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  • インドのヴィザ 取得所要期間ほぼ半月に

    先日、インド入国の「2ヶ月ルール」廃止へ と題して、2010年から適用されてきたこのルールが廃止となることについて触れてみた。

    それはさておき、かなり気になるのは、今年11月以降、日本でヴィザを取得しようとすると、たとえそれが観光ヴィザであっても、申請から取得まで最短で半月(12~16営業日)もかかってしまうらしいことだ。

    ビザ取得にかかる所要日数 (インドビザセンター)

    ヴィザ申請が大使館からビザセンターに移管された当初は、午前中に申請すれば夕方に受け取ることができたものが、翌日、翌々日と、発行までにかかる時間が伸びてきていたが、11月1日からは一足飛びに半月となっている。単に申請数が増えたというだけではなく、個々の申請者の過去のヴィザ取得状況やインドへの出入国状況などもチェックしているというような話を耳にする。

    主にテロ対策ということになるのだろうが、出入国者が増えてくるに従い、ヴィザの名目と実際の渡航目的が合致していなかったりするケースが増えてきているのではないかとも考えられる。

    業種や事業の規模にもよるかと思うが、仕事により渡印するにもかかわらず、滞在期間が数ヶ月程度であるため、取得が容易で必要なものも、パスポート、写真、料金以外は、所定の申請書しか要らない観光ヴィザで済ませてしまうというケースも少なくないであろうことは想像に難くない。

    かといって、今のところ日本人が、インドの治安や雇用に甚大な影響を及ぼすなどということは考えられないので、インドにとっての「問題国」以外については、ぜひお手やわらかに・・・と願いたい。

    とりあえず、インド渡航を予定されている方々については、ヴィザ申請はくれぐれもお早めに!

  • 死刑執行 生け捕りされたテロリスト

    本日、2012年11月21日、アジマル・カサーブが処刑された。2008年11月26日に発生した未曾有の大規模テロの実行犯の中で唯一生け捕りにされた人物だ。刑が執行されたマハーラーシュトラ州のプネー市の刑務所敷地内に埋葬されたという。

    仲間10名とともに、乗っ取ったインドの漁船でムンバイーに上陸し、ムンバイーCST駅、タージマハル・ホテル、トライデント・ホテル、ユダヤ教施設のナリーマン・ハウスその他を攻撃した。この事件により、170人を越える死者と240名の負傷者を出すことになった。

    アジマル自身は、仲間1名とともにムンバイーCST駅で銃の乱射して多数の死傷者を出した後に、そこから少し離れたカーマ病院襲撃の後に警官たちによって取り押さえられている。

    事件の全貌が明らかになったのは、当然のことながらアジマルが生きたまま捕らえられたことによるものが大きい。

    26/11 villain Ajmal Kasab hanged, had asked authorities to inform his mother (Hindustan Times)

    カサーブ自身の生い立ちと事件に至るまでの経過については、こういう本(Kasab: The Face of 26/11)がある。パーキスターンのテロ組織によるリクルートや訓練等に関する記述もあり、なかなか読み応えのある一冊なので、この事件について多少なりともご関心があれば、ぜひお勧めしたい。

    個人的には、死刑という制度の存在に賛同できないが、アジマルという人物に限っては、これを執行しなくてはならないだろうと、常々考えていた。本日の処刑に至るまで、様々な政治的な動きが背景にあり、それがゆえにあれほどの大事件を起こしながらも逮捕後4年近く彼は生きていたのだが、まかり間違えば減刑という結果にもなりかねないところであった。決して人の死を喜ぶわけではないが、あれほどの悲劇を生み、少なくとも報道されていた中では反省の色ひとつない人物が生きながらえてよいはずがない。

    だが同時に思うのは、身体的にはまったく健康で、元気な25歳の若者が、なぜ敢えて自らの死に繋がる道を歩むことになったのかということだ。テロ実施に至るまでの時間の中で、中途で引き返す機会は幾度もあったはず。実際、彼と同時期にテロ組織に加わった中での脱落者は少なくなかったようだし、時たま与えられる帰省のための休暇から、組織に戻らなかった者もあったようだ。訓練地に出向く中で逃亡した者もあれば、母国パーキスターンを後にして、戻らぬ旅に出航したカラーチー近郊へ向かう列車で途中下車して姿をくらませた者もあったという。

