
インドのラクナウにある「Multi Cuisine」を謳うレストランにて。
なんとこれは「タイ式ヌードル」とのこと。(笑)
食べたことない人が存在しない料理を想像力で創出。
いや、これぞ「創造力」だろうか?


インドのラクナウにある「Multi Cuisine」を謳うレストランにて。
なんとこれは「タイ式ヌードル」とのこと。(笑)
食べたことない人が存在しない料理を想像力で創出。
いや、これぞ「創造力」だろうか?

南インドを離れると、マサラドーサは当たりハズレが大きい。こちらはデリーのサライロヒラー駅前で列車待ちの時間潰しのために入った店での「ハズレ」のドーサ。
やはりこれを日常的に食べる食文化圏ではなく、厨房の料理人も北インドやネパールの人で「あまり食べた記憶はないし、この店で働くまでドーサを作ったことさえなかった」となると、インドにおける多くの「中華料理」のごとく、キビシイものがある。。
それはともかく、ドーサは「小腹が空いたときにちょうど良い」「おやつにぴったり」と思う方は多いようだが、実はヘビー級カロリーのひと皿。「ふたつで1日分のカロリーが補給できる」とのことだ。栄養補給には、たいへん効率が良過ぎる。

デリーのコンノート・プレイスにこんな迫力のパーン屋さんがあるそうだ。私はパーンはやらないので縁がないのだが、これはちょっと怖い。
B級グルメ紹介のDil Se Foodieの映像から。
Fire Paan At Yamu’s Panchayat, Connaught Place (Dil Se Foodie)


21世紀に入るあたりから、インド各地でモールが普及するとともに、そうした施設には必須の「フードコート」がインドの外食文化を大きく変えたと言える。フードコートが屋台文化の延長であるとするならば、露店はあっても屋台文化は無かったインドでは画期的なことであったからだ。そのような場所が増えるとともに、カジュアルで照明の明るいレストランが増えることとなった。
インドにおいて、フードコートがなぜ画期的であったか。それは昔々のインド人家庭に食事に招待されて、家人は食べていないのに自分だけ、どんどんサーブされて食べさせられることを経験したことがある人は多いだろう。そしてグルドワラーでランガルが行われること、ある程度以上の高級レストランでは、メニューの文字が読めないほど照明が暗かったこと、インドでは安ホテルでもルームサービスはごく当たり前にあること等々と、深く繋がる食における文化背景がある。
インドにおける食事は伝統的には「個食」だ。古い時代のインド映画で、夫に金属皿を渡した妻が、次々におかず、ローティーやご飯をサービスしていく。夫はそそくさとそれらを食べてサッサと立ち上がって去っていくような描写がなされていた。画面には出て来ないのだが、奥さんはその前か後に、やはりそそくさと食事は済ませているはずなのだ。
会食は儀礼的な意味合いを持ち、婚礼その他の社会的通過儀礼の際以外にも、たとえば何かあって所属するコミュニティー(カースト)から追放された個人が復帰する場合には、コミュニティの仲間が集まって彼の復帰を認める印として会食がなされていた。
グルドワラーでのランガルは、食べ物に事欠く人への慈善行為や食いしん坊へのサービスなどではない。カースト、コミュニティが異なる人と食事を共にしないというタブーを破る行為であり、そういうタブーをタブーとしない「我ら同じ人間」というコミュニティーの一員であることを確認する儀式的な行為なのだ。
とても暗かった高級レストランは、様々な出身の人たちが同じフロアーで食事をすることに対して、「闇」というパルダー(カーテン)を用意して個々の客それぞれに「専用空間」を演出していた。同じ場所で食事をしているように見えても、闇で仕切られている個の空間であったのだ。
エコノミーな食堂でも、保守的な地方では席ごとにキャビン状に仕切ってあったり、布のカーテンで個室的な空間を用意するところがよく見られたことも、同じ理由による。
こうした背景から、インドの宿泊施設では料金帯を問わずルームサービスが普及している。保守的な価値観ではやはり食事の基本は個食であるからだ。
90年代半ば、時の若手人気俳優、今でも盛んに活躍している人気スターだが、「レストランで食事している様子を写真に撮られた」とのことで、カメラマンを小突いた(実際には激しく殴ったらしい)ことで問題になりました。そのとき彼のメディアに対しての釈明はインド人ならば「なるほど」と理解できたものであっても、おおかたの外国人からするとその範囲ではないだろう。
「セックスや排泄と同じく、極めてプライベートな行為をしている最中を撮られた。こんなことが許せるのか?」というものであったからだ。この俳優の表現には、極端な誇張があるとはいえ、インドに屋台文化が無かったことには、このような文化背景がある。
そんなあり得なかったことが今は当然のものになってしまっている裏には、90年代後半以降の急激な経済成長とライフスタイルの変化がある。今のインドの中年期以降の人たちにとって、食事のありかたひとつ取っても、「僕らの子供の頃からは考えられない」今の時代だ。
そうそう、「家族連れの外食」についても、90年代後半のインド市民の間での「旅行ブーム」勃興以前には、大都市圏や当時のメジャー観光地を除けば例外的な行為であった。そのため80年代以前のインドには「フォーマルだが薄暗いアップマーケットなレストラン」や「とにかく減り腹を満たす安食堂」「通な旦那衆のための硬派なグルメの店」はあっても、「ファミレス的な明るいレストラン」は不在で、「家族連れも仲間同士も仲良くガヤガヤ」の屋台文化にも無縁であった。

