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カテゴリー: railway

  • ジャナクプル鉄道

    BBCは亜大陸の鉄道に関する番組で数々の秀作を世に送り出しているが、これもまたそれらの中のひとつ。

    Janakpur Railways – BBC Documentary (Youtube)

    隣国インドで鉄道が社会のインフラとして格別の存在感を示しているのとは裏腹に、ネパールはインドと国境を接する南側で、ジャナクプルからインドのビハール州のジャイナガルまでを結ぶローカル線くらいしかないのは、山国であるだけに仕方のないことだ。もっともこの状況については、近年ネパールに接近している中国が青蔵鉄路のネパール国境までの延伸、そして首都カトマンズまでの接続という、いつになったら実現するのか容易に想像さえできない壮大なプランを示しているので、遠い将来にはこの国における鉄道の地位が飛躍的な向上を見せることになるのかもしれない。もちろんインドはそうした状況を座視しているわけにはいかないのだが。

    それはともかく、上記リンク先の番組では、ジャナクプルの鉄道のもとに展開する人々の様々な暮らしぶりが取り上げられており興味深い。施設も車両も老朽化が進み、しばしば運休となったりするなど、かなりキビシイ状況のようだ。私自身もだいぶ前にジャナクプルを訪れた際、インド国境手前まで行ってみようとしたのだが、その時は洪水の関係で運休していた。駅構内をしばらく散策してみたが、タライ平原の街であることもあり、眺めた感じはインドの片田舎の鉄道駅という印象であった。

    この路線のインド側の終着駅であるジャイナガルは、元々はメーターゲージの軌道の路線が乗り入れていたが、現在ではブロードゲージ化されており、ここからインド各地に直行できるようにもなっている。そんなわけで、タライ地域の人々、とりわけジャナクプルやその周辺部に暮らす人々にとっては、就労や進学その他で隣国インドの大都市に向かう際には、以前よりも使い勝手の良いものとなっているに違いない。

  • 鉄道でデリーからレーに移動することできる時代がやってくる?

    これまでに幾度かメディアで話題になっているヒマーチャル・プラデーシュからラダックのレーへの鉄道建設。かなり本気の計画のようだ。2年近く前のものになるが、下記の記事を見る限りでは、軍事的な要素が強いようだ。つまり中国との有事を視野に入れた高速大量輸送を可能にするという点だ。

    ヒマラヤの急峻で険しい地形のもとで、技術的にも費用面でも本当に可能なのか。実現できるとしても何年かかるのだろうか。そして建設工事や維持にかかる環境負荷も相当大きいのではないかと思われる。この地域を訪れて雄大な山々を目にしたことがある人ならば、このようなプランを耳にしても、とうてい信じられないだろう。

    Nod for Bilaspur-Manali-Leh rail line heartens Himachalis (THE TIMES OF INDIA)

    Leh to be connected with rail line with Delhi via Bilaspur (DAILYEXCELSIOR.COM)

    パンジャーブ州境に近いヒマーチャル・プラデーシュ州のビラースプルから同州のマナーリー、ケイロンを経て、さらにはタグラン・ラを越えてラダックに至るというルート。

    さらにはこれに留まらず、レーからカルギルを経てスリナガルへと鉄道を繋ぐ計画もあり、現在カシミールにて建設中で、すでにバーラームッラーからバーニハール間で走行しているカシミール鉄道と接続するという壮大なプラン。

    もしこれが完成すると、このようなルートとなる。

    このカシミール鉄道は今後ジャンムー・ターウィー駅まで延伸されるため、デリーから時計回り、反時計回りでこれらの地域へ鉄道でアクセスすることが可能になるとされる。

    ラダック地方やその周辺地域の文化的特殊性は、夏季の限られた期間にしか外部からアクセスできないという地理的な閉鎖性による部分も少なくないと思われるので、こうした鉄道敷設により、これが年中可能となると、このエリアにおける文化的な影響も相当大きなものとなることだろう。