    カサーブを処刑したからといって世の中が変わるわけでもない。彼を送り出したテロ組織はパーキスターンで、相変わらず活動しているし、そうした若者たちのリクルートが可能で、組織の活動を容認する土壌にも何ら変化がない。

    インドにしてみても、同様のテロ計画があったところで、それを防ぐ手立てがあるとはいえず、この類の攻撃を受ける理由が解消したわけでもない。

    アジマルの処刑は、4年前のあの事件にひとつの区切りを付けるための象徴的な出来事にはなるだろう。だが、同様の事件が、いつどこで起きても不思議ではないということに、大きなジレンマがある。

  • J&K州都スリナガル郊外のホテル テロリストが襲撃

    本日10月19日午後5時半過ぎ(IST)に、J&K州都スリナガル郊外のノウガーオン地区にあるSilver Star Hotelをテロリストが襲撃しているというニュースがインドのニュース番組で流れはじめた。

    目下、事件の詳細はまだ明らかになっていないが、テロリストは3人であると見られること、従業員の中に死者や負傷者が出ているらしいこと、すでに治安部隊がホテル周囲を包囲していることなどがリポートされていた。テレビでの報道と時を同じくして、関連ニュースがウェブにも次々出てきている。

    Militants open fire outside hotel in Srinagar, one person killed (NDTV)

    今、こうして画面を見ている間に、テレビのニュースも時間の経過とともに次第に具体的な情報を流すようになってきた。メディアによる今後の続報に注目したい。

  • マラーラー・ユースフザイー

    非常に残念なニュースだ。マーラーラーが撃たれた。この件については少々説明する必要があるだろう。

    パーキスターンのスワート地方のミンゴーラー。かつて観光地として大いに栄えた地域だが、今世紀に入ってからは、この地域で勢力を伸長したターリバーン勢力と政府側との衝突により訪問者が激減した。さらに2009年にターリバーン支配下となり、その後政府軍が奪還するといった具合に内戦状態が激化することとなった。

    ミンゴーラー出身、リベラルな家庭に育った少女マーラーラー・ユースフザイーはこの地の出身。2009年に内戦状態のスワート地方を離れてパーキスターン国内を転々とする中、故郷スワートでの就学機会を求める利発な少女の姿は内外のメディアの目に留まり、しばしばニュース等で取り上げられてきた。

    ターリバーンが少女たちに対する学校教育を禁止したり、女子学校を破壊したりする中、少女たちの教育機会を求めての積極的な発言や行動は世間の耳目を集め、オランダを拠点とするKids Rights FoundationのInternational Children’s Peace Prize候補のノミネートされたことがある。惜しくも受賞は逃したものの、パーキスターン政府からNational Peace Awardが贈られた。

    Peace Award to Malala yousafzai from Prime Minister Pakistan Sherin Zada Express News Swat (Express News)※ウルドゥー語

    Malala Yousafzai awarded Pakistan’s first Peace Award (Ary News)※ウルドゥー語

    あまり上手ではない英語でのインタビューと異なり、上記リンク先のウルドゥー語によるものでは、ずいぶんしっかりした内容で話していることに感心する。受賞は2011年、当時のマラーラーは13歳だ。

    彼女は仮名でBBCウェブサイトに日記をブログとして公開して注目を集め、ニューヨーク・タイムズのサイトでもClass Dismissedと題した動画と関連記事が紹介されるなど、国際的にも知名度の高い少女人権活動家でもある。

    Class Dismissed (New York Times)

    現在14歳、将来は医者になりたという夢を胸に抱いて活動を続けていたマーラーラーだが、昨日ミンゴーラーにて他の女子生徒たちと乗っていた通学用のヴァンの中で撃たれた。その後、ターリバーンは犯行声明を出している。

    マーラーラーは頭部と首に負傷しているとのことで、ペーシャーワルに空輸されて救命治療を受けている。現在までのところ、複数のメディアにより「手術は成功」「脳は弾丸による損傷を逃れている」といった情報が流れているが、非常に危険な状態にあるということは変わらない。彼女の回復を切に祈る。

    Child rights activist shot in head (Business Recorder)

    ネパールやインドで跋扈するマオイスト活動家たちの大半が、共産主義の何たるかをほとんど知らず、銃器による社会秩序への抵抗と下剋上の快感に酔っているように、ターリバーンの連中もまたイスラームの説く中身への理解もなく、やはり武器の力を背景にした支配と強制により、彼ら自身の乏しい知識による独自の解釈による社会規範を絶対的な正義と取り違えている。

