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カテゴリー: railway

  • 「THE LAST ANGLO-INDIANS」という本

    「THE LAST ANGLO-INDIANS」という本

    アマゾンのKindle版で読んでみた。アングロ・インディアン全般について書かれたものではなく、著者の祖父母、母のインドでの生活の日々から、母親が南米出身の船乗りと結婚して1960年代に米国に移住するまで、19世紀終わりから21世紀に入るまでを淡々と綴った3代に渡る家族史。

    インドでは中産階級に位置する家庭だが、一家やその一族は、電報局や鉄道勤務だったり、軍人だったりと、いかにもアングロ・インディアン的な勤め人世帯。

    著者が語るに、アングロ・インディアンたちは、土地や家屋を所有せず、多くはアングロ・インディアンたちが多い地域で借家暮らしであったということだが、こうした層の人たちは、多くが転勤族であったことによるのではないかと想像する。アングロ・インディアンの商人層には、これとはまた異なるライフスタイルがあったことだろう。

    勤務先での出世といっても、要のポジションに配置されているのは、本国からやってきた英国人。英国系とはいえども、インド生まれの人たちはローカルスタッフの扱いであったようだ。英国もインドも階級社会だが、アングロ・インディアンの中でも、生業や出自、業種や経済状況などにより、いろんなクラスがあったらしい。

    1929年から1933年にかけての大恐慌の時代には、インドもひどいとばっちりを受けているが、現地在住のアングロ・インディアンも失業して、文字通り家族で路頭に迷う者も少なくなかったのだそうだ。英国系ということで支配層に比較的近いところにいたとはいえ、やはりそのあたりは、文字通りの勤め人なので、極端な不景気に見舞われると大変である。

    家庭料理には、ふんだんにインドらしいメニュー(英国テイストを含んだ)が並び、そのレシピもいくつか紹介されていた。今度、料理してみようかと思う。

    一般のインド人家庭よりは、恵まれた環境にあったようだが、それでも10代の反抗期には、グレてしまったり、勉強嫌いで学校からドロップアウトして、家族から離れてしまう者もあったりと、日本で暮らす私たちの家の中で起きることと、同じようなことが書かれている。

    ただ、衛生状態や医療水準は今とは違うので、著者の母親は幼い頃、チフスで危うく命を落としかけたようだが、その時代には裕福だったアングロ・インディアンの家庭でも、生まれた子供たちがみんな元気に育つということはなかったらしい。

    Kindle読み放題を利用したが、単体で購入しても570円。コスパの高い、英領末期前後のアングロ・インディアンに関する書籍である。

  • マドガオンからラトナーギリーへ

    マドガオンからラトナーギリーへ

    マドガオン駅

    ゴア州のマドガオンからマハーラーシュトラ州のラトナーギリーまでは、ラージダーニー・エクスプレスの3A(エアコン付き三段寝台)を利用した。快適である。午前10時に出発して午後1時30分に到着という、わずか3時間半の汽車旅だが、このエクスプレス自体は、マドガオンが始発駅で、ムンバイーを経由してデリーのニザームッディーン駅が終着駅となる。

    ラージダーニー・エクスプレス3A車内
    ラージダーニー・エクスプレス3A車内

    乗車券に込みとなっている昼食

    コーンカーン鉄道利用するのは初めてだ。赤土の大地と豊かな緑が延々と続く風景。やたらとトンネルや切り通しが多いのは丘陵地であるため。岩石を掘削しての工事は困難であったことが伝えられている。
    ラトナーギリー駅への到着は少し遅れて午後2時ごろだった。ラトナーギリーは特産のマンゴーが大変有名だが、駅のプラットフォームでも大量に販売されていた。

    ラトナーギリー到着
    乗車したラージダーニー・エクスプレス

    ラトナーギリーといえば、特産のマンゴー
  • マドガオン2

    マドガオン2

    マドガオンでの宿泊先で付いていた朝食。プーリーバージーなのだが、使われているのがココナツオイルであることに、なんだか不思議なエキゾ感を覚える。

    町中とくに繁華街やその周囲では、元々のゴアの人たちは何割くらいなのか?と思う。観光客ではなく地元で働いている人たちのなかで、明らかにゴアンであるとは思えない人たちがとても多いようだからだ。聴覚的にも、地元に住んでいると思しき人たち同士のヒンディーによる会話も聞こえてきたりする。

