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カテゴリー: life

  • インドと言えばラム!

    インドと言えばラム!

    例の鉄格子の酒屋さんで「オススメのを」と言ったら出てきたのがこれ。紅茶じゃないけどまさに「アープ・キー・パサンド」である。

    名前もラベルもカッコいい。どうせ大衆酒なのだからタイトルは大袈裟だったり勇ましかったりするほうがいい。

    夕方の酒屋さんは大賑わいで大きなリュックに信じられないほどの量のボトルを入れて店を後にする人も。

    街なかはいいんだけれども気になるのは街道沿いで結構見かける酒屋さんの存在。飲酒運転を助長するかのようで感心しない。

    映画でも運転しながらウイスキーのボトルを煽るような無茶苦茶なシーンが見られることもしばしばある。インドで上映する映画は日本での映倫みたいな機関が検閲しているにもかかわらず。

  • いわゆる「痔」の話

    いわゆる「痔」の話

    ウンチを水で処理する国の人々は痔にならないなどと、まことしやかに言う人がいるが、こういう看板や新聞広告があふれるインドのことをどう思うのだろうか。

    看板上部にある「बवासीर (バワースィール)」というのが、いわゆる「痔」のことなのだが、バーザールを歩いていても、あるいは新聞を開いていても、それの治療を得意とする医者や医薬品等の広告がよく目に入ってくる。つまりそれほど多いのであろう。

  • ニューデリー駅前の食堂にて

    ニューデリー駅前の食堂にて

    「印鉄聖地 レーワーリー」から各駅停車でニューデリーに戻った。

    こちらは駅前の食堂。魚アイテムがいろいろあり、店内にはベンガル語、オリヤー語なども書かれているので、東部のお客さんをメインのターゲットとしているのだろう。

    インドのそうした地方の魚料理もまた美味しいものだ。とても食欲がわいてくる。

  • レーワーリー駅の東口と西口

    レーワーリー駅の東口と西口

    レーワーリーはロコ・シェッド(機関車整備場)を訪れたのみだが、駅の東西がまったく違う街になっているのが興味深かった。

    インドに限らず日本その他でも鉄道駅のこちらと向こうで雰囲気がずいぶん異なることはあるが、レーワーリーほどの極端な例はそう多くない。

    鉄道駅の東側には駅前スペースはほとんど無く、いきなり密度の高い商業地になっている。主要駅のひとつであるこの駅を乗り降りする人たちは24時間絶えないため、駅前ではデリーやカーンプルなどと同様に終夜営業をしている店もかなりある。オートはリザーブ(貸し切り)と乗り合いのいずれも客の取り合いだ。とにかく賑わっている。

    こちらはレーワーリー駅東口

    一方で西口に出ると、商店は一軒もないし、客待ちのオートもゼロ。とても静かなのだ。これには驚いた。よく見るまでもなく、建物は古ぼけているものの、鉄道病院があったり、鉄道関係者の住宅が立ち並んでいたり、簡素だが趣のある教会があったりする。ここはいわゆる「レイルウェイ・コロニー」なのであった。

    レーワーリー駅西口は閑静な住宅地

    つまり鉄道関係用地という、きちんと管理された政府所有地が西口側に広がっているため、民間企業等が開発したり、一般の商店や住宅が建てられたりすることもなければ、スクウォッターたちが勝手に住み着くことも出来ないわけである。

    本日、ロコ・シェッドに出勤してくる人たちはみんな同じ方向から歩いて来ていたので、おそらく整備士たちの宿舎に住んでいるのではないかと推測できる。

    英領時代、ロコ・シェッド自体が造られた頃は当時のハイテクの粋を集めた先進的な機関であったはずなので、英国人のメカニックがネイティブ(当時は「インド人」をそう呼んでいた)に技を伝えるべく頑張っていたはず。

    在インドの英国人にも当然、階級というものはあり、鉄道、自動車、電信電話その他のいわゆる現業部門の英国人たちは、社会の指導的立場にはなく、彼らがフィールドとする仕事場における「親方」に過ぎなかった。

