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カテゴリー: economy

  • 凋落する円の価値

    1994年に50ドルだったというワールドカップのチケット。現在の貨幣価値に換算すると110ドルとのこと。つまり2.2倍。ところが今回のワールドカップでは400ドルとのことなので、貨幣価値の変化を考慮に入れれば、4倍近く上がったことになる。(50ドル→400ドルで8倍ということではない。)

    当時の円相場は1ドル110円。これをそのまま2.2で割るのではなく、日本の1994年から2026年までの物価上昇率1.17倍を勘案すると、1ドルが53円程度だと当時と同等の水準ということになる。

    つまり円相場が1994年の水準(1ドル=100円)と同等であれば、現在は1ドル=53円であったはず。これが実際には160円になっているため、円の価値が1994年と比較して実質1/3にまで落ち込んでしまったということ。凄まじい凋落ぶりだ。

    現在の円の価値が3倍であれば、米国でも欧州が驚くほど高いということはない。近年は全然安くない国になってしまったタイやマレーシアなどが「とても安い国」になる。

    90年代以降の世界は東西対立が終わり平和を享受するとともに「グローバル化」が各地で同時進行していった。当時の途上国は伸びしろが大きかったこともあるし、欧州を含めた旧東ブロックの国々も混乱しながらも経済成長を路線に乗せた。世界の多くの国々が未曾有の成長を見せた時期。

    いわゆる「先進国」は、中国、東欧、ASEAN等ほどの大きな成長の余地はなかったかもしれないが、新興分野だったIT産業の爆発的な発展はもとより、それをインフラに取り入れた社会では様々な新しい産業が勃興するとともに、旧来の産業や働き方、そして暮らしを大きく変えた。G7は言うに及ばず、OECD加盟諸国の大半の国々も一人当たりのGDPを伸長させている。ごく一部の例外を除けば。

    日本が凋落したといっても大恐慌に見舞われて惨憺たる状態になったわけではないし、戦火により灰燼に帰したわけでもない。落ちぶれたといっても国内が荒れたのではなく、周囲が大きく成長して追い抜かれた、追いつかれたという具合なので、日常に悲壮感はない。並べて較べたりしなければ、90年代からずっと平穏無事なのだから。

    しかしながらこれでまだ「ニッポンすごい」とか言って自画自賛しているのはおかしいと思うし、「コスパ高い」と言うのも変な話だ。より豊かになった国々から来れば高コスパかもしれないが、ここで働く自分たちは懐具合が爆上がりしているわけではないので、決して安くはないのだ。

    それにしても円相場が1994年と比較して、実質1/3という事実は大変重い。

    これを円高のピークだった1995年4月19日の1ドル=79円75銭に当てはめて当時から現在までの米国の物価上昇率、日本の物価上昇率を勘案すると、1ドル=48.93円になる。

    昨日は1ドル=160円50銭あたりだった。そのため現在の円の価値はピーク時の0.3倍ということになる。もちろん言うまでもないが、為替というものは連動しているため、国それぞれ物価上昇率の異なる他の通貨に対しても実質同様ということだ。

    2000年代以降、かなり長く1ドル=110円台前後の時期が続いていたので、円は長らく安定していたようなことを言う人がいるがこれは誤りで、数字の上では同じに見えても米国の物価上昇率は日本よりはるかに高いので、実質は円の価値が年々漸減していたことになる。

    ロシアによるウクライナ侵攻あたりで円が暴落したが、すでにその前から長い時間をかけてジリ貧になっていたことを忘れてはいけない。円安は突然やってきたわけてはないのだ。

    ちょっといい食事、そして宿なども日本からインドに行って、決して「おぉ、安い」という具合ではすでにない。そういう時代になっているのだ。

    ワールドカップのチケット、なぜ高騰? 米国の識者が語る理由と懸念 (asahi.com)

     

  • IT企業管理職からオートワーリーへの転身

    社会にはいろんな人がいるものだ。博士号を持ちバリバリと働いてきたIT企業の元管理職の女性が仕事を辞めてオートリクシャーの運転手に。

    IT関係の仕事はストレスに満ちた仕事であろうけれども、オートリクシャーの運転手はタフな仕事だし、とりわけ女性とあってはハンデも大きい。それでも月に60,000Rs稼ぐというのは、この仕事ではなかなか難しいことでもあるはず。

