・・・と、文字に書くと『ああ、そうか』という程度のことでしかないかもしれないが、鉄道の予約を取ることについてかかる手間ヒマという点からすると天地の差がある。
また南アジア域内で鉄道ネットワークを持つ他国と比べてみても、インドの『先進ぶり』は際立っている。
まず鉄道駅窓口での予約がオンライン化される前といえば、まずはBookingカウンターの行列に並んで目的地までの乗車券を買う。続いてReservationカウンターの長い長い列に並び直して予約を取る必要があった。
係員が、列車別と思われる分厚い帳簿に、厳かな表情で予約した乗客の氏名等を記入するのだ。座席や寝台の料金を払うと、さきほどのBookingカウンターで渡された乗車券とは別に、車両番号と座席(寝台)番号が殴り書きされた予約券が投げて寄越される。
これとて、特に大きな駅では利用クラスや方面別になっていたため、うっかり違う列に並んでしまうと、せっかく順番が来ても『あっちのカウンターに行きなさい』と追い払われてしまい、それまで費やした時間がまったくのムダになる。
こうしたやりかたは、インドの鉄道草創期にあたる『ヴィクトリア朝時代からの伝統』と揶揄されるもので、今では博物館モノの大時代がかった作法による発券作業を目の当たりにできる、その中でチケットを買う、予約するということが実体験できるため、最初は興味深く感じられた。
しかしこれが度重なると、手間暇と時間を取られて面倒なので、なるべく事前の面倒のないバスで移動したいと思うようになった。それでも半日以上かかる移動、とりわけ車中泊を伴う場合は、やはり身体を横たえることのできる寝台がないと辛く、結局は鉄道の厄介にならざるを得なかった。
当時、どこかで乗り換える必要がある場合の次に利用する列車、往復する場合の帰りの列車の予約をその場ですることができないのもすこぶる不便であった。ボーパールやバンガロールのような大きな駅であっても、列車が当該駅始発ではなく経由地である場合は、中途から乗り込む乗客への割り当てが少ないため、ずいぶん先まで満席ということが当たり前でもあった。
結局、列車に乗り込んでから、その時点での空き状況を見て車掌が乗客たちに振り分けることになってしまうのだが、車掌がやってくるまでずいぶん長いこと待たされた。なにぶん少ない人手による手作業ということもあり、何かとスローなのは仕方がなかった。
主要駅における鉄道予約オンラインが開始された頃、チケット売り場の壁に『ANY CLASS, ANY DESTINATION, ANY QUEUE』 との貼紙を目にしたときには、いたく感動したものだ。どの列に並んでもいい、しかも一回並ぶだけで、BookingとReservationが同時に出来てしまう!とは、今では当たり前のことではあるが、当時は大きなインパクトがあった。
その後、全国的にシステムで接続される体制が整ってくると、列車の往復予約も乗り継ぎ駅から先の列車の予約もいっぺんに確保できるようになってくる。更には自宅でヒマなときにネット予約してプリントアウトしたものが、そのままEチケットとして使用できてしまうというところにまで来ている。この部分のみに限れば、インターネットで列車予約してから、駅の窓口に並ばなくてはならない日本のJRと比較した場合、インド国鉄に軍配が上がる・・・と思う。
こうした進歩も『時代が進んだのだから当たり前』ということにはなるが、19世紀末か?と思うほどの状態から、わずか20年ほどで21世紀らしいところにまで追いついたことは、大いに評価できるはずだ。しかもインド国鉄といえば、従業員数にして同国最大の国営企業。国家予算とは別立ての鉄道予算を持つ国の親方三色旗企業もなかなかやるじゃないか、と大きな拍手を送りたい。
だが、業務の近代化、自動化は、往々にして職場の人減らしにもつながる。労働組合活動の盛んなインドのこと、しかも140万人というインド最大の従業員数を誇る国営企業としての国鉄において、マネジメントと労働者の側で様々な衝突や駆け引きもあったのではないかと思う。
もともと南アジアの周辺国、パーキスターン、バーングラーデーシュ、スリランカとは比較にならない鉄道大国であるインドだが、こうしたソフト面の進化は、これらの国の鉄道に対して先進的な模範を示しているといえるだろう。
カテゴリー: travel
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線路は続くよ、どこまでも 2
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線路は続くよ、どこまでも 1

インド国鉄の時刻表Trains at a Glanceの最新版が出た。早速、11月1日よりウェブサイトからこの版がダウンロードできるようになっている。
