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カテゴリー: economy

  • ドル紙幣の流通

    カンボジアでは、市中でドル紙幣の流通がとても盛んだ。旅行者が行くようなレストランはドルのみでの表記だったり、スーパーではリエルとドルの併記、国際的なファストフードチェーン(マクドナルド、バーガーキングその他)ではドル表記なので、カンボジアにいながらにしてアメリカに来た気分になる。

    気になるのはそのレートだが、店によって1ドル=4,000リエルとしてやりとりしているところ(食堂など)もあれば、大きな店舗のスーパーのように1ドル=4,150リエル(実勢レート)としているところもある。

    ドル紙幣で払っても、お釣りはリエルで帰ってくるので、実勢レートで処理してくれるほうがありがたい。

    これだけドルが堂々と市中で流通していると、昔々にハイパーインフレだった頃のペルーを思わせるものがある。1日でも午前と午後で物価が大きく替わり、為替レートもたった1日で当時の通貨単位は「インティ」だったが、価値が半分とか1/3になったりするので、マーケットで商う人たちはお昼と夕方に当時のペルー通貨インティを手放してドルに交換するために両替商(免許のない闇両替商たちもたくさんいた)のもとに走り、給与生活者は給料日にそのまま全額ドルに交換していたようだ。そんな具合なのでインフレが収まるはずもなかった。

    不思議なのは、カンボジアはそんな状態ではないはずなのに、なぜこんなにドル現金での取引が盛んなのか? 遺跡入場料もドル建てである。

    「おーい、カンボジアの遺跡の入場料金なのに何でドル建てなんだよー?」と聞きたくなるが、「外貨獲得の手段」としてそういう設定なのだろう。インドでもかつては国内線航空券購入の際の料金は、外国人の場合はドル建てであった。(ドル建ての料金をルピーで払う場合には、その金額分を満たす銀行の両替レシートが必要という具合だった。)

    当然、「お釣りがない」というシーンも少なくないため、小さな額面のドル紙幣も持参する必要があるのがやや面倒といえば面倒かもしれない。

  • シェムレアップ到着

    シェムレアップ到着

    シェムレアップの空港からは宿が差し向けたオートが待機していた。ここから市内に向かうのだが、まず空港エリアから大通りに出たところで驚いてしまう。片側3車線の見事な道路だ。市内へ進むにつれて、大きな建物が増えてきて、ずいぶん昔のことを言っても仕方ないのだが、かつて木造の家屋ばかりが並んでいたころとはまったく異なる。

    宿に着いてチェックイン。知らなかったがここは日本人が経営するホテル。ブッキングコムで予約したら日本の方から連絡がきた。日本人スタッフがいるとは珍しいなと思ったら、日本の個人が所有するホテルとのこと。カンボジアで会社登記しているそうだ。

    宿の隣の食堂メニュー。カンボジアの旅行事情はよく知らないのだけれども、旅行者ゾーンとはいえ普通の食堂に見えるのに、すべてドル表示というのはすごくなぁ。

    こういうところで地元の人たちはいくらくらい払っているのか知らないけど、外国人旅行者たちにとって、日本の外食はずいぶん割安だなぁと今更ながら思う。もちろんカンボジアのほうがトータルなコストは安いのだけれども。

  • 巻きが少ないトイレ紙

    巻きが少ないトイレ紙

    インドで近年こそ巻きの大きなものもふんだんに出回るようになったが、伝統的な巻きのサイズはこれだし、これらは今でも流通している。

    感覚で言うと2回分、うまくいけば3回分だろうか。カバンの中で邪魔にならないよう芯を抜くと、本当に少なくて心許ない。

    インド式トイレであれば水で済ますが、洋式だと姿勢上容易ではないため紙を使う。いやインド式だって置いてあるのが汚い缶とかならやはり触るのはちょっと・・・で、紙を使うという人は少なくないだろう。

