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カテゴリー: travel

  • ラーンチーへ

    ラーンチーへ

    ムンバイからラーンチーへ空路で移動。機内に乗り込んだのは、ほとんど日が沈んでからであったが、まだ明るさは残っていた。午後6時前に離陸して上空に出てから安定飛行に入ると、どんどん暗くなっていくいっぽうだ。日が沈んでからもしばらく残っていた光は瞬く間に消えていき、夜空となっていく。

    ラーンチー の街の灯りらしきものが見えてきたことに気が付いたのは、夕方7時を過ぎてから。ラーンチーの空港は2013年に開港しただけあって、今どきの空港らしいモダンさ。しかも「国際線乗り継ぎ」の案内もあるし、イミグレーションのカウンターもあった。一応、国際空港としての体裁は整えてあり、立派なものだ。まだどこからも国際線の乗り入れはないし、そういう計画も聞かないのだが。

    ラーンチーの街の灯が見えてきた。

    昨年のこの時期、着陸して腰を抜かしそうになったラーイプル(チャッティースガル州都)の空港ほどのウルトラモダンさではないとはいえ、近年はインドの田舎州でもずいぶん立派な箱モノを造るようになっている。

    空港のターミナルビルを出た。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • EMPIRE ROYALE HOTEL

    EMPIRE ROYALE HOTEL

    ムンバイのエンパイア・ビルディングにある「エンパイア・ロイヤル・ホテル」というエラそうな名前だが、ドミトリー専門のホテルらしい。
    ボロッボロかといえば、そういうわけでもなく、けっこうキレイであるという評判。
    1901年開業というから、120年近く営業している老舗ということになる。
    当時は安宿ではなく、いつしか没落してこうなったのかもしれない。
    歴史があり建物も立派で、ちょっとした名門ホテルになっていてもおかしくないのに、「未完の大器」のままで年月を経たホテルというのは、インドにけっこう多い。
    だがまさにこういう宿こそ、ホテルが歩んできた道のりの悲哀とか喜怒哀楽みたいなのが感じられ、味わい深いと言える。宿の快適度は宿泊料金に比例する部分はあるかもしれないが、こういうヘリテージな部分については、たとえ四つ星、五つ星ホテルといえども、敵うものではないのである。

  • おじいちゃん 、おばあちゃんの公園

    おじいちゃん 、おばあちゃんの公園

    ボンベイの湾岸風景の美しさをアピールするためにチョウパッティービーチから撮影した写真をよく見かけたことがある。本当に良い眺めだ。ブラジルのリオデジャネイロの海岸風景に匹敵するだろう。いや、それを凌駕すると言いたいところだ。

    さて、そのチョウパッティービーチの背後に静かで素敵な公園がある。界隈に住んでいるらしい年配者たちが静かに歓談しているが、よく整備されているのにとても空いている。

    入口のゲートに回ると「ナーナー・ナーニー・ウデャーン」と書いてある。おじいちゃん、おばあちゃん公園とは変な名前だが、園内はきれいでとても静かだ。

    ここに足を踏み入れてみると、ちょうどここから帰ろうとしているおじいさんに注意された。「ここはシニアシチズン専用なのです。申し訳ないけれどもね。そういう年代になってから来てください。」

    ゲート付近に注意書きらしきものが出ているが、マラーティー語のみで書かれているのでよくわからない。同じデーヴァナーグリー文字を使う言葉でもネパール語はヒンディーの知識である程度の見当がつくが、マラーティーだともう少し距離があるようだ。看板に出てくる「クリパヤー」「ナーナー」「ナーニー」とか「スーチナー」あたりは共通なので拾えるのだが。

    ここは、還暦を迎えないと入ってはいけないとのこと。そういう公園があるとは思わなかった。

    「NANA NANI UDYAN (おじいちゃん、おばあちゃん公園」と書かれている。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 漢字のイメージ

    漢字のイメージ

    これはインド人がイメージする「漢字」であるらしい。

    日本人の多くがアラビア文字のことを「ミミズがのたくったような」と捉えているので、人のことは言えない。

    ムンバイのフォート地区のアートスペース入口にて。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • フォート地区の「TASTE OF KERALA」

