ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: railway

  • カローのスィク教徒の宿

    カローのスィク教徒の宿

    カローの町

    ミャンマーのシャン州内のヒルステーションとして知られるカローにやってきた。標高が1,300mくらいあるため、暑季でも充分涼しくエアコンは不要だ。年間で最も気温が上がる時期であるが、日中でも地元の人々の多くは長袖のシャツを着ている。夕方以降は気温が下がるため薄いジャケットが必要になる。

    田舎町だが、インド・ネパール系の南アジアをルーツに持つ人々の姿が少なくない。金色のパゴダがところどころにあることを除けば、インドの北東州に来ているような気がしてしまう。

    宿はスィク教徒家族の経営である。ロンリープラネットガイドブックの宿の紹介部分で「our pick」という推薦マークが付いているので、どんなところかと思って来たが、建物は木造で室内も壁は木材、天井は竹を編んだものであしらってある。バルコニーも広く、いかにも西洋人ウケしそうな感じのエコノミー宿である。

    年齢50代くらいの女主人と妹はかなり流暢なヒンディーを話すが、この家族に限らずカローの町ではこのあたりの世代がちょうどそのボーダーラインのようだ。3人の息子たちはみんなトレッキングガイドでもあるだが、あまり理解しない。家族内での会話はビルマ語であるとのこと。

    宿オーナーのパンジャービー家族

    彼らの先祖、女主人の祖父がインドから来緬したのは1886年だという。上ビルマがイギリスにより併合され、当時のビルマそのものが英領インドの行政区域の一部として組み込まれた直後に、パンジャーブ州のルディヤーナー近郊のマーナー(माणा)というところから、プラタープ・スィンという男性が妻のシャンター・カウルを伴って、鉄道建設のコントラクターとして来緬したのだそうだ。すでにインドの親戚との接触は途切れているが、所在さえわかればそうした遠戚に連絡を取ってみたいと思うとのこと。

    話を聞いていて気が付いたのだが、英領期に父祖が渡ってきた後、インド本土との往来がほとんどない人々にとって『パンジャーブ』とは、今私たちが認識しているものとはかなり違うようだ。それはしばしば19世紀末のインド地図の世界で、現在のヒマーチャル・プラデーシュもパーキスターン領となっている西パンジャーブも彼らにとってはひとつのパンジャーブであったりする。同様のことがヒンドゥスターン平原に先祖の起源を持つインド系ミャンマー人の言うU.P.にも言える。現在のウッタル・プラデーシュではなく、往々にして英領期のユナイテッド・プロヴィンスィズなのだ。

    近くにはネパール系の家族が経営しているレストランもある。ここの家族の来緬時期はだいぶ時代が下った第二次大戦中とのこと。歩いてグルッと回ることのできる小さな町だが、タミル系のファミリーとも出会ったし、町中にあるなかなか立派なモスクに出入りするのもやはり亜大陸系のムスリムたちだ。

    1947年の印パ分離の悲劇があまりに衝撃的であったがゆえに、これに関する文献、小説、映画等は沢山あるが、これに先立ち1937年に起きた『もうひとつの分離』であるビルマ(ミャンマー)のインドから分離して英連邦内のひとつの自治領となったこと、さらなるナショナリズムの高揚が1948年イギリスからの独立へと導き、さらには1962年のクーデター以降は多数派であるビルマ族主体の国粋化が進んでいく。

    こうした中で、当初はインドの新たなフロンティアとして約束されていたはずの地で、立場が次第に苦しくなっていく中、いつの間にかそこはもはやインドではなく、さらに英国が去った後、彼らは抑圧者の手先であった人々として、また出自の異なるヨソ者として遇されるようになっていく。

    そうした世相の変化の様子は、アミターヴ・ゴーシュの小説『THE GLASS PALACE』にも描かれているところであるが、この国における亜大陸系の人々の家族史を掘り起こしてみると、興味深いものが多いことと思われる。

  • IRCTC (アップデート)

    昨年の今ごろ、インド国鉄の傘下組織であるIRCTC (Indian Railway Catering and Tourism Corporation)のウェブサイトを通じたインド国鉄のチケット予約について、そのコツ(・・・というほどでもないが)を取り上げてみたが、現在はかなり状況が変化しているため、新たに記しておくことにした。 

    インド国外で発行されたクレジットカードを使用する場合、以前はVisa、Masterともにちゃんと手続きできたのだが、残念なことに現在はアメックスのカードを除き、IRCTCの予約サイトで決済できなくなっている。 (近い将来これもまた変わるかもしれない)

    従前より、ウェブ上でインド国鉄チケットを購入できるところはといえば、前述のIRCTC以外にはインドのトーマスクックなど有名だが、やはりIRCTCと決済条件は同じで不可。目下、アメックスを除きインド国外で発行されたクレジットカードでインド国鉄の予約ができるサイトとしてオススメは、www.cleartrip.comである。 

    上記サイトにアクセスして、画面右上のregisterをクリックして会員登録を済ませた後、画面左上にいくつか並んでいるメニューからtrainsを選択して予約作業を始めることができる。 

    利用したい区間、列車の選択、クラスの選択に続き、空席照会してから予約、そして支払という具合だ。データはもちろんIRCTCのサイトと連動しているので、作業内容と手順は同じだ。 料金については、列車チケット料金に加えてIRCTCのサービスフィーがかかるところまでは同じ。加えてCleartripの手数料が20ルピーかかる。 

