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カテゴリー: travel

  • ハザーリーバーグの食事処

    ハザーリーバーグの食事処

    ハザーリーバーグの食事にはまったく期待していなかった。宿泊施設はとても快適なところが当たり、こういうホテルならば旨いものを出すレストランは併設していても、ここは田舎町なので外にはダーバーしかないだろうとタカをくくっていた。

    ホテルの隣にある「ムグライ・ミルチ」というレストラン

     

    「時間がないので、すぐに出てきて食べられるものを」と注文したライスとダルフライ。これだけで大変美味しかったので料理の腕・質ともに高いことがわかった。
    夜も再訪した「ムグライ・ミルチ」

    ところがどうして、ホテルから徒歩圏内にいくつもちょっとアップマーケットで美味しいものを提供するレストランが複数あるのだ。嬉しい誤算だ。

    「NEW FRONTIER BAKERY」の上にある「Frontier’s Cafe」も良かった。
    田舎町にはそぐわない感じの洒落た店内
    チキンロールがオススメとのこと。
    宿泊費に込みのホテルの朝食。シンプルだがとても良質であった。

    また美味しいケーキを作って販売している店もあり、食後の散歩がてらデザートを買いに出るのも良い。店番をしている女性もフレンドリーで世間話をするのが楽しい。

    ケーキの製造・販売をしている店。開いているときに撮影しておけば良かった・・・。

    田舎町なのに、食事情もなかなか好ましいハザーリーバーグである。

     

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ハザーリーバーグの快適なホテル

    ハザーリーバーグの快適なホテル

    ジャールカンド州のラーンチーからバスで3時間ほどでハザーリーバーグに到着。

    サイクルリクシャーで、ガーンディー・マイダーンの端にあるHotel A. K. Internationalに向かう。1泊あたり3332Rs。(税込・朝食付)と高いだけあって、とてもキレイだ。

    Hotel A.K. International
    ロビー
    エレベーターもこんな感じ

    とにかく新しくてピカピカ、設備もモダンだ。手入れは行き届いていてスタッフのサービスも良い。普段の私の居住空間でも仕事空間でも、こんなに清潔で快適な場所はない(決して大げさではない)ため、滞在していて快適の極みである。

    客室内

    ときにこういう贅沢をしてみるのも良い。こんな田舎町に、こういう良いホテルがあるというのは幸運なことだし、田舎であるがゆえにこのクオリティながらもずいぶん割安になっているともいえる。いまどきインドの都会であれば宿泊費はかなり上がっているため、このくらいの料金でラグジュアリーな体験をというのは、無理な相談であるからして。

    ここは大当たりなホテルである。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ラーンチーを出発

    ラーンチーを出発

    8時過ぎに宿をチェックアウト。バススタンドは歩いてすぐのところにあった。

    チケットをカウンターで買って乗り込むと、ほどなくバスは出発した。ラーンチー市街地を出るまでがかなり渋滞のためなかなか進まなかった。オンボロなバスではあるが、ちゃんとクッションは効いているのが昔の直角シートとは違うところだ。

    バス車内では、映画「HUM SAATH SAATH HAIN」を大音響で上映中。1990年代末にリリースの作品。今ではほとんど見かけなくなった、ダンスシーン満載で、家族愛を取り上げた啓蒙的な作品。インドの親御さんたちが「ハリウッド映画と違って国産映画ならば子供たちと一緒に安心して観ていられる」と言っていた時期の最後にあたる。

     

    サルマーン・カーン、サイーフ・アリー・カーン、タッブーなど、今も人気の高い出演者たちが出ているが、今こうしてみると、みんなずいぶん若くてキラキラしている。母親役で出ているリーマー・ラグーも素敵だ。映画公開当時の私には、ただのおばさんに見えたが、こちらも年齢を重ねるとミドルエイジの美しい女性に見える。立ち位置が変わると見えるものが違ってくるものだ。

    リーマーは、駆け出しの頃は、ヒロイン役を演じる女優さんだったが、かなり若い頃から母親の役回りが多かった。当初はほぼ同年代の男性出演者の母親を演じることも少なくなかったが、年月の経過とともに自然とそれらしくなり、ずいぶん長いこと「母親と言えばリーマー」の時代となり、ヒンディー語映画の母親役のイメージを占め続けた。そんな時代も3年前に終わってしまったのだが。リーマーが心臓疾患でこの世を去ってしまったからだ。享年58歳であった。

    映画は時代を写す鏡。20年前のインドが画面上で展開するこの日のバス車内であった。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 「ヒルステーション」としてのラーンチー⑤

    「ヒルステーション」としてのラーンチー⑤

    乗り合いオートで出発!

