バーングラーデーシュに行ってみることにした。コールカーターの宿泊先のフリースクール・ストリートと交差するマルキス・ストリート沿いにいくつかの『国際バス』のオフィスがある。バスが出発するのもまさにそこであるので都合が良い。
前日にそうした事務所のいくつかを覗いてみて、出発時間を調べておいた。一部の例外を除いて朝方の便が多い。とりわけ日の出前の時間帯に集中しているようだ。始発のコールカーターからダッカまで12時間くらいかかるので、そのくらいに出ると都合が良いのだろう。
中にはチッタゴンやスィルヘートまで行くチケットを売っているところもあるようだが、おそらくダーカーで乗り換えることになるのだろう。決して広大ではないこの隣国を横断してトリプラー州のアガルタラーまで行くルートもあるようだ。
ちょっと疲れ気味で、朝あまり早く起きるのは辛かったので、楽な時間のものはないかと探すと、8時ごろ出るバスがあったのでそれを予約した。私の本日の目的地はバスの終着地の首都ダーカーではなくクルナーなので、国境で下車することになる。
利用するバス会社はシャーモーリー・パリバハン。事務所内に両替所もあり、レートはまずまずのようであったので、バーングラー・ターカーを入手。ちなみにターカーといえば、インドの西ベンガル州でも自国通貨のルピーのことを日常的に『ターカー』と呼ぶことは多いようだ。
インド出国後にわかったが、コールカーターのこのエリアでの隣国通貨ターカー購入の際のレートは、国境あるいはバーングラーデーシュ国内でのレート同様・・・というよりも、かえって若干有利なようである。
東の隣国からやってくる人が多いがゆえに、この界隈でバーングラー・ターカーの取引も行なわれているが、インド側の人々が通常必要とするような通貨ではないので、実勢よりも少々安く取引されていても不思議ではない。隣国ではインドと違い、私設両替商が少なく、銀行で両替するとかなり長いこと待たされるため、ここで必要と思われる金額をまとめて換えておくのがいいかと思う。
カテゴリー: travel
-
お隣の国へ 1
-
香港飯店
華人の影が非常に薄いインドにあって、その人口が集中しているのはご存知のとおりコールカーター。
その中でも彼らの姿が多く見られるエリアといえば、市の東部にある主に皮なめし産業と比較的規模の大きな中華料理店が多いことで知られるテーングラー地区、今はその名残をとどめるに過ぎないが往時はチャイナタウンとして栄えたラール・バーザール界隈、チッタランジャン・アヴェニューなどが挙げられるが、ニューマーケット界隈から消防署を経てパーク・ストリートへと走るフリー・スクール・ストリートもそうした華人たちがかなり多い場所のひとつである。
彼らが経営する男女入口が別々となっている理髪店兼美容室、堅牢そうな履物を多数そろえた靴屋の店先に中華系とおぼしき店主らしい人物の姿が見える。ここ数年来、私がコールカーターに来るたびによく通っている中華料理屋『香港飯店』もその界隈にある。英文では『Hong Kong Chinese Restaurant』と書かれたその店は、コールカーターで生まれ育った鐘さんという客家人兄弟が経営している。
地元ベンガル料理を含めて、インド各地のおいしい料理が味わえる、大都会コールカーターに来てまで中華料理?という気がしないでもないのだが、中華だってこの街の立派な名物料理のひとつといえる。豚肉がまず見当たらない、野菜をやたらと細く刻んである、やたらとグレービーであるなどといった具合に、インド化された部分はあるとはいえ、他の地域で食すインド中華に比べて格段に美味であることが多いと私は感じる。やはり餅屋は餅屋、中華料理は華人あってこそのご馳走だ。
立派な中華レストランが立ち並ぶテーングラーを含めて、市内各所で目に付いた華人経営らしきところで食事してみたが、鐘さんのこじんまりした食堂は高級店と比べても決して引けをとらない味をエコノミーな値段で実現している。特に魚料理がお勧めである。客席のすぐ脇の厨房から聞こえてくる調理の音も臨場感があっていい。
鐘さん兄弟の弟さんのほうとよく話をするだが、これまでこの方にはコールカーターの華人コミュニティや彼らゆかりの場所などについて、多くの貴重な情報や示唆をいただいていきた。
鐘さんの一日は、まず朝6時すぎにマーケットに行き、野菜・肉・魚等の食材を購入。8時すぎには店のドアが開き、フロアーを掃き清めている。同時に厨房では仕込みの作業等が始まっている。9時くらいになれば、もうほとんどスタンバイ状態だ。そして夜は10時すぎの閉店時間までずっと店を切り盛りしている。基本的に年中無休で、休みといえば旧暦の新年の際にほんの数日店を閉めるくらいだとか。
営業中、彼は出納台のところに詰めているとともに、込み合う時間帯や雇っている料理人が休みの日には自ら厨房にも立つ。『買い物、掃除、接客、調理、会計その他諸々、なんでもするよ』『10の仕事を10人で分け合うのが×××人だとすれば、私ら中国人はその全部を一人でこなすのさ。日本人と同じだろ?』という現在50歳の彼は、若い頃に親戚のツテで中国で学んだこともあるのだとか。
最近、コールカーターに投資や仕事関係で大陸からやってくる中国人もけっこうあるそうだ。そうした人たちがしばしば彼の食堂に立ち寄るとのことで、私もそうした人物の姿を見かけた。彼らとってインドで数少ない中国語が通じる店であることもさることながら、ここの料理の味自体もなかなか好評のようだ。
場所は、さきほどのフリー・スクール・ストリートをパークストリートとの交差点方面へと下り、消防署を左手に見て少し進んだところで道路右側にある。
バックパッカーたちをはじめとする各国からの旅行者たち向けの宿が集中するサダル・ストリートからすぐそばなので、このあたりに来ることがあれば、『おいしい中華料理』のために立ち寄ってみてはいかがだろう。 -
スンダルバンへ 5

