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カテゴリー: news & media

  • 史上最悪の産業事故から四半世紀

    昔からボーパールで生活している、ある一定の年齢層以上の人々にとって、12月3日という日付には特別な意味があるはずだ。
    今年もその日がやってきた。1984年の12月3日の零時過ぎに、マディヤ・プラデーシュ州ボーパール市のユニオン・カーバイド社の工場で起きた、史上最悪といわれる産業事故である。
    ONE NIGHT IN BHOPAL (BBC NEWS South Asia)
    その晩、同工場から有毒ガスが市内に流出した。イソシアン酸メチルと呼ばれる肺の組織を破壊する猛毒である。事故が起きた夜半のうちに50万人近くの人々が多かれ少なかれそのガスに晒され、2千人以上が命を落としたとされるとともに、その後これが原因となって死亡した人々の数は2万5千人に及ぶという。
    また命を落とすには至らなかったものの、深刻な健康被害を受けた人々の数は、20万人とも30万人とも言われているとともに、今なお引き摺る後遺症に悩んでいたり、精神を病んでいたりする人々もある。彼らの中でガンを発症する率が極めて高いことも指摘されているとともに、出生する赤ん坊たちの中に先天的な奇形が多く見られるという。
    1969年開業時には地元の工業化の進展と大きな雇用機会をもたらすものとして、またここで生産される有用な殺虫剤の普及は社会に貢献するものとされていたことなどもあり、歓迎されていた工場である。
    事故の原因については、今なおいろいろ議論のあるところだが、ユニオン・カーバイド社が主張していた『アメリカ本国と同じ安全基準』が実際には適用されておらず、ずさんな管理がなされていたことが背景にあるようだ。また従前より、工場内部からも事故の可能性を危惧する声が一部から上がっていたらしい。
    1989年に、事故の遺族たちとの示談が成立し、彼らに対する補償問題は解決したものとされているが、工場地の重度に汚染されている状態、そこから敷地外への有害物質の漏出が現在も続いており、今なお付近の人々に対する健康被害が継続しているとされるが、これについての責任の所在が確定していないため、何の対応策も取られていない。
    同工場は事件後閉鎖されているが、ボーパールの駅から北方面2キロ弱の地点にある。Google Earthなどで確認していただけるとよくわかるが、この工場自体が市街地内にあり、しかも人口稠密な地域にごく近いことも大きな被害を呼ぶことになった。

    大きな地図で見る
    線路西側にかつての工場施設が錆び付き、荒れ果てた姿で亡霊のように姿を現す。かつて大事故を起こした建物が、当時そのまま放置されていることが示すように、事件は今なお続いている。
    この事故は、発生直後からマスコミやノンフィクションなどでいろいろ取り上げられてきたが、比較的近年になってからも映画や小説の題材となっている。
    1999年には、この事故を題材にしたヒンディー映画『Bhopal Express』がリリースされているので、観たことがある人も少なくないだろう。
    The City of JoyFreedom at Midnightなど、インドを題材にした作品も複数手がけてきたドミニク・ラピエールがハビエル・モローとともに著した作品『Five Past Midnight in Bhopal』を世に送り出したのは2002年。
    20091203-five past.jpg
    日本で同書は『ボーパール午前零時五分』というタイトルで発売された。
    事故に関して、以下のようなビデオならびに写真のサイトもある。
    Twenty Years Without Justice : Bhopal Chemical Disaster (STRATEGIC VIDEO)
    Bhopal Gas Tragedy (Photos by Raghu Rai)
    汚染が継続していることを警告する住民側とこれを否定する行政の姿勢を伝える報道もある。
    Bhopal site ‘not leaking toxins’ (BBC NEWS South Asia)
    事故発生からすでに四半世紀が過ぎたことになるが、今なお健康被害等が続いていることについて目をつぶるべきではないし、彼らの救済や汚染状態の調査と適切な対策がないがしろにされてしまっているこの事件を風化させてしまってはならない。
    だが、事故の規模があまりに大きなものであったがゆえに『誰がその費用を負担するのか?』という問いに対して、『誰も負担できないし、負担しない』状態が続く限り、被害者たちの苦悩は続くことだろう。たまたまそこに居合わせたがゆえに事故に巻き込まれた罪無き人々に対するあまりに酷い仕打ちである。