    日本その他の国々から、年末年始に旅行でインドを訪れる方々は多いことと思うが、渡印前に鉄道を予約される際にこの記事が役立つことがあれば幸いである。

  • ツアー列車いろいろ

    以下の行程で、7泊8日の特別ツアー列車が走っているのだそうだ。その名もBuddhist Circuit Special Train。 

    初日 : デリー、ガヤー

    2日目 : ガヤー、ボードガヤー

    3日目 : ボードガヤー、ナーランダー、ラージギル、ガヤー、ワーラーナスィー

    4日目 : ワーラーナスィー、サールナート、ゴーラクプル

    5日目及び6日目 : ゴーラクプル、クシーナガル、ルンビニー

    7日目 : ゴーンダー、スラワスティ、アーグラー

    8日目 : アーグラー、デリー 

    ビハールとU.P.の仏蹟を中心とした観光地に加えてアーグラーを観光してデリーに戻るというもので、出発日は次のとおり。 

    出発日

    2010年9月25日

    10月16日及び30日

    11月13日及び27日

    12月11日及び25日

    2011年1月8日及び22日

    2月12日及び26日

    3月12日及び26日

    いずれも起点はデリーだが、出発駅はサフダルジャン駅である。料金は以下のとおり。

    First AC Coupe 

    US$ 1176

    INR 55272

    AC – First Class 

    US$ 1050

    INR 49350

    AC – Two Tier

    US$ 875

    INR 41125

    AC – Two Tier

    (Side Berth)

    US$ 770

    INR 36190

    AC – Three Tier 

    US$ 735

    INR 34545 

    宿泊費(ホテル2泊で他は車中泊)・食費等込みとはいえ、料金は決して安いわけではない。

     それでも鉄道大国インドならではの豪華観光列車として知られるPalace on WheelsRajasthan Royals on WheelsDeccan OdysseyGolden Chariotなどは、時期やクラスによるが7泊8日の行程で2500ドルから5000ドル近くの出費を覚悟しなくてはならないことを思えば格安である。 

    最近のこの類の企画ものでは、Maharaja’s Indiaというものがあるが、こちらは5600ドルから20000ドルという、さらにビックリの金額で売り出されている。 

    Buddhist Circuit Special Trainは、これらのゴージャスな車両と特別なサービスを売りにするものではなく、基本的に在来の車両を使用する企画ツアーである。他にもエコノミーな列車ツアーとしては、Bharat Darshanシリーズの中に様々なタイプがある。日程は1週間から15日間で、訪問先もいろいろ異なるものがあるが、費用は3600ルピーから7700ルピーと手頃なものとなっている。通常の列車もクラスにより運賃の格差が甚だしいこの国だが、ツアー列車にかかる費用も上から下まで大きな差があるのは、いかにもインドらしい。 

    先述の豪華列車にかかるコストの関係はさておき、そもそもパッケージツアーで1週間費やしてみたいと思わないのだが、デリーからラージャスターンのアルワール間を1泊2日で往復するFairy Queenには、いつか機会を得て乗車してみたいと考えている。 

    1855年、なんとインド大反乱の2年前にイギリスで製造された、現存する最古の運転可能な蒸気機関車が牽引するヘリテージ列車であるため、『イン鉄ファン』のマストアイテムだ。 

    往復でも片道のみでも乗車可能で、IRCTCのウェブサイトでも予約を受け付けている。今季は2010月から2011月まで、合計10往復している。 

    料金はフルパッケージ(Fairy Queenでのデリー・アルワール往復とサリスカー宿泊ならびに国立公園見学)で10200ルピー。片道ツアー(Fairy Queenでのデリーからアルワール片道とサリスカー宿泊ならびに国立公園見学)は7100ルピー。Fairy Queenのデリーからアルワールまでの乗車のみならば3200ルピー。