朝5時半、スンダルバン・タイガー・キャンプのスタッフたちが敷地内を巡回して鳴らすハンドベルによる合図で目覚める。まだ頭の中が半分眠っている感じだ。テラスに出るとすでにチャーイとビスケットが用意されている。6時半にボートは出発。昨日よりも細いクリークを行くとのことである。トラはともかくして、水辺の小さな生き物の様子なども観察できるのかと期待したが、船は昨日のものと同じ。それなりの大きさがあるため細いクリークを往来することはできない。

ツアーに参加する前は、どこか島に上陸して散策することもできるのではなかろうかと思っていたが、それはできないことになっており、基本的に船に乗ったままで景色を眺めるだけである。

いや正確には幾度から上陸している。しかしそれができるのは金網で囲んで安全が確保された、遠くまで見渡せるウォッチタワーのある部分のみである。そうしたところでは足元はレンガを砕いた砂利で舗装され、公園のように整備されているエリアだ。
マングローブが生い茂る水際に足を踏み入れてズブズブと泥の中に沈む感覚を楽しんでみたり、それらの植物の根元に隠れているカニを探してみたり、広大なガンジスデルタでは一体どんな魚がいるのかと釣り糸を垂れてみたりということができるわけではない。もちろんトラの危険という点がひとつ、そして足元がどこまでも茂みでよく見えないこの地域には、さまざまな毒ヘビが棲んでおり危険であるということ、水の中にも海ヘビが数多く棲息しているということもあるのだろう。もちろんそれらに加えて国立公園としての規則その他いろいろあるのだろう。

しかしながらどこか一部、マングローブの森林の中を歩き回り、そこでの生き物たちのありかたを五感で知覚できるような場所がひとつくらい用意されていてもいいように思うのだ。せっかくスンダルバンに来ていながらも、あたかもそれを窓ガラス越しに眺めているような(もちろん船にそんなものは付いていないが)気分にさせられるのである。 -
スンダルバンへ 4

まだ外が暗いうちから敷地内各所からチリチリチリと音がする。ここでは起床時間、食事、クルーズへの出発等々の毎に、ハンドベルを手にしたスタッフたちが通路を歩き回って参加客たちに時間を知らせることになっている。
朝6時に紅茶とビスケットが出た。そして7時にボートでクリークへと向かう。クリークといっても想像していたほど細いところを行くのではなかった。昨日ここに来るときに幾つかのごく細いクリークを目にしていたので、てっきりそういうところを進むのかと思っていたが、私が乗っている船がそういうところを無理に遡行しようとすると、いとも簡単に座礁してしまうだろう。
船の中で朝食が出た。紅茶あるいはコーヒー、そしてサンドイッチとパコーラーである。朝方かなり冷え込んでおり、手のひらの中の温もりが心地よい。