  • ダライ・ラマ14世訪日 3

    チベットやウイグルをはじめとする、中国国内の少数民族問題はともかく、総人口の92%を占める漢民族にしてみたところで、マイノリティのそれとは次元が違うものの、思想的に『抑圧されている』ことは同様だ。
    たとえば天安門事件の例などその典型だ。もう20年も前、1989年6月に起きた騒乱だが、政府に対して声高に異議を唱えた市民たちの運動は、権力による巨大な暴力により叩き潰された。通信手段が発達した現在、当時と同じような手法で人々に弾圧を加えることはできないかといえば、そうでもないことは、昨年の春先のチベット自治区、今年の新疆ウイグル自治区での出来事を見ても明らかだ。
    幸い、経済成長著しい中国で、人々はより豊かな暮らしを求めて邁進しており、日々稼ぐことに忙しい。どこの国にあっても、人々の最大の関心ごとは自分たち自身のことだ。それは進学であったり、就職・起業であったり、月々の稼ぎのことであったりするだろう。結婚して子供をもうければ、息子や娘の教育のことであったりもするだろう。
    これもひとえに経済という、世の中の歯車がきちんと回転し、安定した収入で自らの生活を充足することができ、さらに欲を言えば昨日よりも今日、今年よりも来年がさらにその質を高めていくことができるであろうという、明るい展望があればうれしいものだ。
    そうした成長の路線に自分たち自身も加わっているという手ごたえがさえあれば、多少の問題は転がっていても、政府の手腕を評価こそしても、反旗を翻したり、あわよくば転覆を企図しようなどということはないだろう。
    天安門事件からすでに20年経過した。1989年に生まれた赤ん坊が、今年20歳の誕生日を迎える。長い年月である。事件の前後あたりに生まれた子供、当時幼子であった世代が、すでに両親の元を巣立ち、国内での進学・就職、あるいは国外に留学したり、仕事を得るために出国したりするようになった。
    こうした人々の多くは、いやほとんどは、天安門事件についてほとんど何も知らされていない。せいぜい『北京で何か大きな騒ぎがあったとは聞いている』といった程度だ。もちろん学校でそんなことを教えるはずもないが。家庭でも親たちの世代は『あんなことに関心持つとろくなことがない』と身をもって体感しているがために、敢えて自分の子供にそんなことを話したりすることがほとんどないのも無理はない。
    子供たちが、変に政治に関心を持って、せっかくの将来をフイにしてしまうようなことになって欲しくない。ちゃんと勉強に専念して、卒業してからしっかり働けば、それなりにいい暮らしができるようになるのだから・・・。そう期待できる、あるいは確信できる社会がある。いい時代になった、に違いない。
    だが敢えて自分たちの社会の抱える矛盾に人々の関心が及ぶのをことさら避ける体制、そうした事柄に関心を抱かない市民たちが、自分たちの暮らす街や地方から遠く離れた西の果てで何が起きているのか、とりたてて興味を持つこともない。ただ昔々、人民解放軍の手によって、チベットは、チベット人たちは『解放された』のだと信じている。事の本質はここにあると私は思う。
    ダライ・ラマが各国への外遊を続けても、亡命政府が国際社会に対して支持を訴え続けても、その声は中国に暮らす13億の人々の耳には届かない。報道の自由はなく、私たちの感覚で言うところの『世論』が存在しない国である。
    かくして時間の経過とともに、チベット本土が中国の不可分の領土の一部であることの既成事実化がさらに進む。チベット本土と亡命社会との絆も薄れるとともに、チベットへの漢族の入植が進む。やがて『西蔵自治区』人口のマジョリティを占めるのは外来の人々となる。時代が下るとともに、多数派の彼らこそがこの地域の主人公、彼らの文化こそがチベットの文化ということになりかねない。
    もはや押しも押されもせぬ21世紀の大国。右肩上がりの経済力と群を抜く軍事力を背景に、近年ますます発言力を増す磐石の体制の中国を前に、亡命チベット人たちの声は消え入らんばかりに弱々しいことが不憫でならない。

