ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: life

  • ペンタックスQマウントの超広角ズーム 「PENTAX-08 WIDE ZOOM」

    ペンタックスQマウントの超広角ズーム 「PENTAX-08 WIDE ZOOM」

    今年7月にペンタックスのQ7を購入してから、とても気に入って愛用している。旅行先にも日常生活でも常にカメラを携帯しているのだが、写真を仕事にしているわけではないので、それを持ち歩くのが苦になるようでは困る。かといって、撮影すること自体を楽しむことができないような「押すだけカメラ」なら要らない。

    近年、携帯電話の写真画質が向上してきたことから、安手のデジカメが市場に居所を失ってきており、デジタル一眼ブームも一服したことにより、「高級コンパクトデジカメ」のジャンルが充実してきているのは嬉しい。

    コンパクトデジカメの常として、レンズの焦点域に限りがあること、あまり広角から望遠までと撮影域を欲張ったモデルは画質やレンズのF値等で不利になってしまう。そんなわけで、コンパクトデジカメながらも一眼並みに幅広く使いまわせるものとなると、レンズ交換式という方向が導き出されることになるのは、最初から誰もが判っていた。

    そういう流れの中で、コンパクトデジカメとデジタル一眼の中間の需要を埋めるものとして、ミラーレス一眼が出てきたわけだが、これとて趣味で写真を楽しんでいる者が、常日頃からカバンの中に放り込んでおくにはかなり辛い。いくつかの交換レンズも一緒にとなると、写真が仕事ではないのでそれこそ不可能である。

    そんなところで、2011年8月にペンタックスQマウント機の初代モデルが出た際には、「まさにこういうカメラが欲しかった」と心躍ったものだ。この大きさであれば、複数の交換レンズとともにカバンに忍ばせておいても苦にならないからだ。当時はまだ初物であったこと、今でも決して豊富といえないレンズのバリエーションの関係もあり購入は見送った。

    その後、昨年10月に後継モデルのQ10が発売となった際にも、かなり心動かされるものがあったが、他に物入りがあったため買うことはなかったのだが、今年7月にセンサーサイズがやや大型化して焦点域がより広角側に寄った形でQ7が出てきたことから、ようやく手に入れた次第である。

    さて、このQマウントシリーズのレンズのラインナップは、このモデルの登場により8本目ということになるのだが、数千円から1万円弱程度の「トイレンズ」を除き、1万数千円台から2万円強といった程度という手軽な価格帯であったため、超広角ズームの発表がなされた際には、超広角というやや特殊なレンズであることを考慮しても、やはり廉価であることを期待していた。

    そして出てきた価格は45,000円前後であったことから、ちょっと迷うものがあった。ネットでの前評判もやはり価格について「高い」というものが多かった。それでもこれを購入したのは、現在私はペンタックスQ7をメインに利用していること、後ろに引けない場面や建物内等のスペースが限られたところなどで、有効に使えるレンズが欲しかったからに他ならない。

    店頭で、このレンズを装着したデモ機の液晶画面を覗いてみて、35mm換算で17.5mmの画角で写りこむ範囲の広さ、その割には歪みが想像以上に少なく調整されていること、撮影してみても周辺部の流れがこれまたよく抑えられていることなどが一目で判ったので、即購入することとなった。他のQマウントレンズよりも割高なのは超広角レンズであるがゆえに当然そうなるのだが、この価格に見合った性能を有しているようなので納得である。今後もっと使い倒して、他の機会に感想を述べたいと思う。

    あくまでもQ7を持っている方に限定(QやQ10の場合は広角端が21mm相当になるので「超広角」としてのインパクトがあまりない)ということになるのだが、このレンズの使い勝手は実に「買い」であり、入手して決して後悔することはないだろう。この類のレンズは通常ならばかなり大きくなるのだが、軽さと小ささを身上とするQマウントレンズだけに、わずか75g。決して邪魔にもならない。

    そんなわけで、買ったばかりのこのレンズで、東京のお茶の水にあるニコライ堂を試し撮りしてみた。

    ここ数日間は、ペンタックスのQ7で、こればかり常用することになりそうだ。

     

  • 北東インド振興は鉄道敷設から

    北東インド振興は鉄道敷設から

    掲載されたのが今年9月18日と、少々古いニュースで恐縮ながら、北東インドの未来を感じさせるこのような記事があった。

    NE to be linked to Trans-Asian Railway Network (The Assam Tribune)

    北東インドが81,000キロに及ぶTARN (Trans-Asian Railway Network)につながるのだという。具体的にはマニプル州都インパールからモレー/タムー国境(前者がインド側、後者がミャンマー側)までの118kmの鉄路を敷設する予定であるとのことだ。

    同様に、トリプラー州のジャワーハル・ナガルからコラーシブ/ダルローン国境(前者がインド側、後者がミャンマー側)に至るルートの提案もなされている。

    こうした計画や展望の成否についてはかなり流動的であることは言うまでもない。つまりミャンマーの好調な経済発展がこのまま継続するかどうか、そして両国のこの地域の政情について、とりあえず安定してきている状態が今後も続くかどうかというリスクがある。前者については、対立してきた先進諸国との関係改善により、内外から空前の投資ブームが起きていることから問題はないように思えるが、後者については不透明だ。

    鉄道ネットワーク建設により、インドとミャンマーの二国間というよりも、南アジアと東南アジアという異なる世界・経済圏を結ぶ架け橋となることが予想されるインド北東部とミャンマー西部だが、この地域で活動している両国の反政府勢力、つまり地元の民族主義活動グループにとって、こういう状況はどのように受け止められるのかといえば、一様ではないだろう。

    それぞれの勢力の思想・信条背景により、これを経済的地位向上の好機と捉えるケースもあれば、自国と隣国政府による新たな形の簒奪の陰謀であると判断するかもしれない。だがどちらにしてもあながち間違いではないだろう。これらの計画は、両国政府自身へのメリットという大所高所から見た判断があるがゆえのことであり、「辺境の地を経済的に潤すために隣国と鉄道を接続」などということがあるはずもない。しかしながらこのようなリンクが出来上がることにより、これまで後背地にあった土地が外界と物流・人流の動脈と繋がることにより、経済的に利するところは非常に大きい。

