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カテゴリー: travel

  • モーティハーリーへ

    モーティハーリーへ

    パトナーの宿で、朝5時あたりで腹具合が良くなくて目覚めた。嫌だなと思ったら、やはり腹を下しており、再び寝てから7時くらいに起きるともう大変なことになっている。今日はバス移動なので思いやられる。

    こういうときにはてきめんに効いてくれるインド製の黄色い大きめの下痢止めがいい。Nflox-TZという商品名で、どこの薬局にも置いてあるが、これまでもしばしばこの薬に救われてきた。私はこれを「救世主」と呼んでいる。これで少し落ち着いてから、食事を抜けば、バス乗車中に窮地に陥ることはないだろう。

    9時くらいまで部屋で様子を見てから、ホテルから徒歩でバトナ―駅の反対側に出る。そこから乗合オートでバススタンドへ。バススタンドはやたらと広大なのだが、建物はなく、バスも無数に滅茶苦茶に停車しているので、一見するとどこに行けばいいやらよくわからない。それでも当事者たちにとってはちゃんと整理されている?ようで、モーティハーリー行きのバスはすぐに見つかった。

    モーティハーリー行きバスに乗車

    モーティハーリーは、これといって見どころがありそうな町ではないのだが、「1984」や「ビルマの日々」等で知られる英国人作家、ジョージ・オーウェルの生家があるところだ。植民地官僚の父親の元に生まれた彼は、長じてからは同じく英領であったビルマ(現ミャンマー)の警察官となった。父親は、オピウムを取り扱う政府機関で働いていた。当時はインドにおける合法的な作物で、主に中国(および東南アジア方面)へ輸出されていた。これを背景としてアヘン戦争が勃発することとなったのは、よく知られているところだ。その生家が現存していること、これが博物館となっっていることを最近知ったため、せっかくビハールに来たので、ついでに立ち寄ってみようと思った次第である。

    モーティハーリーまでの距離は160kmほどだが、到着したのは2時半くらい、いや3時近くなっていた。サイクルリクシャーで、ロンリープラネットに書かれているゲストハウスに向かう。部屋を見せてもらい、荷物を置いて早速ジョージ・オーウェル博物館に行くつもりであった。しかし、チェックインでIDを提示するように言われて、パスポートを出すと、なんと外国人は泊めることができないとのこと。

    ガイドブック(2015年後半に出たLonely Planetの最新版)に掲載されているではないか、というと、「それが、2カ月くらい前から許可を更新できなくなっていて・・・」などと言う。とにかく泊めればお金になるので、これは本当のことなのだろう。その「許可」とやらをどうやって取得するシステムになっているのか知らないが。

    そんなわけで、宿も手あたり次第当たってみた、なるべく高そうなところ、といってもせいぜい800Rsくらいまでしかないようだが、どれもダメ。安い割には感じのいい宿もあったので残念である。以前、アッサム州都グワーハーティーなどでもこんなケースはあったが、こういうケースは少し上のクラスの宿ならば問題なく宿泊できるものなのだが、特に見どころもない田舎町なので、これよりも下はあっても、よりアップマーケットのところは無いようだった。

    宿探しでそうこうしているうちに、通常の博物館が閉まる時間になってしまった。これはいけない。明日の朝に見学するという手もあるが、そもそも宿泊できるところがなければ、明日の見学はあり得ない。するとここに居る理由はないし、宿泊できなくて困るので、鉄道駅に行ってこの町を出ることにした。あるいは役人が出張等で利用するサーキットハウス(もしあれば・・・) を当たってみるとか、「民泊」を画策するとかいうことも考えられるのだが、ここでの見学を本日中に済ませることができないと、今後予定している訪問先がいろいろある。せっかくモーティハーリーまで来たのに、という思いもあるが、スキップしてしまうことにした。

    ゴーラクプル方面には直行するバスはなく、ベーティヤーという州境に比較的近い交通の要衝と思われる町で乗り換えると行けるようなことを聞いた。もう夜になることだし、下痢は止まっているものの腹具合の不安もあるので、乗り換えなしで、トイレも心配もいらない鉄道がいい。ネットで参照してみると、ちょうどこの時間帯にゴーラクプル行きの各駅停車がある。急行は夜9時頃まで待つことになるので、乗車時間は長くなるのだが各駅停車で行くことにした。

    鉄道駅に行く。列車は遅れているとのことで、想定していた列車よりも一本前のものに間に合うらしい。

  • インド国鉄に関する便利なウェブサイト

    インド国鉄に関する便利なウェブサイト

    国鉄が発行しているTRAINS AT A GLANCEには、主だったルートの列車は網羅されているので便利だ。

    しかしながら比較的短い距離を移動する際、急行列車が停車しない駅から移動する場合など、各駅停車の情報が欲しいということも多々あることだろう。そうした場合に参照できるサイトはいくつかあるのだが、最も活用しやすいと思われるのが、etrain.infoだ。

