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カテゴリー: economy

  • サッスーンドック

    サッスーンドック

    サッスーンドックにある大きな倉庫建物で「サッスーンドック・アート・プロジェクト」開催中。生臭い魚市場に隣接しているため、空気はどこも強烈な魚の臭いと腐敗臭に満ちていた。ここで売られる様々な魚の中で、チラッと目についたエイ。インドではこの魚はどのように調理されるのだろうか。

    思わず「こんなところでアート?と」思いかけたが、アートとは本来私たちの生活からかけ離れたところで、私たちの営みとはかけはなれたテーマで作成されるものではない(中にはそういうのもあるかもしれないが)はずなので、こういう極めて世俗な場所での開催は、案外正しい姿なのかもしれない。

    ちなみにそのサッスーンドックだが、いわゆる「バグダディー・ジュー」と呼ばれる植民地時代に中東方面から渡来したユダヤ人たちのうち、サッスーン家の一門が力を蓄えたボンベイ(現ムンバイ)。サッスーン家はその後、カルカッタ、ラングーン、上海、香港そして欧州でも繁栄。

    サッスーンの一門が力を蓄えたボンベイ。その後、カルカッタ、ラングーン、上海、香港、そして欧州でも飛躍。

    インドにおけるサッスーン一族の始祖、ディヴィッド・サッスーンがボンベイに上陸したのは1832年あたりであったとされる。まだシオニズム運動が始まる前だったので、彼らはアラブ人を自称して、生活スタイルも装いもアラブ人の格好をしていたということは興味深い。当時はまだユダヤ人というアイデンティティーはアラブ人という意識の中に包括されるものであり、そのアラブ人の大多数を占めるイスラーム教徒から見るとユダヤ教徒というマイノリティーではあったものの現在のような「異民族」という扱いではなかった。同様に、今も残るユダヤ人地区はいずれもムスリム地区の中にあり、ムスリムコミュニティーの中の「ユダヤ人組」みたいな形であった。

    その後、バグダディー・ジューは植民地当局の主に軍需関係などで稼ぐようになり、「欧州人化」していく。欧風化したのはパールスィーも同様であるのだが。

    シオニズム運動、イスラエル建国運動へとユダヤ人国家の実現とパレスチナ人たちからの土地その他の収奪へと向かうにつれてムスリムvsユダヤという、それまではあり得なかった対立軸が出来上がっていった。そんなわけで、イスラエル建国が実現しなければ、昔と同じ今も大きなアラブ社会の中にユダヤ人社会という少し毛色の違う社会がある、その他の地域でもムスリム社会の中に、ユダヤ教という祖を同じくするものの、少し違う信仰の人たちが同じエリアで暮らしているという関係であったことだろう。

    現在に至っても、ムンバイ、カルカッタ、ラングーンなどにバグタディーが残したシナゴーグその他の施設があるが、そうしたこところで住み込みなどで世話人をしているのは、ムスリムの人たちであり、昔ながらのムスリムとユダヤ人の親密な関係は継続しているのは幸いである。

  • 喫茶の習慣

    インドにおけるチャーイ(チャーエ)といえば、人々の暮らしに欠かせないものとなっているが、その歴史はまだ100年にも届かないことはあまり知られていない。

    1903年に制定されたIndian Tea Cessにより、それまで輸出作物として栽培・取引されてきた茶葉がインド国内もマーケットとする方針が定まった。そのあたりではカルカッタやボンベイなどの大都会では英国人のみならずインド人上流・中流階級も紅茶に親しむようになっていたが、あくまで英国式のものであり、しかも高級な嗜みであった。

    19世紀にインド各地で茶葉の栽培が広がるとともに、20世紀に入るあたりになると、マラヤやアフリカなど、他の英領地域にも茶園経営は広まり、オランダやフランスなど欧州列強の海外領土でも同様に茶葉の生産が広がりを見せた。

    20世紀に入ってしばらくすると、茶葉の取引価格の下落、在庫のだぶつきなども見られるようになり、新たなマーケットを求める必要が出てきた。当然、産地であるインド国内の膨大な人口がその標的となり、1930年代以降、インド紅茶局は国内各地で「紅茶キャンペーン」を展開していくことになる。もちろん当時は今のようなチャーイはまだ誕生しておらず、やはり英国式の飲み方が宣伝されたわけであった。