    その反面、ラダック地方においては、ほぼ夏季に限られる観光業の収入以外にも現金収入の機会が増えること、季節を問わずに陸路でインド各地と往来できるようになることから、他の産業の育成にも繋がることになるのかもしれない。

    ただしそれがラダックの人々を利することになるのか、そうではなく外の人たちがラダックで稼ぐ機会だけを増大させることになるのかは、まだ建設が始まってもいない現時点では何とも言えないだろう。少なくともラダックの美しい景観を損なうことになるのは間違いないように思われる。

  • Gatimaan Express

    現在のインド国鉄で最速(最高時速150km)となるガティマーン・エクスプレスが、本日4月5日から運行開始される。デリーのハズラト・ニザームッディーン駅からアーグラー・カント駅までの185kmを100分で走行するというもの。ハズラト・ニザームッディーン駅からの下りは午前8時10分発、アーグラー・カント駅からの上りは午後5時50分発。
    実質、タージマハル観光専用の列車のようで、タージマハルが閉まっている金曜日は運行されず、週に6往復となる。運行にはモダンな客車が導入され、飛行機のシートのように、前座席背面には液晶モニターが設置されるようだ。
    インド国鉄における「最速」については、革新的な技術が導入されるわけではないようで、シャターブディー急行がこの区間で途中停車駅ひとつ(マトゥラー・ジャンクション駅)で2時間から2時間15分程度で走行するのに対して、ガティマーン・エクスプレスはノンストップで走破することと、ダイヤの調整の結果であると思われる。

    India’s fastest train to debut on Tuesday (THE TIMES OF INDIA)

  • デリー到着

    デリー到着

    列車の終着駅はデリーではないので、朝5時20分にセットしていた目覚ましが鳴る前に目が覚めた。 スマホで、しばらくメールのチェックをしてから現在地を調べてみると、もうデリーはすぐそこだ。ヤムナ河の東側を走行しており、じきにこれを越えるところまで来ている。

    車両のアテンダントが「デリーに着くよ」と声をかけにくると、他の人々は起き出して荷物をまとめたりしている。ほぼ定刻の午前6時にニューデリー駅到着。

    ニューデリー駅到着

    あまり早く (午前4時とか) に宿に着くと、まだ部屋がなかったり、前日分まで払えなどと言われたりするが、もうこの時間ならば大丈夫だろう。腹が減ったので食堂開いているところはないかと思って探すが、駅前に面したところに以外ではまだ開いていない。

    歩いて宿のほうに進んでいくと、宿の斜向かいのチャーイ屋は開いていたので、ここで温かいコーヒーを頼む。最近のインドでは都会でも田舎でも、「砂糖少な目で」と注文する中高年をしばしば見かける。そういう時代なのだろう。

  • ゴーラクプルからデリーへ

    ゴーラクプルからデリーへ

    ゴーラクプル始発の列車は、午後4時半に出発だが、少し早めに駅に着いてみると、すでにプラットフォームに停車していた。

    この列車でデリーへ向かう

    本日は奮発して1Aクラスの寝台を取っているが、2Aの車両に併設されている形。2Aとの間にドアがあって仕切られている。そことの間は通行が出来るようになっている。1Aクラスはドアの付いたキャビンになっており、定員は4名。1Aクラスのコンパートメントのためか、客室内にネズミ捕器が設置されている。気が利いているのだかそうではないのだか…?