    乗車駅と下車駅を入れてみよう

    利用可能な列車が表示される。

    長距離移動の場合でも役に立つのはもちろんだが、とりわけ直通列車がない場合には有用だ。接続可能な経由地が提示されて、出発地から目的地までのルート、列車名、経由地から先の列車名などを例示してくれる。

    これらふたつの駅には直通する列車はないが・・・。

    利用できる経由地が表示される。これらをクリックすると先に進むことができる。

    さらに嬉しいことに、列車の編成も表示されるため、予約した車両が先頭の機関車から何両目に接続されるかについても表示される。下の例示した列車の場合はともかく、もっと長大な大型編成の急行で、しかも停車時間が短い駅から乗車する場合には助かることだろう。(当然のことながら実際に駅でも再度確認しておいたほうが良いことは言うまでもない。)

    利用する列車番号を入れると車両編成が表示される。

    予約した列車が満席で、WL(Waiting List)あるいは、RAC(Reserve Against Cancellation)であった場合に、現状どうなっているのかPNRを入力して確認できるのはもちろんのことだが、もうひとつ、このサイトで非常に便利な機能がある。画面左側のTrain Route / Running Statusというところ任意の列車番号を入れると、運行スケジュールとともに、ルート上の各駅における実際の到着・出発時間、現在地、今後通過していく駅の予想発着時間まで閲覧することができるのだ。

    この列車の運行状況を確認してみよう。

    このような具合に時刻表上でのスケジュールと実際の運行状況を並べて表示される。

    冬の霧の時期やモンスーンによる大雨の時期といった天候不順の際に、運行が乱れがちだ。自分が乗車する駅に果たして何時くらいに列車がやってくるのか、現在乗車している列車がどのあたりまで来ているのか、自分の目的地にはあと何時間くらいで到着できそうなのか、といったことが一目でわかるありがたいサービス。あまりに甚大な遅れとともに運行されていることが判ったならば、即座に予約をキャンセルして他の列車のブッキングをトライするなり、バスその他の手段に切り替えるなりといった判断が出来ることになる。

    当日の運行状況を確認するだけであれば、Running Train Statusのほうが手軽でいいかもしれない。こちらも同様の内容を参照することができる。

    こちらは列車の運行状況確認専用のサイト

    インドで国鉄を利用するにあたって、こういうサービスを利用できることを心得ておくと、何かと役に立つことがあるだろう。

  • パトナーにて

    パトナーにて

    パトナーの駅前エリア界隈では、無料のWifiが飛んでいることに気が付いた。スマホにFree Wi-Fi Zone of Patnaと出る。タダであるだけに、セキュリティ上の配慮があるのかどうかは知らないが、接続時のパスワード設定がないので、誰でも繋ぐことができる。比較的最近、ハイデラーバードで比較的最近、こうしたサービスが提供されることがニュースになっていたが、まさかバトナ―でもこういうものがあるとは知らなかった。

    この地域のレストランにて昼食。中華料理としてではなく、「インド式中華料理」のチョプスィーは店によってずいぶん違うものが出てくるが、私の好物である。

    チョプスィー

    歴史は長いものの、これといって見るべきものがないパトナーの目玉のひとつ、ゴールガルに行ってみる。英領時代に飢饉対策のために造られた穀物貯蔵庫。ゴールガルは巨大な饅頭を置いたような形で、周囲に付いている階段で登ることができる。天井からはバトナ―市内の眺めがとても良い。ここは、ガーンディー・マイダーンのすぐ西にある。オートはそのマイダーン沿いに走るので、「ああ、ここが州首相が就任の宣誓をすることで知られるあの場所か」と、少々感慨深いものがある。

    ゴールガル
    ゴールガル頂上からの眺め。パトナーには高層建築がまだ多くないことからも、やや昔のインドの街という思いがする。
    ゴールガル頂上から

    そこからパトナー駅前までオートで戻る。バトナ―は、大きな街の割には道があまり広くないところが多く、一方通行であったりするので、ずいぶん迂回していくことになる。駅前に着いたと運転手に告げられても、そうとは判らないのは、あまりに建て込み過ぎて視界が非常に悪いため。巨大な駅舎が、正面の大通りからさえも見えないのである。陸橋を建築中で、さらに交通の流れが悪くなっているし、ずいぶん見通しが悪く、渋滞もひどい。

    バトナー駅前。陸橋を作る大きな工事が進行中とはいえ、この見通しの悪さはひどい。

    いつものことだが、ビハールは、かなり昔のインドという感じがする。田舎がとりわけ貧しいのはもちろんのこと、州都パトナーも人口200万人超の街としては、華やかさに欠けて、地味な印象を受ける。

