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カテゴリー: society

  • ジャグダルプルの少数民族博物館

    ジャグダルプルの少数民族博物館

    少数民族博物館を訪れてみた。Anthropological Museum(文化人類学博物館)という名前になっているが、事実上の少数民族博物館である。

    ASI敷地内にあるが、そのASIとは、Archaeological Survey of India(インド考古学局)ではなく、Anthropological Survey of India(インド文化人類学局)だ。インドの田舎町によくある「シケた博物館」と違い、展示内容は大変示唆に富むものであり、しっかり時間を取って見学する価値がある。

    館内は撮影禁止であったが、各部族についてのわかりやすい説明と習俗や生活等に関する紹介などがなされており、これらをまとめたブックレットでもあればぜひ購入しておきたかったが、残念ながらそうしたものはなかった。屋外には主だったところの部族の家屋等が再現してある。

    同博物館では、インドの少数民族研究への功績に敬意を表し、イギリス人の文化人類学者ヴェリエール・エルウィンについての紹介もなされていた。私はこの人については知らなかったのだが、ウィキペディアからの受け売りになるが、このような人物であったらしい。

    ロンドン生まれで、宣教師として植民地インドでのキャリアをスタート。彼はインドにおける少数民族研究に大きな足跡を残すとともに、マハートマー・ガーンディーの独立運動にも関わっていたとのことで、「インド愛国者」としての評価も高いそうだ。

    ゴンドの女性と結婚、離婚、そしてまた別のゴンド女性と結婚、独立後のインドでは、そのまま少数民族関係の仕事のため残り、インド国籍を取得。そしてデリーで亡くなったそうだ。
    イギリス人としては、相当な変わり者であったようだが、少数民族研究において、大きな業績を達成した人物であるらしい。

  • ジャグダルプルの「ニュー・ケーララ・レストラン」と「ニュー・ケーララ・ホテル」

    ジャグダルプルの「ニュー・ケーララ・レストラン」と「ニュー・ケーララ・ホテル」

    街の中心にある商業地に、同じマネジメントによるふたつのレストランがある。

    この日の夕食は「ニュー・ケーララ・ホテル」にてフィッシュカレーとマトンフライを注文。実はこの一角を越えたすぐ先にあるノンヴェジのアーンドラ料理屋に行くつもりだったのだが、道路こちらの「ニュー・ケーララ・レストラン」、路地挟んで向かいの「ニュー・ケーララ・ホテル」という壁を越えることができなかった。

    実は昨日、道路左側にある「ニュー・ケーララ・レストラン」のほうに入ってしまったときもそうだった。本当は、アーンドラ料理の店を目指して歩いていたのだ。

    本日はその二の足を踏むまいと、道の右側を歩いてみたのだが、今度はその側にある「ニュー・ケーララ・ホテル」から漂う香りに足を止められてしまった。

    経営者が同一のふたつの人気店が細い道路両側に建つという、絶妙な位置関係で、そこから先に進もうとする空腹客を見事に取り込んでしまう。地元の同業者たちは、「これは反則だ!」と声を上げてもいいように思う。

    昨日「ニュー・ケーララ・レストラン」で食べたフィッシュ・ビニヤーニーのときと同じく、汁に入っている堅揚げの魚のフライが水分を吸い込み、やや柔らかくなった、かつ香ばしい外側のカリカリと汁の酸味のハーモニーを楽しみつつ、骨付きマトンの柔らかく煮込まれた肉とスジの部分のなかなか噛み切れないながらも深いコクを楽しむ。楽しい夕餉となった。

    同一マネジメントの店とはいえ、メニューは共通ではないのが憎い。「ニュー・ケーララ・レストラン」はどちらかといえば少しアップマーケットで、家族連れ、商談客、カップルなどが多い。
    「ニュー・ケーララ・ホテル」のほうは、ひとりで訪れる客、若い客が多いようだ。こちらはメニューに掲載してあるアイテムを絞り込み、よりエコノミーな料金で提供している。
    そんな具合に客層を区分しているため、斜向かいに建つ姉妹店とはいえ、使用されている米の種類も違えば、食器類のグレードも異なるのだ。

