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カテゴリー: travel

  • 携帯電話のレンタルSIM ヤンゴン空港にて

    ヤンゴンの国際空港に到着して、びっくりしたことがふたつ。

    ひとつは両替カウンターが出来ていたこと、もうひとつはレンタルSIMを扱う業者が出店していたことだ。

    どちらも話には聞いていたが、実際に目にしてみるとなんだか信じられない思いがする。空港に両替屋があるなんて当たり前ではないか、と思われる方も少なくないかと思うが、昨年のこの時期に訪問したときはまだなかった。実勢レートで両替する業者が合法的に店を構えることができなかったため、とりあえず市内まではドル現金払いでタクシーに乗るしかなかった。

    またSIMカードについては、インドやタイなどのように廉価で入手できる状態にはまだないため、レンタル業者があるのは助かる。レンタル料金は1日2ドルで、借りる際に50ドルのデポジットを預ける。通話料金は別払いとなる。

    国内通話分と国際通話分と別々になっており、国内用は1万チャットで通話3時間分だという。国際用は10ドルだが、こちらは9分しか通話できない。通話代のチャージは外の店の多くでできるとのこと。ただし残念なのは、データ通信に対応していないため、スマートフォンであっても、ネット接続はできないことである。ごく最近、携帯用の3Gデータ通信のサービスも開始されたようなので、しばらくするとレンタルでも利用できるようになることだろう。

    自前の電話から積極的かけまくるわけではないのだが、必要とあればいつでも電話を受けることができるのはありがたい。また用事があってこちらからかける場合も電話屋にいくことなく、手にしている携帯電話からかけることができるのは助かる。

    レンタルのSIMは、不特定多数の人たちに貸し出されているがゆえのデメリットもある。レンタル中に、幾度か間違い電話がかかってくる。かけているほうにとっては間違いではないのだが、正しくダイヤルした番号はすでに他の人が利用しているのを理解しないことが多い。

    「ハロー、ラジヴさん?」「マルホトラさんでしょうか?」「おーい、元気かぁ?」「アショーク?」突然電話が鳴って、出てみると、異なる相手がいろいろな名前で呼びかけてくる。

    中には、わざわざこちらの番号を確認したり、前の借りていた人の番号を知っているかなどと尋ねたりする人もある。「間違いです」と切ってしまうと、また同じ人からかかってきて、「これはレンタルされている番号で、前の借主の所在等はまったく知らない」と説明しなくてはならなくなる。それでも食い下がってくる人がいるのにはホトホト呆れてしまう。

    なぜか、インドの国際電話が多かった。よほどインド人の借り手が多いものと思われる。迷惑だが、こればかりは仕方ない。

  • Jetstar日本国内線就航

    Jetstar日本国内線就航

    今年7月3日からオーストラリアを本拠地とするJetstarが就航する。

    現在、日本を代表する格安航空会社といえば、今年3月に就航したPeach Aviation。我が国初の本格的なLCCという売り込みで注目されており、関空から札幌、福岡、長崎、鹿児島へ乗り入れている。今後、5月から関空・仁川線を飛ばすことにより国際線にデビューし、その後7月に香港、9月に台北へと路線を伸ばすことを予定している。

    ここにきて、日本の国内線に外資系のJetstarが参入することにより、今後着実に日本国内の空のネットワークに大きな異変が生じることになりそうだ。今世紀に入ってから、アジア各国で急速にLCC各社が台頭している中、日本国内では相変わらず既存の航空会社による支配が続いていたものの、5年後、10年後にはずいぶん異なる様相となっていることだろう。

    今までのところ、Jetstarは南アジア方面には就航していないため、Air Asiaのように、バンコク、クアラルンプル、シンガポール等で乗り継いでインドに向かうのには使えないが、今後ネットワークの拡大に期待したい。

    Jetstarが打ち出している日本国内線の単一路線についての最低価格保証はともかく、国際線を乗り継ぐ場合は、LCCを利用しても、行先、予約時期や方法によっては、必ずしも既存の航空会社より安くなるとは限らなものの、移動の選択肢が増えること自体ありがたく思う。

  • BB AIRWAYS

    ある方がフェイスブックに書かれていたことによって知ったのだが、在日ネパールの方でこんな試みに取り組んでいる人物があるとのこと。

    「日本とネパールを結ぶ直行便を実現します」 BB AIRWAYS

    BB AIRWAYSとは聞き慣れない名前だが、上記ウェブサイトによると、「2012年の運航に向けて準備中」であるとのこと。ネパールの首都カトマンズのトリブヴァン空港と結ぶ予定とされるのは、なんと茨城空港。9月の運航開始を目指しているのだという。

    しかしこれまで名前さえ聞いたことのない会社なのでまったく見当もつかなかったのだが、ネパールのウェブサイトにはいくつか関連の記事が出ていることに気が付いた。

    BB Airways gets ministry’s green signal (The Himalayan)

    NEW AIRLINE: BB Airways Gears up for September Launch (Routes Online)

    BB Airways acquires int’l operation licence (THE KATHMANDU POST)

    BB Airways (ch-aviation)

    日本在住のNRN(Non Resident Napalese)による航空会社だが、本拠地は母国ネパールとなるようで、就航先はデリー、バンコク、クアラルンプル、香港、東京(成田空港同様、茨城空港も便宜上「東京」?)、カタール、シンガポールとなっている。すでにネパール当局のライセンスは得ているとも書かれている。

    これらの記事は、今年1月から2月時点のものであり、その後の進捗はよくわからないが、茨城空港への乗り入れはともかく、ネパールを本拠地とする新しい航空会社がスタートしていることは間違いないのだろう。