しばらく進むと『タイガーポイント』という大きな看板が見えてきた。トラが多く生息している地域らしい。私たちは岸辺に残されたトラの足跡を見つけることができた。ガイドによれば、夜明け前にここから対岸に泳いで渡るために降りてきたものだという。6時間ごとに満潮と干潮と入れ替わるが、今はまだ干潮なので、その足跡が残っている。まだ私たちが寝ているときにトラがまさにここを歩いたのだ。

ガイドによれば、スンダルバンのトラは5キロも泳ぐことができるのだそうだ。もともとそんなに泳ぐ動物ではないが、スンダルバンという湿地帯に住むため、環境に適応したものだとか。 -
スンダルバンへ 3

このツアー最初の船による見物を終えて宿に戻る。宿泊先であるスンダルバン・タイガー・キャンプで、私が予約しているのは一番下のクラスの部屋だ。申し込んだのが直前であったためそこしか空きがなかったということもあるが、上のクラスはけっこうな値段になっているものもある。
一番安いクラスは『テント』と聞いていたので、軍の野営用のテントみたいなのがあるかと思ったら、それとはかなり違うものであった。必要に応じて移動したりできるようなものではなく、ちゃんとした「部屋」である。テントよりも上のクラスである『小屋』と違うところといえば、部屋の壁の素材が木ではなくて布であることと、部屋に収容できる人数くらいではなかろうか。テントも小屋もどちらも4人部屋となっている。そのためそれ以下の人数で申し込んだ場合、他の人とシェアすることになる。さらに上のクラスには、『コテージ』『ACコテージ』『エグゼキュティヴ・コテージ』とある。どれも2人宿泊を基本としている。

スンダルバンの観光シーズンは暑い時期ではないし、どのタイプの部屋に宿泊してもその他のサービス、つまり食事や夕方敷地内で催されるプログラムは共通だし、ボートによる観光も宿泊する部屋のタイプにかかわらず共通だ。
午後6時からは、スナックとショーの時間となる。私たちのテントの横にある広場で、チャーイ、コーヒーとともにパコーラーが提供される。薪をくべての焚き火の周りにツアー参加者たちが集まってくる。夕方になるとさすがにちょっと肌寒くなってくるので、こうした温もりがうれしい。

やがて本日のショーが開始される。この地域に伝わる村の踊りの披露とのこと。洗練されたものではない素朴なもので、特にどうということはなかったが、これを眺めながら隣合わせた人々と話をするのはけっこう楽しい。
プログラム終わったのは8時過ぎ。テントに戻ってしばらくすると、さきほど踊りがなされていたところから打楽器と歌が聞こえてくる。何か続きでもなされているのかと思い、アメリカ人新婚カップルと出向いてみると、ツアーに15人で参加しているベンガル人家族が踊っていた。この中にいる男性の一人が、プロ顔負けのノドで歌い、プラスチックの椅子を打楽器代わりにして指で打ち鳴らしている。一族の年嵩の男性たちは酒を飲みながら手を打ち鳴らし、女性や子供たちは楽しそうに踊っている。かなりくだけた家族みたいだ。
その様子を外から眺めていると、『こっちにいらっしゃい』と酒を勧められ、彼らと一緒に踊ることとなった。昔のアミターブバッチャンの映画『ドン』(近年シャールク・カーン主演でリメイクされた)の挿入歌が次から次へと出てくる。
先述のノド自慢男性がパーン・バナーラスワーラーを歌いだすと、盛り上がりは頂点に達する。若い男性が集まって騒いでいるなら迷惑なだけなのだが、15人の家族のうち男性は中年層がおよそ三分の一、嬉しそうに踊っているのは主に彼らの妻や子供たちなので、とてもほほえましかった。家族でいつもこうして愉しんでいるのかどうかは知らないが。笑いと歌声に満ちた楽しいひとときであった。