    ご興味のある方はお早目にご予約を。

  • マオイスト 鉄道を標的に

    また鉄道の大惨事が起きてしまった。
    5月28日午前1時過ぎ、コールカーターから150kmほど離れたミドナープル地区内のマオイストの拠点ジャールグラム近くにて、ハウラーからムンバイーに向かうギャーネーシュワリー急行が脱線して並行して走る線路に乗り上げた。そこに走行してきたターター・ナガルからカラグプルに向かう貨物列車が衝突したため、被害が更に深刻なものとなった。大きな地図で見る
    事件はマオイストによる犯行と断定されている。当初は爆破事件説もあったものの、鉄路のフィッシュプレート(ジョイントバーとも呼ばれる)というレールの継ぎ目を固定する部品が取り外されていることが確認されたことから、当局はこれが有力な原因とみて調査中。
    すでに100人を超える死者が確認されているとともに、負傷者も200人以上と伝えられている。複数の倒壊ないしは大破した客車の中に閉じ込められている人たちの救出作業が続いており、今後死者ならびに負傷者の数は拡大する見込み。インド国鉄から列車乗客リストがウェブ上に公開されている。以下のビデオは事故発生から間もない時間帯に放送されたものであるため、被害の数はまだ少ないものとなっている。たとえ客車に保安要員を配置して、座席あるいは寝台の乗客安全を図ったところで、その車両が走る鉄路の状況にまで監視の目はなかなか行き届かないであろう。広大な国土のインドである。寒村や人里離れたところを拠点に暗躍するマオイストたちにとって、政府に対して大きなダメージを与えるためには、鉄道は簡単にして確実な攻撃対象となる。内務大臣のチダムバラムがマオイストへの対決姿勢を鮮明にしてから、4月上旬にはチャッティースガル州で彼らの拠点を叩こうとした警察部隊が、反対にマオイスト側から急襲されて76名が死亡する事件が起きたのは記憶に新しいところだ。内務大臣はその責を取り、一時は辞表まで用意したものの慰留されている。
    今回は、事件現場から十数キロほど南東方向に進むと空軍基地というロケーション。国防施設周辺といういわばグリーンゾーンのすぐ外側でこうした惨事を起こすということ自体が、政府の無策ぶりを嘲笑っているかのようである。
    すでに中央政府、州政府、鉄道当局の三つ巴で責任のなすり合いが始まっている様子もあり、まさにマオイストの思う壺・・・といった具合に進展しているようだ。
    現場が僻地であることもあり、国外では『インドでよくある鉄道事故』であるかのように扱われてしまうかもしれない。だがマオイストによる大胆な犯行が連続している状況は、潜在的には2008年11月にムンバイーで起きたイスラーム過激派によるテロに匹敵する脅威を秘めているといって過言ではないかもしれない。往々にして他所から来た人間が散発的に起こすテロ(近ごろでは『テロの国産化』という傾向もあるにせよ)と違い、マオイストたちの存在は地元に根ざしたものであり、それ自体が大衆運動でもあるため、彼らとの対立は文字通り『内なる闘い』ということになるのである。
    ※『彼方のインド4』は後日掲載します。

  • 線路は続くよ、どこまでも 3

    ソフト面では、利便性が飛躍的な向上を見せたものの、ハード面で特筆すべきは、各地のメーターゲージ路線をブロードゲージ化する作業が着々と進んだことだろう。
    これにより、鉄道ネットワークの効率化が図られた。旅客として利用する際、目的地沿線の軌道幅が異なることによる乗り換えが不要となり、主要駅を起点として直通列車が走る範囲がとても広くなっている。おそらく貨物輸送の面でも相当な有利になったに違いない。
    各地の鉄道の事業主体が単一ではなかったこと、鉄道ネットワークに対する考え方が現在と異なる部分があったことや予算の関係などもあり、植民地時代に軌道幅が異なる路線が混在し、それが長く引き継がれてきたことについては、その対応に苦慮しつつも、全路線ブロードゲージ化という方向で完成しつつあるのがインドだ。
    それに較べて、隣国バーングラーデーシュ国鉄は異なる手法で解決への道を探っているかのようである。今年1月に『お隣の国へ?』で書いたとおり、デュアルゲージという手法により、ブロードゲージの軌道の間にもう一本のレールを敷設し、ゲージ幅の狭い列車も走行できるようにしてあるのだ。異なるゲージ幅に対応する、なかなか面白いアプローチである。
    これが『デュアルゲージ』
    バーングラーデーシュ国鉄本社が置かれているのは狭軌ネットワークのターミナスであるチッタゴンであることと合わせて、今後はインドとは反対に狭軌のほうに集約していくと考えるのが自然だ。
    近年になってから、首都ダーカーにブロードゲージ路線が導入されているが、これは現在コールカーターからの国際旅客列車マイティリー・エクスプレスに加えて物資輸送の貨物列車が運行していることから、隣国インドの鉄道とのリンクを考慮してのことであり、同国内既存の狭軌路線を広軌化する意思はないのだろう。
    インドの場合と異なり、ネットワークがあくまでインドと一体であった時代に築かれたものであるがゆえ、今の同国国土を効率よくカバーしているとはとてもいえないため、インドの国鉄と違い、国民の期待値は相対的に低いものとなる。ゆえにどちらかに統一するのではなく、あるものを可能な限り使い回すという発想こそが賢明であるのかもしれない。
    いっぽう、列車の運行体制やアメニティといった部分では、それほどの進化を遂げているとは思えない。車中泊を伴い長時間走行するもの、比較的短い距離を日中走行するものなど、列車のタイプにより、1A (First class AC)、2A (AC-Two tier), FC (First Class), 3A (AC three tier), CC (AC chair car), EC (Executive class chair car), SL (Sleeper class), 2S (Seater class), G (General)と、いろいろな客車タイプがある。
    クラスが上がるにつれて、料金も格段に違ってくることから、同乗する他の客を選別する機能があるといえるのは、インドという国における社会的な要請といえるだろう。
    人々の可処分所得が上昇したこともあり、エアコンクラスの需要増に応える形で、空調付きの車両が増えることとなったが、クラスは上がっても1人あたりのスペースが広くなること、電気系統を含めた車内内装の質が向上することを除けば、基本構造自体は旧態依然のものであることから、やはり時代がかった印象は否めない。
    他の列車よりも走行の優先度を高めて停車駅を少なくすることにより、目的地までかかる時間を短くしたラージダーニー、シャターブディー、サンパルク・クランティ、加えて最近導入されたドゥロントといった特別急行があるものの、これらの列車が連結する車両構造自体が取り立てて先進的というわけではない。
    またダイヤの過密化と駅の増加により、こうした特別急行以外の急行列車は、たとえば1980年代と比べて、より時間がかかるものとなっている路線も少なくないらしい。
    相変わらず大規模な事故がしばしば起きることも問題だ。今から10年も前のことになるコンピュータの『2000年問題』が取り沙汰されていた時期、確かに鉄道のチケッティングの面では一部懸念されるものがあったようだ。
    しかし列車の運行についてはまったく問題ないという発表がインド国鉄からなされていたことを記憶している。その理由といえば、大部分がアナログ式に管理されているため、電子的な誤作動による事故はまずあり得ないという、あまりパッとしない理由であった。
    その後、運行の手法について、どの程度の進展があったのか残念ながらよく知らないのだが、今年10月にもマトゥラーでの急行列車同士の衝突事故があったように、同じ路線にふたつの列車が走行してクラッシュという惨事、あるいは植民地時代に建設された橋梁が壊れて車両が落下といった事故が散発し、そのたびに多数の犠牲者が出る。メディア等でその原因等について盛んな糾弾がなされるものの、少し経つと同じような事故が繰り返される。
    そんなことからも、列車の運行管理の部分においては、大した進展がないのではないかと疑いたくなる。これからは、鉄道輸送の根幹となる部分で、『乗客の安全』を至上命題に、骨太の進化を期待したいと思う。
    蛇足ながら、乗客の立場からするとハード面でいつかは改善して欲しい部分として、乗降の際の巨大な段差もあるだろう。19世紀の鉄道を思わせるようで『趣がある』と言えなくもないが、観光列車ではなく、人々の日常の足である。停車駅で人々のスムースな出入りを阻害する要因だ。頑健な大人ならばまったく問題なくても、お年寄りや子供たちにとってはちょっとしたハードルである。身体に障害を持つ人にとっては言わずもがな。
    19世紀・・・といえば、鉄道駅の中でも由緒ある建物の場合、電化される前には待合室等の天井にパンカー(ファン)を吊るした金具が残っていたりする。今は電動の扇風機が頭上でカタカタ回っているが、電化される前の往時は、吊るしたパンカーを人がハタハタと動かしていたのである。
    やたらと進んでいる面とまったくそうでない面が混在するインド国鉄ではあるが、そういう凸凹が多いがゆえに、ふとしたところに長く重厚な歴史の面影を垣間見ることができる。ここに独自の味わいがあるのだ。
    ひとたび車両に乗り込めば、場所によっては非常に時間がかかるとはいえ、広い亜大陸どこにでも連れて行ってくれる(もちろん鉄路が敷かれている地域に限られるが)最も便利な交通機関だ。
    インドの鉄道のことをしばしば書いているが、私自身は『鉄ちゃん』ではないし、およそ鉄道や列車というものに一切の関心を持たない。しかし、情緒あふれるインド国鉄に関しては、いつも大きな魅力を感じてやまない『イン鉄ファン』なのである。

