ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: travel

  • MAJNU KA TILLA

    MAJNU KA TILLA

    デリーのカシミーリー・ゲートから北の方角、ヤムナ河とアウター・リングロードに挟まれた部分に、チベット難民たちの定住地として有名なマジヌー・カー・ティッラーと呼ばれる地域がある。デリー・メトロのヴィダーン・サバー駅を降りたところから、この場所を往復している乗合オートリクシャーを利用することができる。

    オートを降りて、歩道橋で道路を越えた先がこの場所。沢山のタルチョがかかっていたり、チベット旗が建物にかかっていたりすることから、いかにもチベット人居住区という感じがする。

    チベット人地区の入口
    チベット仏教寺院
    非常に狭い路地。こうした建物は違法建築ということになるのだろう。

    最後にここを訪れたのは、もう十数年も前のこととなっているので、着いてしばらく歩いてみても、ここが同じ場所であるとはとても信じられなかった。建物の背が高くなり、空が非常に狭くなっているためもあるだろうし、洒落た店が増えているためでもあるかもしれない。もちろん、ずいぶん前のことであるがゆえに、私の記憶自体が変質してしまっているということも考えられるが、それら全てが合わさった結果、「とてもどこだか判らない」という具合に感じられるのかもしれない。

    狭い路地の多いオールドデリー地区にあっても、あまりに狭く、くねくねと曲がり、道幅が少し広くなったり、極端に狭まったりしている頭上に高い建物がそびえている様子から察するに、このあたりのビルの多くは典型的な違法建築なのだろう。近年はさらに上階を建て増ししたりして、この有様にさらに拍車がかかっているのではないだろうか。

    路地にはインド人の姿も少なくないが、チベット人たちがやはり多い。さきほどこちらに渡る歩道橋には路地には仏具の店があったりして、チベット文化圏のラダックのレーに戻ってきたような気さえする。中国からの麺その他の食品の輸入品が食料品店の店頭に並べられているのも目にする。

    実に久しぶりに来てみたということもあるし、すでに昼前になっているが、まだ朝食を済ませていないため、レストランに入ってみることにした。月並みではあるが、ギャトクとモモを注文して、かなり待たされたものの大変おいしかった。

    ハウズカース・ヴィレッジにあってもおかしくないようないい感じのレストランやチベット関係のグッズの気の利いた店もあって、なかなか楽しい。また、このあたりにはゲストハウスがいくつもあり、外国人の姿もままあることから、滞在している人たちもあるのではないかと思う。両替所もあるので特に不便はないことだろう。今度デリーに来たときには、ここで滞在してみるのもいいのではないかと思う。

  • mcleodganj.com

    唐突ながら、ダラムサラのマックロードガンジの道路がきれいになるそうだ。

    McLeod Ganj to get world-class roads

    インド国外に住んでいる人はもちろんのこと、インド国内にあっても当のマックロードガンジの住民以外にとってはどうでもいいニュースではある。

    しかしながらこのマックロードガンジは、チベット亡命政府が本拠地としており、ダライラマ猊下も居を構える土地であることから、このmcleodganj.comからのニュースにとりわけ関心を持つ人々は世界中に数多いはず。

    地域の動向を伝えるメディアであり、観光案内であり、ボランティアを募ったり、求人情報を出したりする場でもある。いわばダラムサラのポータルサイトということになるのだろう。

    同ウェブサイト内からリンクされているMcLeod Ganj Shopは丁寧に作り込まれているが、本体であるmcleodganj.comのサイト上段にあるリンクメニューが空白であることがちょっと気にかかる。

    このサイトで取り上げている内容からして、チベット亡命社会の人々が運営しているものであるらしいことが判るのだが、こうした広告料を取って宣伝させる、つまり収入を上げる部分が機能していかないと、継続・発展させていくことは容易ではないだろう。こちらが心配するまでもなく、ウェブ上ではなく、地元の社会関係・人間関係で、きちんと収支の帳尻を合わせる算段があれば良いのだが。

    なかなか面白い試みであるがゆえに、なんとか踏んばってもらいたいものだ。

  • Tune Hotels

    Tune Hotels

    Tune Hotelsというホテルグループがある。エアアジア系列で、航空会社のほうと同じく「ノンフリル」を標榜している。本拠地はマレーシアだが、現在同国を含めて8か国45か所で操業している。

