ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: life

  • 寂れたモール

    寂れたモール

    グルバルガの城からディズニーランド風の建物が見えた。

    尋ねてみると「モールだ」というので、カフェでもあろうかと入ってみた。

    外観は立派なのだが、とても寂れていて何もない。

    立派な外観とは裏腹にほとんどテナントが入っていない。

     

    ちょっとしたサイズの街であればいくつかモールがあるのが近年のインドではあるものの、どれでも繁盛しているわけではなく、立地が問題だったり、現地の所得水準とのミスマッチがあったりする。つまり地方の街では中間層以上の人口が十分に育っていないことがある。

     

    それに加えて従来の市場がまだまだ強かったり、映画館やフードコートへの依存の度合いが高く、これらを欠くと集客が難しかったりなどということもある。

    またすでに人気のモールがあると競合して負けてしまうことも。

     

    グルバルガは50数万人規模の街ではあるものの、すでにモールが10軒近くあり、このモールには映画館が入っていない。隣接する文字通り衣料品を中心とするカプラー・バーザールが大変賑わっていることが集客に有利な立地と考えられたのかもしれないが、不振に苦しんでいるようだ。

  • シェーレーパンジャーブ(SHER-E-PUNJAB=パンジャーブの虎)

    シェーレーパンジャーブ(SHER-E-PUNJAB=パンジャーブの虎)

    北インドとりわけ北西インドを旅行された方は「SHER-E-PUNJAB (パンジャーブの虎)」という名の食堂やレストランを目にされる機会が多かったことだろう。

    パンジャーブ料理、パンジャービーがオーナーの店でよくつけられる名前だが、本来SHER-E-PUNJABとは、スィク王国の創設者ランジート・スィンのことを指す。パンジャーブの人たちにとって、郷里の英雄、民族のヒーローとして今も人々の心の中にあるのだろう。

    このSHER-E-PUNJABのように、名詞と名詞あるいは名詞と形容詞を連結辞「E」で繋ぐのはペルシャ語の表現。ペルシャ語の影響を強く受けたヒンドゥスターニー語のボキャブラリーらしさの一端でもある。
    現代のウルドゥー語、ヒンディー語ではこのような使い方はしないものの、このSHER-E-PUNJABであったり、MAUQA-E-VARDAT(事件現場)、WAZIR-E-AZAM(総理大臣)等々の慣用句は今でも頻繁に耳にする。

    北インド以外でも例えば南インドやインド国外であっても、パンジャービーが移住した先では、この名前の食事処は見かけるものだ。もしかしたら日本でもどこかでこの名前で営業している店があるかもしれない。

    さて、このSHER-E-PUNJABと名付けられた食事処だが、普通はガチなパンジャーブ料理専門店であったり、パンジャーブ料理を中心に提供する店なのだが、値段が安いところも高いところも「パンジャーブの虎」を名乗るだけに、質実剛健な印象の店が多い気がする。

    でも場所や環境によってはいわゆるMULI CUISINE RESTAURANT(多国籍料理)になっている場合も稀にある。画像はサイババの聖地シルディーにあるSher-e-Punjabでだが、場所柄ヴェジタリアンとなっており、国内外からたくさんやっている様々な背景のお客さんたち向けのファミレスとなっている。

    一部パンジャービーのアイテムもあるものの、画像のドーサのような南インド料理、地元マハーラーシュトラ州(とりわけムンバイ)のソウルフードのひとつであるパウバージー、パスタやピザなども出す店であった。まったくパンジャービーではなく、前述のいわゆるMULTI CUISINE RESTAURANT。どうやら「シェーレーパンジャーブ(パンジャーブの獅子)」でもネコみたいに軟弱なの?もいるようで・・・ 。

  • 印鉄ファン憧憬の路線がやっと全線復旧!(カングラー渓谷鉄道)

    印鉄ファン憧憬の路線がやっと全線復旧!(カングラー渓谷鉄道)

    カングラー渓谷鉄道が4年ぶりに全線復旧したとのこと。モンスーンの豪雨で鉄橋が流されたのを含めて複数箇所分断していたためだ。

    以前と違うのは始点のパターンコートから終点のジョーギンダルナガルまで通しで往復するのではなく、起点からも終点からも途中駅のバイジナート・パプローラーで乗り換えとなること。加えてパターンコートからバイジナート・パプローラーまでは上下1本ずつしかなく、しかもそこからジョーギンダルナガルへは同日接続できないダイヤ。