    これまでインド・ミャンマー国境では、表立って活発な人やモノの出入りはなかったがゆえに、それぞれがインド世界の東の果てとなり、ミャンマー世界の西の果てとなり、それぞれが「行き止まり」として機能していたがゆえに、その手前の地域は中央から見た「辺境」ということになっていた。

    だが、鉄道がこの地域を通じて両国をリンクすることになれば、南アジア地域と東南アジア地域の間でモノやヒトの行き来が活発になり、やがて大量輸送目的の道路建設にも繋がることだろう。このあたりの地域は、主に「通過するだけ」というケースも少なくないかもしれないが、それでもこれまでほとんど表立って存在しなかった商圏が出現することにより、ミャンマー西部やインド北東部のマイナーな地域が複数の「取引の中心」として勃興するということは当然の流れである。

    天然資源に恵まれたアッサムを除き、これといった産業もなく、観光振興に注力しようにも、反政府活動による政情・治安面での懸念、観光資源の乏しさ、アクセスの悪さなどが災いして、中央政府がたとえ北東地域の経済的自立を望んでも、なかなか実現できないジレンマがあった。

    ここにきて、ミャンマーブームは、隣国インドにとっても「自国の北東地域の振興と安定」という恩恵を与えることになりそうだ。 同様に、長年国内各地で内戦が続いてきたミャンマーにとっても、同国西部について同様の効果が期待できるものとなるだろう。

    これは、ミャンマーとの間だけに限った話ではない。インドのトリプラー州都アガルタラーから国境を越えた先のバーングラーデーシュの町アカウラーまでを繋ぐ予定がある。その距離は、わずか15kmに過ぎないが印パ分離以来、互いに分断されてしまっていた経済圏が鉄道を通じて限定的に再統合される可能性を秘めている。加えて、インドのトリプラー州南部のサブルームからバーングラーデーシュ随一の港湾都市チッタゴンを結ぶ計画もあり、インドとバーングラーデーシュが経済的により密な関係になることが大いに期待される。ミャンマーブームほどの規模ではないが、インドの東部地域の特定業界限定で、将来性を買っての「トリプラー州ブーム」が起きるのではないかとさえ思う。

    北東インドの振興と安定については、国境の先へと結ぶ鉄道敷設がカギを握っているといっても過言ではない。同時に、これまで辺境として位置しており、独自の伝統・文化を維持してきた地域が、それぞれ「インド化」「ビルマ化」されていくプロセスでもある。銃による侵略に対してはよく耐えて抵抗してきた民族や地域は枚挙にいとまがないが、札束と物欲の魅力に屈することのなかった人々の例についてはあまり聞いたことがない。

    加えて将来、インド北東部とミャンマー北西部を通じて、南アジアと東南アジアが経済的に緩やかに統合されていくことによる、文化的・社会的影響を受けるのは、その「緩衝地帯」でもあるこの境界地域である。これまでのような中央政府と地元民族の対立という図式だけでなく、相反する利害を共有する「国境のこちら側と向こう側」という図式も加わることになる。

    今後の進展に注目していきたい。

  • SIMフリーのiPhone発売

    SIMフリーのiPhone発売

    先日、日本のアップルストアでSIMフリーのiPhone (5Sならびに5C)の販売を開始した。

    これにより、日本で購入・使用しているiPhoneがジェイルブレイク等することなしに、アップルのサポートの範囲内で、SIMを差し換えて利用できるようになる。

    日本国内の新日本通信その他の格安SIMはもちろんのこと、海外のインドその他の国々で現地SIMを購入したうえで、日本国内で使っているのと基本的に同じ環境でそのまま使用できることのメリットは大きい。

    その他のスマートフォンにおいては、docomoの場合は自社で販売しているモデルについてSIM解除手数料3,150(消費税込)を支払えば、SIMフリー化してもらえる措置はあったものの決して安い出費ではない。そうして解除してみても、docomo以外のSIMを挿入するとテザリングは利用できない仕様になっていたりする制限があった。

    しかしながら先述の格安SIMはインターネットの通信速度が非常にスローであるし、かといって携帯電話各社は、基本的に通信回線契約とハンドセットの販売は抱き合わせになっているという不便がある。

    つまり新しいハンドセットを購入する際に「月々割」その他の名称で、毎月の通信料金から一定の金額を差し引くことにより、「実質ゼロ円で購入できます」などという形で消費者に対して回線契約あるいは更新時に新しい機種を購入するように「強要」しているからだ。

    もともと日本の携帯電話の通信料金はかなり割高に設定されており、そこからわざわざ本体価格を割り引いたように見せる姑息な手段ではあるものの、そうした月々の割引とやらが適用さそるのは、あくまでもハンドセットを回線契約ないしは更新と同時に購入した場合のみであり、自前のものを持ち込むと毎月の通信料金がずいぶん割高になってしまう。

    同様に契約期間満了時に、それまで使ってきたハンドセットをそのまま継続して使用するつもりであっても、その時点で購入時に与えられた月々の割引が終了してしまうため、再度ハンドセットを購入することにより、新しい契約期間内の月々の割引を適用してもらうようにしないと、これまた毎月の出費が大きくなってしまう。

    業界全体がそういう商習慣になっているため、アップルストアでSIMフリーのiPhoneが発売されたからといって、それが爆発的に売れるようになるとは思えない。従前からSIMフリー端末を海外で購入する人たちは多かったし、日本国内のユーザーに対して、香港などの現地価格とあまり変わらない価格で海外からSIMフリーのスマートフォンを手配する通信販売業者はあった。

