域(アメリカ、イギリス、インド、オーストラリア、カナダ、韓国、シンガポール、タイ、台湾、中国・香港、ドイツ、フランス、マレーシア、ロシア)を重点国と定めてプロモーションを展開している。 

    それらの中でもっとも効果が顕著なのは、中国大陸からの日本渡航者に対する査証取得条件の緩和による中国人観光客の急増だろう。このところ尖閣諸島を巡る政治問題によって訪日予定者の中から多数のキャンセルが出ることによりブレーキがかかった感はあるが。 

    しかし中国が安定した経済成長を続けている限り、地理的に至近で有利であること、元々中国人たちの中で日本に対する関心が高いことから、今後とも急カーヴを描いて訪日者数が増加していくことは間違いないだろう。 

    さらには来年度からサウジアラビアとアラブ首長国連邦もこの『重点国』に追加されることが予定されているという。両国とも豊かな産油国で可処分所得が高く、滞在中の客単価が高いであろうことが期待されているようだ。 

    ちなみにムスリム観光客による旅行市場は、全世界で再来年あたりには8.5兆円という巨大なものとなることが予測されており、日本もその流れに乗り遅れないようにと、手始めにこの2か国(サウジアラビアとアラブ首長国連邦)を重点国に指定したという経緯がある。 

    同時に日本での観光客としてはあまり馴染みのなかった人々で、受け入れ側としてもムスリム客誘致のノウハウがほとんどないこともあり、訪問者を送り出す側の国では訪日関連、また受け入れ側となる日本のほうでもムスリム客誘致関係といった、新たな商機が生まれることが期待されている。 

    同時に、これまで日本国内では、ハラール食材、映画等の娯楽関連、安い国際電話カード等といった、主に在日の南アジアや東南アジアのムスリムたちの日常生活に必要なものをまかなう程度で、ごくごくニッチなマーケットであった『ムスリム関係市場』が、豊かな産油国からやってくる観光客という新たな顧客を得て、価格帯や品揃え等もこれまでとは異なる次元のものへと発展していく可能性も秘めている。

  • ニュース、報道、メディア・・・

     活字中毒・・・というわけでもないが、いつも手元に何かしら読み物がないと落ち着かない。小説でもノンフィクションでもいいのだが。加えて日々の出来事に目を通さないと何だかスッキリしない。日常の暮らしの中でも旅行先でも目覚めてから一番にすることといえば、新聞を広げながら朝食を取ること。 

    朝起きてすぐに手に入らなければ、近くのマーケットに散歩がてら出かけて新聞売りを見つける。あるいは早い時間帯から鉄道、バスその他で移動する際には、駅やバススタンドで、まず最初に買うのはスナック類ではなく新聞だ。                                                                                                          

    全国規模のメディアで広大なインドの政治、社会、経済等の様々なニュースを目にするとともに、ローカルな新聞も押さえておきたい。広域紙には出ない地元の出来事がいろいろ掲載されているので、数日間読み続けると今そこで話題になっているらしいことについておおよそ検討がつくようになってくる。 

    往々にして退屈な記事が多いことも事実だが、例えばモンスーン期に激しい雨が降り続いているときにヒマーラヤ地方を旅行する際、あるいは付近で洪水その他の天変地異が起きている場合など、参考になることはとても多い。 

    また政治関係も同様だ。アッサム等の北東州を訪れた際には、ULFA (United Liberation Front of Asom)やNNC(Naga National Council)をはじめとする各地の分離活動を行う組織にかかわる記事をいろいろ目にすることができて興味深いものがあった。北東州関係については、コールカーターあたりであっても、地理的に北東州に近いこともあり、そのあたりに関するニュースはその他の地域よりも格段に豊富だ。 

    南インド、とりわけタミルナードゥやケーララあたりでは、新聞をはじめとするヒンディーによる印刷物はほとんど見当たらないものの、都市圏以外でも英字紙が豊富なのはありがたい。だいぶ前のことになるが、2005年12月のスマトラ沖地震による津波災害の際にちょうど南インドの沿岸部にいたため、いろいろ参考になった。 

    各地でメディアの活動が盛んであることは言うまでもないが、報道の自由度が高く周辺各国とは大きな開きがある。人々の『知る権利』が尊重されているからこそ『読むに値する新聞』が豊富であることはありがたい。 

    もちろん新聞といっても様々なので、報道の質についてはいろいろあり、それは報じる側、読み手側の双方のスタンス、加えてこう言っては大変失礼かと思うが、それらの質の問題もあることは否定できないのだが。もちろんそれこれは読み手自身がメディアを選択すればいい。 

