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カテゴリー: security

  • 映画「ホテル・ムンバイ」

    映画「ホテル・ムンバイ」

    現在日本で公開中の「ホテル・ムンバイ」を観た。2008年11月にムンバイで起きた同時多発テロ事件について、犯行現場となったいくつかのロケーションのうち、タージマハル・ホテルを舞台に主にホテルマンたちの視点からストーリーが展開していく。

    この作品は2018年に公開されたものだが、ホテルマンのひとりで主人公であるアルジュン役で出演しているのは、2008年公開の「スラムドッグ・ミリオネア」の少年ジャマール役だったデーヴ・パテールだと言えば、「ああ、彼ね」と覚えている人は多いだろう。
    大変重たい内容の作品であり、消化しきるにはしばらく時間がかかりそうだ。

    平日の昼間なのに満員であったことから、この作品への注目度はとても高いことがうかがえる。究極の危機の中で、これでもか!とハードなストーリーが展開していき、心臓への圧迫感が大変強いものであった。

    お客のために危険を省みず、これまで体験したこともない過酷な職務にあたるホテルマンたちのプロフェッショナリズムが描かれている素晴らしい作品だ。(ネタバレになるので詳述はしないが、事実に即したシナリオ)

    同時にこれを予備知識なしに観た人たち(事件背景はもとよりムスリムに関する予備知識も)の間で、コミュナルなヘイト感情を掻き立てるのではないかとも感じられるもので、こうした特定のコミュニティ、思想を背景とした事件に係る作品作りというのは、慎重な配慮(主人公に準じる配役で危機一髪のところで最後に命だけは助かったザーラはその名のとおりムスリム女性であることなど)をしても、なおかつ難しいものであると感じる。
    テロリストたちを送り込んだパキスタンを拠点とする過激派組織ラシュカレトイバの名前を聞いたことはあっても具体的にどういう組織なのかを知る人は、日本の観衆(欧米でも)少ないだろう。

    映画の中でも描かれていたが、進行中のテロ事件についてメディアが逐一報じるのもいろいろ問題があると指摘された当時を思い出した。当時、私は日本でもネットで動画配信されるインドのTvニュースで逐一観ていたが、同様にパキスタンでテロ組織もそれを見ながら携帯電話で犯行グループへ指示していたことが判明したためだ。

    このあたりについては、報道の自由との兼ね合いで難しい。事件から11年が経過し、通信環境やガジェットの性能なども飛躍的に向上している。この部分については当時よりも深刻な状況になっているとも言えるだろう。

    親子(同作品は15歳以上という指定がなされている)や恋人同士で観に行くような作品ではないが、ぜひとも鑑賞をお勧めしたい秀作だ。

  • ダマン2 飲酒ツーリズム

    ダマン2 飲酒ツーリズム

    海洋性気候で高温多湿のダマン。暑さでフッと気が遠くなりそうなのでバーに入ると、冷たく冷えたびーるが迎えてくれた。この時期、ふんだんに酒類があるダマンだったからよかったものの、うっかりグジャラート州海岸の町を訪れたら逃げ場がないことを実感。

    現在インド首相のモーディー氏の御膝元だけあり、制度を整えて外資誘致に積極的なグジャラート州だが、禁酒州なので自国社員の飲みニュケーション上の障害、そして福利厚生上の問題から二の足を踏む日系企業は少なくないと聞く。飲む、飲まないは個人の問題だが、州法で一律禁止とするのは人権にかかわる由々しき問題だと私は考えている。

    禁酒のグジャラート州から中央政府直轄地ダマンに入った途端、酒屋やバーが沢山目につく。中央政府直轄地という扱いは旧仏領ポンディチェリーも同様で、ゴアも1987年に州に昇格するまでは、この扱いであった。

    英国以外の旧外国領であった地域について、背景となる法制度、文化習慣、教育など他の地域と異なるため、近隣州に編入するのではなく、中央政府が現地の特性を考慮したうえで柔軟な対応をしつつ面倒を見るというもの。

    1950年代にインドに返還されたポンディチェリー、1961年クリスマスに大規模な軍事作戦でゴアとともに奪還したダマンとディーウ。さすがにインド復帰後優に半世紀以上経過しているので、もういい加減こうした経過措置を外しても良いようなものだが、こうした措置がこれほど長く続くと独自の行政区としてのアイデンティティー、積み上げてきた歴史も出来上がってしまうので、近隣州への統合は今後もないだろう。

