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カテゴリー: security

  • インド政府の本気

    チャッティースガル州の観光の目玉、ひいてはインド観光の新たな注目スポットとして期待されるバスタル地方。警察もこんな形で協力するほどなので、相当入れ込んでいるのだろう。

    バスタル地方は意欲的な若手IPS(州警察採用ではなく、中央採用の警察最上級職)が実績を積んでキャリアを急伸させるかどうかの登竜門みたいなところのようなので、下で働く警官たちはキリキリ舞いさせられていることと思う。

    最近までここに配属されて指揮をとっていたやはり若手IPSはメディアへの露出も高く、見るからに才気煥発の切れ者という感じだったが、このほど晴れて栄転となったニュースが出ていた。

    映画に出てくるスーパーコップみたいな人物の実物が活躍するのがバスタルらしい。今度導入されるとかいうツーリストポリスの現場で働くのは、やる気のないフツーの警官なのかもしれないが。

    Cops introduce ‘tourism policing’ in Naxal-hit Bastar (PRESS TRUST OF INDIA)

  • 旅行前に日本で購入できる割安SIM

    旅行前に日本で購入できる割安SIM

    短期旅行者限定ということになるが、こういうもののがあるそうだ。15日間有効で、カバーしている国ならばどこでも利用できるプリペイドSIM3600円で通信容量4GB。

    インドではAirtel、ネパールではNcellのネットワークを利用するとのことなのでいいんじゃないかと思う。たとえば有効期間内にインドで1GB使用してからネパールに入ると、残りの3GBが使用できる。トータル4GB使い切ってしまうと、もう通信できないというわけではなく、128kbpでゆっくりと繋がるらしい。ただし通話がついてないのは残念ではあるが。

    ごく限られた時間でめいっぱいあちこち行くため、インドの大都市に飛んで夜に着く、翌早朝のフライトやら長距離列車やらで田舎に移動、ケータイ電話屋でSIM買おうとしたら、週末でアクティベートできなかったり、「週明けにできるよ」と言われても、アクティベートまで3日(エリアによっては)かかったりなんてことはある。

    都会で手に入れないとダメだなぁ、でも街では店がまだ開いてなかったし、アテにしてた空港のSIMカウンターは、たまたま担当者が不在にしていい。た、なんてこともあるので、SIM難民化防止のためにはいいかもしれない。

    ネットに繋がっているか否かで、即興でオモシロ情報を得て関連するものを芋づる式に探訪してみたりできるか、それを帰国してから「あんなところがあったとは!」と気がつくかといった具合に、ずいぶん機動力が違ってくる。

    また、常時接続時代では、旅行中でも社会生活のノルマみたいなところがあるし・・・という向きもあるかと思う。

    購入してから「いつまでに使ってください」という期間内にアクティベートしてから連続15日間使用できるので、SIM買いそびれた際の保険として持参するといいかもしれない。もしその旅行で使用しなかったら、次の旅行に持ち越せばいい。

    宿のWi-Fiではダメだ。やはり思いついたときにサクッとアクセスできないと!という
    スマホ依存の方は少なくないだろう。

  • 山間部を行き来する運転手は大変

    ヒマーチャル・プラデーシュ州、ウッタラーンチャル州、J&K州等々、山岳部の往来を担う運転手たちは大変だ。
    映像は乾季で天候が安定している時期なので平穏無事だが、山中の狭い道路で、反対側から大型車両が来ると、互いに行き違うのは大変だし、更に夜中だと危険だし怖い。雨季の夜間という更に困難なシチュエーションも数えきれないほどあるだろう。
    そう、雨季にもなると、道路が崖ごと崩落してしばらく通行止めになったりもするし、やっとこさ開通したかと思えば、崩落部分の崖をなんとか削り通して修復してあったり、それとは反対に崩落個所になんとかレンガを積んで盛り土した上に道路を修復なんていう心配な処置だったりする。そんな場所に差し掛かるたびに、「おぉ、うまく直してくれたねぇ」と安堵したり、「こりゃあマズイ!」と神に祈ったりしているのかもしれない。
    山岳地の長距離バス路線で、大過なく無事に退職まで勤めあげた運転手に「ドライバー人生」について語ってもらったら、実に興味深いお話を拝聴できるのではないかと思う。

