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カテゴリー: economy

  • カッコいいけど格安

    カッコいいけど格安

    アウランガーバードで見かけたちょっとスタイリッシュな軽食屋の看板。

    肝心のお店の写真を撮影していなかったが、この看板のとおりシンプルながらもスマートな感じで洒落た構えなのに、道路脇でトタン屋根の下で開業しているチャーエ屋と同じかそれより安い料金というのが面白い。

    チャーエ(マラーティーでは「Chahaa」と呼ぶらしい)が7Rs、ポーハー、ウプマー、サモーサーがいずれも15Rs。

    下手するとわずか22Rs「チャハー + サモーサー」で朝食、軽食が事足りてしまう、でも女性とデートで立ち寄ってもまったく恥ずかしくないカッコいい店構えという具合。これはきっと、地元の学生や若者たちにはとってもありがたい存在にちがいない。「ウルトラ格安版スタバ」(笑)みたいな感じで。エアコンはないけど。

    肝心の店内を撮ってないのが、あぁ悔やまれる。ちょうど書店巡りしていて、帰りに立ち寄ろうと思ったのに、すっかり忘れてオートに乗ってしまったのだ。

  • ヴァンデー・バーラトの寝台車お披露目

    鉄道大臣によりヴァンデー・バーラトの寝台車の発表がなされた。

    全国各地で運行区間が追加されているヴァンデー・バーラト。インドが誇る国産の非常に快適な準高速列車だが、現時点までは全席チェアカーの昼行列車。今後夜行寝台のものも始まるのだからありがたい。

    中距離の昼行列車としても、夜行の長距離列車としても、それぞれ従前からあるシャターブディー、ラージダーニーと存在意義は被るがいずれもヴァンデー・バーラトが上位の位置付けとなる。

    シャターブディー・エクスプレス(Century Express)、ラージダーニー・エクスプレス(Capital Express)と、ニュートラルだがロマンチックな語感のある名前が好きだが、ヴァンデー・バーラトというこれとは毛色の違う翼賛的なネーミングは、いかにも右翼政権らしいなぁとも思う。国策として各地にサービスを展開して好評を得て、さらには寝台列車も導入してインド万歳の福音を届けようということだろうか。

    それはともかく、ラージダーニーは文字通り、首都と各地の州都(国のラージダーニー、州のラージダーニー)を繋ぐ列車として全国各地で展開してきた。シャターブディーと合わせて中長期的には今後ますます増便されて運行区間も広がったヴァンデー・バーラトに置き換わるのだろうか。これらとは別にヴァンデー・メトロというサービスも今後展開していく予定。メガ級の大都市と周辺の街を高速で繋ぐというもの。

    インド国鉄は、モーディー政権2期合計10年で大きく変わった。3期目の現在もその変化は休む間なく進行中だ。

    Vande Bharat Sleeper Exclusive Sneak Peek: Indian Railways Unveils New Train Better Than Rajdhani! Check Top Photos, Features (THE TIMES OF INDIA)

  • 水のボトルで思い出すこと

    水のボトルで思い出すこと

    1リットルのミネラルウォーターのガラス瓶で思い出したのだが、1980年代のインドではウイスキーの空瓶を水筒として使う人たちがけっこういた。

    バーザールではちゃちなプラスチックの水筒は売られていたのだが、今のような堅牢で見てくれも良いものはまずみかけなかった。清涼飲料の類もガラス瓶で、ペットボトルが出回るようになったのは、そのずいぶん後のことだ。

    80年代後半にはビスレリ等のミネラルウォーターは売られていたが、当時の価格で確か12Rsだったと思う。1ドルが13Rsとか14RS。当時あった闇両替で16Rsだか17Rsだかといったところ。現在の1ドル83Rsとかの時代に20Rsは当時よりもはるかに安い。インドの人たちの所得も大きく上がったが、当時はペットボトル入りの水は高級品だったのだ。そんなわけで鉄道やバスに乗ると、水を入れたウイスキー瓶を持った人たちが大勢いた。

    そういう人たちが皆酒飲みだったわけではないだろう。当時は空いたガラス瓶だって売られていたのだ。用途は水筒にしたり、油をいれたり、はてまた燃料を入れたり。当時は大きな街を除けば食べるところと言えば粗末なダーバーが大半。大きな街で高いと頃といえば、多くはメニューの文字すらよく読めないくらい低照度の暗い暗いレストランだった。