    駅前に戻って徘徊しているうちに日が暮れた。屋台のミターイー(甘いもの)屋さんがあった。露店にしては、見た目があまりに美しいので試してみると、大変美味であった。少なくともグラーブ・ジャムーンとラースグッラーについては、凄腕の職人さんであることが判った。

    グラーブジャムーン
    ラースグッラー

    界隈で夕食を済ませ、宿への帰り道にあったソニーのスマホ販売店を覗いてみた。5.5インチや6.0インチといった大画面の機種が目玉となっている。それらの多くはデュアルSIM仕様なので、日本国内で販売されているモデルとは異なるのだろう。日本でも複数台持ちしている人たちがけっこういるので、本来ならばデュアルSIMの需要は少なくないことと思うが、やはりまだまだ回線契約とハンドセットが抱き合わせ販売が主流の日本のマーケットならではのことと思われる。

    外国ブランドのスマホ等々の販売店が見られる一角

    ビハールにおいても、スマホの普及は相当なもので、ローカルバスの車内でも、大画面の機種を手にしている人たちがけっこういる。昔と違って、今のインドの田舎の人々の購買力も相当なものである。バス車内等で、じーっとスマホに視線を落として、指をチャカチャカ動かしている人たちの姿は、もはやどこに国にあっても共通の眺めとなっている。

    宿に戻る前に、オートの販売店を覗いてみた。近ごろのオートリクシャーらしく、細部がモダナイズされていて、ちょっといい感じであった。

    夜になってもパトナー駅前の渋滞はひどい。
    ちょっと良さげなレストランで夕食後、シメでお茶を一杯。
  • ソーンプル・メーラー

    ソーンプル・メーラー

    ソーンプル・メーラーを訪れた。ちなみにこの「ソーンプル」は、ローマ字では「SONEPUR」と綴るため、「ソーネープル」と読みたくなるかもしれないが、「ソーンプル」というのが正しい。メーラーの期間のみ直行する臨時バスも出ているらしいが、どこから発着しているのかよくわからなかったため、乗合オートでパトナーからハージープル、そこで乗り換えて再び乗合オートでソーンプルまで行くことにした。

    ずいぶん昔からあるメーラーで、マウリヤ朝の王、チャンドラグプタがここで象を購入するのが習わしであったのだとか。つまり紀元前3世紀には、すでにこの祭りが行われていたことになる。気が遠くなるような話だ。現存するこうした催しの中では、世界最古の部類に入るだろう。特に大型の動物の売買がなされてきたことで有名だが、その伝統は今の時代にも引き継がれている。

    往時は、ソーンプル近くのハージープルで開かれていたものが、ムガル朝でアウラングゼーブが帝位にあった時代に、開催地をソーンプルに移したとのこと。ハージープルは、パトナ―からソーンプルに移動する手前にあり、シェアオートで向かう場合に乗り換える町がそれだ。

    現在のパトナ―もまた、古くからある街。紀元前5世紀ごろにマガダ王国か築いた拠点を中心に発展してパータリープトラという街になった。これが現在のバトナ―の前身。古い割には、あまり見るべきところが残ってはいないが。

    メーラーでは、古くからの習わしどおりに、象や馬をはじめとする家畜の市が立つ。私が訪れた本日は、開催最終日まであと2日残すところ、つまり24日に終わるため、すでにこれらは撤収した後であった。だが例年ならば、11月中旬から12月上旬までのこのメーラーが、今年はヒンドゥーの暦の関係か、この時期まで開かれているため、見ることが出来ただけでもありがたい。

    ソーンプルの小さな町から周辺部にまで広がる巨大なメーラーだが、普段はいろんな作業に使われたり、野菜等の物売りが路上で商っていたりすると思われるところまで、すべてメーラーのために徴用されている。星の数ほどありそうな仮説の露店の割り当てなども含めて、おそらく地元のヤクザが取り仕切っている部分もかなり多いのではないかと思ったりする。

    こちらはサーカス小屋

    巨大なテントの中では、夕方からステージが開催される。付近で商っている人によると「最高にセクシーなステージ」だとのことで、あるテントでそのリハーサルか何かが行われているときに、若者から中高年の男性までが、その隙間から覗いていた。中では色黒で小柄の女性が踊っているようであったが、そんなにいいものであるとは思えなかった。夕方の5時だか6時だかに始まるらしい。昨日、宿で働いている人が「昔はそんなでもなかったけど、今では子供連れて行けるようなものじゃありませんよ。ああいうのはどうもいけませんな」などと言うオジサンがいたが、このことを言っていたようだ。