    1Aクラスの車内。左シート下の灰色の箱みたいに見えるのはネズミ捕り

    出発までしばらくの間、外を眺める。ときおり他の列車が入ってきては通過していく。

    夕食を頼んだが質素な野菜ビリヤーニーだった。

    この列車のGeneral Coachについては、列車到着時から物凄く沢山の人々が乗り込んでいてびっくりした。同じ列車ではあるが、この快適な空間とは正反対のぎゅうぎゅう詰めで苦しい空間がそこにある。この車両のひとつ後ろからもまたジェネラルコーチになっているので、そこでも大変だろう。

    1Aコンパートメントは快適で、同室の人たち(結局四人の定員いっぱいになった)も午後9時くらいには寝たので、こちらも充分眠ることができた。室温もちょうど良い具合。

  • ゴーラクプル2

    ゴーラクプル2

    鉄道駅のクロークルームに荷物預けてから駅を出る。サイクルリクシャーで向かう先は、ゴーラクナート寺院である。おそらくこれがこの街の名前の由来となっているのだろう。⒒世紀のシヴァ派の聖者を祀る寺院だ。ゴーラクプルはやはりかなり貧しい街という気がする。駅前は中心でありながらも、かなり空き地が多く、隙間だらけという感じがする。また高い大きな建物が少なく、フラットな印象。昔のインドという感じだ。途中で踏切を越えるが、遮断機が下りていてもズンズンくぐって進んでいくのがインド流だ。また列車が来てもすぐ目前まで進んでいく。どうしてそんなに急ぐのか。

    ゴーラクナート寺院到着。なかなか見応えのある寺で、本殿以外に複数の参拝できる施設があり、そのひとつの大きなホールには、様々な神々の像がならぶ、いわば神々の博物館のようになっていた。

    ゴーラクナート寺院

    寺院の聖池
    寺院敷地のすぐ外で見かけた露店の食べ物。旨そうなんだか、まったくそうではないんだか・・・。

    その後向かったのは鉄道博物館。ジャンクション駅よりも少し先にあり、19世紀終わりごろに建てられて、鉄道幹部の住居として使用されていた建物の中に入っている。建物もさることながら、中には鉄道導入期の装備や備品なども展示されており、これらはたいていイングランド製。鉄道敷設のころの写真、まだ橋梁が出来る前で、河を鉄道スチーマー(Railway Steamer)という外輪船が結んでいた時期などの写真などもある。またこの時期から独立後あたりまでの写真も飾られている。

    開館は正午と遅いが、夕方7時半まで開いているのはちょっと意外

    客車を改造した食堂

    その中には詩会に出席して何か話をしているハリヴァンシュ・ラーイ・バッチャンの写真もあり、これまた興味深かった。敷地内には、子供たちのためのトイトレイン、使わなくなった客車を利用したカフェテリアなどもあり、これまたいい感じである。どこも手入れが行き届いているのも好印象。田舎の博物館では、どのような分野のものであったとしても、荒れ果てた中にゴミのように打ち捨てられているということが大変多いからだ。屋内展示部分は撮影禁止となっているため、それらについてここで画像で紹介できないのは少々残念である。

    この鉄道博物館の後にはCity Mallモールへ。近年のインドでは、この程度の規模の街にも当たり前のようにモールがある。出来た当初はかなり良かったのではないかと思うが、エスカレーターは片側しか動作しないし、まだ比較的新しいと思われるにも限らず、かなり煤けている。それでも最上階にはシネコンが入っており、グラウンドフロアー外の券売所が混雑していたところを見ると、それなりに繁盛してはいるのだろう。すくなくともシネコンについては。

    モールで昼食

    食事を終えてから、サイクルリクシャーで鉄道駅に向かう。

  • ゴーラクプル1

    ゴーラクプル1

    ベトナム寺院の宿坊で出発の準備。このお寺に起居する尼さん、坊さん、スタッフたちに挨拶をして、少し離れたところにあるメインストリートに出てバスを待つ。

    ほどなくゴーラクプル行きがやってきた。空席はなかったが、それでも押し合いへし合いするほどの混雑ではなかったのは幸いだ。クシーナガルから1時間15分ほどでゴーラクプルに到着。