    それにしても、この航空会社をスタートさせるというネパールから来たビジネスマン、ウェブサイトにあるように、最初は留学生として来日、その後日本で起業したということだが、BB AIRWAYSのリンク先を覗いてみると、いろいろ手広くやっているようだ。そこに来て今度は航空会社の設立と、ずいぶんやり手の人物のようだ。近々、日本の経済誌等でよく見かけるようになるだろうか。

    どうなるのかまだよくわからないが、茨城・カトマンズ直行便就航計画の進捗を伝えるニュース等があれば、今後フォローしていくことにしたい。

  • 成田・ヤンゴン直行便就航へ

    先日に引き続いてミャンマーの話題。近ごろ何か取り上げられることの多い同国に、成田空港から全日空の直行便が就航する。時期は未定だが、年内には実現する見込みとのこと。実は、1996年7月から2000年2月まで、同社の関空・ヤンゴン便が飛んでいたのだが、長らく休止となっていた。

    全日空 ミャンマーに定期便再開 12年ぶり(日本経済新聞)

    おかげで、東京から眺めると隣国タイの首都バンコクとあまり変わらない距離にあるにもかかわらず、ヤンゴンはずいぶん遠く感じられてしまう状況が変化することを期待したい。これまでは、成田からタイ航空の午前便で出発して、同社が複数便持つバンコクからヤンゴンまでの遅い時間帯の便を利用すれば同日に到着することができたが、さもなければバンコクで一泊しなければならないのが現状だ。

    今から1年ほど前にはMAI (Myanmar Airways International) によるヤンゴンから成田に乗り入れの計画を取り上げてみたことがあったが、まだ実現していない。それでも同社のウェブサイト内のルートマップには、『Future Route』として東京、ソウル、香港、デリー、ドバイといった就航予定地が記されている。

    ミャンマーへの経済制裁緩和近しという情勢により、ビジネス目的で世界中が注目していることもあり、今後は他国の便も順次乗り入れを図るようになってくると予想される。

    インドからは、エアインディアがコールカーターから月曜日と金曜日にヤンゴンに就航している。今後、ジェットエアウェイズその他が就航することもあり得るのではなかろうか。もとより関係の深いインド・ミャンマー両国であり、利害を共有する部分も少なくない隣国同士でもある。ヤンゴンその他に大規模なインド系の人口が存在していることもあってか、従前から商用その他でミャンマーを訪問するインド人や他国在住のインド系の人々は少なくなかった。

    前述のMAIは、ヤンゴンから水曜日と土曜日にビハール州のガヤーへの定期便がある。ビジネス目的の乗客が多いとは思えず、仏教国ミャンマーとはいえ、そこから仏蹟巡りに出かけるお客がワンサカいるとも考えられないのだが、主にどういう人たちが利用しているのかよくわからない。予定されているデリー便の就航が待たれるところだ。

    経済成長にともなう可処分所得の伸長により、海外旅行を楽しむインド人が増えており、インド発の様々なパッケージツアーなどもいろいろ売り出されている。タイやマレーシアと較べて華やかさに欠けるものの、美しいビーチや壮大な遺蹟等の観光地には事欠かないミャンマーだけに、今後は観光目的で訪問するインド人も増えてくることだろう。

    私たち日本人にとっても、インドのすぐ隣のミャンマーという魅力的な国が訪れやすくなるのは嬉しい限りだ。インドまで足を伸ばす際に、行き帰りともにヤンゴン経由でミャンマーも見物という選択肢が可能となるのはありがたい。

  • ミャンマーのE visa

    近ごろ何かとニュースで取り上げられることが多くなったミャンマー。『上からの民主化』の進展により、経済制裁の緩和が近いことが予想されるため、経済面からの注目を浴びるようになっているからであることは言うまでもない。

    国際社会からの孤立が長く続いてきたことによる経済や各方面インフラの立ち遅れの中で、今まさにどん底にあるにもかかわらず、初等・中等教育は広く普及しているため、識字率は約90%と意外なまでに高い。加えて一大農業国であるとともに、地下資源大国としても広く知られている。石油・天然ガスなどに加えて、鉄、錫、銅その他の鉱物資源にも恵まれている。

    それらと合わせて、人口6千万を抱える大国であり、先述のとおり一定水準の教育が行き届いた人材豊富な国家でもあることから、多くの国々にとって将来有望なマーケットであるとともに、製品加工基地としての役割も期待されることになる。

    大きな潜在力を抱えつつも、政治的理由によって、これまで極めて低い水準にあっただけに、経済制裁が緩和ないしは解かれることになれば、今後急激な成長が見込まれるだけでなく、その伸びシロは限りなく大きい。

    従前から、そうした将来性を見込んで同国に投資している企業や個人等はあったものの、長く続いてきた軍事政権による圧政と、これに対する先進諸国等による経済制裁下での先の見えない停滞が続く中、一部のASEAN諸国やインドによる投資や交易、加えて海外進出意欲旺盛な韓国の企業や個人による進出を除けば、同国での外資といえば、ほぼ中国による寡占状態にあった。

    たとえ旅行者として同国を訪れても、アメリカやEUによる経済制裁の影響はごく身近に感じられるものである。古色蒼然とした街並みや市内を走るあまりに旧式の自動車の姿はもとより、ヤンゴン市内の一部の高級ホテル(自前のルートによりシンガポールなど海外で決済)を除いて、トラベラーズチェックもクレジットカードも使用できず、基本的に米ドル現金を持ち込んで使うしかないという状態は、初めて訪れる人の目には、あまりに奇異に映ることだろう。経済制裁により、海外との金融ネットワークから遮断されているがゆえのことである。また同国自身の厳格な外貨管理により、基本的に『普通に店を構えた両替商』は存在しなかった。そのため主に宝石、貴金属類、みやげもの等を扱う店を回り、交渉のうえでミャンマー通貨に両替するのが普通であった。

