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投稿者: ogata

  • やっぱり良かったこのレンズ

     被写体という『ソフト』の宝庫がインドならば、カメラやその周辺機器といった『ハード』大国はニッポンだ。特に写真がデジタル時代を迎えてからはその傾向が一層顕著になっている。
     先日『旅行に最適な一本!』として取り上げてみたシグマ17-70mm 2.8-4.5 DC MACRO を手に入れてみた。レンズの長さ、鏡胴の太さや重量はおなじくシグマのデジタル専用レンズ18-125mmあるいは18-200mmといったものと同等でかなりコンパクトだ。
     正直な話、17-70mmといえば焦点距離の重なるレンズを複数持っているため、このテのズームレンズをマクロ機能目当てに購入するのはもったいない気もしていた。それならばちゃんとしたマクロレンズを購入したほうがいいだろうと。
     しかし店先で試用品に触れてみて「あぁ、これはいい!」と迷いは吹っ切れて、その場で購入。なんがそんなに良いかといえば、やっぱりマクロ機能なのである。最短撮影距離がズーム全域で20センチ(カメラボディの撮像素子表面からの距離)なので、70mmのテレ端を使う場合はレンズ表面に衝突してしまうくらい接近できる。この焦点域では開放値が4.5と暗くなってしまうものの、一本のレンズでマクロ撮影を含めてほぼ何でもこなせてしまうのはとっても便利だ。それに広角端では開放値は2.8と同程度の焦点域のズームレンズよりも明るいこともなかなか気に入った。
     さっそく試しにユリの花を撮ってみる。
    ユリ
     シグマとタムロンの両社は常に一方が目新しいモデルを出せばもう一方も同種の競合モデルを出し、交換レンズの分野でしのぎを削りあう二大巨頭といった感じだが、今回もやはりシグマのこのレンズにぶつける魅力的な製品を市場に送り出している。それは 
    SP AF17-50mmだ。テレ端が50mmと短いものの、ズーム全域でF2.8という使い勝手の良さそうなもの。焦点域によって最大開放値が変動するシグマ17-70mm 2.8-4.5 DC MACRO(標準的なズームレンズはたいていそうだが)に対し、この部分は大きなアドバンテージだ。
     最短撮影距離27センチと大きいためマクロ的に使う場合は前者のシグマ製品に軍配が上がるのだが、こちらもまた優れたレンズだと思う。
     近ごろはデジタルカメラもいろいろと多種多様になってきている。次から次へと興味をそそるものが出てきて目の毒だ。

  • インドの書籍来日予定

     今年で13回目となる本の見本市、東京国際ブックフェア2006は7月6日(木)から9日(日)までの4日間開催される。会場は東京都江東区の東京ビッグサイト。
     今年もまたインドからデリーのAsaf Ali Rd.でHindi Book Centreを運営するStar Publicationsにより、Federation of Indian Pusblishersの名前で出展がなされる予定。 (本日現在、ブックフェアのサイトにはまだ記載されていないが、問い合わせてみたところ『参加』とのことだ)
     例年このブース内で展示図書の販売もなされる。タイトルも部数も限られているので『早い者勝ち』になる。さて、どんな本が並ぶのか、ちょっと覗いてみてはいかが?

  • ダーラーヴィーの眺め

     以前『宝の山(1)(2)』として取り上げてみたムンバイーのダーラーヴィー地区はアジア最大とも言われるスラムだが、このほどBBC South Asiaで『Life in a Slum』と題してここに生きる人々の暮らしぶりを伝えている。
     もちろんここで取り上げられているのはギャングや犯罪者など、『スラム』からすぐさま連想されてきそうなネガティヴな面ではなく、一生活者として日々を送るフツウの人々。周囲の相場と比較した家賃の安さと交通の便から住み着いているものの、やはり機会があれば外に出たいと思っている勤め人や主婦、学生にメイドといった面々である。
     インド経済・金融の中心地でありながらも、周囲を海に囲まれた半島という地理的な制約があるムンバイーで土地というものがいかに貴重なものであるかということを端的に表している。人々が各地から職を求めて集まってきた結果形成されていったのがスラムだが、見方を変えれば街が様々な分野で働く人々を必要しているものの、それらの人々を吸収するキャパシティに欠けているため、さらなる発展の可能性の芽をつぶしてしまっているということにもなる。
     漁村から都会へと発達したムンバイーの成長は、東西南北どちらを向いても海原に大きく開かれた港湾都市という性格に負うものが大きいが、まさにその海によりどちらの方向を向いても塞がれている。旧来の市街地から隣接した郊外に新興住宅地や工業団地などをシーレスに拡大していくことのできる内陸の都市と比較して、スペースの上での制約が大きい。成長の波に乗るインドで、バンガロールやハイデラーバードなど商業や金融の核として伸びてきた街はいくつもあるが、かといって経済の中心地としてのムンバイーの地位がゆらぐわけではない。行政当局によるダーラーヴィー再開発計画とともにかつて東京でもてはやされていた臨海副都心計画のようなものが浮上する日も遠くないかもしれない。