    こういうテントが沢山ある。

    私が訪れたときには、最終日まであと2日を残すのみというタイミングであったため、象や馬を扱う市はすでに撤退していて見られなかったが、小鳥や犬、ガチョウや鶏、そして牛が売られている場所は見物できた。

    メーラーの感想としては、田舎でよくあるメーラーがやたらと巨大になったものという印象。クルマやバイクが樽状の壁の中をぐるぐる駆け上がる出し物や遊園地的なものがいろいろあったりしたが、私たちが楽しいと思うようなものではないし、露店にしても他のところのメーラーと変わらない。安物が大量に販売されているマーケットである。期待したほどのことはなかったが、それでも前々から訪れてみたかったものなので、行くことができたこと自体で満足である。

    メーラーの書入れ時に路上で商う露天商も多い。

  • ボドガヤーからパトナーへ

    ボドガヤーからパトナーへ

    オートでガヤーまで移動する。ガヤーの鉄道駅に着いて尋ねてみると、パトナーに向かう次の列車が出るのは1時間半後とのことなので、バスを探してみると、ちょうど駅前から30分後に出発するとのことなので、これを利用することにした。

    スマホの電波状況を確認すると、ボドガヤーでもそうだったが、LTE接続だか4G接続だかになっている。速くて実に快適だ。少し前までは、インドの田舎では3Gどころか2Gであったはずだが、こうした分野での変化の進展は凄まじい。もちろん高速通信網の普及がなければ、スマホの普及はあり得なかったので、さほど驚くに値するものでもないのかもしれないが。

    まもなくバスがやってきた。後ろの席では中年男性と若者の間で、こんなやりとりがなされている。
    車内に乗り込んできた男性が、窓際席に座っている若者に言う。
    「15番は私の席だよ。」
    若者が返答する。
    「何、子供みたいのことを。オレが子供の頃には、大人は子供に窓側席に座られたものだ。それをあんたは、自分が窓際がいいなんて。その年になっても窓際がいいのか?」
    これですっかり喧々諤々のケンカが始まってしまった。かなり迷惑である。

    バスはすぐに満席となり、定刻ちょうどくらいに発車した。有効なSIMが入ったスマホがあると、今どこを走っているのか、あとどのくらいなのかが一目でわかっていいものだ。沿道に何か気になるものを見つけて、あとから戻って見学したこともあるし、バスがターミナルに着く前に、利用しようとしている宿の近くを通過しようとしているのが判れば、そこでサッサと下車することもできる。ちょっと面白い人と知り合ったら、その場でメールアドレスを交換して、FB友達になって、その後も連絡取り合ったりできるのもいい。もっとも、こんなことは、子供の頃からネット環境に馴染んでいる若者たちにとっては当然のことなのだろうけれども、こうしたものがなかった時代から旅行している私みたいな世代にとっては、非常に画期的なことなのだ。

    ヒマな車内で、家族や友人とのやりとりもあったりして、日本にいるのとさほど変わらない環境ともなる。だが遠くの人たちとしっかり繋がっていながらも、せっかく目の前にしている風景や人々と縁遠くなってしまうようなことがあってはいけないので、こういうモノの利用はほどほどにしなくてはいけないな、とも思う。

  • ボドガヤー 2

    ボドガヤー 2

    ナムギャル寺院
    中国寺院
    中国寺院

    マハーボディー寺院を出てから、チベットの名刹のボドガヤーにおける別院であるナムギャル寺院、そして中国寺院等を訪れてから朝食取っていないことを思いだす。中国からインドに亡命してきたカルマパが建てさせたことで知られるテルガル寺院へオートで向かう。この寺院の境内には軽食を出す店があり、そこでインスタントラーメンのワイワイを頼む。出来上がってくると、これが想像以上に辛くて閉口した。

    テルガル寺院
    テルガル寺院のマニ車

    テルガル寺院はなかなか立派だが、やはりレンガ積みとコンクリで建てて、外見だけをチベット風にした建物であるがゆえに、他国が出している寺院もそうだが、あまり慈しみを感じるものではないが、場所が場所だけに仕方ない。各国のお寺の見本市さながらの様子は見応えがあるし、いろいろ訪れてみるのは楽しい。

    そこからさらにオートでブータン寺院に行く。入口のところにトラ柄に塗られた白い野犬がいた。奇妙で面白いといえばそうなのだが、なんだか気の毒でもある。お堂の中には前国王と現国王の写真も飾られていた。

    ブータン寺院
    ブータン寺院
    トラ??