    現状では、多くの場合、特定の機種を利用したいという場合、それがiPhoneであれ、ギャラクシーノートであれ、それらを販売している通信会社と契約しなくてはならない。こうした日本と同様の販売方法をとっている国は他にもあるとはいえ、多くは通信契約とハンドセットの購入は別々となるのが基本である。

    つまり自分が利用したい携帯電話機を購入したうえで、自分の都合に合った契約を通信会社と交わす。従来からの固定電話と同じことだ。

    インドのように、ポストペイド契約主体に頼るだけでは顧客を獲得することが困難な市場環境の国で普及している、基本料設定がなくて維持費が格安のプリペイド方式が日本にもあったならば(日本のキャリアにもプリペイドのプランはあることはあるが、あまり気軽に利用できるような内容ではない)、個人でも複数台所有することが容易になる。

    日本の携帯電話事情は、大手の携帯電話事業者自身とそれらと癒着した各メーカーの都合で動いており、ユーザーの利便性は置き去りにされている印象が強い。

    そういう意味では、中古携帯のマーケットが充実していて、中国その他の国々で製造された格安ハンドセットが普及しており、月々の基本料金なしで格安の維持費(通信料も世界最安級)で利用できるインドの携帯電話事情(中古ガラケー利用を前提とすると破格の安値)は、日本に比べてはるかに「ユーザーフレンドリー」度が高く、羨ましく思えてしまう。

  • 印パ分離のドキュメンタリー

    当時のものとしては珍しいカラー映像を交えた印パ分離時を取り上げた、BBCによるドキュメンタリー作品がある。

    Pakistan And India Partition 1947 – The Day India Burned (Youtube)

    この作品にところどころ挿入されるカラーの実写映像も同様にYoutubeで視聴できるようになっている。

    Very Rare Color Video of Indian Independence 1947 (Youtube)

    印パ分離により、双方からそれぞれムスリム、ヒンドゥーとスィクの住民たちが先祖代々住んできた故郷を離れて新たな祖国へと向かった。もちろん新国家のイデオロギーに感銘したり、賛同したりしてのことではなく、彼らが父祖の地に留まるのがあまりに危険になってしまったがゆえの逃避行である。双方から1450万人もの人々が移住を余儀なくさせられたとともに、移動の最中で暴徒の襲撃で命を落とした人々、両国の各地で発生したコミュナルな暴動による死者も数え切れない。

    恐らく人類の歴史上、かつてなかった規模の巨大な人口の移動であるとともに、最大級かつ最悪の宗教をベースにした対立であったといえる。この出来事が今も両国の人々の間で記憶され、家庭で子や孫に語り伝えられるとともに、両国間の問題が起きるたびにメディア等による報道等により、新しい世代もそれを疑似体験することになる。さらに悪いことに、往々にして両国の政治によって利用されることであることは言うまでもない。

    印パ分離は英国の陰謀か、ガーンディーの力及ばずの失敗か、ジンナーの成功かはともかく、政治が犯した罪は今も償われてはいない。カシミール問題も、印パ分離がなければ生じることはなかった。

    ヒンドゥーがマジョリティーの『世俗国家』の一部となって支配されることに対するアンチテーゼとして成立したムスリムがマジョリティーのイスラーム共和国パーキスターンが存在するということは、国防上の懸念が将来に渡って続くことを意味する。しかしながら分離がインドにもたらした恩恵があることも無視できない。

    現在のパーキスターンのバルチスターンの分離要求運動のような地域的な問題とは無縁でいられることはともかく、ムスリムがマジョリティーの地域ならではの、奥行と広がりがあり中央政界を揺るがすほどの規模の各種のイスラーム原理主義運動やアフガニスタンを巡る様々な問題と直接対峙する必要がないというメリットは非常に大きい。

    またパーキスターンの北西部のアフガニスタン国境地域のFATA(連邦直轄部族地域)のような連邦議会の立法権限が及ばない地域が存在することは、治安対策面でも大きな問題がある。

    独立以来、インドが一貫して民主主義国家としての運営がなされてきたのに対して、血を分けた兄弟であるパーキスターンは残念ながらそうではなかったのには、地理的・思想的背景があるように思えてならない。

    印パ分離はまぎれもない悲劇であり、現在の両国は今なおその傷が癒えているとはいえず、分離による代償を両国とも払い続けている。

    しかしながら現在、パーキスターンとインドが別々の国となっていることについては、少なくともインド側から見れば好都合である部分も決して少なくないことは否定できないことである。分離という大きな痛みからあと数年で70年にもなろうとしている今、これまでとは異なる視点から評価・検証する必要もあるように思う。

  • バーングラーデーシュ市場に販路を目論むユニクロ

    中国一辺倒であった生産拠点を他国への分散を図るユニクロがバーングラーデーシュでの製造に力を入れ始めるとともに、マイクロ・クレジットの成功で知られるグラーミーン銀行との提携で、現地会社グラーミーン・ユニクロを設立したのは2010年のこと。

    ユニクロのソーシャル・ビジネスという位置づけにて、地場産業から調達できる素材による現地請負業者が生産した製品を、現地の委託請負販売者が顧客に対面販売をするという形での取り組みがなされていたことは以前取り上げてみたとおり。

    Grameen UNIQLO (indo.to)

    おそらくこうした試みの中で、このビジネスがモノになるという確信を得たのであろう。ユニクロは同国で今後1年間に30店舗のオープンという目標を掲げるに至った。カジュアル衣料販売で世界第4位の同社が、ZARA、H&Mといったライバルを追い抜いて世界トップに躍り出ることを画策する同社の狙いは、これまで競合する他社が手を付けていない最貧国市場での大きなシェアの獲得である。

    11月17日(日)午後9時からNHKで「成長か、死か ~ユニクロ 40億人市場への賭け~」という番組が放送されていた。

    内容は近年の業界の勢力図とライバル各社の動向、そしてこれまでターゲットとしていなかった最貧国市場への進出と現地でのスタッフたちが格闘する日々、そして現地を代表するアパレル企業トップからユニクロへのアドバイス他といった具合だ。

