
先日、『インドもの続々 ロンリープラネットのガイドブック』で触れてみた同社によるいくつかのガイドブックの中のひとつ『Northeast India』を実際に手に取ってみた。タイトルや表紙写真からして北東七州、通称セブン・シスターズと呼ばれるアッサム、アルナーチャル・プラデーシュ、トリプラー、ナガランド、マニプル、ミゾラム、メガーラヤの各州の情報ばかりがドッサリ詰め込まれていることものだと誰もが思うことだろう。だが実はそうではなかった。
要は広大なインドの国土の中で、相対的に北西部にあたる地域全体を扱うものであった。つまり先述の七州に加えて、オリッサ、スィッキム、西ベンガル各州、そしてこれらの地域からちょっと足を延ばしての『Excursions』として、ビハールやUPのメジャーな観光地までもが扱われている。さらにはインド全般に関して、国情、文化、歴史、旅行事情その他について書かれたイントロダクショの内容は、同シリーズの『India』本冊と重複するので、タイトルの『Northeast』に素直に期待すると肩スカシを食うことになる。
カテゴリー: travel
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Lonely PlanetのNortheast India
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再生グレート・イースタン・ホテルは2008年末オープン!

今年の初めに取り上げてみたグレート・イースタン・ホテル。訪れたときには外壁が剥がれ落ちたひどい状態の中で改修工事が進行中だったが、来たる2008年末までにBharat Hotels Ltd.のホテルチェーンであるThe Grandの名のもとにリニューアル・オープンすることになっている。その名もThe Grand Great Easternだ。
1883年、この国で最も早い時期に全館電化されたホテルのひとつだ。エリザベス二世、ニキタ・フルシチョフ、ホーチミンも宿泊したという名門でもあり、旧藩王国の当主や家族たちによる利用も多かったという。しかしインド独立から20年を過ぎたあたりになると、おそらく当時の世情や新興のホテルなどの追い上げもあり深刻な経営危機に陥る。その結果1975年にはグレート・イースタン・ホテルは当時の州政府が経営を握り公営ホテルとして存続することとなる。伝統はあれどもすっかり格式を失い、カルカッタの一泊千数百ルピー程度の中級ホテルのひとつとして内外のガイドブックに掲載されるようになり果ててしまう。
今年9月に版が改まる前のLonely Planet Indiaでは、このホテルについてこう書いてあった。『This rambling Raj-style hotel was originally called the Auckland when it opened in 1840. It has oodles of charm, but you pay for the privilege. 』
近年、この記述を目にしてここに宿泊した人たちの大半は、昔はちょっとマシだったのだろうなとは思っても、よもや1960年代一杯までは国賓級の宿泊客が利用する高級ホテルであったなどとは想像さえしなかったことだろう。なお新版には『Total renovation should majestically revive the iconic 1840s Great Eastern Hotel by the time you read this』と書かれているが、実際にそうなるにはまだあと1年ほどかかるのである。
グレート・イースタン・ホテルの今回の転身は、西ベンガル州政府による州営企業の不採算部門の民営化の一環として、民間への売却がなされたもので、Bharat Hotels Ltd.に売却が決まったのは2005年11月のことであったらしい。
老朽化し、古色蒼然としたたたずまいの中にも、カルカッタの街の歴史のおよそ半分におよぶ長い年月を経てきた貫禄と重みを感じさせる建物であった。このたび大手資本のもとで、改修にたっぷりと手間をかけて伝統ある高級ホテルとして再生することになる。清潔かつ便利ながらも無国籍で個性に欠けるシティホテルを新築するだけでなく、こうしてリッチなヘリテージホテルへ転用する素材にも事欠かないのは、やはりインドらしいところだ。 -
US$は要らない!