    昔のインドの博物館、とりわけ地方のそれといえば、失礼ながらホコリまみれのゴミ箱みたいであった。展示はいい加減でメンテナンスもされておらず、ホコリやゴミが溜まるいっぼうであった。

    だが近年は大きく進歩している博物館が多い。ラーンチーの州立博物館もそうだ。展示物は多くはないものの、とりわけ少数民族に関する展示は良かった。村での暮らしがなんとなくイメージできるジオラマがしつらえてあるのだが、よく30幾つの少数民族が住むと言われるジャールカンドの田舎の様子をうまく再現してある。

    rpt

    州立博物館の上階には絵のギャラリーもあった。こちらはあまり面白くなかったが、ひとつだけ煌めきを放つ作品があり、寄って見てみると製作者名は「Parvati Devi (Hazaribag)」とあるではないか!そう、あの民俗画の村の鬼才パルヴァティ・デーヴィーの作品である。

    パルヴァティ・デーヴィーの作品

    やはりこういうところに置いても、彼女の作品はまったく別格なのだ。田舎の村で自宅の壁を飾るだけで終わってしまっては、あまりに惜しすぎる。世界で広く認知されるべき才能だと私は思う。

    その後、再び移動してトライバル博物館へ。先ほどの州立博物館における少数民族の紹介展示と傘鳴る部分はあるのだが、ここではその少数民族のみに焦点を絞った展示。内容も良くて楽しめたのだが、どうしても許せない展示物が複数あった。

    トライバル博物館

    rpt

    その許せない部分とは、せっかく良いものを置いているにもかかわらず、ショーケース内の電気が点いていないので見えないことだ。点灯させ忘れか、電球が切れているのか知らないが、点灯しておらず見えない展示がひとつやふたつではなく、たいへん多いのだ。何たる怠慢・・・。

    このように照明がなされていないものも少なくなかった。

    しかし今の時代の私たちには力強い味方というか、頼もしいツールがある。スマホカメラをショーケース内の漆黒の病みの中に向けて、夜景モードにして覗いてみると肉眼では見えなかった展示をスマホ画面上で観察することができるのは幸いである。

    消灯していてもスマホの「暗視能力」でこのとおり。
    消灯していてもスマホの「暗視能力」でこのとおり。

    〈完〉

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 「ヒルステーション」としてのラーンチー④

    連合軍墓地を訪問するとき、Uberタクシーのアプリに「War」と入れたところで「War Memorial」と出たので迷わずタップしてクルマを呼んだら、まったく見当違いの場所に連れて行かれてしまったのだが、これが意外に良かった。

    到着してUberを降りてみると、連合軍墓地ではなくインド軍の駐屯地であったのだが、少し戻ったところに「War Memorial」なるものがあり、警備しているインド軍兵士が扉を開けて招き入れてくれた。なんでもシャヒード(殉死)した兵士に捧げる記念碑と小さな博物館があるのだと言う。ここは、独立後のインドの戦争で没した兵士の記念碑と博物館であった。(残念ながらこれら施設内は撮影禁止)

    博物館にはここに駐屯する師団に関する展示もあり、英領時代から現在までの指揮官の名前、ときには作戦の中での写真なども展示されていた。そう、インド軍は独立後から始まるのでなはなく、英領時代からずっと継続している組織であるため、伝統ある師団や連隊などの英領時代の将校は独立後のそれらと同じように尊重されるのだ。

    また、こんな例もある。1803年に構成された騎馬連隊、英印混血のジェイムス・スキナーが率いた通称Skinner’s Horseの流れを引く現在のインド陸軍の騎馬連帯を、まさにそのスキナーの子孫が率いるということが話題になったことがあった。スキナーの子孫が今でもインドにいて、しかも陸軍軍人というのには驚いたが、しかも先祖がかつて占めたポジションに就いたがゆえに、大変な話題となった。

    もちろん今の時代の騎馬連隊の活躍の機会は、儀礼や式典などではあるが、植民地時代にアフガン戦争、スィク戦争、1857年の大反乱の鎮圧等々、華々しく活躍した栄光の騎馬連隊の象徴は、やはり創設者の「ジェイムス・スキナー」であるがゆえに、その子孫が再び指揮を取るというのは、またとない奇跡であり、栄光の再来でもあったのだ。

    〈続く〉

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 「ヒルステーション」としてのラーンチー③

    「ヒルステーション」としてのラーンチー③

    英領期の名残を求めて次に訪問したのはゴスナー福音ルター派教会(Gossener Evangelical Lutheran Church)。「ゴスナー」という部分から想像できるとおり、ドイツから渡ってきた宣教師たちによる福音派の教会だ。植民地時代のインドでは、英国国教会だけでなく、実にいろいろな国からの教会が活動していた。

    中を見学してみるつもりだったが、ちょうど結婚式が進行中であった。しかも外で何組も待っているため、それぞれの式が順番に執り行われた後、それぞれの披露宴の会場へと向かうのだろう。敷地内は賑々しく、楽しげなムードに満ちていた。末永く幸せに!!!