-
スンダルバンへ 2

バスは午前11時にショーナーカーリーという町の波止場に着いた。ここから船に乗り換え、3時間半ほどかけてダヤープルという場所にあるこのツアーの宿泊施設へと向かう。船が出てからしばらくは、人々が居住している地域を通るので、水上の交通量は多く、河岸には土を大量に積んで築いた高い堤防が続いている。モンスーン期の高潮がどれほどのものか、また上流からの増水がどんなものか想像がつくようだ。その背後には家屋の屋根を垣間見ることができる。

しばらくこうした風景を眺めながら船は南下する。しばらくすると船の右岸側がトラ保護区である。ここでは人々が生活することは原則的に許可されておらず、開墾や開発といった行為もご法度である。ゆえに河岸の堤防などはなく、ただマングローブの森林が濃密に広がる岸辺が延々と続くようになる。反対側の岸辺には人々が暮らしているようで、ところどころ集落が見られ、堤防も築かれている。
スンダルバンの地図については、こちらをご参照いただきたい。観光客がツアーなどで見物するのはこの中で濃いグリーンで塗られている地域に限られるようだ。さらに南部のほうには、スンダルバンの大自然のコア・ゾーンとしての広大なエリアがあるのだが、そちらは観光目的での入域も禁止されており、動植物のパラダイスとなっている。

水面からの照り返しをうけて目をシパシパさせているうちに、いつしか眠りに落ちてしまう。周囲がザワザワしているので目が覚めると、船はこの行程中の宿泊先であり、ツアー主催者でもあるスンダルバン・タイガー・キャンプがあるダヤープルの波止場に舳先を付けようとしているところだった。
スンダルバン・タイガー・キャンプにチェックインしたのは午後2時半。ここですぐに昼食である。ビュッフェ式ですべてインド料理。敷地内のレストランで、皆それぞれ思い思いの場所に腰かけて食事。

そして午後三時半からは同じ船でサジネカーリーというところの博物館とクロコダイルポンドを見物。ウォッチタワーもあり、ここから鹿を見たという人もいたが、私は何も見ることができなかった。ウォッチタワーから放射状に長く森林が取り払ってある部分がある。動物がちょうどそこを通過する際には、それを観光客が見ることができるという具合だ。ワニは水に潜っていて、見ることはできなかった。

帰りは波止場が物凄い混雑になっていた。スンダルバンのこのエリア、つまりツアー客だけが許可を得て入域できる地域には、州政府観光公社(WTDC)のものをはじめとして、今回私が利用しているスンダルバン・タイガー・キャンプのような民間宿泊施設がいくつかある。それらのすべてがこうしたツアーを組んでおり、どこも似たようなスケジュールを組んでいるためこういうことになるらしい。しかしながら自前の足で移動して見物できるところではないので、こればかりはいたしかたない。客層があまり良くない感じの船も見かけたので、ツアー料金がかなり安いところもあるのだと思う。
ツアーガイドは、スンダルバン・タイガー・キャンプの職員ではなく、森林局に所属しているとのこと。彼らはガイドで生計を立てているというから、そういう専門職なのかもしれないし、臨時職員という立場あるいはフリーランスで、森林局に登録しているという形態なのかもしれないが、そこのところはよくわからない。 -
スンダルバンへ 1