  • ラージダーニー急行 マオイストが占拠

    20091027-apharan.jpg
    今月21日にマトゥラーで起きた列車同士の衝突事故、同じく23日にはムンバイー郊外のターネーで、走行中の列車に送水管が落下したことによる事故と、鉄道関係の惨事がニュース映像となって流れたばかりである。
    今日は、夕方テレビのニュースを眺めていると、『Breaking News』のテロップとともに、今度はマオイストと見られる一団により、ブバーネシュワル発デリー行きのラージダーニー急行が長時間停められているという速報が流れてきた。
    場所は西ベンガル州のミドナプル地区。ジャールカンド州境に近いところである。複数の男たち、一説には100名ほどの群集が、赤い旗を手にして列車を停止させ、乗客の人々を人質にしているとの報せに仰天した。
    その時点では、彼らが本当にマオイストであるかどうかの確認は取れていないようで、この地域のマオイストのリーダーは関与を否定しているという説も流れていた。それでも犯行グループは、現在収監されているマオイスト指導者、チャトラダール・マハトーの釈放を要求しているとのことで、やはりマオイストのある派閥に属する者たちによる実力行使であると見られるとのことだ。
    これを書いている今時点で、事件発生から5時間経過した。すでに車両は警察当局のコントロール下に置かれている。犯人グループたちにより、携帯電話を取り上げられた者は複数あったようだが、幸いにして負傷者等は発生していない模様。テレビカメラに映し出されたラージダーニー急行の車体には、前述のチャトラダール・マハトーの解放を要求するメッセージが赤い文字で大書きされている。
    Maoists stop Bhubaneswar Rajdhani Exp, driver missing (ZEE NEWS)
    Rajdhani blockade over, ‘pro-Naxal’ group takes claim (India Today)
    マオイスト、あるいはインドの武闘派極左勢力発祥の地である西ベンガル北部のナクサルバリにちなんで、ナクサルあるいはナクサライトと呼ばれる赤い地下組織は、西ベンガル以外でも、チャッティースガル、オリッサ、ジャールカンド、ビハール、アーンドラ・プラデーシュ、マハーラーシュトラなどで盛んに活動しており、事実上の『解放区』となっている地域さえある。
    部族や寒村の貧困層といった、開発や近年の経済成長の恩恵とは縁遠い人々を主な基盤としており、そうした地域のアクセスの悪さや行政組織の不備等が、彼らの活動を利している部分もある。
    そうした発展から取り残された地域の警察組織の脆弱さ、個々の警察官たちが治安要員としての資質や経験に乏しく、実戦の中で切磋琢磨してきたマオイストの戦闘員たちとまともに対峙することができないという行政側の当事者能力の欠如も指摘されているところだ。
    近年、とみにマオイストたちの活動の拡大が顕著であることから、国内の治安に対する大きな脅威であるとして、中央政府が対決姿勢を鮮明にしているところだ。しかし中央の政治家たちがいくら声を荒げてみたところで、都市部を離れて人口が希薄、ひいては警備もほとんど存在しない公道や鉄路の上で散発する事件に対して、当局はあまりに無力であるように見える。
    マオイスト、ナクサルと一口でいっても、その中には様々な志向の集団が内在していることだろうが、ネパールで内戦を続けた末に、合法的な政党と化し、一度は政権を担うまで至り、今も同国政治の行方を担う一大勢力である『マオイスト』が、彼ら自身の頭の片隅にはあるだろう。
    果たして中央ならびに各州の政府が、地域社会と力を合わせてこうした暴力組織を駆逐する方向に進むことができるのか、あるいは今後ますます犠牲者を出すとともに自らの勢力を拡大していくのか、気がかりなところである。