    サイクルリクシャーでゴーラクプル駅へ。予約してある列車が夕方出発するまでしばらく時間がある。Eチケットに車両番号と座席番号が印字されていなくて、ただconfirmedと書かれているのみなので、念のため確認しておきたかった。駅長室隣にある事務所で尋ねてみると、午後1時くらいにチャートが作成されるまではコーチ番号も座席番号も出てこないとのこと。

    Gorakhpur Junction Station

    この人の名前からしてクリスチャンらしいというだけではなく、なかなか重厚で厳めしい英国風なので、ひょっとして?と思って尋ねてみると、やはりアングロインディアンであった。家の中では英語だけの環境で育ち、学校もイングリッシュ・ミディアムのところであったため、ちゃんとヒンディーを習ったことはないのだという。「もちろん土地の言葉なので、当然毎日しゃべっていますが、ヒンディーの読み書きは苦手です。」と言う。

    イギリスから渡ってきた曽祖父も鉄道員で、技術職であったとのことだ。軍と鉄道はいかにもアングロインディアン的な仕事だが、今でも就職の際の留保があるとのこと。同様に、国会に2議席留保されているよく知られた話だ。

    自宅で奥さんが作ったというブラウニーケーキを分けてくれたが、洋酒がしっかり効いている味は、いかにもアングロイディアン的である。通常、インド人のケーキならば洋酒は入らないのが普通だ。

    家の中では今でも「英国風」の暮らしをしていると言い、スマホに入っている写真をいろいろと見せてくれたが、家屋はインドの庶民そのものという感じで、裕福というわけではないようだ。身内には豪州その他に渡った人もいるというが、まだこのあたりにはかなり多くのアングロインディアンたちが暮らしているという。機会があれば、アングロインディアンの人たちのコミュニティの中で、彼らがどうやって生活しているのか、どういう仕事に就いているのかなどについて知りたいものだ。

    フェイスブックをやっているとのことで、その場でFB友達となった。これで何か質問があったらいつでも連絡できる。便利な時代になったものだ。

  • モーティハーリーからゴーラクプルへの鈍行列車

    モーティハーリーからゴーラクプルへの鈍行列車

    Bapudham Motihari Station

    列車が入線してくるまで、プラットフォームでしばらく話をしたムスリムの紳士は、インドではなくネパールのタライ地域から来た人であった。ネパール側では「マデースィー」と呼ばれるインドの平地から移住した人たちの子孫だが、国境を接する地域では現在に至るまで、ネパール側とインド側での通婚は多いし、人々の往来も盛んだ。

    日が暮れてから列車がゆっくりと入ってきた。人々でぎっしりすし詰め状態であることを想像していたが、案外それほどの混雑ではなかったのは何よりの救いだ。とりあえず座る場所だけは確保することが出来たのは幸いである。人々が乗り込んでしばらくすると、反対側からの列車が駅に入ってきた。やがて私が乗っている各駅停車は、車輪が軋む音を立てながら動き始める。

    ゴーラクプルへ出発

    時折、各種夜行列車が通過していく中で、最も優先度が低い鈍行のため仕方ないのだが、走行している時間よりも、停車駅で行き違いを待つ間のほうが長いように感じられる。出発してからだいぶして、夜11時くらいになって停車した駅の表示を見ると、ゴーラクプルまでの道のりの中間点よりも少し先のベーティヤー駅なので、がっかりしてしまう。席は確保できたとはいえ、座席は直角シートなので楽ではない。それでもしばしうたた寝していると、誰か席の無い者が、突然私の膝に座ってきて、痛くて飛び起きる。思い切り怒鳴りつけてやったが、まったく困ったものだ。

    それにしても感心するのは、こうした片田舎を移動していても、線路両側にないもないところなのに、ちゃんと高速でネットが繋がることだ。ときおり圏外になったり、2G環境になったりするものの、概ねちゃんと高速通信だ。目が覚めてしまうと、とにかくヒマなので、こうして時間を潰したりするしかない。こうした中で、パソコンを取り出して日記を書くのは不用心でどうかと思うが、スマホならばフリック入力しながらその日の出来事をしたためることが出来る。