    ポルトガル時代の建物
    ずいぶん小さな教会があった。

    インド各地からの移住は自由で、人口圧力の大きな州から大勢流入してくるのは当然のことだ。またビジネスを展開しようという人たちも沢山やってくる。現在、この州がBJP政権下となっている背景には、そうしたこともあるはずだ。

    かなり南側に位置しているとはいえ、マラーティー語に近いコーンカーニー語のエリアなので、ヒンディー話者にとっては馴染みやすい言語環境(同様に地元でのヒンディー語受容度もすこぶる高い)であり文化圏であるため、北インドからを引き寄せやすい環境だ。

    そんなこともあることから、話は飛ぶが、ポルトガル時代末期には、インド側のスパイや工作員の活動を防ぐことは困難であったらしい。革新志向のインテリ層の若者たちの中で、『祖国復帰』の活動のため地下に潜行したり、インド側の内通者として活動したりした者も一部あったようだ。

    とはいえ、大方のポ領ゴアの世論はインドによる『返還要求』を脅威と捉えており、とりわけ受けた教育や社会的地位が高くなるほど、そうした傾向が強かったとのこと。

    そんなポルトガル時代末期に、ゴアとパキスタンは蜜月時代にあったことがある。インド独立後にデリーから強硬な返還要求を拒み続けていたポルトガルは、インドによる経済封鎖を受けて、各方面に渡る様々な物資の入手をパキスタンに依存した。パキスタンにとってもインドと敵対するポ領ゴアは戦略上においても大きなポテンシャルを持つ『友好国』であり、食料、生活物資等々、多岐に渡る供給を支援していたようだ。

    そんなポルトガル領ゴアとパキスタンの関係も1961年12月にインドが強行したゴア制圧の大規模な軍事作戦、『オペレーション・ヴィジャイ』により、粉砕されることとなる。

    当時の貧しかったインドに呑み込まれることを恐れたことに加えて、よくも悪くもポルトガルによる同化志向の強い政策により、ゴア人として独自のアイデンティティとポルトガル本国との強い絆が涵養されてきた歴史が背景にあった。こうした面で、インドネシアと東ティモールとの間にあるものと、似たような土壌かあったとも言える。

    復帰後のゴアは、中央政府による連邦直轄地となり、地元の社会・文化・政治環境等には配慮しつつも、16世紀から長く続いたポルトガル式統治のシステムと慣習をインド化することに力を注いだ。ポルトガル時代末期までの在地エリート層で、この時期に凋落してしまった例は少なくない。

    ポルトガル語で教育を受けた官憲が英語教育で育った者に置き換えられただけでなく、インドが独立後に実施した土地の分配と同様に、ゴアでも大地主たちが所有していた農地等が分配されたことなどもある。ロンリープラネットのガイドブックで紹介されているBraganza家の屋敷の当主もそんな具合だったのではないかと思う。
    ゴアがようやく『州』となったのは1987年のことだ。

    インド復帰後のパワーゲームをうまく処理してゴアを上手にインドへ統合させたことになるが、ゴアで2012年にBJP政権が成立したことはエポックメイキングな出来事であり、ゴア問題解消に至るゴールであったと言える。かくしてゴアは普通のインドとなった。

    さて、インドによる軍事侵攻に降伏してゴアを去ることになったポルトガル当局だが、1947年にインドを去ったイギリスと対照的なのは、ポルトガル籍を取得していた現地住民と一定ランク以上にあった政府職員への措置。

    当時のポルトガルが保有していた海外領、とりわけモザンビークへの移住、再就職を積極的にサポートしたと聞く。もっともそれからまもなくモザンビークはポルトガル支配への闘争から内戦状態となり、インドから移住した官憲は当然攻撃の対象となる。そしてモザンビークは独立を迎える。期待した新天地での明るい未来は無かったことになる。

    マドガオン駅は宿から徒歩すぐ。駅で大量に販売されていたが、ゴアのチッキーは、具材が豪華らしい。食べると歯の治療の詰め物が外れたりするのが悩ましい。

    チッキー

    ニザームッディーン行きのラージダーニーに乗車。Wi-Fiが利用できて良いと思ったのだが、しばらくすると使えなくなった。携帯電話を入れて、SMSで送られてくるIDとパスワードを入れてログインするため、結局はインドのケータイが必要となる。しかし発車してしばらくすると使えなくなり、シグナルも来ていない。駅だけのサービスというわけではないと思うのだが?