    ブータン寺の隣は日本山妙法寺。日蓮系の教団だが、日本ではあまりその名前さえも聞かないのに、海外ではやたらと存在感がある。海外での活動は、どこも現地での自力更生型であるため、ここの僧侶たちには大きなビジネス感覚、政治感覚が求められる。物凄く仕事が出来るバリバリのデキる男たちの集団というイメージがある。境内は日本の飛び地のような雰囲気だが、プレスクールの施設が出来ていて、幼稚園くらいの子供たちが授業を受けている。先生や子供たちの声が聞こえてくる。このお寺の正面には何もない空間が広がっていたと記憶しているが、今はいろいろと建て込んでいる。

    日本山妙法寺
    日本山妙法寺境内の日本的な空間
    日本山妙法寺が運営する学校

    妙法寺の向かいには、太生山一心寺という教団が構えていた。中に入ってみると、岡山から来て11月から駐在しているという若い尼さんがいて、いろいろ話を聞くことが出来た。
    この人はデリーとプネーに留学したことがあり、サンスクリットを専攻していたとのこと。※ネットでこの教団のホームページにアクセスしてみたが、ずいぶん小さな教団らしい。また尼寺らしく、代表者も女性のようだ。このお寺も日蓮系とのことだが、いわゆる新宗教に相当するような教団なのかもしれないがよくわからない。日本山妙法寺もそういう括りになるようだ。

    一心寺

    一心寺はNGOのAMDAとボダガヤーで共同しているそうだ。宗教団体が海外で活動する際には、こうした民生型のNGOと協力して事業を進めていくことが多いと尼さんは言っていた。どちらも単体ではなかなか入っていくのが難しいことがあるが、布教と援助事業を掛け合わせるとうまく行くことが多いのだという。ボダガヤーではもう、新しい寺院の建築は出来ないことになっているとのことだ。政府が制限しているとのこと。

    寺を辞して、大仏に行く途中で、仏心寺というお寺があった。こちらも日蓮系だそうだ。本堂でお参りさせていただく。ここには宿坊があり、こういうところに宿泊しても良かったなと思う。そこから大仏へ。バブルの頃に建築が始まり、円高の時代で日本経済も好調だったころだからこそ出来た事業だろう。今後はこうした規模での建築は日本の教団にはできないように思える。

    大仏

    そこからさらに先に進むと、中国系の寺院があったが、門が閉まっていて入ることはできなかった。その近くにはカンボジア寺院がある。実にいろいろな国がお寺を建立しているものだ。最後にカルマ寺院へ。ここではチベット仏教系の寺が実に多い。お堂は扉が閉まっていて、拝観することはできなかった。

    中国系の寺院だが台湾の教団と思われる。
    カルマ寺院

    ここを最後に、ボドガヤーを出てパトナーに向かうことにした。

  • ボドガヤー 1

    ボドガヤー 1

    仏陀が悟りを開いた地、ボドガヤーを初めて訪れたのは1989年であった。外国の仏教教団がそれぞれのスタイルで建てた大きな寺院が沢山あり、さながら「世界仏教寺院博覧会」のような様相を呈していたことに驚いた記憶がある。

    しかしながら地元の人々が暮らす地域は、まだ村であり、ボドガヤーを縦断する道路沿いに小さな食堂や簡素な宿が点在していた。各国が建てた大きな仏教寺院を除けば、特に視界を遮るものはほとんどなく、どこからでも周囲が広く見渡せる素朴な環境であった。

    「素朴な」といっても、それは視覚的な部分だけで、やたらと日本語が巧くて、日本人旅行者をカモにしていると思しき輩は出没していたし、重要な仏跡であることを除けば何もない寒村に、世界各国から幾多の観光客が日々訪れるだけあって、私たち一時滞在の外国人が接することになる相手は、あまりのんびりしたムードの人たちではなかったようにも思う。

    現在のボドガヤーは見違えるように建て込んでいて、かつて村であった面影はなくなり、すっかり町になっている。おそらく季節ものかと思うが、仮設の遊園地が出来ていることから、観光客ではなく、地元に暮らす人たちを相手にしても、それなりの商売が成り立つようになってきているようにも思われる。

    2013年にオープンしたという新しいゲストハウスに宿泊。NGOが運営するもので、子供たちの学校も運営しているという。現在35人の面倒を見ており、その半数くらいはホームレスであるとのこと。ここのオーナーはまだ若い人だが、フランスの人たちからの援助も受けてのプロジェクトを進めており、手の届く範囲と規模でやっているそうだ。

    ゴータマ・シッダールタが悟りを開いたとされる場所にあるマハーボディー寺院へ行く。入口手前にある履物預かり所に靴を置いてきたが、預けてある靴がずいぶん少ないことを不思議に思ったが、寺院のお堂の中に入るまでは土足でいいらしい。

    裸足で進んでいくと、さすがにこの時間帯はずいぶん寒いし足元が冷たい。暑季には、足が焼けるほどに熱いことだろう。建物中までは靴を履いていてよいというのは、結局ここではチベット仏教の影響力が強いということがあるがゆえのことかもしれない。