    そんなわけで、現在のレーワーリーのレイルウェイ・コロニーの古ぼけた庭付き戸建ての官舎には、比較的良さげな給与待遇に惹かれて渡印したものの、配属先で大きなタスクを負わされつつも、ホワイトカラーの同国の上役からはやいやいのと言われたり、部下のインド人たちへのリーダーシップがうまく取れなかったりと、追込まれて気の毒千万な英国人も多かったはず。

    植民地時代の研究や考察などで、そうした現業部門に従事した英国人に関するものは例外的と思われるが、何かカチッとまとめられたものがあれば、是非読んでみたい。

    ロコ・シェッドの入口

    それはそうと、オープンと同時に入場しようとゲートには早めに着いてみたが、見学時間は午前9時からとのことであった。(8時からと思い込んでいた)

    ちゃんとゲートに掲げられた案内板に書いてある。ちなみに月曜日と国の祝日は休館とのこと。

    公開時間が記されている。開くのは朝9時からとのこと。閉まるのは夕方4時。
  • レーワーリー到着

    予約していた宿は駅出口から徒歩1分というのは本当だった。だが驚いたのは、そんな便利な場所にあるいくつもの宿が経営難のようで、私の宿泊先の並び計4件がすべて「OYO」になっていること。いずれも「1泊599Rs」という看板を掲げている。

    私はそんな具合とは知らずにネットの大手予約サイトで取っており、廃墟のような有様に驚くとともに、その料金ではないため(むやみやたらに大きな差ではなかったけど)マネージャーに抗議すると、「確かにその条件と違うわなぁ」とかなんとか呟きながら、近隣の壊れた建物に連れて行かれた。

    すぐ隣であったが、古い宿の再建(?)工事中。どう見ても営業しているようには見えないのだが、水と電気は通じているという中途半端な有様。

    明日は朝から活動。テキパキ片付けて再び鉄道乗車の予定があるため、最も駅近の宿を予約サイトで取ったが、宿の名前にOYOが出てきたらそれは避ける、敢えて利用するならOYOサイトから予約すべき(他サイトからだと割高になる)と痛感。

    そもそも乗降客の多いメジャーな駅にまともな時間に到着するのに、他のついでに予約などしてしまったのが余計であったと反省。

    昼まで滞在していたプシュカルでは、地元のお店の人たちと近隣の村からなどを含めたローカルな人々の会話はまったくわからなかった(ラージャスターン方言といってもいろいろあるのだろうけど、首都圏から比較的近いアジメールやシェカワティーでも、ローカル同士の会話はわからなくなる)が、ここは駅前で聞こえてくるのは普通のヒンディー語であり、周囲でのやりとりがわかるので「おぉ帰ってきた」という感じがする。

  • レーワーリーへ

    レーワーリーへ

    ラージプート建築を模したアジメール・ジャンクション駅。インドの古い駅舎は趣きがある。

    本日はシャターブディー・エクスプレスに乗車。始発駅なので出発よりかなり早く前から乗り込んでゆったり出来るのが良い。エアコンが始動したので、まもなく冷え冷えになりそうだ。

    車内の軽食サービス。これとは別に時間になると食事が出る。

    インドの鉄道(植民地時代は国鉄はなく、いくつもの鉄道会社が管轄地域で運行)で最初の空調車両導入は、なんと1930年代。ボンベイのバラード埠頭駅からペーシャーワルを結んだ当時の「フロンティア・メイル」(現在はアムリトサル駅が終着となっている「ゴールデンテンプル・メイル」)の一等車両でのこと。当時は大量の氷で車内空気を冷やしたとのこと。どの程度の効きだったのかは知りませんが、ずいぶん贅沢な話だ。

    当時、この列車の発車は英国からやってくる定期船の到着とリンクしており、バラード埠頭で下船した人たちがそのまま隣接する駅から乗車できるようになっていたとのこと。このフロンティア・メイルは当時のエクスプレスのなかでも走行優先度が最上位クラスのものであったため、よほどの悪天候や事故でもない限り、終点のアムリトサルまでほぼ遅れなしで走行したと聞く。

