部屋のエアコンの効きが素晴らしいのはたいへん良いのだが、しばらくすると凄まじく寒くなってきてオフにする。
するとだんだんちょうど良くなってきて眠りに落ちるが、やがて室温が上がってきて今度は暑くてエアコンのスイッチをオンにする。
エアコン機器が壁に貼りついているものではなく、天井裏にビルトイン方式。温度調節無しで、壁の電源スイッチをオンにするか、オフにするかの二者択一とは、潔すぎるものがある。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

部屋のエアコンの効きが素晴らしいのはたいへん良いのだが、しばらくすると凄まじく寒くなってきてオフにする。
するとだんだんちょうど良くなってきて眠りに落ちるが、やがて室温が上がってきて今度は暑くてエアコンのスイッチをオンにする。
エアコン機器が壁に貼りついているものではなく、天井裏にビルトイン方式。温度調節無しで、壁の電源スイッチをオンにするか、オフにするかの二者択一とは、潔すぎるものがある。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。
パンデミック下の世界に対してインドが大きな貢献をすることになるかもしれない。
いわゆる「クロロキン」として知られているマラリアの治療・予防薬が、新型コロナウイルス感染症の治療にも応用できるかもしれないからだ。
なぜそこで「インドが」であるのかと言えば、毎年1,500万人もの人々が罹患する「マラリア大国」であるのだが、同時に世界有数の工業国でもあるインドは製薬の分野でも大きな存在感がある。おそらくクロロキンの生産、備蓄ともに世界一である。
しかしながら、新型コロナウイルス感染症蔓延に伴い、自国消費が急拡大することが予想されるため、この薬品の輸出を一時的に禁止していた。
そのため今月初めにアメリカのトランプ大統領がイントにクロロキンを大量に提供するようにと、半ば脅しも含めた依頼をしており、これに対してインドはアメリカに貸しを作る形で了承している。
すると当然ながら他国からも同様のリクエストが相次ぐわけで、突如としてインドの「クロロキン外交」が始まったと言える。インドはこれまでの方針から方向転換して、国外へのクロロキン輸出を許可することを明らかにしている。国内の製材各社に対して、インド政府は大増産の発注をしている。
果たして、本当にクロロキンが新型コロナウイルス感染症治療に対して顕著な効果を示すことができるのかはまた未知数だが、既存の医薬品が高い効果を示し、まさに「インドが世界を救う」ことを期待したい。
Hydroxychloroquine: India agrees to release drug after Trump retaliation threat (BBC NEWS)
Why the world is hungry for a coronavirus drug made in India (DW)
India ready to help its friends in crisis: Modi (the pioneer)


地下鉄エスプラネード駅で下車。エスプラネード・バススタンドのベンガル北部方面行きブロックで、ブータン行きのバスを見かけた。
午後7時出発で、ティンプー到着は翌日午後4時とのことだ。車内にいたのは、ブータンに本社があるバス会社のインド現地スタッフ。インド人はよく平気で外国人に収入を尋ねるが、ブータンの会社からインド人社員にいくらくらい出ているのか興味があり、「いくらもらっとるん?」と聞きたくなったが、私にはそういう質問はやっぱりできない。
さて、このブータン行きのバスだが、乗車賃は、オーディナリー705Rs、デラックス1,070Rで、月曜日〜土曜日まで毎日1便ずつ出ているそうだ。

ブータン入国に際してヴィザが不要で、パッケージツアーに入るすら不要なインド人たちにとって、ネパール同様に安価で国内旅行気分のお気楽な旅行先だ。
欲しいのはインド旅券・・・。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。


界隈の人々が、入れ代わり立ち代わり、小さなお願いから大きなお願いまでしにくるので、応対してくださる神様もさすがにお疲れになられる。そんなわけで、ただいま神サマはお昼休み中。大きく立派な寺院でも、近所のこうした祠や小さなお寺でも、そこに鎮座する神様は同じ。いつでもフラリと気の向いたときに相談に行ける身内のおじさん、おばさん、頼りになる兄貴、姉貴みたいな感覚で、構えず気楽にお参りできるのは、近所にあるがゆえのこと。
〈完〉