  • ダライ・ラマ14世訪日 2

    残念なことではあるが、おそらくチベットはこのままの状態でさらに時代は下り、やがてダライ・ラマがこの世を去るときがやってくる。後継者問題、誰がチベット亡命社会を率いることになるかという問題が生じる。
    亡命市民たちも同様だ。在外チベット人社会、とりわけその大半が集中するインドにおいても、世代交代が進んでいく。やがて亡命者社会の中核を担う人々のほとんどが『祖国チベットでの生活』『逃避行と亡命先での定着過程』を体験していない世代となるどころか、亡命第一世代もごくごく稀な存在となる日がくる。
    日本で鮮明な戦争体験を持つ世代、従軍した経験を持つ世代が次々に鬼籍に入るようになっている。年を追うごとに、戦争を自らの体験として記憶する世代が姿を消している。すると、反戦・平和思想がかけがえのないものである、憲法第九条は、不戦の誓いとして私たちが世界に誇るべきものであるといった『常識』に異を唱える声とともに、先の戦争を再評価しようという動きが次第に広がりつつある。
    チベットにおいては祖国、日本においては太平洋戦争と、前者においては祖国、後者においては戦争に対する、どちらも実体験を持たず、見聞による知識のみの人々が、それらのテーマについて、今後どういう扱いをしていくのだろうか。おそらくこれらを実際に体験した世代とはずいぶん異なる考え方をするのではないかと思われる。
    もちろん時代が下ってからも、チベットからインド方面への亡命者の流れは細々と続いているとはいえ、数十年に渡って定住しているコミュニティのイニシャチブを新参者の少数派が握るということは、よほどのことがない限りあり得ないことだろう。
    かくして刻々と年月は経過していき、中国・台湾がそうであるように、韓国・北朝鮮もまたそうであるように、もともと同国人のはずであっても異なる体制下に暮らすことが長年固定化されると、お互いに『同胞・・・でも限りなく外国人』という存在になってくる。
    仮に、中国政府が奇跡的に態度の軟化を見せて、ダライ・ラマが中国に対して求め続けている『高度な自治』が実現されたとしても、これまで経過して長い長い時間という大きなハードルは越えがたいものがある。
    このままの状態のまま、あと一世代分くらいの時が経てば、在インドのチベット亡命社会は、事実上『例外的に無国籍のインドの少数民族』となってしまうのではないだろうか。いつかは祖国に帰還することを望んでいても、緊急避難的にテント生活でもしているのならともかく、すでに長年に渡って居住国に確固たる生活の基盤を築き、複数世代定着してきた後に、地縁・血縁も希薄になった父祖の故郷に戻ってうまくいくとは思えない。
    仮に思い切って『帰国』してみたところで、これまで生活してきた場所とはまったく勝手の違う環境で苦労するだろうし、『文化の違い』から地元の人々との摩擦も必ず起きるだろう。
    いつか確実に、亡命社会のありかたそのものを考え直すべきときが確実にやってくるはずだ。それはコミュニティ全体のことでもあり、それを構成する個々人の問題でもあるのだが、同時に難民として彼らを受け入れているインドもまた、彼らの立場について真摯に再考しなければならないことになるだろう。
    チベットの立場に関して、ひとつの大きな困難な障害は、広大な国土と膨大な人口を抱える占領国、中国国内に声が届かないことだ。そもそも言論の自由のない国なので、私たちの考えるような世論は存在しえない。報道の自由もなく、厳しい検閲と言論統制がまかりとおっていることだ。
    中国の人々に、チベット問題について認識を深めてもらい、中国内の世論の動きによって、この問題が解決・・・とまではいかなくとも、自らが改善の方向へと動き出すことがあれば良いのだが、残念なことにそういうシステムにはなっていない。

