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カテゴリー: society

  • Galaxy Tabその後

    Galaxy Tabその後

    Galaxy Tab

    先日、コールカーターでGalaxy Tab GT-P1000を購入したことについて書いてみたが、その使用感について触れてみたい。

    タブレットPCとしての機能・動作については、同じアンドロイドOSを搭載している他機種との違いといえば、せいぜいハード面でのスペックの差による動作感の違いくらいしかないだろう。また日本国内で購入したものと異なる点として、定評のある電子ブックリーダーのi文庫など、いくつかのアプリケーションがインストールできないといった点はあるものの、基本的には同じである。

    これを購入した理由として、タブレットPCとしての機能に加えて、SIMフリーの携帯電話機として利用できることと、3G回線が利用できることにより常時ネットが利用可能であることあった。これらの役割を兼ねて、画面が電子書籍を読みやすく、携帯しても邪魔にならない7インチ程度となると、韓国のGalaxy Tab以外にはインドのReliance社の3G Tabくらいしか思い当たらないため、選択の幅はかなり狭かったのだが、結局前者を選択して充分満足している。

    3Gで使用できるマップ機能はとてもありがたい。ガイドブック等に地図のない街を訪れた場合、歩いたり自転車を借りたりして回れるような小さなところならば構わないのだが、郊外に出かけたりする際に位置関係がわかるとそれはそれで楽しいし、人口百数十万から数百万規模の大きな街だったりすると、かなり助かる。

    これらに加えて、現時点のインドの通信環境において、こうしたスマートフォン/タブレットPCにて、3G通信をガンガン使ってしまうと費用がかなり割高になってしまうのが難ではあるが、テザリング機能とアクセス­ポイント機能があることも好ましく思える。

    テザリング設定画面
    Galaxy Tabをアクセスポイントとして、他のデジタルデバイスをWi-Fi接続することもできる。

    元々、アンドロイドOSには、こうした機能が標準装備されているのだが、スマートフォンでのデータ通信が定額で提供されるのが普通であり、これらの急速な拡大で回線がパンク寸前にある日本では、キャリアを通じて販売されているモデルの場合、これらの機能が利用できない仕様になっている。

    日本で、最近はテザリング機能を売りにするスマートフォンが出てきているが、それらはキャリアの3G回線ではなく、抱き合わせで契約させているWIMAX回線でテザリングするようにしてある。

    これが電源アダプタ。かなり大型である。

    充電方法に少々難がある。かなり大きくてかさばる専用の電源アダプタ以外からは充電できない(正確に言うと、できるのだが4倍くらい時間がかかる)ことだ。USBケーブルでPCやUSBコンセントに接続して充電しようとすると、宵の口から朝までかけてようやく満タンという具合になってしまう。

    もっともこれに対して、日本ではGalaxy Tab 充電USBアダプタというものが販売されている。これをUSBケーブルの先端に付けると、ちゃんと通常の時間で充電される。同様のものがインドでも販売されているかどうかは確認していないが、専用のアダプタがあまりに大きいので、これはぜひ手に入れたい。

    Galaxy Tab 充電USBアダプタ

    こうしたデジタル製品の世界で諸事情の変化は急速だ。私が購入した直後にリリースされた後継機Galaxy Tab 7.0 Plusは、発売当初から先代機の販売期間末期と同程度の価格設定となっているのが少々悔しい。すぐに出てくる新型機はかなり高価であろうと踏んだため、すでに生産終了になった型落ち機種を購入したのだが。タブレットPCの価格競争が激しさを如実に反映しているのだろう。

    インドでこれよりもはるかに低価格にて、同様の環境(タブレットPC+通話機能及び3G通信)を手に入れることも可能だ。そのひとつが以前書いたReliance社から出ているReliance 3G Tabであり、もうひとつがSpice GlobalのSpice Tab Mi-720だ。これらインド製のものは、安いなりに造りがチャチではあるものの、『どうせデジタル製品なので末永く使うわけではない。もっといいモノが出ればそのときに買い替えるのだから。』と割り切ってしまえば、これらを選択するのも悪くないかもしれない。

    当然のことながらどちらも初期状態では日本語環境はないが、SamsungのGalaxy Tab同様にAndroid Marketから日本語のIMEをダウンロードして組み込めば、普通に日本語での入力等できるようになるはずだ。だがGSM通信環境下、つまりCDMAの通信環境での利用も視野に入れている場合、SamsungのGalaxy Tabならば問題ないのだが、RelianceとSpice Globalの場合は対応していない可能性が高いので、購入される際には店頭等でご確認願いたい。

    ※『インパールへ5」は後日掲載します。

  • マニプルへ4 Japan War Memorial

    マニプルへ4 Japan War Memorial

    モイランの町の食堂で簡単な昼食を終えて外に出るとクルマがいない。運転手の携帯にかけてみると、『警官に移動を命じられまして・・・』などとブツブツ言いながら、店の前に戻ってくる。どうせ小一時間くらいはヒマになるとみて、テキトーにフラついていたのだろう。