  • 線路は続くよ、どこまでも 2

    ・・・と、文字に書くと『ああ、そうか』という程度のことでしかないかもしれないが、鉄道の予約を取ることについてかかる手間ヒマという点からすると天地の差がある。
    また南アジア域内で鉄道ネットワークを持つ他国と比べてみても、インドの『先進ぶり』は際立っている。
    まず鉄道駅窓口での予約がオンライン化される前といえば、まずはBookingカウンターの行列に並んで目的地までの乗車券を買う。続いてReservationカウンターの長い長い列に並び直して予約を取る必要があった。
    係員が、列車別と思われる分厚い帳簿に、厳かな表情で予約した乗客の氏名等を記入するのだ。座席や寝台の料金を払うと、さきほどのBookingカウンターで渡された乗車券とは別に、車両番号と座席(寝台)番号が殴り書きされた予約券が投げて寄越される。
    これとて、特に大きな駅では利用クラスや方面別になっていたため、うっかり違う列に並んでしまうと、せっかく順番が来ても『あっちのカウンターに行きなさい』と追い払われてしまい、それまで費やした時間がまったくのムダになる。
    こうしたやりかたは、インドの鉄道草創期にあたる『ヴィクトリア朝時代からの伝統』と揶揄されるもので、今では博物館モノの大時代がかった作法による発券作業を目の当たりにできる、その中でチケットを買う、予約するということが実体験できるため、最初は興味深く感じられた。
    しかしこれが度重なると、手間暇と時間を取られて面倒なので、なるべく事前の面倒のないバスで移動したいと思うようになった。それでも半日以上かかる移動、とりわけ車中泊を伴う場合は、やはり身体を横たえることのできる寝台がないと辛く、結局は鉄道の厄介にならざるを得なかった。
    当時、どこかで乗り換える必要がある場合の次に利用する列車、往復する場合の帰りの列車の予約をその場ですることができないのもすこぶる不便であった。ボーパールやバンガロールのような大きな駅であっても、列車が当該駅始発ではなく経由地である場合は、中途から乗り込む乗客への割り当てが少ないため、ずいぶん先まで満席ということが当たり前でもあった。
    結局、列車に乗り込んでから、その時点での空き状況を見て車掌が乗客たちに振り分けることになってしまうのだが、車掌がやってくるまでずいぶん長いこと待たされた。なにぶん少ない人手による手作業ということもあり、何かとスローなのは仕方がなかった。
    主要駅における鉄道予約オンラインが開始された頃、チケット売り場の壁に『ANY CLASS, ANY DESTINATION, ANY QUEUE』 との貼紙を目にしたときには、いたく感動したものだ。どの列に並んでもいい、しかも一回並ぶだけで、BookingとReservationが同時に出来てしまう!とは、今では当たり前のことではあるが、当時は大きなインパクトがあった。
    その後、全国的にシステムで接続される体制が整ってくると、列車の往復予約も乗り継ぎ駅から先の列車の予約もいっぺんに確保できるようになってくる。更には自宅でヒマなときにネット予約してプリントアウトしたものが、そのままEチケットとして使用できてしまうというところにまで来ている。この部分のみに限れば、インターネットで列車予約してから、駅の窓口に並ばなくてはならない日本のJRと比較した場合、インド国鉄に軍配が上がる・・・と思う。
    こうした進歩も『時代が進んだのだから当たり前』ということにはなるが、19世紀末か?と思うほどの状態から、わずか20年ほどで21世紀らしいところにまで追いついたことは、大いに評価できるはずだ。しかもインド国鉄といえば、従業員数にして同国最大の国営企業。国家予算とは別立ての鉄道予算を持つ国の親方三色旗企業もなかなかやるじゃないか、と大きな拍手を送りたい。
    だが、業務の近代化、自動化は、往々にして職場の人減らしにもつながる。労働組合活動の盛んなインドのこと、しかも140万人というインド最大の従業員数を誇る国営企業としての国鉄において、マネジメントと労働者の側で様々な衝突や駆け引きもあったのではないかと思う。
    もともと南アジアの周辺国、パーキスターン、バーングラーデーシュ、スリランカとは比較にならない鉄道大国であるインドだが、こうしたソフト面の進化は、これらの国の鉄道に対して先進的な模範を示しているといえるだろう。