祠+チャーイ屋。寄合所、情報交換と語らいの場としてとして高い機能を発揮する。ネット出現以前から存在する卓越したSNSシステム。この木が人々を繋ぎ横丁の社会関係を紡いでいく。良い話も悪い話も、このネットワークの上で瞬時に広がる。
やはりこうなるべくして大きくなった木には、生まれながらの「徳」があるとしか思えない。


〈続く〉



これらもまたご神木がお寺にまで出世した例。
やはり、人が集う→座れるように基壇を作る→長年の愛着から人々の魂が宿る→神様を置いてみたりして神格化→やがて祠から小さなお寺へ・・・というプロセスはどこも同じようだ。
基壇が作られた段階の木を見つけたら、その後発展するか、サッパリ鳴かず飛ばずか?と追跡してみるのも楽しい。
同じ並びの似たような木でも、ゴミ捨て場になっているものもある。どこで違いが出てくるのかわからないが、もともとそれぞれの木に備わった素質としての「徳」の有無が作用しているとしか思えない。

〈続く〉
甚だ残念なことであるが、インドを含めた全世界が大変な状況にある。もちろん日本も大変危険な具合になっていて、今後がまったく予測すらできなくなっている。
ここひと月半くらいに起きたことについて、旅行に関連する事柄を中心に簡単にまとめみると、以下のような具合になる。
2月5日以前に中国で発行されたヴィザは無効となり、1月15日以降に中国への渡航歴がある人の入国が禁止されることになったのは2月20日過ぎ。
2月26日になると、インド保健・家庭福祉省は,韓国,イラン,イタリアからのインドへの渡航者及び2月10日以降に韓国,イラン,イタリアへの渡航歴がある人は,インド到着後に14日間にわたり停留措置の対象となる可能性があることが伝えられた。
2月27日には、日本国籍者による新規のe-Visaの申請受付が停止された。3月3日,インド国外にいるイタリア,イラン,韓国,日本の国籍者に対して3月3日以前に発給された全てのヴィザは無効となった。
3月5日になると、スィッキム州が外国人の入域許可発行を停止した。同州住民を除き、インド人さえも入ることができなくなり、その後アルナーチャル・プラデーシュ州、連邦直轄地ラダックもこれに続いた。
そして3月9日前後になると、デリーやバンガロールなどを始めとして、学校が休校となるところが出てきて、他地域もこれに追従する。
3月10日にマニプルとミャンマーの国境が閉鎖となった。
3月11日には、インド国外にいるフランス,ドイツ,スペイン国籍者に対して,3月11日以前に発給した全てのヴィザが無効となった。すでにこの時点でインドと世界各地を結ぶ国際線は大幅に減便となっている。
3月12日には、外交,公用,国際連合及び国際機関,就労,プロジェクト査証を除く全ての査証の効力を4月15日まで停止との発表。ヴィザの種類を問わず、新規の発行は史実上停止されているため、新たに入国することは大変困難なものとなった
インドに在住・滞在中の者については、引き続きヴィザは有効で、出国した時点で無効となる。そのため在住者たちは、急な用事があってもインドを出ることができない状態にある。新たなヴィザ取得も現在のところ望み薄なので、インドに進出している企業は、大きな人事異動の時期なのに、交代が実施できない状態に。
3月19日,国際民間旅客航空便のインドへの着陸を3月22日から一週間停止すると発表した。(その後4月15日まで延長することが決定) 同日、モーディー首相は新型コロナウイルスに関して国民向けの演説を行い,その中で今後数週間の決意と自制を呼びかけるとともに,3月22日の午前7時から午後9時まで外出を禁止するJanata curfewを発表。
3月22日のJanata curfewの解除に引き続き、23日に日付が切り替わる深夜から、インドにおける主要な商業地域を含む各地で3月末までのロックダウンを発表。
3月24日,モーディー首相は新型コロナウイルスに関する演説を行い,25日0時から21日間,インド全土においてロックダウンを行うことを発表し,インドに居る全ての人々に対し,自宅又は滞在先に留まるよう呼びかけた。
国鉄は貨物列車を除く全ての列車の運行を停止。長距離バスも同様。市内交通もバス、メトロ等も操業を停止。
そうした状況下で、地方から都市部に出てきた出稼ぎの人たちは仕事がなくなり、かといって故郷に帰る手段もなくなった。住処を追い出された人もあり、食事を手に入れる現金もない人たちも。
そんな状況下で、都市部の行政、NGO、宗教団体による炊き出し等が実施されるとともに、閉鎖中の学校施設をナイトシェルターとして彼らを収容する動きも。難民化した労働者たちの扱いに手を焼いたデリー政府は、特別バスを仕立てて、彼らをUP州やビハール州などの故郷に送還しようとするが、そうした動きの中でのクラスター発生と自州での感染拡大を恐れる地元政府の反発も。
このような具合であるため、私自身は現在インドに滞在しているわけではないし、旅行しているわけでもない。目下、インドは旅行できる環境にはなく、「ロックダウンがどんな具合か」と興味本位で訪問するべきではないし、インドに居住してなすべき業務、そこで守るべき家庭があるのでなければ、逗留すべきでもない。
よって、今後しばらくは、私がこのindo.toで取り上げるインドは、新型コロナウイルス感染症が広まる前のものであり、今の状況のインドへの訪問や滞在を勧めるものではない。
あくまでも平常時のインドの魅力、興味深さ、楽しさなどを伝えたいがゆえの内容である。
インドの人たちにとっても、私たちインドの外の人たちも、今は未知の新型ウイルスという共通の相手と闘っている。
しばらく時間がかかるだろう。どのくらいの期間が必要とされるのか、想像もつかない。だがみんなが心を合わせて感染拡大に努めていれば、きっと私たち人間がウイルスを克服することができるだろう。そう信じたい。
そしてすっかり事態が終息して、世界中で人々の往来がまた自由になったとき、まず最初にインドを訪問して旧交を温め、美味しいものをたくさん食べて、存分にインドを愉しみたいものだと思う。その時は必ずやってくる。夜の闇がどんなに暗くとも、朝は必ずやってくるのだから。