    ともあれ、携帯電話の普及は、こうした運転手たちにとって、得意先(ホテル、旅行代理店その他手配師等)から話がダイレクトに飛び込んでくる効果があったり、私たちのような一見の客が「それじゃあ明日もよろしく」と依頼したりすることもありえるなど、より多くの仕事の機会を得ることを可能にしたといえる。同時に、運転手としての仕事の中での空き時間の自由度が増したという副次的な効果も生んだということにもなるだろう。

    Japan War Memorialの記念碑

    国道150号線でインパールに戻る途中にあるJapan War Memorialを見学。この場所にあるのは、気まぐれでも地価が安い(市街地から遠く離れている)からでもなく、まさにこの場所が戦跡であるからだ。War Memorialのすぐ裏手に通称「レッド・ヒル」と呼ばれる丘があるが、往時の日本軍はここに一時的な拠点を構え、道路と反対側のより小さな丘には英軍が集結していた。この狭いエリアで両軍入り乱れる熾烈な戦闘が展開された。両軍の大勢の兵士たちが血を流したことから、レッド・ヒルと呼ばれるようになったのだという。

    「レッド・ヒル」と呼ばれる背後の丘

    比較的新しい現代的なモニュメントは平成6年に造られたものだ。日本の建築会社が施工したことを示すプレート等がはめ込まれている。清掃は行き届いているものの、おそらく建造されてからきちんとしたメンテナンスはなされていないのだろう。かなり荒れている印象だ。

    「レッド・ヒル」から見て道路を挟んだ向こうにある丘に英軍が陣取ったのだとか。

    その背後には、モニュメント建造以前からの慰霊塔があり、日本軍の残した砲身も残されていた。砲身に刻まれている文字は錆で消えかかっているが、それでも何とか「大阪・・・昭和16年・・・」と、部分的に読み取ることはできる。

    慰霊塔
    旧日本軍が使用していた重機
    「大阪・・・昭和16年・・・」とかすかに読める。

    ここの管理人は話好きな人で、いろいろ話してくれた。もちろんこの人は戦時を知る世代ではなく、人々から伝え聞いた二次情報、三次情報なのだが、当時の戦闘の事柄はもちろんのこと、ここを訪れる日本の戦友会の人々のこと等について、いろんな予備知識を披露してくれた。

    後世の私たちから見れば、無益な戦争のため、不幸にして往々にして若い年齢で亡くなった兵士たちに善悪の区別はない。出身国の異なる同年代の人々が、戦場という場所でたまたま敵味方に分かれて対峙したばかりに、上官の命令に従って殺戮を繰り広げるという理不尽さ、戦争という国家による愚かな過ちが今後繰り返されることがないように願うばかりである。

    だが過ちであったということ自体が風化してきて、日本が過去にかかわった戦争やそれにまつわる犯罪行為を美化するかのような風潮が高まりつつあることについて、懸念を抱かずにはいられない。

    日本で、原爆記念日、終戦記念日といった時期にさしかかると、テレビでは戦争にかかわる記念番組が放送されるのは毎年のことだが、今や戦争体験を自らのものとして一人称で語ることのできる人がとても少なくなった。こうした世代が社会の第一線から退いて長い時間が経過していること、その体験を伝える声が世の中の人々に届かなくなって久しいことも大きな要因のひとつだろう。

    慰霊塔の碑文
    慰霊塔の碑文
    慰霊塔の碑文

    インパールのJapan War Memorialには、かつてインパール作戦に従軍した兵士たちの様々な思いが詰まっているに違いない。この地で無為な戦闘のために大切な命を失った両軍の関係者たちに黙とうを捧げたい。

    慰霊碑

    <続く>

  • ネパール映画上映「बाटोमुनिको फूल」邦題「道端の花」

    ネパール映画上映「बाटोमुनिको फूल」邦題「道端の花」

    बाटोमुनिको फूल 邦題:道端の花

    2月26日(日)に、埼玉県川越市の市民会館大ホールにて、ネパール映画が上映される。

    映画タイトル:बाटोमुनिको फूल (BATOMUNIKO PHOOL) 邦題「道端の花」(2010年公開)

    地理的にも文化的にもインドの強い影響を受けてきたネパールらしく、この作品もインドの娯楽映画的なカメラワーク、演出、サウンド等々を駆使したものであり、亜大陸の映画文化圏の広さと懐の深さを感じさせるものがある。

    内容は、幼馴染の男女ふたりをめぐるラブストーリーをベースにしているが、カースト差別による苦しみ、それを長年に渡り人々に強いてきた社会、変革を訴えてきた上位カーストの「活動家」の欺瞞等々を様々な角度から描いた社会派的な作品でもある。