    従前からターリバーンたちから脅迫を受けてきたマラーラーとその家族だが、ついにそれが現実のものとなってしまった。この卑劣な犯行を、私たちは決して許してはならない。

  • ジャイサルメールに怪盗出現

    昨日の午前零時過ぎ、ジャイサルメールのステート・バンク・オブ・インディアの支店にて、深夜過ぎに1.5千万ルピーが奪われたとのこと。

    Robbers tunnel into Jaisalmer bank, steal
    Rs 1.50 cr
    (The Times of India)

    Robbers tunnel their way into a bank in
    Jaisalmer
    (NDTV)

    犯行グループは、地下に掘ったトンネルから同銀行の金庫に侵入して金品を奪ったとされるが、電動工具を用いて、事件に先立つ2週間から20日ほどかけてこれを完成させたと見られる。こうした大胆な動きについて、銀行関係者や周囲の住民がなぜ何も気が付かなかったのかは不明。

    銀行内の監視カメラには、懐中電灯を持って侵入してくる犯人たちの姿を捕えているものの建物内が暗かったため、風貌等はまったく確認できないようだ。

    まるで映画のような大胆な犯行、ロケーションもこれまたタール砂漠のロマンチックな城塞都市ということもあり、不謹慎ながら「おぉ、カッコいい!」などと思ってしまう。決して犯行を称えるわけではないのだが。

    果たしてこの怪盗たちの正体や如何に?

  • Kasab: The Face of 26/11

    Kasab: The Face of 26/11

    Kasab : The face of 26/11

    パーキスターンのパンジャーブ州出身のアジマル・カサーブといえば、同国の悪名高き過激派組織ラシュカレ・トイバにより、2008年11月28日にムンバイーで発生した大規模なテロ事件の実行犯の中で警察に拘束された唯一のメンバーとして知られている。

    彼の生い立ち、過激派との接触と組織への加入、武闘訓練、ムンバイーへの潜入、彼が担ったムンバイーCST駅での銃乱射とそれに続く附近の病院での銃撃、市内での逃走と逮捕、警察による尋問と裁判の過程等々がつぶさに描写されたノンフィクション作品が、この『Kasab: The Face of 26/11』と題する一冊である。著者はムンバイーを拠点に活動するインド人ジャーナリスト、ロメル・ロドリゲス。

    ファリドコートという村で生まれ、10代で家を出てからラーホールでケータリング・サービスの職場で働いて自活する、どこにでもいる普通の少年であったカサーブだが、単調な日々に飽き足らず、知り合った仲間たちと「もっと割のいい仕事を」と窃盗を繰り返すようになっていった。

    反社会的な生活に浸かったカサーブは、やがて武器に興味を抱くようになり、銃器類の訓練を受けられるからという理由で過激派組織と接触するようになっていく。そうした反抗期の只中にあるような年代を巧みに扱うことに長けた組織の中で、各種のトレーニングを積んだテロリストとして養成されていく。カサーブ本人は、まさに自分の居場所を見つけたと認識していたのだろう。

    訓練地から訓練地への移動の間、あるいは休暇で帰省する際などに逃亡して姿を消すメンバーも少なくなかったようだ。それでもカサーブは脱落することなく組織の命令に従っていった。

    やがて組織は、他の選抜されたメンバーとともに、カサーブをスィンド州に送り、洋上での訓練とともに『ミッション』遂行のための最終訓練を施して、海路ムンバイーへと送り出し、中途でハイジャックしたインドの漁船、クベール号でムンバイーへの上陸を果たす。

    犯行グループのリーダーであったイスマイルとともにタクシーでムンバイーCST駅に乗りつけるまでの間、彼は車内に時限爆弾を仕掛ける。「釣りは要らない」と手渡された大きな額面の紙幣に喜んだ運転手は、駅の駐車場から発車して市内を走行する間に車体が爆破して帰らぬ人となる。

    タージマハル・ホテル、オベロイホテル、ユダヤ教関係施設のナリーマン・ハウスに乗りつけた他の犯行メンバーたちも、利用したタクシーに同様の手口で爆弾を仕掛けて、事件の「同時多発性」を高めることにより、警察の対応の攪乱を図っていたようだ。

    カサーブとイスマイルの犯行目標となったムンバイーCST駅や近隣の病院にしても、この事件における他の実行犯の攻撃目標となった高級ホテル等にしても、現場で誰彼構わず銃弾の雨を降らせて多大な死傷者を出す残忍極まりないものであった。