    報道の自由は必ずしも手放しで称賛できるものとは限らず、報道機関とて大きな資本によるいわば『営利事業』であるがゆえに、ニュースの『売り手』の事情が紙面に現れることがあってもおかしくない。また近年の民間放送局による視聴率を意識してのセンセーショナルな報道(興味本位の犯罪特集番組、ヤラセや捏造ニュース)や視聴者からの携帯電話のSMSによる人気投票的なマーケティング手法等、ちょっと良識を疑いたくなる面も否定できない。 

    これを玉石混淆とまで言うつもりはないが、そうした様々なソースから流れるニュースを人々が個々の意志と良識で取捨選択できる状況は健全であると私は思う。 

    ともかく新聞をはじめとするメディアにより、人々は国、地域や社会の動きを知り、自身の頭でそれを理解する。私たち外国人も同様にそれにあずかることができる。これはとても大切なことだ。ミャンマーや中国のようにメディアやネット環境にも大きな制約のある国々と比べるのは極端に過ぎるかもしれないが、インドという世界最大の民主主義システムの根幹にあるのは、活発で自由度がとても高い報道の存在であるといって間違いないだろう。 

    政府により、報道に関する制約が厳格な国々以外に、現地のアンダーワールドな部分からの圧力により、メディア自身が事前に『自己検閲』をしてしまう国もある。たとえばメキシコのように政府と拮抗する勢力である麻薬カルテルによる報復への恐れから、これらの組織に関する分野は報じられないようになっているようだ。既存のメディアでは伝えられない『空白地帯』を一人の匿名の大学生(・・・ということになっている)によるBLOG DEL NARCOというブログが情報を流しているという状況は決して肯定できるものではないだろう。 

    ブログ運営者のもとに、多数の発信者たちから連日大量の情報が写真や動画とともに届けられ、これらを編集したり裏を取ったりすることなく、そのまま掲載しているとのことだ。血なまぐさい内容が大半で、凄惨な画像も含まれている。 

    すべてスペイン語で書かれているが、ブラウザにGoogleツールバーがインストールしてあれば、日本語に自動翻訳したものを読むことができる。いささかぎこちない和文となるものの、おおよその内容を掴むことはできるだろう。 

    もちろんインドを含めた各国のメディアにおいても、報道する側の身の安全という点から世の中に伝えることが難しい事柄は存在するであろうことは否定できないし、もちろん日本もその例外ではないのだが、こうした出所のよくわからないソースによる情報を日々綴ったブログが、本来それらを伝えるべき報道機関に取って代わってしまうという状況はとても危うい。 

    話はインドに戻る。

    報道の本質にかかわる事柄ではないのだが、インドの外にある国々からしてみると、現地の各メディアによる各分野における英語によるニュース配信を大量に入手できることについても大きなメリットがある。とりわけインターネットが普及してからは、その感がさらに強まっている。 

    全国ニュースからかなりローカルなものまで、各地のメディアによる立ち位置の異なるソースから手に入れることができるという点で、とりわけ非英語圏の国々に比べて非常に『オープンソースな国』という印象を与えることだろう。 

    世にいう『グローバル化』とともにインターネットによる情報通信の普及と進化の過程の中で、これまで以上に英語が突出した存在感を示すようになっていることから『英語支配』の趨勢に対して主に非英語圏から危惧する声が上がっているが、インド自身はその英語による豊富な情報発信量から得ているメリットについては計り知れないものがあると思われる。 

    もちろん英語による情報のみでインドという国を理解できるとは思えないし、カバーされる範囲にも限界がある。それでも英語という広く普遍性を持つ言語によるソースが非常に豊富であるという点から、私たち外国人にとっても非常に利するものは大きいといえるだろう。報道の自由度の高さと合わせて、インドのメディアは自国内のみならず国外に対しても、非常に公益性が高いとも言えるのではないだろうか。

  • サイクルリクシャー日本一周

    自転車で各国を旅する人は少なくないが、サイクルリクシャーでというのは珍しい。この乗り物で日本一周する日本人の写真家がいる。10月3日に、151日がかりで無事ゴールインしたことがブログに綴られている。 

    日本一周に先立って、これを手に入れたバーングラーデーシュもサイクルリクシャーでひと回りしているのだという。 

    ギアも付いていない重たい乗り物で走るのはさぞ骨の折れる旅であったのではないかと思うが、日々の様々な出会いが活き活きと描かれていて楽しい。 詳しくは写真家の三井氏のブログをご参照願いたい。 