    ネパールは、小さな山国ながらも多民族・多文化・多言語が共存し、豊かな多様性に満ちた小宇宙のような広がりと奥行を持つ国だ。そうしたリッチな文化環境を育んできたのは、この社会を構成する沢山のコミュニティであり、それぞれの伝統が引き継がれてきたがゆえのことだろう。だが同時にそうした個々のコミュニティの確固として存在するがゆえに、差別というネガティヴな面も生み、その違いを固定化することにもつながる。

    製作者は、ダリットをはじめとする低位カーストの人々に対する差別を、異なるカーストの男女の悲恋という形で映画に表現したが、これを持って言わんとしているものは、この国の社会に対するもっと大きな訴えであるように思える。

    低カースト救済を看板にした欺瞞、カーストをベースにして社会を分断してしまう政治、あるイデオロギーのもとに低カーストの支持を集めて、そのイデオロギーの根源たる外国に対して自国を売り払おうとしているかのように見える勢力、混迷を極めて出口の見えない政争の世界・・・。

    ダリット役の青年やその家族が、風貌も暮らしぶりも、とてもそれらしくは見えないとか、ストーリーの展開にやや唐突なものがあるとか、いろいろ感じることはあるかもしれない。これもまた、独自の事情や背景があってのことと受け入れて、じっくり鑑賞したい。

    美しい映像を楽しむのもよし、悲恋のストーリーに涙するのもよし、胸の中で製作者の意図や社会的背景を思うもよし。私たちそれぞれが、個々の感性でこの作品を鑑賞したい。ネパール映画で初めて、日本語字幕スーパー付きでの公開であるとのことだ。

    チケットについてのお問い合わせは、Asia Friendship Associationまで。

    ※『インパールへ4』は後日掲載します。

     

  • マニプルへ3    ロークターク湖

    マニプルへ3 ロークターク湖

    アレンジしておいたクルマで郊外に足を伸ばす。朝から夕方まで一緒に過ごすことになる運転手なので感じの良い人だといいなと思っていたら、まだ若いがきちんとした男性であった。

    インパールから南へ45kmのモイランという町に向かう。実は昨日のフライトで上空から眺めると湖に妙な輪がいくつもあることに気が付いていたのだが、それが何という場所なのかわからなかった。

    本日、訪れることにしていたロークターク湖について、L君がGoogleの衛星写真で検索してみると、面白い景色が見えるという。画面を覗いてみると、それがまさに昨日の飛行機から見えた湖らしい。沢山の浮島があり、それが観光名所にもなっているということは知っていたが、こんな風に円状のものが、それこそ無数にあるとは想像さえしなかった。中には家屋のようなものが建てられている浮島もある。

    ロークターク湖全景 湖水上にポツポツと何かが広がっている様子が見て取れる。
    無数の輪がそこここに見られる。
    拡大するとこんな具合。家屋のようなものもある。

    ロークターク湖沿いにはいくつか集落があるが、ちょうどINA戦争博物館があるとのことであったので、モイランを選んだ次第であるが、この日が月曜日であること(インドでは通常月曜日は博物館の休館日)をうっかり失念していた。博物館の前まで行きながらも、その中を見ることなく退散。INAとは、第二次大戦末期にインパール作戦にて、旧日本軍とともにこの地に部隊を進めてきたスバーシュ・チャンドラー・ボース率いたインド国民軍のことである。

    INA戦争博物館

    近くにある湖を見渡すことのできる展望台があるという島に向かう。モイランと島はコーズウェイで繋がっている。 クルマの窓の外ではなにやら大きな作業が進行中であった。植物類の塊のようなものを沢山水揚げして岸に投げ出してある。多数の船や重機を動員しての大仕事だ。一体何が行われているのか、このときはよくわからなかったのだが。

    島のかなりの部分を軍施設が占めているようであったが、運転手はチェックポストで了解を得てクルマを坂道に乗り入れる。道の左右には軍人たちの住居が建ち並んでいた。小高くなったエリアで湖を見渡してみてわかったのだが、さきほどGoogleの画像で見たほど多くの浮島があるわけではなく、ここに来るときに目にした大掛かりな作業は、そうした浮島を除去するものであることがわかった。

    期待していたとおりの眺めが広がる方角もあったが・・・
    浮島がすっかり撤去されて『普通の湖』になっている部分も大きかった。

    そもそも、この湖の浮島は漁撈と耕作目的であるのだが、湖の保全という観点からはいろいろ問題があるようだ。水質の関係はもとより、こうした人造物が増えていくことにより、水深が浅くなってしまったり、悪くすると湖そのものが湿地化してしまったりする可能性等が挙げられる。

    そんなわけで、現在ではこうした目的で浮島を造ることは、特に定められたエリアを除き禁止されているとのことだが、これが守られないため当局が強制撤去に出たということのようだ。確かに湖の保全ということも大切なのだが、浮島による漁業と農業というのもまた他にあまり類をみない貴重な生活文化であることも間違いないので、ちょっと残念な気もする。