目下、ルピー高が続いているが、対米ドル相場上昇という現象を除いても、近年のインド・ルピーの安定ぶりはかつてなかったものだ。80年代から90年代半ばごろにかけては、その間に92年の経済危機の際のような大きな切り下げもあったが、概ね当時のインドにおける金利より少し低い程度、つまり10%前後の率で切り下げていたと記憶している。
90年代も後半に入ると、1ドルに対して30ルピー台後半、つまり40ルピーを少し切る程度、闇両替だと40の大台に届くかどうかといった具合になって以降、それ以前よりもゆっくりと価値を下げて45ルピーを越えるようになり、やがて1ドル=50ルピーあたりにまで下がってからは持ち直し、その後長らく40数ルピー台で推移するようになっていた。そこにきて今や1ドル38ルピー台、39ルピー台で行き来している。
その間、消費者物価は平均4〜7%弱程度上昇しているので、日本のようなゼロ成長の国で収入を得ている者にとって、まだまだ安く滞在できるインドとはいえ、相対的に『高く』なってきていることは事実だ。加えてGDP成長率が7%から9%台という、まさに世界の成長センターであることから、特に住民の間に可処分所得の多い都市部において、『お金を使うところ』『お金がかかるスポット』が増えている。この国を訪問する外国の人々は以前に比べて多くのお金を消費するようになってきていることも間違いないだろう。 -
査証申請・引渡し業務の民営化
11月15日(木)から東京のインド大使館におけるインドヴィザの申請は、大使館認定業者のジャパン・オーバーシーズ・コーポレーションが請け負うことになり、同社によるインド査証申請センターにて、問い合わせ、申請書の受理、パスポートの引渡しが行なわれることになった。外交および公用パスポート所持者を除き、以降はインド大使館でのヴィザ申請受付はしないとのことなのでお間違いなく。インド国籍者への領事業務は従来どおり大使館で行なわれるとのことである。
この結果、申請受付時間が従来にくらべて大幅に広がり、午前9時から正午までと午後1時半から午後4時まで(前者は同日午後5時半以降受け取り、後者は次の大使館稼動日の午後5時半以降の受け取りとなる)となる。また土曜日の午前9時から正午まで、申請のみ可能となっている。同社のウェブサイトには、各種査証に関するFAQが設けられており、必要に応じて参照できるようになっている。日本の日曜・祝日以外に年3日の休業日がある。
しかしながら現在のところ、同センターのウェブサイト上にあるContact Usにある電話番号にかけると、インド大使館に転送されるようになっているのは気にかかる。ごくまれに受付担当者に連絡したいこともあるかもしれないし、ヴィザ申請提出そのもの以外にも何か関係する要件で、査証センターに直接問い合わせしたいこともあるかもしれない。書類を受け付ける窓口に直接電話できないのはどうかと思う。
査証センターを運営するジャパン・オーバーシーズ・コーポレーションのホームページ?にアクセスしてみると、少なくとも今日現在、これといったコンテンツがない。まだ未完成なのだろうか、これではもともと何をしている会社か見当もつかない。まずは業務のアウトソーシングありき、と見切り発車してしまったかのような印象を受ける。
ただいまインド大使館は、九段の施設老朽化のため改修工事中。そのため現在一時的に麹町に移転している。この業務委託はその関係での暫定的な措置かと思いきや、そうではなく今後ずっとこの形でいく予定とのこと。つまり査証申請受付と引渡し業務が民営化されたわけである。
査証の免除等については、相互互恵が原則だが、相手国が自国民に査証取得を課してしても、観光目的などの訪問者の誘致、業務の簡素化などを目的として、訪問者数が多く滞在にあたり特に問題が生じていない『お得意先』国民に対しては、短期滞在については査証なしでの入国を認めているケースも往々にしてある。たとえば日本人の対するタイ、オーストラリア人に対する日本の措置などがそうだ。インドが日本人に対して入国の条件を簡素化する日はいつか来るのだろうか?
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2007年11月15日(木)以降のインド査証申請先
〒112-0012東京都文京区大塚3-5-4, 茗荷谷ハイツビル1階
ジャパン・オーバーシーズ・コーポレーション
インド査証申請センター
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ついに発刊! Lonely PlanetのAfghanistan ?