    その中で、ユニクロが展開するカジュアル衣料は現地の女性たちにあまり受け入れられず、今年7月にオープンした第1号店ではあまりに女性客への売れ行きが芳しくないので、急遽地元のバーザールからシャルワール・カミーズを調達して店舗で販売するといった一幕、女性スタッフが現地の女性たちのお宅を訪問してクローゼットの中を見せてもらったら、誰もがほとんどサーリーやシャルワール・カミーズ以外の服をほとんど持っていないことに驚くなどといった場面があったが、いくら何でもこのあたりの事情については事前のリサーチで判っているはずの基本的な事柄なので、何らかの作為のあるヤラセのストーリーなのではないかと思った。

    いずれにしても、今回の路線転換により、「ソーシャル・ビジネスです」と、トーンを抑えていた同国での市場展開が、「ビジネスそのものが目的です」という本音を剥き出しにした市場獲得へのダッシュとなったことは注目に値する。最貧国市場への浸透といってもこれが意味するところの地域は世界中各地に広がっているが、バーングラーデーシュは、人口は1億6千万人に迫ろうかという巨大な規模であるにもかかわらず、国土の面積は北海道の2倍弱という地理的なコンパクトにまとまっているという魅力があり、今後同業他社や異業種の企業等の進出も期待されている中、ユニクロの進出が呼び水となり、同国のマーケットとしての魅力がこれまでよりも大きく取り沙汰されるようになるのだろう。

    こうした番組について、以前であれば「再放送されることを期待しよう」などとするしかなかったのだが、最近のNHKはウェブでのオンデマンド放送も実施しているので、興味関心のある方は視聴されることをお勧めしたい。本来は有料だが、まだアクセスしたことがなければ無料でお試し視聴もできるようになっているようだ。

    成長か、死か ~ユニクロ 40億人市場への賭け~ (NHKオンデマンド)

  • Campa Cola

    Campa Cola

    1990年代初頭に始まったインド経済の本格的な対外開放に踏み切るまで、インドのソフトドリンク市場の中のコーラの類の分野では、Thums Upとともに国内市場を二分してきたブランド、Campa Cola。

    れっきとした民主主義国家ながらも、経済政策面では社会主義的な手法を取り入れた「混合経済」として知られていたインドの経済産業界では、特に基幹産業部分に国営企業や国家の強い指導と統制の下で経済活動を行なう財閥が中核となっていた。

    それに拍車がかかったのは、独立運動以来の「スワーデーシー志向」により、外資に対する規制も厳しかった。初代首相ネールーが親ソ的な政治家であったこともあるとともに、当時の指導者たちが総体的に(今から見れば)左寄りであったこともあり、経済とは国が統制すべきものであった。

    幸か不幸か、それに拍車がかかったのはネールーの娘、インディラー・ガーンディーが首相の座にあった時代(1966-1977、1980-1984)で、金融その他の部門で急進的な国有化政策が実施された。

    清涼飲料のコカコーラが存在せず、独自ブランドのCampa Colaが販売されていた時代のインドは、まさに「マッチ棒から人工衛星まで」といった具合の「自力更生」型の経済体制時代にあり、そこを訪れる人の多くが「外界と隔絶した独自の世界」にいることを感じたことだろう。

    その時期の世界において、いわゆる東側の世界の多くは、国家が決めた方針に基づく計画経済が実施されており、社会のあらゆる分野において統制が厳しく、国外の人々が自由に行き来したり、滞在を楽しんだりできるような体制ではなかった。国によっては国民による自国内の自由な往来さえも制限が敷かれているようなところも少なくなかった。

    経済が国家による厳しい管理と統制下にあった国々の中で、インドの政治体制はそれとは裏腹に民主的に運営されており、国外からの人々の往来には寛容であった。経済開放前にはインドへの国外からの投資は今とは較べようもなく少なかったし、駐在その他で在住している外国人の数も非常に少なかった。それでも観光目的で訪れる人々は多かったことは特筆できるだろう。

    他国と比較して格安に過ごすことができることやドラッグ類の入手が容易であったことなどもあり、1960年代から70年代にかけては、長期滞在するヒッピーが多く、ゴアやマナーリーあたりでは彼らの存在が社会問題化したこともあったが、そうした人々を強権で排除するようなこともなく、またヒッピーという存在が西欧社会から消えてしまってからも、しばらくの間はインドのそうした場所では彼らのライフスタイルを受け継いだかのような「亡霊」が彷徨っていたのは、やはりインドという社会の懐の深さゆえだろうか。

    話はCampa Colaに戻る。外界から隔絶した社会の独自路線のコーラであったかのように言われることも多かったが、実はそうとも言えない。このコーラを製造販売してきたPure Drinks Groupは、1950年代から提携先のCoca Colaをインドで製造販売してきた企業であり、1978年にCoca Colaがインドから撤退するにあたり、Coca Colaブランドと同社のレシピを使用することができなくなり、独自のCampa Colaブランドと自前のレシピでの製造販売に切り替えたという経緯があるからだ。

    外国の主要なメーカーやブランドの参入がなかった1980年代は、Campa Colaブランドが燦然と輝いた時代であったといえる。街中を走る車両のほとんどがアンバサダーやパドミニーといった旧態依然の「クラシックカー」ばかりで、トラックも大昔からのボンネット型、バスもヨソの国とは違ったこれまた苔むしたような感じの車両ばかり走っていた時代、当時はほぼ世界中どこに行っても見かけるはずであったCoca Colaが見当たらず、それとちょっと似て非なるCampa Colaの看板や味わいを前にして、それはもう相当なエキゾシズムを感じたということは想像に難くないだろう。

    1990年代初頭に始まった経済開放政策により、清涼飲料の分野でインドにいち早く上陸してきたのはペプシであった。当初は外資の出資比率と外国ブランドの使用についての制限があったため、インド参入初期はLEHAR PEPSIという名前で製造販売されていた。