    10月9日(土)に東京都北区の飛鳥山公園で開催された『バングラデシュ祭』(会期は10月10日まで)にて、講演が行われていたようだ。

     同氏はウェブサイト「たびそら」を運営しており、アジアを中心とする各地の写真を公開している。

  • 国境の儀式

    国境の儀式

    アムリトサルから国道一号線を国境へと進んでいく。デリーから続いているこの国道は、GTロード (Grand Trunk Road)の一部でもあり歴史的なルートだ。 

    途中、右手に見事なコロニアル建築の薬科大学が見えてしばらくすると料金所があり、このあたりからはどこもかしこも広大な田園地帯だ。そこを通過してさらに西へと進むと、アッターリ―村を通過する。 

    国境手前で最後の村はアッターリーであるが、本当の『最後の村』はワガーである。印パ分離により、国境の東西にまたがることになったのがここであったが、現在ではイミグレーション、税関、国境警備施設等の政府機関が固まっており、『村』ではなくなっている。 

    いよいよ国境に着いた。いくつかレストランがある裏手は広い駐車場になっている。訪れたのは月曜日であったが、それでもかなりの人出であった。週末に訪れたらちょっと大変だろう。 

    セレモニーの会場には、カバン類を持ち込むことができない(カメラ、ビデオ、携帯電話、ウエストポーチは可)ため、クルマに残しておくことになる。 

    見学のスタンドに行くまでの間に、パスポートチェックが3回、ボディチェックが2回ある。途中、一般通路とVIP通路に分かれるが、外国人は後者へ進むように言われる。VIP席にも通常のVIP席とVVIP席があるが、ここでは前者に座るように指示される。これらのチェックと誘導をしているのはBSF兵士で、セレモニーで勇壮な儀式を展開する兵士たちと同じいでたちである。皆、体格がとても立派なので、交代で任務に着いているのかもしれない。 

    午後6時前に到着すると、すでに人で一杯になっていた。すぐ向こうはパーキスターン側である。こちらではボリウッドのポップスをかけて人々が踊っているが、反対側も同様に音楽を大音響で鳴らしている。ただしこちらほどの盛り上がりは見せていないようだ。印・パ両側ともに大勢の人々がスタンドで観覧している。 

    6時半くらいになると、ようやく式典が始まった。インド側では司会役のような男性(平服だがBSF兵士のようだ)による「Bharat Mata ki」という呼びかけに対して『Jai』と観衆が応じ、「Hindustan」の呼びかけに『Zindabad』、「Vande」に対して『Mataram』という具合に盛り上がりを見せている。 

    向こう側ではクルアーンの朗誦に始まり、「Jinnah、Jinnah」『Pakistan』と声を張り上げている。いかにも両国の現代国家としての成り立ちの違い、分離独立したことの理由を表しているかのようである。   

    兵士たちの儀式が始まる。最初に数人の女性兵士たちが大げさに足を踏み鳴らして国境ゲートに向かう。続いて複数の長身で着飾った兵士たちが続き、足を高く上げて踏み鳴らす動作もある。一連の流れの中で、両国とも調和の取れた動作をしている。パーキスターン側での動きはここからよくわからないのだが、同じタイミングで始まり、同時にセレモニーを完了する。 

    幾度か儀式に出ている兵士による大きく長い掛け声が流れる。印パ両側でほぼ同時に発声が開始されるのだが、自国の兵士がより長くそれを続けることができると大きな拍手と歓声が上がる。 

    以前、Youtubeでこのセレモニーの様子を動画で見たことがあるのだが、まさに両国側によるしっかりとしたパートナーシップがあるからこそ、毎日のこの式典が成り立っていることがわかる。何か敵意に満ちたものであるのではないかと思っていたが、決してそんなものではなかった。   

    儀式が終わり、家路に着く人たちに国境のセレモニーやBSFにまつわる映像を集めたVCDやDVDを売りつけようとする商売人たちが群がる。どこからかスピーカーで「皆さん、くれぐれも海賊版VCD、DVDに手を出さず、正規版を買ってください」などという、当局からの呼びかけが聞こえてくるが、正規版なるものがどこで売られているのか見当もつかない。道路脇にあるレストランもまさにこの時間帯が書き入れ時のようで、どこも満員だ。 