    Off road bus driving | H.R.T.C |Dangerous road of himachal pradesh | shimla most dangerous road (YouTube)

  • Hello Bastarという本

    Hello Bastarという本

    途中、他にも読みたい本がいくつかあったので中断していたが、本日読み終えた。インドの様々な地域に跋扈しているマオイストの活動を彼らの勢力圏のひとつであるチャッテースガル州のバスタルを中心に伝える一冊。

    僻地の貧困層や先住民を武力で服従させて解放区の拡大を図る暴力集団と思っていた(基本的にそういう理解で間違いないはず)のだが、文字を持たなかった先住民の言語に書き文字を導入して識字教育を進めたり、そうした地域で保健衛生指導のための手引きを作成したところ、あまりに評判が良くて、政府の学校でも配布されるようになったりと、案外社会とちゃんと共存している部分もあったりすることなども描写されており、目からウロコであった。

    ともあれ、政府は警察やときには軍まで出動させて、警戒にあたっており、マオイストたちも移動中の警察の車列を襲撃したり、詰所を不意打ちしたりして数十名規模の死傷者を出すなど、激しく対立する状態にあること、暴力による革命を是とする反社会勢力であることはもちろんだ。

    彼らの「解放区」からは、少年や若者たちが「徴兵」されているし、マオイスト支配地域と政府支配地域の境目にあたる地域の人々は、双方から協力を要請されるとともに、どちら側からも疑いの眼差しを向けられることから逃れることは出来ず、前者からは裏切り者として報復されたり、後者に逮捕拘束されて、拷問を受けたりするケースは少なくない。

    マオイスト指導層の中には、子供たちをイングリッシュ・ミディアムの学校に通わせるだけではなく、海外に留学までさせるほど「裕福」な層もあり、革命を強烈に志向する組織にありながらも、自身の子供たちには「学歴とキャリアを積んでいい職に・・・」と望む者もあることについても垣間見ることができる。

    そのいっぽうで、ムンバイの都会で生まれ育った中産階級の女性、アヌラダーが社会正義や労働運動などと関わりを持つにつれて、やがてマオイストの指導者のひとりとして頭角を現していく様子なども描かれている。

    著者のラーフル・パンディターは、マオイスト活動家たちと親しく、彼らのジャングルでの移動に同行しながら見聞した様々な出来事と合わせて、ニュースなどには出てこないマオイストたちの人間模様が取り上げられているのも興味深い。

    巻末の「あとがき」にもびっくりした。先述のアヌラダー女史の夫で、同じくマオイスト指導者のコーバド・ガーンディーがデリーのティハール刑務所服役中に寄せた文章である。
    ところで著者のラーフルは、カシミーリー・パンディットの出。カシミールの騒乱により、1990年に故郷スリナガルを追われた過去があるのだが、この人自身が書いたOur Moon Has Blood Clotsという本も読んでみたくなる。

  • バーブリーマスジッド破壊から25年

    アーヨーディヤーのバーブリーマスジッドが破壊されてから四半世紀が経過した。このあたりの一連の動きからインド中央政界の潮目が変わった。

    勢力に陰りが見えてきていた中道左派の国民会議派と、その他左派を中心とする勢力との綱引きが争われていた中に、急進するサフラン勢力が割って入ることにより、様相は一変した。国民会議派+左派勢力に対するサフラン勢力+地域民族主義勢力という図式になってきた。それまではキワモノ的な扱いだったサフラン勢力が一気に檜舞台へ立つことになった時代の転換期。