ご神木がここまで来ると、もはやお寺である。
屋根が作られてプージャーリー(司祭)まで鎮座している。
たいした出世ぶりだ。
だがこのあたりがご神木の限界でもある。
道路脇のこうした小さなお寺の類が、門や敷地を構えた寺院にまで発展した例は知らない。
このあたりまでは、地域の人たちの思い入れや成行きなどで実現するのだが、寺院となると時の有力者がカネ、コネとパワーでドカン!と建立するものだからだ。
そうは言っても、これはこれで神々しい。
豪華絢爛な寺院であれ、こうした街路樹上がりのご神木であれ、そこに投影されてきるのは
同じ神である。そうした目に見える象徴を通して、人々ははるか彼方にある神を拝しているのである。
〈続く〉


木のたもとに基壇が作られ、人々が集って魂が宿った。
その結果、像が置かれて神性を帯び、やがて祭壇となった好例。
ここまでくると、もはやただのご神木や祭壇ではなく、ちょっとした規模の寺院に相当しそうなパワースポット。
それだけに鎮座する神々もシヴァ神ご一家という豪華さで、大変美しく仕上げてある。
私もお賽銭を差し上げて、お参りすることにした。
〈続く〉


道端の木がこうなると、しめたものだ。
根元にコンクリートの基壇がしつらえてある。広告が描かれているのは少々気になるが、まあ良しとしておこう。何がしめたものかと言えば、この木の今後の「出世」だ。
人々がここに座ってくつろぐ。昼寝する人も出てくるだろう。
人々が集うようになり、魂みたいなものがこもってくると、小さな神像を置いたり、赤いティーカーをほどこしたりして、少し神性を帯びてくる。神像の足元にお布施の硬貨やわずかばかりの献花を見かけるようにもなるはずだ。
やがて屋根の付いた祠を誰がしが寄進し、少額紙幣が複数置いてあったり、きれいなマーラー(数珠繋ぎにしたキク科の花)のを目にするようになる。もはやここまでくると、立派にご神木に化けたと言える。