  • ダライ・ラマ14世訪日 1

    来週、ダライ・ラマ14世の来日が予定されている。1990年代おわりから、ほぼ毎年日本に来るようになっているが、今回もまた各地で法話・講演が行なわれる。
    現在来日中の世界ウイグル会議議長のラビヤ・カーディル氏がダライ・ラマとの会談を希望しているとされる。
    日本政府に対する中国側の圧力もあり、ダライ・ラマ14世の訪日は政治目的ではないことになっているものの、チベットとウイグルという長年北京が手を焼いてきた『反体制派の巨頭』が顔を合わせるかもしれないことから、中国はかなり神経を尖らせていることだろう。
    北京の横槍に屈して日本政府がこうした動きに対して干渉したり、あるいは先のオリンピックの聖火リレーのときのように、在日中国大使館が動員した人々が示威活動のようなことを行なったり、モメごとを起こしたりといったことがないよう望みたい。
    ところで、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトを眺めていると、チベット亡命政府によるインターネットTVを視聴できるようになっていることに気がついた。
    おなじく亡命政府により、中国語で書かれたチベット問題啓蒙サイトもあるが、前者と合わせて中国国内からは、まずアクセスできないことだろう。
    1989年にダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞してから、それまで比較的静かだった彼の居住地にしてチベット亡命政府が置かれているダラムサラが、それ以前と比べて飛躍的に世界の耳目を集めるようになり、世界中から訪れるメディアや人々の数がケタ違いに増えた。
    同時に、インターネットの普及により、ダラムサラその他のチベット亡命社会から、広く世界に発信できるようになったことで、チベット問題に少しでも関心のある人に対して、たとえどこに住んでいる人であろうとアピールできるようにもなっている。
    各国の人々の間で、チベットに関する知識が広がり、問題に関する認識も深まることは、国際社会から中国当局への外圧につながっていることは疑いの余地はないだろう。しかしながら中国には、それを跳ね返す政治力と国際社会における強い発言力がある。
    そのためダライ・ラマのノーベル平和賞受賞時にまで遡っても、当時に比べて現在のチベット情勢が改善されたという認識はどこにもないだろう。時代が下るとともに、物質的には豊かになり、生活水準は向上しているとしても、チベットの置かれた立場、チベット人たちに対する処遇は変わることがない。

  • 嵐と水害

    1959年に大きな被害をもたらした『伊勢湾台風並み』の大型台風が日本に接近しているのだそうだ。
    「伊勢湾」並み台風18号、近畿の一部暴風域に (YOMIURI ONLINE)
    台風18号あすにも近畿上陸 伊勢湾台風並み (産經関西)
    伊勢湾台風並みというのはいささかオーバーな表現かもしれないが、控えめな表現でもここ10年で最大の台風ということになっているようだ。また予想されるコースが50年前の伊勢湾台風のものと重なることからも、とりわけ当時被害が甚大であった名古屋近郊南部に広がる干拓地を含む低地での高潮による被害も懸念されているようだ。
    台風18号、東海あす朝直撃も 風速過去10年で最大 (中日新聞)
    今後、台風の進路となることが予想されている各地で明日、学校を休校する決定が相次いでいる。相当強い風雨となることを懸念してのことである。
    気象予報士の森田正光氏らによる『チーム森田の”天気で斬る”』によれば、最大瞬間風速58.9メートル(観測史上3位)で、最大風速39.1メートル(観測史上5位)とのことである。最低気圧955.9ヘクトパスカル。これは、本日未明に台風18号が約70キロまで接近した南大東島で観測された数値であるそうだ。

    (さらに…)

  • ラオスの刑務所で

    インドとはまったく関係のない話で恐縮ではあるが、滞在先のバンコクで手にした英字紙Bangkok Postにショッキングな記事が出ていた。
    『妊娠中の英国女性に銃殺刑迫る』
    ラオスで麻薬密輸容疑で逮捕されたナイジェリア出身の英国籍女性が、昨年8月にラオス首都のヴィエンチャン空港からタイのバンコクへと出国しようとしていたところ、686gのヘロイン所持していたため逮捕され、近々判決が出ることになっているのだという。
    現在、ラオスではヘロインを500g以上所持していると極刑に相当することになっており、近く開かれる法廷で有罪となれば、銃殺刑に処せられることになるのだそうだ。 だが彼女は妊娠中。今年9月に出産予定だという。
    在ラオスの英国大使館は、彼女が拘禁されるようになって数ヶ月経つまで、それを知らなかったという。その後毎月20分だけ大使館の担当者との面会が、ラオス当局者の立会いのもとで認められているだけとのことだ。
    1988年生まれのSamantha Orobator Oghagbonは現在20歳。第三者のために運ぶことを強要されたと主張しているという。
    彼女は昨年7月に休暇でオランダ、タイを訪れた後にラオスに行き、ここから8月6日に空港から出国しようとしたところで逮捕されて以来、彼女は女性刑務所に収監されている。ここは囚人たちへの虐待ぶりの酷さで悪名高いところであるらしい。
    本人はヘロイン所持の事実を認めているとはいえ、それが死刑に相当するものであること、また彼女が妊娠中であり、産まれてくる予定の子供には何の罪もないこと、また出産予定時期からして、その妊娠とは明らかに刑務所に収監されて以降のものであり、刑務所のスタッフによる暴行の結果であるらしいことが取り沙汰されていることなど、非常に考えさせられるものがある。
    目下、在ラオスのイギリス大使館を通じた外交努力が続けられており、また今月7日にラオスとイギリスの間で、犯罪者の引渡しに関する協定が結ばれたことから、この女性が極刑を逃れてイギリスに移送され、自国で服役できる可能性も開けてきたようではあるが、近々下りる予定の判決がとても気にかかるところである。
    関連記事
    LOCKED UP IN A HELL-HOLE (Bangkok Post)
    Diplomat meets pregnant Briton in Lao jail (Bangkok Post)

