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カテゴリー: life

  • HUAWEI Mate 10 Pro

    HUAWEI Mate 10 Pro

    スマホの物凄く小さなレンズとこれまた極小のセンサーで、これほどちゃんと写るのか?!と話題になっているHUAWEIのMate 10 Pro。さすがLeicaとのコラボの結果というか、やはりLeicaの名前を使うからには、厳しい条件をクリアしているのだなと感じさせられる。

    これまで3年間ほど愛用してきた、同じくHUAWEIのかつてフラッグシップ機であったAscend Mate 7は、本体メモリ容量が16GBと少なく、SDカードで補っている点を除けば、まだサクサク動くし、使い続けても良かったのだが、このMate 10 Proの「Leica」に惚れた。

    この「カメラ」を購入することが目的であって、27mm単焦点(28mmではなく、なぜか27mm)デジカメの通話・通信機能付きを手に入れたというような感じだ。ただの単焦点ではなく、一応デジタルズームは付いている。

    マイクロSDは使用できないが、本体メモリ容量が128GBあるという点もセキュリティ面で好ましい。紛失や盗難等の緊急時、本体メモリは遠隔で消去することは可能だが、マイクロSD内のデータはそうはいかないからだ。

    カメラ性能の具体的な評価については、様々なウェブサイトや雑誌などでレビューが掲載されているので、敢えてここで言及する必要はないだろう。ひと昔以上前であれば、こういうワクワクするアイテムをリリースするのは日本企業だったのだが、現在は韓国のSAMSUNGであったり、中国のHUAWEIであったりする。時は移ろうのである。

    ちょうどタイミング良く、スマホカメラ無音化アプリが出てきていることもありがたい。
    盛大なシャカシャカ音を出すのは憚られるケースもあるし、わざとらしいリアル風シャッター音が嫌いなので、サイレントカメラアプリ入れると、機能がいまひとつだったりしていた。こういうアプリが出てきたことも、今回の購入を後押しした一因である。

    以下、Mate 10 Proで撮影した画像。これくらい写れば、もうコンデジを持ち歩く理由を見つけるのが難しくなるくらいだ。

    今回、久々に「インドでどうだろう?この1台!」ということで、デジタルカメラではなく、HUAWEI Mate 10 Proに搭載されたカメラ機能を推したい。

  • 第19回カレーフェスティバル&バングラデシュ ボイシャキ メラ

    2018年4月15日(日)に東京の池袋西口公園で、ジャパンバングラデシュソサエテイによる「カレーフェスティバル&バングラデシュ ボイシャキ メラ」が開催される。今年でもう19回目となるだけあり、この時期の池袋の風物詩としてすっかり定着している。

    このイベントに出入りする人たちの半分くらいは在日のバングラデシュの人たちで、関東一円はもとより、東北や関西など遠くから同胞の集まりにやってくる人たちも少なくない。そんな具合なので、当日の開催時間だけ、池袋西口がさながら「リトルダッカ」といった様相になる。

    回を重ねるごとに、参加しているバングラデシュの人々の中に年配者の姿も増えてきている。これはバブルの頃に来日して定着した人たちの中で、そういう年齢を迎えた人もあれば、両親等を呼び寄せたといった要因もあるのだろう。

    また、日本生まれの元気な子供たちの姿も少なくないのだが、昔はあまり見かけなかった在日のベンガル系中学生、高校生くらいの少年少女たちの姿も多くなった。やがて在日三世の姿も見られるようになるのだろう。

    かつては20代から30代くらいの男性が大半であった在日バングラデシュ人の人口構成が、年齢層、性別ともに幅が広がっていることを垣間見ることができる。

    今でも日本人女性と結婚するバングラデシュ男性は少なくないが、近年では故郷で親族が取り決めたお嫁さんを呼び寄せるケースが少なくないようで、日本における生活に安定した基盤がある人が多いことがその背景にありそうだ。

    また、インドと同様に、日本で働くバングラデシュ人の中には理系人材がかなり多いのだが、多くのインド人と異なるのは、日本の永住権、さらには国籍を取得する人たちが少なくないことだ。