    Tune Hotels (日本語サイト)

    市街地の便利な立地で高級ホテル並みの客室を安価に提供というのがコンセプトのようだが、削減できるサービスは大きくカットして宿泊客を受け入れるというビジネスモデルのようだが、同ホテルグループのウェブサイトのオプションのページをご参照願いたい。

    エアコン、テレビ、タオル、洗面具、インターネット接続、ドライヤー、清掃や客室金庫も有料となる。暑い国や暑い時期のエアコンはともかく、これらの多くはなくてもさほど支障はないかと思うが、かなり目新しいやりかたである。

    ただし、LCCの航空会社の場合は、既存の航空会社に対して強い価格競争力を持つだけではなく、鉄道やバスではなく飛行機を選択するというケースは多くあっても、宿泊施設の場合は、他のホテルからお客を収奪することはあっても、さほどの存在感を示すことができるかどうかはよくわからない。

    それでも、こうした新興勢力が伸長してくると、既存の宿泊施設の中でも価格面で渡り合えるようにするために、同じようなノーフリルの路線を採るところも出てくることだろう。今に「シャワーは有料」というホテルを見かける日が来るかもしれない。Tune Hotelsではもちろん無料だが。

    日本ではまだ沖縄県の那覇市に1軒あるのみだが、今後は他の地域にも進出してくることを当然画策しているであろうし、もちろん東京や大阪といったコアとなる都市へすでに進出を決めているのかもしれない。

    Tune Hotels Ahmedabad

    インドにもグジャラート州のアーメダーバードにあり、適当な日付を入れて検索してみると、以下のような料金が表示される。

    Standard Single  Single Room (1 Single Size Bed) INR 1,500

    Executive Single  Double Room (1 Double Bed) INR 2,200

    Executive Double  Executive Double (1 double bed + 1 single bed) INR 2,900

    Family Room  Family Room (2 Queen Beds) INR 3,800

    おそらく同じような価格帯のホテルに比較すると高いヴァリュー感のある客室が用意されているのではないかと思う。このチェーンのホテルはまだ利用したことがないのだが、機会があれば宿泊してみて、感想を述べてみたいと思う。

  • Lonely Planet Myanmar (Burma) 第12版

    Lonely Planet Myanmar (Burma) 第12版

    Lonely Planet Myanmar (Burma)

    今年7月にロンリープラネット「ミャンマー」の改訂版が発売されている。

    このところ政治・経済の分野で大変注目されるようになったことから、これまでにない速度で変化していっている国だが、同様に旅行事情についても情報がすぐに古くなってしまうようになった。

    たとえば両替ひとつとっても、ほんの数年前までは闇両替しかなかったものだが、今ではメジャーなところには店やブースを構えた両替商があり、そうしたところでは米ドル以外の主要通貨も扱うようになっている。

    ごく当たり前のことがまったく当たり前ではなかったこの国では、ネット事情も同様で、外国のニュースサイトやウェブメールが普通に使えるようになるなんて、2010年の総選挙前の軍政時代には考えられなかったことだ。

    人々の装いも同様で、老若男女問わず、都市部でもロンジー(腰布)姿ばかりであったのは、まるで遠い昔のことのような気がするが、実はそんなことはない。

    目次を覗いてみると、紹介されている地域に大きな変化はないようだが、観光目的でも訪れる人たちが急増していることから、魅力的な場所が新たに発見されていることであろうし、これによって情報源も多くなったことから、中身がより充実していくのは自然なことだ。

    政治や治安等の理由から、まだ外国人が訪れることが許されていないエリアも多いこの国だが、各地の軍閥との和解も進展していることから、現在はオフリミットであっても、今後私たちが訪問可能となるところも出てくることだろう。

    個人的に楽しみにしているのは、ミャンマー北西部からインド東北部に抜けるルートがオープンする日。アセアン諸国と南アジアを繋ぐ動脈としての道路建設、ナガランドからミャンマー側へと繋がる鉄道建設などといった計画があることから、ミャンマー側にしてもインド側にしても、あまり経済的には利用価値のない辺境の地であったところが、交易や人の往来によって潤う地域へと変貌する日が遠からずやってくるようだ。