  • ジェイド・グーディー亡くなる

    先日から危篤状態にあった、イギリスのリアリティーショーのスター、ジェイド・グーディーが亡くなった。享年27歳。ご冥福をお祈りしたい。
    Reality TV star Jade Goody dies (BBC NEWS)
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    彼女の命を奪った病、子宮頸ガンは、よく知られているとおり、ヒト・パピローマ・ウイルス(HPV)への感染が大きな原因であるとされる。
    他のガンに比べて、若年層の患者が多いことも特徴だが、日本ではこの病についての検診の受診率が低いことも問題とされている。
    現在では、HPVへの感染に対する予防ワクチンという、有効な手立てがあるが、少なくとも日本ではまだそれは普及していない。しかし今年中には承認される見込みらしい。
    性交渉未経験の10代前半の女児を対象とする公費負担による接種を求める声が高いという。

  • ジェイド・グーディー

    ジェイド・グーディーが危篤状態にあるとのこと。2007年にリアリティショー『ビッグブラザー』にて、シルパー・シェッティーに対して執拗に投げかけた問題発言により、人種差別だとして内外に大きな波紋を投げかけたあの人だ。
    差別的な発言をしたのは彼女だけではなかったようだが、その口火を切り、同様の発言を繰り返したことに加えて、普段メディアを通じて彼女が視聴者に与えていたイメージもあったことから、袋叩きに遭うことになったようだ。
    この出来事がいろいろなメディアで取り上げられるまで、私はこの人がイギリスでとても有名なタレントであることさえ知らなかった。実のところ、私はこの人がテレビに出演しているところを直に見たことはなく、YouTube他の動画投稿サイトで彼女が出ているクリップを片っ端から閲覧しただけだが、それでも彼女の強烈な個性は充分伝わってくる。
    その後、ジェイドはインドへ謝罪旅行に赴き、シルパーとともにインド版ビッグブラザーのビッグボスに出演するなどして、彼女と和解しているが、もちろんインドでは彼女に対してネガティヴなイメージは根強いだろう。
    もともと歯科医院で看護婦の仕事をしていた彼女は、2002年にビッグブラザーに『ちょっと可愛らしい看護婦さん』として出演する機会を得て、一気にスターダムを駆け上ることになった。
    しかしながら、とりたてて外見がどうというわけではなく、なにか人を魅了するものを持ち合わせているわけでもない。私でもセレブになれそう、と思わせる『普通さ』とは裏腹の毒舌マシンガントークが多くの人々の非難を巻き起こしつつ、瞬く間に悪役としての地位を築いたようだ。
    自身の名前を冠したパフュームをプロデュースしたり、フィットネスのDVDに出演したり、自伝を出版したりと、テレビ以外の場所でも活発に動いていた。
    昨年夏に末期ガンであることが判明してから、様々な治療を受けてきたがすでに病巣は多臓器に広がっており、あと数週間の命らしいと各メディアに報じられていたのは今月前半のこと。
    その深刻な病状について、彼女に知らされたのは先述のビッグボスに出演時。番組中のアナウンスで『出演中に電話を使うことは許されないが、事があまりに重大であるときにはそれが許可されることもある』とあったように、実に深刻な事実がイギリスの主治医から彼女に伝えられ、ジェイドはイギリスに緊急帰国した。
    インドを、インド人を侮辱したと大騒ぎになったしばらく後で、インドを訪れてから受けた重篤な宣告。何か因縁じみたものを感じたのは私だけではないだろう。
    以前交際のあったボーイフレンドとの間にもうけた5歳と4歳の息子の母でもあるが、現在同棲中のボーイフレンド、ジャック・トゥィードと今年2月に挙式、晴れて正式な夫婦となった。しかしこのカップルに残された時間はあまりに短かったようだ。
    昨日夜から容態が急激に悪化し、すでに意識のない状態にあるという。天敵から友人へと転じたシルパーは、ムンバイーからイギリスへ向かっている。
    ジェイドは、自分に与えられた定めを受け入れて、最後の瞬間までメディアの前に姿を見せ続けることを宣言し、人々の注目を一身に集めるタレントであることを天職としてまっとうしようという、非常に芯の強い女性である。
    ・・・だが、彼女自身はまだ27歳。二人の幼い子供たちの母親でもある。あまりに酷な運命の仕打ちだ。