    「ベンガル系日本人」という新たなアイデンティティを持った子供たちも、続々とこの世に生を受けているわけで、今後が楽しみである。

    第19回カレーフェスティバル&バングラデシュ ボイシャキ メラ

  • ヒルステーションの幽霊話。

    ヒルステーションの幽霊話。

    ウッタラーカンド州のヒルステーション、マスーリーの初期の住人のひとりであり、このヒルステーションを拓いた人物としても、Himalaya Club(現在は宿泊施設Hotel Himalaya Castle)の設立メンバーにして初代会長としても知られる東インド会社軍のフレデリック・ヤング大佐が「出る」らしい。(記事下のリンク先でフレデリック・ヤング大尉となっているのは誤り)

    しかも彼が所有していたMullingarと名付けられた屋敷。彼が建てて、死後も一族が所有した後、所有権が点々としたこと、チベット難民収容施設となったこともある。この建物は現存している。

    ともあれ、「ヒルステーションを拓いた」人物とお会いできるのならば、ぜひ訪れてみたい。

    この屋敷の一部は現在チベット寺院が入っているが、そこに宿坊でもあれば、ちょっと部屋の外にでも出てみると、フレデリック大佐が徘徊しているところに遭遇できるのだろうか?

    1854年に当時の東インド会社(の軍人)から引退して、故郷アイルランドに帰っている。1857年の大反乱に遭遇することがなかったのは幸いだったが、1866年に「アグラ銀行の倒産」したことにより、ヤング氏は財政危機に。どうやらその銀行に大きな預金をしていたか、投資でもしていたらしい。

    その後、インドに戻ることなく、アイルランドで1874年に84歳で亡くなっているにもかかわらず、かつて愛したマスーリーの屋敷、Mullingarに出るとは、この地に大変な未練があったということなのだろう。

    The ghosts of a literary Indian hill-station that haunt the writers of the present (THE CONVERSATION)

  • ヒルステーションの英国人クラブ転じて宿泊施設

    ウッタラーンチャルのヒルステーションのマスーリーで1841年に軍幹部が初代会長としてスタートしたクラブ「Himalaya Club」は、現在は宿泊施設となり、Himalaya Castleとして営業しているとのこと。

    昔、大きな建物を持っていたクラブ、英国人等が所有した伝統あるホテルなどが、後世になってから大手ホテルチェーンの手に渡って営業しているケースはよくある。HPで眺める限りは、なんだか垢抜けない感じからすると、ここはどうやらそうしたホテルグループではなく、オーナー一族による個人営業であるように思われる。あるいはあまりメジャーではないホテル運営グループに経営は委託しているのだろうか。

    ヒマーチャルのヒルステーション、カサウリーでも旧クラブの建物が転用された宿に宿泊したことがあるが、ブリティッシュラージの残り香が漂っているというか、お化けが出そうというか、時代がそのまま保存されているようなムードが良かった。

    マスーリーを再訪の際には立ち寄ってみたいと思う。

    Hotel Himalaya Castle

  • シュリーデーヴィーの葬儀

    シュリーデーヴィーの葬儀

    シュリーデーヴィーの亡骸は2月27日夜ムンバイーに到着。明けて2月28日に葬儀が実施された。画面に映る数えきれないほどの弔問客の中に多くの映画人たちの姿も見られた。
    この日、NDTV Indiaのニュース番組は葬儀のニュース一色であった。
    ご冥福をお祈りいたします。

  • シュリーデーヴィー逝去にまつわる続報

    シュリーデーヴィー逝去にまつわる続報

    シュリーデーヴィーは溺死。血液からアルコール成分を検出とのこと。

    一昨日に亡くなったシュリーデーヴィーだが、当初報じられていた急性心不全ではなく浴槽での溺死だったという話が浮上している。入浴前の飲酒との因果関係なども含めて云々されているらしい。

    Sridevi Boney Kapoor Ayappanという名前の記された死亡証明書(病院関係者がリークしたのかニセモノか知らないが)が画面に映ったりしている。女神は女神のままで、そっとしてあげておくれ・・・と言いたくなるが、やはりこの手の報道は次第に節操を欠くものとなってくるのは、いずこも同じだ。