    辺境であるがゆえ、あまり外から干渉されることなく受け継がれてきたものがあり、それが変化とともに失われていくというのは残念な気がするものの、その変化によって新たに生み出されてくるものもまたある。

    これまで時計の針が止まっていたかのように見えたところが、今度は弾みのついた車輪のように勢い良く回り出す。そんな躍動する現代を目の当たりにするとともに、そのダイナミズムを体感することができれば幸いである。

  • ラダック・マラソン

    9月14日(日)にラダック・マラソンが開催される。種目は以下のとおりである。

    •07 KM Race

    •Half Marathon

    •Marathon

    •The Khardungla Challenge

    特筆すべきは上記の中の四つ目のThe Khardungla Challengeで、レーの町から「クルマで通ることが出来る世界最高地の峠とされる海抜5,602m (海抜5,359mとする説もある)を折り返し地点とする往復72kmのスパルタンな長距離レースである。

    マラソンのウェブサイトにあるとおり、第1回目の開催であった一昨年の参加者は1,500名、昨年は2,000名を数えるようになっているとのことで、この大会が次第に盛り上がりを見せているようだ。

    この大会の様子をYoutubeやUstreamのような動画配信サイトで中継してくれるとありがたいのだが、今のところそうした動きはないようだ。もっとも現地の通信環境を思えば、こればかりは仕方ないことかもしれない。

     

  • Google Earthで眺めるストック・カングリー

    Google Earthで眺めるストック・カングリー

    ストック・カングリー峰

    レーの町の旅行代理店で「ストック・カングリー登頂ツアー」の貼り紙をよく見かける。標高6,153mで、インドの「highest trekable mountain」ということになっている。

    町の旅行代理店でツアー募集しているくらいなので、技術的に難しくはない登山ということになっており、毎年シーズンには相当数の人たちが登頂している。一般的なのものは、レーからの行き帰りも含めて4日間ほどのものだ。2日目の晩に頂上アタックのためのベースキャンプに泊まり、3日目に日付が変わってから直ちに登頂に向けてスタートするということなので、レーの海抜が3,500m程度であること、短い日程を合わせると、高度順応はそう容易ではないように思われる。

    もちろん実際に登るのと、Google Earthで眺めるのとでは大違いであるに違いないが、少なくとも地形だけは「このような感じなのかな」という把握はできるのではないだろうか。

    高いところに弱い(酸素の薄いところは苦手)な私ではあるが、今度ぜひ挑戦してみたいと思っている。

    秀峰ストック・カングリー
    ストックの村の背後にそびえるストック・カングリー峰
    ストックの村
    ストックの村を縦断する川沿いに北上
    右手背後の大きな山がストック・カングリー峰
    村からのルート
    勾配はかなり急なのだろう。
    雪を被った部分が見えてくる。
    背後にはこんな眺め
    このあたりまで来るとかなり寒いことだろう。
    背後はストック・カングリー峰
    画面左手は雪渓のように見えるが、おそらく氷河だろう。
    実物はどんなに美しいことか。
    頂上はこんな具合らしい。
    頂上からストックの村の方面(画面右下)を見下ろした感じ

     

  • ミャンマーのe-visa運用開始

    今年4月に「ミャンマーのEヴィザ」と題して取り上げてみたことがあったが、ついに今年9月から運用が始まるようだ。

    この関係の情報は、在日ミャンマー大使館の正式なウェブサイトにはまだ掲載されていないのだが同大使館のFacebookページに情報がアップされている。

    e-visaについては、こちらから申請手続きをするようになっており、料金の支払いはクレジットカードで行なうことになる。経済制裁解除前には利用できなかったカード支払いだが、現在では急速に普及しているため、ミャンマー国内線予約も含めて、ずいぶん便利になったものだと思う。

