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カテゴリー: life

  • ドンムアンの朝

    ドンムアンの朝

    バンコクのドンムアン空港向かい、ワット・ドンムアンの斜向かいにあるゲストハウスを利用したが、ここからすぐ近くに早朝まだ暗いうちから賑わうマーケットがあるのが嬉しい。夜が明ける前からいろんな生鮮食品類が売られており、マーケットの中でもすぐ外でも、そこで働く人たちやお客さんたち目当ての露店や食堂がすでに商っている。

    市場の露店の肉と野菜のぶっかけご飯は美味しそうだったし、すぐ外の店の何種類かの串焼き肉も良さげだったが、心地よいガス臭に誘われて行った先には、「銘菓ドリアン」があった。これから空港に行くので切り身でないといけないため、このくらいでちょうど良い。殻を切り開いて順に取り出した果肉を分けているはずなのだが、房のひとつひとつで味わいが異なり、同じ房でも部位により、微妙に味覚が異なるのがドリアンの面白いところ。

    市場の片隅にスペースを見つけて食べる。本日の朝食はドリアン、つまり果物という名の洋菓子である。カスタードクリームと生クリームが不揃いに混ぜてあるムース、それでいて繊維感もあり、洋酒の香りとオニオンの臭みをかけあわせたハーモニー。

    ドリアンを食べてからしばらく続く、この安堵感と恍惚感。いわゆる「ナチュラル・ハイ」である。この「ハイ成分」の正体が何であるのか、今に解明される日がやってくるに違いない。

  • コンビニ犬

    コンビニ犬

    タイといえばコンビニ犬。番犬として構えているのではなく、人々が出入りする自動ドアから流れる冷気が気持ち良いので居つく。店の中にさえ入ってこなければ追い払わないタイの人たちは優しい。犬自身もそれを理解しているので、その「結界」を越えないし、お客に吠えたりなどもしない。

    コンビニ犬はたいてい図体がでかい奴が多い。これは「一等地」なので、ケンカすれば強い犬が場所を占めるからだと思われる。

    こいつもかなり大柄だった。

  • ドンムアン空港へ

    ドンムアン空港へ

    翌日朝はドンムアン発でチェックインが早いので、スワンナプーム空港からの無料シャトルバスで移動。到着ロビー3番ドアの出たところでドンムアン発のチケットを見せると乗車できる。

    午後8時半に出発して、午後9時15分にドンムアン空港出発ロビー到着。空港に面した道路の反対側へ。宿はワット・ドンムアンの正面にある。

    狭くて簡素だが宿の人たちの感じは良い

  • 巡り合わせの隣席

    成田からバンコクへのひたすら退屈なフライトと思っていたが、なかなかどうして楽しい時間となった。隣席の若い女性が話好きで、この人が取り出すトランプで遊んだり、いろんな話をしたりしているうちにアッと言う間に着いてしまったからだ。

    こういう巡り合わせがあると暇な飛行時間が俄然楽しくなる。

    この人はスペインからの旅行者で、この月初めに日本に関空に到着して、長野県で山歩きをしたり、お城を見たり、そして関東も何ヶ所か訪れて、東京も気に入ったらしい。

    20代後半くらいだろうか。自国では博物館での仕事をしていたが、契約を打ち切られてしまったため、とりあえず次の職探し前に人生初のアジアを訪れたとのこと。

    私にとってはごく当たり前の日本だが、彼女にとっては目にするものも食べ物も、何かと物珍しかったらしい。そういう話を聞くと、「へぇ、そんなに面白いならば行ってみようか」と思いそうになるが、それらは私たちの日常風景であった。

    生まれ育ち、今も住んでいるのは「とても田舎の村」とのことで、大阪や東京のギガサイズの街並みにも仰天したという。欧州の近隣国以外はどこも訪れたことがなかったとのことなので、ちょうど昔々に私が生まれて初めての海外旅行でインドを訪れたときのような感激であったらしいことがひしひしと伝わってくる。

    たまにこうして旅行に出ると、いろんな国の様々な年代の人たちと話ができるのも楽しい。

    近年感じるだが、かつてはスペイン、イタリア、フランスなどのラテンヨーロッパから来た旅行者の中には英語をあまり理解しない人が多かったり、中にはほんの片言のみの人たちもけっこういたりしたのだが、今やもうそんな具合ではなくなっている。特に若い人たちはそうだ。

    「グローバル化」というのは、様々な分野で進んだが、言葉もまた同様なのだなあと思う。

  • 空港のオオトカゲ

    成田空港のトイレで手を洗っていたら鏡の向こうに直立歩行するオオトカゲが視界に入った。

    「えぇっ?!」と思わず直視してしまったが、歩いてきたのはインバウンド旅行者と思われる若い西洋人。

    衣類から露出しているところ全てにタトゥーが入っており、坊主頭にもきっちり模様が刻まれているため、視界の端っこのほうで大きな爬虫類にみえたのだ。いやーすごいなぁ、こりゃあ。「耳なし芳一」かよ?たぶん衣類の下もあんな調子なんだよね?