  • インド最速!テージャス・エクスプレス運行開始

    ムンバイー・ゴア間のテージャス・エクスプレスの運行が始まった。ムンバイー・ゴアを8時間半で結ぶという夢の高速列車だ。停車駅が少ないことから、平均時速120kmという高速走行を実現。また、この列車の最高時速は200km近くにまで及ぶとのこと。
    「飛行機のようなサービス」を売りにしているとかで、座席にはLCDが付いており、いろんなプログラムを楽しむことができるらしい。また、アテンダントの呼び出しボタンが付いており、いろいろとリクエストすることができる。ラージダーニーやシャターブディーと同様に、運賃に込みの車内食が提供される。快適な汽車旅となることだろう。

    Tejas Express flagged off: Know everything about Mumbai-Goa high-speed train (Hindustin Times)

  • ジャナクプル3 鉄道談義

    ジャナクプル3 鉄道談義

    全面改修中のジャナクプル鉄道は、今も休業中。すでに狭軌の軌道は撤去されており、土埃を立てて、しかしのんびりと、広軌のレールを敷く下準備がなされている。軌道を敷くことになる広い畦道状の部分は、高く盛り土がなされており、しばらく徒歩で進んでみると、橋梁を建設するための作業が進行中。

    山積みされた鉄道建設資材
    盛り土された土手のようになっている。ここにレールが敷かれる予定。
    旧ジャナクプル鉄道時代の機関車が打ち捨てられている。
    こちらは旧ジャナクプル鉄道時代の客車

    旧駅舎は現在も建っており、閉鎖されているのだが、なぜか駅舎入口のキオスクだけは開いており、新聞、雑誌や袋菓子などを販売している。

    旧駅舎。休業中だが左手のキオスクは営業していた。

    「狭軌の軌道を広軌へと交換が終われば、最新型の大型車両(広軌となるので)がこの鉄路を疾走するのさ!路線ももう少し先まで伸びる予定だしね。お客の需要次第だが、インドのジャイナガルへ往復する本数も増える。まさに本格的な鉄路の時代が到来しようとしているのだ!」と熱く語るキオスクの年配男性は、鉄分濃厚。鉄道旅客の往来に彼の稼ぎがかかっているので、当然のことではあるが。

    駅舎の裏側に出てみると、ゆったりとチャーイを飲んでいる3人連れがいた。ひょっとして、路線休業中でヒマな?鉄道マンかと思い声をかけてみると、鉄道建設を請け負っているインドのコンタラクターの人たち。私も席を勧められ、チャーイを頂きながらしばらく話を伺う。

    鉄道建設に関わるコントラクター

    この時点から完成まで18か月の予定で、駅舎はジャナクプルを象徴する美しいお寺、ジャーナキー・マンディルを模したデザインとなるのだとか。

    ジャナクプルは終着駅ではなく、ここから少し先にあるクルターというところとなるのだそうだ。工事のフェーズ2も計画されており、クルターから25kmほど先のバールディーバースまで延伸されること。さらにはフェーズ3にて、バールディーバースからビールガンジへの路線とシリグリーへ抜ける路線を建設するというプランもあるとのこと。

    コントラクターの方によると、「もっとも、フェーズ2の後はいつになるか、どうなるかまだわかりませんけどね・・・。」とのことだが。

    ともあれ、土埃が舞う工事現場で、想像力たくましくすれば、真新しい機関車に牽引される新生ジャナクプル鉄道の真新しい列車が、カラフルに飾り立てられた駅舎に入線してくる姿が瞼に浮かぶようだ。

    さて、こちらは現在までのジャナクプル駅。終着駅の割にはこじんまりしているが、背後に市街地はなく、駅舎手前からStation Rd.が始まり、いきなり賑やかな商業地区となっている。インドとの間を行き来する玄関口として機能してきた歴史を感じさせてくれるものだ。