スンダルバン国立公園を見物するツアーに参加してみた。コールカーター市内のプリヤー・シネマ前から朝8時集合である。スンダルバンは世界最大のマングローブのジャングルだが、インド側に三分の一、バングラーデーシュ側に全体の三分の二という形に分け合っており、どちらも世界遺産に登録されている。また野生のトラがもっとも多数残されているエリアであるとも言われる。2004年のセンサスによれば、スンダルバンのトラ保護区に棲息しているトラは245匹であったのだとか。
極端な低地に広がる地味豊かな土地である。スンダルバンという地名の由来であるとされるスンダリーという木以外にも、各種さまざまなマングローブの木で覆われているこの湿地では、シカ、ワイルドボアー、サルなどといった哺乳類に加えて、ワニ、大型のトカゲ類、各種ヘビ、海ガメ等の爬虫類、大型の鳥類から小さくて可愛いキングフィッシャーまで色々な鳥類、そして魚や甲殻類の宝庫でもあるとされる。
この地域の農業や漁業による産物以外に盛んな産業として、野生の蜂の巣から採取したハチミツが挙げられる。ときにメディア等により写真入りで伝えられるとおり、リスクを覚悟で後頭部に人の顔の形のお面を被った(通常、トラは背後から襲うとされる)人々が森の奥に分け入って採集するのだ。
他の景勝地や遺跡などと違い、地元での足がないとどうにもならないので、ツアーに参加することにした。参加費用には、コールカーターから宿泊先までのバスとボート、滞在中の観光行程中のボートによる移動手段、食事と部屋代、宿泊先で夕方に催される舞踊や演劇といったショーの類の料金等が含まれている。
私が利用したツアーは、国立公園内に立地する宿泊施設の主催によるもので、一泊二日のものと二泊三日のものとがある。前者ではあまりに短すぎるので、後者に参加することにした。料金は、ツアーの期間がどちらかによって違うのはもちろんのこと、利用する部屋のタイプによってもかなり大きな開きがある。
スンダルバンツアーに参加しても、ベンガル・タイガーを実際に目にする機会はあまりないという。また平地に暮らす人たちが普段目にしない雪山や清流を目にするような旅行ではない。観光地としてはどちらかといえばかなり地味なものだと思う。
出発場所には、主催者であるスンダルバン・タイガー・キャンプという宿泊施設の専用バスに加えて、おそらくチャーターした大型バスも停まっていた。果たして今日のツアーに何人参加するのかと尋ねてみると、しかも総勢54人という大人数であることがわかった。スンダルバンを訪れる観光客の大半は11月から2月にかけてやってくるという。今はちょうどピークの時期である。
参加者の大半が西洋人をはじめとする外国人ではないかと予想していたのだが、意外にもツアーバスの中で出会った人々のほとんどがインド人であった。しかも地元西ベンガル在住ないしは他地域に暮らしていても出身がベンガルである人々が大半。加えてデリーやUPから来た人たちが少々といった具合だ。また海外在住のインド人たちの姿もけっこうあった。アメリカで夫婦ともに大学で教鞭を取っているという中年カップル、アメリカ人と結婚して同国に暮らすインド人女性等々。
インドに暮らしている人たちにしても、海外から一時帰国している人たちにしても、たいていが家族連れで参加しており、単身での参加者はいない。いずれにしても、知性も経済力も高そうな人たちが多い。バスの中での会話のほとんどは英語であったが、カルカッタ在住だが、ちょっと庶民的な雰囲気でやたらと人なつっこい大家族(総勢15名!)だけは、あまり英語ができないようで、主にベンガル語で周囲とにぎやかに会話していた。
いずれにしても、バスの座席に座る人たちは、周囲の座席の人々とよく会話しているし、トイレその他のためにバスがしばらく停車すると、車外に出て他の乗客たちといろいろ声を交わしている。今日から三日間ともに過ごす相手が何者なのか、アンテナを大きく張り出させて互いに探り合っている感じだ。
他の外国人の参加者は、カルカッタでの友人の結婚式に参列するついでに来てみたというアメリカ人の三人連れ、そして同じくアメリカから来た新婚カップルの計5人であった。どちらもニューヨーク在住だそうだ。 -
ハウラーの鉄道博物館
コールカーターのハウラー駅の隣にある鉄道博物館のゲートに着いたのは1時15分前。午前中は開いておらず、開館時間は奇妙なことに午後1時から。ゲート外でしばらく待つことになる。インド国鉄の東部のネットワークを管轄するイースタン・レイルウェイの手による博物館である
2006年4月にオープンしたばかりだけあって鉄道博物館は美しく整備されていた。よって展示物もキレイで気持ちが良い。じっくり見物しても1時間とかからないこじんまりした規模だが、鉄道の運行や駅での作業等にかかわる展示、ハウラー駅のミニチュアの中にはインド東部の鉄道網の起点である同駅ならびにスィヤールダー駅の歴史、英領時代の貴重な機関車や車両などの展示がある。


こうした鉄道関係の展示施設は各地にいくつかあるようだが、やはりデリーのブータン大使館横にあるNational Rail Museumは格段に規模が大きく、展示物の質・量ともにこことは比較にならない。今回取り上げてみたハウラー駅隣のものは前述のイースタン・レイルウェイによるインド東部地域の鉄道に関する紹介のみのこじんまりとした鉄道博物館だ。
しかしながら、マネキンを使い列車の運行や施設保守に関わるさまざまな作業員たちにもスポットを当て、彼らの仕事ぶりを紹介するなど、列車を走らせるために働く人々の役目を理解してもらうことにも力点を置いていることが特徴だろうか。既存の他のこうした施設よりも後発である分、展示物の企画そのものやお客への見せ方について熟慮されているようで好感が持てる。