例年7月に新しい版が出て、そのまま次年の6月まで有効、そして再び7月に切り替わるというサイクルであったが、今年はどうしたわけか昨年7月の版の有効期限を10月まで延びていた。
ラージダーニー急行よりも短い時間で大都市を結ぶドゥロント・エクスプレス導入も含めて、かなり大規模なダイヤ改定があったのだろう。
Trains at a Glanceにはインドを走るすべての旅客用列車が記載されているわけではない。地域版の時刻表あるいは滅多に鉄道駅で売られているのを目にすることはないし、そもそも今でも印刷されているのかどうか知らないが、全国すべての列車を網羅したRailway Bradshawを手に入れると、Trains at a Glanceには出ていないローカルな各駅停車の記載などもある。
しかし、そんなひなびた頻度の少ない便を使わずとも、バスその他の交通機関があるので、普通はTrains at a Glanceがあれば旅行するのには充分だろう。
インド国鉄のネット予約サイトIRCTCで、乗車駅と降車駅を入れば簡単にその区間を走る列車やダイヤを調べることができるが、やはり冊子にまとめられたもの、またはそれがPDF化されたものでザザッと俯瞰するほうが楽だ。
つくづく思うのだが、鉄道駅のチケット予約システムのオンライン化が20年ほど前に始まってからというもの、またたく間に全国の主要駅、続いてその下の規模の駅、そのまた下へ・・・と広がり、インターネット利用が一般化してからは自宅からネット予約等も簡単にできる。 ずいぶん便利になったものである。 -
一糸まとわぬ姿のセキュリティ・チェック
『搭乗の際には短パンとTシャツだけ着用ということになるんじゃないのか?』
知人とのそんな会話をふと思い出した。
2001年9月の同時多発テロ以降、どこの空港もセキュリティ・チェックが非常に厳格になった。その後も靴の中に隠した爆発物による爆破テロ未遂その他が続いたこともあり、液体物の持ち込みは100ミリリットル以内の容器複数個が、容量1リットル以内のジッパー式のビニール袋の中に納まる範囲のみ可能となった。
フライトによっては、空港の免税店で購入した酒類も持ち込むことができなかったり、目的地に着くまで乗り換えがある場合、そこから先の便へと持参することができなかったり。
私が利用したわけではないが、手荷物一切が禁止となり、透明なビニールの中に旅券や図書類のみ放り込んで搭乗するフライトもあった。当時、メディアでも大きく取り上げられていたので記憶している方も多いだろう。
安全第一とはいえ、セキュリティ関係のこうした事柄があまりに厳しくなってくると、乗客自身困ることだってある。
さりとて身の安全のための代償なので、粛々と従うしかないが、こんな世情を憂うしかないのか、それともほかに何か良い手立てはないのか?と思ったりもする。もちろん面倒に思うのは乗客だけではなく、空港当局関係者をはじめとするセキュリティ担当者たちも同様だろう。これにかかる手間ヒマ、人件費だって相当なものであるはず。
そうした中、『確実に安全というならば、手ぶらで裸で搭乗させるしかないんじゃないのか?』などと話しているうち、『まあ、最低限の服装ってとこなのかな。下着姿でというわけにもいかないだろうし』ということで、冒頭の話になったわけである。
ところが世の中はそんな冗談みたいな方向に進みつつあるようだ。イギリスのマンチェスター空港で、X線を使った装置で乗客を裸体に透視してチェックするというシステムがテスト運用されているとのことだ。
‘Naked’ scanner in airport trial 1 (BBC NEWS South Asia)
‘Naked’ scanner in airport trial 2 (BBC NEWS South Asia)
『ついに行き着くところまで来たのか・・・』という思いはするが、安全面という点のみにおいては、なかなかいいアイデアではないかとは思う。ただし倫理的にこうしたことが許されるのかという部分で、大きな疑問符が付く。文化的、宗教的に受容できないとする人も少なくないだろう。
加えて、当然のことながら、こうした映像がどこかに流出しないのかということを危惧する人も少なくないだろう。厳重に管理されているはずの重要な個人データが漏れるということは、どこの国でも決してあり得ないことではない。
もちろんこれが各地の空港で本格的に導入されたとしても、テロリストたちにとってはまだまだ攻撃を仕掛けるチャンスはいくらでも転がっているようだ。搭乗する飛行機に危険物が持ち込まれることはなくなっても、セキュリティ・チェックの場所までは誰に咎められることもなく、危険物とされるものを手荷物に隠して運ぼうと思えば容易にできてしまうような空港は少なくない。