この先になると、いつしかちゃんとした小さな建物が出来上がるかもしれない。どこからやってきたのかプージャーリー(祭司)が常駐するようになり、祠の祭儀の一切を取り仕切るようになる。今の忙しい時代とはいえ、まだまだそういう発展を見せることは少なくない。
〈続く〉



カルカッタの朝で外せないのは、やはりラールバーザール地区の中華朝市もそうだが、そこから歩いて5分程度のところにあるナコーダー・マスジッド向かいのスーフィヤー・レストラン。
ここはビーフアイテムが充実しているため、ランチあるいはディナータイムにも来てみたいのだが、これまで早朝の散歩のときにしか立ち寄ったことがない。





新型コロナ騒動に影に隠れて、あまり国際的に報じられていないが、1985年以来、デリーにおける最大規模と言われる暴動が起きた。先月下旬のことである。
1985年の暴動とは、言うまでもないが当時のインディラー・ガーンディーが自宅でスィク教徒の護衛に射殺された事件への反応として発生した大規模な反スィク教徒暴動のこと。犠牲者を沢山出したスィクコミュニティの中で、この事件をきっかけとして「信仰はスィクだが散髪し、ひげも剃る」という人たちが増えたとも言う。
デリー北東部、主にヤムナー河の東側にあるカジューリー・カース、ゴーグルプリー、マウジプル、ジョーティ・ナガル、カルダムプリーといったあたりが、その暴力の吹きすさぶ地となった。暴徒により、居住しているムスリムの人々への大がかりな攻撃が行われた。
CAA(改定市民法)、NRC(国民登録簿)の問題と反対運動は、当初ヒンドゥー至上主義的な政策vs世俗主義の対立であったが、いつの間にかヒンドゥーvsムスリムというコミュナルな対立にすり替えられてしまったかのようだ。
この暴動の際、先のデリー準州議会選挙勝利により、2期続いて政権を担うことになった庶民党(AAP)のイスラーム教徒の活動家が、ムスリム側の暴徒の一味として、自宅にたくさんの武器を隠匿していたとして逮捕された。
これに対して党主のアルヴィンド・ケージリーワル他の指導部は関与を否定するとともに対応に追われたが、この「活動家」とは、比較的最近になってから庶民党に加わったらしく、対立する陣営から送り込まれた工作活動家では?という疑惑がある。
こうした暴動の際、「事前にターゲットとなるムスリム所有の建物に目印が記されていた」とか「暴徒を率いるリーダーらしき者に地元の協力者が『この店はムスリム』、『こちらの店はヒンドゥー』」と案内していたとかいう話がまことしやかに流れるが、真偽のほどはよくわからない。
個々の民家の場合は掲げられている標札の名前で居住者の信仰は判るし、地域的な属性さえも明らか(主にUPからパンジャーブにかけてのジャート、ベンガーリーのムスリム、ヒマーチャルのブラーフマン等々)なことが少なくないが、ビルや商店となると必ずしもそうではない。
そのため、明らかに特定のコミュニティがターゲットとするため事前工作や協力者による誘導があったとすれば、そうした選別は可能となるだろう。
リンク先記事中の一番下に掲載されている写真を見ていただきたい。
卍の印がついたヒンドゥーの家は無事であるらしいことを示しているのは、報道者の意図だろう。おそらくこの現場では、明白な選別が行われていたことを伝えたいのだと推測できる。
こうした暴動の最中にも、襲撃されそうになっていたムスリムの人たちを大勢、安全なエリアに避難させたというスィクの若者、近隣のムスリム家族を自宅にかくまったというヒンドゥー紳士などの話もテレビニュースで伝えられていたのは幸いではあった。
今回の暴動について、政治の関与についても言われているが、思い出すのはちょうど18年前の同じ時期に起きたグジャラート州での暴動。当時、同州のトップとその右腕は今の中央政府のそれとまったく同じコンビであった。これは単なる偶然か、それとも・・・。