ヴィラーサト・トラストでは、村々で民俗画保存の活動を進めるとともに、インド各地や欧州を含む海外でも展覧会やワークショップを開催するなどして、ハザーリーバーグ周辺の村々の民俗画への認知を高める取り組みを実施している。
また、アーティストたちによる作品を空港、鉄道駅などに展示するたともに、バザーリーバーグの公共施設の塀などにも描かせることにより民俗画への認知度を高める試みを実施している。
行政もこうした活動については前向きのようで、活動のために資金その他の支援に乗り出しているとのこと。ジャールカンド州ではまだ存在しているとは言い難い観光業の振興への貢献も期待される。
しかしながらスポンサー側にも都合や思惑があり、本当は鉱物由来の染料で描くところ、ペンキを使うように言われたり、ジャールカンドのアーディワースィー(先住民)のヒーロー、ビスラ・ムンダーを描くよう頼まれたりしたりと、当惑するようなことがいろいろあるようだ。
しかしながらこれまでの取り組みが功を奏して、ハザーリーバーグ周辺の民俗画がGIタグ(Geographical indication Tag)取得することとなり、この地域固有の文化としてさらなる認知が高まることが期待される。
GI tag for Jharkhand’s Sohrai Khovar painting, Telangana’s Telia Rumal (The Hindu)
ハザーリーバーグのソハラーイー・ペインティング、コーワル・ペインティングについては、これに関する研究を長年続けてきたブル・イマーム氏による以下の文章をご参照願いたい。
コロナ禍のため、しばらくの間はインドと諸外国との間の往来が困難な状況が続いているが、長期的にはインドの新たな魅力として広くアピールするポテンシャルに満ちているはずだ。
絵が商業化されて、男性の描き手が続々参入してくるという、ミティラー画等と同じ轍を踏むことになるのかもしれないが、これらの伝統を維持してきたアーディワースィー(先住民)の人々の暮らしぶりや村でのライフスタイルなどといった生活文化も合わせてトータルにアピールできるようになると良いと思う。
得てして、商業化、観光化というものは、外部からの資本とマンパワーの進出を招き、もともと現地に暮らしてきた人たちのメリットが顧みられないようなケースが少なくないのだが、そのあたりのバランスをどう保っていくのか、今後の進展に注視していきたい。

既出だが、ドウジーナガル村すぐ外の民家。訪問当時、ホームステイ受け入れを打診中とのことであった。まさにそれが描かれている家に滞在しながら民俗画を鑑賞できる機会が出てくると面白いかもしれない。









※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

イスコの村の近くには、大地に横たわる大きな岩の割れ目に描かれた絵が残されている。10,000年以上も前に描かれたものであるとのこと。この時代にどういう人たちが暮らしていたのか、これを描いたのはどういう民族なのかなど。まだよくわかっていないらしい。ここに描かれている絵と現在の民俗画との関連性が指摘されているとも言う。もしかすると、ザーリーバーグ周辺の民俗画は、インドの古代史におけるヴェーダやインダス文明よりもはるか昔にまで遡るものなのかもしれない。





