    フォート地区の「TASTE OF KERALA」

    カッパーをイワシの煮物とともに。ボンベイのフォート地区のケーララ料理店にて。この取り合わせは、なかなか見栄えがする。ともに鮮やかなオレンジ色と黄色。歯の間にグサグサと入ってくる小骨を感じながら、ホクホクのカッパーと塩味の効いたグレイビーのコンビネーションを楽しむ至福の昼下がり。

    TASTE OF KERALA (Zomato)

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • NEW MARTIN HOTEL

    NEW MARTIN HOTEL

    NEW MARTIN HOTEL

    ムンバイのコラバにあるNEW MARTIN HOTEL。こちらもゴア料理屋で、先日取り上げてみたGABLES RESTAUNRANTのすぐ近くだ。

    ここではとにかくステーキが旨い。やっぱり肉は牛だ。かなり筋張った肉のようだが、上手に筋切りしてあるためとても食べやすい。デザートに「カスタードゼリー」を注文。こちらも素晴らしい。

    ステーキ
    カスタードゼリー

    夕飯もこの店で、フィッシュカツレツとチキンプラオ。プラオはゴア料理になると洋風になるのが面白い。フィッシュカツレツは、さつま揚げからツナギを抜いた感じ。プリプリした歯ごたえはないのだが、これはこれで美味しい。

    フィッシュカツレツ
    プラオ
    メニューはシンプルな構成

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • GABLES RESTAURANT

    GABLES RESTAURANT

    店にいるネコ。迎えてくれたと思ったら、サッサと居眠りに入ってしまった。

    コラバには数軒のゴア料理屋があるようだが、入店すると「いらっしゃい」と、にこやかに寄ってきたので、私はてっきり店のネコかと思ったのだが、「店のペット」装って居座るノラ猫であった。

    スタッフたちは特に気にする様子はない。愛想よく、人前では行儀よくしておくことは、ノラ猫が快適にサバイバルしてゆくコツである。3食昼寝付きで、お客がいなければ客席で寛ぐ権利も与えられているという、破格の待遇だ。閉店時に外に出るのは自由だが、店内に居たければそのまま滞在できるようだ。ノラというよりも、ほとんど飼い猫に近い。

    どうやら、飼い慣らされているのは、ネコのほうではなく、店を切り盛りする人間の側であるようだ。

    さて、インド全土でゴア料理店が見られるわけではないが、英領期にはゴアのクリスチャン料理人たちが広く分布した。遠く離れたデリーや連合州(現在のUP)その他の英国人その他欧州系の家庭やクラブで重宝されたからだ。食材のタブーがなく、クリスチャンであるという安心感(英国人たちが生活する地域のコミュナルな問題と無縁でもある)が主要因だが、彼らのポルトガル・ゴア折衷料理も楽しまれたことだろう。

    英国人たちは男性が単身で渡ってくるのが大半だったが、ポルトガル系のカトリックのゴア人が女性と結婚する例も少なくなかったようだ。これについては、在印英国人社会では「堕落」と捉えられることが多かったらしい。彼らが「ネイティヴ」であることに加えて、カトリックであるため、子供が生まれるとプロテスタントではなく、カトリックとして育つことが懸念されたともいう。

    フィッシュカレーでご飯を食べて、食後にチャーイを楽しんで一息つく。店のショウウインドウには、ゴア名物の菓子でポルトガルにルーツを持つ「ベビンカ」も置いてある。ムンバイに居ながらにして、ゴアのムードを味わうことができる空間だ。

    GABLES RESTAURANT (Zomato)

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

     

  • コラバの「FOOD INN」

    コラバの「FOOD INN」

    コラバのFOOD INNにて。このエリアに投宿すると、ここに足を運ぶことが多い。特筆すべき店というわけではないが、あらゆる料理がどれを注文しても期待以上の美味しさで、旅行者など一時滞在者の利用が多いにもかかわらず良心的だと思うからだ。

    食事のカラフルな口直しの写真をしつこく撮っていたら、食堂のボーイは私がこれをいたく気に入ったものと勘違いしたようだ。

    「もっと沢山お持ちしましょうか?」などと言う。

    こんなものを腹いっぱい食べるわけないだろう。(笑)

    Food Inn (zomato)

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ムンバイのアイスランド領事館

    ムンバイのアイスランド領事館

    コラバコーズウェイから「Walton Rd.」という路地に入ったところにある宿泊先の隣、コラバのショボくれた、セキュリティーもない建物にアイスランド領事館が入っている。