    アッターリー村、ワガー村の人々にとって、それ以前は、このあたりから大きな街に出るという場合、アムリトサルに行くのもラーホールに行くのも同じようなものあったことだろう。 

    アムリトサルやラーホールの住民たちにとっても、長い歴史の中でずっと「隣街」であったものが、分離により遠い街になってしまった。今の時代の人々にとってはごく当たり前のことであっても、それまでの人々にとっては、学校出てから仕事に就くにあたり、インドもパーキスターンもない同じ国内であった。 

    おそらく今の80代以上の人々(分離時にそれなりの年齢に達しており、当時の記憶を自己の体験としてはっきり認識している最後の世代。その頃の幼児や子供は含まず)にとっては、いろいろと思うところがあるに違いない。 

    当時はもちろんブログもなければ、村民で日記をしたためていた人もあったかどうか・・・?「オラが村がふたつの国に分かれた」体験をした人たちは、その過程で様々な事柄を目にしてきたことだろう。また村という小さなコミュニティの中で、そこに国境が引かれるということで、どんな出来事があったのだろうか。 

    村民の間でも人口の移動、分離後の人間関係や個々人の力関係においても、友愛と裏切り、信義と謀略、その他いろいろ大変なことがあったことと思う。そこが国境になったがゆえに国防施設や行政機関等が建設され、地権上でも様々な出来事があったはずだ。印パ分離の縮図とでもいうべき大きなドラマが小さな村の中で展開していったのではないかと想像される。

  • ソウルからインドへ

    エアインディアが、デリーから韓国のソウルまで、週に4往復させていることに遅ればせながら気が付いた。デリー・ソウル線(香港を経由)は、今年8月から就航しているようだ。 

    90年代以降、韓国企業によるインド進出、対インド投資には目を見張るものがあり、韓国のキャリア以外にインドの航空会社によるインド・韓国間の直行便が就航するまで意外に時間がかかったという印象を受けなくもない。 

    ソウル・香港間あるいは香港・デリー間のみの乗客も多いことだろう。ちょうど東京・デリー間で途中バンコクに寄港する便があったころのような感じなのかもしれない。(現在、東京・デリー間は直行のみ) 

    ふと思い出すのは、かつてエアインディアの香港経由で東京・コールカーター直行便があったこと。そのころデリーIN、カルカッタOUTあるいはその逆で、日本からインドを訪れる人は多かった。確か90年代に入って間もなく、コールカーター直行便は廃止されたと記憶している。 

    船の時代から、インドから見て東側方面からの主要な玄関口であったコールカーターである。デリーに遷都されるまで、長らく英領インドの首都であったためもある。中国大陸からもバンコクやシンガポールと並んで、稼ぎが期待できる外国の街であったため、大量に移住者を送り出している。 

    今のように通信手段が発達しておらず、何がしかのツテが頼りであったため、移民の送り出し元はかなり限られた地域からであることが多い。バンコクでは潮州系、マレー半島では福建系や広東系が多かったように、コールカーターには広東系や広東を中心とする地域出身の客家人が数多く住み着いたようだ。コールカーターの華人たちから、しばしば梅県という地名を耳にする。現在の広東省の梅州市とその周辺エリアに相当する地域だ。 

    日本にとっても、第二次大戦後しばらくの間は、最も身近なインドの都会といえば間違いなくこの街であったということは今ではちょっと想像できないだろう。戦後の復興期から高度経済成長が始まるあたりまで、西ベンガルから輸出される豊富な鉄鉱石は、かつて鉄鋼大国であった日本の原動力のひとつでもあった。 

    また日本に留学生がやってくるようになり始めた時代、1960年代にはインドからの留学生たち(・・・といっても数は大したことなかったのだが)といえば、その主流はベンガルからの学生たちであったようだ。 

    その関係もあるのかどうかよく知らないが、今でも西ベンガル州ではちょうど日本でやっているのと同じような菊の盆栽を楽しむ年配者たちはかなりあり、そうした人たちの中には、なかなかの知日家もあるようだ。『日本の菊栽培の解説書を手に入れたいのだが、英語で書かれたものを出している出版社はないかね?』と初老の男性に頼まれたこともある。 

    この街とそこを州都とする西ベンガル州の経済面での停滞に加えて、かつての『四大都市(デリー、ムンバイー、コールカーター、チェンナイ)』以外に、バンガロール、ハイデラーバード、アーメダーバード等の台頭により、相対的な地位が凋落していった。 