航空機内でのテロが困難になったぶん、空港機能を停止させてやろうと、そうしたエリアが爆破テロという凶行の標的となることはないのだろうか。もちろん、こんなことを疑えばキリがないのではあるが。 -
ロンリープラネットのガイドブック電子版

実用的なガイドブックとして評判の高いロンリープラネットのガイドブックが電子版の刊行に意欲的に取り組んでいる。
iPhone City Guides
持ち歩いたり、出先でパッと参照するためのものなので、ノートパソコンやキンドルで閲覧するわけではなく、iPhone / iPod touchにインストールするアプリケーションとなっている。
サンフランシスコのガイドが無料配布されていた時期に試してみたのだが、少なくとも現時点おいて、正直なところ操作感はあまりよくない。こういうデバイス向けにヴィジュアルな構成になっており、テキストで一杯の書籍版とはかなり違った印象を受けたが、それでも画面のサイズからしてちょっと読みづらいのである。
またiPhone利用の場合に限っては、インターネット経由でGPSと連動するなど、インタラクティヴな機能を利用できる。もちろん居住国外で、海外ローミングで使用すると膨大な通信費がかかってしまうため、まずはSIMロックのかかっていないiPhoneを購入し、現地のキャリアを利用するようにしなくてはならない。
もちろんiPod touchを使用の場合は、こうした心配とは無縁であるが、iPhone同様にバッテリーの持ちは良くないため、市販の充電用リチウム電池を予備に持つなどの対策は必要かもしれない。
今のところ、発売されているのは、ロンドン、パリ、ニューヨーク、香港他の都市ガイド、アラビア語、韓国語、ドイツ語、トルコ語などのフレーズブックのみである。今のところ、インドの都市ガイド、エリアガイドは
すでに訪問国のガイドブックは購入している人も、特に関心のある都市の詳細なガイドブックが、普段持ち歩いているiPhone / iPod touchにインストールできるとなれば、荷物が増えるわけではないので、『それじゃこれも!』と気軽に購入してくれるかもしれない。なかなか良いアイデアかもしれない。観光旅行以外でも、仕事で出張に向かう人の需要もあるのではないだろうか。
こうしたiPhone / iPod touch版ガイドブックの中には、東京、京都の都市ガイドも含まれている。ガイジンの視点で日本の都市歩きをしてみるのも一興かもしれない。
シリーズ内のガイドブックごとに著者は違うものの、どれも中立的な記述で偏りや私見といったものはほとんど見られず、非常にフェアな印象を受ける。広告類を一切取らないこともそうした紙面に寄与しているものと思われるが、何よりトラベル・ジャーナリズムに徹するプロフェッショナルな姿勢には好感を覚える。残念ながら、日本において、少なくともシリーズもののガイドブックで、こうした類のものはまだ出てきていない。
iPhone / iPod touch版について、現時点では国ごとのガイドブックは出ておらず、今後もそうした予定があるのかどうかはわからない。だが、むしろこちらのほうの電子版が出てこないものか?と私は期待したい。各地の名所旧跡の紹介といった部分については、これよりも優れたガイドブックはいくつもあるのだが、収録されているプラクティカルな旅行情報の面では、質・量ともに群を抜いていることは誰も異論はないだろう。
だが、それがゆえに版を重ねるたびに重厚長大化するのが悩ましいところだ。シリーズ内で、とりわけよく出来ているタイトルは、出先で日中持ち歩くのを躊躇するほど肥大化ぶりだ。つい先月、同社の『India』の新版が出ているのだが、これは1244ページに及ぶ『大物』だ。
これをiPhone / iPod touchに放り込んで移動することができれば、どんなに助かることか。
現状では、スクリーンのサイズに由来する見づらさ、使い勝手の悪さは如何ともしがたいが、今後様々なアイデアと手法が加わり、電子版の使い勝手が格段に向上するかもしれないし、ひょっとするとiPhone / iPod touchよりもこの手の電子書籍に向いた軽薄短小デバイスが登場するかしれない。
最近、ロンリープラネットのサイト内『Shop』を検索してみて気がついたのだが、例えばインドのガイドブックをチャプターごとに
を購入できるようになっている。
India – Pick & Mix Chapters
インドのような大きな国を訪れる人々の誰もがこんな分厚いガイドブックをまるごと持ち歩く必要があるわけではないため、こうした需要は少なくないのだろう。