しかしながら1978年以前そうであったように、これといった産業がない同国に治安の安定が訪れれば、観光業が国の基幹を支える重要な産業のひとつとなるべきであることは間違いない。国庫への歳入への貢献、外貨収入はもちろんのこと、同業への諸外国からの投資、関連する様々な業種で人々への雇用をもたらすことが期待される。
このガイドブックに取り上げられているAfghan Logistic & ToursやGreat Game Travelといった旅行代理店などは、来るべき時代を見据えて着々と準備をしているのだろう。
ところで在日アフガニスタン大使館のサイトを覗いてみた。これがなかなか頑張っていて好感が持てる。
同国政府、経済、歴史、文化等々にかかわる様々な記事が和文と英文で用意されており、アフガニスタンを積極的にPRしていこうという姿勢が伝わってくる。駐日大使館が発行するニュースレターもPDF形式で公開されている。新興国においては若くして活躍する外交官、政治家が多いが、このサイトで紹介されている駐日大使もまだ30代後半。日本に赴任する前には駐米全権大使代理という職にあったそうだ。限られた予算の中で、先頭に立って色々前向きに取り組んでいるのではないだろうか。
サイトには旅行情報も掲載されている。各地の名所、主要都市間の距離を示した一覧表、航空会社やホテル情報へのリンクも含まれている。ここでもやはり国内事情さえ許せば観光業を振興させたいという強い意志を感じずにはいられないだろう。
ここからリンクが張ってあるアリアナ・アフガン航空だが、首都カーブルからデリー、イスラーマーバード、アルマトイ、テヘラーン、ドゥシャンベといった周辺諸国の主要都市からの便だけではなく、ドイツのフランクフルトへも毎週往復しているとは知らなかった。
同社によるデリー発カーブル行きは火・土の週2便だが、我らがインディアン・エアラインスはこのルートを火・木・土・日と4便も飛ばしている。デリーを朝9時40分に出て、3時間後の12時40分にカーブルに到着。
首都だけでもDarul-Aman Palace、Bagh-e-Babul、Kabul Museum、Bala Hissar、Mausoleum of Nadir Shah、
OMAR Land Mine Museumといった見どころは多いので、比較的安全とされる首都市街地のみに数日滞在してトンボ返りするだけでも充分楽しめるかもしれない。
私自身は今のところ訪れる予定はないのだが、とりあえずガイドブックを眺めてあれこれ思いを馳せつつ楽しんでいる。アフガニスタンの人々が安心して日々送ることができる未来を願い、そこを気楽に訪れることができる日が近い将来訪れることを祈ることにしよう。
あまり売れそうにない(?)ながらも、意欲的かつ実際的な旅行案内書が出たおかげで、ページをめくりつつイマジネーションを働かせて脳裏に具体的な風景(・・・といっても想像力の乏しさから頭に浮かぶのはペシャーワル近辺そのままの光景でしかないが)を描き『紙上旅行』楽しむことができるようになっただけでも大きな進歩かもしれない。Lonely Planetに感謝!である。 -
続 劇場『雑踏』 2
さて、翌朝二日酔いで痛む頭を抱えて目覚めた私であった。前日は食事の後、宿の一階で彼らの与太話の続きに耳を傾けつつ、宿で知り合った人々とメコンウイスキーを飲んでいるうちに深夜になっていた。
ともあれ、この日は記念すべき初めての海外街歩きである。宿の一階で遅い朝食を済ませてから外に出る。すでに時計は11時を差しており、陽射しは強くジワジワと汗ばんでくる。小路を抜けて大通りに出ようかというところで女性が地図を手にしてキョロキョロしている。
「すみません!」と遠慮がちに声をかけてきたのは、当時の私よりもかなり年上の女性。