    どなたか早速利用された方があれば、ご感想を伺いたいものである。

  • Google Earthで眺めるトレッキングルート

    Google Earthで眺めるトレッキングルート

    ラダックに限ったことではないが、ガイドブックにトレッキングのルートが掲載されていても、地図だけでは具体的なイメージが沸かないことは少なくない。とりわけ山の地図を見慣れた人でもなければ、具体的な景色をイメージすることは、あまり簡単ではない。だからこそ、実際に歩いてみると発見や感動があるとも言えるかもしれない。

    それでも、事前にどのような場所であるのかが判ると、限られた時間を最大限有効に楽しむ手助けになることだろうし、実際に歩いてみる際の参考になることは間違いない。

    概ね、山岳部のgoogle earth画像は、都市部と異なり、地表の詳細な様子や建物の具合まではよくわからない。それでもおおまかな地形以上のさまざまな情報が参照できるのは便利だ。周囲の緑の分布、高低差、集落の有無などその他の環境についてガイドブック内の地図に比べて相当な具体性があるため、非常に判りやすい。

    地域全体を俯瞰することができるため、地域間の位置関係や、ルート上から見える山の背後の様子などを把握することができるなど、実際に歩くよりも判りやすい部分さえある。携帯の電波が届かないので無理だが、これが歩きながら確認できるとなおさらのこと楽しいのではなかろうか。

    たとえ電波が届かず歩いている最中に参照できなくても、ルートの要所要所を画像にてスマホに保存しておいたり、プリントアウトしておいたりすると、役に立つこともあるだろうし、いろいろ楽しめるはず。同じルート上で、夏の時期と冬の時期など、異なる季節の画像を対照させてみるのもまた興味深いだろう。

    以下、このたび歩いてみたズィンチェンからチリンへのルートの画像を掲載してみることにする。

    出発地点のズィンチェン
    今回のルートは画面左上から右下へと抜けるルート
    ズィンチェンからしばらく登ってルムバクに至る
    ズィンチェンからルムバクに到着するとこんな風な眺め。川の合流点に白いテント(夏の時期のトレッカー用の食堂)が見える。
    ズィンチェンからさらに進むとユルツェに到着
    ユルツェの村。ラダックの画像は粗く、地表が平面化されてしまうので家屋は消失する。
    ガンダ・ラ・ベースキャンプ付近
    ユルツェ側から見たガンダ・ラ
    北側のアングルから眺めるガンダ・ラ
    ガンダ・ラの峠の向こうの景色
    ここを下るとシンゴの村
    画面中央のやや下はシンゴの村
    シンゴの村から先の風景
    突き当りの川の手前はスキュウの村
    スキュウの村から左折(画面上部へのルート)はマルカー渓谷
    マルカー渓谷トレッキングルートの反対方向はカヤーの村
    縁豊かなカヤーの村
    今回のトレッキング終点のチリンはザンスカール河に面している。現在は画面上部中央に橋が架かっている。

     

  • ズィンチェンからチリンへ 5

    ズィンチェンからチリンへ 5

    今朝もまた、日の出とともに目が覚めて、爽やかな気分である。しばらく庭で周囲の景色を眺めていると、家のおばさんが呼びに来てくれた。

    「朝ごはんできましたよ~!」

    ガイドのS君とともに家の中に戻り、トースト、ジャム、バターと紅茶の朝食をいただく。席の背後の窓際にホームステイ受入についての通達文書があるのが目に入った。発信元はYOUTH ASSOCIATION FOR CONSERVATION 6 DEVELOPMENT IN HEMIS HIGH ALTITUDE NATIONAL PARK, LEH, LADAKHという組織である。

    これによると、ホームステイ受入れに当たっての食事について、夕食、朝食、そして昼食用として宿泊者に持たせるものなどが定められており、宿泊料金は食事込みで800RS (昨年までは500RS)であり、トレッカーを案内するガイドの場合はこれが無料であることなどが示されている。

    こうしたことがきちんと徹底するようになっているということは、たとえクルマが入ってくることのできない寒村であっても連絡が行き届くようになっていることがよくわかる。また、お客に提供する食事の内容はもちろんのこと、この村のようにお客の受入れが輪番制となっている場合、何代も同じ村で暮らし続けている同士の間柄ということもあり、他を出し抜いたりということをすることもまずないのだろう。