    参拝者の中にはインド在住のチベット仏教徒たちが多いが、その中にはブータン人たちの姿も多い。洋服を来ているとどこの人だかわからなかったりするのだが、聖地を訪れるということもあって、民族衣装で正装してくる人が多い。とりわけ男性のそれは実に凛々しくていい感じだ。

    他にもベトナム人のグループが自国の僧侶とともにベトナム語の経典を読んでいたり、ミャンマーの仏教徒グループが自国の僧侶に率いられて訪れていたり、タイ仏教徒の集団も見かけた。また中国系の人たちの姿もある。ベトナムの訪問客はかなり多くなっているのか、町中でベトナム語で書かれた看板も見かけた。限られた時間の滞在の中で、案外見かけなかったのが日本人のそうした団体で、特にそれらしき人は見かけていない。円安のためもあるかもしれない。

    ミャンマー人団体
    ボダガヤーの町中で見かけたベトナム語の看板

    境内の敷地内では、チベット仏教徒たちが五体投地の礼拝をしている。中央の本堂の外側では、チベット仏教のバターと小麦粉で作った細工物が飾られており美しい。ゴータマ・シッダールタが悟りを得たとされるボディー・ツリーの周辺では、とりわけ多くの人たちが読経をしている。この木はやはり大変なパワースポットのようで、身体の隅々にまで、そして鼓膜にまでビンビン感じるものがある。スピーカーを通した読経の声があまりに大きいため、そのくらいビンビンと響くのである。

    五体投地して礼拝するチベット仏教徒たち
    バターと小麦粉を練ったものから出来ている。
    ゴータマ・シッダールタはこの菩提樹の下で悟りを得たとされる。
    ゴータマ・シッダールタがここで悟りを得たとされる菩提樹のたもとで読経する人たち
    様々な言葉による読経
    様々な言葉による読経
    様々な言葉による読経
    様々な言葉による読経

    インド式の塔からなる本堂に入ってみた。中に行くまで行列がずいぶん時間がかかるが、私の前にいる親子はムスタンから来た母子である。子供は大変利発そうな感じで、警備しているインド人女性警官といろいろ話をしている。ずいぶんヒンディーが上手いのだが、ムスタンから来たことがその会話の中からわかった。

    後からハタと思ったのだが、ムスタンのような閉ざされた地域の人たち、しかも幼い子供がヒンディーを流暢に話すというのはおかしい。ネパール語さえおぼつかなくてもおかしくないような気がする。するとインド在住なのかもしれない。聞いておけば良かった。ムスタンは外国人の入域が厳しく制限されているが、もしかするとそれとは裏腹に、ムスタンの人たちは活発に外界と行き来しているかもしれない。ちょうどブータンの人々がそうであるように。なかなか普段接点のない人たちだが、案外デリーでそういうムスタンの人たちを見かけてはいるのかもしれない。ただ、こちらが彼らをムスタン人と認識できないだけなのだ。

  • Kindle版のLonely Planet India

    Kindle版のLonely Planet India

    今回の旅行にて、初めてKindle版のLonely Planetガイドブックを持参した。
    根がアナログ派なので、これまではPDF版を購入して必要部分のみ印刷して持参していたが、Kindle版も慣れてみるとなかなかどうして使いやすい。コンテンツやレイアウトは、慣れ親しんだ製本版やPDF版と同一だ。

    Kindleの書籍というと、一定方向に読み進んでいく分には、紙の書籍と変わらない使い心地だが、ガイドブックのように、しばしばいくつかの項の前後を行き来して参照するような使い方をするのには向いていないのではないかと予想したが、これはまったく杞憂であった。製本版のように、必要な部分に折り目を入れたりすることはできないが、豊富なブックマーク機能、電子書籍内に仕込んであるリンク等により、自由にガイドブック内を行き来することができるようになっているため、これまた慣れると製本版と使い勝手は変わらなくなる。

    製本版だとかなりデカくて重たいし、PDFを印刷すると、すぐにビリビリになったり、暑季にリュックに放り込んでおくと、背中から流れた汗で、文字が滲んで読めなくなったりするので、目下のところはこのKindle版がとても気に入っている。最近、液晶画面が大ぶりなスマホも増えてきたので、電子書籍を読むのに目に負担が大きくなるようなこともないし、読物用に常時携帯しているKindle端末でも当然利用できるので、バッテリーの心配は無用。

    製本版だと、しばしば余白に書き込みなどしたりするものだが、Kindle版においてもそれほど手軽ではないとはいえ、ちゃんとメモ機能はある。それが自分のアカウントの別の端末でも共有されるのはもちろんのことだ。私自身、もう今後は、ロンプラのガイドブックで、キンドル版以外を使うことはないと思う。