    そのダマンとディーウだが、1990年代以降、主にインド国内の保養地、とりわけ隣接するグジャラート州とマハーラーシュトラ州からの観光客を大きく引きつけて、それ以前はほとんど無に近かった観光業が振興した。負うところの大半は、税率が極端に低く、結果として安価な酒である。つまり飲酒ツーリズムだ。ダマンの繁華街の食堂、レストランの大半は飲み屋でもある状態の背景には、このようなことがある。そうした店がだいたい朝9時くらいにオープンするわけだが、「朝から酒場が開いている町」というのは、インドでは希少である。

    飲酒について、日本からは考えられないほど制約の多いインドでは考えられない環境だ。
    そのため週末にはグジャラート州からやってくる男性たちによる「飲み会」が朝食の時間帯から展開するのが特徴的だ。「一人飲み」の姿も多く、観光シーズンのピークには、訪れる家族連れも少なくないとはいえ、あまりファミリー向けの訪問先ではないように思える。
    けっこうキレイで快適なホテルであっても、いわゆる「バー」ないしは「パーミット・ルーム」があると「家族連れ向きではない」と言われてしまう。

    そんな呑み助天国でありながらも、風俗店が軒を並べるような環境ではないため、とても健全な雰囲気であるのはダマンとディーウの大きな特徴だろうか。しかしながら、やはりこういう場所なので、実は売春も盛んであるとは聞く。

    ダマンの繁華街。朝から晩まで酒を提供する店が多い。

    隣州で禁酒のグジャラートと異なり、酒の販売が出来るダマンとはいえ、生活文化や倫理観はグジャラート州と大きく変わるはずはない。ダマンっ子は日がな飲んだくれているわけではなく、朝から飲んでいるのは、近隣州からの訪問者たちなのだ。
    ダマンの飲み屋街といってもささやかな規模で、少し外れると普通の住宅地となる。そういうところには飲み屋はないし、酒屋も滅多に見かけない。

  • 野犬と治安

    安全性、治安の良さの指標のひとつとして、野犬の不在という点も加味して良いかと思う。
    深夜や早朝、そして自らの生活圏外のエリアの小路、田舎の村落などを歩いても、野犬たちに取り囲まれたり襲撃されたりするリスクが無いことへの安心感は高い。
    インドでは、ムンバイのような大都会のオフィス街でさえも、界隈の会社などが閉まっている休日ともなると、人気の少ない真っ昼間に犬集団に囲まれ、締め切られた商店の扉を背にして応戦(背後を取られると危ないので)しなくてはならないような事態がある。あるいは夜間早朝の野犬リスクを避けるため、宿泊先を決める際に細い小路をどんどん進んだ奥にある宿よりも、通りに面した宿を志向する必要があったりする場合もある。そんなことから、日本において野犬がいないことからくる安心感はとても大きい。
    徘徊する犬たちの存在は、それ自体が治安に関わるものだと私は考えている。

    世界一安全な都市は東京、大阪は3位 19年版ランキング(CNN)

  • スーラト3  墓場も面白いインド

    スーラト3 墓場も面白いインド

    これらの風景を目にして、何の遺跡と思われるだろうか。
    実は、「英国人墓地」なのだ。

    場所はスーラト。東インド会社が拠点とした港町のひとつ。私が確認できた、この墓地で最も新しい墓標が1850年のものであったので、まさに英国政府による統治に移行する前、東インド会社が支配した、いわゆる「カンパニー時代」の英国人墓地。墓標を見たところでは、大半は東インド会社軍の軍人とその家族たち。

    そのあたりまでは、英国人でも改宗してヒンドゥーになって、毎朝沐浴したり、プージャーをしたりする後の時代のヒッピー的な英国人も少なからずいたと聞く。
    もちろん、高級官僚やエリートコースに乗っている英国人は、その限りではなかったとはいえ、それ以外で何かしら縁あってインドに渡ることになった、あんまり堅苦しくなくてカジュアルな英国人たちの中には、自国と違う気候、文化、食事の中で戸惑いつつも、「インドってすげー!」と、すっかり感化されてしまう人たちが後を絶たなかったらしい。

    それはそうだろう。今の私たちでも「インドってすごい!」と感嘆しているのだから。当時、「ツイッター」「Facebook」等があったら、彼らのオドロキやインドへの憧憬が多々綴られていたはずだ。
    だが当時の人々は、相当な知識人でもない限り、いわゆる日記のようなものをしたためる習慣もなかったので、現代に生きる私たちが、当時のインドの市井の人たちの日常の喜怒哀楽を知るのは容易なことではない。