    塀のすぐ外では露天商たちが商っている。領事館だからとお高くとまらず、庶民的でよろしい。

    しかし、こんな旅行者ゾーンにオフィスを構えていては、アイスランドから派遣されているスタッフたちもどうにも落ち着かないのではないかと思ったりもする。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • SIM超速開通

    SIM超速開通

    タイやネパールのように「購入したその場で開通」という具合ではなく、購入してから電波を受信できるようになるまでしばらくかかり、受信できる状態になったら「ヴェリフィケーション」を実施してしばらく待ってからようやくネットを使えるようになるインドでは、入国してからすぐにネットを利用することができず、ちょっと不便な思いをしていた。

    すぐにネットがなければ旅行できないわけではないが、日常生活でネットなしで30分と過ごすことすらないので、こと旅先ともなると、ものすごく不便に感じるのは当然のことだ。

    そんなインドで、「SIM開通がずいぶん早くなったよ!」と聞いていたとが、購入後なんと10分だか15分だかで開通して、いたく感激した。

    以前は購入した翌日だったこともあった。その後所要時間が半日になったり、3、4時間になったりしていた。都会で買いそびれて、グジャラートのブジで購入したら、開通まで1週間くらいかかったこともあった。もちろん今でも田舎で外国人がSIMを購入しようとすると断れることは珍しくないのだが。

    今回は手で記入するフォームではなく、店の人が自身のスマホに入っている「登録用アプリ」で入力しており、パスポートの画像を入れ込んだりして登録していた。今や写真も不要となり、店の人がスマホで撮影したものをフォームに落とし込んでいた。ずいぶん便利になったものである。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • インドの英語

    インドの英語

    インドにおける旧英領のレガシーのひとつに英語がある。どこに行っても、少なくとも都市部で英字紙を目にしないことはなく、その他の出版活動はもちろんのこと、テレビニュースや街中の看板や広告などにも英語が氾濫しており、同様に流暢な英語をしゃべる人たちも多い。

    旧英領であったから今でも英語が広く通用しているという面はあるのだが、統治していた期間、現地の言語事情や独立後の政府の方針などにより、行政・教育の仲介言語として英語が引き継がれるかどうか、またどの程度使用されるのかについては様々である。

    同じ英領インドから分かれた国であっても、パキスタンとなるとウルドゥー語の地位に対して英語はさほど高いとは言えないし、バングラデシュとなると、国民のほぼ大半がベンガル語を母語とするベンガル人から成ること、加えて東西パキスタン時代においては、西からの独立運動におけるベンガル語の存在は象徴的な意味合いもあったため、現在のバングラデシュにおけるベンガル語のステイタスは、インドにおけるヒンディー語のように「下駄履きの言葉」であるかのようなぞんざいな扱いではまったくない。

    また、ミャンマーにおいてはこうした限りでもなく、多民族・多文化から成る国家でありながらも、独立後は行政・教育の仲介言語のビルマ語化が強力に推進され、英語は排除されていくこととなった。その単一言語化に見られるような極めて中央集権的な手法のもとで、それまで各地の藩王に任されていた自治の簒奪も含まれていたのだろう。独立間もないころから各地の少数民族が叛旗を翻すこととなった。1962年のクーデターで中央政府の実権を掌握したネ・ウィンは、さらに国粋主義=ビルマ族主義の政治を推し進め、様々な地方の反政府勢力との対立関係は恒久化することとなった。この国では、かつて英領であったことをまったく感じさせないほど、一般的には英語がほとんど通用しない。

    また、英領下に入ったことがないのに英語がかなり広く浸透しているネパールにおいては、隣国インドへの進学・就職といった接続上、やはり英語というものが大切であったり、国の根幹産業である観光においても必須であったりするという背景があるからだろう。

    また、ブータンにおいては、1970年代に学校教育の英語化が推進され、国語であるゾンカ語の授業以外は、基本的に英語でもって授業がなされるようになっている。背景には各教科の授業を英語化することにより、バラエティ豊かで内容も進んだ外国における教科書やプログラムの導入が容易となり、卒業後に専門教育に進んでからも同様に外国のそうした文物をダイレクトに吸収できるメリットを是としてのものだろう。ヒマラヤの山間の小国が近代化を図るにあたっての英断であったと言えそうだ。