    それで出先でパーニープーリーをつまんだりするから、朝のお通じ(笑)以外に予定外のものがやってきたりする。カバンを開けたらすでに一度使用済みだと、「あいやー!足りるかなぁ、こりゃー?」となると大変焦るのである。

  • 神性を帯びた木

    神性を帯びた木

    ただの木が神性を帯びるとこうなる。基壇が出来て根本は金属で囲まれ祭壇もしつらえられる。賽銭箱もしつらえられて、経済的な活動も始まるのである。

  • 公営のホテル

    公営のホテル

    インドの多くの州にそれぞれの州営観光公社による宿泊施設がある、というかあったというか、まだあるところもけっこうあるというか。

    日本ならかつての「国民宿舎」「かんぼの宿」自治体の宿泊施設などがこれに近い性格のように感じなくもないが、やはり異なる。

    州営観光公社は、州観光のワンストップサービス機関として、州の観光をリードする存在ということになっており、宿泊施設、バスやクルマなど手配、韓国人パッケージの取り扱い、土産物屋などを総合的に取り扱い、州内の観光業の発展のモデルケースとしてリードすることになっていた。

    インドが社会主義を志向しつつも民間財閥の力を活用する「混合経済」時代からのもので、90年代前半以降の規制緩和の流れの中で、業務の幅が次第に狭くなったり、公営の宿が民間に売却されたり、旅行手配部門は収益を上げることが強化されたりと、大きく姿を変えてきた。

    そうした中で、ある時期までは州営公社の宿は、質の割には料金が安めで、部屋の広さや設備についてはそれぞれの公社が定めた基準に従っている。そのためあまり当たり外れがないとともに、初めての利用でも不安がないといった利点があった。駐車スペースも充分で部屋以外のロビーであったり芝生の庭であったりといった「余白部分」も充実していることが多かったのも人気の背景にあったのだろう。

    例えてみるならば、私たち一般人はなかなか利用する機会のない「ダークバンガロー」のような政府関係者が出張時に利用する宿泊施設のような「一般的な想定範囲」の官舎的な安心感があった。

    そんなわけで、当時のロンプラにもよくRTDC(ラージャスターン)、UPTDC(ウッタル・プラデーシュ)、HPTDC (ヒマーチャル・プラデーシュ)等々、各地の州営公社が多く掲載されていた。

    RTDC Hotel Sarovar
    敷地入口から建物まで少し距離がある。ぜいたくな立地だ。

    だが90年代半ば以降はインド人たち自身の間での観光ブームにより、各地で民間宿泊施が急増。その中には価格と質のバランスの良いホテルも出てきたため、総体的にサービス精神とメンテナンス意識に劣る公営施設の人気は凋落していった。

    キャラバンサライ風の建物は「新館」
    新館入口

    そして現在はすでに民間に売却されてしまったり、民営化されたりした「元は公営ホテル」がいろいろあるものの、そうではなく現在もそのままの公営ホテルは、予約サイトでの取り扱いもないことが多いため一般的に予約しにくい、面倒くさい施設となっていることが少なくないようだ。

    レセプション

    レセプションに面したところにあるロビー

    メールや電話で予約した後、代金は宿泊当日払いであればそれでも構わないが、予約したとたん、「それでは○日以内に宿泊料金を私どもの以下の口座にお振込ください」など言われたらどうだろう?そんな感じなのである。

    実はプシュカルには、州営RTDCのホテル・サローワルというホテルがあり、これが1980年代後半のロンプラでは一番のオススメだった。清潔で快適なドミトリーがあり、新館には広くてきれい、加えてゆったりとしたスペースのベランダがあり、とても眺めが良かった。また旧館はかつてこの地を領有した王の宮殿のひとつが宿に転用されており、「パレスにエコノミーな値段で泊まれる」と、これまた人気があった。

    新館客室内

    ベランダも広い

    私は個室を利用したことがあり、最初は旅行途中でしばらく同行することになったカナダの旅行者とシェア、そのしばらく後には当時付き合っていた彼女と利用した。いずれも快適で、広々としたロビーで本などを読むのも良かったし、併設されているレストランも外の食堂で食べるよりも、なかなか良いものが提供されていたように記憶している。