    そうした状況も近々変わっていくようだ。ヤンゴンの国際空港等にちゃんとした市中レートで両替カウンターが出来ていると聞く。おそらく市内の繁華街や国内のメジャーなスポット等に、今後『ちゃんと店を構えた両替屋』が続々出てくることだろう。

    それにミャンマー国内から正規のルートによる海外送金サービスが開始されるという話も耳にする。商取引はもとより、同国から海外留学を希望している若者たちにはとっては朗報だ。たとえば日本に留学しようとする場合、現在までのところミャンマーから日本へ正式な送金ルートが不在であったため、ミャンマー国外つまり日本ないしは第三国に留学経費を支弁することが可能な立場(経済的に裕福な近親者)がなければ、たとえ若者自身の親がミャンマーでそれなりに高い経済力を持っていても門前払いであったからだ。

    インドでは、経済政策の大きな転換により、1990年代から2000年代にかけて、とりわけ都市部が大きく様変わりし、その動きは衰えることなく続いているが、自国内での規制その他のみならず、経済制裁という大きな足枷をはめられてきたミャンマーにおいてはおそらくそれ以上の速度で多くの物事が変化していくことだろう。もちろん人口がインドの足元にも及ばない程度のものであり、人口密度もあまり高くない。『スピード感』ではこちらのほうが勝ることになると思われる。またASEANというひとつの大きな経済圏の枠組みの中にあることも有利に働くことだろう。あくまでも経済制裁の大幅な緩和あっての話ではあるが。

    前置きが長くなったが、ミャンマーで観光客向けにE visaというシステムが月内にも導入されるという。事前にインターネット上で所定の手続きとクレジットカードによる査証代金の支払いを行ない、それと引き換えに数日以内にメールで送られてくるレターをプリントアウトして、入国時にパスポートとともにイミグレーションに提示し、その場でヴィザを発行してもらうというシステムだ。

    MYANMAR E Visa “How To Apply” (myanmarevisa.gov.mm)

    本日4月10日現在、まだ運用は開始されていないようだが、申請手続きはこちらの画面で行なうことになるらしい。証明写真のデータをアップロードするかカメラ付きのPCあるいはウェブカメラにてその場で撮影することもできるのだろう。

    現在、東南アジアの中で私たちが観光による査証取得必要なラオス、カンボジア等で国境到着時に簡単なフォームを記入して現金で代金を支払えば即座にヴィザが発行されるような具合になると良いのだが、まだまだ『敵が多い』国であるだけに、このあたりが最大限の譲歩なのだろう。それでもこうした動きは大いに歓迎したい。

    今後10年、15年の間に、ずいぶん旅行しやすい国になっていくことだろう。道路その他交通網の整備に多額の投資がなされるはずだし、観光という分野も主要な産業の柱のひとつとして位置づけられることは間違いないので、宿泊施設その他の面でも大きく改善されていくことと思われる。

    そうした中で、まだわずかに残っている、かつて『英領インド』の一部であったことの面影や残り香も急速に失われていくことも必至だ。人々の暮らしが向上し、今よりも自由に物を言える社会になること、民意が反映される国になっていくことについて、諸手を挙げて応援したいことは言うまでもないが、他のどこにもないこの国であるからこその味わいに関心がある向きには、まさに今が旬なのかもしれない。

    もうひとつ期待したいことがある。各地で民族運動が盛んであることから、まだまだ外国人が入域できなかったり、自由に立ち入ることができなかったりする地域が多いミャンマーだが、このところ各反政府勢力との和解が進んできているため、陸路で入国して他の地点から陸路にて出国という旅行も、やがて容易にできるようになってくるのではないだろうか。

    とりわけインドとの間については、インドのナガランド州のMorehからミャンマーのチン州のTamuのルートが外国人に対して開放されるようになるとありがたい。現在、インドのナガランドは私たち外国人がパーミット無しで入域できるようになっているが、ミャンマー側はそうではないようだ。

    南アジアと東南アジアの境目の地域が広く自由に旅行できるようになれば、いろいろ新たな発見があることと思われる。また、これまで隅に置かれてきたエリアの文化・伝統の価値やこれまで影で果たしてきた歴史的な役割が人々に再認識されることにもなるのではないかと思っている。

  • オリッサ州 マオイストとの交渉難航

    3月14日、オリッサ州内陸部の部族地域を訪れるツアーの一行が、同州のカンダマル地区で拉致される事件が発生した。このツアーを催行していたのは、同州プリーにあるORISSA ADVENTUROUS TREKKINGという旅行代理店で、連れ去られたのはその経営者でガイドでもあるイタリア人のパオロ氏、ツアー参加者のイタリア人コランジェロ氏、そしてツアーに同行したインド人スタッフ2名を含む計4名。インド人スタッフは3月16日に、イタリア人旅行者のコランジェロ氏は3月25日に解放されたが、依然としてパオロ氏は監禁状態にある。

    彼らを誘拐したマオイストたちの要求は、投獄されているマオイスト幹部や活動家たちの釈放。これに関して、先日マオイストによるオリッサ州議会議員ヒカーカー氏の誘拐事件も発生しており、治安対策と外交上の配慮等の板挟みもあり、今なお交渉は難航している。駐インドのイタリア外交官も現在オリッサ州に滞在中で、マオイストとの交渉と情報収集に当たっている。

    これまで、インドのマオイストたちは活動地域で政府関係者の誘拐、治安当局関係者たちや交通網への攻撃、市民の殺害その他を繰り返してきているが、外国人がターゲットとなったのは初めてのケースだ。しかしイタリア人と地元州議会議員1名ずつを人質とすることにより、現在までのところオリッサ政府がマオイスト関係者31名の釈放の提示を引き出しつつも、まだ合意に至っていないところからみて、より高い影響力を行使する手段として、外国人を誘拐する事件が起きる可能性は決して低くない。