    今から思えば、その闇がパルダーの役を果たし、種種雑多な人々がごちゃりと揃って食事をしているわけではない、家族や仲間だけの孤食を演出する意味があったのかもしれない。

    カフェらしいカフェもなかった。立ってすする道端のチャーエ屋、席は用意されているけど、せせこましく忙しいチャーエ屋しかなかった。カフェがあちこちに出来るようになったのは90年代後半以降だ。

    この時代はメジャーな観光地の主役は外国人だったが、それでも外国人料金という概念がなく、タージマハル入場料はわずか50パイサ。何かと外国人料金の設定が多かった中国を旅行してからインドに来ると、「なんと良識とホスピタリティに満ちた国なのか!」と誤った感心をしたものだ。

    そんな昔のインドが良かったかと言えば、全くそうは思わない。当時私が社会人であったならば、休暇でインド旅行というのはあり得なかった。

    なぜならば鉄道予約は駅に出向かなくてはならず、まずは「ブッキング窓口」で目的地までの乗車券を買い、続いて「リジャルウェーシャン窓口」で予約をする必要があった。

    大きな駅だとそれぞれ方面別となっており、間違えるとまた最初から並び直し。行列は長く、割り込みを防ぐために人々は密着し、それでも窓口前では、とにかく自分が先に窓に手を突っ込もうと熾烈な闘いが繰り広げる、そんな感じだった。列車予約ひとつで1日が軽く終わる、みたいな具合。

    それも始発駅ではなく途中駅だと、「15日先まで寝台なし」「向こう20日間は満席」などと言われて途方に暮れる、そんな大変なインドであった。今のインドのほうがいろいろ便利ではるかにありがたい。

  • QRコード決済

    QRコード決済

    露店でもごく当たり前に電子決済が普及しているインド。ナーリヤルワーラーに、何割くらいの人がPayTmで支払うか尋ねてみると、「何割ってほどじゃあないなぁ。5%くらいかねえ。あんまりいないよ。」とのこと。

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    単価も販売量もなかなか大きなマンゴー露店のお兄さんは「半分近いね。現金と違って盗難とか管理の心配もなくて助かるよ。」なのだとか。

    グラス1杯2Rsのニンブー・パーニーの露店でも尋ねようとしたら肝心の売り手が外していて聞きそびれた。

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    地べたで商う野菜売りも自身のQRコードを誇らしげにトマトや大根の山の上に提示していることが多い。

    客層や品目によって利用頻度は様々なようだが、売り手が異口同音に言うのは、「これがないと支払いの段になって『あ、じゃあバイバイ』と踵を返してしまうお客がいる」ということ。

    手数料を支払ってもメリットがあるということのようだが、ここまで普及した背景には、「インド版マイナンバーカード」と言える「アーダールカード」の普及により、銀行口座を持つ人が爆発的に増えたことがある。

  • デリーからレーへの直行バス

    デリーからレーまで直通のヒマーチャルプラデーシュ運輸公社(州営のバス会社)によるバスが人気らしい。低地の酷暑もさることながら、他の手段よりも安く移動できることが好評らしい。

    暑季のデリー・レー間のフライトは「国際線かよ?」と思うほど高くなるためだ。飛行機で往復だと今の時期は18,000Rsくらいになる。バスだと片道1,657Rsなので往復で3,314Rs。つまり5.5倍くらいの差になるため、ぐっと敷居が下がるのだ。

    以前はケイロンで夜間休止(現地宿泊)していたのをやめて、そのままレーまで突っ走るらしい。道中通過するビラースプルとケイロンで運転手が交代するとのこと。

    所要時間はおよそ33時間。バスに乗りっぱなしでこの時間はかなりキツそうだ。山岳地での夜行というのも何だかおっかない。行きは直行、帰りはスピティその他に立ち寄りながら旅行してみたい。

    Delhi-Leh bus service turns into money spinner for HRTC (The Economic Times)

  • 三又ソケット

    三又ソケット

    三叉ソケットを買い足した。宿で利用できるコンセントが足りなかったり、接触が悪くなっていて、何かひとつ噛ませないとうまく通電しないコンセントがあったりするため、とても重宝する。

    感心するのは、近年は3つ4つに分岐させるだけではなく、平型タップにも対応する形状になっていることが少なくないことだ。

    とりわけ外国人客の多い地域では、そうした需要は少なくないのだろう。つまり2穴式でも丸型だけでなく平型にも使えるということ。もちろん私たち日本も平型だが、アメリカの家電製品に配慮したものと思われる。