  • 線路は続くよ、どこまでも 1

    trains at a glance
    インド国鉄の時刻表Trains at a Glanceの最新版が出た。早速、11月1日よりウェブサイトからこの版がダウンロードできるようになっている。
    例年7月に新しい版が出て、そのまま次年の6月まで有効、そして再び7月に切り替わるというサイクルであったが、今年はどうしたわけか昨年7月の版の有効期限を10月まで延びていた。
    ラージダーニー急行よりも短い時間で大都市を結ぶドゥロント・エクスプレス導入も含めて、かなり大規模なダイヤ改定があったのだろう。
    Trains at a Glanceにはインドを走るすべての旅客用列車が記載されているわけではない。地域版の時刻表あるいは滅多に鉄道駅で売られているのを目にすることはないし、そもそも今でも印刷されているのかどうか知らないが、全国すべての列車を網羅したRailway Bradshawを手に入れると、Trains at a Glanceには出ていないローカルな各駅停車の記載などもある。
    しかし、そんなひなびた頻度の少ない便を使わずとも、バスその他の交通機関があるので、普通はTrains at a Glanceがあれば旅行するのには充分だろう。
    インド国鉄のネット予約サイトIRCTCで、乗車駅と降車駅を入れば簡単にその区間を走る列車やダイヤを調べることができるが、やはり冊子にまとめられたもの、またはそれがPDF化されたものでザザッと俯瞰するほうが楽だ。
    つくづく思うのだが、鉄道駅のチケット予約システムのオンライン化が20年ほど前に始まってからというもの、またたく間に全国の主要駅、続いてその下の規模の駅、そのまた下へ・・・と広がり、インターネット利用が一般化してからは自宅からネット予約等も簡単にできる。 ずいぶん便利になったものである。