展示物の中で特に興味深かったのは、鉄道初期の牛で引く『列車』(もっとも日本の鉄道初期には、人力により客車を引っ張るローカル線も一部あったようだが・・・)の画像、そして旧東パーキスターンの蒸気機関車であった。躯体両脇にはイーストパーキスターンレイルウェイと英語とウルドゥー語で書いてあるが、表記がベンガル語でないところがミソである。独立戦争の最中にちょうどインドに来てそのままになっていた車両がそのままインドで保管されることになったものだという。



中がレストラン(・・・というよりキャンティーンか?)に改造してある客車がある。また敷地内はきれいな芝生になっており、ベンチがあちこちに置かれていてのんびりできる。駅に早く着いてしまい、乗車するまで時間があったり、乗り継ぎでしばらく時間を潰す必要があるときなど、ハウラー駅正面出入口を出てすぐ右側にあるので、ちょっと足を伸ばしてみてはどうだろうか?
以下、参考までに他サイトによるこの博物館の写真入りの簡単な紹介である。
Eastern Railways
knowindia.net -
黄金のベンガルに白亜のタージ
野次馬根性が大いにかきたてられるニュースだ。ぜひ訪れてみたいと思う私である。偽モノ、贋作、B級品が大好きな私には耳寄りのニュースなのである。
BBC NEWS South Asiaにて、バングラーデーシュでこのほどほぼ完成したタージ・マハルの原寸大とされるレプリカのことが取り上げられていた。
Bangladesh to open own Taj Mahal (BBC NEWS South Asia)
17世紀に建設されたムガル建築の至宝、タージ・マハルがダッカ近郊にオープン!するのだとか。イタリアから輸入した大理石と花崗岩、ベルギーから取り寄せたダイヤモンドも使用し、5年間の歳月と費用5800万ドルをかけたというそのレプリカは、バングラーデーシュ首都ダッカからクルマで1時間ほどのところにあるショナルガオンにて、ほどなく完成の時を迎えようとしている。
ここは旧領主の豪壮な館など見どころの多い観光地だが、さらにもうひとつの『名所』が加わることになり、まもなく国内外の旅行案内などにも掲載されるようになるのだろう。工事の施主は同国の映画製作者であるというから、作品の撮影にも頻繁に利用されるようになるのだろうか。
レプリカの廟の全景の写真は、以下の記事に掲載されているのでご覧いただきたい。
A New Taj Mahal in Bangladesh (rongila.com)
自国の観光シンボルマーク的な建築物のそっくりさんが出現したことついて、在ダッカのインド高等弁務官事務所(大使館に相当)はご機嫌斜めのようだ。『コピーライトの関係で問題ないか調査する』とのこと。
A replica of the landmark Taj Mahal (YAHOO! NEWS)
India fumes at duplicate Bangladeshi Taj Mahal (Hindustan Times)
『コピーライト』を理由にクレームをつけることが可能なのかどうかはさておき、歴史や文化など共有するものが多い南アジアの御三家。その真ん中に位置し、偉大なる遺産の相当な部分を継承した貫禄ある長兄として、大目にみて欲しいものだ。いかに似せてみたところでレプリカはレプリカに過ぎない。歴史的な価値という点からは比較のしようもないのだから。
一野次馬としては、全体のプラン、庭園、建物の外装・内装等々、どれほどリアルに再現してあるものなのか、その出来具合には大いに興味を引かれるところだ。最近インド各地で新築ながらも『ヘリテージ風』の建物のホテルなどがある。これらがなかなか立派に造ってあることを鑑みれば、本物同様の細微な象嵌細工は期待せずとも、遠目にはまずまずのレプリカは可能なのではなのかもしれないが、いかんせん実物大というところに期待して良いものなのか、果たしてそうではないのか?
だが仕上がり具合以上に気にかかるのは、5800万ドルもの大金をかけてこうしたものを造ったアサヌッラー・モーニー氏の目的や動機とその資金の出所である。記事にあるがごとく単に『実物を見る機会のない人たちのため』にこれほどまでのものを用意するものだろうか、気前よくポンとお金を出すスポンサーがいるものなのか。じきにレプリカ建築の背景に関する詳報がどこかから出てくるのを待つことにする。