    正直なところ観光資源に乏しいこの地域にあって、ロークターク湖を見物に来る人たちの目的は、湖水に無数に浮く世にも稀な円状のこの浮島を見ることである。貴重な観光資源としても、地域の典型的な湖上での生業の保存という観点からも、これらをどこかに保存しておくことは意味のあることであるはずだ。

    <続く>

  • マニプルへ2    軍の突出した存在感

    マニプルへ2 軍の突出した存在感

    物々しい警備は、市内でも同じであった。

    通称『Seven Sisters』と呼ばれるインド北東部七州(アッサム、アルナーチャル・プラデーシュ、トリプラー、ナガランド、マニプル、ミゾラム、メガーラヤ)では、民間人の生命と財産を守るという目的により、治安維持に関する軍による大幅な関与を認めるAFSPA (Armed Forces Special Powers Act) つまり軍事特別法が適用されている。

    これにより、本来ならば警察が責任を負うべき分野において、令状無しで軍による捜索、逮捕、拘留尋問等が認められており、騒乱の被疑者と見られた市民への発砲や殺害も可能となっている。当然のことながら軍関係者による恣意的な拘束、拷問、レイプといった犯罪行為が正当化されてしまう下地があり、そうした形での統治の正統性が問われるとともに、人権上の観点からも大きな問題である。

    そうした背景がある北東州では、アッサム州にしてもトリプラー州にしても、市街地や沿道で警備している軍人の姿は珍しくないのだが、マニプル州都での彼らのプレゼンスはやたらと大きなものに感じられる。人口密度が薄いインパールの街で軍車両に乗って警備している兵士たちの数が多い。兵士の多くは黒いマスクを装着して顔がよくわからないようにしていることからも、まるで戦地にいるかのような重装備の者がやたらと多いことからも、この地域の治安状況がうかがえるような気がする。

    インドの他地域にも、パンジャーブ州やヒマーチャル州のように、国境地帯であったり規模の大きな軍駐屯地があったりするエリアはあるが、前述のAFSPAが適用されて、軍が市民に対してこうした権限を持っていることはない。そもそも市民の側にしてみても軍はパーキスターンなり、中国なりといった国境の向こうからの侵略に対する盾であるということを認識している。

    北東州の場合は、こうした軍人たちの銃口が向けられている先は、敵対する外国ではなく、地元に住む市民たち(の中に潜む武闘派の反政府勢力)であるということが大きく異なる。前述のパンジャーブ州においても、かつてカリスターン運動が盛り上がり、流血事件が続いていた時代には同様の措置が取られていたのだが。

    人々のおっとりとした様子、何か尋ねようと声をかけると、フレンドリーな笑顔で丁寧で親切な応対をしてくれる人が多いことなどから、そんな厳しい状況にあるとはにわかに信じ難いものがある。

    ホテルのベランダから眺めたインパール市内。広がりはあるが密度は薄い。

    とりあえずホテルに荷物を置いて繁華街に出る。通称イマー・マーケットという市場に出かける。通りを挟んで、生鮮食品、乾物、衣類、日用雑貨等々と、販売されている物ごとに売り場が区分された、三棟にわたる大規模な屋根付き商業施設だ。『イマー(母)』という言葉が示すとおり、売り手が女性だけだ。人懐こくて気のいい感じのおばちゃんたちが多い。かなり人出が多い割には、ザワついた感じがしなくて物静かなのは、このあたりの民族性なのだろうか。

    売り手はどこも女性ばかり。買い手も多くは女性であった。

    イマー・マーケットの建物。同じ造りのものが通りを挟んで三棟並んでいる。

    この大きな建物は、一昨年11月にオープンしたもので、まだとても新しい。市街中心にあり交通至便であることに加えて、充分なスペースを確保した快適な環境であることから、行商人たちがこういう場所に自分のエリアを確保するのは、なかなか大変なことらしい。オープン間もないころの地元英字新聞ウェブサイトに、その関連の記事が出ていた。

    Govt in a bind over Keithel seat allocation (The Sangai Express)

    このあたりはインド東端に位置するだけに、デリーあたりに較べると日没が1時間半あるいはそれ以上早い。陽が傾いてくると、売り子たちはそそくさと店じまいを始める。お客もサーッと潮が引くように家路についている。マーケットの前からサイクルリクシャーでホテルまで帰るが、さきほどまでそれなりに賑わっていた商業地も、多くの店が扉を閉めていて人通りも少なくなっている。無数の裸電球や蛍光灯が灯る中で、活発に売り買いが繰り広げられるような具合ではないようだ。