年のころ30前後くらいだろうか。きちんとした身なりの感じの良い女性だった。
「あの・・・この場所にブティックがあったのを知りませんか?」
彼女は以前この場所を訪れて気に入った店があったのだという。どう見ても住宅街の中の通りに過ぎないのだが、タイ国鉄のターミナスであるホアランポーン駅も至近距離にあるので、まあそういうのがあってもおかしくないだろう。
「土地の者じゃないのでわからないです」
そう私が返事をすると、彼女はバッグから取り出した地図とメモ帳とを見比べながら腑に落ちない表情。
彼女はシンガポールから旅行しに来たのだという。適当な世間話をしつつ、「暑い日差しの中でも何だから」と近くの店に誘って飲み物を注文した。
少し欧州系が混じったようにも見える風貌でやや大柄な美人、しかも明るくてとても感じの良い人だ。彼女は学生時代から旅行が好きで、近隣の国々によく足を延ばしていたという。「その中でもタイは特に好き」とのことで、結婚してからもときどきこうやって訪れているのだそうだ。「ご主人は?」と尋ねると「仕事が忙しいし、旅行嫌いだからたいていひとり旅になってしまう」とのこと。かなり裕福な人のようで、宿泊先も日本語のガイドブックにも出ているリッチなホテルだ。
今日はどうするつもりなのかと聞けば、「特に決めてないけど、もしよかったら一緒にどう?」ときた。きれいな女性と一緒に街を散歩できるとあれば、断る理由などどこにもない。すでに正午近くになっていた。トゥクトゥクで少し走った先にちょっと小ぎれいな店があり、そこで彼女と昼食。 -
続 劇場『雑踏』 1
しばらく前に、The Trainという映画を観た。
妻子とともにバンコク在住、広告会社に勤める演じる主人公ヴィシャール・ディクシト(イムラーン・ハーシミー)が、通勤時にBTS車内で知り合った人妻ローマー・カプール(ギーター・バスラー)と恋に落ち、連れ込んだホテルの客室でふたりは暴漢に襲われる。ヴィシャールが殴打されて気絶している間にローマーは暴行されてしまう。
その後、ヴィシャールの連絡先や家族構成などを知ったトニーという名の犯人にたびたび金を要求される。ドナーさえ現れれば、すぐにでも臓器移植を必要とする一人娘のため夫婦で蓄えてきた貯金にまで手を出すことになってしまう。
しかしここにきて、実は不倫相手のローマーという名は彼女が勤めていた職場の別人のもので、しかも彼女と暴漢はグルで同様の手口で様々な男たちから現金を巻きあげる常習犯であることが判明し、ヴィシャールは娘の手術費用と妻から失った信用を回復すべく立ち上がるというもの。
イムラーン・ハーシミーがよく出演する不倫のもの映画のひとつで、半月もすれば観たことさえも記憶からキレイに消え去ってしまう程度のものではあった。近年インド映画の撮影でよく利用されるタイだが、街中の色彩豊かな盛り場風景はこういう作品中でなかなかサマになってカッコいいと改めて感じ入った次第である。同時に、その場限りではなくこのようにして後から後から脅されるような目に遭ったら恐ろしいなぁと思っていたら、昔初めて海外旅行に出たときの記憶が、ふとよみがえってきた。 -
素敵な図版満載のガイドブック

『これはなかなかいいよ』
手にとって薦めてくれたのはインドに長く暮らす親友L君だった。彼にはいつも何かと世話になっている。
イギリス系の出版社DK (Dorling Kindersley)から出ているEYEWITNESS TRAVEL GUIDESというシリーズのINDIAという本である。表紙のデザインは凡庸だが、ひとたびページを開いてみれば、他の多くのガイドブックとの違いは明らか。エントリーされている土地の多さでは、LP(ロンリープラネット)のINDIAに匹敵する。しかしこれとはまったく性格が違う本なのだ。 -
アンダマン シンガポール・タイからひとっ飛び!
