
昨年12月中旬に、朝日新聞出版社から『世界の車窓から DVDブック No.27』が発売となった。書店の店頭で小学校一年生の息子が「あっ、インドだって!」と手に取っている表紙にはダージリンヒマラヤ鉄道の写真。
これまで同番組で放送されたインドの映像の総集編といった具合で、「聖地とマハラジャの旅」「聖なる川の車窓」といった、ありきたりな表現がならんでいるものの、巧みなカメラワークもさることながら、美しい映像に思わず見とれてしまう。
私自身は鉄道なるものに特段の関心や興味があるわけではないのだが、インドやその周辺国に限っては汽車旅が大好き。やはりこの国の駅や沿線風景には実に絵になるなあ・・・と感心。
世界の車窓から DVDブック NO.27
定価:1470円(税込)
発売:朝日新聞出版社
カテゴリー: railway
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世界の車窓から DVDブック No.27
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ハウラーの鉄道博物館
コールカーターのハウラー駅の隣にある鉄道博物館のゲートに着いたのは1時15分前。午前中は開いておらず、開館時間は奇妙なことに午後1時から。ゲート外でしばらく待つことになる。インド国鉄の東部のネットワークを管轄するイースタン・レイルウェイの手による博物館である
2006年4月にオープンしたばかりだけあって鉄道博物館は美しく整備されていた。よって展示物もキレイで気持ちが良い。じっくり見物しても1時間とかからないこじんまりした規模だが、鉄道の運行や駅での作業等にかかわる展示、ハウラー駅のミニチュアの中にはインド東部の鉄道網の起点である同駅ならびにスィヤールダー駅の歴史、英領時代の貴重な機関車や車両などの展示がある。


こうした鉄道関係の展示施設は各地にいくつかあるようだが、やはりデリーのブータン大使館横にあるNational Rail Museumは格段に規模が大きく、展示物の質・量ともにこことは比較にならない。今回取り上げてみたハウラー駅隣のものは前述のイースタン・レイルウェイによるインド東部地域の鉄道に関する紹介のみのこじんまりとした鉄道博物館だ。
しかしながら、マネキンを使い列車の運行や施設保守に関わるさまざまな作業員たちにもスポットを当て、彼らの仕事ぶりを紹介するなど、列車を走らせるために働く人々の役目を理解してもらうことにも力点を置いていることが特徴だろうか。既存の他のこうした施設よりも後発である分、展示物の企画そのものやお客への見せ方について熟慮されているようで好感が持てる。


展示物の中で特に興味深かったのは、鉄道初期の牛で引く『列車』(もっとも日本の鉄道初期には、人力により客車を引っ張るローカル線も一部あったようだが・・・)の画像、そして旧東パーキスターンの蒸気機関車であった。躯体両脇にはイーストパーキスターンレイルウェイと英語とウルドゥー語で書いてあるが、表記がベンガル語でないところがミソである。独立戦争の最中にちょうどインドに来てそのままになっていた車両がそのままインドで保管されることになったものだという。