※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

午後はムンダーの人たちが暮らすイスコーの村、そしてジョラーカートの村へ。やはり土造りの家は手入れがなかなか大変なようで、しばらく放置されていると、このようになってしまう。背後にはレンガ積みの建物があり、やはりこちらのほうがはるかに耐久性は高そうだ。


民俗画を描く習慣は、農作物の収穫が終わる時期に、土壁の補強、補修を施したうえで、のものであるだけに、レンガ積みの家屋、あるいはそれよりも費用がかかるコンクリートの家が建つようになると居場所を失ってしまう。





今のように現金収入に乏しい生活を続けて土造りの家に暮らすという前提あってこそ続けていくことができる伝統であるゆえ、村人たちの生活向上という、あるべき未来がやってくる前に、なんとかこれを紙などに描くアートとして定着、振興させて現金収入の有効な手段となるところまで持って行く必要がある。時代が移り変わるとともに廃れてしまうことになるからだ。
また、家々に描かれた民俗画というものによる観光の振興というのも、そうたやすいものではないものがある。なぜならば彼らの生活の場に踏み入ることによって鑑賞することが可能になるわけであり、今回訪れた私のように彼らの民俗画を振興させようという活動をしている人に連れてきてもらう分には、彼らにとってもまだ珍しい訪問者は歓迎されるのだ。しかし、そうした立場の人による案内なしに、彼らの村に観光客が次々に訪問するようなことになったり、さらにはプライベートな空間に押し入ったりということは、まったく好ましいものではない。
そうした面からも、この民俗画を「アート」として広く認識させて、これを描いたものが家の壁であれ紙であれキャンバスであれ、正当に評価されるというインフラが必要となってくる。私がここを訪問した後、ヴィラーサト・トラストによる長年の働きかけが功を奏して、2020年5月にハザーリーバーグの民俗画に対してGI (Geographical Indication) Tagが認められたのは、大変喜ばしいことだ。
GI tag for Jharkhand’s Sohrai Khovar painting, Telangana’s Telia Rumal (THE HINDU)
イスコーは小さな村だが、次に訪れたジョラーカートは村落の規模としてはかなり大きく、その画風も他の村とは異なる大変ダイナミックなものであり、見応えがあった。この村の絵はカラフルなものではなく黒の単色なのだが、描いた後で櫛状のもので表面を削ることにより、立体感、躍動感を表現している。













































村の家の姿見。家の入り口のところに、割れた鏡が壁にはめ込んであるのをよく目にする。なぜ割れているのか、敢えて割って何人かで分けたのか、それとも割れたので捨てるよりはと、そうしたのかわからないが、確かに外出する際にササッと整えるため、こうしてはめておくのは理にかなっている。


※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

本日午前中に向かうのはカランティーという村で、クムハール(陶工)のプラジャーパティと呼ばれる人たちが暮らしている。村によってずいぶん柄が異なるのは大変興味深い。そのいっぽうで前日のドウジーナガルのようなやたらと背が低い家が特徴のところもあるが、建物自体の様式については村や民族が違っても、見た目は変わらないようだ。華やかな絵のすぐそばに洗濯物や農具がたくさんあったりするが、これが正しいありかたなのだ。生活空間なのであるのだから当然のことである。









こういうのを目にすると、この地にはなかった観光業という新しい産業が出現した場合の村の未来が見えるような気がする。小さい中庭にイスがいくつかあって、旅行者たちが腰掛けておしゃべりしたり、日記を書いたり。お茶をお願いすると、おばちゃんが土のカマドで沸かして淹れてくれる。土造りの家屋の中で開業したゲストハウスや食堂の様子が。
生活の利便性は格段に上がるので村の人々がレンガやコンクリ造の家に住み替えるのは、自然な流れであるとしても。茶屋や宿屋として昔ながらの家屋を残すことが出来たらいいかもしれない。現金収入の手段として既存の家屋を使えるし、そこから上がる収入の何割かを保守に使えるだろう。宿泊客に食事を出せば、そこからもいくばくかの収入が上がるし、雇用機会も増えるだろう。おかげで村人たちの食生活も向上が期待できるし、子供たちの学費に回す余裕も出てくるとうれしい。
素敵な絵を描く女性たちの中に、普段はご主人とムンバイに住んでいるという人がいた。ディワーリーの前あたりからこちらに戻ってきて描いたのだそうだ。ムンバイで何しているかは不躾に聞けないが、彼女と交わした話の内容から察するにマズドゥーリー、つまり日雇い仕事を夫婦でやっているようだ。この家を宿にしたり、カフェにしたりして夫婦で切り盛り出来るようになれば、故郷から離れてそんなキツい仕事しなくていいし、安全に暮らせるようになる。そんな将来がすぐそこまで来ているといい、と私は思う。

