    「インドかぶれ」については、1857年の大反乱以降の英国当局による綱紀粛正により、いわゆる当時でいうところの「ネイティヴ(インド人)」と英国人の間の「けじめ」のようなものが徹底されることになった。そのため、墓地についても、その後のものは、このような墓地ではなく、英国人らしいものとなっている。19世紀と20世紀を境にして、「アングロ・インディアン」を示す意味が、「インドで生まれた英国人」から「英印混血の人」と変化していったのには、こうした背景もあるに違いない。

    インドという国は、ごく平凡に観光していても、実に興味深い事柄に満ちているのだ。こんな国は広い世界を見渡しても、他に無いだろう。各地の英国人墓地を巡るだけでも、実は大変面白いインドなのだ。

    〈続く〉

  • ティーラトガルの滝

    ティーラトガルの滝

    ジャグダルプルを出てからしばらくの間は良い道路が続く。昔ながらのインドの幹線道路では、これよりもっと大きく天を突くような大木が道路両側に等間隔で並んでおり、スケールの大きな景観を提供していた。中央アジア地域や中国の新疆でも道路両側に大きなポプラ並木が見られるが、樹木の種類は違えども、目的は同じだろう。緑のトンネルが遮光して往来する車両や人を強烈な日差しから守る、交通にかかる「インフラ」のひとつであった。

    英領期から計画的に植えられてきたものだが、モータリゼーションの大衆化、物流の大量化、高速化に伴い、全国各地で幹線道路が複数車線化していく中で、当然こうした国道沿いの緑のトンネルは急速に姿を消している。おそらくパキスタンやバングラデシュでも同様だろう。幹線道路脇の並木は伐採されて、道路幅が拡張されていくのだ。

    やがて周囲は森となり、勾配のある山道となってくる。こういう眺めを目の前にすると、マオイストが潜んでいるのはそういう地域なのだろうかと想像する。バスタルは「チャッティースガルのカシミール」などとも表現されることがあるが、高度がありスイスのような景観のカシミールとでは、美しさが異なる。

    マオイストたちはこんな具合の森に潜んでいるが、夏季にはマラリアに大変苦しめられるという。

    この地域ではやたらとサルが多い。ニホンザルの近縁のアカゲザルである。私には区別さえつかない。これほどたくさんいたら、このエリアを徒歩で行くのはかなり危険であろう。これは滝に着いても同様で、周囲にはサルがとても多かった。

    やたらとサルが多い。

    さて、そのティーラトガルの滝だが、天然の階段状になった小高い斜面を流れ落ちるという視覚的に面白いものはあるのだが、格別といえるような風情や眺めがあるわけではなかった。この日の目的地は他にあり、ここは途中で立ち寄っただけなのだが、もしここに期待して訪れていたら、かなりガックリきていたかもしれない。

    滝の近くのマーケットで売られていたみやげ類
    いまひとつパッとしない。
  • “Chinatown Days” by Rita Choudhury

    “Chinatown Days” by Rita Choudhury

    アッサムの女性作家、リーター・チョードリーによる大作。
    清朝支配下の19世紀、南中国の寒村から奴隷として町の商人のところに売られていき、そこで奴隷ながらも主の信用を得て、それなりの金銭的充足と自由を得ることとなった少年。だが、彼はさらにここから別の人身売買シンジケートにより、カルカッタへ運ばれ、そこから開業間もないアッサムの茶園に行くこととなる。

    時代は下り、その茶園近くのマークームの町や周辺で事業を起こした中国移民の子孫たち。
    アッサムのすっかり根付き、「中国系アッサム人」として地域社会の中の一部として定着していた。

    中印戦争開戦。最初は特に影響を受けることのなかった華人コミュニティだが、インドの敗色濃くなっていくにつれて、反中国感情の高まりとともに、中国系住民への感情も急速に悪化していく。

    中国との敵対関係がエスカレートしていくとともに、国内政治でも共産主義勢力を「親中かつ反インド」であるとして攻撃するだけではなく、民族的なルーツを中国に持つ人々への風当たりも強くなってくる。

    やがて中国系市民の拘束の命令が中央政府から発せられ、華人が集住していたカルカッタはもちろんのこと、ところどころに華人コミュニティが散在していたアッサム(当時は現在のメガーラヤもアッサムの一部)においても一斉に彼らを逮捕して地域内の刑務所へ収容してしまう。驚いたことに、チベットからダライラマとともに亡命してきたチベット難民の中にも、このあおりで逮捕・拘束された人たちが少なくなかったらしい。