    待合室でも見かけたので、彼も同じフライトの乗客らしいが、その彼女と思われる人もこれまたすごい。

    粋がってとか、お洒落でタトゥーを入れる人は多いが、度が過ぎると自傷行為に他ならないのではなかろうか。こういう人たちには治療が必要なんじゃないかと思う。おせっかいかもしれないけど。

  • トゥクトゥク、そして宿

    トゥクトゥク、そして宿

    シェムレアプにはインド型のトゥクトゥクもあればバイクを現地で改造したものもある。前者にはちょうどインドと同じカラーリングにしてあるものもあり、懐かしくなる。

    前回来たときは、小さくてオンボロで1階も2階も木だけで出来ている普通の民家ばかり建ちが並んでいた。道路は未舗装で雨が降るとぐちゃぐちゃ。そんな集落だったシェムリアップがちゃんと大きな街になっていることに大変驚く。「以前」といってもそれはとても昔のことであり、まだUNTACが総選挙実施管理と平和維持活動をしていた時期なので、大きく変わって当然ではある。

    そうした個人の家屋では、よくゲストハウスをやっていた。ちょうど現在世界各地で流行りの民泊である。もともとそのように建てられたものではなく、外国人が来るようになったため収入の手段として泊めるようになったものだった。

    往時の家屋は概ねこのようなイメージだったが、これらのように大きく立派ではなかった。

    たいてい看板などなかったので通りとハウスナンバーで呼ばれていた。そういうのが発展してホテルとなったものもあるかもしれないし、反対に参入してくるホテルに押されて廃業したりしたものも多いのだろう。

  • Haveli Zeenat Mahal

    Haveli Zeenat Mahal

    オールドデリーのラール・クアーン・バーザール・ロードに面した、ただのオンボロな建物にしか見えないのだが、実はここ、細部をよくよく見ると素性の良さは隠しようもない。残されているのはそのハヴェーリー(屋敷)の門の部分だけなのだが。

    ムガル最後の皇帝にして高名なウルドゥー詩人でもあったバハードゥルシャー・ザファルが愛后、ズィーナト・メヘルと実家の方々のために建てさせたハヴェーリー。

    後にザファルとズィーナト・メヘルは1857年の大反乱に加担したとのかど(大反乱の旗印に担ぎ出された)で、鎮圧後に南デリーにある離宮付近に逃亡していたところを拘束され、まだ幼かった王子ふたり(ミルザー・ジャワーン・バクトとミルザー・シャー・アッバース)とともにラングーンに島流しとなった。このときすでに長じていた男性王族は殺害されたようだ。

    ズィーナト・メヘルはラングーンの幽閉先で夫のザファルに先立たれた後、20年後の1886年に63年あまりの生涯を閉じる。若い頃の肖像以外には晩年の写真しか残されていないが若いころにはとても美しい王妃であったらしい。

    流刑先では、日々デリーを、王宮と自身のハヴェーリーを想う望郷の生活を送っていたことだろう。

    もうずいぶん前にラングーン(ヤンゴン)で彼ら皇帝夫妻の墓所を音ずれたことがある。ダルガーとなっており、インド系ムスリムたちが参拝するとともに、インド、パキスタン、バングラデシュから首相その他の閣僚が訪問する際にも定番のスポットとなっている。そこに葬られている王妃の実家がここにある。

  • オールドデリーのジャイナ教寺院

    オールドデリーのジャイナ教寺院

    上の画像は前日購入したデリーのガイドブック。こちらの表紙になっている寺院がどうしても気になり、朝6時前に目が覚めてしまった。そしてオートでGo!