    不思議なことに始点パターンコートの3つ先の駅、ヌールプル・ロードからは日に4本程度あり、最も早い時間帯の便であれば同日接続できるらしい。しかしここは始点から終点まで完乗にこだわりたいものだ。

    このような変則的な運行になっているのはこれまで部分運行していた際、先述のバイジナート・パプローラを軸にかたやパターンコート、かたやジョーギンダルナガルへと走らせていたことがあるようだ。おそらくバイジナート周辺でも路線が途絶するような豪雨被害があったのだろう。将来的には以前と同じく、パターンコートからジョーギンダルナガルまで通しで走るようになると思われる。

    実は全線復旧となったのはここひと月くらいのことらしい。パターンコートを出て次の駅、ダルハウジー・ロードとその次の駅カンドワル(ヌールプル・ロード駅のひとつ手前)の間にあり、河を渡るチャッキー橋(路線の見どころのひとつ)が先述の豪雨で落ちている。この部分の復旧に一番手間取り、ようやくこのひと月の間にその橋を渡れるようになった。そのため長らく暫定の始発駅となっていたヌールプルから本来の起点のパターンコートまで繋がり、ようやく全線通じたというわけだ。

    この路線の列車は「トイトレイン」と通称されるものの、スイッチバックを繰り返して上っていく山岳鉄道ではない。メーターゲージで、その名の通り渓谷内を往来するもの。乾季であればヒマラヤの雄大な景色が楽しめるそうだ。ダージリン、シムラーなどの山岳鉄道と異なり、基本的に観光用ではない地元の生活路線。予約のない「ジェネラルコーチ」のみである。もちろんエクスプレスの運行はなく、鈍行列車のみの路線だ。

    起点のパターンコートから乗るとバイジナートで1泊して翌日以降にジョーギンダルナガル行きに乗り換えることになるが、バイジナートのひとつ手前のパーランプルは風光明媚な場所として知られているとともに茶園でも有名だ。バイジナート駅にはよく知られた名刹もある。

    終点のジョーギンダルナガルからはバスでマンディーに行けるし、そこから日帰りできるレーワルサルも良さそうだ。レーワルサルは小さな湖で、スィク、ヒンドゥー、そしてチベット仏教の聖地とされる。「え?チベット仏教の?」と思われるかもしれないが、ここでグルー・リンポチェが修行したとされる。マンディーは小さな元藩王国の首都だったところ。発展や変化から取り残された分、地域の歴史的な建築や伝統の宝庫らしい。

    ここからカルカーはバスで楽に行ける距離なので、さらにはシムラーへトイトレインで往復することもできる。ダージリンに較べて本数は多いため、予約は少し楽かもしれない。

    インドという国の素晴らしく、そしてものすごいところは、どこに足を向けても味わい深い風物や風景があり、巨大な建造物がなくても、目を奪うような美にと豊かな伝統に溢れているところだ。もう降参するしかない。

    4 Saal Baad Chali Kangra Valley Toy Train | Full Journey Pathankot to Baijnath Paprola | Himachal (Youtube)

  • カルタールプル・サーヒブ

    カルタールプル・サーヒブ

    パンジャーブ州のパキスタン国境近くのデーラー・バーバー・ナーナクからすぐのところにあるカルタールプル・サーヒブ(パキスタン領内にある)。2019年11月からパキスタン・インドの特別な取り決めにより、インドからヴィザ無しで訪問可能となっている。

    デーラー・バーバー・ナーナクのグルドワラ自体が興味深いが、パキスタン側のものも参拝できるとなるとさらに素晴らしい・・・と思ったのだが、カルタールプル・サーヒブへインドから越境して行く措置は外国人にも認められているとはいえ、OCI(Overseas Citizen of India=インド系の非インド国籍で、インド当局にOCI資格を申請して認められた人)のみが対象らしい。

    よくよく考えるまでもなく、もともとが国境向こうにあるため参拝できないスィク教徒その他のためにこの措置がなされたわけで、インド政府がインド人ではない第三国の人、インド系でもない外国人に便宜を諮るいわれもない。