    (さらに…)

  • ネットで体験する世界遺産

    ネットで体験する世界遺産
     World Heritage Sites in Paranography というサイトがある。ここでは各地の世界遺産のパノラマ画像を360℃の角度から眺めることができるのだ。(閲覧にはQuick Timeのインストールが必要)
     日本やロシアのコンテンツは今のところアップされておらず、このサイト自体がまだ発展途上といった印象を受ける。しかしここで見ることのできる画像の美しさはもちろんのこと、画角の広さからその場の雰囲気もよく伝えていて興味深い。イランのイスファハーンの画像などは、卒倒しそうなほどに美しかった。最初は『ああ、こういうサイトもあるのか』と何の気なしにブラウズしていたのだが、知らぬ間に『呑み込まれて』しまい、ずいぶん時間が経ってしまった。
     もちろんインドについてもかなり手厚く25か所のパノラマ画像が掲載されている。南アジアの周辺国のものなども含めて、訪れたことのあるところ、ないところをあれこれと眺めてみるのも面白いだろう。
     どういう技術でこういう画像の作成が可能なのか、ハイテク音痴の私には皆目見当つかないのだが、こうした手法で各地の旧所名跡や風物を記録したギャラリーが増えてくるといい。遺跡の外に広がる景色をしばらくたどって行くことができたり、最寄りの町までの沿道風景をそのまま画像でフォローできたりする『仮想旅行体験』が用意されているとなお楽しそうだ。
    WH Tour