    当時の地場ブランドのCampa ColaもThums Upも今の標準的なサイズよりもかなり小さい180 cc入りのボトルで販売されていたのに対して、アメリカからやってきたPEPSIは250 cc入りであったため、本場感覚と量の多さによる割安感もあり、一気にシェアを拡大したようだ。Campa Cola陣営は、当初「味わいは量に勝る」などと、負け惜しみのような広告を打っていたこともあったが、Campa Colaを含めた地場ブランドはまもなくボトルを大型化して増量に踏み切ることとなった。当時のメディアは、こうした地場資本コーラとペプシの攻防を「コーラ戦争」と表現していた。

    だが1993年にCoca Colaが満を持してインド市場に復帰したことにより、Campa Colaの命運が尽きたと言えるだろう。ある程度年齢を重ねた人ならば、Campa ColaはCoca Colaが1978年に撤退したことを受けての代替品であったことを知っているし、そうした背景を知らない若者たちにとっては、見慣れているけれども垢抜けない地場コーラと較べて、華やかなCMや広告による宣伝とともに登場したアメリカ製品がとても眩しく感じられたことだろう。

    その後、コーラ戦争の最終的な勝者はグローバル・プレーヤーのCoca ColaとPEPSIとなったことはご存知のとおり。だが皮肉なもので、Coca Cola社に買収された地場コーラThums Upやレモン風味ソフトドリンクのLimcaは、その後も一定の存在感があるのとは対照的に、暖簾を守ったPure Drinks Groupは、かつての栄華は見る影もない。

  • ミャンマーの国内線フライト ネット予約とEチケット発行が可能に

    ミャンマーの国内線フライト ネット予約とEチケット発行が可能に

    クレジットカードによる支払いとEチケット発行ができるようになった!

    このところ、インドのお隣のミャンマーを巡る様々な動きは実に目まぐるしく変化しているが、旅行事情も同様である。

    従前は、基本的にクレジットカードは使用できなかった。ヤンゴンのような大都市の一部の外資系高級ホテルではカードによる支払いは可能であったようだが、実際の決済は国外でなされる形であったため、厳密に言うとミャンマー国内での支払いということにはならなかったようだ。もちろんその分、割高になってしまうのは言うまでもない。

    そんな具合であったので、ミャンマー到着前に国内線のフライトを押さえようという場合、同国内の旅行代理店に依頼して予約を取ってもらう必要があった。代金は現地に到着してから航空券と引き換えであったり、代理店がミャンマー国外に持っている銀行口座に振り込むという具合であったりした。

    筆者が幾度か利用した旅行代理店の場合、ミャンマーに到着してから米ドル現金払いであったが、先方にとっては決して小さくないリスクを負う取引きであったはずだ。

    フライトを依頼した人がちゃんと約束の日時に現れなかったりしたら、そのチケット代金は代理店自身が被ることになってしまう。世の中にはいろんな人がいるので、もともと行く気がないのにいたずらで予約を依頼したり、あるいは突発的な理由により予定直前にミャンマーを訪れることができなくなり、代理店で発券後であるにもかかわらず、放置してしまったりするような人もいるのではないかと思う。

    いっぽう、利用者側にしてみると、旅行代理店に対して搭乗したいフライトについて、電子メールで自分の目的地、日程、希望の時間等々を伝えて、予約が確定するまでの間に、おそらく数往復のメールがあることだろう。その間に数日間はみておかなくてはならないので面倒であるとともに、急に思い立って訪問という場合にはなかなか難しい。加えて現地での航空券の受け取りという手間もある。平日の昼間に到着する便で、受け取りが空港であればいいかもしれないが、夕方以降であったり、週末であったりすると、別料金というケースも少なくないようだ。

    他の多くの国々の場合は搭乗を考えている航空会社のウェブサイトあるいはskyscannerその他の予約サイトで簡単に席が確保できてしまうのと較べるとずいぶんな手間である。

    そんな事情も、ミャンマーでクレジットカードの決済が可能となったことにより、大きく変化した。今のところ国内線航空会社により対応は様々かもしれないが、エア・バガンはカードによる支払いにより、即時Eチケット発行という形になっている。間もなく他社のサイトも同様に整備されることだろう。

    航空券の事前予約と同様に、ミャンマー旅行において不便であったことのひとつのお金の事柄もある。観光地の入域料や宿泊費の支払いが基本的にはドル払いであったことだ。これにより、小額紙幣を含めた米ドル現金をかなり多量に持ち歩く必要があった。

    だが、これについても変化の兆しはあった。「ミャンマーブーム」の今年前半ならびにと昨年同時期の訪問で、場所によっては現地通貨チャット払いの選択もできたことである。それが今では、すべての場所についての適用かどうかよくわからないが、入域料はチャット払いとなっている。

    ミャンマー、各観光地の外国人入域料、現地通貨チャットでの支払いに (Travel Vision)

    外貨による支払いとなっていたのは、同国の外貨事情が逼迫していることによるものであったため、現在のように外国からの投資がブームとなると、当然の帰結として必要度が下がる。また、言うまでもないことだが、現金を扱う出納上でも現地通貨のほうが都合がよいことはもちろんのことだ。

    先述のクレジットカードのことはもとより、トラベラーズチェックも基本的に使用できなかったミャンマーだが、これについては経済制裁により、欧米先進国等との金融ネットワークから遮断されていたことが理由である。制裁を加えていた側との関係改善により、様々な方面での規制が廃止されたり、大幅に緩和されたりしている。

    日本から持参したカードでATMから現地通貨で引き下ろすこともできるようになっているため、従前のようにミャンマーで両替するお金はすべて米ドル現金で持参という不用心なこともしなくてよくなってきている。

    VISAカード、ミャンマーでATM取引開始 (ミャンマービジネスニュース)