    その後、国民会議派とサフラン勢力を代表するBJPが総選挙で覇を競うこととなるが、前者が政権を握る場合も単独でマジョリティを得ることはなくなっている。現在、国民会議派を中心とするUPA(United Progressive Alliance)とBJPが核となるNDA(National Democratic Alliance)が対抗するふたつの軸である。

    地方政治でも同様に国民会議派の存在感は薄れている。北インドの人口稠密なUP州では1989年12月、ビハール州では1990年3月、インド西部の要衝グジャラート州では1995年3月といった時期を境に、国民会議派政権は生まれていない。

    UP州、ビハール州では特定のカーストやコミュニティを票田とする左派政党が長らく州政界を牛耳ることとなり、前者は今年3月の選挙でついにサフラン勢力が征することとなり、グジャラート州では1995年に国民会議派が政権から陥落してからは、いっときの空白期間を除き、やはりサフラン勢力が政権を維持している。

    Babri mosque: The build-up to a demolition that shook India (BBC NEWS)

  • マオイスト英国人女性の手記

    リンク先は、インドでマオイストとして活動して、1970年にビハール警察に逮捕された英国人女性の手記。

    MY YEARS IN AN INDIAN PRISON (By Mary Taylor)

    当時の西ドイツに研修で滞在中のエンジニア、カルカッタ出身のアマレンドゥ・セーン(共産党マオイスト派の活動家)と結婚したことがきっかけでマオイストの道へ。

    ナクサライト(マオイスト)の創設メンバーのひとり、チャールー・マーズムダールは、なかなかのインテリだったそうだし、幹部にはバラモン層の知識階級や地主層の裕福な子弟だった人たちが多い。

    西ベンガルのナクサルバリで始まった毛沢東主義過激派の狼煙(ゆえにナクサル主義者=ナクサライト)は、他州にも広まったが、やはり指導層はそんな具合だ。頭が良すぎる?のも考えものかもしれない。

    もっとも近年は、マオイストたちの中での「汚職」の例も少なくないようで、活動資金を不動産等に投資して、ジャングルの中で闘争している手下たちをよそに、市街地に豪邸を構えたり、息子や娘たちを都市部のイングリッシュミディアムの進学校に行かせるリーダーたちも少なくないらしい。

    権力というものは、合法なものでも非合法なものでも、やがては腐敗するものなのか。

  • デリー警察のポスターガール

    デリー警察初のポスターガールは、実際にデリー警察に勤務する女性警官とのこと。記事中にあるとおり、彼女は優秀なアーチェリー選手で、ライフルの扱いにも秀でているというナガ族の女性。私たち日本人とよく似た風貌のモンゴロイド系の民族だ。
    彼女が女性警官としての高い資質を認められたこと、加えて容姿にも恵まれているということ以外に、近年の首都で頻発しているインド北東部出身のモンゴロイド系の人たちへの偏見、嫌がらせや暴力行為などに対する抑止としたいというデリー警察の意思があるのだろう。
    多民族国家インドでは、少数民族に対して進学や公部門への就職の際に留保制度といった優遇制度があるものの、市井の人々の間でこうしたマイノリティを見下す傾向は否めないようだ。
    多くの人々の目に付くところで、世の中のために日々頑張っている少数民族の人たちの姿が取り上げられることを通じて、少しでも状況が改善することを願いたい。

    Delhi Police gets its first poster girl (THE TIMES OF INDIA)

  • 「THE LAST ANGLO-INDIANS」という本

    「THE LAST ANGLO-INDIANS」という本

    アマゾンのKindle版で読んでみた。アングロ・インディアン全般について書かれたものではなく、著者の祖父母、母のインドでの生活の日々から、母親が南米出身の船乗りと結婚して1960年代に米国に移住するまで、19世紀終わりから21世紀に入るまでを淡々と綴った3代に渡る家族史。