    アジメールに来るときに利用したのはシャターブディーと同じく走行優先順位最上位クラスのジャン(大衆)・シャターブディーだった。比較的新しく設定されたエクスプレスで、全車両空調クラスのシャターブディーと異なり、夜行の「ガリーブ・ラト」と同様に、このジャン(大衆)・シャターブディーは基本ノンACで1両のみ例外的にエアコンクラスが連結している。先日私が乗車したのはそのエアコンクラス。「大衆」のほうではエアコンクラスであっても通常のエクスプレス同様、食事の提供はない。

    近年のインド国鉄の新設エクスプレスの特徴として、「ヴァンデー・バーラト」のような専用車両による高速列車の導入と区間拡大に先行して、大衆クラス主体ながらも優先順位の高いエクスプレスが増えたことも挙げられる。ひもころに較べると、かなり目配りの効いた旅客運輸サービスを提供していると言えるだろう。

    汽車旅は日没後は車窓の景色が見えないので、退屈極まりなくなる。そうこうしているうちに先ほどはアルワルに停車。本日の目的地レーワーリーまでは、あとひと駅。

    シャターブディーエクスプレスでは車内食の時間だったが、周囲には必ず食事を断る人たちがいる。それでいて、お湯を注ぐだけで出来上がるカップラーメン的なカップ入りウプマを別途お金払って注文していたりする。それならばチケットに込みの食事を食べればいいのに、なんかもったいない話だ。

    まあ、今は豊かな時代になったし、シャターブディーに乗る人たちは裕福なので、要らないものは要らないのだろう。確かにシャターブディーの車内食はおいしくはないのだけれども。

    そしてレーワーリー到着。

    本日、ハリヤーナー州のレーワーリー東口駅前宿泊中。駅出口から徒歩1分という大変便利な場所にある。

  • 質実剛健

    質実剛健

    木製で補強の付いた頑丈な扉。インドでこういうのは良い。

    そして仕立屋さんの仕事道具のミシン。どちらも昔から変わらなぬ質実剛健さが頼もしい。

    丈夫で長持ちが一番だ。

  • ラカーラーのお寺

    ラカーラーのお寺

    「ラカーラーのコミュニティーの寺」とある。ラカーラーとは伝統的にバングル作りを生業としてきたカースト。このようにコミュニティーに特化したお寺もあるのがインドらしい。

    寺の入口にはプージャーリーの電話番号が示されている。普段は常駐していなくて、何か法要(プージャー)の際には呼んで来てもらうのだろう。

  • プシュカルの建物

    プシュカルの建物

    プシュカルにはまだまだ古い建物が残っていて、歩いて眺めているだけでも楽しい。窓飾りに持ち送り、部外者が中に入れる建物(店やゲストハウスなど)では、ハヴェーリー内のチョウクやそれを取り巻く部屋の扉なども見られる。

    今の時代には、もうこういう家屋は造らない、建てられないので、こういうのは大切にして欲しい。プシュカルにはまだこうした建物が多く残されているのは幸いである。

    こうしたヘリテージ家屋を目にすると、インドは本当に豊かな伝統に恵まれた、非常にリッチな国だと感じる。

    昨夜の宿はなんとプール付き。部屋は広くてダブルベッドひとつに加えて2段ベッドもあるなど、ファミリー向けだった。クルマで来ている家族連れが多い。ガートから細い道挟んだところにある古い大きな建物の中にあるが、こういう建物によくある奥行きの深さのため、プールや駐車場も設置できるのだ。おそるべき深みを持つ古い時代のハヴェーリー。

    もっとも、この部分についてはもともとあった建物を取り壊してスペースを確保したのではないかと思われる。

  • 湖の眺め

    湖の眺め

    プシュカルのガートでの注意を呼び掛けるアナウンス。荷物や貴重品の扱い、溺れる危険への注意はともかく、沐浴に石鹸を使うなとか、衣類を洗うな、ゴミを捨てるなとかいうのが、いかにもインドらしくてある意味ホッコリする。大人でもちょっと目を離すとすぐにポイポイゴミを捨てるので。