    ステーションロードは鉄道駅へと至るジャナクプルのメインストリート
    街中からステーションロードを通って行きつく旧ジャナクプル駅
    旧駅舎の脇は野菜市場

    バスよりも運賃が安く、インドから品物を大量に仕入れて運ぶ商売道具の人たちにも使い勝手は良かったらしい。

    以前、グジャラートのジャームナガルで、鉄道駅がしばらく前に郊外へ移転され、市街地の駅が廃止となったエリアを散策したことがある。

    鉄道から乗り降りする人たちを相手にしていたホテルや食堂など、ほとんどが空き家となり、屋根が抜け落ちた旧駅舎同様に、駅前商店街がゴーストタウン化している様を見て、さもありなんと思った。こうした旅客相手の商売人たちはバスターミナル周辺に移動したらしい。

    さて、話はジャナクプルに戻る。鉄道は数年来運行しておらず、開通するのはまだ先であるため、やはりステーションロードは、駅前に近くなるほど、元気がないように見える。
    〈完〉

  • インド独立時のカラー映像

    ネルー、サルダール・パテール、マウントバッテン総督など、当時の要人の姿をカラー映像で見るのは新鮮な思いがするが、動画半ばで出てくる印パ両国からの難民の姿に、カラーであるがゆえの強烈な現実感をおぼえる。
    動画には出てこないけれども、独立のほぼひと月前に、当初の予定ではアッサム地方の一部としてインドに残るはずであったのに、かなり唐突に決まった住民投票で東パキスタン(現バングラデシュ)に帰属することになってしまったシレット(・・・と日本語で表記されるけど、本来はシルハトあるいはスィルハトとすべき)では、相当な混乱があったことと思う。
    印パ分離の悲劇については、両国の人々の間で広く共有されている体験だが、英国統治の前に統一インドが存在したことは一度もなく、英国による統一がなければ、現在の形でひとつにまとまったインドが実現することは、おそらくなかったであろうという歴史の皮肉を思ったりもする。

    1947 Indian Independence rare color video clip (Youtube)

  • シャクンタラー鉄道 インドに今も残る「私鉄」区間

    シャクンタラー鉄道 インドに今も残る「私鉄」区間

    インドで植民地時代に建設された鉄道網の中で、唯一現在も「私鉄」となっている区間がマハーラーシュトラ州にあるのだそうだ。

    インド独立とともに、各地に存在した鉄道会社は国有化され、「インド国鉄」に統合されたが、なぜかこの区間だけは民間所有のままで残ってしまったらしい。

    これは、シャクンタラー鉄道と呼ばれているメーターゲージの区間で、かつてはもっと長大な鉄道ネットワークを運営していたCPRC (Central Provinces Railway Company Ltd)という、1910年創業の歴史的な鉄道会社が現在も所有しており、この区間にインド国鉄が列車乗り入れて運行させているという具合らしい。よって、これを「私鉄」というのはどうか?という気がしないではないが、民間の路線に国有鉄道が乗り入れる形になっている点で、非常にユニークである。

    Central Provincesとは、植民地後期のインドにおいて、周囲を複数の藩王国に囲まれたインド中央部の英領直轄地域のことで、このあたりで生産される綿花を輸出するため、この地域に鉄道を敷設したのがCPRCだが、その後まもなく旅客輸送も始めている。

    なお、このCPRCはインド独立後は経営が現地化されており、「イギリス企業」という訳ではない。

    The little known story about Shakuntala Railway (rediff BUSINESS)

    シャクンタラー鉄道のルート
  • インド国鉄客車のクラス分け

    宿泊を伴わないチェアカー車両のみを利用する近距離移動(それでも大きな国なので、8時間とか9時間とかザラだが)のShatabdi Express(「世紀急行」の意)から派生したJan Shatabdi Expressの運行が定着してからずいぶん経つ。

    Shatabdi Expressのような停車駅が少なく、他の急行列車よりも格段に迅速な移動を可能にした特別急行は、空調付き車両のみで、クラスの位置づけが高いため、当然、運賃もそれに応じて上がる。