各地域等の旅行情報は2ドルから6ドル程度。しかしTable Contents、Getting Started、Indexといった項は無料でダウンロードできるようになっており、地域案内部分のみを購入してもちゃんとガイドブックとして機能する。なかなか良いサービスだと思う。
ロンリープラネットのガイドブックの電子版、今後の進展に期待したいところである。 -
ストーンハウスロッジの記憶 3
あれからずいぶん長い年月が過ぎた。ストーンハウスロッジのことなど、すっかり忘れていたのだが、今年夏にカトマンズを訪れた際にニューロード界隈に来たので、ちょっと覗いてみようと思い、あの宿へと続く路地へ足を踏み入れた。
私の記憶が変質してしまっているのか、それともこの路地が変わったのか?道の両側の隙間なく建物が並ぶ様子は以前と同じだが、ずいぶん背の高いものに置き換わっているようだ。建物の高さもせいぜい三階建てくらい(?)であったように記憶しているが、今や五階、六階は当たり前、それ以上に大きな建物もニョキニョキ生えている。
元々、市街地の密度が高くて狭かった空がさらに狭くなり、また狭いながらも様式や高さなど統一感のあった街並みが、まったくてんでバラバラの無秩序な空間となっている。
この路地に限ったことではないが、他のカトマンズの路地同様、もともと人間が徒歩で通るために出来ている細い道を無理矢理走るバイクやクルマなども増えていて危なっかしい。
その反面、様々なモノが溢れ、非常に活気のあるエリアとなっていた。人々の暮らしぶりもかなり向上していることだろう。
ストーンハウスロッジがあった場所にたどりつくと、そこにあるのはふた周りほど大きな建物。以前ここにあった木造の建物は、こんな風に二棟が直角に寄り添う形で建っていたのだが。家電製品を扱う店や雑貨屋などが入った小ぶりな商業ビルとなっている。写真左下部分には、何故だかロッジの敷地入口にあった門柱の部分のみ、昔のたたずまいのまま残っている。当時宿泊したことのある方の中には、『ああ、そうそう・・・』と思い出す人もあるのではないかと思う。

ストーンハウスロッジ跡地からさらに小路を奥に進むと、かつてはほとんど居宅であったエリアであったのが、すっかり商業地化していた。ネワール式の古い建物もコンクリート柱とレンガ壁の今どきのものに建て変わっている。
辻ごとにあった祠もまたフェンスで囲まれるなど、キレイに整備されたものが目についたりする一方、他にもあったはずの祠がずいぶん減っているようであったり、神々の姿が人々からやや遠い存在になってきたような気もする。
『ずいぶん変わったなあ』という思いともに、昔のいろんな記憶がどんどん胸の中に蘇ってくる。半ば放心状態で立ち尽くしていると、『パパ!こんなところいてもつまんないよ。どこかに行こう!』と言う息子の声で我に帰る。
時は移ろうもの。時間の経過とともに、目に見えるもの、見えないものもどんどんカタチやありかたを変えていく。街並みも然り、自分自身の立場も然りである。安旅行者だった私は、今や子供を連れて家族旅行のオトウサンとなっているのだから。
〈完〉 -
ストーンハウスロッジの記憶 2

歩くと床全体がユラユラと振動して、階段を通して上下によく音が抜ける老朽家屋、ベニヤで細分化された部屋ということもあり、足音や話し声がどの方向から来ているのかよくわからなかったりした。
ずいぶん昔の話になるが、この宿に滞在していたとき、他の宿泊客から『帰って来る幽霊』の話を耳にした。何でも、私が宿泊したときから数年前に、この宿で亡くなった日本人客があったのだという噂だった。その人が生前に滞在していた部屋にときどき帰って来るという伝説みたいなものが流布しつつあった。
『夜1時過ぎくらいに帰って来るんだ、奴が。この宿って11時が門限で、玄関のカギを閉めてしまうから、その後に入ってくるはずないんだよ。昨日も奴は帰って来てた。宿の人は、チェックアウトした人の部屋の掃除に使用人を寄越すくらいで、よりによって遅い時間に上がることはないって言ってた。思い出すだけで気味悪いよ。重たい足取りで、トン、トン、トン、トン・・・と上がってきて、この階の端っこの部屋のドアを開けて入るんだ』
彼が言うには、隣室には他の旅行者が泊まっているため『霊が帰って来る』のはその脇の部屋に違いないのだという。
『昨日も、奴が帰ってきてから、ちょっと怖かったけど、確かめるためにドアの外に出てみたんだ。するとあのドアは、外から南京錠がかかっていた・・・』
こちらもちょっと背筋が寒くなる思いがした。私が滞在する部屋ちょうど真下に、幽霊が帰って来るなんて、気分のいい話ではない。
ひとつ下のドミトリーに宿泊していた男性も彼の言葉を裏付けた。
『昨日、ちょうどそのあたりの時間だろうな。寝ていたけれども階段を上る音がしていたこと、その後ドアがバタンと閉まる音も耳にしたよ』