    ホテルのフロントの人が言うには「インパールには、いわゆるナイトライフというものはほとんどありません。」とのこと。「禁酒州ということになっているので、おおっぴらに飲む場所はありませんし、陽が沈んだらみんな帰宅するんですよ。」

    たしかに、この街では夕方日没とともにほとんどが閉まってしまうようだ。夕方7時過ぎともなればすっかり深夜の雰囲気だ。午後9時を過ぎると、宿泊している部屋が面している大通りを走るクルマさえほとんどない。いかにも軍監視下の街といった感じがする。

    ここの良き市民たちにとって、人気の少ない場所で、この地では治安維持に関して大きな権限を与えられている軍人たちにイチャモンつけられたら、このうえない恐怖を味わうことになるのだろう。生命の危険に直結する一大事だ。

    <続く>

  • レストラン兼美容室

    レストラン兼美容室

    幾世代もこの街で暮らしてきた華人たちの姿が珍しくはないコールカーター。多くは個人事業主であり、レストラン、靴屋、ドライクリーニング屋、美容室と理髪店、皮なめし工場、醤油その他中華系食材製造業等の業種が多い。

    おそらく、レストランを経営しつつ、家族が美容室も営んでいるといった例はけっこうあるだろう。だがひとつの店舗(?)で、異なる業種を同時展開されるというのはあまりないように思う。向かって左側がレストラン兼バーである。

    Jimmy's restaurant & Grace Beauty Parlour

    ぎっしりと建て込んだ場所にあるため、果たしてレストランと美容室が本当に同居しているのかと不思議に思う方もあるのではないかと思う。ひょっとして、向かって右側の美容室で働いていることになっているキレイな女性が淫靡なサービスをする風俗店ではなかろうか?といった具合に。

    だが、実のところはれっきとしたレストランで、味やサービスもけっこう評判がいい。同居している美容室もちゃんとしたもののようだ。

    中印紛争前、この街に華人たちがまだ大勢住んでいて、先日取り上げた中華朝市が毎日開かれているエリアが丸ごとチャイナタウンであった時代のことなど想像もできないが、インドの他の街にはない華人たちの個性と活気に満ちた街角がそこにあったことだろう。

  • A Jaywalker’s Guide to Calcutta

    A Jaywalker’s Guide to Calcutta

    A Jaywalker's Guide to Calcutta

    地元等の出版社からコールカーター市内のガイドブックはいろいろ出ているが、2年ほど前にその中でも特に秀逸なものを見つけた。著者は生まれも育ちもコールカーターのジャーナリストだが、版元はムンバイーの会社である。

    書名:A Jaywalker’s Guide to Calcutta

    著者:Soumitra Das

    出版社:Eminence Designs Pvt. Ltd.

    建物とストリートに視点を据えて、個々の建築物や往来にまつわる人々の歴史に焦点を当てている。それらの中にはメトロポリタン・ビルディング、エスプラネード・マンション、ダルハウジー・スクエアといったメジャーなものも含まれているものの、数々の通りの由来、現在の姿からは想像もつかない過去、アングロ・インディアン地区と往時の彼らの屋敷、元欧州人クラブ、元不在地主やかつての富豪たちの忘却の彼方に押しやられた荒れ放題の豪邸、この街を舞台にしたマールワーリー商人たちの繁栄の面影、地元ベンガル人不在のオリッサ人労働者たちの居住地域その他、実に様々なものが沢山取り上げられている。

    著者は、この本を手にした者を、旅行者たちにとって『月並みでないコールカーター』へと誘う。その内容たるや、とても数日で見て回ることのできるようなものではない。ここで取り上げられている建物や場所を訪れても、それを楽しんだり味わったりするためには、もちろんそれなりの予備知識が必要となってくる。

    この本を通じて、コールカーターという街のとてつもない奥行きの深さを思わずにはいられず、このガイドブックの誌面の向こうには、様々なワクワク、ドキドキする新たな発見に満ちた街歩きが待ち構えているであろうことを感じる。

    市内各所、路地裏まで精通した地元の知識層が書いた都市ガイドブックは、通常の観光案内とは、視点も取り上げる背景の厚みもまったく異なる。こうした内容である割には、カラーの写真や図版も多くて非常にわかりやすいのは、こうしたスタイルで、他の都市の紹介本も今後出てくるとうれしい。

  • サダル・ストリートの新しいホテル

    サダル・ストリートの新しいホテル

    昔から何も変わらないように見えるコールカーターの安宿街サダル・ストリートだが、近年はちょっと小綺麗な宿もポツポツと出てきている。だが残念なのは、新築時の心地よささが持続しないことだ。もちろんそれがゆえに安宿ということになるのだろう。

    安宿街といっても、フェアローン・ホテルのようなユニークなヘリテージ・ホテル、あるいはリットン・ホテルの如き昔ながらの中級ホテルがあったりするのだが、そうした『ちゃんとしたホテル』が新規参入することはなかった。少なくとも一昨年、ムンバイーを本拠地とするBAWAグループによるBAWA WALSONが進出してくるまでは。