    「旧館」は元パレス

    もうあのホテルは無くなっているのだろうと思っていたが、まだ同じところにあった。ただし門からしてかつての輝きのようなものはなく、宿泊客の姿のない寂れた施設になっていた。もうこうなると、政府がこのような施設を運営すべき理由もないだろう。

    カフェテリアはかなりくたびれている。

    ただしロケーションと建物自体は良いので、民間に売却してきれいに改装すれば、地域で一番の宿泊施設に返り咲くことは充分可能に思える。今のままではたいへんもったいないRTDCホテル・サローワルだ。

    せっかく来たので、ホテルのカフェテリアでチャーイ、ナーシター(お茶と軽食)を楽しんでみた。

     

     

    ホテルの出入口付近でこんな碑文を見つけた。2022年にRTDCの再生プログラムが開始されたとのことで、その式典には州政府の関係閣僚(観光大臣、産業大臣、元保健大臣)とともにRTDCの長官の名前が刻まれている。

    しかし「再生プログラム」とやらが適用されてもこんな状態なのか?という気がしてしまう。

  • 20Rsコイン

    20Rsコイン

    お釣りでもらった硬貨が20Rsコインであった。2022年に発行された独立75周年記念硬貨。10Rsと間違えそうなので、早々に使ってしまうのが良いだろう。

  • JKテンプル

    JKテンプル

    カーンプルにあるシュリー・ラーダークリシュナ寺院ことJKテンプルもJKグループによるもの。この寺院を運営するトラストは、JKのいわば宗教部門ということになる。

    JKテンプルで多くの人々に参拝してもらう一方で、JK本部がある路地裏にはちいさいけどきれいなこのお寺があり、路地のおばちゃん、おばあちゃんたちが夕方集ってアールティーをやっている。グローバルに展開しつつも、先祖代々の超ローカルな繋がりも大切にする姿勢には驚かされる。

    私は芝生の庭でパニールバーガーを食べている。ガーデンにはご覧のようなスマートな店があり、メニューには様々なアイテムが用意されており、子供たちが大好きなアイス類も充実している。屋外のイベント会場のようでもあり、どこかリゾートに来たようでもある。

    パニールバーガー

    屋外のイベント会場かリゾートにでも来たかのようだ。

    だが実はここはヒンドゥー寺院の境内であり、小洒落た店で働くスタッフたちは、このお寺を運営するトラストの人たち。つまりこうした「サービス」がお寺のプラサードという位置づけであり、世俗の空間ではないのだ。

    お寺は旧来からの宗教団体ではなく、成功した企業家による慈善事業としての活動であり、その企業の宗教団体部門ということにもなるのだろうが、なかなか面白い取り組みだ。JKテンプルは近年できたものではなく1960年に始まったものである。

    抹香臭くなくスマート、清潔かつスタイリッシュ、説教臭く臭くなくカジュアル。日本でも外食産業でもアパレル企業でもなんでもいいのだが、宗教臭のしないお寺や神社みたいなものを作ると良いかもしれない。

  • JKグループによる路上の冷水器

    JKグループによる路上の冷水器

    自転車でとおりかった人がこれを飲んだり顔を冷やしたり。台車で物品を運搬したり、サイクルリクシャーを引いたりする人たちも、ここで思い切り冷水を飲んだりペットボトルに詰めて持って行ったりしている。同じく通りかった子供たちもおじいさんも。

     

    JKグループが設置した冷水機
    通りがかりの人が水を飲んだりボトルに詰めていく。

    大きな会社にとってささやかなことでも、受益者にとっては大きな恩恵。このすぐ先にヘリテージ建築ながらも巨大な「JKタワー」がある。こういうものが設置されているだけでなく、冷水器の向かい側にはJKがスポンサーの小さいけど立派な寺院があり、夕方には付近のお母さんやおばあさんたちが集ってバジャンをやっている。会社がある、まさにその場所で、このような形で地域に貢献しているのは素晴らしい。