    この時期の北インド平原部の夜はかなり冷え込む

    少し大きな駅に着くと、乗客の入れ替わりがかなりある。周囲を見渡すと、モーティハーリーから乗車した人たち、乗車したときにすでに居た人たちの姿はほとんどなくなっている。車内の誰もがとても疲れている感じなのは時間が時間なので、こんなものだろう。だいぶ前に深夜を回っているのだ。

    車内の皆さんはお疲れの様子・・・。

    列車は夕方5時過ぎに出発したのだが、終点のゴーラクプルに着いたのは午前3時半。モーティハーリーからの距離は180km程度と思われるが、10時間もかかったことになる。各駅での停車時間を含めてのことだが、平均時速18km。やれやれ・・・。先日発表されたムンバイーからアーメダーバードまでの高速鉄道計画に新幹線の採用決定とは、いったいどこの世界の話?のインド国鉄である。

    外に出てみるとかなり冷え込んでいる。疲労困憊している身体を引きずりながら、ゴーラクプル・ジャンクション駅の正面にあるホテルをいくつか当たるが満室と言われるが、ようやく新しめでキレイな宿があった。一泊800ルピー。朝からのひどい下痢とバス移動のため朝食はスキップ。宿が見つからなかったおかげで、遅い昼食と兼ねた夕食も抜くことになった。鉄道駅でビスケットを買って、車内で多少かじった程度だ。どの時間帯にも発着する列車がある大きな駅の目の前なので、こんな妙な時間帯でもお客が出入りしている食堂はいくつもあるのだが、さすがに疲れているし眠いしで、食べに出る気にはならない。ベッドに横になると、そのまま眠りに落ちていった。

    本日(とうに日付が変わってしまっているので「昨日から」だが)は、すべてが裏目に出てしまった。収穫もなかったが、まあこういう日もあるというものだ。

  • モーティハーリーへ

    モーティハーリーへ

    パトナーの宿で、朝5時あたりで腹具合が良くなくて目覚めた。嫌だなと思ったら、やはり腹を下しており、再び寝てから7時くらいに起きるともう大変なことになっている。今日はバス移動なので思いやられる。

    こういうときにはてきめんに効いてくれるインド製の黄色い大きめの下痢止めがいい。Nflox-TZという商品名で、どこの薬局にも置いてあるが、これまでもしばしばこの薬に救われてきた。私はこれを「救世主」と呼んでいる。これで少し落ち着いてから、食事を抜けば、バス乗車中に窮地に陥ることはないだろう。

    9時くらいまで部屋で様子を見てから、ホテルから徒歩でバトナ―駅の反対側に出る。そこから乗合オートでバススタンドへ。バススタンドはやたらと広大なのだが、建物はなく、バスも無数に滅茶苦茶に停車しているので、一見するとどこに行けばいいやらよくわからない。それでも当事者たちにとってはちゃんと整理されている?ようで、モーティハーリー行きのバスはすぐに見つかった。

    モーティハーリー行きバスに乗車

    モーティハーリーは、これといって見どころがありそうな町ではないのだが、「1984」や「ビルマの日々」等で知られる英国人作家、ジョージ・オーウェルの生家があるところだ。植民地官僚の父親の元に生まれた彼は、長じてからは同じく英領であったビルマ(現ミャンマー)の警察官となった。父親は、オピウムを取り扱う政府機関で働いていた。当時はインドにおける合法的な作物で、主に中国(および東南アジア方面)へ輸出されていた。これを背景としてアヘン戦争が勃発することとなったのは、よく知られているところだ。その生家が現存していること、これが博物館となっっていることを最近知ったため、せっかくビハールに来たので、ついでに立ち寄ってみようと思った次第である。

