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カテゴリー: society

  • 東京五輪特集

    東京五輪特集

    インディア・トゥデイ2021年7月21日号

    こちらはインディア・トゥデイ7月21号。今号の特集は、今月23日に開幕する東京五輪出場のインド人選手たち。

    私たちにとっては「こんな時期に正気の沙汰ではないオリンピック」だが、ベストを尽くしてこの大会まで自身のコンディションを上げてきた選手たちには罪はない。出場選手たちが最高のパフォーマンスを発揮できるように祈るとともに、1年の延期というたいへん厳しい試練を乗り越えてきたアスリートたちを心から応援したい。

    もちろん応援できるのは、テレビ画面その他のメディアを通じてのみ、ということになるが。せっかく日本で開催されるにも関わらず、地元との交流がほとんどないのは、もちろん仕方ないとはいえ当然残念。

    次に開催される五輪は、このようなケチがつくことなく、誰もが気持ちよく楽しめる、そして選手たちが地元と交流も行なうことができる、本来の平和の祭典であることを信じたい。

  • コロナ禍におけるラト・ヤートラー

    コロナ禍におけるラト・ヤートラー

    7月12日はオリッサ州のプリーのジャガンナート寺院の大祭で、巨大な山車が引きまわされる「ラト・ヤートラー」が行なわれた。

    コロナ禍での開催ということで、山車をけん引するコロナ検査陰性の者以外は参加不可とのことで、当日は外出禁止令が敷かれたため、一般の参拝客の姿はない。

    各ニュース番組等のメディアで中継されていたが、次の映像は国営放送ドゥールダルシャンの映像でYoutube配信されたもの。昨日はライブ配信であったが、現在は録画されたものを閲覧できるようになっている。

    寺院内では、それなりに密な感じだが、敷地外の誰もいない大通りで山車が引かれる様子は異様だ。来年は、従前と同じ環境で実施することが可能になっていることを祈りたい。

    以下の映像は2019年のものだ。今年のそれが、いかに例年と異なるものになっているかが、よくわかることだろう。

  • 金ピカ時計

    金ピカ時計

    金ピカ時計

    昔のインドのオジサンたちの中で、こういうキンキン時計している人たちがけっこういた。

    それでもって複数の指にゴツいリング、胸毛がシャツからはみ出た首には金色のネックレスとか。

    そんな危険ないでたちを初めて目にしたとき、「あっちゃー、インドのヤクザヤさんかぁ?」と引けてしまったが、ただの市井の人たちで、世話焼きのオッサンたちだったりした。

    悪い奴ではなくて、ただセンスがすこぶる悪かっただけなのだ。

    若者たちも同様で、洋装ではいまみたいなカッコいい人たちは不在で、当時の銀幕のヒーロー、ヒロインですら、観ているこちらがビビるような具合。

    90年代以降に衛星放送で外国の映画やドラマが入るようになると、試行錯誤?しながらだんだん普通に(笑)なったきたのであった。それまでは、国外での流行やトレンドなんか、ほとんど関係なかったインド世界。

    そう思い起こすと、メディアの力、経済開放によるインパクトというのはものすごい。

    音楽シーンでも同様で、80年代末までのインドのポップスといえば、映画挿入歌でほぼいっぱい。洋楽の入り込む余地はたいへん狭く、イギリスでグラビアモデルから歌手に転向したサマンサ・フォックスが、なぜか「ロックスター」として絶大な人気だったのがたいへん不思議だった。たしかインドでライヴもやってたような記憶がある。

    昔ながらの金ピカ時計を目にして、ふとそんなことを思い出した。

  • モーディー改造内閣

    一昨日、インドのモーディー政権の改造内閣が発表された。今回一番大きな目玉はジョーティラディティヤー・スィンディヤーの入閣。

    グワリヤル藩王国の最後の王、ジヴァージーラーオ・スィンディヤーの孫で、現在のグワリヤル王家であるスィンディヤー家の当主。

    グワリヤル王家は、インドで数多く存在していた藩王国の中で最も高位の王家のひとつ。英領時代の「礼砲数」が最高格の21号砲。同格で並んでいたのは、バローダ、マイソール、カシミール、ハイデラーバードだけだ。まさに文字通りの「大王」の家柄。