    インドでは中産階級に位置する家庭だが、一家やその一族は、電報局や鉄道勤務だったり、軍人だったりと、いかにもアングロ・インディアン的な勤め人世帯。

    著者が語るに、アングロ・インディアンたちは、土地や家屋を所有せず、多くはアングロ・インディアンたちが多い地域で借家暮らしであったということだが、こうした層の人たちは、多くが転勤族であったことによるのではないかと想像する。アングロ・インディアンの商人層には、これとはまた異なるライフスタイルがあったことだろう。

    勤務先での出世といっても、要のポジションに配置されているのは、本国からやってきた英国人。英国系とはいえども、インド生まれの人たちはローカルスタッフの扱いであったようだ。英国もインドも階級社会だが、アングロ・インディアンの中でも、生業や出自、業種や経済状況などにより、いろんなクラスがあったらしい。

    1929年から1933年にかけての大恐慌の時代には、インドもひどいとばっちりを受けているが、現地在住のアングロ・インディアンも失業して、文字通り家族で路頭に迷う者も少なくなかったのだそうだ。英国系ということで支配層に比較的近いところにいたとはいえ、やはりそのあたりは、文字通りの勤め人なので、極端な不景気に見舞われると大変である。

    家庭料理には、ふんだんにインドらしいメニュー(英国テイストを含んだ)が並び、そのレシピもいくつか紹介されていた。今度、料理してみようかと思う。

    一般のインド人家庭よりは、恵まれた環境にあったようだが、それでも10代の反抗期には、グレてしまったり、勉強嫌いで学校からドロップアウトして、家族から離れてしまう者もあったりと、日本で暮らす私たちの家の中で起きることと、同じようなことが書かれている。

    ただ、衛生状態や医療水準は今とは違うので、著者の母親は幼い頃、チフスで危うく命を落としかけたようだが、その時代には裕福だったアングロ・インディアンの家庭でも、生まれた子供たちがみんな元気に育つということはなかったらしい。

    Kindle読み放題を利用したが、単体で購入しても570円。コスパの高い、英領末期前後のアングロ・インディアンに関する書籍である。

  • ダージリンのバンド開始からひと月

    地元政党GJMが呼びかけたバンド(ゼネスト)が始まってからひと月になるダージリン。すべての商店、ATM、学校、その他諸々が閉まってしまい、救急車、消防車などの緊急車両だけが往来するという事態のようだ。「バンドを呼びかけた」といっても、協力を求められた住民たちには、これを断るという選択肢はない。

    拒否して商店を開けていたり、タクシーやバスを走らせたりすると、GJMの活動家がやってきて、扉や窓を壊したり、放火したり、商店の人たちをぶん殴ったりして、「協力するように説得」するわけである。

    こうした組織的怠業を実行する力があるのは、多くの場合、地域の有力政党で、末端で暴力を働くチンピラたちを養っていたり、あるいはそういうヤクザ者を動員できる人脈を持っている。当然、警察にも顔が利くというか、警察自身も厄介なことに関わりたくないので、まったくのやられ損になってしまう。ゆえに人々は財産の保持と身の安全の確保のため、これに従うことになる。地域の経済活動をすべて止めて、ゴルカランド分離要求のバンドが実施されているからといって、必ずしも地元の総意でこうした活動に参加しているわけではない。

    こうした「非服従運動」は、ガーンディーの時代にも、当時の国民会議派が社会に広く呼びかけて、英国植民地当局に対する抵抗として実施されていた。現場ではこれと同じような感じだったはずで、すべての人々が英国を嫌っていたわけではないが、バンドの呼びかけに従わないと、末端活動家やチンピラたちに店が壊される、商品が略奪される、大ケガさせられたり、悪くすると殺されたりもするので、不承不承従う人もずいぶんたくさんいたはずだ。

    国民会議派の主導により、インドが独立を勝ち得ると、そこは「勝てば官軍」で、街中でまかり通っていた乱暴狼藉や不条理はなかったこととなり、美しいストーリーばかりが紡がれることとなった。

    もしダージリンが西ベンガル州から分離して、独自のゴルカランド州となった暁には、GJMの指導層は、圧政をはねつけて、人々を正しく導いた闘士として、持ち上げられることになるのだろう。