  • 『情報ノート』に想う 2

     イラン・イラク戦争が終わって間もなかったころ、『イランへの道』と題するノートのコピーが出回っていた。インドからパキスタンを経てイランを目指す旅行者たち、あるいはそれとは反対側のトルコからイランへと向かう日本人バックパッカーたちにとって必携アイテムであった。
     そのころ日本で出ていたイランのガイドブックといえば、ブルーガイドのようなパックツアー向けの主要観光地をざっと簡単に説明したようなもので、実際に自分で歩いて旅するのに役立つような情報はほとんど掲載されていなかった。
     ロンリープラネットのガイドブックもまだ出ていなかった。そもそも当時、若者でさえも気軽に海外旅行に出かけるような国で、イスラーム革命後のイランに簡単に出入りできる旅行者の国籍はごく限られていた。そのひとつが日本であった。
     バブル最盛期、あまりに多くの人々がイランから不法就労することを目的にやってくるのに音を上げた日本の当局が、日本とのイランの間に結ばれていた90日以内の短期滞在における査証の相互免除を取り消すまで、日本人ならば誰でもヴィザ無しで簡単に入国することができたのだ。当時、西欧の人たちは自国あるいは第三国にあるイラン大使館に観光ヴィザを申請すると、長いこと待たされたうえで結局却下されてしまうということが珍しくなかったようだ。
     そんなわけで、イスファハーンやシラーズといった超メジャー観光地を訪れても西洋人たちの姿はなかった。ロンリープラネットその他から誰も訪れるはずもない土地を紹介するガイドブックが発行されるはずもなかった。
     そんな具合で、イランといえば情報ノートだけが頼りだった。イランを目指すバックパッカーたちにとって、最初になすべきことは『イランへの道』を手に入れることだったのだ。
     有名な土地や名所旧跡の名は耳にしたことがあっても、それらが広大なイランのいったいどこにあるのは定かでなかったし、交通網や訪れる街の規模はもちろん、どのあたりに宿があるのかも皆目見当つかなかった。
    当時、イラン旅行に関するさまざまに風説が流布されていた。市中の両替レート、つまり闇両替のレートは銀行レートの14倍。イスラーム革命以来、インフレが進むいっぽう交通機関の運賃上昇が抑制されていたため、長距離バスで500キロの道のりを走っても料金は30円から40円程度、国内線飛行機でパキスタン国境近くのザヘダーンからテヘラーンまで飛んでも600円程度、首都にある旧ヒルトンホテル(革命後に接収されて地元資本化されている)やイスファハーンのアッバースィー・ホテルといった高級ホテルのツインを二、三人でシェアすれば、ひとりあたり500円から600円程度で宿泊できる等々。
     こうした不思議なウワサのほとんどが往々にして事実であったが、あまりに情報が乏しく、旅行事情がどうなっているのかわからず、イランを一人旅すること自体、ほとんどのバックパッカーたちにとり、あたかも闇の中を手探りで進むことのように思われたのである。
     この『イランへの道』には、出入国や厳しい外貨管理に関する注意点、両替やその方法、イラン各地の町々の簡単な紹介とアクセス、それらの土地にある名所やそこへの行きかたなどが簡潔にまとめてあった。しかもペルシャ語の数字解説や簡単なフレーズ集みたいなものも付いていた。ここまでくると、通常の情報ノートの域をはるかに超えた『ガイドブック』であったといって良いかもしれない。
     コピーにコピーを重ねて文字が薄くなってくれば、それを手にした人が上からなぞって文字を読みやすくしてくれていたり、新たな情報を追加してくれていたりなどしていた。元々は同じはずの『イランへの道』だが、手に入れる場所や時期によってアップデートや追加情報の度合いの違うさまざまなバージョンが混在していた。
    トルコのイスタンブル、パキスタンのクウェッタ、ペシャーワル、インドのデリーといった日本人バックパッカーの利用が多い宿に置かれていた『マスターコピー』を借りて近所のゼロックスで複写したり、あるいはイラン旅行を終えて出てきた人から譲り受けたりといった具合に旅行者たちの間に流通していた。
     この『イランへの道』の原版を編纂したうちのひとりによる次なるヒット作、『イラクへの道』も、旅行者たちにとても好評であった。ただしこちらはいわゆる『アジア横断旅行』ルートから外れていること、バックパッカーたちの『拠点』に状態の良いコピーが定着する前に、イスタンブルの日本人の出入りが多いカーペット屋に置かれていたオリジナルコピーが失われてしまったこと、イラクのクウェート侵攻からなる湾岸危機、それに続く湾岸戦争などによって通常の旅行先ではなくなってしまったことなどから、前者ほど多くの旅行者たちに愛用されたわけではない。
     私はその『イラクへの道』が出る前に、それを書いたTさんに同行する機会に恵まれた・・・といってもお互いフツーの旅行者同士がたまたま行く先が同じであったため、しばらく行動をともにしていただけのことだが。当時のイラクは非常に治安が良く、市民の暮らしぶりには非産油国のアラブ圏とは一線を画す豊かさがあった。社会主義を標榜するバース党の治世下、少なくともヨソ者の目にも女性の社会的プレゼンスの大きさは印象的であった。  
     世俗政権下ということもあり、繁華街に林立する酒場の数々、国産・輸入を問わず安価で豊富なアルコール類の恩恵にあずかることができた。アラビアとはいえ、バグダードでは夕方以降は街角で酔っ払いがクダを巻いていたりケンカしたり、はてまた酩酊してアスファルトの上に前後不覚で寝転がっていたりという様が日常的に展開される(当時)ということを知ったのは新鮮なオドロキであった。
     Tさんとともにバクダード、サマーッラー、バビロンなどを訪れたのだが、案内書の類は何も無く、手元にあった旅行情報はバグダード市内の古本屋で見つけたローマ字表記の市内地図を除けば、イラク入りする前にヨルダンのアンマンで宿泊したホテルのロビーに置かれていた情報ノートに各国から来たバックパッカーたちが英語で書き残したイラク旅行の情報や印象を書き残したメモを自分で書き写したものだけだった。いろいろと自分で発見する喜びは否定しないが、いかんせん効率が悪すぎる。他国ならばガイドブックをひとめくりするだけで頭に入るようなことがここでは何もわからないので、時間と労力の無駄がとても多く、知らなかったばかりにせっかく近くまで行きながら見過ごしてしまった名所旧跡も多い。
     そうした中、行く先々で精力的に歩き回り、自ら発見したものや気づいた事柄などについて、細かいメモを取っていたりするTさんの姿には驚いた。年単位の長旅を繰り返しているのにマンネリ化することなく、旺盛な探究心はいったいどこから沸いてくるのだろうか。
     彼によれば、『大地のシワが多いところほど、人々のありかたも変化に富んでいて興味深い』のだという。確かに言われてみればそのとおりだと思った。人の力で越えがたい自然の障害が多いところ、山岳、大河、海峡、高地等々でさえぎられたところでは、少し先に進むだけで風物が大きく変わるものである。この人は今も長旅を繰り返しており、こうしている今も地球のどこかで熱心にメモを取り、詳細な地図を描いていることだろう。
    『イランへの道』も『イラクへの道』もそれを書いた個々の人たちや加筆した旅行者たちも何の報酬を得ているわけでもないしそれを期待しているわけでもない。ただ旅への情熱と情報を他のバックパッカーたちと分かち合いたいという気持ちが情報ノートというカタチを取って現れ、それを必要とする人々から共感とともに強く支持されていったのだろう。
     もちろん『旅行情報』とはいう、旅行人という会社によるガイドブックはれっきとした商品だ。旅行者たちが勝手に書き足したりコピーしたりする情報ノートとはまったく違う性格のものであることはいうまでもない。それでもやっぱり旅を愛する人たちの熱い気持ちが誌面からヒシヒシと伝わってくる。
     こういうガイドブックが出回るようになった今、旅行好きにとって本当にいい時代だと思う。