    その結果、インドの航空会社はもとより、東南アジアからの飛行機も乗り入れが減り、ちょっと寂しい状態になってしまっている。それでも近ごろ流行りのLCCキャリアがバンコク便を開設したり、隣国のバーングラーデーシュの新興航空会社もコールカーターとの間に新規乗り入れしたり、増便したりしているのは幸いである。もはやインドを代表する随一の都会ではなく、ひとつの地方都市に成り下がってはいるものの、まだまだ地域のハブとなる底力は充分残されている。 

    話はエアインディアに戻る。エアインディアの東アジアへの就航地は、数十年来の長い付き合いである東京、大阪、香港に加えて、上海そしてソウルが加わっており、インドという国自身がゆっくりと顔を東方にも向けてきていることを如実に反映しているようでもある。これは同時に東アジアの諸地域にとっても、視野の中にインドが大きく姿を現してきていることの表れでもあろう。

  • ツアー列車いろいろ

    以下の行程で、7泊8日の特別ツアー列車が走っているのだそうだ。その名もBuddhist Circuit Special Train。 

    初日 : デリー、ガヤー

    2日目 : ガヤー、ボードガヤー

    3日目 : ボードガヤー、ナーランダー、ラージギル、ガヤー、ワーラーナスィー

    4日目 : ワーラーナスィー、サールナート、ゴーラクプル

    5日目及び6日目 : ゴーラクプル、クシーナガル、ルンビニー

    7日目 : ゴーンダー、スラワスティ、アーグラー

    8日目 : アーグラー、デリー 

    ビハールとU.P.の仏蹟を中心とした観光地に加えてアーグラーを観光してデリーに戻るというもので、出発日は次のとおり。 

    出発日

    2010年9月25日

    10月16日及び30日

    11月13日及び27日

    12月11日及び25日

    2011年1月8日及び22日

    2月12日及び26日

    3月12日及び26日

    いずれも起点はデリーだが、出発駅はサフダルジャン駅である。料金は以下のとおり。

    First AC Coupe 

    US$ 1176

    INR 55272

    AC – First Class 

    US$ 1050

    INR 49350

    AC – Two Tier

    US$ 875

    INR 41125

    AC – Two Tier

    (Side Berth)

    US$ 770

    INR 36190

    AC – Three Tier 

    US$ 735

    INR 34545 

    宿泊費(ホテル2泊で他は車中泊)・食費等込みとはいえ、料金は決して安いわけではない。

     それでも鉄道大国インドならではの豪華観光列車として知られるPalace on WheelsRajasthan Royals on WheelsDeccan OdysseyGolden Chariotなどは、時期やクラスによるが7泊8日の行程で2500ドルから5000ドル近くの出費を覚悟しなくてはならないことを思えば格安である。 

    最近のこの類の企画ものでは、Maharaja’s Indiaというものがあるが、こちらは5600ドルから20000ドルという、さらにビックリの金額で売り出されている。 

    Buddhist Circuit Special Trainは、これらのゴージャスな車両と特別なサービスを売りにするものではなく、基本的に在来の車両を使用する企画ツアーである。他にもエコノミーな列車ツアーとしては、Bharat Darshanシリーズの中に様々なタイプがある。日程は1週間から15日間で、訪問先もいろいろ異なるものがあるが、費用は3600ルピーから7700ルピーと手頃なものとなっている。通常の列車もクラスにより運賃の格差が甚だしいこの国だが、ツアー列車にかかる費用も上から下まで大きな差があるのは、いかにもインドらしい。 

    先述の豪華列車にかかるコストの関係はさておき、そもそもパッケージツアーで1週間費やしてみたいと思わないのだが、デリーからラージャスターンのアルワール間を1泊2日で往復するFairy Queenには、いつか機会を得て乗車してみたいと考えている。 

    1855年、なんとインド大反乱の2年前にイギリスで製造された、現存する最古の運転可能な蒸気機関車が牽引するヘリテージ列車であるため、『イン鉄ファン』のマストアイテムだ。 

    往復でも片道のみでも乗車可能で、IRCTCのウェブサイトでも予約を受け付けている。今季は2010月から2011月まで、合計10往復している。 

    料金はフルパッケージ(Fairy Queenでのデリー・アルワール往復とサリスカー宿泊ならびに国立公園見学)で10200ルピー。片道ツアー(Fairy Queenでのデリーからアルワール片道とサリスカー宿泊ならびに国立公園見学)は7100ルピー。Fairy Queenのデリーからアルワールまでの乗車のみならば3200ルピー。

    ご興味のある方はお早目にご予約を。