    「ニュー・ケーララ・レストラン」で出されるビリヤーニー
    「ニュー・ケーララ・ホテル」で提供されるビリヤーニー。ご覧のとおり「ニュー・ケーララ・レストラン」のものとは使用する米の種類も異なる。
  • バスタル宮殿

    バスタル宮殿

    バスタル王国最後の王、プラヴィール・チャンドラ・バーンジ・デーオ。現在の当主の祖父だが、独立後のインドで州議会議員となったが政治絡みで非業の死を遂げている。

    バスタルは英領期に小さな藩王国であった。王はラージプートの家系だが、バーンジ王朝と呼ばれるオリッサ、チャッティースガルなど、東部にいくつかの小王国を築いた系譜に連なる。
    現在の当主はまだ若いカマル・チャンドラ・バーンジ・デーオで、2013年の州議会選挙にBJPから出馬して見事当選している。
    だが彼の家はそれまで40数年間も政治から遠ざかっていたこともあり、旧藩王国の主という知名度はあっても、地盤はとうの昔になくなってしまっていたため、相当な快挙だったようだ。
    さて、この宮殿だが、入口の赤と白で彩られたゲートを入ってすぐのところにダンテーシュワーリー寺院という当地では有名な寺があるので参拝客は絶えないのだが、その少し奥に旧藩王家の宮殿がある。
    「ラージプートの宮殿」と聞いて想像するようなきらびやかなものではなく、政府の役所みたいな感じの建物だ。
    私のような外部の人間が見学できる部屋がひとつだけあり、そこに歴代の当主の肖像画や写真が飾られている。
    一番下の画像がその部屋なのだが向かって右側奥に階段があり、その上は旧王家の住まいとなっており、彼らはここで今も日常生活を送っているとのこと。
    藩王国が終わったとき、つまりインドが英国から独立してからだが、もちろん関係者にとっては生活を賭けた一大事であった。
    藩王国から州政府に統治権限が委譲されるといっても、それまでの統治や記録、ノウハウ等々の一切を藩政府の役人たちが握っており、そうした背景を持たないまっさらの人たちが送り込まれても何も仕事ができないため、旧体制で実務を担ってきた人たちの多くが、そのまま横滑りしたケースが多かったことは想像に難くない。
    各藩王国の主やその家族たちはインド政府から年金を保証されて共和国への併合を承認した。
    その後、国会による決議を経て、1971年に旧藩王家への年金は廃止されている。ここに至る動きの中で、これを阻止すべく大勢の旧藩王家の人たちが中央政府の総選挙に出馬しているのだが、独立インドでしっかりと地盤を築いてきた一部の人たちを除き、ことごとく落選している。
    独立以降のインドでは、旧王家という看板だけではまったく戦えないのである。あるのは他の政治家と同じで、地盤があるかどうかだ。
    先述の旧藩王家の当主だが、今年11月に投票が実施された州議会選挙では再選できなかったようだ。
    そんなわけで、もはや旧王家であることによる世俗の力は何もなく、あるのは共和国への移行に伴い手元に残すことができた私財をいかに運用できたか、つまりビジネス等の世界で増やすことができたかどうか、あるいは藩王国廃止時点で持っていた地盤と人脈を最大限に活用して、政界に地歩を築くことができたかどうかですべてが決まる。
    そうして自ら築き上げた地位以外の部分で、今の時代に、王が王としての威厳を行使できる場があるとすれば、王家の時代からプライベートに仕えている執事、使用人(王家によっては、そうした人たちを同じ家から代々雇用しているケースがある)くらいのものだ。
    小さなバスタルの王家でそういう関係にある人たちが今もいるのかどうかはよく知らないのだが。

  • Ausum Bastar

    Ausum Bastarというフェイスブックページを運営しているUnexplored Bastarというオフィスがあり、ジャグダルプル到着前から幾度かメールやメッセンジャーでやりとりしていたのだが、その場所らしきところに着いてもまったく看板も出ておらず判らない。

    目の前にある薬局で初老男性に質問してみたところ、「ああ、息子がやっているボランティア集団だよ」とのこと。てっきり旅行代理店と思っていたのだが、そうではなかったらしい。