  • 『情報ノート』に想う 1

     インドを紹介するガイドブックは数多いが、東北部に特化したものはこれまで少なくとも日本語で書かれたものはなかった。
     このほど旅行人ウルトラガイドのシリーズの『アッサムとインド東部』が発行されたが、これが初めてのものとなるのではないだろうか。インド北東部七州のうちの四つ、アッサム、アルナーチャル・プラデーシュ、メーガーラヤ、トリプラーの各州の旅行情報が記載されている。おかげでこの夏以降、この地域を訪れる日本人が急増(?)するのだろうか。
     この旅行人ウルトラガイド/旅行人ノートと題するガイドブックのシリーズには『客家円楼』『海洋アジア』『西チベット』といった、旅行先としてはマイナーな地域をカバーしたもの、そして『シルクロード』『アジア横断』『アフリカ』のようにまとまった期間で長距離を旅するバックパッカー向けの本もあり、日本国内の他社から出たガイドブックとは一線を画している
     この中にはインドものもけっこう出ており、先述の『アッサムとインド東部』以外にも『ラダック』『インド黄金街道』『バングラデシュ』が発行されている。
     読者層が幅広く、利用者たちからの豊富やフィードバックも多いロンリープラネット社のような古参の大手会社と違い、新たなガイドブックを編纂するのはとても骨の折れる作業に違いない。それだけに手にとってめくってみれば、作り手の情熱や書き手の思い入れが伝わってくるようだ。旅行を産業として眺めた場合、かなりニッチな市場に特化しており、対象となる地域も記事内容もまた商売っ気がないのだが、旅に必要な情報を淡々と語る生真面目な旅行案内書だ。
     そんな飾り気のなさからだろうか、インターネット出現前に旅行者たちの溜り場に置いてあったり、コピーが旅先で出会う人たちの手を介して伝えられていったりした『情報ノート』を彷彿させるものがある。
     今ではちょっとネットにアクセスするだけで、いろいろな旅行関係のサイトや掲示板などで情報が入手できたり、何か大きな出来事が起きれば、まさに『今この瞬間』の情勢を伝えあったり意見を交換できたりする。だから書いた先から内容が風化してくる雑記帳の存在意義はなくなった。
     けれども『情報ノート』が重宝がられていたのはそんな大昔のことではない。世の中の誰も彼もがパソコンでインターネットに接続するようになり、どこに行ってもネットカフェの看板が見られるようになったのは、Windows95が発表とともに爆発的に売れ始めたころ、そう90年代半ば以降からのことだと記憶している。
     ともあれ、取材者(たち)が額に汗して現地をリサーチしてまとめてくれた旅行ガイドブックの価値は今も昔も変わらない。情報ノートの書き込み同様、これとて時とともに事情は変わってしまうのだが、大量の断片的な情報が手のひらのうえでひとつの本の中に系統立ててキチッと納まっていること、目次や索引などから必要な情報を必要とするときにすぐに取り出せることに存在意義がある。『案内書』とは本来そういうものだ。

  • αの復活

    a100
     かつて一眼レフのオートフォーカスの先駆者であったミノルタ。合併してコニカミノルタとなってから一眼レフ機のデジタル化に出遅れたものの、完成度の高いα7 DIGITALそして 廉価版のαSweet DIGITALと、内容の濃い骨太モデルを投入して巻き返しを図ったもの時すでに遅く、デジタル化に先行したキヤノンとニコンの前になすすべもなかった。今年春先にはファンから惜しまれつつもカメラ事業の舞台から退場することとなる。
     このため一時は消滅するのかと思われていた『α』ブランドが息を吹き返した。このたびソニーから期待のデジタルカメラが発表された。7月21日に発売される同社最初のデジタル一眼レフ機は、その名も『α100』である。
     ミノルタ伝統のカメラ事業をそっくり引き継いだソニー。いったいどんなカメラが登場するのか興味津々だったが、やはり旧ミノルタの偉大な資産、αシリーズを継承したことで長年のミノルタファンはホッと胸をなでおろしたことだろう。これまでのコニカミノルタの路線を継承するものであり、旧来のシステムをそのまま使用できるからだ。
     すでに購買予約受付は始まっている。ボディのみの価格は10万円前後となる見込みらしい。コニカミノルタ時代のモデルよりも強化された手ブレ補正機能 (2〜3.5段分)がレンズではなくボディ自体に組み込まれているのはありがたいし、レンズ交換の際などにCCD表面に付着しがちなゴミへの対策も織り込まれているのもいい。もっとも後者については、本来すべての一眼レフデジタルに装備されているべきだと思うのだが。
     