なお先述のBBCは同記事中で、ここを訪れた人、近々訪問する人に対して写真またはビデオの投稿を呼びかけている。現在バングラーデーシュにお住まいの方、これから同国に出かける予定のある方は、首都ダッカからちょっと足を伸ばしてみてはいかがだろう? -
アルナーチャル・プラデーシュが近くなる?
インドの通称セブン・シスターズこと北東七州。アッサム、メガーラヤ、トリプラー、ナガランド、マニプル、ミゾラム、アルナーチャル・プラデーシュのうち、最初に挙げた3州については、一部治安に問題がある地域も含まれるとはいえ、問題なく訪問できるが、他の4州については入域するために事前に所定の手続きを踏んだうえで内務省による制限地域入域許可(RAP)を取得する必要があるうえ、州毎に条件等はいろいろあるとはいえ、概ね『4人以上のグループ』という条件があったりもするので、私にはなかなか訪れる機会がなかった。
中央政府・州政府レベルで、かたや北東州の観光の魅力をアピールする姿勢を見せつつも、他方では入域にかかる制限は続いてきた4つの州について、中には規則を緩和するところも出てきているようだ。ミゾラム・ツーリズムのサイトを覗いてみると、それ以外の人数でも申請できそうな具合に書かれている。州によっては、4人分の料金を旅行代理店に支払えば訪問可能という話も耳にしたことがある。
最近アルナーチャル・ツーリズムを見てみたところ、現在では『2人以上』というところまできているようだ。この件について、同州内のいくつかの旅行代理店に問い合わせしてみた。単身訪れるつもりであっても、同時期に訪れる他の旅行者たちの分とまとめて申請するので問題ないとのこと。許可取得の費用は50ドルとか。
ただしもともとそういうルールになっているのか、それとも代理店たちにとってオイシイ部分は許可取得代行ではなく、それを取得したお客に利用させるグループツアーであるがゆえなのかわからない。私がコンタクトしたいくつかの代理店はどれも『ツアーに参加するか、私どもが斡旋するガイドを雇うか、どちらかが必須です』と言う。
入域に制限がある理由は、アルナーチャルの場合は他州と少々違うようだ。州内にこれといった政情不安を抱えているわけではないのだが、隣接する中国との係争地帯であることが大きいようだ。中国は、アルナーチャル・プラデーシュ州大半の地域ついて『自国領である』と主張している。この州はまた中国南部に大きく食い込んでいることから、軍事面での要衝であることはいうまでもない。同州はブータン、ミャンマーとも国境を接している。
『本土』から眺めると、そうした地理条件に加えてこれを取り囲む自国の州がどれも内政的に安定しているとは言いがたいこともあり、なかなか無条件での旅行客受け入れには動きにくいのかもしれない。それでも5年、10年といった長いスパンで眺めれば、この地域への入域に関する制限は確実に緩和の方向に進んでいる。
だが東北7州の中でも特に民族構成がバラエティに富んでいるのがこのアルナーチャルであるそうだ。26の民族、65の部族が暮らすというこの州は、まさにインドの多様性を写し出す鏡のひとつともいえるかもしれない。西には3000メートル超の高地が控えるチベット世界、東の丘陵地にはミャンマー、タイから中国雲南省にかけて分布するカチン系民族を含む東南アジア世界、その中央部のブラフマプトラ河流域にはアッサムへと連なるインド世界が展開している。ちょうどチベット、東南アジア、南アジアの境目に位置しているわけで、実に興味深い土地であることは間違いない。
個人的には北東7州最大の目玉に違いないと思うのがこのアルナーチャル・プラデーシュ。主たる見どころといえばやはりチベット文化、チベット仏教寺院ということになることだろう。その中でもハイライトといえばタワンの僧院だが、まさにその『公式ウェブサイト』なるものがある。
僧院の簡単な紹介、近隣地域に散在する分院に関する情報、フォトギャラリー等々あっていいのだが、『ツアー・オペレーター』のアイコンをクリックしてパカッと開くのはデリーのエージェント。何か提携関係にでもあるのだろうか。
外国人の北東地域への入域については、90年代以降は時間の経過とともに地域差はあれども着実に緩和へと向かっているようだ。この動きを逆流させるような出来事が起きることなく、このまま今後も続いていくことを願いたい。すぐにそこを訪れる予定はないのだが、これまで実際の距離以上に『遠いところ』だったアルナーチャル・プラデーシュが少しずつ近くなってくるのは嬉しい限りである。 -
ウランバートル 昼下がりのお寺で 2