    この作品では、カサーブの家族や交友関係、パーキスターンの過激派組織内の人間模様、彼らの犯行の犠牲となった市民や彼らと果敢に対峙して殉職したインドの治安組織の職員等々の人々の生活背景にも踏み込み、誰もが忘れもしない『26 Nov.』とそこに至るまでの道のりの多角的な検証がなされている。

    こうした大規模なテロ事件の実行犯が生け捕りにされること自体が異例であったが、まさにそれがゆえに明らかになった部分もまた多い。

    あまりに大きな事件を引き起こした犯人たちのひとりであるカサーブに同情の余地はまったくないが、裁かれるべきは過激派組織のツールのひとつに過ぎないカサーブ自身だけではなく、その目的のために彼とその仲間たちを訓練し、犯行を逐一指導してきた黒幕の面々でもあるのだが、そこにはインドの司法は及ばない。

    こうした集団の存在を許し、排除どころか規制すらできないパーキスターン政府の機能不全ぶりには、怒りとともに限りない恐怖感を抱かずにはいられない。隣国にそうした行政・統治がある限り、インド側の市民が隣国に信頼を置くことはあり得ず、インドの情報機関もまた、こうした集団の所在や訓練地などについて精度の高い確信を抱きつつも、自国の権限が及ばないところにあるだけに、手出しが出来ないことをもどかしく思うのも無理はない。

    分離独立以来続くカシミール問題はともかく、パーキスターンにテロの実行集団を抱える過激派組織があり、これらの活動を同国の政府が野放しにしている限り、印パ間での善隣外交などあり得るはずもない。

     

    書名:Kasab: The Face of 26/11

    著者:Rommel Rodrigues

    出版社:Penguin Books

    発行年:2010年

    ISBN-10: 0143415476

    ISBN-13: 978-0143415473

     

  • ブータン ウォンディ・ゾンの大火

    非常に残念なニュースである。

    ブータン中部に位置する374年の歴史を持ち、同国の重要な寺院のひとつに数えられるウォンディ・ゾンが、6月24日午後4時ごろ発生した火事により全焼してしまった。現在までのところ出火の原因は不明であるとのこと。

    この火事に関する記事と動画は、BBS (Bhutan Broadcasting Service)がウェブサイトにて閲覧することができる。

    Wangduephodrang Dzong completely gutted (BBS)

     

  • インドヴィザのオンライン申請

    今年4月からインドヴィザのオンライン申請が開始されている。

    オンラインビザ申請について(インドビザ申請センター東京)

    これにより、申請手続きに出向く手間が省けるのかと思いきや、実はそうではない。

    ウェブ上で必要事項を入力、申請日を確定してからプリントアウト、その申請日に窓口まで出かけてパスポートその他必要物とともに提出する必要がある。受け取りに出向く手間と合わせて、申請者側にとっては利するものは特にない。ウェブ上で確定した申請日は、基本的に変更できないようなので、かえって面倒になったといえる。

    『オンライン化したといっても、ちっとも便利ではないじゃないか!』と思うかもしれないが、もともと申請者の便宜を図るためのものではないのだろう。従前の紙媒体による申請と異なり、申請者の情報を効率的にデータベース化して、出入国管理に役立てようという、当局の便宜を念頭に置いたものであることは明らかだ。

    これによって、申請者個々のパスポート番号や発行日等が変更となっても、はてまた二重国籍を有する個人が複数のパスポートで出入国していたとしても、特定の個人の申請・出入国状況を把握することが容易になることから、テロ等の治安対策はもとより、不法入国等、当局側にとって好ましくない人物でないかどうかをスクリーニングすることが可能となる・・・のだと思う。

    オンライン申請ページを開き、先に進んでみると、申請者名入力の部分のすぐ下の「性別」ところには、male,female以外に「transgender」という区分があるのにはちょっとびっくりさせられる。

    それはともかく、この措置が開始されたばかりであるため、システムそのものに多少の問題があったり、申請センターのウェブサイトでの説明が足りない部分もあったりするのか、申請に出向いたもののオンラインでの入力内容に不備があるとされて、再度出向かなくてはならなくなったという話も耳にする。