    見た目は若く見えるが、もう50歳。2019年の総選挙で負けたため国会議員の立場を失っていたが、昨年3月に国民会議派を離党する際に、地元マッディヤ・プラデーシュ州議会で議席を占める取り巻きたちも脱党させたうえで、それらの者たちとともにBJPに加入。これにより同州の国民会議派政権は瓦解して改めて選挙が実施され、現在はBJPが政権を取っている。この一件は「大王の叛乱」としてメディアで大きく取り上げられたのは記憶に新しい。

    国民会議派中枢のラーフル・ガーンディー、妹のプリヤンカーとも同世代であり、個人的にも家を行き来する親密な仲であっただけに、2019年の選挙敗北後に彼が国民会議派執行部と疎遠になっていく様子は懸念されていたものであった。彼の父親のマーダヴラーオ・スィンディヤーは国民会議派の重鎮で国会議員だった。父の事故死を受けて、その選挙区を引き継いだのがジョーティラーディティヤーだった。こういう人からも見離されるのだから、今の会議派は大変だ。

    今回の内閣改造で、入閣が予想されていたワルン・ガーンディーは外れてしまっている。ワルンの母親はメーナカー・ガーンディー。ラーフルの父親の故ラージーヴ・ガーンデイーの弟、サンジャイの息子だ。つまりラーフルとプリヤンカーのいとこにあたる。インディラーに可愛がられたソーニアーとは裏腹に、サンジャイの死後、メーナカーと義母のインディラーは折り合いが悪く、夫の兄の家とも疎遠になっている。国民会議派の「ポスト・インディラー」と目されたサンジャイの嫁でありながらも、後にBJPに加入、閣僚としても活躍することになったのは、ごく自然な流れだった。その息子がワルンなのだが、遠からず日の目を見る日がくるかもしれない。

    List of new Cabinet Ministers of India 2021: Check the updated list with Portfolio (JAGRAN JOSH)

  • 下げ止まり

    第2波の抑え込みのために実施されたロックダウンその他の措置が功を奏して、一時は新規感染者数が4万人を割りこんだインドだが、ここ数日間は下げ止まり感がある。

    まあ、しばらくこんな具合かな?とは思うものの、様々な制限が緩和されてきていることから「第3波」の懸念の報道もある。

    回復基調にある国々が一部にあるいっぽうで、そうではないインド、日本その他多くの国々は、まだ先も見通せずにいるので本当に大変だ。

    ワクチンの普及を図りながら、ブレーキを踏みつつも、状況を確認してアクセルも踏まなくてはならない。ときに内外からの批判を浴びつつも、なんとか国を運営していくのが政府の仕事だ。

    India reports 43,393 new Covid-19 cases, active cases slide to 458,727 (Hindustan Times)

  • デルタ株の広がりで新たなロックダウンや行動制限

    「新型コロナ感染症」から「デルタ感染症」と呼び名が変わりそうな勢いだ。

    今にデルタに特化したワクチンが求められるかもしれないし、今後ブースター用にと開発されるのは、デルタ用に新開発されたものになるんじゃないか?とも想像している。

    しかしながら主流となっているメッセンジャーRNAタイプのワクチンは、そこに組み込む遺伝子情報を変異種のそれに書き換えるだけで出来てしまうというスグレモノだ。もちろん新規に治験等は必要なのだが。感染症に対抗するワクチン技術がたいへん進化していることは心強い。

    しかしながらワクチンの普及とともに、もうすぐそこまでに来ていると信じていた「コロナ後」が、まだしばらく先のこととなりそうであることは残念であり、気が滅入るものでもある。

    Global report: rise in Delta variant cases forces tougher restrictions (The Guardian)

  • インドネシアでコロナ感染拡大が深刻に

    インドネシアがインドよりもずいぶんひどいことになっている。

    昨日時点で直近の24時間で新規感染者数が4万人を切ったインドに対して、インドネシアでは、なんと2万7千人超。インドの人口はインドネシアの5倍くらいなので、これをインドに当てはめると、1日の新規感染者数が13万5千人あたりに相当する。