『昔いた場所に帰って来るってのは、アンタ、そりゃ地縛霊だよ。タチの悪いのもあるって言うから気をつけてね』などと、したり顔で無責任なことを言う者もあった。
そんな怪談じみた話がしばし続いてから『そろそろ夕食に行こう』ということになり、数人で近所の食堂に出かける。部屋に戻ってからも、ドミトリーに顔を出して、そこに滞在している人たちと、ひとしきり話していると、いつの間にか夜は更けて午後11時。
『おやすみなさい』と、彼らのスペースを辞して自室に戻ってから、ステンレスのマグに電熱コイルを放り込んで湯を沸かして茶を淹れる。いつものとおり日記を書き、今朝方買った新聞を広げてみたり、ガイドブックを眺めたりしながら過ごす。そんなことをしているうちに、いつものことながら1時を回ってしまうのだ。
『さて、歯磨きをするか』と、お茶沸かすときに汲んで来た残りの水で口をゆすいで、無作法ながら、窓の外にペッと吐き出す。歯ブラシでシャカシャカ磨いてから、洗面台があるひとつ下の階にそうっと下りる。階段脇の水道の蛇口を静かに開いて口の中をゆすいで歯磨き完了。
癖で、階段を上るときに足の裏を叩きつけるようにして上ってしまうが、途中で『あ、この時間はみんな寝てるんだ』と、なるべく音を立てずに上がることを心がけたりするのもいつものことだ。
建て付けの悪い部屋のドアをバタンと閉めて、中から金属のカンヌキをかけると、下の階でドアが開く音。誰かが数歩進んでから、『やべぇ!』など声を上げている。彼は即座に自室に駆け戻ったようで、バタンとドアが閉まる音が聞こえてきた。どうやら『帰って来る幽霊』とは、私自身のことであったらしい。
翌日、下の階の男性は『昨日も幽霊が帰ってきた』などと吹聴していた。ドミトリーの宿泊客たちは『マジかよ!』と眉を顰めて話に聞き入っている。
私は『幽霊自身が種明かし』をして、せっかく定着しつつある『怪談話』がオジャンになってしまってはつまらないので、とりあえずあまり興味のないふりをして聞き流すことにした。 -
ストーンハウスロッジの記憶 1

昔、カトマンズのニューロードにあるネパール航空事務所の反対側の路地を少し進んだところに、ストーンハウスロッジという格安の宿があった。
宿泊客はほとんど日本人ばかりで、インド亜大陸各地をめぐるとか、アジア横断してアフリカに向かうなどといった長期旅行者が多かった。インターネットもなかった頃なので、こういうところでいわゆる『情報ノート』が貴重なインフォメーションのリソースでもあった。かつて、私もこの宿に幾度か宿泊したことがある。
古いネワール式の木造の建物で、最下階の狭い入口のところに受付があり、細くて急な階段を上ってすぐの階には家主の家族が暮らしており、そこより上の複数の階に宿泊客を泊めていた。 各階ともに、もともと狭いフロアーを無理やりベニヤで仕切って、やけに幅の狭いベッドが置かれているが、これで部屋の中は一杯。確かひとつだけ四つのベッドが入った『ドミトリー』があったと記憶している。
当時からタメル地区はかなり繁栄しており、すでに旧王宮近くのジョッチェン地区に宿を取る旅行者は少なくなっていた。どちらからも離れたストーンハウスロッジになぜ日本人旅行者が集まるようになったのかは不明である。シーズンは常に満杯、雨季のオフシーズンでも部屋が空いていないということは珍しくなかったようだ。
いつ購入されたのかわからないボロボロの古いベッドの上に敷かれているシーツは、これまたいつ洗ったのか知れず、身体を横たえていると、南京虫の執拗な攻撃に悩まされるようなところなのだが、何故かとても繁盛していた。
ひどく狭くて汚いかわり、宿泊費がそれ相応以上に低料金であった。『お金はあまりないけど、とにかくあちこち訪れてみたい』という安旅行者には重宝される宿であった。ただ安いだけならば他にいくつもあっただろうと思うが、安宿が集中するゾーンからは離れているものの、ニューロード裏という便利なロケーションも良かったのかもしれない。
いつだったか、すぐ隣にレンガ積みの真新しい建物が出来上がった。ストーンハウスロッジよりも料金は高くとも、ずっと設備が良くて、新築であるがゆえにピカピカで快適な部屋が用意されていた。ストーンハウスロッジの利用客が『こっちのほうがいいや』と移動してもいいような気がしたが、そうはならなかったようだ。
こちらはまったく流行らず、数年で廃業してしまった。流行る宿というものには、理論的に説明がつかない『旅行者とうまく合う波長』のようなものがあるような気がする。人と人との相性のようなものかもしれない。別に宿の人の愛想がいいとかいうわけでもない。その場所が持つ『気』のようなもの(?)とも言えるだろうか。