    同様に、オリッサ州以外でもマオイストの活動が盛んなアーンドラ・プラデーシュ、ジャールカンド、チャッティースガル、西ベンガル、ビハール、マハーラーシュトラといった各州においても、こうした挙に出ないとも限らない。

    マオイスト側は、州政府当局との交渉期限を4月10日までとしており、要求が満たされない場合は「extreme steps」を取ると表明している。先述のとおり、外国人がターゲットとなったのは初めてのケースだが、マオイストがこれまで同種の目的のために誘拐した相手を殺害したケースは多々あったことから、パオロ氏、ヒカーカー氏ともに今後の安否が大いに懸念されるところだ。

    関連ニュース

    Maoist rebels in Orissa take Italian duo hostages (India Today)

    Italian hostage Claudio Colangelo released in India (BBC NEWS INDIA)

    Naxals rule out immediate release of Italian national (Business Standard)

    Orissa agrees to free 31 persons (DECCAN Chronicle)

    【動画】India rebels warn of ‘extreme steps’ over Italian captive‎ (Asia One)

  • チェラプンジー2

    チェラプンジー2

    翌朝は朝6時に起床。雨と深い霧に包まれていた前日とは打って変わっての好天であった。雨上がりのため空気も澄んでいる。これが昨日であれば良かったのにと思ったが、多雨のチェラプンジーらしい体験が出来たと前向きに取るようにしよう。

    この宿で食事の注文と配膳、停電の際の蝋燭等々、宿泊客の世話をするチェートリーという老人はネパール系の男性。実直そうな感じの人だ。ネパールから来たわけではなく、ダージリンから来ているという。彼と宿の主人との会話はヒンディーだ。ナガランドでもそうであったが、こうした使用人等との言葉の関係もあるので、地元の人たちにとってヒンディーを理解することが必要となる面もあるようだ。仕事のため北東州に来ている他地域の人々で、土地の言葉をしっかり身に付ける者はあまりいないため、両者を結ぶ共通語としてのヒンディーの果たす役割は高いらしい。

    朝食を終えて、昨日予約しておいたタクシーでシローンに出発。チェラプンジーの村を通る斜面で、ひとつコーナーを曲がったらそこから先はまるで別世界のようであった。まるで昨日のように霧が深い。霧が出ているときは、場所によって視界の深さがまったく違い、霧に濃淡があるものだが、それにしてもこれほど極端なことも山の中ではしばしばある。

    霧が深いエリアを抜けると急に視界が広ける。眼下に果てしなく続く雲海の景色を楽しみながらクルマはひた走る。しばらくの間、狭い車内で運転手と二人きりになるため、相手の人柄でその行程の印象がかなり変わったりもする。見た目が地元の人ではないため、何気なく「あなたどこの人?」と尋ねたら、親の代にベンガルから移民してきた家族史を滔々と話す生真面目な感じの青年であった。彼の話を聞いているうち、あっという間にシローンに到着していた。

    シローンでは、ちょうど乗り合いのスモウ(大型四駆)が出発するところであった。車内で、叔父に連れられた4歳前後の女の子が、祖父と祖母の家があるシローンに戻りたいとワンワン泣いている。叔父は「グワーハーティーに行くのはやめて、シローンに帰ろう」となだめつつ、「おーい、運転手さん!シローンに戻ってくれ。」などと声をかけている。

    40歳前後の運転手は「よし、わかった。シローンに戻るぞ。」などと調子を合わせてやっている。運転は乱暴で、人相はあまり良くないし、声もダミ声だが人は悪くないようだ。

    だが女の子はそれでもきかないので、困った叔父はシローンに戻ることにしたようだ。シローン郊外にある人造湖のほとりで二人は降りていった。子供がグズると大変なのはどこの国も同じだ。ウチの下の子もちょうど同じ年頃なので、なんだか身につまされる思いがする。

    スモウの運転手、人は悪くないようだが、かなりクセのある人間であるようだ。前方を走るクルマがあると無理に加速して乱暴な追い越しを繰り返し、かなり危ない気がするのだが、それでも前方に走るクルマがなくなると急に安全運転になり、スピードもやけに緩慢になる。

    シローンとグワーハーティーの間にはバスも走っているものの、本数がとても少ないようで、多くはシェアタクシーかシェアスモウということになるようだ。バスに比べてかなり割高なので、庶民の中でとりわけ頻繁にこのルートを行き来しなくてはならない人の場合、かなり大きな負担になるかもしれない。

    ところでグワーハーティーは、土地の人の言い方では「ゴーハーティー」と聞こえる。ローマ字の綴りでもGuwahatiではなくGauhatiやGawhatiといったものも目にする。

    中間点でチャーイと食事のための休憩。並びにいくつもある小さな店でアチャールを売っているが、北東インドならではのものを見つけた。竹の子のアチャールである。このあたりでは工芸品、家屋の建築その他で竹をよく使うが、食事でも竹の子をよく利用するため、こうしたものがある。

    店先に果物等とともに並ぶアチャールのビン
    食べていないが味は良さそう。

    途中、工事その他の理由で渋滞しているところがいくつかあったため、グワーハーティーまで4時間くらいかかった。グワーハーティーの鉄道駅南側にあるスモウス兼タクシースタンドに到着した。

    <完>

  • チェラプンジー1

    チェラプンジー1

    メガーラヤ州の州都シローンを朝6時に出てチェラプンジーに向かう。2007年にシローンに来たときに、州政府観光局が催行するバスツアーでチェラプンジーを含む同州の観光地を巡ったことがあるが、1時間半程度立ち寄ったチェラプンジーの景色がとても良かったので、今度は一泊してみることにした。