    つまりガーンディーが率いた「塩の行進」(1930年、英国による塩の専売に反対してグジャラート州のダーンディの海岸を目指して歩き、そこで塩を作ってみせた)の頃には、まだそんなものは存在していなかったわけだ。

    ガーンディー自身が「アンチ紅茶」の立場を取っていたことはリンク先の記事で初めて知ったが、彼が禁欲的なスタンスであったためのみではなく、紅茶による税収は英国当局の貴重な財源でもあったからなのだろう。

    今どこでもあるようなチャーイが街角で普及したのはいつ頃からのことなのだろうか。1930年代から1940年代にかけて紅茶局がインド国内で茶葉普及活動を展開していたというから、やはり街なかや家庭で定着したのは独立後ということになるのかもしれない。あるいはさらに遅く、ある程度生活にゆとりが出てきた1960年代以降ということになるかもしれない。もちろんその中で都市部と田舎での時間差もあったことだろう。

    ここからは私の想像だが、1950年代にUPの田舎からカルカッタで大学に進学するために出てきたら、「カレッジストリートのインディアンコーヒーハウスで初めてコーヒーとチャーイを知った」という地方出身の若者もいたかもしれないし、街なかで働く労働者たちの中では、「チャーイは昔はとても高くて手が出なかった。1960年代くらいからかな、俺もようやく飲めるようになったのは。そのあたりになると帰省したら家でもみんな飲むようになっていたよ」というのもあったのかな、そんなことはなかったのかな?などと思いを巡らせてしまう。

    Mahatma Gandhi and his anti-tea campaign (BBC NEWS)

  • THE LINE

    サウジアラビアが推進する国家プロジェクトとしてのスマートシティ「THE LINE」の建設。

    埋蔵量世界一の豊かな石油資源と石油後を見据えた展望のもと、外国からの技術と投資を呼び込んで、まったく新しいコンセプトの街が生まれようとしている。

    幅200mで長さが170km、三層構造で居住、インフラ、交通とそれぞれの役割が分かれているとともに、自動車のないどこにでも歩いて行ける街らしい。地域間の往来はどのような具合の「交通機関」が用意されるのだろうか。

    もしかしたら将来、地球外の惑星に都市が建設される際に利用するであろう技術やアイデアも投入されるのか、あるいはそれを見込んでのテストケースでもあるのか。

    建築家にも建設会社にとったも、まったく新しいコンセプトや技術で取り組むことのできる非常に楽しみなプロジェクトなのかもしれない。

    フェーズ1部分は2030年までに完成予定なのだと。そのあたりでどのようになっているのか報じられるのが楽しみだ。

    このプロジェクトに参画するインド人技術者や労働者も多数あることだろう。地理的に近いだけでなく、経済的な繋がりも強いサウジアラビアとインドなので、このプロジェクトの進展も詳しく伝えられるはずだ。

    THE LINE (NEOM)

  • ムンバイ空港の設計企業

    ムンバイ空港の設計企業

    中東趣味のムンバイ空港。総体的にやはりアラビア方面への玄関口でもあるわけだが、どこの建築家が受注したものなのだろうか・・・と思いきや、インドを本拠地とする多国籍企業Larsen & Toubroという会社だが、1934年にインドにやってきたデンマーク人による事業が前身となっており、現在の名前の企業として発足したのは1946年というユニークな歴史を持っている。

    ユニークと言えば、それだけではない。デヴィッド・リーン監督の映画「戦場にかける橋」の撮影に使うため、スリランカでこの橋を建設したのもLarsen & Tourbroであったとのことだ。

    映画「戦場にかける橋」から

    The Story of Larsen & Toubro Construction Company (Linkedin)

  • インド国鉄の予約システム

    インド国鉄の予約システム

    今さらながらではあるが、IRCTCの予約システムは大きく進化していて、簡単に予約できるようになっている。もはや他の旅行予約サイトを通じてブッキングする必要はないと言える。検索の際にいちいち予約クラスを指定せず、「すべてのクラス」で検索し、出てきた結果からそれぞれのクラスの空き状況を確認できるようになっている。