    国内の様々な少数民族と政府の間で続いてきた紛争も、このところ和解が進んでいることから、外国人が入域することすらできなかった地域も次第に訪問が可能となってくると、新たな見どころが「発見」されていくことになることが予想される。

    そうした地域は同国の周縁部に多いため、やがては大手を振って陸路で行き来できる地点も出てくるはず。タイやマレーシアはもちろんのこと、インドの北東部とも長い国境を接しているため、東南アジアからインドへ陸路で抜けることが可能になるのもそう遠い未来のことではないだろう。

    経済制裁により孤立していたことにより、ちょっと特殊であったミャンマーの旅行事情だが、今後加速がついてどんどん「普通の国」となっていく方向にある。

    目下、ミャンマーをめぐる様々なニュースから目が離せない。

  • 観光は平和と安定の呼び水

    観光は平和と安定の呼び水

    中華人民共和国国家旅游局のインドにおける出先機関である中国駐新徳里旅游辦事処(China Tourism)をニューデリーのチャナキャプリに構えている。

    インドにおける対中不信感は根強く、しかもそれを風化させないようにと中国側が努めているかのように、ときおりインド領内への中国軍の侵入があったり、その他両国間の領土問題に関する挑発的な発言や行為があったりする。

    そんなこともあってか、中国の公の機関としての活動は控えめなのかもしれない。だが、やはり90年代以降、インドでとどまることなく高まり続ける旅行に対する意欲は、インドから多くの旅行者たちを国内各地はもちろん、国外にも送り出してきている。

    こうした分野で集客を現場で牽引しているのは、インドにあっても中国にあっても民間の力である。インドからの年間に1,400万人ほどの出国者たちの中から、中国を訪問している人たちの規模はすでに60万人を突破している。これに対して、出国者の規模は8,000万人を超えている中国からインドを訪れる人たちは10万人強ということだ。

    これらの数字には観光と業務を区別していないため、このうちどのくらいの人たちが観光目的なのかは判然としない。だが、かつてない規模で人々の行き来がある中、観光先でたまたま出会ったのがきっかけで知己となったり、仕事で協力関係にあったりなどといった具合に個人的な付き合いも増えていることだろう。中国からみたインドという国のイメージはもちろんのこと、インドにおける中国の印象も、個々のレベルではかなり異なったものとなっていくはずだ。

    国家という往々にして傲慢かつ身勝手な組織が、自分たちの側と相手側との間に不信感や緊張感があるからといって、それぞれの国に所属する市民たちが自らの国家に迎合して相手側を適視する必要などない。高い文化や資質を持つ両国の人たちが、平和に共存することは、互いの安全保障上でこのうえなく大切なことであるとともに、その「平和」と「安定」の恩恵は東アジアのさらに東端にある私たちにも与えられることは言うまでもない。

    「観光」の多くは物見遊山に終始することだろう。それでも体験と記憶はそれを経験した人の心の中に長く残るとともに、訪問地への「また訪れてみたいな」憧憬というポジティヴなイメージを形成する。また、観光がきっかけでその国に留学したり、仕事絡みで関わってみたりという形で、その土地への関与を深めていく人たちも少なくない。

    観光とは、単に産業としてのみならず、安定と平和の呼び水という側面にも注目すべきであると私は考えている。

  • FRONTLINE インド映画100年記念号

    FRONTLINE インド映画100年記念号

    「前線」という名前どおり、思い切り左傾した隔週刊のニュース雑誌。いつも読み応えのある硬派な内容だが、前号(2013年10月18日号)の特集は「インド映画100年」であった。ここで取り上げるのが少々遅くなってしまって恐縮ながらも、iPadやandroidのアプリmagzterからバックナンバーとして購入できるのでご容赦願いたい。

    深い洞察眼で物事を徹底的に分析する「しつこいニュース雑誌」が全誌面150数ページのほとんどを費やしての総力特集を組んだだけに、とても濃い内容の記事がズラリと並んでいる。

    ノスタルジアや憧れといった感情抜きに、社会学的な見地、言語学的な見地から見た映画事情、昨今の映画検閲の実情について、映画の周辺産業、ボードー語(アッサム州のボードー族の言葉)のようなマイノリティ言語による作品等々、「映画雑誌には出来ない映画特集」で、まさにフロントライン誌でしか読むことのできないものだ。

    インドの映画界に関心を持つ者にとってはマストなアイテムと言って間違いない。うっかり買いそびれることがないように!と呼びかけたいところだが、幸いなことにmagzterならばいつでも購入できる。電子媒体なので在庫切れなどということもない。

    ずいぶん便利な時代になったものだと思う。

  • Namaste Bollywood  Mook Sutra Vol.4  はじめてのボリウッド

    Namaste Bollywood Mook Sutra Vol.4 はじめてのボリウッド

    今年の夏、かつて一緒にヒンディーを勉強したドイツ人の旧友と、デリーで久々に顔を合わせて一緒に飲みに出かけた。彼はジャーナリストとして南アジア関係のニュース等を精力的に書いてきた人だが、現在はロンドンに在住。

    その彼が言うには、「ロンドンはいいところだよ。誰が暮らしても自分がマイノリティであることをあまり意識しないね。いろんな人々がゴチャまぜに暮らしているから。ドイツではこうはいかないな。それに映画館では最新のボリウッド映画が当たり前に鑑賞できるとなれば、来てみたいと思うだろ?」

    彼曰く、観客の大半は南アジア系の人々だそうだが、昔々の宗主国の首都は今でもインドとの間の心理的な距離は近いのかもしれない。ボリウッドをはじめとするインドの大衆娯楽映画の普及の背景には、往々にして文化的・民族的なインフラの下地の存在の有無が大きいということは否定できない。

    ところで、ハリウッドに代表されるアメリカの映画の場合は、普遍性が高く、民族性も薄いものととらえられているのではないだろうか。こうした映画が文化圏を越えて広く鑑賞されるのには、世界に浸透している同国の政治・経済・文化の影響というインフラがあるためとみて間違いないだろう。これがフランス映画、イタリア映画となると、まだグローバル性はあるものの、かなり民族色や地域色が濃くなってくるといえるかもしれない。