    しかしながらデーラー・バーバー・ナーナク自体もスィク教の主要な聖地のひとつでもあるし、ここの駅は印パ分離前には幹線路線上の駅であったが、分かれてからは終着駅となった歴史がある。今も日に数本、わずかに各駅停車が発着しているが、もちろんパキスタン方面ではない。

    Visiting Kartarpur Gurudwara In Pakistan | Everything You Need To Know | Curly Tales (Youtube)

    PILGRIMAGE TO SRI KARTARPUR SAHIB (Ministry of Home Affairs)

  • 凋落する円の価値

    1994年に50ドルだったというワールドカップのチケット。現在の貨幣価値に換算すると110ドルとのこと。つまり2.2倍。ところが今回のワールドカップでは400ドルとのことなので、貨幣価値の変化を考慮に入れれば、4倍近く上がったことになる。(50ドル→400ドルで8倍ということではない。)

    当時の円相場は1ドル110円。これをそのまま2.2で割るのではなく、日本の1994年から2026年までの物価上昇率1.17倍を勘案すると、1ドルが53円程度だと当時と同等の水準ということになる。

    つまり円相場が1994年の水準(1ドル=100円)と同等であれば、現在は1ドル=53円であったはず。これが実際には160円になっているため、円の価値が1994年と比較して実質1/3にまで落ち込んでしまったということ。凄まじい凋落ぶりだ。

    現在の円の価値が3倍であれば、米国でも欧州が驚くほど高いということはない。近年は全然安くない国になってしまったタイやマレーシアなどが「とても安い国」になる。

    90年代以降の世界は東西対立が終わり平和を享受するとともに「グローバル化」が各地で同時進行していった。当時の途上国は伸びしろが大きかったこともあるし、欧州を含めた旧東ブロックの国々も混乱しながらも経済成長を路線に乗せた。世界の多くの国々が未曾有の成長を見せた時期。

    いわゆる「先進国」は、中国、東欧、ASEAN等ほどの大きな成長の余地はなかったかもしれないが、新興分野だったIT産業の爆発的な発展はもとより、それをインフラに取り入れた社会では様々な新しい産業が勃興するとともに、旧来の産業や働き方、そして暮らしを大きく変えた。G7は言うに及ばず、OECD加盟諸国の大半の国々も一人当たりのGDPを伸長させている。ごく一部の例外を除けば。

    日本が凋落したといっても大恐慌に見舞われて惨憺たる状態になったわけではないし、戦火により灰燼に帰したわけでもない。落ちぶれたといっても国内が荒れたのではなく、周囲が大きく成長して追い抜かれた、追いつかれたという具合なので、日常に悲壮感はない。並べて較べたりしなければ、90年代からずっと平穏無事なのだから。

    しかしながらこれでまだ「ニッポンすごい」とか言って自画自賛しているのはおかしいと思うし、「コスパ高い」と言うのも変な話だ。より豊かになった国々から来れば高コスパかもしれないが、ここで働く自分たちは懐具合が爆上がりしているわけではないので、決して安くはないのだ。

    それにしても円相場が1994年と比較して、実質1/3という事実は大変重い。

    これを円高のピークだった1995年4月19日の1ドル=79円75銭に当てはめて当時から現在までの米国の物価上昇率、日本の物価上昇率を勘案すると、1ドル=48.93円になる。

    昨日は1ドル=160円50銭あたりだった。そのため現在の円の価値はピーク時の0.3倍ということになる。もちろん言うまでもないが、為替というものは連動しているため、国それぞれ物価上昇率の異なる他の通貨に対しても実質同様ということだ。

    2000年代以降、かなり長く1ドル=110円台前後の時期が続いていたので、円は長らく安定していたようなことを言う人がいるがこれは誤りで、数字の上では同じに見えても米国の物価上昇率は日本よりはるかに高いので、実質は円の価値が年々漸減していたことになる。

    ロシアによるウクライナ侵攻あたりで円が暴落したが、すでにその前から長い時間をかけてジリ貧になっていたことを忘れてはいけない。円安は突然やってきたわけてはないのだ。