    ラーンチーには、「War Cemetery」として知られる連合軍墓地もある。ここを訪問すると言ったら、地元の複数の人たちから「あのあたりはミヤーンローグ(ムスリムの兄ちゃんたち)が多いからバチケーレへナー(気をつけて)」と言われた。このあたりは確かにムスリム地区だ。ガラの悪いのが多いのかどうかは知らないが、ときどき問題が起きたりしているのかもしれない。

    兵士たちの墓碑を見て回ってみると、ずいぶん若くして亡くなった人たちが多い。18歳、19歳、25歳、21歳、23歳・・・。中には40代の者の墓碑もあるが、言うまでもなく最前線で戦うのは階級の低い若者たちなので、当然そういうこととなる。英国系の名前が多いが、英国人、豪州人、ニュージーランド人などが含まれる。墓標の多くには十字架が刻まれているが、少なからずダビデの星のものもある。ユダヤ教徒の兵士たちだ。また当時のアフリカの英領地域から出征した人たちのものもある。

     

    私たちの祖父の世代の人たちが、この墓碑の下に眠る人たちと死闘を繰り広げた。世話人によると、埋葬されているのはビルマ語戦線及び日軍によるインパール侵略の防衛にあたった兵士たちであるとのこと。日本ではインパール作戦は全く無謀な、最初から勝ち目のなかった作戦であったと言われているがそうではなかったという話が防衛する側にはある。

    守備側にとっては、インド東部全体が日本軍の手に落ちるかもしれないと、大変な危機感を持ってインド各地からはもちろん、東南アジアやアフリカなどの英領地域から兵員をかき集めて、これまた必死に防衛に努めるという、英国側にとっても「負けることの許さるない厳しい戦い」であったのだ。

    個人的には相互に傷つけ合う理由さえない若者たちが上官の命令により、国のためという建前のために大切な命を落としてしまったのだ。戦の大義はどうあれ、戦争で命を落すことは「究極の無駄」だ。個人の命の重さは国家の大義にはるかに勝る。何が起きても「国のために死ぬ」などということは決してあってはならない。

    以前、ナガランドのコヒマにある連合軍墓地を訪問したことがある。記念碑に刻まれていた言葉が胸を打たれた。兵士自身が残した言葉かどうかはわからないが、若くして亡くなった兵士たちの無念さが伝わる一文だ。

    WHEN YOU GO HOME

    TELL THEM OF US AND SAY

    FOR YOUR TOMORROW

    WE GAVE OUR TODAY

    命を投げ出すこととなった彼らへの供養があるとすれば、戦争のない未来が永劫に続くことしかあり得ない。

    連合軍墓地のすぐ近くには、英領期から続くクリスチャンの墓地もあり、広大な緑の芝生の敷地の中に白い十字架や墓標が散在していた。残念ながらここの場所に気が付いたときには夕方になっており、ゲートも閉鎖されていたため見学することはできなかった。

    こらちは英領期から続く現地在住クリスチヤンたちの墓地

    〈続く〉

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 「ヒルステーション」としてのラーンチー②

    「ヒルステーション」としてのラーンチー②

    おそらくラーンチーの英領時代の面影を色濃くの残す地域は、ラージバワン(州首相官邸=英領時代は統治責任者の舘)界隈なのだと思うのだが、それらしきものはあまり残っていないようだ。

    そんな中にオードリー・ハウスという建物があり、現在はラージバワンの敷地の一部となっており、ここの敷地内が往時をしのぶのにちょうど良さそうだ。外から見る限りでは、後世に加えられた不自然な構造物はほぼないように思われる。

    建てた当時とは社会環境が異なるのでかなり改変が見られるのが常。典型的なものとしては、「天井」の例がわかりやすいだろう。インドでは暑季に高温となる地域が多く、暑季節そのものも長いため、英国本国の同時期の建物よりも、かなり天井が高くなっているのが常だ。

    ところが今の時代になると、空調を使用することが多いが、果てしなく高い天井であってはエアコンをいくら回しても冷えないため、オリジナルの状態からは想像もつかないほど、低いところに天井をしつらえている。他にもいろいろあるが、英領時代とは仕事や生活のインフラが異なるので、建物の内外が必要に応じていろいろ改変される。