    その後、華人たちは、まとめてラージャスターン州のデーオーリーキャンプへと列車で移送される。(デーオーリーキャンプは、奇しくも第二次大戦期にマラヤ半島などに住んでいた日本人たちが敵性外国人として植民地当局に検挙されて移送された先でもある。)

    インド政府は、世代を継いでアッサムに暮らし、インドを祖国とする中国系市民を敵視するいっぽう、引き揚げ船を仕立てて彼らを迎えるというオファーをする中国に対して、これ幸いと彼らの身柄を引き渡してしまう。インド生まれの華人たちにとって中国は未知の国。おりしも時は文革の渦中で、引き揚げてきた彼らはインドによるスパイという嫌疑もかけられて大変な苦難を重ねることとなる。

    中国に送られることなく、アッサムに帰還することができた華人たちにとっても、日々は決して楽なものではなかった。苦労して得た工場、店、家屋などは、「敵性資産」として、競売にかけられており、彼らの父祖がそうであったように、再び裸一貫でスタートしなくてはならなかったからだ。

    文革の嵐が収まりかけたあたりから、中国に送られたアッサム華人たちの中で、当時英領だった香港を目指すのがひとつの流れとなっていった。

    そして現在、結婚したばかりの華人妻と生き別れになったアッサム人男性が、かつてマークームに暮らした華人住民たちの小さな集まりが開かれる香港を訪問して49年振りに再開。

    雄大な時間軸の中で展開していくスケールの大きなドラマ。こうしたインド系の人々の歴史を交えた長編作品を得意とする大作家アミターブ・ゴーシュの作品を彷彿させる。

    もともとマークーム(মাকুম)と題して2010年にアッサム語で発表された当作品だが、好評を得て英語版も出版されることとなったが、翻訳版という形ではなく、新たな記述等を加えて最初から書き下ろすことになったため、英語版の出版まで何年もかかったと聞いている。

    タイトル:Chinatown Days
    著者:Rita Choudhury
    出版社:Amazon Services International, Inc.
    ASIN: B0786T8XKX
    ※紙媒体ではなく、アマゾンのKindle版を入手。

  • ドキュメンタリー映画「Final Solution」が描くモーディーとBJP

    2002年にグジャラート州で発生した大暴動を取り上げたドキュメンタリー映画。
    重たい内容だ。以前はこの関係の書籍等も沢山出回っていたのだが、最近見かけなくなっている。事件はもはや風化してしまったかのように思われる。
    この暴動とそれによる殺戮について、背後で当時州首相であったナレーンドラ・モーディーが深く関与していた(らしい)ことも言われていた。この関係でグジャラート州首相時代、米国入国禁止になっていたことはよく知られている。
    だが2014年にインド首相就任すると、アメリカは黙って禁を解いてしまった。
    モーディー自身は、経済に明るいこと、お金についてはクリーンなことで人気で、州首相としても国の総理大臣としても実績を上げてきたが、思想的には危険な人物であることを忘れてはならない。

    Final Solution (2004)

  • FRONTLINE 2019年総選挙結果特集

    FRONTLINE 2019年総選挙結果特集

    左派ニュース雑誌「Frontline」、今号特集は先日結果が判明した総選挙について。「右派共和国」というタイトルにて特集記事を組んでいる。

    今回の総選挙も2014年に続いてBJP(インド人民党)率いる「右派」による連合、NDA(National Democratic Alliance)の大勝に終わった。この右派連合について、国外メディアは「国家主義のアライアンス」「ムスリム排除の連合」と捉える例が少なくないが、これは多分に誤りを含んでいます。アライアンスの核となるBJPについてはそうした理解で良いかと思うが、NDAに名を連ねる所属する他の政党についてはこの限りではないからだ。

    NDAに加盟している政党には、中央や人口稠密な北インドによる支配を跳ね返そうという南インドのドラヴィダ民族主義政党が有力メンバーとして名を連ねているし、北東地域政党で現在所属している州からの分離要求を掲げているのはもちろんのこと、インド共和国からの離脱さえ理想として描いている政党すらあるからだ。

    こうした主張の内容すらまったく異なる右翼政党、民族主義政党が連合を組むというのは、多様性に富むインドらしいところでもある。

  • 犬も見た目によらない

    ジャグダルプルでの投宿先は、表通りから路地に入ったところにある。
    路地沿いの家で飼っていることが後で分かったのだが、けっこう大きな犬が路地の真ん中に2匹いて、こちらを「ギロリ」と見ている。