    ちょっといい食事、そして宿なども日本からインドに行って、決して「おぉ、安い」という具合ではすでにない。そういう時代になっているのだ。

    ワールドカップのチケット、なぜ高騰? 米国の識者が語る理由と懸念 (asahi.com)

     

  • IT企業管理職からオートワーリーへの転身

    社会にはいろんな人がいるものだ。博士号を持ちバリバリと働いてきたIT企業の元管理職の女性が仕事を辞めてオートリクシャーの運転手に。

    IT関係の仕事はストレスに満ちた仕事であろうけれども、オートリクシャーの運転手はタフな仕事だし、とりわけ女性とあってはハンデも大きい。それでも月に60,000Rs稼ぐというのは、この仕事ではなかなか難しいことでもあるはず。

    世の中には様々な人たちがいるが、ときにこうした定石どおりではない人もいるのが社会の興味深いところであり、奥深い部分でもある。

    Woman Quits ‘High-Stress’ IT Job To Drive Auto-Rickshaw, Earns Rs 60,000 Per Month | VIDEO (TIMES NOW)

     

  • インドの熱波

    目下、インドの熱波が大変だという話題である。

    3,400 deaths in a day: India’s extreme heat days are deadlier than we imagined (INDIA TODAY)

    北インドの人たちは自国の気候のことをよく「暑さも寒さも極端で・・・」と言うが、路上ではほぼ50℃近くになりそうだ。デリーなど冬は冬で東京並みに冷え込み、それでいて(東京よりも冬の時期は短いため)まともな暖房器具がないのが普通なので、とにかく寒い。一般的にインドの人たちがあんまり長生きしないのは気候面からも無理もない気がする。

    ・・・と言ってもゴアやケーララみたいに気候に恵まれた地域もあるため、州ごとの平均寿命を並べると、かなり差がありそうにも思う。
    また隣国のスリランカは南アジアを代表する長寿国。先進国のアメリカと変わらない長生きぶりをエンジョイしている。

    しかしながらスリランカの平均寿命は、米国の黒人の窮状や人種差別を背景にした不平等を語る際に、昔から「政治的に利用されてきた」ことでも知られる。つまり「米国の黒人の平均寿命はスリランカのそれよりも短い」とか「米国の黒人の平均寿命はスリランカのそれと同等」という言質だ。そうしたものを聞いたことがある、耳にしたことがある方は少なくないだろう。

    「実はスリランカは意外に長寿な国である。米国全体の平均寿命と同等なのだ」という事実を知らなければ、「途上国=短命」という思い込みから、「先進国アメリカにあって、黒人たちは途上国並みの短さの人生しか歩めない」という方向へ意図的にミスリードされてしまう。

    やはり恵まれた気候とそこからくる豊かな食べ物。そして伝統的にも文化的にも人々が長く生きやすい環境なのだろう。

     

  • グルバルガのフォート

    グルバルガのフォート

    グルバルガ到着。翌々日はとても早く出るため宿はバススタンドのすぐ近くにした。

    ホテルの人によると水泳の国際大会があった際に、この宿に日本人選手が2人泊まったとのこと。しかしグルバルガで開かれる国際大会というのがあるのか?

    オートでバススタンドからフォートまで出かける。巨大な金曜モスクがある。1367年にバフマニー朝のもとで完成。往時のこの場所では、天空にひとつの大きなアーチをかけて柱無しで大きな空間を演出するところまでは技術が進んでいなかったのかもしれないけど、これはこれで見事なものだ。

  • ビーダルを出発

    ビーダルを出発

    朝食は宿のすぐ下の階に入っているHotel Kamatで。今回はプレインドーサにした。食べ終えてから宿近くにあるバススタンドから出発。ビーダルからグルバルガへの便は頻繁なので時間を気にしなくてよいのがうれしい。

    ビーダルの州公社バススタンド。ISBT(Interstate Bus Terminal )も兼ねており、テーランガーナー州公社のバスも見かける。こうした州内事情で面白いのは州によって州公社への依存度、裏を返せば民営化の進展に天地の差があること。

    北インドを中心に主要路線を民間に開放して公社バス路線を大胆に削減した地域もある一方で、カルナータカのように今も州公社全盛の地域もある。

    たしか2000年代のチャッティースガル州だったと思うが、性急な路線民営化を急ぐあまり、採算の取りにくい路線への民間参入が追いつかず、地域の足が無くなって社会問題になった地域もあった。その後は補助金を導入して民間会社に参入させたようだ。