    ともあれ、そんなこんなで酒飲んで風呂というのは、やめておこうと思うシュリーデーヴィーファンの今宵の私であるが、そのまま現地リポートの続きを視聴いていると、事件性のない自然死であるかどうかの究明が求められているとのことで、それがはっきりするまでは、遺体をインドに搬送することも、親族たちが滞在中のドバイを離れて帰国することも許されないとのこと。なんだか妙な雲行きになってきているのは気になる。

    家庭内は円満なものと思っていたし、実際そうだったのだろうが、赤の他人がどうのこうの言うものではない。ふた昔くらい前の時代であれば、ドバイを根城にするインド人ヤクザと映画絡みの黒いマネーにまつわるトラブルみたいなものが想起されたかもしれない。彼女の遺体は、バーミングによる防腐処理がなされて霊安室に安置されているなどといった陰鬱なリポートも飛び交っている

    やはり彼女ほどのスーパースターともなると、世間は静かに見守ってはくれないようだ。

  • 水筒比較 ナルゲンorモンベル

    水筒比較 ナルゲンorモンベル

    トレッキングや旅行用、普段の水分補給に使う水筒。通常、アウトドア用品は丈夫で扱いやすいものが多いが、その中でもとりわけ軽くて洗浄が容易なものがありがたい。

    水筒を買い替えたり、買い足したりする際には、いつもナルゲンとモンベルを比較するが、今も買い替えたり、買い足したりする際に、ナルゲンかモンベルかと比較するけど、やはり誰もが較べるライバル同士のようだ。

    クリアボトルはナルゲンかモンベルか(道楽者の詩)

    モンベル(mont-bell)か、ナルゲン(nalgene)か?水筒ボトル比較(気ままレシピとシンプルライフ)

    ナルゲンもモンベルともに良く出来ている。
    頑丈、堅牢で漏れはないし、開け閉めが簡単、パッキングなどの部品がないので洗浄も一発で楽々。

    私自身は比較しつつも、結局のところより頑丈そう(に感じる)なナルゲンしか買ったことがないのだが、沸騰した熱湯を入れてもビクともしないのも素晴らしい。

    ナルゲン
    モンベル
  • Indo-Anglican

    下記リンク先記事の筆者が提案するIndo-Anglianという概念。家庭でもほぼ英語で話し、高い教育を受けて、都会で裕福な生活送る、様々なカーストや宗教背景のインド人たちをひとまとめに指すとのこと。確かにこのようにカテゴライズされた人たちの中では、筆者の言うようないろんな結合的な現象があり、こうした人たちをひとつの集合体と見れば、「出自を問わない」新たなカーストということになるのだろう。こうした捉え方ができる人たちが存在するのは都市部に限られるとはいえ、興味深い視点だ。

    India has a new caste for native English speakers only (QUARTS India)

  • インド旅券の衣替え

    インド旅券の衣替え

    インドのパスポートから、従前の最終ページが廃止になるとのこと。所持人の住所、保護者、配偶者などの記載がある部分だ。これについてはNRI、つまり国外在住のインド国籍の人から不安の声があがっているというのは理解できる。
    また、最終学歴が10年生に満たない人は、これまでの紺色の表紙のパスポートではなく、オレンジ色のものになるとのこと。子供だからまだ表紙がオレンジ・・・というケースだけではなく、ドロップアウトして大人になってもオレンジ・・・ということもあるわけだ。これを所持しているいい歳をした大人が、そういう事情を知っている外国の訪問先で、半人前扱いされそうで気の毒な気がする。

    India Today 2018年1月31日号記事
  • 国立博物館の企画展「サウジアラビア王国の至宝」

    国立博物館の企画展「サウジアラビア王国の至宝」

    1月23日から2018年3月18日まで、東京上野の国立博物館で開催されている企画展「
    「サウジアラビア王国の至宝」を見学した。

    先史時代からイスラーム出現前の時代にかけてのものも多数展示されていたのがとても良かった。アフリカで発生した人類がその大陸を出て、まず足を踏み入れたのが現在のアラビア半島。当時は緑と水が豊富な別天地だったという。初期の我々人類のご先祖たちが繁栄した痕跡があるからには、きっとそうであったに違いない。

    時代は大きく下り、イスラームの出現後、まさに電光石火という勢いで各地に広がっていき、各地の伝統文化、社会や生活等に多大な影響を与えたわけだが、もしこれがなかったら、どういう世界になったのか?と想像してしまう。