    嫌だなぁ・・・。

    一人で通過するのは心細いので、誰か来ないものかと待っていると、ほどなく路地に入っていく人がいたので、すぐ後にくっついて行くことにした。

    そんな風にして、幾度か通って気がついたのだが、私が歩いていくと、なんとなく立ち上がって家の敷地の中にチョロリと入ってしまったり、あるいは家の敷地ギリギリまでのところまで引いて、通りすぎていくこちらを眺めていたりする。

    ホテルの窓から路地を眺めていて気がついたのだが、誰か人が来ると、奴らはスタコラと家敷地内に入ってしまうことがよくあるようなのだ。

    でかい図体していながらも、案外気が小さいらしい。まぁ、そんな犬でこちらは良かったのだが。

  • ジャグダルプルの宿

    ジャグダルプルの宿

    ピカピカで気持ちの良い部屋

    郊外にあるため宿の背後の風景はこんな具合

    チャッティースガル州のバスタル地方の中心地、ジャグダルプルにて、ちょっと奮発して
    一泊2700Rsの宿を利用した。

    田舎にあるけど、ほぼ新築でスタイリッシュな感じのホテル。とにかくピカピカで清潔なホテルだ。でも空いている・・・というのがポイントで、料金以上に素晴らしい。ほとんど宿泊客は無く、スタッフたちのほうが人数が多いようだ。

    少し郊外のほうにあるため、近くをふらりと歩いても、食事処がまったく見当たらなかったので、その宿泊先レストランで食べた。ピュアヴェジであるにもかかわらず、とても楽しめた。料理人の腕がよいのだろう。宿代に込みの朝食は、毎日内容を替えている。夕食もここで食べることが多かったが、インド料理、インド式中華料理、そしてデザートの類も美味しかった。

    ホテルのマネージャー氏は、一週間前に着任したばかりというオリッサの人で、42歳なのに大変初々しい。他のスタッフも感じがよいのだが、このガラガラ具合では先行き暗いようにも思う。ここから少し西へ進んだところに、同じマネジメントによる同様のホテルがもう1軒あるのだというから、さらに驚く。

    マネージャー氏いわく、バスタルの今後には大きなポテンシャルがあるのだということだが、ホントに大丈夫なのだろうか。
    だが、この人は親子二代続けて観光業に携わっているとかで、幼い頃から親に連れられて、インド全国各地を訪問したとのこと。彼の父は観光関係担当の役人だったそうで、プライベートでもあちこち訪れたり、何か調べてまとめたりすることが好きだったらしい。

    彼の出身地オリッサ州の話になり、チャッティースガル同様に様々な先住民族が暮らしている地域があるが、そうした部族の中で名前は忘れたが、決して笑顔をみせてはいけない部族がごく一部あるとのこと。初対面なのに笑顔だと、侮辱されたと受けとられて危険なのだという。

    Peace & smileは、「あなたに悪意を抱いていませんよ、好意を持ってますよ」という世界共通のメッセージかと思っていたが、そういう例外があるらしい。
    まあ、そのあたりについては、日本で接客業でお決まりの、心のないわざとらしい作り笑顔というのは、見ていてあまり気持ちのよいものではないため、初対面でヘラヘラしないという質実剛健な気風というのも、なかなか良いと私は思う。

  • カーンケールのオートワーリー

    カーンケールのオートワーリー

    田舎町なのにオートワーリー(女性のオートドライバー)がいた。呼び止めてちょっと話を聞いてみることにした。
    女性運転手による女性客のためのオートとのことだ。まだ数は多くないが、仲間たちはみんな頑張っているとのこと。この人は運転手になって7ヶ月経つそうだ。
    政府が音頭取ってのプロジェクトとのことだが、これは良い試みだ。
    それでは、気をつけて運転してください!

  • 女性による女性のための仕立屋

    女性による女性のための仕立屋

    カーンケールの宿の近くに女性だけが働いている仕立屋があった。
    サーリーの上に赤の縞柄のカーディガンを羽織っている人が始めた女性だけのテーラー。インドで仕立屋さんといえば男性の仕事だが、こういう華やかな仕立て屋さんがあると面白い。現在15人でバンバン営業していますとのこと。受注するのは女性衣類のみとのことだ。

    「デーワンガン・レディース・テイラース」という名の仕立屋