    しかし、反体制派が大手を振って、果敢に体制側にチャレンジできる環境というのは、アジアのもうひとつの大国、中国ではありえないことなので、やはりインドという国は偉大なり・・・という思いはするものの、野党の政治活動があまりに自由というのもちょっと考えものだと思うのは私だけではないだろう。

    Darjeeling: Residents struggle for basic requirements of urban life (THE TIMES OF INDIA)

    ※「ゴアンな料理2」は後日掲載します。

  • ダージリン騒乱 観光客増を見込む近隣国

    もうひと月以上も続いているダージリンでのバンド(ゼネスト)と政情不安の結果、当分の間はダージリンは行楽先から外れることとなる。それに従い、観光客たちがネパール、ブータンへ流れることが見込まれている。
    高額なパッケージツアーに参加しないとブータンに入国できない私たちと違い、ビザ無しで個人で自由に旅行できるインド国民にとっては、近くて安い訪問先である。
    インド人にとって、デリーやムンバイー発のグループツアーを利用しても、タイのバンコク、パタヤー、プーケットなどを訪問する月並みなツアーと、ブータンのティンプー、パロー、プナカーなどを訪れるパッケージがほぼ同じくらいの金額で出ているポピュラーな行楽地だ。
    しかもブータン通貨のニュルタムはインドルピーと等価であり、ルピー現金がそのまま通用することもあり、英語もヒンディー語も広く通用するため、インド国内旅行の延長として捉えられている。
    ことブータン訪問に限っては、インド旅券が欲しくてたまらない。

    Bhutan and Nepal cash in on Darjeeling crisis, woo tourists (THE TIMES OF INDIA)

    ※「ゴアンな料理2」は後日掲載します。

  • マドガオン2

    マドガオン2

    マドガオンでの宿泊先で付いていた朝食。プーリーバージーなのだが、使われているのがココナツオイルであることに、なんだか不思議なエキゾ感を覚える。

    町中とくに繁華街やその周囲では、元々のゴアの人たちは何割くらいなのか?と思う。観光客ではなく地元で働いている人たちのなかで、明らかにゴアンであるとは思えない人たちがとても多いようだからだ。聴覚的にも、地元に住んでいると思しき人たち同士のヒンディーによる会話も聞こえてきたりする。

    ポルトガル時代の建物
    ずいぶん小さな教会があった。

    インド各地からの移住は自由で、人口圧力の大きな州から大勢流入してくるのは当然のことだ。またビジネスを展開しようという人たちも沢山やってくる。現在、この州がBJP政権下となっている背景には、そうしたこともあるはずだ。

    かなり南側に位置しているとはいえ、マラーティー語に近いコーンカーニー語のエリアなので、ヒンディー話者にとっては馴染みやすい言語環境(同様に地元でのヒンディー語受容度もすこぶる高い)であり文化圏であるため、北インドからを引き寄せやすい環境だ。

    そんなこともあることから、話は飛ぶが、ポルトガル時代末期には、インド側のスパイや工作員の活動を防ぐことは困難であったらしい。革新志向のインテリ層の若者たちの中で、『祖国復帰』の活動のため地下に潜行したり、インド側の内通者として活動したりした者も一部あったようだ。

    とはいえ、大方のポ領ゴアの世論はインドによる『返還要求』を脅威と捉えており、とりわけ受けた教育や社会的地位が高くなるほど、そうした傾向が強かったとのこと。

    そんなポルトガル時代末期に、ゴアとパキスタンは蜜月時代にあったことがある。インド独立後にデリーから強硬な返還要求を拒み続けていたポルトガルは、インドによる経済封鎖を受けて、各方面に渡る様々な物資の入手をパキスタンに依存した。パキスタンにとってもインドと敵対するポ領ゴアは戦略上においても大きなポテンシャルを持つ『友好国』であり、食料、生活物資等々、多岐に渡る供給を支援していたようだ。