  • ラージダーニー急行 マオイストが占拠

    20091027-apharan.jpg
    今月21日にマトゥラーで起きた列車同士の衝突事故、同じく23日にはムンバイー郊外のターネーで、走行中の列車に送水管が落下したことによる事故と、鉄道関係の惨事がニュース映像となって流れたばかりである。
    今日は、夕方テレビのニュースを眺めていると、『Breaking News』のテロップとともに、今度はマオイストと見られる一団により、ブバーネシュワル発デリー行きのラージダーニー急行が長時間停められているという速報が流れてきた。
    場所は西ベンガル州のミドナプル地区。ジャールカンド州境に近いところである。複数の男たち、一説には100名ほどの群集が、赤い旗を手にして列車を停止させ、乗客の人々を人質にしているとの報せに仰天した。
    その時点では、彼らが本当にマオイストであるかどうかの確認は取れていないようで、この地域のマオイストのリーダーは関与を否定しているという説も流れていた。それでも犯行グループは、現在収監されているマオイスト指導者、チャトラダール・マハトーの釈放を要求しているとのことで、やはりマオイストのある派閥に属する者たちによる実力行使であると見られるとのことだ。
    これを書いている今時点で、事件発生から5時間経過した。すでに車両は警察当局のコントロール下に置かれている。犯人グループたちにより、携帯電話を取り上げられた者は複数あったようだが、幸いにして負傷者等は発生していない模様。テレビカメラに映し出されたラージダーニー急行の車体には、前述のチャトラダール・マハトーの解放を要求するメッセージが赤い文字で大書きされている。
    Maoists stop Bhubaneswar Rajdhani Exp, driver missing (ZEE NEWS)
    Rajdhani blockade over, ‘pro-Naxal’ group takes claim (India Today)
    マオイスト、あるいはインドの武闘派極左勢力発祥の地である西ベンガル北部のナクサルバリにちなんで、ナクサルあるいはナクサライトと呼ばれる赤い地下組織は、西ベンガル以外でも、チャッティースガル、オリッサ、ジャールカンド、ビハール、アーンドラ・プラデーシュ、マハーラーシュトラなどで盛んに活動しており、事実上の『解放区』となっている地域さえある。
    部族や寒村の貧困層といった、開発や近年の経済成長の恩恵とは縁遠い人々を主な基盤としており、そうした地域のアクセスの悪さや行政組織の不備等が、彼らの活動を利している部分もある。
    そうした発展から取り残された地域の警察組織の脆弱さ、個々の警察官たちが治安要員としての資質や経験に乏しく、実戦の中で切磋琢磨してきたマオイストの戦闘員たちとまともに対峙することができないという行政側の当事者能力の欠如も指摘されているところだ。
    近年、とみにマオイストたちの活動の拡大が顕著であることから、国内の治安に対する大きな脅威であるとして、中央政府が対決姿勢を鮮明にしているところだ。しかし中央の政治家たちがいくら声を荒げてみたところで、都市部を離れて人口が希薄、ひいては警備もほとんど存在しない公道や鉄路の上で散発する事件に対して、当局はあまりに無力であるように見える。
    マオイスト、ナクサルと一口でいっても、その中には様々な志向の集団が内在していることだろうが、ネパールで内戦を続けた末に、合法的な政党と化し、一度は政権を担うまで至り、今も同国政治の行方を担う一大勢力である『マオイスト』が、彼ら自身の頭の片隅にはあるだろう。
    果たして中央ならびに各州の政府が、地域社会と力を合わせてこうした暴力組織を駆逐する方向に進むことができるのか、あるいは今後ますます犠牲者を出すとともに自らの勢力を拡大していくのか、気がかりなところである。

  • ネパールにも鉄道の時代がやってくるのか?

    ネパールの鉄道といえば、インド国鉄の協力によるNepal Railways Corporation Ltdが運行するジャナクプルからインド国境を越えてビハール州のジャイナガルに至る短いローカル線が頭に浮かぶ。
    この狭軌の路線は、やがて広軌化されることになるようだ。 ブロードゲージ、メーターゲージ、ナローゲージ等、軌道幅の異なる路線が混在するがゆえにスムースな輸送に支障をきたしていたインド国鉄が、プロジェクトユニゲージと呼ばれる、ネットワークの効率化を目指して広軌に統一しようという計画の一環による。今のところインドの主要路線から直接このルートに乗り入れる列車はないのだが。
    しかしこれよりも大きな動きが水面下で進んでいるようだ。7月下旬のKathmandu Postの記事によれば、ネパールの南北に広がる大国、中国とインドにより、同国における新たな鉄道建設のオファーが相次いでいるとのことだ。
    ともに新たな市場開拓に加えて戦略的な意図のもと、両国の鉄道網をネパールへと拡大しようと画策中。中国は、2013年までにネパール国境のカーサーまで自国の鉄道ネットワークを延伸する工事を開始しようという計画がある。これは青海省の西寧とチベット自治区のラサを結ぶ青蔵鉄路が南下してネパールへと伸びることを意味し、大きな困難が伴うものと誰もが思うだろう。
    中国はこれと平行して、パーキスターンに対しては、これも恐らく地理的に相当な無理があると思われるカラコルム・ハイウェイ沿いに南下するルート、バーングラーデーシュについては雲南省の昆明からミャンマー経由でアクセスするルートを建設するプランを練っているとのことだ。中国から南アジアに対する熱い視線が注がれていることの証である。
    これに対しインドは中国産の安価な商品が雪崩を打って注ぎ込まれるであろうという商業的な面とともに、戦略的な観点からも強い危機感を抱くのは当然のことである。ましてや自国の強い影響下にあるネパールを、長らく対立してきた中国に奪い取られまいと画策するのは自明の理だ。
    だが、中国側が冒険心に富んだプロジェクトを提示するのに対して、インド側はビールガンジ・ラクソール、ナウタンワ・バーイラーワー、ジョーグバニー・ビラートナガル、ジャルパーイーグリー・カカルビッタ・ネパールガンジロード・ネパールガンジ、ジャイナガル・バルビーダースといった、いかにも実現可能そうな堅実なプランを用意するのは、中国側のそれが短期間では実現不可能と見限ってのことか、それとも自国により近いエリアから着実に影響力を行使しようという現実路線か?
    ヒマラヤという天然の障壁を越えて南アジア地域への進出を図ろうという中国が、地元の人々がアッと振り向く鳴り物入りのプロジェクトで、地元政府の関心や民心を引きつけようとしている。
    いっぽう、同じ亜大陸にあり国土の北部がネパール南部の平原部と地続きであるインドは既存の自国内の鉄道路線をちょっと延ばすだけで、ネパールの平野部と容易に接続させることができる。技術的にもコストの面でもさほど大きな負担にならない範囲で、中国がネパールに施そうとしている以上の効果を手にすることが可能なようだ。
    鉄道の他にも、北の中国と南のインドの間で、インフラ整備等の様々なプロジェクトが提示されているようだが、ネパールはどちらかの側に絡め取られるのか、それとも賢明に両大国の狭間でバランスを取って漁夫の利を得るのか?
    この鉄道建設プランに限っては、ネパール国内の人々の移動や自国内で経済活動を主体としての交通機関の整備という視点は不在のようだ。どちらも自国内を基点とする鉄道ネットワークをネパール国内に乗り入れることにより、自国の経済圏にガッチリ引き込もう、これまでよりもずっと強い影響下に置こうという、あからさまな意図が感じられる。
    これらが仮に実現した暁には、それら『ネパール国外を向いた路線』をさらに同国内深くに延伸していくことになるのかもしれないが、これらが同国を南北から蚕食するルートとならないことを願わずにはいられない。