  • 「タージマハルを訪問する外国人が減少」という記事について

    「タージマハルを訪問する外国人が減少」という記事について

    以前、別のメディアでも同様のものを見かけたことがあるのだが、夕一ジマハルを訪れる外国人観光客が減っているとのことだ。

    Dip in number of foreigners visiting Taj Mahal, for 3rd year in row (The Times of India)

    背景についていろいろ書いているが、私が思うには、インドにおける観光振興がうまくいっている証なのではなかろうか。インドを訪問する観光客数自体は順調に伸びているようである。具体的には、観光資源があまりに豊富なこの国の魅力的なスポットや地域が国外にもさらに広く認知されることにより、訪れる先がより拡大しているものと捉えることができるだろう。

    Number of foreign tourist arrivals in India from 2000 to 2014 in millions (statista.com)

    90年代以降にインド人の間で自国内の観光が大きなブームとなり、それが定着することとなったが、80年代以前はかなり宗教的な目的で(巡礼やそれに近いような形で)「聖地」とされるところを訪れるというのがかなり大きな割合を占めていたという特徴はあるのだが、現在のインドの人々の大方は、純粋に各地の名所旧跡や自然を楽しむといったものになっている。もちろん情報量の違いから、インド人の旅行好きな層と一般的な外国人観光客とでは、そうした旅行先に関する知識の量に雲泥の差があるのは当然のことだ。

    そうした状況から、インドを訪れる外国人観光客の層にしても数にしても、厚みが着実に増していることの背景には、この国が経済その他の面で注目される度合いが年々高まるにつれて、従前よりも多くの地域に人々が関心を持つようになったこと、これまであまり取り上げられなかったエリアやスポットも紹介されるようになってきていることなどがあるだろう。その背景には、日々増えていくインドの人々向けの旅行関係サイトのほとんどが英語であるがゆえに、世界中の人々が容易にアクセスして情報を得ているというようなことが作用していることもあるのかもしれない。

    例えば、以下のような記事がある。外国人観光客とインド人観光客の訪問先の乖離について述べたものだ。

    Foreign tourists choose to travel in a very different India than locals (QUARTZ India)

    このように偏向した傾向が緩和されつつあるという現状があるのではないかと私は推測している。同時に、一般的な外国人観光客にとって、「新たな魅力が次々に発掘されていく」ことは、当然の帰結として、観光目的での入国者のコンスタントな増加に繋がることにもなる。

    よって、超有名どころを単体で見ると、訪れる人々の数が減るということがあっても、まったく不思議ではない。「タージマハルを訪問する外国人観光客は減少、しかし総体としては、インドを訪れる観光客が年々増加している」ということは、むしろ諸手を挙げて喜ぶべき現象であると私は考える。

  • デリーからガヤーへ

    デリーからビハール州のガヤー行きのフライトを利用した。
    搭乗してからしばらくしても滑走路に移動せず、席でじっと待っていると、次のようなアナウンス。
    「当機はセキュリティー上の理由により出発が遅れています。ただ今、保安要員が機内に入り、全員の手荷物の確認をいたします」

    制服を着た係員が2名乗り込んできて、席上の荷物入れを開けては「この荷物の持ち主誰やねん?」「これ誰のカバンや~?誰か返事せんかァ、こらァ!」などとやっている。
    保安要員が怪しげな荷物を開くと、赤、白、黄色の配線が絡み合っている時限爆弾装置でもあって、「切るのは赤か、白か?」なんていうスリリングなシーンが展開するのではないかという、映画さながらの緊張場面が待ち受けているかとドギマギしたが、結局は全部の手荷物の持ち主の確認をしただけで、そのまま降りていってしまった。チェックインしたはずの人数と、実際に機内にいる人の数が整合しなかったか何かなのだろう。

    保安要員が外に出ていくと、「乗務員、配置に着いて。当機は出発いたします!」という機長のアナウンスとともに、飛行機は滑走路に進んで離陸。
    インドでは、テロに対する警戒から、規則によりセキュリティー関係のチェックには厳しいが、それらの検査をする保安要員の身辺調査と、彼らが空港施設に入る際のチェックはしっかりしているのかな?ということを、ふと思ったりする。あまり良い待遇をされているとは思えず、容易に買収されてしまいそうな人たちに思えるのだが。セキュリティーホールがあるとすれば、おそらくこのあたりではないかとも思う。

    エアインディア国内線のこの便は、最初にガヤーに行き、それからバナーラスに行くフライト。バナーラスからはおそらくデリーに戻る便となるのではないかと思うが、あまり重要な路線ではないためか、ずいぶん古い機材を使っている。客室乗務員もなんだかパッとしない感じの人もいて、最近の民間航空会社とは違う、「国営」というムードは相変わらずである。垢抜けない制服もいまひとつだ。