    モーティハーリーまでの距離は160kmほどだが、到着したのは2時半くらい、いや3時近くなっていた。サイクルリクシャーで、ロンリープラネットに書かれているゲストハウスに向かう。部屋を見せてもらい、荷物を置いて早速ジョージ・オーウェル博物館に行くつもりであった。しかし、チェックインでIDを提示するように言われて、パスポートを出すと、なんと外国人は泊めることができないとのこと。

    ガイドブック(2015年後半に出たLonely Planetの最新版)に掲載されているではないか、というと、「それが、2カ月くらい前から許可を更新できなくなっていて・・・」などと言う。とにかく泊めればお金になるので、これは本当のことなのだろう。その「許可」とやらをどうやって取得するシステムになっているのか知らないが。

    そんなわけで、宿も手あたり次第当たってみた、なるべく高そうなところ、といってもせいぜい800Rsくらいまでしかないようだが、どれもダメ。安い割には感じのいい宿もあったので残念である。以前、アッサム州都グワーハーティーなどでもこんなケースはあったが、こういうケースは少し上のクラスの宿ならば問題なく宿泊できるものなのだが、特に見どころもない田舎町なので、これよりも下はあっても、よりアップマーケットのところは無いようだった。

    宿探しでそうこうしているうちに、通常の博物館が閉まる時間になってしまった。これはいけない。明日の朝に見学するという手もあるが、そもそも宿泊できるところがなければ、明日の見学はあり得ない。するとここに居る理由はないし、宿泊できなくて困るので、鉄道駅に行ってこの町を出ることにした。あるいは役人が出張等で利用するサーキットハウス(もしあれば・・・) を当たってみるとか、「民泊」を画策するとかいうことも考えられるのだが、ここでの見学を本日中に済ませることができないと、今後予定している訪問先がいろいろある。せっかくモーティハーリーまで来たのに、という思いもあるが、スキップしてしまうことにした。

    ゴーラクプル方面には直行するバスはなく、ベーティヤーという州境に比較的近い交通の要衝と思われる町で乗り換えると行けるようなことを聞いた。もう夜になることだし、下痢は止まっているものの腹具合の不安もあるので、乗り換えなしで、トイレも心配もいらない鉄道がいい。ネットで参照してみると、ちょうどこの時間帯にゴーラクプル行きの各駅停車がある。急行は夜9時頃まで待つことになるので、乗車時間は長くなるのだが各駅停車で行くことにした。

    鉄道駅に行く。列車は遅れているとのことで、想定していた列車よりも一本前のものに間に合うらしい。

  • インド国鉄に関する便利なウェブサイト

    インド国鉄に関する便利なウェブサイト

    国鉄が発行しているTRAINS AT A GLANCEには、主だったルートの列車は網羅されているので便利だ。

    しかしながら比較的短い距離を移動する際、急行列車が停車しない駅から移動する場合など、各駅停車の情報が欲しいということも多々あることだろう。そうした場合に参照できるサイトはいくつかあるのだが、最も活用しやすいと思われるのが、etrain.infoだ。

    乗車駅と下車駅を入れてみよう

    利用可能な列車が表示される。

    長距離移動の場合でも役に立つのはもちろんだが、とりわけ直通列車がない場合には有用だ。接続可能な経由地が提示されて、出発地から目的地までのルート、列車名、経由地から先の列車名などを例示してくれる。

    これらふたつの駅には直通する列車はないが・・・。

    利用できる経由地が表示される。これらをクリックすると先に進むことができる。

    さらに嬉しいことに、列車の編成も表示されるため、予約した車両が先頭の機関車から何両目に接続されるかについても表示される。下の例示した列車の場合はともかく、もっと長大な大型編成の急行で、しかも停車時間が短い駅から乗車する場合には助かることだろう。(当然のことながら実際に駅でも再度確認しておいたほうが良いことは言うまでもない。)