    冷水機向かいにあるJKが建てた小ぶりなお寺。毎夕、ここで界隈の女性たちが集まりバジャンが奉納される。

    あと、ここにインドを代表する企業グループのひとつJKのカーンプル本部(デリーに総本部がある)ことにより、給水も給電も鉄道施設、軍施設と同じく途切れることのない最優先地域になっているはず。

    それにしても多国籍企業のJKの本部がゴミゴミゴミしたパハールガンジよりもさらに粗末な下町にあるのは不思議。エグゼクティブが使う大型高級車なんか入って来ることすらできない路地裏なのに。(せいぜいオートリクシャーくらいしか入れない)

    最初、ここに「JK」の名前とロゴを見たとき、よくあるニセモノとかモノマネの類かと思った。実はJKセメント、JKタイヤ、JKアグリ・ジェネティクス等々の大企業を擁するあのJKグループのカーンプル本部。

    創業者はマールワーリー商人の家の生まれ。つまりラージャスターンをルーツとする商業コミュニティーで、シェカワティー地方のジュンジュヌーから出た家らしい。彼の家は貸金業から銀行まで興したりもしていたようだけど、さらには紡績業その他にも手を広げる多角経営で成長。

    どうやら生家もこのエリアのようだ。英国人の街でもあったシヴィル・ラインスがあるし、その先には軍駐屯地もあるため、商機に恵まれた街だったはず。

    それにしても「ビジネス界インド代表」みたいなビッグな存在になっても商家スィンガニヤー家」の故地である路地裏から全インド、そして世界を相手に展開するという心意気は大したもの。

    大きくなって故郷を忘れてしまうんじゃなくて、そこを本拠地に据えて頑張るのだから。路地の人々もきっと応援していることだろう。

  • カーンプルのパールスィー寺院

    カーンプルのパールスィー寺院

    カーンプルでの宿泊先の隣はパールスィー寺院であった。今はもう4、5家族くらいしか当地には残っていないという。

    カーンプルは軍の駐屯地で英国人人口も多かったため、植民地時代に買弁として活躍したパールスィーたちの中には軍に納める武器弾薬その他の軍需品調達業者が多かったため、彼らにとっては稼ぎやすい街だったのだろう。

    宿近くにパールスィー寺院があったが、そのまた近くにパールスィーの会社がある。あぁ、本当にここにいるのだね、と実感。

    パールスィー寺院
    パールスィーの会社(名前からしていかにもという具合)
  • 20ルピー硬貨

    20ルピー硬貨

    インドは2の数字の硬貨やお札が多い。昔は2パイサ、20パイサといった硬貨があったし、2ルピー札もあった。

    今は20ルピー、200ルピー札があるし、2016年11月に廃止されるまでは2,000ルピー札もあった。

    あまり見かけないのだが、硬貨でたまに20ルピーのものを受け取ることがある。こちらは10ルピー硬貨と紛らわしいので、手にしたらすぐに使ってしまうほうがいい。

    こちらの硬貨は2022年に独立75周年記念ということで「アーザーディー・カー・アムリト・マホートサヴ(自由解放の記念祝祭)」と銘打っていくつものイベントが開催されたことを記念してのもの。

    10ルピー硬貨は地域によってはあまり歓迎されないことも少なくない。「お札でくれ」と言われることがある。どこか切れるとたちまち使えなくなる紙幣よりもマシかとは思うのだが。「ジャラジャラと重くなる」ことも理由のひとつらしい。

     