    またそのものズバリの駅名を入れなくても近隣の駅を含めた検索をしてくれるし、選択した×××ジャンクション、×××カーント、×××シティーといった同じ街の名前が入っている異なる駅がひっかかってきた場合、「あなたの指定したのは×××シティー駅ですが、これは×××カーント駅です。それでもよいですか?」といった表示が出る。またこちらの指定した区間を直行する列車がない場合、いくつかの乗り継ぎを含めた提案をしてくれるのだ。以前はこんなことはまったくなかった。

    当時のシステムでは、なんとか進んでいっても支払いのところまでたどり着いても、そこでエラーになり、ガックリさせられたものだが、操作の安定性の面からも信頼できるものとなった。

    コロナ禍前の話になるが、鉄道予約の際には、IRCTCのサイトから直接購入するのではなく、Cleartripというインドの旅行予約サイトの鉄道予約システムが秀逸だったので、そちらを利用していた。Cleartripが独自の鉄道予約システムを持っているわけではなく、同社のシステムがIRCTCのシステムと連携して予約できるようになっていたのだが、そちらのほうが、おおもとのシステムから直接購入するよりも安定的かつスムースというのはおかしなものだと思っていた。また、PCサイトからだとインドの携帯電話番号の入力、インドの携帯に送られてくるOTPの入力といった、日本在住者にとっては困ったハードルがあったが、なぜかスマホアプリではそれが求められないので手軽に使えるという利点もあった。

    ・・・と過去形になるのは、Cleartripでは現在鉄道予約の扱いはなくなっており、一時期は取り扱いのあったバス予約もなくなり、そしてホテル予約システム自体は以前から貧弱であったため、後発のmake my tripその他、新興の予約サイトに押されて、もはやオススメできる予約サイトではなくなっているからだ。敢えて民間の旅行予約サイトでインド国鉄をブッキングしたいというのであれば、ixigoの評判が良いようだが、今やIRCTCのシステムがしっかりしているので、その必要はないだろう。

    あと、進化といえば助かるのは、何かあった場合に問い合わせ先のメルアドに質問等を送ると、数時間から半日程度できちんと回答がきたり、ちゃんとした対応をしてもらえることだ。こんなことは当たり前のように思うかもしれないが、以前はメールしてもなしのつぶてということが多く、Skypeでインドのコールセンターにかけないといけなかったからだ。

    ただいくばくかの不満もある。PCで閲覧するウェブサイトもスマホのアプリも、幾度からログインに失敗(なぜか続くことがある)すると、「アクセスが禁じられています」と表示されてしまい、しばらくしてほとぼりが冷めてからでないと、システムが不通になってしまうことだ。どうしてそうなるのか?

    急いでいる場合は困るし、車内で検札がきた際にスマホアプリで見せるつもりがこうなったりするのも困るので、念のためeチケットは印刷しておいたほうが良いかもしれない。

  • タイのバーガーキング

    タイのバーガーキング


    スワンナプームのターミナルのバーガーキングで「ワッパーチーズ(単品)」を買ったが、単品でなんと338バーツ。なんとなく手持ちのタイバーツで払ってしまったが、調べてみると、本日のレートで1300円でビックリ。

    これはどうやら「空港レート」らしく、タイのバーガーキングのウェブサイトにある価格とは異なる。

    しかしこれまた驚いたのは、市中価格であっても、日本のバーガーキングの価格よりもかなり高いこと。

    同じ「ワッパーチーズ(単品)」でも、日本では690円タイでは855円

    となる。日本における店舗とタイでの店舗ではマーケティング上の位置付けや客層の想定が異なるからなのだろうけれども。

  • スコタイ空港

    スコタイ空港

    今回の旅行直前にこの空港の特徴について知るところとなり、ちょっと興味を引かれていた。ご存知のとおり、空港は国あるいは空港公団所有、公団あるいはそこが委託した企業が運営というのが定番だ。しかしここはバンコクエアウェイズが所有し、同社自身が運営するという変わったものである。

    だがバンコクエアウェイズ自体が単なる航空会社ではなく、バンコクエアウェイズを中核企業とする財閥で、旅行業を中心としたサービス関連事業を行う事業体でもある。

    そんなわけでターミナルビルはビーチのリゾートホテルのロビーのような吹き抜け。お寺のお堂をモチーフにしたような室内空間を持つ、空港らしからぬ待合室になっている。こうした演出は実に巧みなタイ。