    ホームステイ先を出てから1時間ほど歩くとチリンに出る。ザンスカール河に面しているが、ここでは橋の建設中で、ごく狭く人が渡れる程度の鉄板だけは敷いてある上を、ちょっとスリリングな気持ちで渡る。これからマルカー渓谷に行く人たちの荷物を手動のゴンドラで川の向こうからこちらに渡している。これからマルカーに行く若者たちのグループが川で石投げなどをしている。英語のアクセントと、石の投げ方がクリケット方式なのでイギリス人であるとわかる。

    しばらく待っていると、レーに戻るための旅行代理店差し回しのクルマがやってきた。レーからズィンチェンに行ったときと同じ運転手がクルマに乗ってやってきた。これで今回の短いトレッキングは終わりだ。ラダックのトレッキングの良いところは、雨季でもそうひどい雨にたたられることはないであろうこと、蚊やヒルなどがいないことである。(ただしインダス河沿いでも低いところに行くと蚊はいるらしいが・・・)

    そして、クルマが来ることのできない村の様子は、街道沿いの村とはまた違った、時間を遡ったような趣があるし、豊かな自然に触れることもできて楽しい。

    他にもラダックにはトレッキングのルートがいろいろあるが、簡単な地図を眺めているだけではイメージが沸かないかもしれないが、今はGoogle Earthでかなり具体的な視覚情報を得ることができる。これについてはまた後日触れてみることにしたい。

    旅行代理店差し回しのクルマでレーに戻る途中で通過するザンスカール河(左)とインダス河(右)の合流点。両者の水の色が異なるのが判る。

    <完>

  • ズィンチェンからチリンへ 4

    ズィンチェンからチリンへ 4

    朝5時半くらいに目が覚めた。まだ外は明るくなりきっていないが、もうすでに家の人たちは、宿泊客たちの朝食や持たせる昼食の支度を始めている。さすがに村で唯一のホームステイ先であるため、彼らは実に手慣れたものである。手際よく次々にローティー、ゆで卵、ゆでジャガイモをアルミホイルに包んでいく。

    午前7時前には朝食の準備も出来上がる。パンとジャム、バター、そして紅茶である。次々に宿泊客たちが居間に入ってきて、ガイドを含めて20数名の人々が一斉に食事をする様子は壮観でさえある。昨日の昼食、夕食の際もそうだが、食べることに夢中になってしまい、こうした場面の撮影をしておかなかったことは少々悔やまれる。

    出発!

    さて、8時にここを出発。半時間ほど歩いた先にはガンダ・ラ・ベースキャンプがあり、そこで小休止してるチャーイを啜る。

    ガンダ・ラ・ベースキャンプ付近
    雲の間から垣間見るストク・カングリー峰

    しばらくすると傾斜が少しきつくなってくる。高度も上がってくるため、途中で3回ほど小休止を入れて、ガンダ・ラという峠を目指す。そこが今回の山歩きの最も高い地点である。ベースキャンプからは、昨夜のホームステイ先で一緒だったバルセロナから来たスペイン人カップルとそのガイドと同行する形になっている。

    このあたりまで来ると地面に這いつくばって生える地味な植物ばかり。
    ヤクの放牧地
    子犬ほどの大きさのマーモット

    上へ、上へと登るにつれて、下の景色もさらによく見えるようになってきた。途中ではヤクの放牧を目にしたし、ぬいぐるみのような可愛らしいマーモットも目にした。齧歯類の動物だが、子犬ほどの大きさがあり、動きはあまり敏捷ではなく、危険を察知すると穴の中に逃げ込むようである。このあたりで生えている草木も、いかにも高山植物といった風情で、背が低く、横に広がる形で生育するものが多い。このあたりはヤクの放牧も行なわれている。

    ガンダ・ラの峠手前の勾配。山肌の色合いも様々で、地質学的にも興味深いところなのではないかと思う。
    あと一息でガンダ・ラの峠
    海抜4,900mのガンダ・ラの峠。もっと上に登って写真でも撮ろうという元気な人たちの姿も。
    マルカー渓谷のトレッキング需要の物資を運ぶ馬の隊列

    今日も朝から曇りがちだが、ときおり晴れ間が見えると歩いている間は半袖姿になりたくなるが、陽が陰るとやはり上着が必要となり、今のように雨が降り出すとその上にレインコートを着ていても寒いくらいだ。