    普通の急行列車と違い、乗車中にお茶、スナック、食事などが提供されるため、飛行機内でのサービスを思い浮かべてもらえばよい。これは乗車券代金に含まれる。

    さて、先述のJan Shatabdi ExpressのJanについては、一般庶民のことを指しているので、より経済的に余裕のない層でも利用出来るようにしたものだ。車内サービスは有料となり、AC無しの車両も連結されている。

    基本的には普通車とグリーン車しかない日本と異なり、インドの鉄道のクラスは8区分程度となり、かなり複雑だ。

    「8区分程度」としたのは、寝台クラス(長距離列車)と座席クラス(短・中距離列車)は、通常、同じ列車に連結することはない。用途が異なるため、一概に上下に分けることはできないものがあるからだ。

    また、同じ最上級クラスの1Aというカテゴリーでも、通常の急行列車と、運行に優先権を持つ特別急行とでは、使用する車両も違うことがあるので、これもまた同一のものとして扱うのは適当ではないだろう。

    最上級の1Aの下には、2A、3A(どれもAC付き)と続き、事実上のAC1等、AC2等、AC3等となるが、その下に近距離のACチェアカーなどを挟んで、「1等車」があることに釈然としない人もいるかもしれない。(現在、これが使われる機会は減っているが、要はACなしの一等車だ。)

    これほどにクラスが多いことは、植民地時代からの伝統により、国家予算とは別枠の「鉄道予算」を持ち、(確か、現在でも発表となるタイミングさえ、一般の予算と異なる)鉄道大臣が首相、内務大臣に次ぐナンバー3の位置づけとなっているインドの事情がある。

    ただし、次の会計年度から通常の国家予算と統合されることになったため、92年間続いた措置はついに終焉を迎えることとなった。

    Separate Railway Budget scrapped: How will it impact fiscal management and what is the political fallout? (DAILY NEWS & ANALYSIS)

    往々にして官業というのは、とりわけ強大な権限を持つところは、「これでもか!」と増殖を重ねていくもの。植民地時代は1等、2等、3等というクラス分けであったが、今のようにクラスが乱立するようになったのは、概ね90年代以降の現象のようだ。エアコン付きの客車が増加したことに起因する。

    さて、こうしたクラス分けについて、利用者の側にとっては、経済事情に応じて、安いものを選択できるということもあるが、払う余裕のある人については、車内のアメニティの差に金を払うというよりも、混雑を避けたり、同乗したくない層の人たち(階級社会らしいところだ)を避けたりすることが出来るという需要がある。それにしても客車のクラス分けが多いことについては、効率の観点から整理しなくてはならない時がやがて来るだろう。

    乗車クラスの違いによる料金差ははなはだしい。下記リンク先の記事は、2004年の内容なので、料金自体が現在のものとは異なるが、どの程度の差があるのか把握するための参考にはなるだろう。

    天国か地獄か、インド列車のしくみ(2) (indo.to)

    また、急行列車の種類についても、鉄道旅客輸送の高速化とともに、サービスと利便性向上の両方の観点から、従前の停車駅が少なく、走行に優先権を持つSuper Fastのステイタスを持つ急行とそれ以外、加えてSuper Fastの上を行くRajdhani Express(長距離列車)とShatabdi Express(短距離・中距離)といった構成であったものに加えて、先述のJan Shatabdi以外に、エアコンクラスを安価に提供するGarib Rath Express、停車駅が極端に少ないDoronto Express等といった新しいカテゴリーの急行列車も導入されて多様化が進んでいる。このあたりについても、整理しなくてはならない時期がいつかやって来るかもしれない。

    Super Fastの上のカテゴリー名が、急行列車の名前になったり、単に出発駅と終着駅が休校列車の名前になったりすることが多くなっている現在、英領時代から続いたSuper Fastのカテゴリーの「Frontier Mail」(ボンベイから現在のパキスタンのペーシャーワルまでを結んでいた。印パ分離後はアムリトサルが終点)のような伝統ある急行列車の名前が、「Golden Temple mail」と改称されたりしたのは寂しい気がする。