    現在のインドネシアでの感染状況は、インドの3.5倍近く厳しいことになっているわけだ。インドも先日まで、そのような数字であったし、現在の「第2波」で最もひどいときには40万人を超えたこともあったわけだが、今は大きく改善している。

    イスラーム教の祝祭の時期を経て、大きな人口の移動があったことが背景にあるのは、ちょうどホーリー等の春季の祝祭で、インドで「第2波」の感染が広がったことと通じるものがある。やはり感染拡大を防ぐには、「ステイホーム」と「自制・自粛」が必要であることがよくわかる。イギリスなど、ワクチンが普及した国でも、デルタ株による感染数が急に増えていることも気がかりだ。

    コロナの出口は、もうすぐそこ、と思っていたが、どうやらまだしばらくかかりそうだし、「With Corona」で、いつまでたっても今の状態が「常態」になってしまう嫌な夢を見ることがある。やれやれ・・・。

    インドネシア 新型コロナ 1日の死者最多に 医療用酸素が不足(NHK)

  • タイの「サンドボックス」のスキームとインドの50万人分の無料ヴィザ

    今月1日から開始され、観光業復活のための試運転みたいな感じで、タイ国内だけではなく、各国からも注目されているトライアル。入国後の隔離なしで滞在を楽しむことを可能とする取り組みだ。

    概要は以下のとおり。

    ・事前に入国許可証を取得済であること。

    ・到着の72時間以内に発行された新型コロナウイルス検査陰性証明書を所持していること。

    ・最低で10万ドル以上を補償する保険に加入していること。

    ・タイ国保険省が、新型コロナウイルス感染に係る低・中リスク国・地域からの旅客であり、入国までの21日間以上、これらの国・地域に滞在していること。※現在、日本はこの対象となっていない。

    ・プーケットへは直行便で到着すること。

    ・到着の14日前までにワクチン接種を完了し、ワクチン接種証明書の発行を所持していること。(タイ保健省あるいはWHOが承認したワクチンのみ)

    ・到着時に「タイランドプラス」や「モーチャナ」などの指定アプリをインストールする。

    ・到着時にPCR検査を受ける。

    ・政府の安全・健康管理(SHAプラス)認証を取得したプーケット県内の宿泊施設に滞在する。(到着時のPCR検査結果が陰性であればプーケット県内での旅行可能)

    ・プーケット県内で14泊すること(14泊未満の滞在の場合は、プーケットから直行便で出国)

    このところ、タイでも感染者が増えてきているし、変異株の関係もあるため、強く反対する声もある

    とりあえずはうまくいくのかどうか、感染拡大が起きることはないのか、その他の問題は起きないのか(プーケット滞在中に所定の回数の検査を受けるかどうか、プーケット内に留まることが義務付けられている間に、勝手に域外に行ってしまわないかどうかなど)、お手並み拝見といったところだ。観光客といっても、実にいろんな人たちがいるので、様々な珍事も伝えられてきそうな気がしている。

    ポイントは、リスクの低い層の人たちのみを、政府の目が行き届く施設に囲い込み、本来の隔離期間を観光地で過ごしてもらうというもの。よって、指定された期間が経過すれば、タイ国内の他地域への旅行は解禁となる。プーケット県内の指定施設に滞在中の期間には、政府の指定する頻度でPCR検査を受けることも義務付けられているようだ。

    インド、ネパールなどへの観光目的での訪問が可能となるのは、まだまだ先のようだが、インド発の以下のような報道もある。

    ‘5 lakh free visas will boost tourist footfalls to India’(Sunday Guardian)

    記事で取り上げられている「有効期間1か月の無料ヴィザ」の発行は、「2022年3月末または50万人分発行完了するまで」とある。

    インドで最初に発見された「デルタ株」「デルタ・プラス株」といった、極めて感染力の強い変異種が世界中で警戒されている中、そんな近い将来に外国人相手の観光業がインドで復活するのかどうか疑問ではあるものの、「コロナ後」を描いて、いろいろな取り組みが始まっていることについては心強く思う。