中がレストラン(・・・というよりキャンティーンか?)に改造してある客車がある。また敷地内はきれいな芝生になっており、ベンチがあちこちに置かれていてのんびりできる。駅に早く着いてしまい、乗車するまで時間があったり、乗り継ぎでしばらく時間を潰す必要があるときなど、ハウラー駅正面出入口を出てすぐ右側にあるので、ちょっと足を伸ばしてみてはどうだろうか?
以下、参考までに他サイトによるこの博物館の写真入りの簡単な紹介である。
Eastern Railways
knowindia.net -
カシミール初の鉄道開通
鉄道大国インドに新たなルートが開通した。テレビニュースのAaj Takでは、『世界で二番目に高いところを走る鉄道』と紹介していたが、実のところはどうなのだろうか。
ともあれカシミール地方では初の鉄道となる。鉄道建設や中央政府首脳訪問に反対する勢力による大規模なバンドが実行される中、10月11日(金)の開通に際しての式典には、マンモーハン・スィン首相、ソニア・ガーンディー、ラールー・ヤーダヴ鉄道大臣といった要人たちが出席している。
2000年に建設開始したこのルートは、分離独立勢力によるものとされる攻撃等により、鉄道技師その他の犠牲者を出しながらもなんとかこの日を迎えることとなった。スリーナガル北西にあるラージワンシャルから南西方向に下ったアーナントナーグまでの66キロが開通。2009年中には、北はスリーナガル北西のバーラームーラーまで延伸し、南はカーズィーグンドまでの117キロをカバーすることになるのだという。
さらに時期はまだ確定していないようだが、やがて幹線に接続する予定とのことで、南はジャンムーまで延びることになる。従来のようにジャンムーから先はバスに揺られることなく、スムースにカシミールに足を伸ばすことができるわけだ。また天候の関係でスリーナガル発着の飛行機のキャンセルは少なくなかったが、より安定した鉄道という手段を得ることにより、インド北西部の他地域からの観光客を呼び寄せる潜在力は高いだろう。
機関車に除雪機能が付いているなど、特に冬季に対応した施設設備に力を入れているそうだ。また大型の窓ガラスを採用しており風光明媚なカシミールの景色を楽しむことができるように配慮されているというのもうれしい。
もちろん単に観光客の増加のみならず、鉄道という全国くまなく網羅する物流の大動脈と結合することによる産業インフラとしての高い価値はもちろん、インド内外から同州への投資を促す呼び水としても大いに期待されるところである。
もともと観光収入に依存する度合いが高かったカシミールだが、80年代末から激しくなった分離活動やそれにまつわる治安の悪化により訪れた『長くて暗い冬』のため、同地域の観光業は壊滅状態になっていた。ひところに比べると着実に治安の改善が見られる近年、ゆるやかに回復へと向かっているようだ。美しい盆地に恒久的な平和と、そこに暮らす人々の心の中に暖かい春が訪れることを願ってやまない。
しかし、この地域が鉄路の全国ネットワークに組み込まれることにより、中央のより強い影響下に置かれることを懸念する声もあるのだろう。『インドによる支配の象徴』と受け取ることもできる象徴的な面からも、不特定多数の人々が日々出入りするというガードの甘さからも、鉄道施設がテロの格好のターゲットとなることは容易に察しがつく。『いつ、どの駅、どの列車が狙われるか』と予想する向きもあるかと思う。
カシミール地方最初の旅客車運行ということだが、これまで長きにわたって鉄道が存在しなかったということには、その地形からくる制約等があったわけで、これを技術的に克服したインド国鉄は、栄光の歴史に新たなページを刻んだことになる。しかしながらカシミールという地域であるがゆえに、多難な前途もまた想像されるのだ。
Train to Kashmir (YouTube )
First train chugs into Kashmir (Telegraph)
※『流行のドバイの背景に?』は後日掲載します。 -
トリプラ州都アガルタラ 鉄道乗入れ8月中旬の見込み
ついにトリプラ州都アガルタラへ、インドの他の地域から旅客列車で行き来できるようになる。建設途中に続発した、地域の反政府勢力による攻撃や関係者の誘拐など、様々な困難を乗り越えての快挙だ。もちろん開通後も、治安面の懸念含みの運行ということにはなるのだろうが。
デリーからの場合、現在グワーハーティーが終着駅となっているNorth East Express, Abadh Assam Expressなどが、アッサムのハフロン(ちょっと危険なエリアだ)経由でアガルタラまで延伸するのではないだろうか。従前のものに加えて新しい列車が導入されるのかもしれないし、もっと短い区間の急行や各駅停車なども加わるのかもしれない。
アガルタラへの乗り入れは、単にインド国鉄のネットワークを少し東に伸ばしたことに留まらず、エリア最大の港湾チッタゴンを見据えたバングラーデーシュへの接続、また東の隣国ミャンマーを足がかりに、東南アジア地域を窺おうかという、中・長期的な展望による意欲的なネットワーク展開構想の足がかりでもあるようだ。10年、20年というスパンで眺めれば、ひょっとするとこのエリアを管轄するNortheast Frontier Railwayは、ただの片田舎のローカル線ではなく、ひとつの花形ルートに成長するのでは?潜在力を秘めている。
もちろんそれが実現するかどうかは、隣接するふたつ国々との二国間関係の進展のみならず、これらの国々の内政事情にも大きく依存することは言うまでもないのだが。
Agartala comes up on Indian railway map (The Economic Times) -
子どもたちの楽園 2

National Railway Museumは、古い車両を屋外展示するエリアとミニチュアや資料などをもとに歴史を解説する屋内展示のエリアから成る。
植民地時代の三等車両、巨大な蒸気機関車、家畜運搬車両、脱線車などを取り除くためのクレーン車両など、異なるゲージ幅のさまざまな車両が置かれている。

山岳地のトイトレインで使われた小さな可愛らしい機関車に客車、旧藩王国内の路線で使用された王族用のサルーン車などもなかなか興味深い。これらの多くが当時のイングランドのグラスゴウをはじめとする英国および欧州の先進工業地域で製造されたものであることが、車両にはめ込まれたプレートの文字から見てとれる。

ちょっと変わった風体の乗り物もある。20世紀初頭には、パンジャーブの一部地域で『モノレール』が走っていた時期があったらしい。もちろん高架を走る現代的なものではなく、地上に敷かれた一本のレールを頼りに走る蒸気機関車だ。車両が転倒しないように補助輪が付いているのが何ともユーモラスである。訪れたときに、ちょうどこの古い車両を走らせているのを目にすることができた。


時代ものではないが、敷地内を一周するミニチュア・トレインも人気だ。ウチもそうだが、周囲でもまた子供たちは敷地内でいくら時間を過ごしても遊び足りず、「そろそろ帰るよ」という親に「まだ帰りたくないよう!」とせがんでいる姿を多く目にした。
ここはどうやら子供たちの楽園のようだ。