  • インドの西隣の核保有国にクーデター近し?

    インドのテレビAaj Takを見ていたら『パーキスターンに再びクーデターの危機迫る』というテロップとともに、危機を伝えるニュースが流れてきた。
    ‘पाकिस्‍तान में फिर हो सकता है तख्‍तापलट’ (Aaj Tak)
    緑豊かでのどかな風景の広がるスワート地方で、仏蹟等の見どころも多く、風光明媚な上部スワートとともに、観光地としても名高いエリアであったが、2007年に始まったタリバーンによる武装闘争のはじまりとともに、物騒な地域として知られるようになってしまっている。
    そのスワートで、今年2月にこの過激派勢力による彼らのイスラーム法による支配を認める政府当局の決定を憂慮する内外のメディアによる報道は記憶に新しいところだ。
    Pakistan agrees Sharia law deal (BBC NEWS South Asia)
    Aaj Takのテレビ報道によれば、当事者能力を欠く政府の元にあるパーキスターンで再びクーデターの動きが予想されるとのこと。続いて先日バーングラーデーシュ首都で発生した国境警備隊の反乱についても、パーキスターンのISIの関与の可能性を示唆するニュースも流れており、ちょっと背筋が寒くなる思いがする。
    もちろんパーキスターンと対立関係にある隣国のメディアによる報道であること、とりわけ昨年11月26日にムンバイーで発生した大規模なテロ以降、同国に対する囲い込みの姿勢を強めているインド発のパーキスターン国内情勢に関するニュースである部分はある程度差し引いてとらえる必要はあるかもしれない。
    しかしながら、インドの隣国の政局の混迷ぶりを目にすれば、誰もが多少なりとも懸念しているところではないだろうか。
    同国内の不穏な動き自体もさることながら、こうした状況を横目に第三国による大掛かりな陰謀が着々と進められているのかもしれないし、こうした報道の裏側にはそれを現実のものとしようという意思が蠢いているのかもしれない。
    これが杞憂であればそれに越したことはないのだが、テレビから流れるニュースを見つめながらいろいろと思うところの多い本日の夕方であった。
    とりあえずは、国はどこであれ、世の中が平安であること、無辜の市民たちに犠牲を強いるようなことが起きないことをを祈るのみである。

  • ネパール首都の宮殿博物館 本日オープン

    カトマンドゥのナラヤンヒティ宮殿が、本日2月27日(金)から宮殿博物館として一般公開される。
    宮殿が博物館として転用される第一段階において、地元紙カーンティプルおよびカトマンドゥ・ポストのウェブ版であるeKantipurの記事によれば、宮殿内の52ある部屋(メディアによっては90室あるのだとも・・・)のうち、19室のみが展示室として開放され、15人ずつ25分間のみ参観可能というから、ちょっと敷居の高い博物館ということになろうか。おそらく政治的に微妙な部分があることから、厳重な警備がなされるのだろう。
    この博物館は『シャハ王朝の真の歴史を知る』ための場所として位置づけられているようで、昨年6月に廃止された同王室の栄華をしのぶなどといったものではないようだ。宮中で繰り広げられた陰謀、政治の腐敗、人々に対する圧政などといった負の側面を人々の前に明らかにしたり、2001年にこの宮殿内で発生した殺戮事件の真相にも光を当てることが期待されているようだ。
    ただし宮殿建物の転用について、『博物館にするのは簡単かもしれないが、その後の施設の維持はどうやっていくのか?』と、おそらく財政的な部分から行く末を危ぶむ声もあるようだ。
    現在、同国政府を率いるマオイスト勢力の意向に沿う形での『王室犯罪史博物館』ないしは『革命運動博物館』といった色合いのものになるのかどうかよくわからないが、近いうちここを訪れる方があれば、ぜひそのご感想をうかがいたいものだ。
    Narayanhiti museum (eKantipur.com)
    ……………………………………………………………………………….
    ※『新加坡的印度空間4』は後日掲載します。