    ここからさらに日本映画、韓国映画となるとずいぶん事情が異なってくる。あくまでも日本の映画、韓国の映画ということで、それぞれの国外の人たちにとって、自分たちの世界とは違う異文化世界の物語ということになる。

    ボリウッド映画は、といえばどちらとも少し事情が異なる。隣国パーキスターンのように、あるいはネパールその他の南アジア各国、つまり広義のインド文化圏にある国々の人々にとっては遠い異国の話ではない。加えて世界中に散らばるインド系移民が多くすんでいる地域でも、こうした映画の文化背景は決して遠く離れた世界のことではないだろう。

    東南アジア地域に視点を移すと、タミル系住民の多いマレーシアではタミル映画が各地のシアターで公開されており、反対にマレーシアのタミル系住民の規模とは比較にならないほど人口規模は小さいが、北インド系移民の多いタイやミャンマーで劇場公開されるインド映画はボリウッド作品という事情に鑑みても、現地にそれなりの人口規模で在住するインド系の人々の出自による影響は無視できないものがあるようだ。

    今思えば、90年代の日本で突如沸き起こった「インド映画ブーム」は何だったのだろう。一般的に市井の人たちの間にインドで製作された作品に対する興味や認識があったわけではない。つまりそれを受け容れるインフラも何もないまっさらな下地であった。少々意地悪な解釈をすれば、ある意図を持った仕掛け人たちが自らの描いた路線で、わずかに存在していた愛好家やその道に通じている人たちを都合よく利用してキャンペーンを張った結果の産物であったといえる。

    「自分たちがこれまで親しんできた映画とはずいぶん異なる異次元世界」といったスタンスで、「歌って踊ってハッピーエンド」という紋切り型のワンパターン作品群という前提での取り上げ方であった。そこでは、貧しい庶民が苦しい日常を忘れてつかの間の喜びを見出す場であるなどといういい加減な言質がまかり通り、幾多のメディアによるそうしたスタンスで日本の読者や視聴者たちにそうした印象を与える扱いが相次いでいた。

    それまでインド発の娯楽映画がほとんど未知の世界であった日本の観衆は、そうした仕掛け人たちの意図する方向へと容易に誘導されてしまうこととなったのはご存知のとおり。その結果、ヘンな映画、笑える映画といったキワモノの扱いで、ストーリーは単純でコトバが判らなくても楽しめるなどといった、ひどく安っぽいレッテルが貼られることになってしまった。

    文化的な面を尊重する姿勢は見当たらず、「上から目線」でリスペクトの感情さえ欠如した負のイメージだけが残ることになり、その「ブーム」当然の帰結として一過性のものとなってしまう。当時のブームを知る世代の間では今も「歌と踊りのハッピーエンドのアレね・・・」という認識が根強く残っているようだ。

    インドの娯楽映画に対する理解や普及といった面に限れば、当時刷り込まれた負のイメージの影響が、同国からの映画の日本での普及、とりわけそのインド映画の華といえるボリウッド作品の日本市場への浸透を妨げる要因のひとつとなっていることは否定できず、個人的にはあのような形でのブームはなかったほうが良かったのではないかとさえ思っている。とりわけ現在のボリウッド映画はかつてない幅広いバリエーションの作品群を抱えているだけに非常に残念なことである。

    もっとも、当時のブームでインド発の映画作品に触れる機会を持ったことにより、一部ではインドへの留学や舞踊等の伝統文化の習得を目指して渡航する人たちが増えたり、あるいはビジネスでインドと関わりを持ったりする人々が出てきたというプラス面もあったようだ。

    前置きが長くなってしまったが本題に入ろう。おなじみNamaste BollywoodのMook Sutraシリーズ第4弾の「はじめてのボリウッド」では、巻頭にて「ボリウッド(梵林)の定義とは」と題して、インド映画の中におけるボリウッド映画の位置づけを示したうえで、この偉大なる娯楽映画の世界を包括的に紹介している。

    「梵辞林」という記事では昨今活躍している俳優や女優たちが取り上げられている。こうした企画は他の書籍でもときどきあったが、時代とともに移ろうものなので、ときどきこうして今の時代に旬な出演者たちを確認しておくといい。同様に大切な音楽監督たちやプレイバックシンガーたちついても代表作とともに紹介されており、このあたりをよく把握しておくことで、ボリウッド映画鑑賞の楽しみの奥行きも広がること必至だ。

    その他、サルマーン・カーンのブレスレットのような細かな演出、ボリウッド映画のマーケティング戦略等々、この世界にまつわる様々な事柄について言及されている。これらの知識もボリウッドを理解するために大切なファクターである。

    またボリウッド映画をめぐり、日本で流布する不可思議な都市伝説についての検証もなされており、これで汚名返上となることを期待せずにはいられない。

    今年で2回目となるIFFJ (Indian Film Festival Japan)の開催や時折日本国内でも時折ボリウッドの秀作がロードショー公開されるようになるなどといった、ボリウッドをはじめとするインドの映画を愛する関係者の方々の努力により、これからは上映される作品に対して正当な評価が与えられて普及していくことを願いたい。

    ごく一部の例外を除き、私たちの日常にはインドの文化・民族的なインフラがほとんど存在していないという不利な点はあるものの、それとは反対にボリウッド映画をはじめとするインドの映画の裾野の広さがそれをカバーして、日本の人々が自分たちの日常を忘れて異国の夢の世界に遊ぶ愉しみを見つける手助けをしてくれるのではないかという気もしている。

    豊かなボリウッド映画世界への案内書として、ぜひともこの一冊をお勧めしたいと思う。お求め先については以下をご参照願いたい。

    vol.4「はじめてのボリウッド」好評発売中! (Namaste Bollywood)