    安いものだし、何かと置き忘れたり、紛失しがちなグッズでもあるため、見かけたらその都度購入して補充しておきたい。

  • レーワーリーの蒸気機関車整備場 (Rewari Loco Shed)

    レーワーリーの蒸気機関車整備場 (Rewari Loco Shed)

    ハリヤーナー州のレーワーリーには、インド国鉄好きにはたまらない蒸気機関車整備場がある。ここにはたくさんのSLが集結しているが、博物館のように展示されているわけではなく、すべてが現役の蒸気機関車。それらの車両の整備場なのだ。もちろん入場料を払って見学することができるのだが、場内では整備士さんたちが忙しく働いている。

    レーワーリー蒸気機関車整備場ゲート

    「忙しく」とは言っても、傍目にはのんびりしているように見えるのだが、インドにおけるSL修理のための「最終兵器」みたいな整備場で、貴重な蒸気機関車を日々整備するとともに、他の整備場ではどうにもならないポンコツをも受け入れて、手間暇かけてレストアしていく、そんな凄腕の整備士さんたちが揃っているそうだ。

    入場すると、出勤してきたばかりの蒸気機関車の運転士さんが構内を案内してくれた。現在この人は蒸気機関車専門の運転士とのことで、冬季にデリー・アルワル間で運行される小ぶりで緑色のメーターゲージ機関車、フェアリー・クイーン号の走行も担当しているとのことで、他にも何かのイベント等での運行があれば、呼ばれて行くそうだ。実際に走行する際には4時間ほど前から機関車のウォーミングアップが必要とのこと。

    フェアリー・クイーン号は、優美な外見とは裏腹に、気難しくて扱いにくい機関車であるとのこと。容易にオーバーヒートするし、気を抜くと瞬時に蒸気圧が下がってエンコするなどとても厄介であるとのこと。大昔の機関車なので動かすだけでもちょっとやそっとではいかない相手のようだ。

    フェアリー・クイーン号
    フェアリー・クイーン号

    普段はあまりそういうのがないので暇かと言えばそうでもないようで、機関車の入れ替え作業はもちろんのこと、整備の途中で蒸気機関を回しての動作確認作業などもあるそうだ。

    大きなブロードゲージの貨物用機関車の顔が外れた間抜けな姿を見るのは初めてだったけど、蒸気機関の構造について運転士さんから説明を聞くことができて良かった。すこぶる燃料効率の悪い、そして水も大量消費する機関車だったこともよくわかった。

    どの機関車もバリバリの現役であるため、駅前などに展示されている機関車と異なり、生気に満ちている。また蒸気機関による機関車以外の車両の整備も実施されており、蒸気機関によるロードローラーというのは初めて目にした。

    蒸気機関のロードローラー

    整備場構内では植民地時代の貴賓用客車の展示もあった。こちらは1921年の車両でこの年に訪印したプリンス・オブ・ウェールズのインド滞在のために造られたた特別車両。後に英国国王(=インド皇帝)エドワード8世となる彼の皇太子時代だが、インドに4ヶ月滞在している。要人の長期滞在には批判も多かったようだ。

    The Prince of Wales’ 1921 Trip to India Was a Royal Disaster (JSTOR DAILY)

    プリンス・オブ・ウェールズ(当時)の御用車両

    御用車両内
    御用車両内
    御用車両内(プリンス・オブ・ウェールズの寝室)

    2000年以降にここで撮影された映画のリスト。最近はアクシャイ・クマールの主演映画の撮影があったとのこと。10月公開予定とか。ロコ・シェッドの壁にあったリストはこちら。

    撮影された映画タイトルのリスト(ヒンディー語での表記)

    入場料はわずか10Rs。嬉しいことに外国人料金の設定はない。イン鉄ファンの方にはとてもオススメ。

    レーワーリー駅の周囲にも興味深いものがある。インドに限らず日本その他でも鉄道駅のこちらと向こうで雰囲気がずいぶん異なることはあるが、レーワーリーほどの極端な例はそう多くないと思う。

    鉄道駅の東側は駅前スペースはほとんど無く、いきなり密度の高い商業地になっており、主要駅のひとつであるこの駅を乗り降りする人たちは24時間絶えないため、駅前ではデリーやカーンプルなどと同様に終夜営業をしている店は少なくないようだ。オートはリザーブと乗り合いベースでいつも客の取り合いだ。とにかく賑わっている。