    チェラプンジーは、世界で最も多雨な場所として長らく知られてきたが、気候の変化のためか測定方法が変わったのか、近年は同じメガーラヤ州内の西寄りにあるマウスィンラムにその座を譲っている。どちらにしても、地形的にモンスーン期にベンガル湾から流れてくる大気がベンガルの平原部北側を弓型に囲む高地の最深部となるため、季節風に乗ってやってくる湿った空気がこのあたりに集まり、一気に多量の雨を降らせることは容易に理解できる。メガーラヤ州そのものも世界的に最も多雨なエリアのひとつということにもなる。

    風景を楽しみに行くつもりであったが、州都シローンは前日の夜半から雨が降っており、当分止みそうな気配さえない。モンスーン期の激しい雨を体感してみるのならともかく、乾季の最中の季節外れの雨で霞んだ景色を眺めることになるのは気が進まないが、延期するだけの時間がないので仕方ない。そのままチェラプンジーに出発することにした。

    1時間半ほどでチェラプンジーに到着した。本日の宿泊先はConiferous Resortだ。クリスチャンのカースィー族の男性が家族とともに経営している。チェラプンジーの村の中か村の端あたりかと思ったが、案外遠かった。チェラプンジーへの訪問客はシローンから日帰りするケースが多いため宿泊施設は少ない。自家用車で訪れて宿泊する場合は村の外の風光明媚なスポットが好まれることから、自前の足を持たないとちょっと辛いものがある。急な坂道が多いためオートリクシャーはなく、村から外れると人口もまばらで公共交通機関もほとんどない。

    チェラプンジーの町のマーケットにて。労働人口のおよそ半分はキッチリ女性たちが占めているように見える。

    そのため、村に居住している人たちが出向く用事もない展望台、洞窟、滝等の観光スポットを訪れるにはタクシーを頼むしかない。この日利用したクルマはTATAのNANOである。最近はずいぶんあちこちで見かけるが、これまで実際に乗りこんだことはなかった。

    ボディは従来の小型車よりもずっと小さいが、外観から想像できないくらい車内スペースを広く感じる。スズキのマールティ800と全く同等という印象だ。エンジンスペースを節約するためだろう、バッテリーは運転席の下に収められており、小型化のため相当な努力がなされていることがわかる。この日、山道で路面の悪いところも走ったのだが、ボディが変にしなることはなく、ボディ剛性もそれなりに高いように思われる。乗り心地はまったく普通の小型車である。エンジン音も静かで良かった。

    NANOのタクシー

    このクルマの需要については、2008年にデリーで開催されたAuto Expoで発表された際、1,00,000 Rsの格安国民車 “NANO”と題して取り上げてみたが、そこに書いた以外にも、自家家用車としてだけではなく、タクシーとしての利用への潜在的な需要は相当高いであろうと予想していた。まず考えられるのは、これまでタクシーが普及してこなかった所得の低い地域や都市圏外での需要、そしてオートリクシャーの走行が困難な山地での需要である。そうした意味では、シローンやチェラプンジーはNANOのタクシーとしての普及にはもってこいのエリアであるといえる。

    本題に戻る。私がこの日訪れた場所は以下のとおり。

    Eco Park

    Maulsmai Cave

    Nohsugithieng Falls

    Thangkuarang Park

    Khow Kanihah

    Dawthlen

    Rama Krishna Mission

    Nohkalihai Falls

    土地の言葉であるカースィー語の地名なので、どれも馴染みがないため、どう読むのか良くわからない地名が多い。この中のいくつかは、シローンからのバスツアー参加したときに訪れているが、クルマをチャーターしているため、ゆっくりと見物することができた。

    だがやはり問題は天気であった。雨のため、景色の良い展望台に行っても霧でよく見えなかったり、後には霧が濃くなりすぎてまったく見えなかったりした。道路交通も良くなかった。霧が少し薄くなることもあったのだが、ひどいときにはわずか10メートル先さえもまったく見えないところも多かった。突然向こうからタクシーや大型車両が出てきてびっくりするし、あまりに霧が濃い場所では道路自体がどう走っているのか輪郭さえも見当さえつかなかったりして恐ろしかった。チェラプンジーとその周辺地域は、下界から見るとすっかり雲の中に入ってしまっているため、雨天 = 濃霧となってしまう。

    眼下に広がる平原部はバーングラーデーシュ。だが天気が悪くてよく見えなかった。
    鍾乳洞

    インド北東州は全面的に多雨の地域であり、観光面ではモンスーン期は概ねオフシーズンとなるのだが、世界最大級の多雨スポットとして有名なチェラプンジーだけは、『その雨を見に来る』人たちがかなり多いらしい。

    台地を流れてきた水は断崖絶壁へ
    雨季には数倍の水量になるのだとか。

    チェラプンジーは多雨な高地であるため、あちこちに滝がある。小さな複数の滝幾筋も流れていたり、大きな瀑布があったりもするのだが、どちらも断崖絶壁からはるか下へと水が落下している。平坦な台地で幅広い石畳状の川床を流れた水がそのまま断崖から下へと落下しているところもある。こういう極端な風景がチェラプンジーらしいところだ。雨季には、滝の水量が数倍になると言い、まさにそれを見たいがために不便や周囲の景観を楽しむことができないことを承知のうえで訪れるようだ。だが前述のとおり、雨のチェラプンジーの視界は最悪となるので、くれぐれも交通事故には気を付けていただきたい。

    深い霧で景色は楽しめず。

    <続く>

  • ハジョーとスアルクシー

    ハジョーとスアルクシー

    ポビットラ国立公園を後にして、ハジョーとスアルクシーに向かう。国立公園から見て、グワーハーティーを挟んだ反対側にこれらの地域があるため、一旦ゴミゴミした都会に戻ってから向かうことになる。