     第一作目は旧メーカーのブランドネームや既存システムといった資産を活用し、従来のαシリーズの路線を踏襲したものとなった。新規参入ながらも、旧来からのコンポーネンツやユーザー等をそのまま引き継いでいるのは強みだ。新モデルのデザイン、操作スイッチ類の配置、設定等に関する液晶画面の表示方法なども、旧メーカーのものを踏襲しているようだ。従来からのαシリーズのユーザーたちからは好感を持って迎えられるのではないだろうか。また購入検討中の潜在的顧客層からみても、ソニーはこの分野では未知数のメーカーだが、あの『ミノルタの後継者』ということから安心して購入できるのではないだろうか。
     コニカミノルタの写真事業撤退以来、カメラ屋で同社製品は投売り状態だったり、ショーケースの隅っこに置かれたりするようになっていた。ところがこのところちょっとした異変が起きているのだ。東京中野にあり名前がよく知られた大きなカメラ屋さんでは、店舗入口真横に『α』コーナーが設けて、ソニーによる新生α広告チラシとともに、ミノルタ時代、コニカミノルタ時代のαシリーズの在庫を並べて、『お一人様一点限り』で売り出しているのだ。ソニー効果で急に需要が出てきたらしい。またお店にとってはこの機会を利用して売り切ってしまいたいところなのだろう。
     既存の路線をそっくり受け継いだように見えるα100は、とりあえずは試運転といったところなのだろう。発売後の反応などを見てから、ソニー独自のカラーを強く押し出したモデルが登場してくるに違いない。
     カール ツァイスとの共同開発レンズを含めた21本の交換レンズ群も順次発売予定とあるし、その他様々なアクセサリー類も続々投入される予定だ。今後の進展から目が離せない。光学機器メーカーが長年育んできた優れた技術とハイテクメーカーによる卓越した画像処理テクノロジーの融合。この夏、新生αの逆襲が始まる。
     被写体の宝庫インドでどんなカメラを使うか。目的や好み人それぞれだが、こうして次第に選択肢が広がっていくのはうれしいことである。もちろんレンズを含めた周辺機器類も合わせると高額な買い物となるため、目移りしてもすぐ他社のものに乗り換えるわけにはいかない。これまでコンパクト機のみ使ってきた人たちが一眼レフに乗り換える例がとても増えていることもあり、デジタル一眼レフ市場はこのところやたらとホットで、わずかここ数年の間に急速に成熟しつつある。
     ともあれどんなタイプのモデルであろうと、お気に入りのカメラを片手に試行錯誤しながらインドの美しい風景を切り取るのは楽しいものである。

  • 舌がキレイすっきり

    舌こき
     日本人の間で舌こき、つまり舌を掃除する習慣は一般的ではない(・・・と思う)が、ここ数年の間にドラッグストアその他で『タング・スクレーパー』なる商品名でプラスチック製のものが目に付くようになってきた。欧米メーカーの製品が多く数百円程度で購入できるのだが、どれも使い勝手はあまり良くない。このタング・スクレーパー、由来をネットで検索するとインドのアーユルヴェーダに結びつけた記事がよく目に付くのだが、実際のところどうなのだろうか?
     中世ヨーロッパで使われていたベッコウ製の舌こき、中国の清朝時代の銀製のものなどが現在もどこかに保管されているようなので、インドの専売特許というわけではないのかもしれない。
     近ごろは口臭予防や虫歯を防ぐといったことだけではなく、舌の上に蓄積される『舌苔』は有害な細菌類やウィルスが繁殖する温床となりやすいため、まめに除去することが勧められている。これを実践するだけでインフルエンザにかかりにくくなる、なんていう話さえあるくらいだ。
     私も4、5年前から毎日朝夕に実行するようになっている。気をつけていても虫歯ができやすく、どうにかならないものかと思い試してみたのだ。・・・といっても歯磨きをしてデンタルフロスで歯の間をきれいにしてからササッと舌を擦って掃除するだけなのだが。 
     ところが不思議なことにその後新たな虫歯は発生していない。おまけにカゼもほとんどひかなくなった。この間、身体を鍛えたわけではないし、病気に対する抵抗力が付く理由もないのだが。だからといってこれを舌掃除の効果と結び付けてしまうのは早計ではあるものの、一度習慣になってしまうと外泊の際に舌掃除の道具をうっかり持参していないとなんだか落ち着かなくなるものだ。
     目下愛用しているのはインド製のステンレスのタング・スクレーパー。舌掃除の本場(?)インドで、多くの人々が日々これを実践しているのかどうかは知らない。でもバザールで簡単に入手できて、価格も数ルピー程度と安価であるにもかかわらず使用感はすこぶる良い。先述の中世ヨーロッパや中国で使われていたものと形状はほとんど同じだ。人々の生活の中ですっかり完成されたカタチなのかもしれない。インドの生活用品の中で、これはスグレモノのひとつである。

  • 食卓にIndia !