  • 退屈は幸せだ

    新聞であれ、テレビであれ、ニュースが退屈なものであるときほど、実は『良い時』なのだと思う。手にとってみて、そこに書かれているものがルーティーンな内容で、退屈のあまりすぐに投げ出してしまうようなときは、少なくとも悪いことは起きていないわけだ。思わず目を見開いてしまうような、かじりついてしまうようなセンセーショナルな報道といえば、たいていが非常に好ましくないものであることが多い。
    今日もやはりそうだった。9月26日深夜前後から本日にかけて進行中のムンバイーでの連続テロ事件の報道がそれだ。今日の午後はずっとZEE NEWSやAAJ TAKといったニュース番組にかじりついている。ムンバイー市内のタージ・ホテル、オベロイ・ホテル、ムンバイーCST駅構内等で起きた一連の惨劇。これを書いている現在も、2軒の五ツ星ホテルでは人質の安否が危ぶまれるとともに、コラバ地区のナリマンハウス付近でも銃撃が続いているとか。
    すでにタージ・ホテル内だけでも80人もの死者が出ており、363号室にテロリストたちが隠れているらしいなどとアナウンサーは伝えていた。それからしばらくして建物内に治安当局が入り込んで片端からドアを開けて、出るに出られずにいた宿泊客を救出が始まったようだ。
    押しても引いても開かないドアの中には犯人たちが潜んでいるのではないかという疑いがあり、そんな部屋のひとつ471号室に突入した治安要員たちが中にいた犯人の一人を銃殺したという。
    血なまぐさい事件が画面の向こうでリアルタイムで進行しているという緊迫した状況で、ふと思い出すのは2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロ。
    『WTCのツインタワーのひとつに航空機が衝突する事件が起きました』というアナウンスから始まったあの日のニュース。その直後に2機目がもうひとつのタワーに接近して衝突して大きな火花を散らす。そのときテレビの報道番組を見ていた人たちが皆、事件の目撃者となった。手段は違うが、画面の向こうから感じるのは、まさにあのときと同じ空気だ。
    それにしても今年はずいぶん多い。後半部分に限っても、これだけの大きなテロが発生している。
    10月30日 アッサム東北部 64名死亡
    9月30日 インド西部 7名死亡
    9月27日 デリー 1人死亡
    9月13日 デリー 18名死亡
    7月26日 アーメダーバード 49名死亡
    7月25日 バンガロール 2人死亡
    5月13日 ジャイプルで63名死亡
    現在進行中のテロ事件の早急な鎮圧と背後関係等に関する解明を望みたいところだが、それが明らかになったところで、根本的な解決などありえないことが、一番難しいところだ。社会に不安と秩序の乱れを、そしてコミュニティ間に対立や猜疑心を与えることは避けられないだろう。
    悲哀と混乱を闇であざ笑う何者かに対して、私たちはかくも無力なのか。底知れぬ悪意を抱く者たちに行為に対して、私たちはただ黙ってそれを受け入れるしかないのだろうか。
    あるいはこれを悪魔の仕業とするならば、良き市民たちはそれを神から与えられた試練と受け止めるのしかないのか。
    ニュースが退屈であることは、実は幸せであること、ごく何でもない日常がどんなにありがたいことか、改めてしみじみ感じる。
    TERROR STRIKES MUMBAI AGAIN, OVER 100 KILLED (ZEE NEWS.COM)