    シュリー・ペーガムバル・ジェイン・ナヤー・マンディル(Shri Pegambar Jain Naya Mandir)という名のジャイナ教寺院で、くねくねした路地奥にあるのだが、Googleマップは優秀なので迷うことなくたどり着くことができる。

    本殿では聖職者たちが祭壇の清掃中。翌日の朝7時から高僧が来ての大きな法要があるとのこと。

    路地奥にゴミゴミした路地奥にいきなり天界のような夢か幻かと思うような空間に遭遇して仰天した次第。

  • シールマールはおいしい

    シールマールはおいしい

    ジャマーマスジッド近くで食事。有名なカリームやアルジャワーハル以外にも気になる店が実にたくさんあるのだが、胃袋は一つしかないのが残念なくらいだ。

    あまりに有名なので外国人客も多いが、アラビアの人たちもよく訪れている。前回はエジプトからの留学生と相席になり、食べながらいろいろ話したし、今回はどこの国か尋ねていないが、産油国から来たと思われる夫婦連れがいた。やはりデリーという、ひとつの本場のムスリム料理は本当においしい。

    夕飯後には並びのシールマール屋「Haji Nadeem」にておいしい本場のシールマールを買って帰る。

  • 巻きが少ないトイレ紙

    巻きが少ないトイレ紙

    インドで近年こそ巻きの大きなものもふんだんに出回るようになったが、伝統的な巻きのサイズはこれだし、これらは今でも流通している。

    感覚で言うと2回分、うまくいけば3回分だろうか。カバンの中で邪魔にならないよう芯を抜くと、本当に少なくて心許ない。

    インド式トイレであれば水で済ますが、洋式だと姿勢上容易ではないため紙を使う。いやインド式だって置いてあるのが汚い缶とかならやはり触るのはちょっと・・・で、紙を使うという人は少なくないだろう。

    それで出先でパーニープーリーをつまんだりするから、朝のお通じ(笑)以外に予定外のものがやってきたりする。カバンを開けたらすでに一度使用済みだと、「あいやー!足りるかなぁ、こりゃー?」となると大変焦るのである。

  • スンダル・ナーサリー

    スンダル・ナーサリー

    ここがオープンしたのは最近のことではないのだが、私自身が訪問するのは初めて。フマユーン廟、ニザームッディーンのダルガー、ローディーガーデンなどの近くにあり、アズィームガンジと呼ばれたムガル時代のキャラバンサライを含むムガル時代の遺跡が点在するエリアでを遺跡公園として整備したものだ。

    敷地内には美しいペルシャ庭園もしつらえてあるが、これは往時からここにあったのではなく、公園としての演出のようだ。ペルシャ庭園自体は、ムガルその他のイスラーム王朝が造ったように、ペルシャ起源ながらもインドに定着した伝統的な庭園スタイルと言える。

    ここで面白いのは、通常遺跡の遺跡整備はASI(インド考古学局)が実施するのだが、スンダル・ナーサリーは官民協働の事業であったことだ。ASIとPWDいずれも政府機関が民間のアガー・カーン財団と手を組んで整備したものである。そんなこともあって、遺跡の修復と保存のみならず、新たな市民の憩いの場の創出としての事業となったのかな、と想像している。

    ペルシャ庭園、そして子供たちのための遊び場、遺跡敷地内での洒落たカフェの営業、日本の盆栽庭園などもあるなど、通常の遺跡整備では見られない、なかなか画期的なものだ。

    それにしてもデリー市内なのに、木々が生い茂る環境下で、まるで鳩かカラスみたいにクジャクたちがウジャウジャたくさんいる。特徴的な声もなかなかうるさい。

    ここのみならず、実はデリー市内には今も手つかずの原生林がある。野生動物たちにとっては大都市のすぐ傍らに残された楽園なのだろう。

    その深い森、英語でインドを含めた南の国々の生命力に満ちた、同時に人間にとっては危険を秘めた森のことを「jungle」と呼ぶが、これはインドの言葉「jangal」をそのまま借用したもの。イギリス人にとってこの地の深い森は彼らの国の「forest」とは明らかに違う異質なものと認識されたのかもしれない。

    SUNDER NURSERY紹介サイト

  • ココナツの水

    ココナツの水

    近年は、ココナツが採れる国でもこういうのがよく売られている。

    せっかく生のココナツをナタでヒョイヒョイとやって、ストロー差し込んでくれるのに、なんでわざわざこんなので?という気もするのだが、やはりキンキンに冷えていると、これがまた格別。まったくの別物となる。

    それだけに、180mlで40Rsという値段はけっこう割高とはいえ、よく売れている。

    しかしまあ、暑い季節には、買った1リットルの水を店頭でぐいぐい飲み干してしまったり、食堂に入れば注文した同じ1リットルを食事が終わる前には飲み干してしまったりもするので、200mlにも及ばない量ではとても渇きをいやすことはできないのだが。

    もちろん1Lサイズの大きなパッケージのものも売られている。思い切り冷えたこちらを「腹いっぱい」飲むのも満足感があって良い。