言葉がわからなければ気がつかないこと思うが、村の人たちはヴィラーサト・トラストの夫妻には、お金のことでかなり生々しいことを言っている。ちょうど観光客ズレした地域で旅行者たちが言われるようなことと同じような内容である。そんなこんなで、けっこう心労も多いのではないかと思うが、ふたりともそういうあしらいには慣れているようで上手にやり過ごしている。このあたりはインドでどこに行っても同じようなものだ。ここが観光化されたら、なかなか手強い土地になるかもしれない。それでも村の人々の生活向上と民俗画の認知の向上に繋がるのであれば、大いに振興されると良いと私は思う。
だが、あくまでもこうしたアーディワースィー(先住民)の人々自身が主体である場合であって、外からやってきた商売人たちがお金で支配されて、本来主人公でるべき彼らがそれらの下働きをするようになるようでは本末転倒である。しかし資金やノウハウは先住民の人たちの手中にはないはずなので、なんとももどかしいところである。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ベールワーラーを後にして、ドウジーナガルの村へ。日本で言えば、神仏混淆のようなものだろうか。彼らの信仰はヒンドゥー教から入ってきたものと、部族伝来のものが入り混じっているそうだ。
先住民族であるアガリヤー族の家屋だが、ヒンドゥーのシヴァ神のシンボルであるトリシュールこと三又の槍が見えるが、何本かの長い棒とともに中庭の細長い基壇に立てられている。右手の部屋の中は、この家のマンディル、つまり祭壇となっているのだが、ヒンドゥーの神像の姿はなく、スパンコール状の飾りが壁に貼り付けてあるだけだった。とりあえず何か祈祷をするための場所であることは明らかだったが、ヒンドゥーの祭壇というわけではないのだ。


上の画像下部中央につま先がひっかかってしまいそうな崩れた突起みたいなのがある。何かここにしつらえてあったものが壊れて放置されているわけではなく、これはアガリヤー族の人たちの「祭壇」なのだそうだ。そう言われないと、大切なものであるとはまったく気がつかない。

ジャールカンド州のハザーリーバーグ周辺の先住民たちと、チャッティースガル州バスタル地方の先住民とでは民族も文化も異なるのだが、後者でもこのような「ヒンドゥー教徒とはまったく違う」あるいは「ヒンドゥー教みたいに見えるけど実は違う」というものをよく目にした。だが、村を出て街に暮らすようになったりすると、元々持っていたヒンドゥー教との親和性の高さから、「対外的にはヒンドゥーとして生きる」人たちは少なくないのかもしれない。
もともとは金属加工(鍛冶屋)を生業にしていたというアガリヤー族だが、なぜか家屋の屋根が大変低いのが特徴的だ。入口しゃがんでくぐっても頭頂部をぶつけるほどだ。家の造りそのものは、クルミー族の家と変わらないのだが。




さらに面白いのは、彼らの村でもレンガ+コンクリの建物への建替えが増えているが、伝統的な家屋以外では、天井の高さは他の民族(少数民族でないインド人を含む)と同じとなり、なぜか「ものすごく天井が低い建物」にはしないのだ。




ドージーナガル村の近く、畑の中に一軒だけポツンと存在する家がある。ドージーナガル村と同じくアガリヤー族の家屋だが、驚くほど手入れが行き届いていて、絵も素晴らしく充実しているだけでなく、床面の装飾にも凝っていた。