    インドなマグカップ
     Made in Indiaではないのだが、インドな(?)マグカップを発見。即購入して手元にあるので撮ってみた。
     逸品社のSugar Landブランドで発売されているこのシリーズの国旗マグカップのバリエーションは現在27ヶ国。側面全体に国旗があしらわれており、イギリスのユニオンジャック、米国の星条旗などはやたらと派手で、中国の五星紅旗のカップもとってもヴィヴィッドだ。真ん中に赤い丸がポコッと入った日の丸マグもなかなか愛らしく、インドものと並んでこちらもマスト・アイテムだと思う。
     ところでTiranga netには旗サイズの号数と対応する用途が示されていた。このマグカップにデザインされた旗はテーブルフラッグ用の9号にほぼ相当するみたいだ。机の上にそっと飾っておくのもいいかも?
    マグカップ2

  • 旅行に最適な一本!

    シグマ
     先日は『旅行仕様の楽しいカメラは?』で、旅先で手軽かつ便利なカメラについて考えてみた。今回は旅先にレンズを持っていくなら何だろうかと探ってみることにする。もちろん身軽であることを大前提である。あえて一本でだけ持参するならば何か、最も便利なものはどれだろうか。
     汎用性という部分を重視すれば、画質に優る単焦点レンズよりもズームレンズということになる。このところコンパクトデジタルカメラの高級機種購買層がデジタル一眼レフ汎用機種にシフトしていることが示すとおり、主要各社ともこのタイプのカメラは高級なものからエコノミーなタイプまで、ほぼ出揃ったようだ。それだけに数年前までは『デジタル一眼専用設計』(35mmサイズよりひと回り小さいAPS-Cサイズのセンサーを持つカメラ用)なんてコトバが新鮮に響いたものだが、いまやこの手の様々なタイプのレンズが大量に市場に出回るようになっている。
     銀塩カメラやデジタル一眼レフでも最高級クラスで『フルサイズ』つまり35mmサイズのセンサーを装備したものよりも画角が狭くなる。そのため焦点距離の1.5〜1.6倍くらいの描画となってしまうため、従来使われていたレンズを装着すると望遠側に有利だが広角側が弱いなんて言われていたのも今や昔。 APS-C自体の画角に合わせた規格のレンズが各社から続々出ているため、もはやそんなことを口にする人はいなくなった。
     しかしこの『デジタル専用』レンズはフルサイズのセンサーを持つカメラで使用すると、元来の画角の違いから周辺がケラれてしまうため使えない。そのため昨年発売になったキヤノンの5Dの例に見るように、フルサイズのデジタル一眼レフが次第に低価格化してきたら、それまでに買い揃えたAPS-C用レンズを見捨てて飛び着くか、それとも高級機はフルサイズ、汎用から中級機クラスはAPS-Cといった棲み分けが今後も続いていくのか、気になる人は少なくないだろう。
     ともあれ一眼レフレンズとしては手頃な価格帯かつ汎用性の高いタイプの中で魅力的なレンズはいろいろある。シグマの30mm F.1.4 EX DC HSM は、35mm換算でほぼ従来の標準レンズに相当する画角だ。開放値がとても明るく描写も美しい優秀なレンズである。普段、便利だからとズームレンズばかり使っている私などは、このレンズを手にするとあらためて単焦点のレンズって違うなあ・・・と感心してしまう。
     ズームレンズではタムロンのベストセラーAF28-300mm Super Zoom F/3.8-5.6 Aspherical XR [IF] MACROはデジタル対応のDi仕様となり相変わらずの人気らしい。だがこれでは広角側が不足して困るではないか・・・と思っていたら、2004年に出たシグマの18-125mm F3.5-5.6 DCは大きな反響を呼んだ。