ANI(Andaman & Nicobar Islands)つまりアンダマン及びニコバール諸島を訪れてみたいと思いつつもなかなか機会に恵まれず、いまだそれを果たせずにいる。
ミャンマーの南、マレー半島の西側、スマトラのすぐ北にまで連なるアンダマン諸島とニコバール諸島からなる広大なエリアからなる連邦直轄地だ。行政の中心地はポート・ブレアーで、2005年12月にインドネシアのスマトラ沖で発生した地震による津波による被災状況に関するニュースがここから多数発信されたことは記憶に新しい。
ANIには570を超える多くの島々があるが、人が定住している島はたった38しかない。もともとこの地域に暮らしてきた人々以外に、インド各地から移住してきた人々も多く、それぞれの移民コミュニティでヒンディー、ベンガーリー、タミル、テルグー、マラーティーその他多くの言葉が使用されているという。またビルマ(現ミャンマー)がインドの一部であった時代にやってきたカレン族も少なからず居住しているらしい。
かつて英領時代にはインド本土から遠く離れていることから独立運動にかかわった指導者たちを投獄する流刑地として格好のロケーションであったし、現在ならば中央政府関係の仕事をしている人たちにとって地の果てにある島々への転勤とは典型的な左遷先あるいはインド軍の要衝ということになるだろう。しかし私たち外国人にとっては、豊かな大自然に恵まれた太陽と澄み切った海の楽園であるとともに、海洋を隔てて本土から遠く離れた立地からしてインドの「広さ」を実感させてくれるところであろう。 -
小さなヒルステーションでゆったり

カサウリーはチャーンディーガルから65km、シムラーから77kmの地点にある。パンジャーブやハリヤナーからシムラーに向かう人が、こんな中途半端な場所でストップする理由もないかもしれないが、私は幼い子連れであるがゆえに長い山道がダメなので寄り道してみたのだが、これが意外に良かった。
チャーンディーガルからシムラーへと向かう国道22号線途中にある町ダラムプルから東へ折れて山肌に貼り付く細くところどころ荒れた道を進む。やがて雲行きが怪しくなってきた。霧 が出てきたと思えばそれは雨雲であり、ポツリポツリと降り出してきてすぐに激しい豪雨になってしまい、道はやがて川のようになってきた。
しばらく走ると、道沿いに家屋や商店などが点在するようになってきて町が近いことがわかる。ほどなくカサウリーに到着。

宿泊先はややくたびれた感じの重厚なコロニアル調の建物。ちゃんと手入れがなされれば相当いいホテルに変身できるのではないかと思う。レセプション脇のレストランを抜けたところにあるバーにはビリヤード台が置いてあり、さらに向こうには広々としたロビーがある。私たちが宿泊する部屋は道路を挟んだ別棟になるが、こちらも同様に古い建物だ。窓際にソファが置かれた寝室の横にはドレッシングルームも付いており、一応スイートルームということになっているらしい。
ホテルにチェックインしてからも激しい雨は続きしばらく外出できそうにないので部屋の外のテラスにテーブルを出して昼食。周囲には針葉樹が多く深く濃い緑が美しい。潤いを帯びた空気とともにまさに「オゾンで一杯」といった感じだ。大きく息を吸い込むとすると肺の奥まできれいになりそうな気がする。

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築浅「宮殿風」ホテルもいいかも?

インド各地、とりわけラージャスターン州、マディヤ・プラデーシュ州といった地域を中心にかつての支配者たちの宮殿を宿泊施設に改造したヘリテージ・ホテルが多い。それらはかかつてそこに起居していた藩王の子孫の手によるもの、民間会社がリゾートとして転用したもの、州政府観光公社が宿として運営しているものなどさまざまである。またホテルとしての格も千差万別で、タージ・グループによるウダイプルのタージ・レイクパレスのように一泊何万ルピーもするところがあるかと思えば、ラージャスターン州政府観光開発公社(RTDC)経営のプシュカルにあるホテル・サローワルは一室150〜990ルピーと低価格。しかも安旅行者向けのドミトリー(100ルピー)も併設されている。
パレス、宮殿といったところで、壮大な規模で豪華絢爛であったものもあれば、やや大きめのお屋敷という具合だったところもある。ましてや宿泊施設としての運営主体や部屋の料金帯が違えば、そのメンテナンス具合も実に様々なので、「宮殿ホテル」なんていう形容はあまりに大雑把すぎるかもしれない。
宮殿ホテルは、その建物自体の歴史性、文化財としての存在にこそ価値がある。ゆえにこうした宿泊施設にあっても最近できた「新館」であったりすると興ざめだ。あるいはそこが旧来の「宮殿」の建物であっても、広い床面積のうち実際にロイヤル・ ファミリーが普段使用していた場所となると限られてくる。するとあなたが利用する部屋は、使用人たちが起居していたところや宮勤めの事務方の人たちが仕事をしていた場所かもしれない。あるいは単に倉庫スペースだったかもしれない。お客を宿泊させて料金を取る宿泊施設となった時点で、間取りや内装その他大きく変更されていることは間違いないだろう。今風にモダナイズされているところも多い。宮殿というまったく性格の違う建物をホテルに転用しているため、同じ料金レベルの客室でも部屋ごとの個性があったりするのは面白いが、いっぽう当たり外れが大きいともいえる。