    市内を抜けて、ブラフマプトラ河にかかる大きな橋を渡り、グワーハーティー北部、つまりブラフマプトラ河の北側の市街地を通り、ハジョーに向かう。途中、片側二車線の見事な道路がある。高速道路並みにスピード上げたクルマがグングン流れていく。

    グワーハーティー出てから1時間くらいでハジョーに着く。ここにはヒンドゥーと仏教徒の巡礼が崇める五つの古い寺がある。その中で最も代表的なものはハイグリヴ・マーダヴ 寺だ。本堂への階段の下方にあるタラーブとその向こうの緑豊かな景色が美しい。扉を閉め切ったお堂からは、ドンドンドンと鳴り物の音が響いてくる。建物の造りとしては、さほど魅力を感じないが、本尊は6,000年もの歴史がある(?)ということになっているらしい。

    小高い丘の上にあるハイグリヴ・マーダヴ 寺から周囲を見渡す。
    建物自体はあまり興味を抱かせるものではなかった。
     
    スヤスヤと眠る仔犬3兄弟。ナガランドではなくて良かった・・・と思う。

    続いてスアルクシーに向かう。ここはムガーシルクと呼ばれる野蚕の織物生産で有名な町。どこに織物作業場があるのかと、通りかかった壮年男性に尋ねてみると「どこの家にもある」との返事。その男性、シャルマー氏は、自らの家の中に招き入れてくれた。彼は8人の職人を雇い織物を作らせているとのこと。機織機には、木で作られた沢山の穴が開いたプレートが上のほうに付いている。これはデザインのパターンのプログラムだ。こうした機織りの作業場はどこも同じように見える。基本的には彼と同じように小規模な家内工業として生産しているのが普通のようだが、大きなところでは100人ほど使って生産しているところもあるとのことだ。

    シャルマー氏自宅敷地内の機織り機

    シャルマー氏の家の作業場では、すでに職人たちは仕事を終えて帰宅しており、作業そのものを見ることはできなかった。すでに午後遅い時間帯に入ろうとしているため、近所にも作業をしているところはないようだ。ここでは午後3時くらいには、その日の仕事は終わり、みんな家路に着くのだともいう。朝は何時から働いているのか知らないが、まだ日が高いうちに家族との時間が充分持てることについては、ちょっと羨ましい気がする。

    『定時は午後3時』のスアルクシーの町

    ちょうどこの日の新聞記事に出ていたが、アッサムのムガーシルクの生産を機械化する試験プロジェクトが開始されたとのことだ。今のところ、昔ながらの手作業の機織機でギッコンバッタンと作業しているのだが、これを機械化するとどういうことになるのか。生産性の向上、そこからくる収入の向上は図られることはずだが、これまで育まれてきた匠の技は失われてしまうだろう。また現在生産に関わっている職工たちが、そのまま機械化された職場に雇用してもらえるのかどうかも疑問だ。利するのは生産手段を持つ立場にあり、かつ機械化に伴う投資をするだけの財力を持つ者だけということになりそうだ。

    そうは言っても、生産技術は時代とともに進化しなくてはならないということも事実。現在、職工たちが日々行なっている作業にしても、ある時代までは物凄い先端技術であったはずだ。今も使用されている機織機が広まる前の時代には、もっと古いやり方で布を織っていたはずなのである。伝統の維持と近代化はしばしば相反するものがある。

    小さな町なのに、ムガーシルクを販売する店舗は、大きなものから小さなものまでいろいろあり、この産業によって町の経済が成り立っていることが感じられる。どれも小売りと卸を兼ねているようだ。

    この町の『定時』らしい午後3時を回っているため多くは店を閉じていた。せっかくムガーシルクの産地として有名な町に来たので、記念にハンカチでも買おうとわずかに開いているいくつかの店で探してみるが、どこにもなかった。どこもアッサムで消費するサーリーその他のための品揃えをしてあり、私のような外国人が欲しがるようなものはないということに好感を覚える。今後、機械化される方向にあるとしても、観光客におもねる変な商品を手がけることなく、今後とも質実剛健な商いを続けて欲しいと思う。

  • ポビットラ国立公園

    ポビットラ国立公園

    グワーハーティー市内からタクシーでポビットラ国立公園を訪れる。アッサム州の国立公園といえばサイが多く棲息しているカーズィランガー国立公園が有名だが、あまり時間がなかったので、州都郊外の国立公園を訪れることにした次第である。

    トタンでできた傾斜付きの屋根の家屋がどこまでも続く。左右に広がる農村風景が美しい街道沿いで、私たちのクルマの前をナンバープレート無しの車両が走っている。そういえば昨日もそういうクルマを見かけた。運転手は「ハハハ。このクルマだって最初の2か月はナンバー無しだったんです。だってなかなか発行されなかったんですもん。」と事も無げに言う。田舎州とはいえ、いい加減なものだ。

    グワーハーティーから1時間少々で国立公園に到着。管理事務所の人が出てきて、園内に乗り入れる専用ジープが500ルピー、車両乗り入れ料金が300ルピー、加えて入場料は20ルピー、カメラ持込料が50ルピー。総額で870ルピーになるという。クルマと乗り入れ料金はともかく、入場料等については今どきのインドの国立公園としては安いなぁと思った。係の男と一緒に事務所に入って手続きの最後でチケットを切る際に、「どこから来られましたか?」という問いに対して、日本からと答えてしまったのが失敗であった。

    「あ、外国人の場合は違う料金なんです」とこの係員。外国人は、車両乗入れ料金は同じだが、入場料は250ルピー、カメラ持込が500ルピーもするため、ジープ代も含めて1,550Rsにもなってしまう。だがチケットにはそう印刷してあるので、こればかりは仕方ない。カーズィランガー国立公園と同額になっているようだ。ここまで乗せてきてくれたタクシー運転手のチャンパクは、国立公園を見学したことがないというので、彼の分の入場料は免除してもらい同行させることにした。

    チャンパクはアッサム人とのことだが、見た目はもっと西のほうの人間に見えるし、見た目も物腰も中産階級みたいな雰囲気がある。黄色の営業ナンバーのクルマではなかったこともあり、国立公園の職員の人たちも、当初彼を運転手ではなく観光客だと思っていた。ジープには専門の運転手と銃を持ったレンジャー1名が同乗する。

    国立公園見物に出発!