    それでもガートすぐ裏の建物の屋上からの眺めは最高。こちらは朝食を摂ったのとは別の店。

    おそらくブシュカルは、湖のほとりに人々が住み着いたオアシスが始まりで、家畜の世話や農耕にも最適なパラダイスみたいなところだったのだろう。

    流れ込む川もないので、たぶん地下から湧いている泉なのだろうか。水が湧き出る場所自体、神性を帯びることが多く、ここが聖地と見做されるようになるのは当然の流れだったはず。

    この場所はツーリスト用のレストランで、ゲストハウスと一緒になっている。環境が素晴らしく良いので、また来たらこんなところに泊まりたい。

    時間帯によっていろんな表情を見せるプシュカルの湖の眺めを楽しみながら過ごせたら最高だろう。

    ここには、まだまだ古い建物が残っていて、眺めながら歩いているだけでも楽しい。窓飾りとか持ち送りとか、よそ者でも中に入れる建物(店やゲストハウスなど)では、ハヴェーリー内のチョウクとそれを取り巻く部屋の扉なども見られて興味深い。

    現代はこういう家屋は造らない、建てられないので、文化遺産として大切にして欲しいところだ。まだこうした建物が数多いのは幸いだ。

    こういうヘリテージ家屋を目にすると、インドは本当に豊かな伝統に恵まれた、非常にリッチな国だなぁと感じる。

  • レイクビュー

    レイクビュー

    朝食を食べようと出かけたのだが、どうやら入る店を間違えたらしい。「レイクビュー」という名前に惹かれて入ってみたのだが。

    古いハヴェーリーの屋上にあり、眼下の湖やガートはもちろん、プシュカルを見渡せる位置にある。サヴィトリー・マーターの山もその向こうに見える。前日登ったときには近くに感じたが、こうして見るとけっこう距離がある。  

    しばらくすると注文していないパンケーキが出てきた。よく見ると何やらフィリングが入っているので、どうやら私が頼んだ「アールー・パラーター」のつもりらしい。

    こういう店では「サンドイッチ」「トースト」にしておいたほうが良かったらしい。

    手を伸ばしてみたが、たぶんロクに調理をしたことのない男が「たしかウチの母はこんな感じでやっていた気がする」というおぼろげな記憶で手を動かしたのだろう。

    超厚焼き、生焼け、なぜかターメリックを「これでもか!」とブチ込んでオレンジ色に近くなったジャガイモとタマネギのフィリング。ターメリックの臭いが鼻を刺激してくしゃみが出そうだ。

    一等地にあるのに、食事どきにお客がひとりもいない食事処にはワケがある・・・らしい。

    それでもここからの眺めは素晴らしい。ガートからの喧騒を耳にしながら、このひとときをしばし楽しみたく、チャーイのお代わりを注文する。

  • 屋敷を転用したレストラン

    屋敷を転用したレストラン

    プシュカルのような町の魅力は、昔ながらの家屋やハヴエリーがそのまま使われていることなのだが、こういう建物に置き換わっていくのは残念。こういうものが大半になって初めて、失われたものの大きさがわかるのだろうけれども、そうなった時にはすでに遅い。

    入る店を間違えて洋食しかなかったのだが意外にも美味しかった。客席は屋上にあったが、階下はジョイントファミリーでの暮らしが当たり前であった頃にそうした親族がくらしていたと思われる空間。

    印象的だったのは、こうした家につきものの建物内の広場、チョウクが非常に狭くて本来の用をなさなかったことと思われること。 それでもやはり風の通りと採光のため、頭上の吹き抜けはあって夜空が覗いている。その縦空間を囲むように傾斜の急な階段が階と階を繋いでいた。

    そのような具合なので、親族で暮らすには上下往来が面倒になるものの、地上階を親族以外の者に貸し出すには都合が良かったかもしれない。

    建物に面した道路への出口は肩幅よりも少し広い程度。大きな家具の搬入は無理だが、昔のインドでは出来合いの家具を買うのではなく、職人さんが顧客の家に来て道具を使ってトンカン作り上げるのが当たり前であったため、大した問題にはならなかったとも思われる。

    古くて良い感じの建物があっても、よそ様の家にズカズカと踏み込むことはできないため、中の様子を知る術はないが、レストラン、商店、宿泊施設などに転用されていると、このように観察できる点はありがたい。