    息子さんは仕事でライプルその他の街から街へと飛び回る忙しい人で、彼と同世代である30代くらいの10数名の仲間たちとバスタルの観光を振興させるための活動をしているとのこと。その半分くらいは先住民出身の人たちで、皆それぞれに仕事を持っているにも関わらず、精力的に情報収集・発信をしているようだ。

    男性は「息子は不在だが彼の仲間を呼ぶよ」とのことで、そうした活動をしている中の一人を薬局まで呼び寄せてくれて、しばらく情報収集をさせてもらうが、かなり有益なインフォメーションを得ることができた。ガイドの紹介、クルマの斡旋等も行っているとのことで、それらについても少し話を聞いてみたが、まったく無理強いすることもなく、本当に観光振興のために活動しているのだなとわかる。

    とりあえず明日回る訪問先を決めたのだが、彼らの紹介できるクルマは少々高いように思われた。「他にも代理店とか当たってみるといいかも?」という勧めに従い、同じ通りにある普通の旅行代理店で予約した。情報だけいただいてしまったようで申し訳ないが、こうした形で地域の観光振興のための活動を続けているというのは実に立派なことである。

  • “Chinatown Days” by Rita Choudhury

    “Chinatown Days” by Rita Choudhury

    アッサムの女性作家、リーター・チョードリーによる大作。
    清朝支配下の19世紀、南中国の寒村から奴隷として町の商人のところに売られていき、そこで奴隷ながらも主の信用を得て、それなりの金銭的充足と自由を得ることとなった少年。だが、彼はさらにここから別の人身売買シンジケートにより、カルカッタへ運ばれ、そこから開業間もないアッサムの茶園に行くこととなる。

    時代は下り、その茶園近くのマークームの町や周辺で事業を起こした中国移民の子孫たち。
    アッサムのすっかり根付き、「中国系アッサム人」として地域社会の中の一部として定着していた。

    中印戦争開戦。最初は特に影響を受けることのなかった華人コミュニティだが、インドの敗色濃くなっていくにつれて、反中国感情の高まりとともに、中国系住民への感情も急速に悪化していく。

    中国との敵対関係がエスカレートしていくとともに、国内政治でも共産主義勢力を「親中かつ反インド」であるとして攻撃するだけではなく、民族的なルーツを中国に持つ人々への風当たりも強くなってくる。

    やがて中国系市民の拘束の命令が中央政府から発せられ、華人が集住していたカルカッタはもちろんのこと、ところどころに華人コミュニティが散在していたアッサム(当時は現在のメガーラヤもアッサムの一部)においても一斉に彼らを逮捕して地域内の刑務所へ収容してしまう。驚いたことに、チベットからダライラマとともに亡命してきたチベット難民の中にも、このあおりで逮捕・拘束された人たちが少なくなかったらしい。

    その後、華人たちは、まとめてラージャスターン州のデーオーリーキャンプへと列車で移送される。(デーオーリーキャンプは、奇しくも第二次大戦期にマラヤ半島などに住んでいた日本人たちが敵性外国人として植民地当局に検挙されて移送された先でもある。)

    インド政府は、世代を継いでアッサムに暮らし、インドを祖国とする中国系市民を敵視するいっぽう、引き揚げ船を仕立てて彼らを迎えるというオファーをする中国に対して、これ幸いと彼らの身柄を引き渡してしまう。インド生まれの華人たちにとって中国は未知の国。おりしも時は文革の渦中で、引き揚げてきた彼らはインドによるスパイという嫌疑もかけられて大変な苦難を重ねることとなる。

    中国に送られることなく、アッサムに帰還することができた華人たちにとっても、日々は決して楽なものではなかった。苦労して得た工場、店、家屋などは、「敵性資産」として、競売にかけられており、彼らの父祖がそうであったように、再び裸一貫でスタートしなくてはならなかったからだ。

    文革の嵐が収まりかけたあたりから、中国に送られたアッサム華人たちの中で、当時英領だった香港を目指すのがひとつの流れとなっていった。

    そして現在、結婚したばかりの華人妻と生き別れになったアッサム人男性が、かつてマークームに暮らした華人住民たちの小さな集まりが開かれる香港を訪問して49年振りに再開。