    常々感じていることだが、インドにとって通常は特に問題のない日本その他国籍の人々について、こうした手続きの簡素化を進めてもらえないものだろうか。短期の滞在の場合、アライバルヴィザという措置はあるのだが、空港での手続きはスムースとはいえず、どうにかならないものかと思う。

     

  • オリッサ州 マオイストとの交渉難航

    3月14日、オリッサ州内陸部の部族地域を訪れるツアーの一行が、同州のカンダマル地区で拉致される事件が発生した。このツアーを催行していたのは、同州プリーにあるORISSA ADVENTUROUS TREKKINGという旅行代理店で、連れ去られたのはその経営者でガイドでもあるイタリア人のパオロ氏、ツアー参加者のイタリア人コランジェロ氏、そしてツアーに同行したインド人スタッフ2名を含む計4名。インド人スタッフは3月16日に、イタリア人旅行者のコランジェロ氏は3月25日に解放されたが、依然としてパオロ氏は監禁状態にある。

    彼らを誘拐したマオイストたちの要求は、投獄されているマオイスト幹部や活動家たちの釈放。これに関して、先日マオイストによるオリッサ州議会議員ヒカーカー氏の誘拐事件も発生しており、治安対策と外交上の配慮等の板挟みもあり、今なお交渉は難航している。駐インドのイタリア外交官も現在オリッサ州に滞在中で、マオイストとの交渉と情報収集に当たっている。

    これまで、インドのマオイストたちは活動地域で政府関係者の誘拐、治安当局関係者たちや交通網への攻撃、市民の殺害その他を繰り返してきているが、外国人がターゲットとなったのは初めてのケースだ。しかしイタリア人と地元州議会議員1名ずつを人質とすることにより、現在までのところオリッサ政府がマオイスト関係者31名の釈放の提示を引き出しつつも、まだ合意に至っていないところからみて、より高い影響力を行使する手段として、外国人を誘拐する事件が起きる可能性は決して低くない。

    同様に、オリッサ州以外でもマオイストの活動が盛んなアーンドラ・プラデーシュ、ジャールカンド、チャッティースガル、西ベンガル、ビハール、マハーラーシュトラといった各州においても、こうした挙に出ないとも限らない。

    マオイスト側は、州政府当局との交渉期限を4月10日までとしており、要求が満たされない場合は「extreme steps」を取ると表明している。先述のとおり、外国人がターゲットとなったのは初めてのケースだが、マオイストがこれまで同種の目的のために誘拐した相手を殺害したケースは多々あったことから、パオロ氏、ヒカーカー氏ともに今後の安否が大いに懸念されるところだ。

    関連ニュース

    Maoist rebels in Orissa take Italian duo hostages (India Today)

    Italian hostage Claudio Colangelo released in India (BBC NEWS INDIA)

    Naxals rule out immediate release of Italian national (Business Standard)

    Orissa agrees to free 31 persons (DECCAN Chronicle)

    【動画】India rebels warn of ‘extreme steps’ over Italian captive‎ (Asia One)

  • 2011年の地震の分布

    2011年の地震の分布

    2011年の世界の地震 分布図 (Youtube)

    本日、3月11日は東日本大震災からちょうど1周年ということになる。震災後、ずいぶん長く余震が続いた。ひところのような頻度ではないものの、今でも東日本を中心に頻発している地震は、やはり1年も前の大地震の余震なのか、それともあの日を境に地震の活動期に入ったためであるのか、様々なメディアを通じて流れる専門家たちの見解は様々である。

    日本は世界的に見ても地震が多い国のひとつであることは言うまでもないが、少なくとも2011年に限ってみれば、地震の頻発数ではどうやら世界一であったようだ。

    以下の動画は、昨年1年間に起きたマグニチュード4.5以上の地震の発生をまとめたものだ。2011年の元旦から大晦日までに、世界のどのあたりで地震が発生しているかを視覚的に把握することができるようになっている。

    2011年の世界の地震 分布図 World earthquakes 2011 (Youtube)

    3月11日の大地震発生とそれ以降の爆発的な激しい動きとともに、それ以降も大規模かつ非常に頻度の高い地震が繰り返されていることがよくわかる。

    ご存知のとおり、地震は特定の地域に集中して発生するものなので、日本、フィリピン、インドネシア、パプアニューギニアから南太平洋西部、そして南米のチリ周辺での発生が非常に多いこと、それらとは対照的にイタリア、ギリシアを除く欧州とアフリカの大半の地域では、地震が発生していないことが見て取れる。地震がほとんど発生しない地域に生まれ育った人たちは、年老いてこの世を去るまで滅多に『大地が揺れる』という経験をすることなく過ごすことになる。