ガンダン寺院の本堂で、高さ25メートルの巨大な観音像に参拝する。これは1930年代終わりに当時の極左当局により破壊されたものを1996年に復元したものだという。この寺院内の他のお堂も拝見したが、堂内の造作や色合い、僧侶たちの衣もさることながら、中に立ち込める匂いまでもがチベットのそれによく似ている。境内には仏具店も併設されている。ちょっと覗いてみると、タンカやタルチョといったチベット圏でおなじみのアイテムが多数陳列されていた。
本堂を出入りする参拝客の老若男女の様子を眺めていると、やはり宗教施設ということもあってか、街中ではさほど見かけない伝統衣装デールを身に着けている人の割合が高いようだ。またここは晴の舞台でもあるらしい。やたらとめかし込んだ洋装の新婚カップルがここを詣でている。大きな業務用のビデオカメラ、スチルカメラ等を担いだ撮影チームに取り囲まれた彼らが本堂での参拝を終えて出てきたところをつかまえて、こちらも一枚撮らせてもらう。

-
ウランバートル 昼下がりのお寺で 1
寺院の無数のマニ車を参拝客たちがカタカタと回していく。私もそれに倣ってお堂を時計方向に巡りながらそうしてみると、凍てついた空気の中でこれまたひんやりした手触りの中にも人々の想いのいくばくかの温もりが残っているような気がする。石灰で白く化粧が施されたチョルテンが昼下がりの陽射しを浴びてまばゆく照り返している。境内に腰を下ろして眺めていると、チベットやラダックを思い浮かべてしまうが、ここはそのどちらでもない。インドに散在するチベット人居住区でもない。

最近、モンゴルのウランバートルを訪れたのだが、観光で来たわけではないので連日忙しく、プライベートな時間は一切なかった。だが帰国する日、飛行場に向かう前に少し時間が取れたので、ガンダン・テグチンレン寺院等を見物することができた。

この寺は、もともと1835年に建立されたものである。スターリンに強く感化された時期に起きた多数の寺院の破壊や僧侶の拘束・処刑といった行為による被害を免れたものの、一時期は閉鎖されていた時期があり、再開後も大衆を相手とする布教等の宗教活動や信者たちによる礼拝行為などが禁じられていた。
こうした背景もあってのことだろう。おそらく共産化以前のウランバートル市内には各所に大小無数のお寺や祠があったのではないかと思うのだが、今でも残るいくつかの由緒あるものを除けば、仏教施設はほとんど見当たらないため、宗教的な要素を感じさせるものがほとんど見当たらない。
加えて食べ物や住居のありかたなど、旧共産圏の影響が色濃く、『ロシア・東欧化』されているため、私たちと同じ東アジア人であっても、かなり欧州の近い街という印象を受ける。どちらかというと素っ気ないたたずまいの中にも独自の趣と威圧感があるソヴィエト風の政府機関等の多数の建築群は見事だ。
かつて英領インドの首都であった権威主義的な英領時代の建物と同じく、たとえその近隣にもっと背の高い近代的なビルができたとしても、色褪せることのない存在感と重厚さを持ち合わせているようだ。

社会主義時代に建設された碁盤の目のような整然とした街並みは美しく、現在モンゴル語の表記に使われているのがキリル文字ことも合わせて、ともすれば極東アジアにいることを忘れてしまいそうになったりもするのだが、そうした風景に仏教的なものを感じることはない。


ガンダン寺は規模が大きく歴史的にも重要な寺院であるため良い状態に補修されているようだ。しかしウランバートル市内に現存する数少ない寺院建築の傑作と思われる優美なチョイジンラマ寺院については、残念なことに時間がなくて外観しか眺めていないのだが、かなり荒廃した印象を受ける。またここは主にモンゴル仏教に関する現在博物館となっており、寺院としての機能は失われている。