古い長屋のような建物であるがゆえに、隣接する棟とぴったりくっついた建て込んだ地域であるがゆえに、家屋での人々の暮らしぶりが、特にそれを覗こうとしなくとも、ごく間近に感じられる楽しさはあった。人々の会話や赤ん坊の泣き声など、様々な生活音がジャンジャン聞こえてくるし、どこかの世帯で作っている料理の匂いも漂ってきて、下町に暮らしている気分になったりもした。
もともと人口密度の高い空間なので、人通りは多かった。何せニューロードの真裏である。それでも野菜売りが沢山出て賑やかな朝の時間帯、様々な用事で人々が行き交う昼間の時間帯を過ぎて夕方の帰宅時間を過ぎれば、ガランとしていたものである。
用事等でタメルに徒歩で出かけて、帰りが午後7時過ぎると人通りがとても少なくなり、午後8時を回るとほとんど誰もいない路地をトボトボ歩くことになった。出会うのは野犬ばかり、灯もまばらでほとんど暗闇のようなもので、懐中電灯を照らして宿まで歩いたものである。
ダサインやディワーリーの時期にも滞在したことがあるが、路地という路地では、無数の小さな素焼きの器の中に火が灯されて、幻想的な眺めが出現していた。辻ごとにある小さな寺や祠に詣でる人々が行列していて、窓から見下ろしているだけでもワクワクしたものだ。
先に書いたとおり、もともと狭いフロアーが、薄いベニヤで極小の部屋として細分化されていたものの、プライバシーはまったくないようなものであった。視覚的には遮られていても、壁の向こうから屁の音、着替える音などがそのまま聞こえるのである。相手が起きているのか寝ているのかもはっきりわかる。厚さ数ミリの非常に薄い壁を背にして寝ていると、そこを境に数センチからせいぜい30センチくらいのところに隣人が存在しているのだから。
不思議と閉塞感はあまり感じなかった。隣の人がかなり親しくなった人だったりすると、壁越しに会話が弾み、まるで同室に滞在しているかのようであった。 -
スワンナプーム空港近くのHotel Novotel
日本からインドその他の南アジアの国に向かう場合、バンコクで乗り換えというケースは多いだろう。バンコクはホテルが供給過多であることもあり、他国の大都会に比べてリーズナブルな宿泊料で泊まることのできる宿の質はかなり高い。
朝やたらと早い時間帯にチェックインでも、繁華街等で客待ちしているタクシーは多く、空港への足に困ることも皆無。しかも高速道路のネットワークが素晴らしく、夜明け前の早い時間帯ならば、スクムヴィット通りの繁華街からわずか15分(!)で空港までブッ飛ばす、若くて向こう見ずなスピード狂運転手も少なくない。
ジェットコースター以上のスリリングなドライブは嫌なので、まずは車内を覗き込んで、温厚そうな風貌の年配ドライバーを選んで利用してみたりもする。
ただし、前日バンコクに入る時間帯が夕方以降だったり、早起きに自信がなかったり、おまけに子連れであったりすると、宿のみのためにわざわざ市内まで出かけて、また空港にトンボ帰りするのは面倒なので空港のすぐ近くに宿泊したい。
今は国内線専用となっているドンムアン空港近くには、高いものからエコノミーなものまで、比較的選択肢があったのだが、現在の首都の玄関口、スワンナプーム国際空港付近はまだまだ開発はこれからという状況だ。
目下、空港目の前に泊まるとすれば、Hotel Novotel Bangkok Suvarnabhumi Airportしかない。宿泊料金は部屋によっていろいろあるが、ツインの部屋が一泊5000〜5500バーツ(1TB=2.7JPY)くらいだ。
空港施設の一部であるかのようなロケーションだけに、多くの宿泊客の出入りの時間帯が市内のホテルとはかなり違うようで、客室の時間貸しの料金設定もある。
市内のホテルならば、千数百バーツでもその金額以上に良い部屋がいくつも見つかるし、バンコクの旅行代理店を通せば、中・高級ホテルのリーズナブルな宿泊プランが見つかることを思えば、かなり割高ではあるが、とりあえず空港すぐ隣というロケーションが欲しかったので利用してみた。
空港から通路で直に繋がっているものと思っていたが、これはまだ完成していないとのこと。完成すればホテル玄関から空港まで300メートルの徒歩圏となるそうだ。到着ロビーを出たところに専用カウンターがあり、係員がホテルのクルマまで案内してくれる。
空港を出ると大きく迂回し、数分でホテル玄関口に到着。壁面がガラス張りのなかなか洒落たエントランスだ。レセプションもちょっとスタイリッシュすぎて、どこでチェックインできるのか少々迷ったくらいだ。

ごく最近建てられた新しいホテルだけに、どこを見渡しても実にカッコいい。真新しくてピカピカの客室内は快適。バスルームのガラス窓からベッドルームの大画面のテレビを見ながらゆっくりと湯に浸かることができる。スピーカーがここにもしつらえてあるので、もちろん番組の音声を耳にしながら。