    パークストリートのすぐ北側という好立地で、移動のチケットの手配その他の用事のため何かと便利で悪くないのだが、やはり安宿街の代名詞『サダル・ストリート』という名前が好ましくなかったのだろう。

    それでも近年は、隣国バーングラーデーシュからやってくる人たちが大勢いることに加えて、インドの北東州からの訪問客の姿も目立つようになってきて、さらには1人あるいは友人と少人数でフラリとこの街を訪れるインドの他の地域の若年層の人々の利用も増えているなど、この通りに宿泊する人々の中で西欧人を中心とした先進国からの旅行者が占める割合はかなり低下しているようだ。

    バーングラーデーシュからの旅行者、インド各地からの訪問客はどちらも経済力はピンキリのようだが、かなりゆとりのありそうな人でも、あまり場所には頓着しないのは、やはり自分たちの『地元』ではないからだろう。

    BAWA WALSONは、それなりに繁盛しているようだ。同ホテルは『通常料金』として6,000Rsだの7,000Rsだのといった金額を掲げているものの、時期にもよるが電話あるいはネットで問い合わせると、実際は2,200~2,800Rs程度で宿泊させている。他の大都市に較べて、コールカーターのホテル代はかなり低目であるということもあるが、このクラスのホテルがこうした料金で利用できるのはかなりバーゲンであるといえる。 このあたりの話については、昨年の今ごろ書いたサダル・ストリート変遷をご参照願いたい。

    新規参入したBAWA WALSONの正面には、昨年10月に開業したGolden Apple Boutique Hotelがある。BAWA WALSONよりも少し安い1,995Rsという金額で、室内もなかなかスタイリッシュでカッコいいホテルだ。

    なかなかいい感じのベッド
    ソファのあたりが気に入った。どっかり座ってくつろぐのも良し、日記などしたためてみるにも良し。向かって右側はバスルーム。
    廊下は狭いものの、なかなかキレイに仕上げてある。

    しかし、どこかからコピーしてきたようなトレードマークといい、パチンコ屋の入口みたいなエントランスといい、開業してから日が浅いにもかかわらず、いかにも仕事をするのが、嫌で嫌でたまりませんといった風情の従業員たちといい、どうも品がないなあと思いきや、ホテルのカードをもらうと、6年ほど前に鮮度が命!1 エコノミーなホテルは新しいほうがいいと題して取り上げてみたAshreen Guest Houseの系列であった。

    どこかで目にしたようなリンゴのトレードマーク。エントランスはパチンコ屋風である。

    名前は忘れたが、ムスリムのオーナーがAshreen Guest Houseを筆頭に、Hotel Aafreen、Afridi International Guest Houseという計3つの安宿を運営している。エコノミーな割にはキレイにしているとのことで、安旅行者の間で評判はまずまずらしい。

    今回は、やや上のクラスを狙って奮発してみたようだが、器は悪くないものの、ちょっと背伸びしすぎている気がする。数年すると順調にボロ宿化してきて、オープン当時に利用した人が再訪するとガッカリすることと予想している。

    サービスのつもりかもしれないが、宿泊しているフロアーでは天井に付いているスピーカーから大音響で音楽が流れていてうるさい。部屋にタオルを持ってきてくれるようにと、内線で繰り返し頼んでも永遠に運ばれてこない。安宿から格上げしたところなので仕方ないようだ。デスクの上にあるルームサービスのメニューを手にすると、Blue Sky Cafeと書かれていた。外国人バックパッカーがよく出入りしている安食堂から部屋まで宅配というシステムであるところもそれらしい。

    ともあれ、安宿街のサダル・ストリートにも、アップグレード化という新たな傾向が出現していることは冒頭で述べたとおりである。

  • Namaste Bollywood #31

    Namaste Bollywood #31

    Namaste Bollywood #31

    今年最初の号となるNamaste Bollywood#31は、日本がインド、パーキスターン、スリランカの三国と国交を樹立して60周年ということにちなんで、巻頭特集は『日梵六十年の軌跡』だ。

    戦後の日本での最初の公開となった1950年代の『AAN』から始まり、60年代、70年代、80年代・・・と、ボリウッド映画で日本にちなんだ作品、日本で公開されて評判となった作品等が取り上げられている。

    ボリウッド作品ではなく、隣国ネパールの映画が字幕付きにて、東京都内で公開されるとのありがたい情報も。ただし、これは1月28日の16時と19時からのみという極めて限定的な上映。記事のネタバレになってしまうが、時間が迫っていること、日本においては非常にレアな機会でもあることからこの場でぜひご紹介させていただきたい。下記リンク先には、上映スケジュールとともに予約方法も記されている。

    ネパールの映画「道端の花」(アップリンク・ファクトリー)