    空港敷地内は、スコタイの遺跡を移築したかのように年季の入った仕立ての仏教建造物風のものが散在していてびっくりする。おそらく最初からレプリカを造ったのではなく、譲り受けて移築した「本物」もあることと思われる。

    敷地内にはミニサファリのようなものがあり、シマウマが放牧されている。私は見かけなかったがキリンもいるらしい。

    乗客全員対象に簡単な飲み物とスナックが提供される。

    「空港」と言ってもいろいろあるものだ。朝夕の1便ずつしかない田舎の小空港で、ここまで凝ったものは、他国にもなかなかないのではないかと思う。(遺跡公園風の部分が撮影できていないのは心残り)

    この車両の乗って搭乗口へ移動
  • MBKとその界隈

    MBKとその界隈

    話はインドからタイに飛ぶ。バンコクのMBKが残念なことになっていた。入居していた店もレストランも減り、既存店の位置を固めて営業しているようだ。ところどころ虫食い状態よりは・・・ということか。広い廊下の真ん中で列を成して商っていた人たちのスペースは消滅して、ガラーンとした空き地のようになっている。

    ラーマ1世道路から入ったあたりには既存店を集中させているため、寂れ具合には気が付かないかもしれないが、奥に進んでいくと別世界になっている。フロアの端のほうには閉鎖されたままであったり、ボードで封をしてしまったテナントスペースが連なっていたりする。コロナで大きな衝撃を受けたレストランもたくさん撤退していた。

    MBKの反対側、比較的古い商業施設、老舗の時計屋とか、たまに王女様が王宮警察の護衛付きで訪れる鞄屋さんとかもあったように思うけど更地になっていた。街の毛色というものは特に都心の商業地区ともなると、ゆっくりじわじわ変わっていくものではなく、一気に更地になって一気に何か大きなものが建って、周囲のムードやトレンドをいっぺんに変えてしまうものだ。面積からしてそこまでのインパクトがあるかはさておき、多くの主要ショッピング施設等が集まるサヤーム地区なので、何ができるのか楽しみでもある。

    MBK反対側の商業地が更地に・・・
  • 廃札の衝撃再び

    廃札の衝撃再び

    昨日5月19日金曜日、RBI(Reserve Bank of India=インドの中央銀行)による突然の発表でインド中に衝撃が走った。各メディアもこれを速報で伝えるなどしており、ハチの巣をつついたような具合になった。

    2016年11月8日午後8時に首相演説で「本日深夜をもって1,000RS札と500Rs札は廃止」と発表したときのような性急なものではなく、今年9月末を持って無効化されるということで、時間の猶予はあるものの、インドの商売その他のために、額面の紙幣をたくさん手元に置いている人などは憮然としているはず。

    他の紙幣と交換することはできるが所持していると面倒臭いことになりそうだ。

    2,000 rupee notes withdrawn from circulation: FAQs (THE TIMES OF INDIA)

    旅行者等、インドに一時的に滞在するケースでも買い物等の支払で2,000Rs紙幣を出すと嫌がられることもあるかもしれない。両替等でインドのお金を手にする場合、近く廃止が決まっている2,000Rs紙幣を受け取るのは避けたほうがよいだろう。

    今後、500Rs札が最高額紙幣となるのか、それとも1,000Rsのような額面の紙幣が新たに導入されるのかについては現時点では不明。

    Rs 2,000 notes withdrawn: Exchange them at banks by September 30, says RBI (INDIA TODAY)

    2000 Rs Note Withdrawal HIGHLIGHTS: Note ban has come full circle, Rs 1000 note might be reintroduced, says P Chidambaram (INDIA TODAY)

    India to withdraw 2,000-rupee notes from circulation (REUTERS)

    インドはなかなかの「廃札大国」だ。以下の記事にはインドの「廃札の歴史」がまとめられている。1946年には当時の10,000Rs紙幣が廃止されたとある。現在よりもルピーの価値がはるかに大きかった時代。市中にはほとんど出回っていなかったものと思われるが、この額面の紙幣を手元にたくさん置いていた人は、文字通り卒倒したことだろう。

    In 1946 and 1978, India had demonetised Rs 5,000, 10,000 notes (DECCAN Chronicle)

  • 外国人料金

    こちらはインドの主要な観光スポットの入場料金の一覧。

    外国人料金というものは、10倍以上もするのはなんだかなぁと思う。

    Monument Entrance Fees In India(memorableindia.com)