  • いい仕事

    インド国鉄のウェブサイトを開けば、サイドメニューのところにある『Time Table Information』のところから、現在駅で販売されている内容の鉄道時刻表Trains At A Glanceのコンテンツがそのままダウンロードできる。
    PNRのステイタスもウェブでチェックできるし、割り当ての席数の関係からか、窓口ではまだ空席があっても、けっこう早く満席と表示される傾向があるものの、IRCTCのサイトで列車がネット予約できるのは便利だ。IRCTCのコールセンターは比較的つながりやすいし、問い合わせのメールを送れば、これまた割と迅速に対応してくれる。
    これらは、今ではごく当たり前のことになっているが、近隣国の鉄道事情を鑑みれば、インドの鉄道の利便性はネットワークの広大さと合わせて比較しようもないほど際立っている。
    駅や車内設備については言うに及ばず、濃霧や大雨の時期など、天候条件のよくない季節にはダイヤが乱れるきらいはあるし、目を覆いたくなるような大事故のニュースも珍しくないなど、器の面での進歩の速度に較べて、90年代以降の列車予約に関するソフト面でのサービス向上には著しいものがある。
    かといって、ハード面では進化していないなどと言うつもりはない。よくよく考えてみるまでもなく、ハードの部分でも相当な進化を続けていることも忘れてはいけないだろう。
    空調付きのクラスとその車両が増えたことに加えて、長距離ならびに中・近距離の特別急行、ラージダーニーとシャターブディー双方の運行ネットワークの広がり、これらの廉価版ともいえるガリーブ・ラト、首都デリーと様々な州の要所をごく少ない停車数で結ぶサンパルク・クランティといった、近年導入された新規の特別急行もある。
    比較的目立ちにくいものの、利便性向上とネットワークの効率化に多大な貢献をするものとして、メーターゲージ路線のブロードゲージ化の進展がある。これによって、先述のTrains At A Glance綴じ込みの鉄道地図を見てわかるとおり、図上で紫の線で示されたメーターゲージは、今やグジャラート、ラージャスターン、タミルナードゥの特定部分を除けば、ほとんど目立たなくなっている。
    とりわけ前者二州、つまりグジャラート、ラージャスターンといった旧藩王国が割拠していた地域では、狭いゲージの藩立鉄道路線が多く、あまり合理的とは思えないルーティングも少なくなかったようなので、これらをかなり整理してブロードゲージの幹線に統合できたのは大きな進歩ではないだろうか。
    そんなわけで、昔と違ってデリーから直接ジャイサルメールに乗り入れることができるようになっているし、かつてはメーターゲージのジャンクションだったジョードプルも幅広なゲージでより多くのエリアと繋がることになった。さらにはグジャラートのカッチ地方の最大の町ブジにさえもデリーから途中乗り換えすることなく、ブロードゲージの路線で到達することができる。
    他にも高速鉄道導入計画もあるし、私たち乗客としての目から眺めて気がつくところは他にもいろいろあるにしても、旅客輸送以外にもうひとつの大きな業務である貨物輸送の分野でも、我々の気づかないところで、いろいろな進化があるのではないかと思う。
    いい仕事をされていますなあ、インド国鉄のみなさん!

  • 世界遺産をチャーター

    Mountain Railways of Indiaとして世界遺産登録されているインドの山岳鉄道群。1999年にダージリン・ヒマラヤ鉄道が、その鉄道名そのままで登録されて以降、2005年にはニールギリの山岳鉄道が追加登録されるにあたり、『山岳鉄道群』という扱いに変更された。
    そして昨年2008年にはカルカー・シムラー鉄道が追加され、合わせて三つの路線がこの『山岳鉄道群』に含まれている・・・とくれば、インドの鉄道好きな人ならば即、マハーラーシュトラのマーテーランのトイトレインの姿が瞼に浮かぶだろうだが、もちろんマーテーラン丘陵鉄道も近々世界遺産登録入りする見込みらしい。
    世界遺産入りを果たしたシムラー行きトイトレインの路線だが、起点のカールカーから終着駅シムラーまで4.970 Rs, 逆にシムラーからカールカーまでは3.495 Rs, 往復ならば8.465 Rsで借り切ることができる。片道5時間余りの道のりだが、車窓からの景色を満喫しながら、仲間たちとワイワイ楽しむのもいいかもしれない。Shivalik Palace Tourist Coach という名の車両で、さしずめインド版お座敷列車といった風情。
    The Kalka Shimla Heritage Railway (Indian Railways)
    おそらくインド国内外のツアー・オペレーターたちからの引き合いも少なくないことと思われる。また往復のパッケージの場合、シムラーでの一泊分も付いているとのことで、チャンディーガルを含めたカールカーから近場の街のグループによる利用もけっこうあることだろう。
    なおカールカー・シムラー間で、チャータートレインを走らせることもできるとのこと。料金は約28,000 Rs。1日の定期便本数が往復4本と少ないため、こういうことも比較的やりやすいはず。映画やドラマの撮影向けといったところかもしれない。
    いずれにしても世界遺産を個人で借り切るというのはなかなかできない経験だ。機会があって人数も集まれば、試してみるのもいいのではないかと思う。