    隣に座ったのはヒゲを蓄えたムスリムの恰幅の良い男性。英語をまったく話せないので、どういうことをしている人かと思えば、サウジにダンマーンに働きに出ていたとのこと。そこから戻って国内線に乗り換えて、バナーラス近郊にある自宅に戻るところなのだそうだ。
    娘が4人いるとのことだが、前の席に母親と一緒に座っている3歳くらいの可愛い女の子と遊んでやっている。その女の子はずいぶん人懐っこい子で、楽しそうだった。母子ともにムスリムで、この男性にとっては自宅で待ってくれている娘たちの姿とダブるところがあるのかもしれない。

    デリーからガヤー到着までは1時間15分ほど。ガヤー空港は、この規模ものとしては珍しく、PBB (Passenger Board Bridge)により、機内と空港ビルが直接結ばれる。ガヤーの空港は小規模ながらも一応国際空港であるためだろうか。冬の時期にはバンコク、コロンボ、ヤンゴン、ティンプ―などから直行便がある。当然、ちゃんとイミグレーションもあり、E-Visa専用のカウンターまであるのだから大したものだ。私が利用したのは国内線なので、カウンターは無人であったが。

  • アフガニスタン人のナーン屋の店頭にて

    アフガニスタン人のナーン屋の店頭にて

    デリーのラージパトナガルのアフガン人地区で、ナーンを焼く店。様々な顔立ちのアフガニスタン人たちが、それぞれの郷里式のナーンを商う。

    はなはだザックリとした言い方をすれば、小麦食文化圏、アーリア系人種、啓典の民、etc.・・・、アーリア人発祥の地とされる中央アジアのフェルガナ盆地からイランを経て欧州までの人々の先祖の基層にある部分は、非常に共通するものがあることを感じる。

    少なくとも、私たちの東アジア文化圏から見ると、彼らはまさに遠縁の親戚同士という気がする。

    それにしてもこの地域、行き交う人々の間にアフガニスタン人の姿が実に多く、商店の看板にもダリー語での表記があちこちに見られる。

  • 味の都、国際都市デリー

    味の都、国際都市デリー

    昼食は、ラージパトナガルのアフガニスタン料理へ。ホウレンソウの炒め物とケバーブ。とても上品な味わいだ。そして甘い緑茶にはカルダモンが効いていて、これまた美味である。この地区では、いろいろな顔立ちをしたアフガン人たちのナーン屋が、様々な種類のナーンを焼いて売っている。この料理屋で出てきたのは丸くて厚いウズベク式ナーンであった。おかずを注文すると自動的にナーンも出てきて、何枚頂いても良いというのがアフガニスタン式らしい。サイズが大きく、かなりお腹に溜まるので、そんなに大量に食べられるものではないが。

    若いインド人カップルが店に入ってきてプラオを注文した。料理とともにナーンも出てくると、「これをおかずにナーンを食えというのか?」などと難癖をつけている。とりあえず食事を注文すると、これも同時に供されるのが習わしのようなので、勘弁して欲しいものだ。ここではナーンの料金は取らないし、食べなければ次のお客に回すのだろうから。

    上品な味わいのアフガン料理

    ラージパトナガルのアフガニスタン人地区のナーン屋店頭

    様々な顔立ちのアフガニスタン人たちを目にする

    焼きたてで実に旨そうな香りが漂う

    ウズベク式ナーン

    そしてデリーメトロのR.K.アーシュラム・マールグ駅近くにあるウズベク料理屋で夕食。店内にはウズベクのポップスが流れていて、それらしい雰囲気がある。注文したのはウズベク式のプラオ、サフランの色がとても濃くなったビリヤーニーのように見えるが、あっさりと薄味の脂ごはんという印象。これにスパイスやトウガラシを足すと確かにビリヤーニーになるという感じがする。このプラオがインドで現地化されたものがビリヤーニーなので、まさに同類の食べ物である。

    ウズベク式プラオ

    翌日はマージヌー・カー・ティーラーのチベット人居住区でチベット料理を食べる。本場チベットから移住してきた人たちが営む店が軒を連ねており、食事を出す店も少なくないが、人気の店はいつ訪れても常にお客で一杯だ。トゥクパと揚げたモモを注文する。中華料理の影響を強く受けてはいるものの、やはりチベット料理には独自の味わいがある。

    トゥクパと揚げモモ

    デリーにて、ムグライ料理、パンジャービー料理も素晴らしいのは当然だが、こうした近隣地域の料理屋もまた非常に美味なものを出すところが多い。とりわけ、そうした料理の本場の出身の人たちが大勢集う店では、決してハズレることなく、とても旨いものにありつくことができる。さすがは国際都市デリーだ。