    利用する列車番号を入れると車両編成が表示される。

    予約した列車が満席で、WL(Waiting List)あるいは、RAC(Reserve Against Cancellation)であった場合に、現状どうなっているのかPNRを入力して確認できるのはもちろんのことだが、もうひとつ、このサイトで非常に便利な機能がある。画面左側のTrain Route / Running Statusというところ任意の列車番号を入れると、運行スケジュールとともに、ルート上の各駅における実際の到着・出発時間、現在地、今後通過していく駅の予想発着時間まで閲覧することができるのだ。

    この列車の運行状況を確認してみよう。

    このような具合に時刻表上でのスケジュールと実際の運行状況を並べて表示される。

    冬の霧の時期やモンスーンによる大雨の時期といった天候不順の際に、運行が乱れがちだ。自分が乗車する駅に果たして何時くらいに列車がやってくるのか、現在乗車している列車がどのあたりまで来ているのか、自分の目的地にはあと何時間くらいで到着できそうなのか、といったことが一目でわかるありがたいサービス。あまりに甚大な遅れとともに運行されていることが判ったならば、即座に予約をキャンセルして他の列車のブッキングをトライするなり、バスその他の手段に切り替えるなりといった判断が出来ることになる。

    当日の運行状況を確認するだけであれば、Running Train Statusのほうが手軽でいいかもしれない。こちらも同様の内容を参照することができる。

    こちらは列車の運行状況確認専用のサイト

    インドで国鉄を利用するにあたって、こういうサービスを利用できることを心得ておくと、何かと役に立つことがあるだろう。

  • ACクラスの車両でもご用心

    インドの列車の中で睡眠薬入りの飲食物を勧められて・・・という話を耳にすることは少なくないが、ACクラスの車両でも同様の事件が多発するのが最近の傾向らしい。
    アッパークラスを利用する人が増えたことにより、大衆化が進んでいることの証とも言える。
    しばらく前の記事ではあるが、以下のような具合で悪事が行われているそうだ。高価なモノを身に付けたりして、いかにも暮らし向きの良い富裕層を装って接近してくるようだ。
    ご用心を。

    Your co-passenger in train may offer pill-injected water (THE TIMES OF INDIA)

  • ビカネール2 旧藩営鉄道

    ビカネール2 旧藩営鉄道

    宿から見て、鉄道駅がすぐ裏手なので、列車の汽笛がよく聞こえてきて風情がある。英領期には旧藩王国でも藩王国立の鉄道が敷設されたりなどしていた。開明的な君主が先端技術を導入したということもあろうが、これらの路線がイギリス当局により、藩王国の大きな負担により建設させたという部分も多いにあると思う。

    こうした鉄道の多くはメーターゲージであり、各地にあった鉄道会社が独立後に統合されてインド国鉄となった後、ブロードゲージの幹線と軌道幅の相違から直接乗り入れできない不便を長いこと甘受してきたわけだが、同時に着々と全国路線のブロードゲージ化の事業は進行していき、近年はほぼ完成したといえる。ジャイサルメール、ビカネール、シェーカーワティーなどにもデリーからブロードゲージの直通列車が走るようになっている。シェーカーワティー地域においては、デリーからメーターゲージでジュンジュヌー経由でジャイプルに走っていたものだが、この路線も近年ブロードゲージ化された。ジュンジュヌーはまだメーターゲージのため、路線から外れることとなり、各駅停車の路線のみが残っている。

    統合といえば国鉄だけではない。藩王国が割拠し、イギリスが間接統治を行なった旧ラージプータナ地域だが、インド独立後は行政組織も新生のインド共和国と統合させられることになったことから、旧藩王国により役人たちの明暗は分かれたのではないだろうか。有力な旧藩の役人たちはどんどん上のポストを占領して、そのラインで人事が進んでいく、あるいは冷や飯を食わされることになった旧藩の役人たちは不満たらたら・・・。そんな今の会社社会でもよくある悲喜こもごもが、ここでも展開されていったりしたのではなかろうか、と想像している。

    〈続く〉