    園内は思っていたよりも広かった。世界で最もサイの居住密度が高い国立公園とのことだ。2004年の調査によると、ここには84頭のサイが生息しているとのこと。サイが近くで見られるかと期待していたが、森の中で木のもっと向こうに大きなサイが一頭いた。もっと近づきたかったが、危険であるとのこと。

    木立の向こうに見えるサイのお尻

    サイたちがよく出没するという水場には鳥しかいなかった。深い草原をジープで走った4先にも小さな水場があるが、どこにもサイの姿はなかった。

    水場にサイの姿はなかった。

    最後に大平原と表現したくなる開けた場所に出ると、はるか彼方、一キロか2キロくらい先にゴマ粒程度に見えるサイらしき姿がある・・・といっても、私の眼にはよくわからない。ジープの運転手とレンジャーは相当な遠視のようだ。あそこに三頭、ここに一頭、あちらに二頭と彼らは言うが、こちらはコンパクトデジカメで撮影した画像を拡大して、ようやくそれらがサイであるらしいことを確認できる。そこここに体格の良い水牛の姿も多いのが紛らわしい。タクシー運転手のチャンパクも「肉眼だとあまりよくわからないですね。」と言う。

    はるか彼方に何頭かサイの姿が・・・。

    こういう場所では一眼レフと高倍率の望遠レンズが必要である。平原を過ぎて外に出る。高く盛り土をして造られた道路が国立公園と外の田畑が広がる地帯との境界になっており、この道路からも何頭かサイの姿が確認できた。やはりデジカメで撮影した画像を拡大しての話だが。

    言うまでもなく、国立公園での観察対象は野生動物であるため、至近距離で遭遇できるかどうかは運とタイミングによる。サイたちがよく出没するという水場がこの国立公園の最大のハイライトのようだ。そのチャンスを最大にするには、おそらく朝の早い時間帯に訪れてみるのが良いのではないかと思う。

    それでも人口80万人超を擁する北東インド随一の大都会グワーハーティー郊外に、こうした国立公園があるということ、同じく郊外にあるハジョーやスアルクシーといった見どころと合わせて一日で回ることができるということは魅力である。

  • ナガランド6 ディマープルへ

    ナガランド6 ディマープルへ

    午前6時半に宿を出て、コヒマのバススタンド前にあるディマープル行きシェアタクシースタンドから乗車。山間の道を下っていき、少しずつ高度が下がってくる。途中でパイナップル畑が沢山あった。

    新鮮なパイナップル

    沿道ではあちこちでそれらを販売する売り子たちの姿がある。私たちは停車してひとつ購入。ディマープルに着いてから、ホテルのレストランで朝食の際に切ってもらったが、とても甘く、かつ酸味も強い濃厚な味であった。

    ディマープル近郊に入ってくると、もはやナガランドという雰囲気ではなく、普通のインドの街みたいになってくる。州都は人口10万人弱のコヒマだが、州内最大の都市ディマープルは人口は17万人近い。午前8時頃、街の郊外にあるNiathu Resortに到着。 スイミングプールやテニスコートなどもあり、いくつものコテージからなる、いかにもといった感じのリゾートホテルだ。 私たちが利用したのは、バルコニーがある2階。部屋は広いしきれいで快適だ。まだ出来たばかりで新しいのもよい。

    Niathu Resort

    ただ難点は、街からずいぶん遠いことだ。所在地が「7th Mile」と書かれているだけあり、市街地からずいぶん離れている。乗り合いテンポやオートリクシャーで、ディマープル中心地にある鉄道駅から30分くらいかかる。

    ここを選んだのは、WiFiを利用できるからだ。一緒に旅行しているL君が抱えている仕事の大詰めを迎えており、是が非でもネット環境がなくてはならない。コールカーターで購入したvodofoneの3G接続は、平地に降りてきてもあまり良い状態ではなく、ほとんど使いものにならない。ナガランドではどうもダメなようだ。

    しばらく部屋でのんびり過ごしてから、昼前くらいになって観光に出発。宿の敷地前の国道から乗合テンポで、終点のディマープル駅前の道路の立体交差下、通称レールゲートと呼ばれるエリアまで行く。そこからオートにてハイスクール・コロニーのサーキット・ハウスまで行く。

    カチャリー王国の遺跡

    ここの正面がカチャリー王国の遺跡だが、あまり見るべきものが残っているとは言えない。複数のピラーが固まっている部分とタラーブがある。ピラーの周囲は柵で囲ってある。いろいろいたずら書きや勝手に掘りこんだ跡などがあることから、遺跡保護のためにそうしたのではないだろうか。この遺跡やカチャリー王国のことはよく知らないこともあるが、よほど想像力たくましくないと、あまり楽しめない遺跡であった。

    しばらく歩いた先にあるSaramati Hotelという州政府系のホテルがあるあたりは賑やかな商業地になっており、ナガ民族関係のグッズを売る店がいくつもある。ショールやマフラーであったり、ナガの槍を模した工芸品であったりする。ナガの刀の模造品もあった。その他の工芸品といえば、竹を利用したものが多い。