  • 1853 ENFIELD

    1857年に起きたインド大反乱の引き金のひとつにになったとされる「1853 ENFIELD」銃。今でも所持している人がいるようだ。

    以下の動画ではアメリカの内戦(南北戦争)で使われたと紹介しているが、この時期に英軍が採用していたため、でクリミア戦争その他でも使用された歴史的な銃である。銃弾を包んだ紙のカートリッジ(歯で噛み切る必要があった)に牛と豚の脂を使用していたとされていたが、本当はどうであったのか。

    当時のイギリス当局の「Military Board」は、脂分の正体を明らかにしておかないと、ネイティヴ(東インド会社軍のインド人傭兵)の間に疑念をもたらすと認識していたそうだが、これがきちんと必要なところで共有されなかったこと、会社軍の英国人士官にはインドの言葉だけではなく、文化や習慣にも深く通じていた人たちが多かったにもかかわらず、こうした危惧すら抱かずにいたようであることに、当時の東インド会社の危機管理に大きな問題があったとされる。

    大反乱鎮圧後に東インド会社は解体され、インドはイギリス本国のインド省(植民地省とは別にインド省があった。つまり英国の海外領土として別格の存在だったインド)による直接の管理となった。

    会社としての実体が無くなった後も「東インド会社」の商標はそのまま生き続けていくのだが、2010年に英国を拠点にビジネスを展開するインド人企業家が買い取り、「東インド会社」の主がインド人になったというニュースを目にした。そのとき「東インド会社によるインド支配が完全に清算された」かのような思いがした記憶がふと蘇ってくる。

    以下が現在の「東インド会社」のウェブサイトである。

    THE EAST INDIA COMPANYホームページ

  • BIHAR DIARIES

    BIHAR DIARIES

    何年も前に購入して放置していた「ビハール・ダイアリー」。著者であるアミット・ローダーという名のIPS(州警察採用ではなく国家レベルで採用のエリート警官)がSP(日本の警察で言えば警視あたりか?)としてビハール州に勤務していた頃の大捕物劇。ヤクザものノンフィクションの第一人者、S. フセイン・ザイディーが関わる作品だけあり、スピード感とスリル溢れる作品だ。

    実話から成るこのストーリーでは、田舎に配属されたやり手警官の主人公が、着任してみると、住む場所すら用意されていないことにで戸惑いながらも、歳上が多い部下たちを鼓舞しながら、大物ヤクザを追い詰めてついに逮捕に至るまでを活写。

    通話の傍受で操作網を狭めていき、ホシの居所を特定して一気に襲撃をかける。そこに至るまでは、警察の身内に標的のヤクザとの内通者がいたり、近隣警察署のライバル関係にあるSPから横槍が入ったり、政治家から圧力がかかったり、犯罪一味から命を狙われたりと、日々なかなか大変。

    しかし毎度のことながら、こうした犯罪ものを読むと、気分がドヨ〜ンと淀むのは致し方ない。

    たまに読む程度におさめておくのが良い。

     

    書 名:BIHAR DIARIES

    著 者:AMIT LODHA

    出版社:PENGUIN BOOKS

    ISBN:978-0-143-44435-0

  • ALLWYN

    ALLWYN

    インドのHMTという、かつて存在した国営時計メーカーの製品が好きなのだが、1990年代末までは、同じく機械式時計を得意とする「HYDERABAD ALLWYN」という公営企業もあり、「ALLWYN」というブランド名にて、なかなか個性的なモデルを作っていた。こちらの時計は購入したことはないのだが、今となれば1個くらい入手しておけば良かったと思う。ボディーが厚めでがっちりしたタイプのモデルが多く、個人的にも好みであった。国営ではなく「公営」なのは、アーンドラ・プラデーシュ州営企業であったからだ。本拠地はハイデラーバード。

    国営のHMTがトラクターを造っていた(現在時計部門はないが、トラクター製造事業は健在)ように、ALLWYNも多角的に展開する経営する会社だった。時計以外にトラック、バス、スクーター、冷蔵庫まで製造していたのだ。「政治は民主主義、経済は社会主義」で、混合経済とか揶揄されていた時代を象徴するかのような存在であった。今となると、「政府が時計やら冷蔵庫やら作るなんて?」ということになるが、1980年代後半までのインドでは、政府系企業がそうしたものを作るのは、ごく当たり前のことであった。なぜなら経済面で、インドがお手本としていた計画経済体制のソヴィエトで、そうやっていたからだ。