    イベント関係では、福岡アジア美術館にて開催されている(会期:1月21日~3月11日)『魅せらせて、インド。―日本のアーティスト/コレクターの眼』という企画展のことも取り上げられている。個人的には、この記事の中にグレゴリ青山氏のマンガが挿入されていたのが嬉しかった。昨年末の号で休刊となった雑誌『旅行人』に書いていらしたころからのファンなのである。

    さて、2012年にはどんなボリウッド映画が上陸してくるのか、どの作品が高い評価を得るのだろうか。日本全国各地で『Don 2』のようなヒット作が劇場公開されて、それなりの評判と興行成績を収めることができるような環境になってくれるとありがたいのだが。

    まさにそのためにも、日本国内で日本語とグラビアを用いて、ボリウッド映画の魅力と最新のトピック等を伝えるNamaste Bollywood誌が担う伝道師としての役割は大きい。

    同じく今年1月に、Namaste Bollywood誌と同じくスタジオ・サードアイによる「これからの生き方と未来を探る支援型新雑誌」J-one 2が発行されている。こちらについては、後日ご紹介することにする。

     

  • コールカーターの老舗洋菓子店

    コールカーターの老舗洋菓子店

    NAHOUM & SONS

    創業1902年から数えて今年で110年目となるナフーム(Nahoum & Sons) は、1911年にデリーに遷都されるまで、英国によるインド統治の中心地であったコールカーターでも、現存する最古の洋菓子屋であるとされる。

    店の名前が示すとおりユダヤ系の商店で、経営者は三代目のディヴィッド・ナフーム氏。ずいぶん前には彼が店に出ているところを見かけた記憶があるのだが、今や90代という高齢のため、滅多に店に顔を出すことはないらしい。

    昨年の今ごろ、『コールカーターのダヴィデの星1234』で取り上げてみたとおり、今や見る影もないものの、コールカーターはユダヤ系コミュニティが繁栄した場所でもある。

    この街きっての老舗洋菓子屋といっても、決して敷居の高いものではなく、ここを訪れる旅行者誰もが一度は足を踏み入れる(そして煩い客引きにつきまとわれる)ニューマーケット内の雑然とした一角にある。

    Nahoum & Sons Private Limited

    F-20, New Market

    Kolkata – 700087

    店内の様子

    市内の他の場所からニューマーケットに移転してきたのは1916年だというから、このロケーションですでに96年が経過していることになる。室内の様子もショーウィンドウも時代がかっていて、なかなかいい感じだ。創業時から少し遡った19世紀のコールカーター在住欧州人向け商店の中はこんな感じであったのではないだろうか。

    朝は10時開店だが、店の一部は朝7時くらいから開けており、そこでは香ばしい匂いが立ち上る焼きたての食パンを販売している。ベーカリーとしてもかなり評判がいいらしい。

    メインの洋菓子類については、ケーキ、ドライケーキ、ペストリー、クッキー、メレンゲの類で、他の洋菓子屋に陳列されているものと大差ないのだが、いろいろ買い込んで試してみると、見た目は似ていても、味わいは標準的なレベルを大きく凌駕している。さすがは110年もの歳月を経た老舗だけのことはあり、どれも美味であった。

    時代がかった棚もいい感じ。

    果たしてナフームに陳列されている菓子類で、創業当時から同じレシピで作っているものがあるのかどうかは不明。冷蔵庫のなかった時代のことだが、今のナフームのショーウィンドウにも冷蔵装置は付いていないので、たぶん同じようなものを作っていたのではないかと思う。

    静かに目を閉じて食してみれば、あなたも20世紀初頭の味わいが体験できるに違いない。

    見た目は他店のものと同様でも、さすがは老舗の味わい。
  • 再び中華朝市へ2

    再び中華朝市へ2

    旧中華街にある観音寺

    この地域にある観音廟に行く。寺の世話人はネパール人にも見えるが中国系。おそらくインド人との混血らしきと思われる浅黒い肌の50代後半くらいの男性だ。早朝から参拝客はポツポツと出入りしている。

    旧中華街は元々ムスリム地区と隣り合っていたのだが、インドにあっては華人とムスリムは共働関係にあるようだ。19世紀後半あたりから流入してきた華人たちが従事した主要な産業、皮なめし業、皮革加工に関する製靴業等の仕事、家畜の屠殺から畜産物加工、そして『Non-Veg』レストラン等々でしばしば同業者であったり、取引相手であったり。華人たちが経済力をつけてからは、ムスリム労働者たちに就労機会を与えてくれる雇用主でもあったことから、互いに持ちつ持たれつの関係が続いていたようだ。

    コールカーターのもうひとつのチャイナタウン、東郊外のテーングラー地区でも同様だ。華人経営の大小様々な皮なめし工場があるが、労働者たちはインド人のムスリムたち。中華レストランも大きなものから小さなものまでいろいろあるが、経営者家族以外の従業員たちはやはりムスリム。豚肉無しの中華料理で、中国本土での漢族系ムスリムたちの『清真料理』のイメージと重なるような感じがする。