    そんなポルトガル領ゴアとパキスタンの関係も1961年12月にインドが強行したゴア制圧の大規模な軍事作戦、『オペレーション・ヴィジャイ』により、粉砕されることとなる。

    当時の貧しかったインドに呑み込まれることを恐れたことに加えて、よくも悪くもポルトガルによる同化志向の強い政策により、ゴア人として独自のアイデンティティとポルトガル本国との強い絆が涵養されてきた歴史が背景にあった。こうした面で、インドネシアと東ティモールとの間にあるものと、似たような土壌かあったとも言える。

    復帰後のゴアは、中央政府による連邦直轄地となり、地元の社会・文化・政治環境等には配慮しつつも、16世紀から長く続いたポルトガル式統治のシステムと慣習をインド化することに力を注いだ。ポルトガル時代末期までの在地エリート層で、この時期に凋落してしまった例は少なくない。

    ポルトガル語で教育を受けた官憲が英語教育で育った者に置き換えられただけでなく、インドが独立後に実施した土地の分配と同様に、ゴアでも大地主たちが所有していた農地等が分配されたことなどもある。ロンリープラネットのガイドブックで紹介されているBraganza家の屋敷の当主もそんな具合だったのではないかと思う。
    ゴアがようやく『州』となったのは1987年のことだ。

    インド復帰後のパワーゲームをうまく処理してゴアを上手にインドへ統合させたことになるが、ゴアで2012年にBJP政権が成立したことはエポックメイキングな出来事であり、ゴア問題解消に至るゴールであったと言える。かくしてゴアは普通のインドとなった。

    さて、インドによる軍事侵攻に降伏してゴアを去ることになったポルトガル当局だが、1947年にインドを去ったイギリスと対照的なのは、ポルトガル籍を取得していた現地住民と一定ランク以上にあった政府職員への措置。

    当時のポルトガルが保有していた海外領、とりわけモザンビークへの移住、再就職を積極的にサポートしたと聞く。もっともそれからまもなくモザンビークはポルトガル支配への闘争から内戦状態となり、インドから移住した官憲は当然攻撃の対象となる。そしてモザンビークは独立を迎える。期待した新天地での明るい未来は無かったことになる。

    マドガオン駅は宿から徒歩すぐ。駅で大量に販売されていたが、ゴアのチッキーは、具材が豪華らしい。食べると歯の治療の詰め物が外れたりするのが悩ましい。

    チッキー

    ニザームッディーン行きのラージダーニーに乗車。Wi-Fiが利用できて良いと思ったのだが、しばらくすると使えなくなった。携帯電話を入れて、SMSで送られてくるIDとパスワードを入れてログインするため、結局はインドのケータイが必要となる。しかし発車してしばらくすると使えなくなり、シグナルも来ていない。駅だけのサービスというわけではないと思うのだが?

  • インペリアル・シネマ

    インペリアル・シネマ

    Imperial Cinema

    デリーの宿泊先近くの映画館「インペリアル・シネマ」。もう何年も閉鎖されたままのようだ。

    今どきのインドの都会では、洒落たシネプレックス化が進み、古いシネマホールが単館でやっていくのは大変難しくなっているのを象徴しているようだ。
    それにしても都心で、こんなもまとまった箱モノが放置されたままというのはずいぶんもったいない気がする。

    また、南デリーでは、記憶に間違いがなければ90年代前半に火災を起こして死者まで出したウパハール・シネマという映画館の建物が、今でも事故後そのままになっている。

    地価がどんどん上がるデリー。どちらも大変引き合いがあるはずのロケーションで、こうした建物が処分されない背景には、建物か土地か、なにがしかの係争を抱えていると推測するのが妥当だが、実際のところどうなのかはよく知らない。

    すでに廃止されていても、オートの運転手などに、その名を告げると、誰もが判るのだから、シネマホールとしての機能の一部(ランドマークとして)は残っていることにはなる。