    レーワーリー駅東口

    一方で西口に出ると、商店は一軒もないし、客待ちのオートもゼロ。とても静かなのだ。これには驚いた。よく見るまでもなく、建物は古ぼけているものの、鉄道病院があったり、鉄道関係者の住宅が立ち並んでいたり、立派ではない簡素な教会があったりする。ここはいわゆる「レイルウェイ・コロニー」なのであった。

    レーワーリー駅西口

    つまり鉄道関係用地という、きちんと管理された政府所有地が西口側に広がっているため、民間企業等が開発したり、一般の商店や住宅が建てられることもなければ、スクウォッターたちが勝手に住み着くことも出来ないわけである。

    本日はずいぶん早くに整備場のゲートに到着して9時の開場を待っていたのだが、出勤してくる人たちはみんな同じ方向から歩いて来ていたので、おそらく整備士という業種で同一の宿舎に住んでいるのではないかと推測できる。

    英領時代、整備場が造られた頃は当時のハイテクの粋を集めた先進的な機関。英国人のメカニックがネイティブ(当時はそう呼んでいた)に技を伝えるべく頑張っていた場所だ。

    在インドの英国人にも当然、階級というものはあり、鉄道、自動車、電信電話その他のいわゆる現業部門の英国人たちは、社会の指導的立場にはなく、彼らがフィールドとする仕事場における「親方」に過ぎなかった。

    そんなわけで、現在のレーワーリーのレイルウェイ・コロニーの古ぼけた庭付き戸建ての官舎には、比較的よさげな給与待遇に惹かれて渡印したものの、配属先で大きなタスクを負わされつつも、ホワイトカラーの同国の上役からはやいやいのと言われつつ、部下のインド人たちへのリーダーシップがうまく取れなかったりと、かなり追込まれて気の毒千万な英国人も多かったはずだ。

    植民地時代の研究や考察などで、そうした現業部門に従事した英国人の日常生活に関するものは例外的と思われるが、何かうまくまとめられたものがあれば、是非読んでみたいと思う。

  • Merchantという姓

    大財閥リライアンスのアンバーニー家の御曹司アナントと結婚するラディカー・マーチャントって誰?とメディアで話題になっている。

    私たち日本人にとっては、彼女の家族背景よりも「マーチャント姓」だろう。

    もともとインドではセーナーパティ(司令官)、セート(商人)といった職業が苗字となっているケースが割とある。(もちろんその苗字の示す仕事をしているものというわけではない。)

    こうした形で英語の「Contractor」「Pilot」といったものが苗字となっているケースもあり、これらの場合は改姓した本人がそういう職業に就いていたから。国民会議派の政治家で「サチン・パイロット」という人がいるが、この人は父親の代に「パイロット姓」に変えている。インド空軍のパイロットだったのだ。

    おそらくこのMerchant一家もご主人かその先代、あるいはそのひとつ前の世代が姓を改めたのだろう。

    仕事がMerchantであるMerchantさん、とてもわかり易い。

    Who is Radhika Merchant—the new addition to the Ambani family (livemint.com)

  • 聖俗混在の寺院

    聖俗混在の寺院

    ウドゥピでの宿泊先の隣にあるスリ・クリシュナ寺院へ。ここで面白いのはいくつもある寺院の集合体であり、その集合体の中にスーパー、カンティーンなどが入居していることだ。寺院郡の中に商店がいくつかあるのは不思議だ。境内のスペースをそうした商業施設に貸し出しているというのが新鮮に感じられる。

    境内には商業施設が多い。
    境内に寺院と商店街が混在している印象

    かなりボロボロの寺院施設もあり、田舎の土俗的な宗教施設のようにも見える。南インドで特徴的なのは男性の場合、寺院での正装はドーティーを身につけ、上半身は裸であること。お堂のひとつからは調子外れの打鍵音が響いてくる。

    こうした店の中には、ホメオパシーの薬品店もあった。ホメオパシーと親和性の高いインド人は少なくない。西洋医学信奉の私にはホメオパシーもアーユルヴェーダも理解できない。これでは治る病気も治らない。