  • 泰緬鉄道

    ミャンマーからバンコクに戻った翌日、旧泰緬鉄道に乗ってみることにした。ご存知のとおり、旧日本軍がビルマ戦線における物資輸送等のため、連合軍捕虜やアジア各地から徴用された人々に大きな犠牲を強いて作らせた鉄路である。
    当時のビルマ(現ミャンマー)は、インパール経由でインドに侵入するための、いわばベースキャンプのようなロケーションであったがゆえに、旧日本軍はこの路線の建設を強行させたものである。バンコクから北西に進んでビルマ国境を越え、モールメイン(現モウラミャイン)、マルターバン(現モッタマー)を経て、ヤンゴンへの移動を可能とするものであった。
    インド亜大陸に続いてビルマでも鉄道ネットワークを拡大させていたイギリスも統治下にあったビルマからタイへと至るこのルートの構想は抱いていた。しかし土地の起伏が大きく、ジャングルに覆われたこの地域で鉄路の敷設は困難でコストに見合わないとして、これを実行に移すことはなかった。
    現在、ミャンマー側ではこの路線は廃線となっている。タイ側は、映画『戦場に架ける橋』のモデルであるとして広く知られるクワイ河鉄橋からしばらく先に進んだナムトーク駅が終点となっている。
    思い切り早起きしてタクシーを拾い、ホアランポーン駅へと向かう。土曜日と日曜日にはナムトクまでのツーリスト列車が朝6時半に出ているとのことで、これをアテにしていたのだが、残念なことにすでに満席とのことだ。
    再びタクシーに乗り、毎日ナムトクまでのローカル列車が上り下りとも2本ずつ出ているトンブリー駅に行く。出発時間は7時45分とのことで、まだずいぶん時間があるため、駅外に広がるマーケットを物色。ここで朝食用に弁当とスナックを買い、駅のベンチで国鉄労働組合による『民営化反対』というポスターを眺めながら食べる。
    トンブリー駅を出発
    週末のためか人が多く混雑しているが、なんとか席を確保することができた。しかし陽が照りつけてくる側の窓際になってしまったので、走り出すなり暑さで消耗する。タイはどこでもそうだが、ヴィックス・インヘラーの安価な類似品をひっきりなしに鼻に当てている人が今多い。確かにクールな刺激で、涼しく感じる効果はあるようだ。
    路線は単線だが、そもそも本数がとても少ないので、擦れ違う列車はほとんどない。それでも週末のみのツーリスト列車の運行を最優先にしている(?)のか、特に遅れる理由は見当たらないのに、着く駅ごとに遅れが蓄積していく。
    途中駅
    トンブリー駅を出てか市街地を抜けると、水と緑豊かな光景が続く。ときおり町に入るが、やがてまた田畑の続く単調な風景。カンチャナブリーまではこうしたどうということのない眺めが続いた。
    国際列車の車両
    途中駅で、バンコクからシンガポールまでマレー半島を縦断して往復する国際列車の車両が停まっており、制服のスタッフらしき人々の姿も見えた。この列車のルート上ではないため、おそらく職員の研修を行なっているのではないだろうか。
    クワイ河鉄橋
    カンチャナブリーで大半の乗客が降車。ようやくゆったりと腰掛けることができるようになった。ここからの景色はそれまでとだいぶ様子が変わり、大きな町らしきものはほとんどなく、起伏の多い地形が随所に見られる。
    20090604-view.jpg
    ダイナマイトで爆破したと思われる切通しや崖には、荒々しく掘削した跡も残っており、そういうところに架かる危なっかしい橋梁では、列車は徐行して進む。しかし暑さで感激するココロも緩んでしまっているようで、いまひとつ気が乗らない。
    20090604-bridge2.jpg
    ナムトークまであと一駅
    これが遠くビルマまで通じていたころ、モールメインまで何時間かかったのか知らないが、今日トンブリーからナムトークまで7時間かかった。トンブリーに折り返し出発するまでの停車時間に、あたりを多少散歩でもするつもりだったが、駅員によると『かなり遅れたので、今すぐに出ます』とのこと。
    その帰りの列車も途中さらに遅れ気味で、蒸し風呂状態の車内で疲れ果ててしまい、カンチャナブリーに着いた時点でリタイヤし、バンコク行きのエアコンバスを捕まえるために、サムローでバスターミナルに向かう。
    一部を除いて景色が単調なことに加えて、耐え難いくらい暑い車内には参った。もうちょっと涼しいときにくれば良かったかな?と少々反省である。