    雄大な時間軸の中で展開していくスケールの大きなドラマ。こうしたインド系の人々の歴史を交えた長編作品を得意とする大作家アミターブ・ゴーシュの作品を彷彿させる。

    もともとマークーム(মাকুম)と題して2010年にアッサム語で発表された当作品だが、好評を得て英語版も出版されることとなったが、翻訳版という形ではなく、新たな記述等を加えて最初から書き下ろすことになったため、英語版の出版まで何年もかかったと聞いている。

    タイトル:Chinatown Days
    著者:Rita Choudhury
    出版社:Amazon Services International, Inc.
    ASIN: B0786T8XKX
    ※紙媒体ではなく、アマゾンのKindle版を入手。

  • ジャグダルプル空港

    ジャグダルプル空港

    南の方角から走ってくると、ジャグダルプルの市街地に入るあたりで空港が見える。まだ新しい施設だが昨年11月から乗り入れがなくなっている。昨年6月からラーイプル→ジャグダルプル→ヴィシャカパトナムというフライトが就航したのだが、半年も持たなかった。
    市街地に隣接しており、繁華街はすぐ目の前。利用者にとっては大変便利な立地だったはずだが、その数については大変ずさんな試算のもとで空港の建設がなされたということなのだろう。
    近年のインドでは、数多くの空港建設が進んでいるが、せっかく完成しても乗り入れる定期便がない、就航したもののすぐに乗り入れ停止というケースも少なくない。ジャグダルプル空港もそうした中のひとつである。

    ジャグダルプルの空港の市街地からのアクセスの良さはインド最高クラス。繁華街から徒歩でも行ける距離だ。

    PM Modi Inaugurates Flight Service From Jagdalpur To Raipur (NDTV)

    Why flight services to Maoist-hit Bastar region have been discontinued 5 months after launch (FINANCIAL EXPRESS)

  • 視力測定板

    視力測定板

    日本で言えば、片目を塞いで「上」「右」「下」「左」などと、円の切れ目の方向を言ったりするが、ジャグダルプルで道を尋ねた眼鏡屋でこんなものを見かけた。
    デーヴァナーガリー文字で「ダ」「パ」「タ」「ナ」「ガ」・・・などと読んでいくのだが、ずいぶん文字も文字列も少なく、いい加減な感じがする。
    文字が左右逆になっているのは、このボードを背にした反対側の壁に置いてある鏡に映った像を読んでいくためである。

  • 現代のシャー・ジャハーンとムムダーズ・マハル

    現代のシャー・ジャハーンとムムダーズ・マハル

    亡き妻のために「うちのタージマハル」を建てたとして何年か前に話題なっていたUP州の元郵便局長。

    This retired UP postmaster built a Taj Mahal for his ‘Mumtaz’ (Hindustan Times)

    昨年、自らも亡くなり、奥さんと一緒の墓廟に埋葬されたとのこと。
    美しい愛のエンディングストーリー。
    ただし、現代のジャー・ジャハーンの死は交通事故によるものであったことは痛ましく残念である。

    Ex-postman to be buried in ‘mini-Taj’ with late wife (Times of India)

    以下の動画から、仲睦まじい夫婦であったことが偲ばれる。
    自宅の窓からいつでも墓廟が見えるようになっており、幽閉されたシャー・ジャハーンは窓から見えるタージマハルを眺めて、先立った愛妻ムムターズのことを想いながら過ごしたという逸話そのままのようだ。


    The Retired Postmaster Who Built A Taj Mahal For His Wife | Unique Stories from India(Youtube)

  • 日本とネパールを繋ぐお金の縁

    紙幣の原料となる樹木、ミツマタの大半をネパールからの輸入に頼っているとのこと。
    リンク先記事によると、もともとネパールでよく採れていたというわけではないようで、1990年代からネパールでの栽培を始めたようだ。
    日本とネパールのお金をめぐる縁は、日本からの国際協力のみならず、ネパールが日本の紙幣発行を下支えしてくれているという側面は、これまであまり知られていなかったはずだ。

    ネパールが支える日本紙幣 原料の樹木、大半を生産(日本経済新聞)