    世の中には様々な人たちがいるが、ときにこうした定石どおりではない人もいるのが社会の興味深いところであり、奥深い部分でもある。

    Woman Quits ‘High-Stress’ IT Job To Drive Auto-Rickshaw, Earns Rs 60,000 Per Month | VIDEO (TIMES NOW)

     

  • 進化

    進化

    昔のいわゆる「デザート・クーラー」は(簡易クーラー)は無骨な金属製ボディーに麦わらが入っていたけど、今はこんなにスマートになり、中には樹脂繊維みたいなのが入っている。いろいろ進化するものだ。

    金属ボディーのものは運転させると轟音がしたけれども、最近のものは静音化も図られており、なかなか静かになっている。

    ファン形状、モーターの改良、防振マウントを付けたり、インバーター制御を導入するなど、要は技術が進んだというわけだ。

  • シンガポールの古銭

    シンガポールの古銭

    話は前後するのだが、ハイデラバードへはシンガポール航空でやってきた。当然、乗り換え地はシンガポール空港なのだが、しばらく待ち時間があった。夕方だったので腹も減る。

    自宅の片隅に長年眠っていたシンガポールドルが32ドルを持ち出してきたのだが、空港内のホーカーズの券売機で使えなかったため、銀行の両替所で現行の札に替えてもらった。ずいぶん昔の紙幣であるため、現在のそれとはデザインは異なるし素材も違う。今のみたいなブラスチック紙幣ではなく、紙のお札だったのだ。(替える前に写真撮っておけば良かった。)

    両替所の若い女性は「これはどこの国の通貨ですか?」などとすっとぼけたことを言っていた。そんな大昔のお金ではないのだが、記憶の糸をたどると最後にシンガポールを訪問したのは、少なくとも四半世紀以上前であった。ある意味、「古銭」である。どの時点で今のデザインに変更されたのかは知らないのだが、20代前半くらいの人が「どこの国の通貨?」と言うのは無理もないかもしれない。

    古いお金を新札と替えるわけなので、もちろん手数料などはかからない。空港内のホーカーズで海南鶏飯。空港とはいえ、本場の味は良い。

  • カンボジアのレンガ

    カンボジアのレンガ

    カンボジアで一般的なレンガがある。四角柱の形で4本の穴が空いている。建築現場で見かけるのはこればかりだ。中空になっているため軽いのがメリットか。強度についてもあまり変わらないのではなかろうか。

  • 自転車専用レーン

    自転車専用レーン

    シェムレアプから郊外にかけて、こんな自転車専用レーンがしつらえてある。コロナ禍のときに失業対策も兼ねて財政出動して造らせたとのこと。

    カンボジア政府、なかなかやるではないか。

  • 瀟洒なショップハウス

    瀟洒なショップハウス

    東京ディズニーシーの入口あたりにあるような建物。立派なショップハウスである。東南アジア各地にあるような作りをもっと欧風にして、日本の商店街のアーケードのように通路に天井をかけてある。おそらく上階は住居スペースあるいは事務所か倉庫スペースなのだろう。

    だが店の入居がほとんどないようで、借り手だか買い手だかを求める貼り紙?だらけなのはどういうことだろうか。景気は良いようでいて、なかなかうまくいかないこともあるようだ。

     

  • ドル紙幣の流通

    カンボジアでは、市中でドル紙幣の流通がとても盛んだ。旅行者が行くようなレストランはドルのみでの表記だったり、スーパーではリエルとドルの併記、国際的なファストフードチェーン(マクドナルド、バーガーキングその他)ではドル表記なので、カンボジアにいながらにしてアメリカに来た気分になる。

    気になるのはそのレートだが、店によって1ドル=4,000リエルとしてやりとりしているところ(食堂など)もあれば、大きな店舗のスーパーのように1ドル=4,150リエル(実勢レート)としているところもある。