    だがラーンチーの比較的冷涼な気候が幸いしてか、このオードレー・ハウスは、建築当初ほぼそのままの姿を今に伝えているようだ。ゲートから向かって左側のウイングがアートギャラリー、右側のウイングは文化イベントの開催用に使用されている。建物自体がオリジナルの状態に近いため、オードリー・ハウスの敷地内だけは、今も「ブリティッシュ・ラージ」の雰囲気が濃厚に感じられる。

    前にも触れたが、かつてラーンチーは「ヒルステーション」として知られていた。政府や軍その他の業務に従事していた英国人たちの中で、熱病や結核はもちろんのこと、心を病む人も多かったという。慣れない土地での勤務からくる心労は多く、今でいう適応障害に苦しむ人もあれば、パワハラなどに悩まされた人たちも多かったことだろう。もとよりまだ「人権」の概念が確立していない時代である。

    そんなわけで、ヒルステーションにはサナトリウムや各種病気の治療のための施設は付き物であった。冷涼な気候が患者の負担を軽減し、治療に利するとされたのは言うまでもない。

    そんな中で、当時で言うところの「癲狂院」が沢山あったと言われるラーンチーだ。今となっては不適切な呼称だが、今でもヒンディー語では一般的にそう呼ばれている。「パーガル・カーナー」。文字通りの「癲狂院」であるが、驚くことに、新聞などメディアでもそう表記しているのを見かけたりする。

    〈続く〉

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 「ヒルステーション」としてのラーンチー①

    「ヒルステーション」としてのラーンチー①

    ラーンチーと言えば、2000年にビハールから分離して成立したジャールカンド州の州都となる前まで、「ヒルステーション」として知られていたが、ロンプラには「特に観るべきものものはなし」という風に書かれていたように記憶している。よく出来たガイドブックではあるが、そこに「見るべきものはない」と書かれていても、実際に何もないわけではないことが多いように個人的には思う。

    たしかここは、暑季の保養地というよりも軍の駐屯地としての性格のほうが強かったように思う。ヒマーチャルプラデーシュ州にあるシムラーに対して、そこからさほど遠くない場所、つまりチャンディーガル方面に少し下ったところにあるカサウリーもそうだ。「夏の首都」として行政の中心地としての前者に対して、後者は軍のために用意されたヒルステーションであった。

    現在もカサウリーにはインド軍が駐屯している。アングロ・インディアン作家のラスキン・ボンドがカサウリーの生まれということだけで、何かロマンチックな場所のように思われている面もあるが、シムラーのような華麗な場所ではない。それでも「アジア最古のビール」で知られるゴールデン・イーグルの醸造所が最初に開かれたのもカサウリーであった。

    ウッタラーカンド州のマスーリーでは、軍の傷病者の治療施設が多く作られるとともに、結核患者用のサナトリウムも多かったなど、「ヒルステーション」とひとことでは括ることのできない、それぞれの特徴があった。

    それはともかく、ゴチャゴチャと混雑している街、ラーンチーが、かつて「ヒルステーション」「保養地」として知られていたのは信じられない向きも少なくないかと思う。土地もほとんど平坦で、山の斜面に位置しているわけではなければ、丘さえも見当たらない。

    ただ、ここは標高のある高原のため、気温は周辺地域よりもかなり低いため、夏季は比較的過ごしやすく、冬季はかなり冷え込む。

    昔、ラーンチー出身の英国人に会ったことがある。1980年代終わりくらいの時期だったが、イギリスで仕事を引退して故郷を訪問していたとのこと。ラーンチーについてはとりわけ思い入れが深いようで、いろいろ話をしてくれた。前述のとおり、当時のロンリープラネットのガイドブックには「これといって観るべきものなし」みたいなことが書かれていたが、案外そうでもないのかも?と彼の話を聞いて思った。

    英領時代は今のビハール地域で暑い季節だけパトナーに替わる夏の都として機能しており、英領期の建物などはけっこう残されている。独立運動に関わった政治犯を処刑した絞首台なども現存していると聞く。ラーンチーが今のような大都会になったのは、2000年にビハールから分離してジャールカンド州都となったからのことらしい。

    州都だけに良質で美味しいものを食べられる場所には事欠かない。

    〈続く〉

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 美味しい口直し

    美味しい口直し

    レストランで、伝票が出てくるあたりで一緒に出される食後の口直しのウイキョウ。もともとはウイキョウのみであったり、角砂糖やザラメを混ぜて出していたりしたものだが、近年は香りや味を付けた個性的なものがよく見られるようになっている。