     やっぱりこういうレンズを待っていた人は多かったのだ。何しろこういうカメラは重くて大きい。持たなくてはならない荷物は他にもある。『どれか一本だけ付けて出かけよう』となれば、広角から望遠までひとつでカバーできるものがあればありがたい。このタイプのレンズ、続く2005年には同じシグマから望遠側の焦点域を大幅に伸ばした18-200mm F3.5-6.3DC、そして同社のライバルであるタムロンからはAF 18-200mm F/3.5-6.3 XR Di II LD が発売となり、『これは便利だ』と飛びついた人は多いのではないかと思う。年末近くなってからはニコンからAF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G (IF)という同じ焦点域ながらも手振れ補正機能、しかもその効果たるや4段分というからスゴイ。このテのレンズの真打登場といったところだろうか。個人的にはニコンを所持していないので使うことができない。購入を検討するわけにもいかないのは残念である。
     でもよくよく思えば、ただ旅行するだけで200?の焦点域、35mmカメラ換算でなんと320mm!なんていう超望遠を利用することなんてほとんどないと思う。
     従来、一眼レフの交換レンズにおける手振れ補正機能といえば、焦点域が特に長い超望遠レンズによく付いているが、それ以外でISつまり手振れ補正が付いたものは今のところあまりなかった。私自身は2004年に発売されたキヤノンのEF-S 17-85mm F4-5.6 IS USMを使ってみてとても感心した。開放値がやや暗いのは気になるが、三段分の補正機能は、特に薄暗い朝夕の手持ちで撮る際、あるいは屋内での自然光での撮影など、旅先での大きなアドバンテージであろう。テレ端は85mmだが35mmカメラ換算で136mm。このくらいあれば充分だとは思う。
     超広角ズームも各社からいろいろ出ていて面白い。場合によってややエキセントリックな画となるかもしれないが、キヤノンのEF-S10-22mm F3.5-4.5 USMは非常に重宝かつ楽しいレンズだ。つまり従来の35mm銀塩カメラに換算すれば、16mm〜35mm程度に相当するのだ。16mm!というややムチャな画角で撮っても歪みは想像していたよりもずいぶん少なく、一見マトモな絵に見えてしまうのがうれしい。胸のすくような広がりを写せるし、あるいはスペースの関係で後方に引くことができないところでも非常に便利である。試しに猫の額ほどの中庭しかない(失礼!)東京代々木上原の東京ジャミーで一枚撮ってみた。もちろん10mm(35mm銀塩換算で16mm)の広角端を使用した。ここを訪れたことのある方ならば、このレンズの効果のほどはお判りいただけると思う。
    東京ジャーミー
     ぜひバッグの中に常時放り込んでおきたい一本ではあるが、やや特殊なこのレンズでなんでもかんでも撮るわけにはもちろんいかない。
     また出かけた先でブツ撮りもやってみたい。するとちゃんとしたマクロレンズも欲しくなるのだが、こちらもやはり必要に応じてのワンポイント起用になるはずだから、『これ一本で』の候補にはなりえない。欲しいものすべてをうまく掛け合わせたものはないものだろうか・・・。
     そうした中で、今年2月に出たシグマのレンズはとても気になっている。17-70mm F2.8-4.5 DC MACROは、『被写体に寄れるデジタル専用大口径標準ズームレンズ』とのこと。最短撮影距離はズーム全域で20cmだそうだ。コンパクトデジカメと違って一眼レフの場合、この距離とは銀塩カメラのフィルム面に相当するセンサー表面からの距離なので、実際のワーキングディスタンスはわずか3cmほどになってしまうのだからスゴイ。被写体にレンズがカチンとぶつかりそうなくらい接近できるのである。ウェブ上で作例や製品レビューなどを見てみると、なかなか評判が良いらしい。
     35mm換算で27mmから112mmほど。望遠域はやや弱いとはいえ、もともと銀塩時代は今のデジタル一眼レンズみたいな超高倍率なものはなかったし、このくらいが最も実用的ではないかと思う。ズームレンズとしてはかなり明るいF2.8というのもうれしい。しかも本格的なマクロ機能付きとくれば、すぐにでも飛びつきたくなってしまう。これならば特に他のレンズを携行しなくても不便は感じそうにないし、埃っぽいインドでレンズ交換の際、センサーに向かってドカドカと大小のゴミが飛び込んできて付着するのに悩まされなくて済みそうだ。
     あれこれ考えていると私自身が買う気に満ちてきてしまった。人それぞれ写真を撮る目的は違うし、好みや考え方だっていろいろだろう。あくまでも私個人の独断であり、しかも性急すぎるかもしれないが、このレンズこそ現在『インド旅行に最適な一本!』と言い切ってしまおう。