    旧共産圏では、自国における工作(こうさくではなく、中国でいうところのコンツオ)に参加していない外国人の料金が違うことにはそれなりの理屈があった。

    また、単にひとりあたりのGDPに照らせば、多くのインド人よりもインドに旅行に来る人たちのほうが収入は高いのは間違いないのだろう。それにしても、なんだかなぁとやはり思う。

    直接税、間接税も含めて何がしかを政府に納めているインド市民が外国人よりも安く見学できるのは、まあそういうものかな、とも思うものの、それとはまったく無関係な民間の博物館等もちゃっかりと外国人料金を設けているケースが多い。

    有用な目的のために使われているものと信じて、外国人料金を払うのはやぶさかではないものの、なけなしのお金で可能な限り長くあちこちを見て歩こうとしている若いバックパッカーが、外国人料金に萎縮して見学先を削ったり、そもそも高過ぎる入場料の施設(タージマハルななど世界遺産クラスはさらに高い)を敬遠したりすることもあるように聞くので、せめて20代まではインド人料金適用というような措置があったらいいのにと思う。

    外国人料金といっても、メジャーなところから外れると、どこから来たかと尋ねられることもなく、たいていインド人料金で入れるため、あまり意識することはなかったりするし、デリー、ムンバイ等の大都市や州都クラスの街でも、「どこから来た?」と聞かれて「ここから来た」などとはぐらかすと、そのままインド人料金で入ることができることもあるわけなのだが。

  • スィッドプル

    スィッドプル

    グジャラート州のスィッドプルにあるシーア派ムスリムのダウーディー・ボーハラーのコミュニティーの屋敷町。端正かつ壮麗な街並みに腰を抜かす。建物の多くに建築年が示されており、1900年代から1930年代にかけて、一気にこの街並みができ上がったという不思議。その時期にはどんな爆発的なブーム、好景気がボーハラーのコミュニティーで共有されたのだろうか。スィッドプルのラヒームプラ(Rahimpura)からサイフィープラ(Saifeepura)という地域にかけてこうした景観が広がっている。

    それぞれの建物は、非常に大きな造りで、横に長く屋敷が連なっており、コミュニティーの結束の強さを感じさせる。外から大きな南京錠がかかっている世帯が多いが、たいていは地域外で活動しているため、ここに戻ってくるのはせいぜい年に一度程度なのだとか。今でも住んでいるところも少なくはないようで、そうしたところからは開け放したドアや窓の向こうに見える日用品等に生活感が感じられる。

    特徴的なのは、シェカワティーのハヴェーリー、チェッティナードのハヴェーリーと同様に特定の商業コミュニティーの人々の邸宅なのだが、それらひとつひとつが独立した屋敷となっているわけではなく、欧米のタウンハウスのような形で展開していることだ。ずっと現地を離れているオーナーたちがテナントに貸し出すことなく、世話人を雇って日々手入れさせていること、定期的に修復なども実施しているがゆえ、現在も美しい街区がそのまま保存されているのだ。フレスコ画で有名なシェカワティーのハヴェーリーで、しばしば邸宅内部を細分化して貸し出したり、一階部分を壁で仕切って店舗として貸したりしていることが多いのとはまったく異なる。

    これらの建物内での所有形態がどうなっているのか知らないが、シェカワティーのハヴェーリーに同一のジョイントファミリー内の複数の世帯が共同生活していたように、ここではひとつのタウンハウスのように見える建物がひとつの親族グループにより建築・所有されているのかもしれないが、そこのところはよくわからない。いずれにしても極めて都会的な邸宅の様式と言えるだろう。

    これに近い形の「タウンハウス的ハヴェーリー」はビーカーネールにも見られるのだが、陸上交易時代にはビーカーネール自体が大きな稼ぎの場であったのに対して、ボーハラーの人たちがこうした屋敷を建てた時代には、すでに鉄道や道路による大量輸送の時代になっており、館の主たちの多くはインド各地及び東南アジアから中東、アフリカにかけての広大な地域での交易で財を成した人たちだ。家の入口あたりに「ワドナガル・ワーラー」「スーラト・ワーラー」「カルカッタ・ワーラー」などと書いてあるのは、その家族がビジネスで定着した土地を示している。中には「アデン・ワーラー」「シラーズ・ワーラー」など、外国の地名が書かれているものもある。ダウーディー・ボーハラーはインド亜大陸だけでなく、中東やアフリカにも広く展開している世界的な商業コミュニティーである。こうした屋敷群の中では見かけなかったが、日本でも神戸あるいは横浜のようにかなり昔からインド系商人が出入りした土地には、長く現地で事業展開してきたボーハラーの「コウベ・ワーラー」「ヨコハマ・ワーラー」などが存在しているのではなかろうか。