    あるとき、糖衣処理された八角の混じったものが出てきて大変美味で、ひと匙、ふた匙では飽き足らず、次々に口に運んでいるうちに、「ハッ」と気がつくと器に入っていたものの半分以上食べてしまった。下手すると「完食」「お替り」しかねないので、今後は気を付けようと思う。

    以前、グジャラート州でこのウイキョウの加工品の専門店がいくつも集合した一角があり、とれもこれ専業で儲けているだけあり、驚くほど美味かった。買って宿に戻ってからツマんでみると、もう止まらなくなり、部屋で完食してしまった。糖分が多いので注意だが、ウイキョウの香りの良さとあいまって、クセになる。

    グジャラート州ラージコートの専門店にて

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 今後荒れ果てていきそうな宿

    今後荒れ果てていきそうな宿

    大通りの脇にある荒れ果てた感じのビルにホテルの看板を見つけた。 地上階には地上階には家電製品の卸業者が入居しており、梱包資材が氾濫していたりして、踵を返そうとしたが、上階に上ってみると新規オープンしたばかりと思われるホテルがあった。

    ホテルのロビー

    客室内
    なぜかアイロン台がある。

    施設はまだ新しい分気持ちが良いが、いかにも面倒臭そうな態度で仕事をするスタッフ、一部割れたままになっているテーブル上の敷きガラス。かなりお金をかけているはずなのに運営がダメで朽ち果てていくホテル、宿はとても多い。ここも古くなったらそのままボロ宿になるのだろう。

    別フロアーに騒音施設が入っているため、爆音が響いてくることを心配したのだが、幸いなことに杞憂で、とても静かに眠ることができた。

    別フロアーには騒音施設が。

    下階にはレストランが入っており、これがかなりアップマーケットな雰囲気なのに料金はエコノミーなのは良かった。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ラーンチー空港のトイレの民俗画

    ラーンチー空港のトイレの民俗画

    事前にある方から聞いていたのだが、実際に目にしてとても感動したラーンチー空港のトイレ。 同州ハザーリーバーグの民俗画でいっぱいなのである。絵の前で思わず何度も行き来してしまった。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ウッタルプラデーシュ州政府観光公社がツーリスト・バンガローを隣州に建設

    ウッタルプラデーシュ州政府観光公社がツーリスト・バンガローを隣州に建設

    ヒンドゥスターン紙にウッタルプラデーシュ政府観光部によるこんな広告が出ていて、「あれれ?」と思った。

    ウッタルプラデーシュ州政府観光公社が州内各地で「Tourist Bungalow」その他の名称で展開している公営の宿を展開しているが、このたびバドリーナートにそうしたホテルを建てるとのことで起工式についての広告だ。中央政府のモーディー首相、ウッタラーカンド州首相のトリヴェンドラ・スィン・ラーワト、ウッタルプラデーシュ州首相のヨーギー・アーディティャナートも写真が並んでいる。

    他メディアによるウェブ配信記事にもこれに関するものがあった。

    Yogi to lay foundation of UP tourist guest house in Uttarakhand (daijiworld.com)

    インドでは州毎に州政府観光部の下に観光公社の類がある。ウッタラーカンド州で州政府系企業GMVN(Garhwal Mandal Vikas Nigam)が州内各地で「Tourist Rest House」「Tourist Bungalow」「Yatri Niwas」等と称して、公営の宿を展開しているのだが、広告にあるバドリーナートにおける新たな公共の宿を建設・運営するのは隣にウッタルプラデーシュ州の観光公社。

    ウッタラーカンド州は2000年11月にウッタルプラデーシュ州から「ウッタラーンチャル州」として分離(その後2006年に「ウッタラーンチャル州」に改称)した経緯があるが、その際に政府機関や政府系企業も立地を踏まえて州ごとに再編成された。

    通常は州を越えて他州内でこうした宿を運営することはないのだが、ウッタルプラデーシュ州とウッタラーンチャル州では、観光以外にも水利関係でも資産をシェアするという取り決めがあるらしい。

    Sharing of assets between UP & U’khand will be resolved in 2 months: Yogi (nyoooz.com)

    インドでも縦割行政について、いろいろ取り沙汰されることは多いが、こうした協業?みたいなことが可能となるのは、やはりウッタルプラデーシュ州、ウッタラーカンド州ともにBJP政権という相性の良さが下敷きにあるのだろう。

    さて、「公営の宿」という存在については、インドでも「民業圧迫」として意識されているため、そうした資産の多くを積極的に民間に売却済であったり、そうした方向にある州も少なくないのだが、経済的にまだまだむずかしい地域などでは、こうした施設が州政府により新設されるケースもまだあるようだ。