    場所にもよるが、地震が比較的多く発生し、大地震による災害も周期的に起きる地域として認識されているインドは、昨年9月18日のスィッキムの震災とその後幾度か起きた北部での地震を除き、ほぼ平穏であったことがわかるだろう。

    上記リンク先の関連で、昨年1年間に日本国内で起きた地震の分布を示す動画もある。

    2011年の日本の地震 分布図 (Youtube)

    今年1月には、4年以内にマグニチュード7級の首都直下型地震が発生する可能性が70%というショッキングな報道があった。

    M7級首都直下地震、4年内70%…東大地震研 (YOMIURI ONLINE)

    たとえそれが従前に言われていたような30年以内という想定であったにしても、まさにいつ起きてもおかしくない地域であるだけに、残念ながら世界一の地震大国の人間としては、避けようのない危機に対してどう対処するかという大きな問題に直面しているわけである。

    日本の東北地方太平洋沿岸で起きた大震災の教訓を糧に・・・とは言ってみても、個人が出来ることは、せいぜい自宅に最低限の食料や水の備蓄をすること、ガラスの飛散や大きな家具類が倒れないような防止策を施すこと、家族との連絡手段の確認くらいしかないだろう。

    普段、都会では『大自然の脅威』などという言葉さえ忘れてしまいそうだが、ひとたび事が起きれば、その大自然の力の前で、私たちはあまりに無力である。

    ※チェラプンジー2は後日掲載します。

  • ナガランド 4 コノマ村

    ナガランド 4 コノマ村

    山の上の街州都コヒマから平地にあるナガランド最大の街ディマープルへと続く国道39号線を途中で逸れると未舗装のひどい悪路となる。モンスーン期には小型車での走行は不可能となり、バスかスモウ(大型の四輪駆動自家用車)のようなクルマでなければ通行できなくなるという運転手の言葉に頷くしかない。

    ターター社の小型車インディカにて、文字通りバンバン跳ねながらの走行。幾度も車内天井に頭をぶつけてしまう。こういうタイプの車両で移動するような道ではない。クルマが壊れるのではないかと思うくらいだ。窓を閉めているものの、車内はどこからか侵入してきた土埃でたちまち一杯になる。 ジャングルの中のダートのようなひどい道を進んで1時半半くらいでコノマの村が見えてきた。縦に長く、斜面に広がるこの村は、両面の斜面に家々が張り付いている。まるでコヒマをそのまま小さくしたかのようだ。どこまでも丘陵地が続くナガランドでは、町や集落はたいてい小高いところに造るもののようだ。

    ナガランドの村は小高いところにというのが定石らしい。
    日中は人々の姿が見えない村

    ずいぶん静かな村であった。そもそも村の主であるはずの人々の姿がなく、突如として蒸発してしまったかのようで気味が悪い。まったく人気のない村の中を進んでいくと、ようやく幼い子を遊ばせる母親の姿があってホッとする。

    村の中には伝統的なナガの家屋は一軒もないようで、コヒマ郊外にあるような感じのごく普遍的な木造の家屋が大半で、これらに加えてインドの他の地域にあるような普遍的なレンガ積みの建物が少々といった具合。村のあちこちに展望台のようなものがあり、そこがちょっとしたスペースや広場のようになっている。焚き火の跡もあり、夕方そのあたりに人々が集ったりするのだろう。

    共同の水場がいくつもあり、近隣のより小さな村から出てきた学齢期の子供たちを住まわせるホステルもあることに加えて、村の中の細い路地のかしこに小さなゴミ箱が設置されており、チリひとつない清潔な環境であることにびっくりした。想像していたよりもずっと文化的だ。それぞれに政府のプロジェクトで作ったことを示す記号らしきものが書かれていることから、活発な反政府活動が続いてきたナガランドだけに、政府が民生の向上に対する貢献をアピールするためのプロパガンダ的な要素があるのかもしれない。

    広場を中心にいくつかの家屋が集合しているものもある。一族で暮らしているのだろうか。そうしたひとつで、少年、青年がいた。こういう村でもちゃんと英語を話す人がいるのはナガランドらしいところだ。食事中であった彼が言うには、人々は朝早くから田畑に出て仕事をしているため、日中の村の中には幼い子供を持つ母親くらいしかいないとのことだ。