    いずれも州政権の方針に左右される。このあたりも含めて有権者は州議会選で投票先を決めているわけで、まさにこういうバス事情も民意を反映したものなのだろう。

     

  • バリード・シャーヒー・ガーデン

    バリード・シャーヒー・ガーデン

    メヘムード・シャーのトルコ系奴隷(奴隷といっても王直属の親衛隊)から筆頭大臣にまで上りつめ、その後事実上の支配者となるカースィム・バリードの墓を中心とす墓廟群がそのまま公園になっている。

    田舎に来るといろんな人に質問を受けるが、だいたい小学生くらいの子供たちは遠慮がないので、その中の特に積極的な子がいると、その子の取り巻きみたいなのも含めて金魚の糞みたいにくっついてくることになるのが面倒くさい。だいたいそういう年齢の子たちはヒンディーは誰にでも通じると言う感覚なので、これまた遠慮がない。

    日本で外国人をあまり見かけない田舎で、どこの国から来たのかわからない人を見かけて質問攻めにしたり、ずっと話かけながらついてくるというのは稀だろう。国民性というのは大いにある。

    しかし子供たちのこれとインドの大人たちへの話しかけやすさ、気安さは同一のものなので、実はありがたいことでもある。

  • イラーニー・チャーエ

    イラーニー・チャーエ

    前日入ったRoyal Anmolの向かいにある「Mandi King」へ。再びマンディ、今度はマトンでと思ったのだが、付近の席で食べているマンディのサイズ感を見てやめておく。身の丈にあった量のものを注文。せっかくマンディ屋に入ってみて、なんだけれども。

    マンディの店なので、イスラミックなデザートもあるのでは?と期待したが、あまりそうではなかった。それでも「ローズ・フィルニー」は薔薇の香りがたっぷり効いて夢心地。やはりインドでは食後の満腹感の中でも酔うようにゴージャスな味わいのデザートが楽しい。

    デザートの後は、やはり道路向こうのRoyal Anmolに移動して「イラーニー・チャーエ」を。「飲む紅茶ケーキ」とでも形容したくなる。ベースになる濃い紅茶とカルダモンにコッテリしたマラーイーをふんだんに放り込んだリッチな味わい。さほど糖分は強くないのにこの濃厚感はとても高い乳脂肪分のなせるワザ。

    敢えて言えば、黒くなるまで濃く煮出したアッサムティーをカップの底1/4、そこにホイップクリームをたくさん放り込んだらこんな濃い感じになりそうだ。甘党にはもうたまらない。カロリーはとても高そうだ。肥満防止のため食事を減らして、こちらを日がな楽しみたいくらい気に入った。

  • コルカタ華人たちの自伝

    コルカタ華人たちの自伝

     

    コルカタで購入したカルカッタ華人ビジネスパーソンたちによる自伝2冊。かたや郊外テーングラー地区(新チャイナタウン)の女傑、もうひとつは市内中心部のティレッタ・バーザールの成功者によるもの。どちらも買えて良かったと思っているが、ふと気がついたことがある。

    どちらも同じ出版社「Wordphonics」から出ており、編集担当者も同一で「Jasmine Quli」という人物。そして前者は今年1月、後者は昨年12月に出版されているのだ。

    これはどう考えても偶然ではなく、カルカッタ華人のレガシィを記録しておこうという意思によるものなのだろう。これに続いて他の華人たちによる同様の書籍も続いたりすると、さらに嬉しい。

    前者は複数のレストラン経営、後者は中華食材店と工場経営で成功した人たち。他にも大きな皮革加工工場、名の通った靴屋、老舗美容室、評判の高い大工さん、今もあるかどうかわからないけど華語による「印度商報」経営者、同郷会館運営者、中国寺院運営者などいろいろな人たちがいる。

    少なくともカルカッタ華人のコミュニティーにおいて、コミュニティーの外へ自らのことを書き記して発信した例はほとんどなかったようだ。(カナダに移住してから書いた人はあった。)

    今後同様の動きが続くといいな、と思う。ただ先行した2人ほど世間にアピールする人はほとんどいないようにも思うが。