風呂から上がってベッドに横になると、小鳥のさえずりも聞こえてくる。そういう環境音がしつらえてあるのかと思ったら、窓の外の大きな木の枝に沢山の鳥たちが止まっており、彼らの『肉声』であった。

余談ながら、今年の年末あたりにはスワンナプーム空港が、首都の高速鉄道網とリンクされるようになる。もともと今年8月に開通することが予定されていたものだが、鉄道の労働組合との交渉等の絡みで、運営会社の設立が難航していたようだ。
以下、路線図である。
Bangkok Rail Transit Network
キングフィッシャー航空、エアアジアなど、インドの都市とバンコクを結ぶ路線へに新規参入する航空会社が増えていることと合わせて、バンコクが日本・インド間の中継地としてますます利用しやすくなることは喜ばしい。
今に、空港から目と鼻の先にいくつかエコノミーなホテルがポツポツ出てくるようになることを期待したい。 -
世界へ広がるキングフィッシャー
航空不況の中、意欲的に国際線進出を進めるキングフィッシャー・エアラインス。6月に『国際線もキングフィッシャー!』で取り上げたとおり、すでにバンガロール・ロンドン、チェンナイ・コロンボ、コールカーター・ダーカー、コールカーター・バンコク、バンガロール・ドバイといった路線を展開している。
9月15日からはムンバイー・香港、翌日16日からはムンバイー・シンガポール間をいずれも毎日往復するようになる。これらに加えて近いうちにムンバイーからバンコク、コロンボ、ドバイへ、デリーからもロンドン、ドバイ、バンコクへの乗り入れが計画されている。
それらだけではない。将来的には国外への発着が予定されているインドの都市はアムリトサル、コーチン、ハイデラーバード、トリバンドラムなどがあり、就航先も長距離のルートでは、アメリカのニューヨーク、サンフランシスコ、カナダのトロント、ヴァンクーヴァー、欧州ではジュネーヴ、マドリード、アムステルダム、オーストラリアのシドニー、南アフリカのヨハネスブルグへの乗り入れを視野に入れているという。
中・近距離においては、中国の北京、広州、上海、湾岸諸国ではドーハ、シェルジャー、マスカット、バハレーン、マレーシアのクアラルンプルなどが候補地に挙がっているとともに、SAARC加盟の近隣国でもネパール、モルジヴ、パーキスターンへの乗り入れが検討されている。
上記のプランが、いつごろまでにどの程度実現するのかはまだよくわからないが、昨年9月にバンガロール・ロンドン便で国際線デビューを果たした同航空会社が、今年9月中旬までに海外に7都市(ロンドン、コロンボ、ダーカー、ドバイ、バンコク、シンガポール、香港)の就航先を持つに至るという勢いには驚かされる。
世界的な不況の中、多くの航空会社がリストラに励んでおり、減便や就航先の縮小といったニュースに事欠かない昨今、キングフィッシャーの拡大攻勢には『本当に大丈夫なのか?』という気がしなくもないが、こうした情勢をよそに国際的にも知られたキャリアへと成長していくのだろうか。今後も同社の進展には注目していきたい。 -
ナガルコート 3

昨日は『閑古鳥の鳴く雨季のナガルコート』と書いたが、近年この季節はそうヒマでもないのだという。
ナガルコートを訪れる人たちは乾季にドカッと集中していたのだが、最近はこの時期にネパール人客が増えているそうだ。ちょうどインドのヒルステーションに、平地の都市部の人たちがワンサカ押し寄せるように、雨季でもけっこう暑いカトマンズの中産階級等の人々が、ナガルコートにやってくるのはわかる気がする。
先述のとおり日帰りも充分可能な距離だ。ネパールの首都ではそれなりの可処分所得を持つ中産階級が台頭していることの証ともいえるだろう。
避暑地といっても、宿泊施設その他の商業地の密度が薄く、霧の中にボンヤリ浮かび上がる松の木々の景色は、どことなくインドのヒマーチャル・プラデーシュのカサウリーを思わせるものがある。もちろん英軍の香りが色濃く残るカサウリーその他、インド各地で旧英領時代以来の伝統を持つヒルステーションには、新興避暑地には真似の出来ない伝統や雰囲気があり、これをナガルコートと比較することはできない。
だが、このナガルコートの尾根から、冬季の晴れ渡った朝に眼前に広がる雪を冠したヒマラヤのパノラマほどの見事な景色(今回の私たちは結局写真で見ただけであるが・・・)は、多くのインドのヒルステーションで望むべくもない。
夕方近くなってから、雲がだんだん厚くなってきた。西のほうでは山肌がずいぶん暗くなっており、そこでは雨が降り出しているようである。だんだん霧のような雲が近づいてきたと思ったら、激しい雨が降り出してきた。すでにテラスは雲の中に入っており、すぐ目の前や階下の様子さえも見えなくなっている。ちょうど冬のデリーの濃い霧のようである。