  • 欧州発 北アフリカ行きの白人奴隷たち

     大航海時代以降、世界各地に植民地を拡大していき支配地で権勢を振るった西欧列強、そしてアフリカから南北アメリカ大陸に導入された黒人奴隷たち、アジアその他の地域で過酷な労働・生活環境の中で生涯を送った中国やインドなどからの契約移民たちのことはよく知られているところだ。
     だがそのいっぽう、サレー、チュニス、アルジェといった北アフリカの港湾地域を根城とするイスラーム教徒の海賊たちにより航海中の欧州人たちの商船が襲われるのみならずヨーロッパ各地の沿岸部が北アフリカからやってきた荒くれ男たちに攻撃されることは珍しくなかったことだ。もちろんその数や規模は先述の黒人奴隷や契約移民の数とは比較にならないはずだが、主にその海賊たちにより拉致されてモロッコを中心とする北アフリカ諸国で売買される欧州出身の白人奴隷たちがいたということに気を留める人はあまり多くない。
     このたび『奴隷となったイギリス人の物語』という本を手にとってみて、パラパラとめくってみるとなかなか興味深い内容であったので、じっくり読んでみることにした。著者の記すところによれば『1550年から1730年の間、アルジェには約2万5千人の捕虜(欧州人)が絶えず存在していた』『300年あまりの間に少なくとも100万人の白人たちが不当に連行された奴隷交易があった』のだという。
     タイトルには『物語』とあるが、史実をもとにしたノンフィクション作品だ。この本の中で主人公的な立場にあるトマス・ペローなる人物が見聞したとされる出来事などが下敷きとなっており、欧州やアラビアの歴史資料などによる肉付けがなされたということである。
     舞台は18世紀初頭のイギリスとモロッコ。イギリスのコーンウォールで生まれた10代前半の利発な少年トマス・ペローは、おじが船長を務める商船『フランシス号』の船員として乗り込んだものの、海賊船に拿捕されてモロッコの奴隷として売り飛ばされてしまう。彼は当時マラーケシュから遷都し、メクネスを首都としていたアラウィー朝の支配者ムーレイ・イスマイルのもとで奴隷として仕えることになる。
     当初は建築作業現場で他の欧州人奴隷たちとともに危険な作業に従事させられた。そして暴力とともに改宗を迫られて、生き延びるためにやむなくイスラーム教徒となってからは、非凡な知力と資質を買われて宮廷内の警護を経て最前線で闘う兵士として取り立てられたことになっている。その後幾多の危機を乗り越えて運良く帰国できたのは出航してから23年後であったとのこと。
     ムーレイ・イスマイル率いる強大なアラウィー朝とその庇護下で暗躍していた海賊たちの前に、なす術もなく恐れおののいていた欧州(人たち)という図式はなかなか新鮮であった。
     ただ気がかりな部分も多い。不運にも奴隷とされた白人たちの悲劇がテーマになっているため仕方ないのだが、視点は常に捕虜となり奴隷として売られた欧州人たちの側にあるがゆえに『欧州=賢き善なるもの』そして『イスラーム世界=狡猾にして悪辣なるもの』という図式に終始していることである。
     強権政治、建築への情熱、豪勢な生活、そして数百人規模のハーレムなどで知られたムーレイ・イスマイルは、モロッコの歴史の中でも特に大きな足跡を残した人物のうちのひとりである。もちろん彼は暴君として悪名高くさまざまなネガティヴなイメージも持つ人物であったにせよ、彼の治世で国は繁栄するとともに市民生活のレベルもかなりのものであったようだ。当時の王都メクネスはユネスコの世界遺産にも指定されている。
     もちろん『為政者』について現在のそれと同じ尺度で語ることはできるはずもないが、それなりに有能な統治者であったことは否定できないだろう。だが書中では、このモロッコの君主については奇行や蛮行ばかり描かれていること、そして次から次へと様々な登場人物が出てくる中で、地元モロッコのイスラーム教徒たちの中で人情味を感じさせるキャラクターはほとんど見当たらないのである。
     特にニューヨークで2001年に起きたテロ事件以降、イスラーム世界に対するネガティヴなイメージが広がっている昨今、ムスリムの人々に対する偏見や誤解を植え付ける可能性もあり、ちょっと危険な図書ではないかとも思われた。
     捕虜となっていた白人たちの出身国は、イギリス以外にもフランス、スペイン、ポルトガル、そして独立前のアメリカなど実に多岐にわたっていたそうだ。どこも自国民の救出についてはそれなりの外交努力は払っていたらしいが、興味深いことにクリスチャンから改宗してムスリムになった者については救出の対象にはならず、そうした囚われの自国民の数にも加えられなかったのだという。それほど当時のヨーロッパでは、『キリスト教徒であること』は、ある意味生まれや血筋よりも大切なものであったようだ。
     ちなみにトマス・ペローは軍の駐屯地を脱走して野山を越えて港町に出て、欧州の商船に接触することに成功、つまり自力でモロッコを後にしたとのことである。
     ともあれ、これまであまりなかった視点によるヨーロッパとイスラーム圏の交流史のひとつとして大変興味深い本であった。
    奴隷になったイギリス人の物語
    ISBN4-7572-1211-9
    ジャイルズ・ミルトン 著
    仙名紀 訳
    株式会社アスペクト
    原題はWHITE GOLD (GILES MILTON著ISBN: 0340794704)

  • 上海経由でインドに行こう!

    中国製造SUNTORYビール
     日本からインド行きのフライトといえば、昔からバンコクやシンガポールなどといった東南アジアの街を経由して行く『南回り』が当たり前だと思っていたのだが、今や『北回り』ルートもごくフツーになっているようだ。中国東方航空による上海経由デリー行きである。大手旅行会社も『中国東方航空で行くデリー』として売り出している。
     半年ほど前、人民日報日本語版に『中国東方航空、インド人客室乗務員を採用』という記事が出ていたが、ついに6月3日からその乗務員たちが中・印間の路線に3〜4名ずつ乗務することになったようだ。
     各国航空会社の国際線で様々な国の人々が乗務しているのだから、こういうことがあっても不思議ではないのだが、中国の航空会社にインド人乗務員というのは初めてとのことで、『歴史的』な出来事といえるかもしれない。
     もっともインド人スチュワーデスの登場そのものよりも、中国の航空会社がインド人乗客をそれほどまでに意識してきていること自体が大きな変化であることはいうまでもない。
    東方航空 インド女性が客室乗務員に、中国で初めて(中国情報局)