    ここから先はゆるやかな下りとなるため、惰性でそのまま歩き続けるような感じで楽だ。しばらく歩いてから遠くに見えてきたのはシンゴという村。そこに到着してから、テント食堂で小休止する。チャーイを注文して、今朝出発したホームステイ先で持たされた昼食を食べる。雨は長く降り続くことはなく、食事を始めるころにはすっかり止んでいた。日干し煉瓦で造った家屋に暮らす人々の乾燥した大地だけに、強い雨が長く降り続けることはまずないのだろう。

    シンゴの村の家屋

    シンゴの村の後は、しばらく歩くと比較的開けた景色から、深い谷間となる。同じ川沿いでひと続きの土地であるが、人が生活していくために水は不可欠なので、こうした地域で集落が存在するのはやはり川沿いということになる。

    ブルーシープの群れ

    ブルーシープの群れがいた。ガイドのS君は実に目が良くて、こういう動物や鳥などをいとも簡単に見つけてくれる。ブルーシープはほとんど断崖のようなところを平気で降りたり登ったりする。実に身軽であるが、たぶん滑落するケースも中にはあるのではないだろうか。

    紫色や青色の山肌はどうやって出来るのか?
    木々がほとんどないので地層の褶曲がよく見えるラダックだが、捻じれがこのように弾けたものも時々目にする。

    さらに岩ゴツゴツのところを下ってから、スキューを経て、カヤーの村に着いた。スキューでは食堂でしばらく小休止してゴンパを見学。なんでも、スキューの村に宿泊できるのはそこからマルカー渓谷に行く人たちだけで、チリンに抜ける人たちはカヤーの村に宿泊しなければならないことになっているそうだ。こうして村人たちが宿泊客たちを分け合う構造になっている。

    スキューの村

    スキューの村からカヤーの村は近いのだが、そのカヤーで宿泊できるところは輪番制になっていて、こちらが自由に選択することはできないことになっているとのこと。そんなわけで、「当番の家」を探し当ててそこに宿泊することになるのだが、最初間違えて訪れた先の家はいい感じであったが、残念ながらその日に私たちが宿泊することはできず、来た道を少し引き返したり、戻ったりしながらやっと探し当てることができた。

    家屋や生活に関わる状況がそれぞれ異なる村人たちが、平等に宿泊客たちを泊める機会を分け合うというとはいいのだが、逆に利用する側としては、自由に選択することができないのは困るのである。その家で受け入れる宿泊客は初めてであるとのことで歓迎してくれたのだが、正直なところ先に間違えて訪れた家のほうが居心地の良さそうな広間があったりして良かったな、と思ったりする。

    夕飯には野菜のスープとラダック式のマントウのようなものを出してもらい、とてもおいしく頂いた。

    カヤーの村のホームステイ先での夕飯

    <続く>

     

  • ズィンチェンからチリンへ 3

    ズィンチェンからチリンへ 3

    ユルツェの村のホームステイ先に到着したのはちょうど昼食の時間帯であった。このタイミングで午後はもうすることがないというのはもったいない気がするので、できればもっと先まで歩きたかったのだが、ルート上の宿泊可能な場所と時間配分の関係でこうなるらしい。

    家の上階の広間に宿泊客たちが集まって食事をしているのだが、あまりに大勢であるためびっくりした。ここに来るまでに見かけた同方向に歩いている人たちは、チェンナイから来たインド人の若者4人連れのみであったのだが。

    伝統的な造りの居間にはラダック式の小さなテーブルと座布団が窓際に並んでいる。そして金属製の食器類が棚に「これでもか!」と飾られており、いかにもチベット文化圏に来たという感じがする。こうした佇まいを自宅に欲しいと思ったことがあるのだが、今もその気持ちは変わらない。

    とりあえず昼食にはありつくことができたが、部屋はすでに満室であるとのこと。居間で寝ることになったので、夜は寒いからキッチン(伝統的なラダック式のキッチン)脇のスペースを陣取っておくといいよ、というガイドのS君のアドバイスに従う。