すっかり暗くなってから雨は上がった。テラスに出ると、薄い上着があってもかなり寒い。しかし雨の後で空気が澄んでいるためか、山間に点々と灯がともっているのがわかる。地上に星を降り撒いたようで美しい眺めだ。
山の中の村であっても、また夜10時すぎというのに、ずいぶん夜更かしだな?と思いきや、宿の人の話しでは『農村では泥棒対策のために、電気を点けたまま寝るのが習慣になっているんだよ』とのこと。そうした灯の数を見て「こんなに家があっただろうか?と思うのだともいう。確かに、眼下にちょっとした町がいくつも点在しているかのように見える。
雨上がりのしっとりとした空気、ここのところ蒸し暑さで毛穴が開いたようになっている身体に冷たい空気がピリッと心地良い。さきほどまで部屋の中で絵を描いていた息子に、テラスから声をかけると返事がない。窓越しに覗いてみると、すでに毛布にくるまって気持ちよさそうに眠っていた。 -
ナガルコート 2

しばらくバーザールのほうに歩いていくと、見かけた赤い共産党旗を掲げたホテル・レストラン従業員組合の簡素な事務所がある。看板に書かれた内容からしてマオイスト系の労組である。
宿泊先の宿の経営者の話だと、ナガルコートでこうした観光関連施設で働く従業員たちの中で、マオイスト系の組合に入っている人はかなり多いとのこと。彼らのハルタールは徹底しており、その期間中は宿の機能がすべて停止してしまうそうだ。
すでに宿泊していたお客にも退去してもらわらないといけないし、前もって予約していたお客もバーザールの入口前で待ち構えた組合員たちに追い返されてしまうとのこと。
宿のレストランには、たまにマオイストの活動家が数人でやってきて、無銭飲食をして帰っていくことがあるという。もともと田舎や農村地帯で始まったマオイストたちの運動だが、このあたりや首都圏でも加わる人たちは多く、現在ナガルコート在住の活動家たちもたいていはこのあたりの人間であるとのこと。
それでも内戦時代よりはずっとマシだとも言う。当時はここの警察の詰所が襲撃を受けて十数人殺傷されるという出来事があり、この宿の主の身内の方も警察官であったため、同僚たちとともにその場で殺害されたのだとか。家族に軍、警察関係者がいたり、ここのように外国人が利用するホテルを持っていたりすると、すぐ彼らに目を付けられて危険であったとのこと。
一見のんびりした山の上の避暑地であっても、今の時代のネパールのダイナミックな政治の荒波に揉まれることがしばしばあるようだ。もちろん盆地の外周部に位置し、カトマンズから日帰りもできる距離の首都周辺地域であるため、たとえ眺望が良くて特にオフシーズンには人口密度が希薄な土地。ましてや今は閑古鳥の鳴くオフシーズンであるのだが。 -
ナガルコート 1

ナガルコートに着いた。小さな集落を核に、ホテルやレストランなど大小さまざまな施設が点々と散らばっている。
尾根の斜面に建っている宿泊先ホテルでは広いテラスがあり、ここから東方面に居並ぶヒマラヤの名峰の数々、エヴェレスト、カンチェンジュンガ、ガネーシュ・ヒマール、ガウリ・シャンカルその他いくつもの名山が連なる姿を望むことができる・・・といっても、雨季で雲がかかっているため、そうした展望は望めそうにないのだが。シーズンオフということもあり、他に宿泊客はおらず貸し切り状態であった。
グラウンドフロアーにはテーブル席以外に、座敷風になっている席もあり、大きな窓からの眺めも良い。山の景色を眺めていると、雲がさまざまな形になったり、動いたりしている。普段、建て込んだ都会で生活する私は『遠くを眺める』といってもせいぜい50メートル程度でしかないので、緑あふれる環境の中での開放感はちょっと格別なものがある。
一緒に来ている小学生の息子にとっては、景色は興味の対象外であるようだが、彼の関心はまた別のところにある。低いところをブーンと飛んできた虫を、手にした新聞で払ってみると、落下した虫はクワガタ。羽の甲の部分が茶色でその他は黒である。何と呼ばれる種類なのか知らないが、このあたりではごくフツーにいるカナブン的存在らしい。それでも一緒に来ている小学生の息子にとってはとても珍しいようで、とても喜んでいる。

クワガタの類は夜行性だが、それでも宿周辺を散策してみると昼間であるにもかかわらず、けっこうな数のクワガタたちを見つけることができた。彼らの好物の樹液が出る木を見つけて、明け方にでも出かけてみると、相当数捕まえることができるのだろう。
カトマンズ盆地内のバクタプルからここに来たのだが、ナガルコートは標高が2100メートルくらいあるため、とても涼しく快適だ。夜になるとちょっと寒いくらいに感じるのではないかと思う。