    ドル紙幣で払っても、お釣りはリエルで帰ってくるので、実勢レートで処理してくれるほうがありがたい。

    これだけドルが堂々と市中で流通していると、昔々にハイパーインフレだった頃のペルーを思わせるものがある。1日でも午前と午後で物価が大きく替わり、為替レートもたった1日で当時の通貨単位は「インティ」だったが、価値が半分とか1/3になったりするので、マーケットで商う人たちはお昼と夕方に当時のペルー通貨インティを手放してドルに交換するために両替商(免許のない闇両替商たちもたくさんいた)のもとに走り、給与生活者は給料日にそのまま全額ドルに交換していたようだ。そんな具合なのでインフレが収まるはずもなかった。

    不思議なのは、カンボジアはそんな状態ではないはずなのに、なぜこんなにドル現金での取引が盛んなのか? 遺跡入場料もドル建てである。

    「おーい、カンボジアの遺跡の入場料金なのに何でドル建てなんだよー?」と聞きたくなるが、「外貨獲得の手段」としてそういう設定なのだろう。インドでもかつては国内線航空券購入の際の料金は、外国人の場合はドル建てであった。(ドル建ての料金をルピーで払う場合には、その金額分を満たす銀行の両替レシートが必要という具合だった。)

    当然、「お釣りがない」というシーンも少なくないため、小さな額面のドル紙幣も持参する必要があるのがやや面倒といえば面倒かもしれない。

  • シェムレアップ到着

    シェムレアップ到着

    シェムレアップの空港からは宿が差し向けたオートが待機していた。ここから市内に向かうのだが、まず空港エリアから大通りに出たところで驚いてしまう。片側3車線の見事な道路だ。市内へ進むにつれて、大きな建物が増えてきて、ずいぶん昔のことを言っても仕方ないのだが、かつて木造の家屋ばかりが並んでいたころとはまったく異なる。

    宿に着いてチェックイン。知らなかったがここは日本人が経営するホテル。ブッキングコムで予約したら日本の方から連絡がきた。日本人スタッフがいるとは珍しいなと思ったら、日本の個人が所有するホテルとのこと。カンボジアで会社登記しているそうだ。

    宿の隣の食堂メニュー。カンボジアの旅行事情はよく知らないのだけれども、旅行者ゾーンとはいえ普通の食堂に見えるのに、すべてドル表示というのはすごくなぁ。

    こういうところで地元の人たちはいくらくらい払っているのか知らないけど、外国人旅行者たちにとって、日本の外食はずいぶん割安だなぁと今更ながら思う。もちろんカンボジアのほうがトータルなコストは安いのだけれども。

  • 巻きが少ないトイレ紙

    巻きが少ないトイレ紙

    インドで近年こそ巻きの大きなものもふんだんに出回るようになったが、伝統的な巻きのサイズはこれだし、これらは今でも流通している。

    感覚で言うと2回分、うまくいけば3回分だろうか。カバンの中で邪魔にならないよう芯を抜くと、本当に少なくて心許ない。

    インド式トイレであれば水で済ますが、洋式だと姿勢上容易ではないため紙を使う。いやインド式だって置いてあるのが汚い缶とかならやはり触るのはちょっと・・・で、紙を使うという人は少なくないだろう。

    それで出先でパーニープーリーをつまんだりするから、朝のお通じ(笑)以外に予定外のものがやってきたりする。カバンを開けたらすでに一度使用済みだと、「あいやー!足りるかなぁ、こりゃー?」となると大変焦るのである。

  • 神性を帯びた木

    神性を帯びた木

    ただの木が神性を帯びるとこうなる。基壇が出来て根本は金属で囲まれ祭壇もしつらえられる。賽銭箱もしつらえられて、経済的な活動も始まるのである。

  • 公営のホテル

    公営のホテル

    インドの多くの州にそれぞれの州営観光公社による宿泊施設がある、というかあったというか、まだあるところもけっこうあるというか。

    日本ならかつての「国民宿舎」「かんぼの宿」自治体の宿泊施設などがこれに近い性格のように感じなくもないが、やはり異なる。

    州営観光公社は、州観光のワンストップサービス機関として、州の観光をリードする存在ということになっており、宿泊施設、バスやクルマなど手配、韓国人パッケージの取り扱い、土産物屋などを総合的に取り扱い、州内の観光業の発展のモデルケースとしてリードすることになっていた。