    竹細工

    しばらく歩くと駅前の道路の立体交差に出た。さきほどはここでテンポを降りて、オートに乗り換えたあたりの場所だ。立体交差も駅舎もごく新しく、駅のすぐ南にはバススタンドがある。このエリアは、相当数の商店や家屋を取り壊して建設したものと思われる。ディマープル市街地はほとんど『インドの街』である。ナガランドの他地域ではほとんどみかけないヒンドゥー寺院がいくつもあり、ムスリムの墓地もあった。入口のゲートには、1930年に出来たことが記されている。かなり前から他地域から流入してきた人たちが多く住み着いていたのだろう。その墓地の隣にはアッサムライフルズの連隊の駐屯地があり、周囲では兵士たちが物々しい警備をしている。装甲車に乗った重装備の兵士達もしじゅう出入りしている。

    今回、ナガランド観光のハイライトのひとつである北部のモンと呼ばれる地域は訪れなかったが、ごく最近まで自由に訪れることができない州であったため情報がとても少なく、また滞在中に他の外国人にもほとんど会わなかった。だがRAP免除措置がこのまま続けば、より多くの人たちが訪れて、様々な魅力を発見していくことだろう。治安面での不安がなければ、タイ北部のように山岳部に住む少数民族の村を訪れるトレッキングがブームになる可能性も秘めており、そのあたりが今後のナガランドにおける観光振興のカギになることは容易に予測できる。

    他の魅力あるエリアから距離があり、バーングラーデーシュを跨いだ反対側に位置するため交通の便の面からも、今後もそう大きな人気を呼ぶことはないように思われるのだが、人口が希薄で丘陵地の眺めも良いことから、のんびり過ごすにはもってこいだ。

    まだ知られていないところが多く自分で探る楽しみがあることからも、個人的にはナガランドはなかなかオススメである。

    <完>

  • ナガランド5 市場

    ナガランド5 市場

    食品市場
     干物だがどれも川魚である。
    ウナギの干物。どんな味がするのだろうか?
    ナガランドといえば、他の土地では通常食用とされない様々な物が食されていることが知られているが、やはり市場に行くといろんなものが売られていた。 

    本日の記事については、人によってはとてもグロテスクに感じたり、不愉快に感じたりするかもしれない画像が含まれることをあらかじめ申し上げたい。加えて、これらの写真の多くは、私自身の主観に照らして『珍しい』と判断したがゆえに取り上げているが、市場で売られている大多数の品々は、私たちが日常的に食べている食肉、野菜、果物類と大差ないことをお断りしておく。また、こうした『珍品』については、同じ『動物性蛋白源』であっても、大量生産が可能な鶏肉やマトンなどと比べて高価なこともあり、個々の家庭で日常的に消費されているという訳ではないと思われることも言い添えておく。

    野蚕の幼虫
    野蚕のサナギ

    さて、ナガランドの市場において最も特徴的なのは、いろんな種類のイモ虫やサナギが売られていることだろう。多くは野蚕の種類である。私はそれらを見て大いに引いてしまったのだが、韓国人のL君は「何だ、ポンデギじゃないか。」と事もなげに言う。そういえば韓国の街角では屋台料理のサナギをよく見かける。昆虫類では、他にはイナゴ、ヤゴなどが売られており、虫以外ではタニシやカエルを商う売り子が多い。

    イナゴ
    ヤゴ
    タニシ
    蜂の子
    ハニーコーム。これは飛びきり美味しそうだった。

    やけに赤身の色が濃い肉が売られており、尋ねてみると犬肉であるとのことであった。ボウルに入った臓物も販売されていた。その脇では、噛み付かないように口をヒモで結ばれた犬たちが、首から下を麻袋に包まれた状態で置かれている。すっかり観念した様子でゴロリとなっているが、ときどき頭を起こして周囲を見渡したりしている。こちらと視線が合うと、慌てて目をそらして反対側を向いて寝そべる。頭の良い動物なので、おそらく自分の運命がだいたい判っているのではないだろうか。気の毒に思うが、地元の食文化なので仕方ない。ナガランドで野良犬が少ない理由はこれだろう。しかも他の食肉よりも値の張る『高級食材』でもある。

    食品として売られる犬たち。
    カゴに入れられたネズミたち

    だが、『食肉』の元となる動物たちについて思えば、きれいにパックされて、あたかも工業製品であるかのように、無機的な感じで販売されているのが良いとは一概に言えないだろう。そうした環境下では、『生けるもの貴重な命をいただいている』という謙虚な気持ちが生じることはない。例えば、マーケットで『シメたて』の鶏の肉を手渡されて、ビニール袋越しにさきほどまで生きていた鶏の体温を感じつつ家路につくのと、冷蔵あるいは冷凍で『規格製品』然としたパッケージをレジ袋に放り込んで帰宅するのとでは、相当な違いがある。

    昆虫類など、あまり好奇心に満ちた表情で見て回るのは失礼かと思い、幾人かに「あなたの国でも食べるのか?」と質問されたが、「そう、ウチの村ではよく食べているんだよ。」など適当に答えておく。市場では、こうした『食品類』を販売する地元の売り子たちと肩を並べて、平地から来たインド人たちも商っているが、慣れないうちはずいぶカルチャーショックを受けていたに違いない。

    食品ではないがヒョウタンも売られていた。日本のそれと同じ。

    インドの露店商たちは、隣合わせているナガ族の同業者たちと親しげに会話しているが、ナガの言葉を理解するインド人はほとんどないようで、ヒンディーが使われている。文化的にも民族的にも『インド』とは大きく異なり、長らく民族独立闘争が続いてきたナガランドではあるものの、意外なまでにヒンディーの通用度は高い。もちろん在住のインド人がナガの言葉を多少は覚えたりもすることもあろうが、ナガ族の間でのヒンディーの普及度のほうが、はるかに高いはずである。

    <続く>