    ムスリム地区の中で忽然と現れる華人の同郷会館

    華人人口が非常に少なくなっている現在は、このあたりも丸ごとムスリム地区となっている。しばらく旧中華街エリアのムスリム地区を散歩する。道端の小さな店で、羊や牛を解体していたり、屋根の付いた小さなマーケットがあったりする。そんな中に突然、華人たちの同郷会館や中国寺院等が散見される。

    屋根付きのマーケットで鶏卵を商う男性

    ここから少し北に向かうとナコーダー・マスジッドに出る。1926年に落成したこのマスジッドは、密度の高い商業地域に立地している割には1万人収容という規模の大きさを誇る。敷地ギリギリ一杯まで使ったこの建物は、キブラーの方角との折り合いをつけるため、通りから見ると、かなり捻じれたような形になっており、自分の視覚がおかしくなったような気がしてしまうくらいだ。あるいは『だまし絵』を眺めているような感じともいえるだろうか。

    ナコーダー・マスジッド

    マスジッド入口向かって左側に、割ときれいな感じの床屋があったので入ってカットしてもらっているとき、店の入口にいた人が『空の具合がずいぶん妙だぜ』と店主に言う。『どんな具合だい?』と外に出てみると、まるで夜のように暗くなっていて気味が悪い。

    散髪を終えて外に出たところで非常に激しい雨となった。とても歩いているわけにはいかないので、庇のあるところで雨宿りだ。道路端は見る見るうちに冠水していく。

    <完>

  • 再び中華朝市へ1

    再び中華朝市へ1

    コールカーター訪問の際、毎回一度は中華朝市に出かけることにしている。ごくささやかなモーニング・マーケットではあるものの、コールカーターで長年続いてきた(インド独立に続いて中印紛争以降は人口を激減させてきたが・・・)中華コミュニティの一面を垣間見る機会であるとともに、インド人たちにとっては異国情緒を味わうスポットとしてテレビ等で紹介されたこともあるため、カメラを手にしたカップルや親子連れ等も少なからず見かける。

    昨年秋に版が改まったロンリープラネットのインドのガイドブックのコールカーターのチャプターでも、『Old China Town』(旧中華街)として、このエリアのことを取り上げるようになったことから、同様に紹介されている郊外のテーングラー地区とともに、訪問する外国人客も今後増えていくのではないかと思う。旧中華街のSun Yat Sen St.つまり『孫文路』にある、知人の華人女性Cさんの中華食材屋に立ち寄った際、彼女自身のことも少し書かれているページを見せてみた。まったく知らなかったようでちょっと驚いていた。コミュニティ内外の様々な人たちが出入りするお店の主で、気さくで知己の幅が広く華人コミュニティに関する情報通であることに加えて、いつも店にいるのでコンタクトしやすいことから、従前からメディア等の取材を受けることが多かったようだ。

    そのCさんと世間話している間にも、時折地元コールカーター在住のインド人たちの中で、ちょっとグルメな人たちがソースだの、乾麺だのといったアイテムを求めて店にやってくる。『煮豚をうまく作りたいと思いましてな・・・』と、調味料や香辛料を購入するとともに、レシピの教えを乞う初老の紳士の姿もあり、さすがはコスモポリタンなコールカーター、食生活も多様なインド人たちがいるものだと少々感心。

    数少ない華人の売り子

    この中華朝市、華人たちが大勢早起きして屋台でいろんな食べ物を売っているものと期待して出かけるとアテが外れることだろう。肉まんを蒸して売っていたり、油条を揚げて販売したりしているのは、たいていインド人たち。中にはわずかに華人もあるといった具合だからだ。お客の側についても、華人の姿がチラホラ見られる程度。彼らの多くは、中印紛争以降大量に国外、とりわけカナダへ移住してしまったため、人口が激減したことに加えて、コールカーターに残った人たちの多くは高齢化しているので、あまりこういう仕事をしなくなったということが背景にある。

    そんなわけで、朝市の売り子たちの多くは、この地域で華人の屋台料理を覚えたインド人たちなのだが、それでも『華人直伝のやりかた』はしっかり身に付けているようだし、肉まんやシュウマイ等は、この地域で華人が製造したものを購入して蒸して販売しているため、味は本格的だ。

    華人の親子連れの姿があった。

    中華屋台料理の店と反対側には、野菜や魚類などを売る普通の露天商たちが店を広げている。大きなタライの中には生きたフナや鯉の類の魚たち。中には緋色の鯉の姿もある。元々錦鯉は、突然変異した緋鯉を改良していってできたものなので、普通の鯉の中にある一定の割合でこうした変種が出現するのだろう。

    緋鯉がいた。

    <続く>