案内してくれているヴィラーサト・トラストのご夫妻が「来月来るお客を泊めないかい?」と話を持ちかけており、バザーリーバーグの民俗画のある家で初の「民泊」のケースとなるかもしれない。彼らによると、周りは畑で他の家屋がないというロケーションも良いのだそうだ。何軒も並んでいると、「なぜ彼の家に泊めて、ウチには来ないのか?」となったり、お客の取り合いとなることが目に見えるからであるとのこと。
それはともかくとしても、周囲が畑の緑に囲まれているのは気持ちが良い。たとえこうした伝統的な土壁の家でなくてレンガ+コンクリの建物であっても、こういう環境下にこじんまりとした簡素かつ清潔な宿があったら、ぜひ利用してみたくなることだろう。
※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

一夜明けたこの日は、ベールワーラーへ。
ベールワーラーで、最初に訪問した家がパルヴァティー・デーウィーの家。この人の絵は他の人たちとずいぶん違い、色使いもタッチもアイデアも、要はすべてが素晴らしく、プロフェッショナルな感じだ。





ヴィラーサト・トラストは、これまで幾度も海外でワークショップを開催しているが、パルヴァティーさんは、まだそうした機会に参加したことはないとのこと。ひとたび欧州や、北米等で、彼女が人々の前で描く機会を得たら、一気にブレイクするのではないかと思う。寒村で自宅の壁に描くだけで終わってしまってはあまりにもったいない。
「いやーすごいですねー。こんな美しい絵は生まれて一度も見たことがありません。これからもないでしょう。まるで天国の夢を見てるみたいですよ!」と褒めると、ちょっと困ったような、そして恥ずかしそうな表情をする素朴な主婦であった。






こういう村で、人を介在することなく描き手と直接話ができるのは大変ありがたい。ヒンディー語圏ならでは恩恵をひしひしと感じる。パルヴァティーさん以外にも、他のムラで素晴らしい絵を描く人たちと会ったが、みんな絵を仕事にしているわけではなく、家の手入れと掃除の家事仕事の一部として描いているため、褒められても、割とポカーンとしているし、あまり多くを進んで語らないのは、やはり家事の一環としてやっているからなのだろう。


村の中にはいくつかこういう絵の描いてある家屋がある。このベールワーラーもクルミー族の人たちの村である。前年はとてもきれいに描いていた家でも。今年は壁を塗り替えただけで終わってしまっていたり、絵が下書きや途中で終わってしまっている家がけっこうあるとのこと。描くことの目的が祝祭の時期のためなので、このタイミングを外してしまうと、後から完成させることはないのだそうだ。そのような状態になっている村がここだけではないため、翌年は村々を回り一ヶ所1泊2日くらいでワークショップを開催したいとのことであった。




※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

ハザーリーバーグ周辺のこうした村々は、簡素だがとても清潔にしていてあり、ゴミひとつない。醜悪なプラゴミなどもないため、こうしたポップな民俗画で一杯なので、まるでおとぎの国にでも来たかのような気がする。
遠くから見ると、チャトリーのようにも見える収穫した稲藁でできた屋根。これは「ポーワル」と呼ばれる。下では牛やヤギを囲って飼う。屋根はそのまま少しずつ飼料として与える。牛のフンは燃料となり、何ひとつ無駄にならないエコシステムだ。ここに限ったものではなく、チャッティースガル州、オリッサ州その他でも見られる。

本日訪れた「オリヤー」と「アンゴー」どちらもアーディワースィー(先住民)のクルミー(という少数民族)の村で、土着文化及び信仰とヒンドゥー教文化が混淆しているような具合だという。
もともと独自の民族衣装があったそうだが、えてしてそういうものは手間もコストもかかるため、今の時代はマーケットで安く買える衣類を着ている。同様に、独自の言語もあるそうだが、それほど人里離れたところの集落というわけではなく、村人たちの町への出入りも多いため、日常的はヒンディー語も平行して使用しているそうだ。
ヒンディー語州であっても、チャッティースガル州のバスタル地方のアーディワースィーの村々を訪問したときは、ガイドとして依頼した人を通してでないと、コミュニケーションが容易でないことは多々あったのだが、本日の村々では、目の前にいるおじいちゃん、おばあちゃんから、子供たちまで、村人たちとごく当たり前に会話ができるのはありがたかった。
ヒンディーが広く使われているがゆえに、盗み聞きしようとしているわけではないのに、耳に入ってきてしまうものもある。どうやらテレビの取材班が最近ここに入ってきたらしく、一部の人たちに現金等を配ったらしい。その恩恵に預かることができなかった人たちはこれが不満で、取材班とは関係のないヴィラーサト・トラストのご夫妻に対して、「自分たちの分け前をくれ」と不条理なことを要求しているのが聞こえてくる。
ご夫妻自身、この扱いに手こずっていて大変そうであったが、なにぶん彼ら内輪のことであり、お金のことでもあるので、こちらは遠巻きにしているしかない。村にこれまで無関係であった第三者たちが勝手に入ってくると、それまでの秩序が崩れて、面倒なことになるものだ。
案内していて、良い意味でびっくりすることもあった。昼間は家族総出で田畑に仕事に出ている世帯が多いのだが、どの家もカギなどかけていなかったり、そもそもカギを付けるためのカンヌキや金具さえもない扉が多かったりするのだ。不用心なように思えるが、それほど村の治安が良いのだろう。