    もちろん、ここで言う「外国」とは、お隣にあり外交的にも特別な関係にあるインドのことであり、学校教育の英語化に当たってはインド政府の全面的な協力により、多数のインド人教師たちが各教科に渡り、またブータン全土で活躍したとも聞く。

    そんな「英語の国インド」であるが、都市部とそれ以外、また州や地方による差異はあるが、平たくならすとインドにおける初等教育の場で、イングリッシュ・ミディアムによる学校はわずか17%に過ぎないという。日本においては、外国人子女向けに設置されているインターナショナルスクールの類を除けば、ジャパニーズ・ミディアムによる学校が100%であることを考えると、大変なものではあるのだが。

    インドにおける英語教育ないしは英語のあり方は、日本のそれと大きな違いがある。日本において、英語は「外国語」であり、「イギリス、アメリカ、オーストラリアにニュージーランドなどの言葉」と一般的に認識されており、教育の場でもそのような扱いをしている。

    そのため英語教育の場には、こうしたアングロサクソンの民族語としての色合いが濃く、テキストなどに出てくる会話場面などでも、英米の街中でのやりとりなどが想定されていたり、そうした地域でのトピックなどが取り上げられていることが多い。

    インドにおいて英語は外国語ではなく、「インドの言葉」として教育・運用されている点が私たちのそれとは大きく異なると言える。たとえわずか17%の学校であっても、日々そこでの授業が英語で与えられ、課題等も英語で実施するとなると、日本において同じような年代の生徒・学生たちが「外国語の授業として教えられる英語」とでは、運用力や理解の深さに大きな差が出ることは言うまでもない。

    またインドの都市部では「英語が母語」という人たちは少数派ではあるが、確実に存在する。そうした人たちが暮らすエリアは下町などではなく、中産階級以上が暮らすポッシユなエリアの立派なお家ということになるが。とはいえ、決して「インドの言葉を理解しない外国人駐在員家族」などのような立場ではなく、経済的にも豊かで羽振りの良い自分たち、インドの文化や習慣などにも造詣の深い自分たちこそが「インド人の中のインド人」と自負している。

    そんな彼らだが、家から一歩出れば人々と言葉を交わすのに現地の言葉を当然流暢に使い、普通にコミュニケーションしているのだが、それでも家の中で家族との会話は昔からいつも英語、読み物や新聞なども常に英語。ヒンディー語など現地語も読めなくはないのだが、その読み書きは幼少時からほとんど習っていないため、字面を追うだけで頭が痛くなる。でもテレビのエンタテインメント番組や映画はヒンディー語その他現地語なので、夕方以降はそうしたブログラムを観てゲラゲラ笑ったり、悲しいストーリーに涙したりする。

    そんな彼らの英語は、米英の人を真似たアクセント、会話の中でのリアクション、ちょっと気の利いた言い回しまでもを模倣しようとしたがる日本人のそれと違って、インド人の英語はインド人がお手本なのでブレることがないのである。やはりその言葉が自国のものとしてきちんと消化されているがゆえ、「インドの言葉として英語を使う」インド人らしいところである。

    A Sampling of Indian English Accents (Youtube)

     

  • HAVELI DHARAMPURA

    HAVELI DHARAMPURA

    デリーで、かねており聞いていた古いハヴェリーを改装してオープンしたホテルに食事に出かけた。チャーンドニー・チョウクの庶民的な細い路地を進むと、前触れもなく「ジャジャーン」と突如あらわれる唐突感も良い。

    元々、ジャマーマスジッド周辺やチャンドニーチョウク界隈には、ムガル時代からの貴人や富裕層が暮らしていたため大きな邸宅(ハヴェリー)は多かったのだが、印パ分離により、そうしたムスリム上位層が大量に流出した。そこに庶民層(のムスリム)やパキスタンから流入してきたヒンドゥーの避難民などが定着したがゆえに、大きな屋敷が細分化されて住居や店鋪となったり、集合住宅化したりしているため、往時の姿を留めていないものがほとんどであるため、このホテルは大変貴重な試みであると言える。

    この施設HPには、ハヴェリー修復の「Before & After」の写真も掲載されており、これもまた大変興味深い。界隈にいくつもある荒れ果てたハヴェリーも、実は「磨けば光る玉」であることがお判りいただけることと思う。

    HAVELI DHARAMPURA

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。