    このような形で集合住宅を、20世紀前半になってから建てることにどういう合理性があったのか、ぜひ知りたいところである。建築時期が遅いものになると、1960年代になってからという建物すらあるのだ。

    ボーハラーの人々のモスク
    ボーハラーのコミュニティーホール

    Slice of Europe in Sidhpur Bohra Vad, Gujarat

    ルドラ・マハーラヤ
    ルドラ・マハーラヤ

    蛇足ながら、スィッドプルにあるルドラ・マハーラヤ。かつて存在した壮麗な寺院遺跡だが、入場禁止となっている。今にも倒壊しそうな部分もあるので仕方ないだろう。近く修復の手が入るらしい。修復が完了して見学できるようになったら、ここもまたマストな見先ということになる。

    こちらはスィッドプルのバススタンド。周辺各地からのアクセスも良好だ。
  • ディレーンドラ・シャストリーという「バーバー」

    ディレーンドラ・シャストリーという「バーバー」

    INDIA TVの人気プログラム「アープ・キー・アダーラト(あなたの法廷)」。そのときどきの注目されている人たち、俳優、政治家、財界人その他をスタジオに呼び、裁判の尋問と答弁の形で、様々な質問から本人の回答を引き出すというもの。

    このところ話題のバゲーシュワル・ダームのディレーンドラ・シャストリーが出演することが予告されていたが、うっかり見逃した。しかしYouTubeで見ることができた。今という時代に感謝である。

    Dhirendra Shastri In Aap Ki Adalat: बागेश्वर धाम सरकार ने कटघरे में किए बड़े खुलासे | Rajat Sharma (INDIA TV)

    まだ26歳の「バーバー」。装いもチェック柄の衣装であったり、このところ気に入っているらしい帽子をよく被って現れるなど、世俗的で、とてもヒンドゥーの「聖者」には見えない。相手を手玉に取るセリフ回し(インド人はこういうのが好きだ)や話もうまい。まだ自分を「大人に見せよう」と苦心している様子もうかがえるが、年齢を重ねるにつれて、それらしくなっていくことだろう。

    これまでは田舎で周辺地域から信者を集める新興の「バーバー」だったが、このところメディアで日々取り上げられるようになったため、全国の田舎の人たちから注目する存在になるかもしれない。彼は教えが素晴らしいとか、人格が高潔であるなどといったものではなく、まったく反対に「怪しげな奇跡を演出する」「資金の出処や流れが不明」他、インチキくさいバーバーとして耳目を集めている。

    マッディヤ・プラデーシュでとても貧しいブラーフマンの家に生まれ、学校はドロップアウト。リクシャーを引いていた時期もあったとされる。そんな若者が数年間で父母や祖父母世代をも含めた信者層を集める存在となり、一気に有名になったため、彼のアーシュラムにはBJPの代議士たちも信者に顔を売るために表敬訪問するようにさえなってきた。頭のキレは良くて話も上手い彼をプロデュースした黒幕がいるのかどうかは知らないが、少なくともどこかから資金やノウハウの援助は受けてきたはず。

    スタートアップ企業の将来性を見込んで投資する人たちがいるように「将来のバーバー」に対して先行投資をする人たちがいるはずなのだ。日本でもそうだが、こうした宗教関係団体というものは、会社組織と同じ。販売しているモノが「信仰」という目に見えないものであることを除けば。

    この若い「バーバー」の組織は、田舎からそのまま展開して全国を商圏とするテレビショッピングの「ジャパネットたかた」みたいな感じで将来インド全国へと展開していくことになるのだろうか。若年層人口が分厚いインドでは、彼の若さもプラスに作用し得る。若い人たちにとって同世代で勢いがあり、見た目も悪くない「バーバー」が人気を集めることになっても不思議ではないように思われる。