  • ドキュメンタリー映画「Final Solution」が描くモーディーとBJP

    2002年にグジャラート州で発生した大暴動を取り上げたドキュメンタリー映画。
    重たい内容だ。以前はこの関係の書籍等も沢山出回っていたのだが、最近見かけなくなっている。事件はもはや風化してしまったかのように思われる。
    この暴動とそれによる殺戮について、背後で当時州首相であったナレーンドラ・モーディーが深く関与していた(らしい)ことも言われていた。この関係でグジャラート州首相時代、米国入国禁止になっていたことはよく知られている。
    だが2014年にインド首相就任すると、アメリカは黙って禁を解いてしまった。
    モーディー自身は、経済に明るいこと、お金についてはクリーンなことで人気で、州首相としても国の総理大臣としても実績を上げてきたが、思想的には危険な人物であることを忘れてはならない。

    Final Solution (2004)

  • インド人にとっては「安・近・短」のブータン訪問

    インド人にとっては「安・近・短」のブータン訪問

    IRCTCといえば、インド国鉄子会社で主にチケット予約とケータリングサービスを主な業務としている。加えて豪華列車その他の国鉄を利用したツアーはもちろんのこと、鉄道がルートに含まれないツアーなども販売している。リンク先はIRCTCによるブータンツアーに関する記事。
    日本ならば民業圧迫だと非難されそうだが、インドにはまだ民業と被る業種の公営企業が少なくないためもあってか、同様の例はけっこうある。

    さて、そのブータンだがネパールと並んでインド人にとっては「安・近・短」の外国であり、国内にブータン人が多いこと、ブータン事情についてのニュースも日本と較べて格段に多いこともあり、「幸せの国がブータン」というブータン政府プロパガンダに影響されることなく、「ただのインド周辺国のひとつである」という正しい認識がされているようだ。

    インド・ブータン間では相互査証免除となっていることもあり、わたしたちと違って高額なツアーを利用する必要もなく、自国内を旅行するのと同じように、気のおもむくままに移動や宿泊ができる。通貨もインドルピーとブータンニュルタムは等価なので、インド人は自国ルピーでそのまま日々の支払いができるのだ。インド国内と違うのは、たいていお釣りはルピーでなく、ニュルタムで返ってくるところか。

    ブータンでは初等教育から国語のゾンカ語授業を除いて、インド政府の協力を得て、すべて「英語化」されたのは1970年代。またブータン人たちの間ではヒンディー語が広く普及しており、よほどのおじいさん、おばあさんでなければ、たいていの人たちはどちらもごく当たり前にしゃべることができるようだ。

    日本人にとっては訪れてみたいと思っても、けっこうハードルが高いブータンだが、インド人旅行者には大変親和性が高く、費用的にも訪問しやすい国なのである。そんなこともあり、ロンリープラネットの「ブータン」ガイドブックについては、あまり知られていないが「インド人専用版」がインド国内限定で販売されている。

    Lonely Planet 「Bhutan」のインド人専用版

    インドパスポートを持って、見た目ブータン人と似た顔のモンゴロイドながらも実はインド人という立場でブータンを安旅行できたら大変面白そうなのだが、それが可能なのはインド北東地域のモンゴロイド系の人たちに限られるのは残念である。


    IRCTC Tourism Bhutan Tour: Destinations Covered, Fares And Other Details (NDTV.COM)

  • 宿の前に見えるお家

    宿の前に見えるお家

    クルマがあるときとないときで、ここのお父さんが在宅かどうかがわかる。
    おばあちゃんが一緒に暮らしており、子供は中学生くらいの女の子と小学生の男の子がいる。小学生の子は、休み日の朝から近所に出かけたと思いきや、アヒルの行列みたいに大勢のお友だちを連れて家に戻ってきた。
    朝の時間帯はお手伝いさんが入ってきたり、お父さんがクルマで仕事に出かけるのをお母さんが門の外まで出て見送っていたりするのが見える。
    中学生の子は、よく自転車に乗って出かけているようだ。ちょうど学校は休みの時期なのでヒマなのだろう。
    何泊かしたジャグダルプルのホテルで、宿代に込みの朝食を取っていると目に入ってくる幸せそうな家族の日常風景。