    だがインドで特徴的であったのは、計画経済体制でありながらも、「財閥」が存在していたことだ。それら財閥は政府からライセンス交付されたうえで、割り当てられた製品、産品を国の計画の一環として生産していた。当然、政府によって割当られる以上、基本的に財閥企業間の競争はなく、のんびりした時代であったといえる。まさに政・官・民が一体となっての巨大談合体制が、「混合経済」の正体。

    当然、そんなシステムが永劫に続くはずもなく、これが80年代末から90年代はじめにかけて破綻してしまう。ピンチをチャンスに変えるべく、一気に改革開放に舵を切って、うまく成長の波に乗せた凄腕設計者は、当時の財務大臣だったマンモーハン・スィン。高名な経済学者で、デリー大学教授、財務省顧問、中央銀行総裁、国家計画委員会副議長などを歴任するなど、元々は政治家ではなかったのだが、時の首相であったナラシマ・ラーオに抜擢され、1991年6月から1996年6月までの間、財務大臣として「経済危機のどん底のインド」から「高度経済成長を続けるインド」へと大きく変貌させた。

    マハートマー・ガーンディーが「インド独立の父」ならば、マンモーハン・スィンは「現代インド繁栄の父」なのだが、後に首相(2004年5月から2014年5月)となってからは「会議派総裁ソーニアーとガーンディー家の忠実な番頭さん」を演じるハメになったためか、今ではあんまり賛える人がいないのは寂しい限り。

    首相に就任した2004年5月だが、イタリア出身のソニアー・ガーンディー総裁率いる国民会議派が総選挙でBJPを破り、政権に返り咲いたが、ソーニアーの首相就任については、野党のみならず国民会議派党内からも異論が噴出し、「真の実力者(ソーニアー)の操り人形として首相の座に据えられることとなった。マンモーハン・スィンの傍らに常にしかめっ面で、影のように付き添うソーニアーの姿は、「首相に仕える秘書役」ではなく、「僕に代弁させる影の首相」であった。大きな手腕を奮った財務大臣時代と異なり、本来ならば内閣のトップであるはずの首相在任時のマンモーハン・スインは、2期合計10年務めたのであったが、結局最後まで自分のカラーを出すことはなく、主であるガーンディー家の忠実な番頭に徹していた。

    HYDERABAD ALLWYN社は、財務大臣時代のマンモーハン・スィンが造り上げた「成長軌道に乗ったインド」の時代の中で、分割したり、部門を民間に売却するなどして、生き残りを図るが、いずれも芳しくなく、21世紀を迎える前に消滅している。

  • インディアン・エアラインスのロゴ入り時計

    インディアン・エアラインスのロゴ入り時計

    インディアン・エアラインスのロゴ入り時計
    インディアン・エアラインスのロゴ

    こちらの画像は、ケース裏側に国営インディアン・エアラインスのロゴが入っているHMT自動巻時計。後に同じく国営で、主に遠距離国際線を中心に展開していたエアインディアと合併する国内線と近隣国への国際線を中心に運行していたインディアン・エアラインス。

    1980年代から1990年代前半あたりまで、インド国内線は、午後6時台到着予定の便は必ず遅れるというジンクスがあった。着陸が午後7時以降になると、乗務員たちに夜間手当が出るため、パイロットたちはしばらく上空を周回させていたというような都市伝説があった。パイロットたちは、会社から支給されたこの時計で7時を回ったのを確認して直陸体勢に入ったのだろうか?

    真偽のほどは定かではない。コクピットの判断で勝手にそんなことができるのか?と思うので、ただの与太話だったのかもしれないが、当時のインドの英字ニュース雑誌にも国内線の非効率を批判する記事で「午後7時の法則」と揶揄されていたから、まんざら嘘ということでもなさそうだ。国営による寡占状態の国内空の便について批判した記事だったように思う。

    もっとも、その他の時間帯でも遅延がとても多かった時代で、遅れは午後6時台だけのことではなかった。