  • ご神木と祠

    ご神木と祠

    ご神木がそこらにたくさんある。当然、それらには待遇の差あり、若干の神性を帯びてそのまんまという木もあれば、このように立派な祠が寄進される場合もある。

    その祠も大小様々で、ちゃんと壁や屋根まで揃えて、中に祭司が常駐するまで出世するものもある。

    もはやそうなると祠ではなくお寺である。もっともただの祭壇であっても「マンディル(寺)はマンディル」なので、本質的な違いはないのかもしれない。

    それでもやはり「霊験あらたか」であればこそ、大きく成長するのであろうし、お参りする人々と神様なるものを繋ぐブローカー(祭司)の口先三寸で、さらに収入を伸ばすこともあるだろう。

    神様の側にこうした仲介者が関わることで、その神様は純粋な信仰の対象としての役割だけではなく、仲介者に富と恵みをもたらす商品としての役割をも担うことになる。

    当然、仲介者は収入を得る手段として、その仕事を遂行しているわけである。その人の能力や喋りの巧みさにと釣り合いの合わないものであれば、収益のために他の手段を講じるだろうし、順調に富をもたらしていれば、得たものの中からそのお寺の見栄えをさらに良くして、さらなる支持を広げるためだ。

    宗教活動の背景にはそれを支持する経済的動機と所属意識があるものなので、プロスポーツのチームやクラブの運営などとかなり共通する部分があるように思っている。

  • 訪問客急増のワーラーナスィー (バナーラス)

    インドにおける国内観光客の大幅な増加もあるが、ワーラーナスィーにおいては「カーシー・ヴィシュワナート・コリドール」の完成もまた、訪問客の急増の要因となっているという話を耳にする。

    ランチにしてはあまりに遅くて、さりとて夕飯にはあまりに早過ぎる、そんな時間帯に訪れたダシャーシュワメード・ガート近くの路地で食堂のご主人が、コリドール完成後の日々について話してくれた。

    私の体感では、コリドールが出来てから、このあたりでは訪問者が4倍くらいになっていると思いますね。4割増ではありません、4倍です。大変なことです。

    そんな具合なので、皆さんとても収入が増えていますよ。観光客相手の店だけじゃありません。雑貨屋さんなどもそうです。

    たとえばこの路地なのですが、ここを進んだ先には南インドの人たちがよくお参りする寺があるんです。南由来の神様が祀られているからなのですが、もう朝3時くらいからかなり人が通るようになりました。うちも正直なところお客さんとても増えましたよ。

    でもいいことばかりでもないのです。とにかく未明から深夜過ぎまでうるさい、トラブルも起きる、あまりの混雑で、私たちここの住民の往来にも四苦八苦。子供を毎日学校まで送り迎えするんですが、渋滞がひどくなって身動きが取れない。

    以前は私も家族もガートで散歩したり、私はヨーガもやってましたが、今はそういう気にはなれない。とにかく人が多いからですよ。

    それに私たちが行っても、あれ買えこれ買え、写真撮らないか、ボートに乗らないかとつきまとわれる。ああいう人たちはよそから来ているでしょう。私たちと繋がりもないから、観光客と地元の路地の私たちの区別もつかないんですよ。

    急に仕事が増えたり、売り上げが上がったりするのもいいけど、どこかでコントロールが必要です。お金はあるに越したことないけど、まともな暮らしが出来なくなるようでは困りますから。

    ところで、ワーラーナスィーのよく知られた4つの名前を知ってますか?

    そう、ワーラーナスィー、カーシー、バナーラス、あとは何でしょう?

    アーナンド・ワン(Anand Van=平安の森)です。昔はここには森があったのですね。のんびりした土地だったようです。とんでもなく大昔のことですけど。

    でも今の時代、ここにはもう平安なんてありません。次から次へと押し寄せる人の洪水、ひどい騒音、ケンカ、忙しくて気の休まらない毎日・・・。

    コリドールがもたらした功罪いろいろありますよ。

    20年ぶりくらいに訪れたワーラーナスィー。昔から人は多かったような気がするが、それでも現在の混雑ぶりは確かに尋常ではない。生まれも育ちもバナーラスという店主が言うのだから、この状態はまったくもって、いかんともしがたいという具合なのだろう。