    これよりも歴史が古く、1世紀以上も運行されており、かつてはボンベイからペーシャーワルまでを結んだ「Punjab Mail」の方は今も健在だ。この急行列車の終着駅はパンジャーブ州のフィローズプルとなっている。

  • Trains at a Glance October 2015 – June 2016

    インド国鉄の最新版時刻表が更新された。インドの旅行予約サイトの普及により、あまり使い出はなくなったとはいえ、全国の急行以上の列車(および一部の各停)を参照出来る時刻表が、ネットで手軽にダウンロード出来るのはありがたい。本来ならば、毎年7月に発表されるべきものだが、近年は10月更新となっている。

    Trains at a Glance (Indian Railways)

  • インド国鉄ウェブ予約 2016年アップデート

    インド国鉄ウェブ予約 2016年アップデート

    昨年、インターネットによるインド国鉄の予約について、当サイトの記事「インド国鉄のウェブ予約 2015年アップデート」にて情報を追加した。

    当時は、上記リンク先に書かれている方法にて、いったんcleartripとIRCTCのアカウントを結合させれば、あとはいくらでも他の鉄道予約を実行することが出来たのだが、このたび一部変更が生じている。すでにご存知の方も多いかと思うが、念のため本日追記しておくことにする。

    この変更とは、前述のcleartripとIRCTCのアカウントを結合済みのユーザーが、これから新規に予約する場合が対象となるので、まだそうした手続きをしていない場合は読み飛ばしていただいて構わない。

    手順はこれまでと同じ。予約する列車を選択して、支払確定画面に進む前に、氏名や年齢等を記入する画面が出てくる。ここで携帯電話番号の記入を求められるのだが、欄にはCountry codeと書かれているにも関わらず、その下の注意書きには、インドの携帯電話番号を入力するよう記してある。

    インドの携帯電話番号をお持ちならば、それを入力すればよいだけなので問題ない。だがこれを所持していない場合、他国の国番号の携帯電話番号を入力すると、はじかれてしまう。

    インドの携帯電話番号をお持ちでない場合は、ここが関門となる。

    しかしここで諦める前に、スマホのcleartripアプリで試していただきたい。

    スマホのアプリについては、予約手順はPCサイトと同じであること、画面はもっとシンプルであることから、ここでの説明は割愛させていただく。

    さて、スマホのcleartripアプリで手順に沿って進めていき、PCサイトと同様に、氏名や年齢等を記入する画面が出てくる。ここには以前登録した私の携帯電話番号が最初から表示されており、これはインドの携帯電話番号ではないのだが、特に問題なく次の画面に進むことができる。

    従前は、ここから支払い画面に入るところであったが、もうワンステップ追加されていた。現在は支払手順が変更になっていることと、以前cleartripアカウントと接続されたIRCTCサイトのIDが表示されており、そのIDのパスワードを覚えているかどうかという、二択の問いがある。

    ここで、IRCTCのパスワードを記憶していないと、おそらくIRCTCパスワードを再発行してもらうか、新たにIRCTCアカウントを取得して、再度cleartripアカウントと結合させなくてはならなくなるのだろう。

    ここで、記憶している、という選択肢をクリックすると、ようやく支払画面に辿りつき、クレジットカードでの支払手続きをすることになる。

    少々注意が必要なのは、この支払手続を済ませてから、その次の段階でIRCTCの画面が立ち上がり、そこでIDとパスワードを入力し、認証されてから、ようやく発券となる。

    文字のみで説明すると、少々わかりづらいかもしれないが、既にcleartripサイトにて、インド国鉄予約をしたことがある方が対象なので、順を追って手続きしていただければ、容易に理解いただけることと思う。

    なぜPCサイトではインドの携帯電話番号の入力が求められ、スマホのアプリでは必要ないのかについてはよくわからないが、PCはネットカフェのように不特定多数の人々が用いるケースが少なくないが、通常、スマホの場合は家族・友人などと貸し借りすることはあっても、基本的には名義人本人が所持しているはずだろうという解釈なのではないかと思う。

    ただし、インド国鉄のウェブ予約方法については、しばしば変更があり、ゆえに当サイトでもそれらの変更についてアップデートをしている。本記事内容は2016年8月28日現在のものであり、今後も何かしらの変更が追加される可能性はある。