ここでもうひとつ驚いたのは、案内してくれるご夫妻が勝手知ったる我が家のごとく、家人が出払った家の中へ「さあ、どうぞ、どうぞ」とずんずん入っていってしまうことだ。つまり、そのくらい良い関係が築かれているということである。絵を描くことに対する援助や各種アドバイスを受ける彼らとって、不在時にも誰か連れてきたらテキトーに見せて案内してね、という了解が出来ている。さすがはこの地で長年活動しているがゆえ築かれた相互の信頼関係である。


「手入れをしても何年間維持できるのか?」という感じがする「カッチャー・マカーン」だが、築100年を越えるものがあるという。我が家に愛着を抱いて毎年補修を繰り返し、美しい絵で愛情を吹き込んでやれば、100年以上も維持できるものであるとすれば、毎年秋の収穫が終わる時期にせっせと壁を塗り直して新たに絵を描くという村の主婦たちの行動は、実は大変理に叶ったものということになる。伝統というものは、よく考えもせずに毎年繰り返される習慣というわけではなく、優れた知恵の継承という側面もあるらしい。
※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。


家族が亡くなったり町に出ていったりなどで、一人で暮らしているという老婆の家では、彼女が住む小さな離れは、このように絵が描いてあったが、もっと大きく往時は立派であったと思われる母屋は壁がヒビ割れたり、外側に膨らんだりして崩壊しかかっていたりした。やはりメンテ「カッチャー・マカーン」は、メンテナンスに手間隙かかるものなのだ。レンガ積みの構造にコンクリートで固めた家屋ならば、一度外壁をきれいに仕上げておけば、放っておいてもそう簡単に崩壊するようなものではないが、素材が土だとそうはいかない。乾期はそれでもよくても、毎年やってくるモンスーンの時期を、メンテナンス無しで複数回乗り越えるのは至難の技だろう。

そんなこともあり、村の人々の多くは本音ではレンガ積みやコンクリート造の家を望んでおり、今でも伝統的な家屋に住んでいるのには、愛着というよりも経済的な理由があるらしい。昔ながらの趣はあっても、いろいろ面倒が多い生活よりも、便利で手間のかからない暮らしを望むのは当然のことだろう。そういう事情もあるため、こうした家屋と民俗画の伝統を守るため、絵画の材料となる赤鉄鉱、黄鉄鉱の粉(村では採れないので購入して支給したり、その他インセンティヴを与えたりしているとのことだ。伝統の維持というものは、なかなか一筋縄でいくものではない。



村の人々は日々畑仕事をしていることから、食べ物はほぼ自給自足しているのではないかと思うが、さほど大きな規模の農業を展開しているわけではないため、儲けを期待できるほどの現金収入があるわけではない。それがゆえに、なかなか夢の「レンガ積みあるいはコンクリート造」の家屋建築には手が届かないがゆえに「カッチャー・マカーン」に暮らす。するとこまめにメンテしないと崩壊してしまうので、毎年せっせと塗り替える、描き替えるというサイクルが維持されているというパラドックスもあるように思われるのが、なかなか悩ましい。
村ではところどころ、伝統的な家屋の裏側に建築中の「パッカー・マカーンが建築中であったりする。ゆっくりと、だが確実に変化は進んでいく。










※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。