    ホームステイ先の家の屋上

    まだ、午後の早い時間帯であるのだが、海抜3,900mにあり、谷間であるため高山からの冷たい風が吹き下ろしてくるため非常に寒い。家屋から見た川の対岸部分には雪が残っていたりもする。少し散歩に出てから戻り、ラダック式の座席、つまり横長の座布団の上でしばらく昼寝。窓は閉まっており、半袖シャツの上に長袖シャツ、そしてライトダウンまで着込んでいるものの、寒くて仕方ない。本日の天気は曇りがちだ。時々雨がぱらつくと非常に冷え込む。

    かなり大きな家で、遠目にはゴンパかと思ったくらいなのだが、もともとはかなり裕福であつたのかもしれない。ここで暮らす家族は4、5人くらいしかいないようだ。ここの家の子供たちは皆、レーやチャンディーガルなどの学校に出ており、両親が切り盛りして仕送りしているという。だがシーズンには泊められるだけ泊めているので、相当な収入が上がるらしい。

    夕方5時過ぎくらいからは夕食の準備が始まる。実に手慣れた様子で大量の食材を調理していく。夕食が始まるのは午後7時からで、宿泊客たちに供されたのはダールとサブズィーとご飯。宿泊客たちがどんどん集まってきて、どかどかとお代わりしながら腹いっぱい食べる。トレッカーたちを連れてきたガイドの人たちは給仕の手伝いをしている。ゆえに宿泊客たちは往々にして誰がここの家の人で、誰がガイドなのかわからなかったりもする。

    同宿の人たちの中に、若いアメリカ人カップルがいるが、この人たちはイラクのクルディスターンにある大学で英語を教えているという。ISISの侵攻により戦火が迫っている地域を除けば、クルド人自治区内の治安は保たれているそうだ。大学では学生はアラブ人は少数派で、大半がクルド人であるとのこと。私のような外国人にとって、ラダックの村での滞在自体がとても貴重なものであるが、そうした空間が実に国際色豊かな場であるというのも面白い。

    賑やかに食事をしていると、欧州系の若い人たちのグループが到着した。チェコからの人たちであった。本日、私が同行するはずであったポーランドの人といい、チェコの人たちといい、以前は旅行者としてこのあたりを訪れている姿を見かけることのなかった国の人たちも多くやってくるようになっている。より多くの人たちが、インドの魅力、そしてラダックの素晴らしいところを体験できるようになっていることは喜ばしい。

    電気は来ていないが、家の屋上に設置されている太陽電池で室内のぼんやりした照明程度をまかなうことができている。腹一杯になると眠くなってきた。ちょっと横になってしまうとそのまま深い眠りに落ちてしまった。

    <続く>

     

  • ズィンチェンからチリンへ2

    ズィンチェンからチリンへ2

    ユルツェの村でのホームステイ先

    ラダック人ガイドのS君は24歳で、現在ナーグプルの大学で体育学を専攻しているとのこと。学部の最終学年に在籍しているそうだが、年齢からして途中で少々遠回りしたのだろう。毎月、ラダックの両親から仕送りをしてもらっているとのことだが、生活していくために必要な金額に届かないこと、親の負担を軽減するという目的もあり、大学が休みの夏の時期にはガイドをしている。

    ラダックでトレッキングガイドといえば、このように地元出身の大学生が休みの時期に稼ぐために従事しているというケースはよくあるようだ。ちょうど学校が休みである時期とトレッカーが多い時期が重なることもあって非常に具合が良いらしい。

    また、S君は陸路でスリナガル経由でラダックに帰省する際に、レーその他でレンタル用に供されるバイクの陸送の手伝いもしたそうだ。「ツーリング気分も楽しめるし、小遣い稼ぎにもなるので良かった」とのこと。

    ナーグプルでは大学の寮に暮らしているそうだが、同郷ラダックの学生たちが数人いるので、順番に料理をしているとのこと。「インド料理は脂っこいし、僕らにはあまり合わない」ので、主に故郷の料理を食べているということだ。

    大学卒業後の夢は、レーで旅行代理店を開くことだという。ラダックではこれといった産業がないため、それなりに安定した生活を営むためには、概ね公務員、軍関係、そして観光業ということになるのだろう。

    <続く>