  • 朗報 インド国鉄機関車にACとトイレ導入

    通常、インド国鉄の機関車にはトイレがない。長距離を走る列車の場合、途中で運転士の交代はあっても、腹具合が悪くなることもあるだろう。鉄道の運転士はかなりの激務で、40歳を越えたあたりで、続かなくなるケースも少なくないと聞く。

    もう何年も前から、「もうじき機関車にトイレを導入」「機関車内にトイレを設置することとなった」という記事はしばしば目にしていたものの、ここにきてようやく実現することとなった。

    さて、このたび貨物列車用の機関車に空調とともに備えられたトイレだが、安全上の理由から、機関車が停止してブレーキがかかっている状態でのみ、トイレのドアを開けることができるようになっているのだという。

    鉄道予約や上級クラスの客車内の設備等に比較して、運行に直接関わるハード面での整備はまだまだ遅れているので、このような面からも少しずつ改善がなされていくことは、イン鉄ファンとしては喜ばしい。まずは乗客全員の命を預かる運転士に、万全の体勢で職務に臨んでもらうのは当然のことである。

    Railways launches first diesel locomotive with AC vaccum toilet for train drivers (The Financial Express)

    After 163 Years, Indian Railways To Finally Install Bio-Toilets In Train Engines For Drivers (indiatimes)

  • 燃える土地 ジャリヤー

    ジャールカンド州の州都ラーンチーから東に位置するダンバード地区の西ベンガル州境附近のジャリヤー(झरिया)は英領期から長きに渡って炭鉱で栄えてきた土地。最寄りの鉄道駅はダンバード・ジャンクション。ここはシャターブディー・エクスプレスその他のメジャーな列車が停車する大きな駅だ。

    現在、インドでは製鉄業を中心に、燃料の2/3は石炭が使用されるという。インド自身、世界第三位の石炭産出量を誇るが、実にその3/4はここから採掘されている。ここではCoal India Ltd.やBharat Coking Coal Ltd.といった、この分野ではインドを代表する大きな政府系企業が操業している。

    400平方キロメートルの面積に75もの炭鉱があるというほど集中しているが、そのエリアには100万人超の人口を抱えていることも特筆される。この地域では、石炭の埋蔵量が豊富であることだけではなく、地表近くに鉱脈があることでも知られており、それがゆえに採掘が容易である。ゆえに違法採掘が絶えないだけではなく、住民たちの中で炭鉱労働に従事してはない人たちも簡単に石炭を採取しては売りさばくといった形で、家計の足しにしていたりする例も数多いという。

    この地域に住む人たちは部族民が中心だ。しかしながらこれを取引するのは地域外の人たちである。地下資源に恵まれながらも、外界から搾取される存在であるという矛盾がある。
    こうした土地なので、政治で暗躍する人たちや炭鉱マフィアたちのパワーゲームが常時展開する暴力的な風土もあるらしい。

    地表近くに鉱脈があることによる利点と同時にデメリットも大きい。河川や土地の汚染はもちろんのことだが、住宅のすぐ脇から火が噴いていたり、100年以上も続いている燃焼により、地下が空洞となることから地盤が陥没したり、その上にあった建物が崩壊したりなどしているとのことだ。これによって廃線となった鉄道路線もあるとのこと。参考記事のリンクを以下に付しておく。

    India’s Jharia coal field has been burning for 100 years (CNBC)

    健康被害もまた甚大なようで、石炭で潤うことにより、田舎の部族中心の社会としては例外的に栄養問題がほとんどないとされるようだが、採掘と地下の燃焼による大気汚染による呼吸器疾患を抱える人々の割合が異常に高いとされる。

    観光で訪れるような場所ではないが、街から少し出ると石炭採掘現場があり、蔓延する違法採掘現場はマフィアが取り仕切っているため、カメラやビデオなどを回すとかなり高い割合でトラブルに巻き込まれるという話もある。

    ジャリヤーを取り上げたドキュメンタリー番組はいくつもあるが、下記リンク先が特に秀逸なので閲覧をお勧めしたい。

    INFERNO: JHARIA’S UNDERGROUND FIRES (PSBT INDIA)