    境内には行商人も多い。こちらはランゴーリー作成キットで、「だれでもとても簡単手軽にランゴーリーを描けます」とのこと。インドの主婦とて誰もが器用なわけではないし、祝祭のときしか描かないのでちょっと苦手・・・という向きには大助かり!なのかも。小さいものは20Rs、大きいものは50Rsとのこと。それぞれいろんなパターンがある。

     

  • 大富豪子息の結婚

    世界有数の大富豪で、リライアンス財閥の総帥ムケーシュ・アンバーニーの娘が結婚するにあたり、一族の故地であるグジャラート州ジャームナガルでの式典等に内外から大勢のVIPやセレブたちが集合。

    各国王族や世界第一級の実業家に映画やスポーツなどのスターたち。「国際空港ではないジャームナガル空港」に各国からチャーター便が到着しているとのこと。臨時にイミグレ、税関なども用意されたのだろう。

    Booking.comでジャームナガルの宿を検索してみると、見事にすべて満室。インド国内の大実業家、超有名歌手や俳優、クリケットのスター選手以外に外国からはビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグ、Googleのスンダル・ピチャイ、ウォルト・ディズニーのCEO、トランプ前大統領娘のイヴァンカ、石油のアラムコの会長、ブータン国王等々の豪華な面々が揃うようだけど、ジャームナガルにそんな高級ホテルがいくつもあるのだろうか。

    クルマで1時間半くらいかかるラージコートにも泊まったりするのだろうか。もちろん顔見せにやってきてトンボ帰りする人たちもあるのだろうけど。それでもやっぱりアンバーニー家に対する義理があって、わざわざ遠くからでもやってこないわけにはいかないはず。

    Celebrities head to Jamnagar for 3-day pre-wedding festivities of Anant Ambani-Radhika Merchant; airport to handle international traffic temporarily (The Indian EXPRSSS)

  • テレビラジカセ

    テレビラジカセ

    ふと思い出したので、話はコーチンに戻る。

    フォートコーチンの骨董屋店頭で気になった商品。日本のナショナル製品だが、ラジカセにテレビが合体しているのが凄い。当時、「テレビラジカセ」と呼ばれていたものだ。こんな製品があったことはうっすら記憶にあるものの、身近なところにはなかった。当時いくらくらいする製品だったのだろうか。

    今はスマホやPCでテレビ番組やラジオなども楽しめるが、当時は実物を器の中にそっくり作り込まなくてはならなかったので、相当な意欲作だったはず。しかも画面ときたら、時代からしてブラウン管だと思うけど、よくここまでできたな、という感じだ。まだ韓国のSAMSUNGやLGなどが         台頭する前、家電製品といえば日本がナンバー・ワンだった時代の品物だ。

    そんなものが流れ流れてインドにあるなんて。この時代のインドのテレビのクオリティーは良好ではなかったため、こういう製品は、ちょっと値段のつけ難いスーパーハイテク商品だったのではないかと思う。国内のマーケットで流通していたものではもちろんなく、国外から持ち込んだものだろう。

  • STD/ISDブース

    STD/ISDブース

    トリスール駅構内で、いつまで稼働していたのか知らないが、STD/ISDのブースだけが残っていた。かつては、こうしたブースはどこに行っても普遍的に見られ、人々の生活インフラであったものだが、携帯電話の普及と比例して姿を消していった。今はプリペイド契約でもインド国内どこにかけても通話無料だし、WhatsAppその他の通話アプリで国際通話も無料の時代となっては信じ難いような思いがするが、通話時間とともに料金が上がっていくメーターを目にしながら相手と話をしていたものだ。

    その頃はインターネットも草創期であったため、ネット屋もあちこちに出現していた。当時はそれで「便利になったものだ」と感心していたものだが、地域や店によっては通信速度があまりに遅すぎて、メールのチェックをするだけでもひと苦労だったりもした。

    宿泊先のすぐ近くにあるとも限らず、電気事情の良くない地域では、せっかく出向いても停電で利用できないということもしばしばあった。

    今ではそれらのことが、夕飯後に宿のベッドの上に寝ころんだままで、それ以上の事柄がいろいろ出来てしまうのだから、ありがたいものだ。飛行機、鉄道やバスの予約にしてもそうだし、次の宿泊地のホテル予約も同様。日記類もGoogle Documentなどを利用するようになったので、前夜に宿の部屋でノートPCで書き綴った内容の続きを昼間の列車内でスマホで打ち込んだりもできる。

    今後10年後、15年後は更に大きく発展して、どんな環境になっているのか、今からはとても想像がつかない。