    比較的大きな村ではあるものの、店らしいものは見当たらない。村人たちは日用品をどうやって調達しているのだろうか。衣類などは町に出て購入するにしても、石鹸、洗剤、調味料といった毎日使うようなのは、どこかでまとめ買いしておくのだろう。

    村は細い丘の上にある。真ん中を縦貫する階段の通路があり、周囲をぐるりと回る道路が囲んでいる。インドのどこでもそうだが、村を訪問する際に嫌なのは犬だ。町中に住んでいる犬たちと違って、ヨソ者に慣れていないため盛んに吠え付いてくるし、これまたしつこい。太陽が高いうちのコノマの村はほとんど無人状態だ。野犬たちの群に囲まれたら、素手だとちょっと危険かもしれないと思い、カバンから折り畳み傘を出しておいたが、一匹の野犬もいないのが意外であった。州都コヒマでも妙に野犬が少なく、人を見かけると逃げるように迂回してしまう姿を目にして、ちょっと不思議に思っていたが、そのあたりについては、後日触れることにする。

    家屋の中には、英語で売りに出しているということを書いた紙が貼られているものがあった。こういうところで、つまりアンガミー・ナガの村であるがゆえに、他所から関係のない人が移住してくることはないだろう。だが、もしこの村が観光化されていくことがあれば、マナーリーのヴァシシュトのようになるのではないだろうか。

    最初は地元の人々がゲストハウスや食堂などを始めて、外国人その他の観光客の出入りが増えてくると、地元の人々もこなれてきて、他所からの商売人も入ってくる。そうしたところで雇われて働く人々にはナガ以外の人たちも入ってくる。そうしたプロセスを経て、いつしか他所の人々も含めた小さなコスモポリタン的な集落になり、観光客たちが「沈没する」場所になっていくようなこともあるかもしれない。RAPが恒久的に不要となれば、インド長期滞在旅行者たちが集う場所となることが予想できる。彼らは何か特別なものが、何か特に見るものがなくても、こうした牧歌的な風景の中でゆったりと時間を過ごすのが好きだからだ。

    村の周囲には段々畑や棚田が広がる。インド人たちの姿はない。見かけるのはナガの人々だけである。インド人たちと違い、外国人が来てもチラチラと見てはいるものの、好奇心剥き出しに近づいてくることはない。大人も子供も、こちらが声をかけると、はにかみながら返事をしてくれる。

    村の中心部にあるバプティスト教会前の広場には、戦争で亡くなった人たちに対する慰霊塔がある。この戦争とは、旧日本軍の侵攻ではなく、ナガの独立戦争のことである。石碑には死者の名前が刻まれており、上部には青地に星と虹を描いた「ナガランド国旗」が描かれている。

    内戦による戦死者たちへの記念碑

    政府の様々なプロジェクトが実施されているこの村の玄関口に、こうした記念碑が建立されていることにいささか驚いた。だが、こうした村の中にあるこうした石碑は、たいていナガの言葉で書かれているもののようだが、これは英語で記されている。ひょっとすると、和解を演出するために行政側が建てたのでは?と疑いたくなる余地もある。

    それでも、コノマの村も内戦とは無縁ではなかったこと、ここから多くの戦士を出していることがわかる。内戦時代にはとても危なくて近づくことはできなかった場所なのかもしれない。内戦が激しかった時代には、州内を走るトラックやバスは前後に軍用車の護衛をつけてコンボイを組んで山道を走っていたという。それも上り坂で速度が落ちたところを襲撃されていたという話を聞いたことがある。

    ナガランドは、総体として和平への方向にあり、それが進展してきたがゆえに、こうしてRAP無しで入域できるようになっているわけだが、これが恒久的なものであって欲しいと願いたい。

    <続く>

  • マニプルへ2    軍の突出した存在感

    マニプルへ2 軍の突出した存在感

    物々しい警備は、市内でも同じであった。

    通称『Seven Sisters』と呼ばれるインド北東部七州(アッサム、アルナーチャル・プラデーシュ、トリプラー、ナガランド、マニプル、ミゾラム、メガーラヤ)では、民間人の生命と財産を守るという目的により、治安維持に関する軍による大幅な関与を認めるAFSPA (Armed Forces Special Powers Act) つまり軍事特別法が適用されている。