    地中海を挟んで欧州と北アフリカはひと続きの文化圏のままであったのだろうし、多神教であったアラビア半島に徐々にキリスト教が浸透して、欧州圏の外縁部のような感じになっていたかもしれない。

    いっぽう、欧州では、イスラーム圏からもたらされた数学、航海術等々、当時の先端技術を得ることがなければ、今のような繁栄を迎えることはなかったということも考えられる。

    また、中央アジア、南アジアにイスラームが到来しなかったら、これまたまったく異なる世界になっているわけだ。イスラームの影響を受けなかったインドの文化や人々の生活というものが想像できるだろうか。さらに東進した先の東南アジアのマレーシア、インドネシアにおいても同じようなことがいえる。

    欧州人たちによる大航海はイスラーム圏から伝わった航海術なしにはあり得なかったとすれば、北米や南米は、今もインディヘナの人たちの大陸ということになるかと思う。

    数々の偶然と必然が重なって、私たちの今の世の中がある。

    展覧会を見学してから外に出ると、サウジアラビア大使館文化部がしつらえた砂漠のテントを模したところでのデーツとコーヒーが振舞われており、この展覧会のためにずいぶん力を入れていることが感じられる。

    「メッカの守護者サウジアラビアの栄光」や「金満サウド王国の財宝」といった視点ではなく、アラビア半島を経由した人類や文化の伝播を俯瞰したスケールの大きな展覧会である。

    アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝 (東京国立博物館)

  • 「インド初のオーガニック野菜州」実現目前で頓挫

    今年の春先から有機栽培以外の農作物の輸入・移入が禁じられることになっていたスィッキム州だが、直前になってこれを撤回。

    おそらく州内の農業保護とあわせて「イデオロギーの実現」の目的が大きかったようだが、自前で州内の需要を満たせないことに加えて、流通業者の反発や市民の反対もあったのだろう。大半の人々がなんとか食べていける状態なので、西ベンガル州などからふんだんに安い作物が入ってくる現状のほうが良いに決まっている。

    自分の身に置き換えてみても、有機野菜しか手に入らないというのは大変健康的な環境かもしれないが、家計維持の面で大変苦しくなる。

    もっとも、これが施行されたとしても、安い作物の需要から「野菜闇市」がはびこることになったのかもしれないが。

    Sikkim withdraws bill on non-organic import ban (NEWS CLICK)

  • 「OUR MOON HAS BLOOD CLOTS」という本

    「OUR MOON HAS BLOOD CLOTS」という本

    Hello Bastarの著者、Rahul Panditaによるカシミールを題材にした一冊。彼自身が、カシミーリー・パンディットの出自で、少年時代に家族とともにシュリーナガルからジャンムーへの脱出を余儀なくされている。

    「民主主義インドによって蹂躙されたカシミール」にて、「踏みにじられたムスリム市民が蹂躙したパンディット」というパラドックスが展開していく。

    「学者、識者」を意味する「パンディット」という言葉で通称される「カシミーリー・ブラーフマン」は、イスラーム勢力進出後のカシミールの長い歴史の中で、イスラーム教への改宗者が増えていく中、「マイノリティのヒンドゥー教徒」ながらも、高い知性と学識により、独立以前の歴代のカシミールの王朝時代に主に官職で重用されることにより繁栄」したコミュニティ。

    時代的にも「抑圧」により流出したわけではないが、インド国民会議派を率いて、インドを独立に導き、初代首相となったジャワーハルラール・ネルーを生んだのは、まさにこの「カシミーリー・ブラーフマン」コミュニティであった。

    独立インドのカシミール地方においては、とりわけ1980年代中盤以降は、イスラーム民兵、テロリスト等による襲撃が急増したことから、パンディット・コミュニティの中の大半が自国内で難民化した。

    国民会議派率いるUPA政権時代の2008年から、カシミールから流出したパンディットたちの再定住化が試みられているが、あまり芳しい効果出ていないようだ。

    Our Moon Has Blood Clots: The Exodus of the Kashmiri Pandits
    By Rahul Pandita
    ISBN-10: 8184000871
    ISBN-13: 978-8184000870