  • Namaste Bollywood #37

    Namaste Bollywood #37

    Namaste Bollywood #37

    ナマステ・ボリウッド第37号の特集はIFFJ(Indian Film Festival Japan)。目下開催中のこの映画祭は東京・埼玉・大阪の3会場にて進行中で、会期はそれぞれ10月11日(金)~18日(金)、10月12日(土)~14日(月)、10月19日(土)~25日(金)となっている。見応えのある作品が目白押しで、できることならば会期中ずっと入り浸っていたい。

    チケットは1回券が1500円、3回券が3000円となっているため、会期中に3回単位で鑑賞する、あるいは複数人数で押しかけるとお得となるようになっている。

    今回のIFFJで上映される作品のひとつ、Chalo Dilliでラーラー・ダッターとともに主役を演じるヴィナイ・パータクといえば、もはや名優の域に達している素晴らしい役者だが、この映画祭初日には会場に姿を見せていたようだ。ちなみにこの作品は来年1月14日から日本で正式に公開される予定。ヒーローものでもアクションものでもないが、コミカルな役柄とともに幅広く懐深い彼の演技をひとたび目にしたならば、誰もが魅了されるはず。

    その他、今回のIFFJで上映されるわけではないが、インドのディワーリーのタイミングで公開される大作についても触れられており、Krrish 3やDhoom 3など、いつか日本で公開される日がやってくることをぜひ期待したい。

    その他、特別企画「インド舞踊を語る」、そして「カタックを語る」といった舞踊に関する記事、ボリウッドDVD、ボリウッド映画に関する書籍の情報等々、ファンにとっては欠かすことのできない情報に満ちている。

    ボリウッド映画は、大きな娯楽だが、これを鑑賞していくにつれて、スクリーンの背景にある文化や伝統といったものもチラチラと見え隠れしていることから、語学以外の面からも、インドを学ぶには格好の素材でもある。公開される作品には、製作時のインドの世相も色濃く反映されており、これをフォローしていくには日々発信されるインドのニュース、もちろんインドのメディアが伝える政治経済、映画関係ニュースはもちろんのこと、雑多な三面記事にも日頃からよく目を通しておくと、作品の内容にもよるが製作者の意図やメッセージが鮮明に見えてくることが少なくない。

    楽しい娯楽でありながらも、その背後にあるものの奥行きの深さもまた、このボリウッド世界の豊かな魅力である。

  • 旅先にPC持参不要となるか・・・?

    旅先にPC持参不要となるか・・・?

    AQUOS PAD SH-08E用にBluetoothのキーボードを購入してみた。

    旅行先で日記を書いたり、ネットを利用したりするためにいつもノートPCを持ち歩いているのだが、いくら小型のものであっても、ちゃんと両手で普通に文字を入力できるものとなると、それなりのサイズにはなってしまう。

    旅行先に限らず、日常でも何か気が付いたことを書き留めたり、メモしたりするためにキングジムのポメラの購入を考えたこともあったが、結局購入することはなかった。ネットとの連携ができないとあまり魅力を感じないからである。

    7インチのタブレットPCと無線接続したキーボードを並べてみると、ちょうどそのポメラみたいな感じになる。画面はパソコンよりもかなり小さくはなるものの、日記その他を書いたりする程度ならば充分実用に耐えるだろう。

    _

    ただしキーボードについては、「かな入力」を前提で考えると、選択できるモデルにかなり制約があることに気が付いた。なぜならば、多くの持ち運び用のコンパクトなキーボードの場合、小型化するためにかな入力の際の「ろ」「む」「-」にあたるキーが省略されているからだ。そうしたモデルの場合、確かにかな打ちはできるのだが、それら三文字がどうしても出てこなくなる。

    売り場の人に尋ねてみると、日本語入力の際にかな打ちよりもローマ字打ちを選好する人のほうが多いため、往々にして「ローマ字入力を前提」としてこのようなコンパクトなキーボードが製造されているとのこと。

    私自身は、英文を作成する場合はローマ字入力であるのは当然としても、日本語の場合は「かな入力」を常用することにしている。なぜならば、ローマ字入力の場合は明らかに打鍵数が倍近くなってしまうため、文章作成速度に差が出てしまうためだ。かな入力であればなんとか「人がしゃべるのと同じ程度」の速度で入力できいても、私のスピードではローマ字入力の場合はとてもそのような具合にはいかない。もちろん打鍵数が多くなるので疲れるということもある。

    折りたたみキーボードは、スペースキーが中央で左右に割れているので多少の慣れが必要であること、私が購入したモデルは一応「ろ」「む」「-」は備えているのだが、スペースの関係で妙な場所にあるため、こちらも同様に最初は少々戸惑いがある。だがしばらくするとすっかり馴染んでしまうので、大した問題ではない。

    だがもっとも気になっていたのはアンドロイド上で利用できるオフィスソフトの出来具合である。これまであまり縁がなかったのでよく知らなかったのだが、ウィンドウズでもある程度普及している中国企業による「KINGSOFTオフィス」はなかなかちゃんとしていて感心した。

    ファイル形式は基本的にMicrosoftのオフィスシリーズと同様の形式なので、双方でファイルを共用できるようになっている。またクラウドとの連携も良好で、通常はローカルで文章等を作成しておき、必要に応じて3G回線ないしはwifiを利用できればクラウドにバックアップを取ることができる。当然、クラウド上に保存した資料等を参照することもできる。便利な時代になったものだ。

    電話とパソコンとガイドブック等がひとまとめに出来て、荷物の軽量化に寄与するところ大であると思う。盗難に気を付けるのはもちろんのことだが、同様にバッテリー切れももう注意だ。給電事情の良くないところではちょっとキビシイこともあるかもしれない。もちろんそれ以上に故障でもしたらまったくお手上げとなる。やはりデータ等はいくつかに分散してバックアップしておくことが肝要だろう。

    さて、スマホ兼タブレット+Bluetoothキーボードで、外出時や旅行先でのノートPCが不要となるか、しばらく様子を見てみようと思う。