    これにより、本来ならば警察が責任を負うべき分野において、令状無しで軍による捜索、逮捕、拘留尋問等が認められており、騒乱の被疑者と見られた市民への発砲や殺害も可能となっている。当然のことながら軍関係者による恣意的な拘束、拷問、レイプといった犯罪行為が正当化されてしまう下地があり、そうした形での統治の正統性が問われるとともに、人権上の観点からも大きな問題である。

    そうした背景がある北東州では、アッサム州にしてもトリプラー州にしても、市街地や沿道で警備している軍人の姿は珍しくないのだが、マニプル州都での彼らのプレゼンスはやたらと大きなものに感じられる。人口密度が薄いインパールの街で軍車両に乗って警備している兵士たちの数が多い。兵士の多くは黒いマスクを装着して顔がよくわからないようにしていることからも、まるで戦地にいるかのような重装備の者がやたらと多いことからも、この地域の治安状況がうかがえるような気がする。

    インドの他地域にも、パンジャーブ州やヒマーチャル州のように、国境地帯であったり規模の大きな軍駐屯地があったりするエリアはあるが、前述のAFSPAが適用されて、軍が市民に対してこうした権限を持っていることはない。そもそも市民の側にしてみても軍はパーキスターンなり、中国なりといった国境の向こうからの侵略に対する盾であるということを認識している。

    北東州の場合は、こうした軍人たちの銃口が向けられている先は、敵対する外国ではなく、地元に住む市民たち(の中に潜む武闘派の反政府勢力)であるということが大きく異なる。前述のパンジャーブ州においても、かつてカリスターン運動が盛り上がり、流血事件が続いていた時代には同様の措置が取られていたのだが。

    人々のおっとりとした様子、何か尋ねようと声をかけると、フレンドリーな笑顔で丁寧で親切な応対をしてくれる人が多いことなどから、そんな厳しい状況にあるとはにわかに信じ難いものがある。

    ホテルのベランダから眺めたインパール市内。広がりはあるが密度は薄い。

    とりあえずホテルに荷物を置いて繁華街に出る。通称イマー・マーケットという市場に出かける。通りを挟んで、生鮮食品、乾物、衣類、日用雑貨等々と、販売されている物ごとに売り場が区分された、三棟にわたる大規模な屋根付き商業施設だ。『イマー(母)』という言葉が示すとおり、売り手が女性だけだ。人懐こくて気のいい感じのおばちゃんたちが多い。かなり人出が多い割には、ザワついた感じがしなくて物静かなのは、このあたりの民族性なのだろうか。

    売り手はどこも女性ばかり。買い手も多くは女性であった。

    イマー・マーケットの建物。同じ造りのものが通りを挟んで三棟並んでいる。

    この大きな建物は、一昨年11月にオープンしたもので、まだとても新しい。市街中心にあり交通至便であることに加えて、充分なスペースを確保した快適な環境であることから、行商人たちがこういう場所に自分のエリアを確保するのは、なかなか大変なことらしい。オープン間もないころの地元英字新聞ウェブサイトに、その関連の記事が出ていた。

    Govt in a bind over Keithel seat allocation (The Sangai Express)

    このあたりはインド東端に位置するだけに、デリーあたりに較べると日没が1時間半あるいはそれ以上早い。陽が傾いてくると、売り子たちはそそくさと店じまいを始める。お客もサーッと潮が引くように家路についている。マーケットの前からサイクルリクシャーでホテルまで帰るが、さきほどまでそれなりに賑わっていた商業地も、多くの店が扉を閉めていて人通りも少なくなっている。無数の裸電球や蛍光灯が灯る中で、活発に売り買いが繰り広げられるような具合ではないようだ。

    ホテルのフロントの人が言うには「インパールには、いわゆるナイトライフというものはほとんどありません。」とのこと。「禁酒州ということになっているので、おおっぴらに飲む場所はありませんし、陽が沈んだらみんな帰宅するんですよ。」

    たしかに、この街では夕方日没とともにほとんどが閉まってしまうようだ。夕方7時過ぎともなればすっかり深夜の雰囲気だ。午後9時を過ぎると、宿泊している部屋が面している大通りを走るクルマさえほとんどない。いかにも軍監視下の街といった感じがする。

    ここの良き市民たちにとって、人気の少ない場所で、この地では治安維持に関して大きな権限を与えられている軍人たちにイチャモンつけられたら、このうえない恐怖を味わうことになるのだろう。生命の危険に直結する一大事だ。

    <続く>