    インドが社会主義を志向しつつも民間財閥の力を活用する「混合経済」時代からのもので、90年代前半以降の規制緩和の流れの中で、業務の幅が次第に狭くなったり、公営の宿が民間に売却されたり、旅行手配部門は収益を上げることが強化されたりと、大きく姿を変えてきた。

    そうした中で、ある時期までは州営公社の宿は、質の割には料金が安めで、部屋の広さや設備についてはそれぞれの公社が定めた基準に従っている。そのためあまり当たり外れがないとともに、初めての利用でも不安がないといった利点があった。駐車スペースも充分で部屋以外のロビーであったり芝生の庭であったりといった「余白部分」も充実していることが多かったのも人気の背景にあったのだろう。

    例えてみるならば、私たち一般人はなかなか利用する機会のない「ダークバンガロー」のような政府関係者が出張時に利用する宿泊施設のような「一般的な想定範囲」の官舎的な安心感があった。

    そんなわけで、当時のロンプラにもよくRTDC(ラージャスターン)、UPTDC(ウッタル・プラデーシュ)、HPTDC (ヒマーチャル・プラデーシュ)等々、各地の州営公社が多く掲載されていた。

    RTDC Hotel Sarovar
    敷地入口から建物まで少し距離がある。ぜいたくな立地だ。

    だが90年代半ば以降はインド人たち自身の間での観光ブームにより、各地で民間宿泊施が急増。その中には価格と質のバランスの良いホテルも出てきたため、総体的にサービス精神とメンテナンス意識に劣る公営施設の人気は凋落していった。

    キャラバンサライ風の建物は「新館」
    新館入口

    そして現在はすでに民間に売却されてしまったり、民営化されたりした「元は公営ホテル」がいろいろあるものの、そうではなく現在もそのままの公営ホテルは、予約サイトでの取り扱いもないことが多いため一般的に予約しにくい、面倒くさい施設となっていることが少なくないようだ。

    レセプション

    レセプションに面したところにあるロビー

    メールや電話で予約した後、代金は宿泊当日払いであればそれでも構わないが、予約したとたん、「それでは○日以内に宿泊料金を私どもの以下の口座にお振込ください」など言われたらどうだろう?そんな感じなのである。

    実はプシュカルには、州営RTDCのホテル・サローワルというホテルがあり、これが1980年代後半のロンプラでは一番のオススメだった。清潔で快適なドミトリーがあり、新館には広くてきれい、加えてゆったりとしたスペースのベランダがあり、とても眺めが良かった。また旧館はかつてこの地を領有した王の宮殿のひとつが宿に転用されており、「パレスにエコノミーな値段で泊まれる」と、これまた人気があった。

    新館客室内

    ベランダも広い

    私は個室を利用したことがあり、最初は旅行途中でしばらく同行することになったカナダの旅行者とシェア、そのしばらく後には当時付き合っていた彼女と利用した。いずれも快適で、広々としたロビーで本などを読むのも良かったし、併設されているレストランも外の食堂で食べるよりも、なかなか良いものが提供されていたように記憶している。

    「旧館」は元パレス

    もうあのホテルは無くなっているのだろうと思っていたが、まだ同じところにあった。ただし門からしてかつての輝きのようなものはなく、宿泊客の姿のない寂れた施設になっていた。もうこうなると、政府がこのような施設を運営すべき理由もないだろう。

    カフェテリアはかなりくたびれている。

    ただしロケーションと建物自体は良いので、民間に売却してきれいに改装すれば、地域で一番の宿泊施設に返り咲くことは充分可能に思える。今のままではたいへんもったいないRTDCホテル・サローワルだ。

    せっかく来たので、ホテルのカフェテリアでチャーイ、ナーシター(お茶と軽食)を楽しんでみた。

     

     

    ホテルの出入口付近でこんな碑文を見つけた。2022年にRTDCの再生プログラムが開始されたとのことで、その式典には州政府の関係閣僚(観光大臣、産業大臣、元保健大臣)とともにRTDCの長官の名前が刻まれている。

    しかし「再生プログラム」とやらが適用されてもこんな状態なのか?という気がしてしまう。