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子どもたちの楽園 1
子ども、とりわけ男の子が大好きな乗り物の横綱格といえばスポーツカーと鉄道だろう。前者は父親が乗りまわしているのが普通のセダンだったりするとつまらないだろうし、そもそも家にクルマがなかったりすることも少なくないが、後者については誰もがよく利用することから機会は平等かもしれない。(もちろん鉄道が走っていない地域も少なくないが)
インドでいろいろな乗り物に利用しても、子供が一番喜ぶのはやはり鉄道である。親にしてみればトイレや洗面台がついているので、他の陸上交通機関に比べて長距離移動しても安心、少し上のクラスであれば座席まわりのスペースにゆとりがあり、あまり疲労を感じずに済むので楽だ。
はるかに短い時間で目的地に着くことができる飛行機も子供たちの人気者だが、なぜか彼らの興味は搭乗し離陸したところで終わってしまうのが常のようである。おそらく外の景色が変わらなくて飽きてしまう、狭いシートでじっと我慢していないといけないので退屈・・・といったところが理由か。
鉄道だって、しばらくずっと沿線風景が変わらない地域だってあるし、チェアー・カーだったら飛行機内に座っているのと環境はそう変わらない。でも駅に停車するたびにドヤドヤと人々の出入りがあったり、プラットフォームの景色を眺めたり、物売りがスナックなどを見せびらかしに来たりといったところが、ちょうど良い具合に「ブレーク」となるのだろう。
ウチの子供によると、インドの列車は「大きな生き物みたい」で面白いのだそうだ。言われてみれば、無機的でメカニカルな雰囲気より、むしろ体温や体臭といったものを感じさせるムードがあるような気がする。
長い連結車両をけん引するディーゼル機関車が、プラットフォームにゆっくりと入ってくるときの「ドッドッドッ」という地響きに似た音、派手に軋む車輪の悲鳴、車内の消毒液の匂いとともにどこからか漂ってくる食べ物の香り、大声で会話する人々、駅構内をやや遠慮気味に行きかう動物たち・・・。
加えて、機関車や車両のクラシカルなスタイルはもちろん、あの重厚長大さも魅力らしい。「だってす〜っごくデッカイもんね」と6歳になったばかりの息子が言う。小さな子供にとって「大きい」こと自体もまた憧れなのだ。
そんな息子がとても気に入っている「博物館」がデリーにある。普通の博物館ならば、幼い子供は皆そうであるように、すぐに「帰ろうよ〜」となってしまうのだが、ここだけは日中一杯過ごしてもまだ物足りないようだ。場所はチャナキャプリのブータン大使館横、National Rail Museumである。
〈続く〉 -
東西ベンガルの都 鉄道ルート開通近し
コールカーター・ダッカ間を結ぶ列車の運行が近々再開されるようだ。バングラーデーシュ独立前、東パーキスターン時代の1965年から42年もの長きにわたり、両国間の鉄道リンクは断ち切られたままであったが、ここにきてようやくあるべき姿に戻るといったところだろうか。この背景には様々な要因がある。まず両国の間に横たわる様々な問題がありながらも、これら二国間の関係が比較的安定しているという前提があってのことだが、経済のボーダーレス化、グローバリズムの流れの一環ともいえるのだろう。国土面積は日本の4割程度とはいえ、実に1億4千万超の人口を抱える世界第8位番目の人口大国であるバングラーデーシュは、隣国インドにとっても無視することのできない大きな市場であり、産業基盤の脆弱なバングラーデーシュにとってみても、すぐ隣に広がる工業大国インドは決して欠くことのできない存在だ。
ベンガル北部大きく迂回した細い回廊部分によりかろうじて物理的に『本土』とつながるインド北東諸州にとっても、人々の移動や物流面で平坦なガンジスデルタ地域に広がるバングラーデーシュ国内を『ショートカット』して通すことができれば非常に都合が良い。『インド国内』の運輸という点からも、バングラーデーシュとの良好な関係から期待できるものは大きいだろう。コールカーター・ダッカ間のバス開通に続き、ダッカからアガルタラー行きのバスが運行されるようになったのと同じように、やがてはダッカからインド北東部へと向かう列車が走るようになるのだろうか。旅客輸送のみならず、現在両国間の貨物の往来はどうなっているのか機会があれば調べてみたい。
地勢的に東北諸州を含むインド東部とバングラーデーシュは分かち難いひとつの大きな地域であることから、本来相互依存を一層深めるべき関係にある。今後、『そこに国境があるということ』についての不便さや不条理さを意識すること、国土が分離したことに対する高い代償を意識する機会がとみに増えてくるのではないだろうか。またバングラーデーシュが低地にあるため治水面でインドの協力がどうしても必要なこと、今後懸念される海面上昇のためもともと狭い国土中の貴重な面積が消失することが懸念されていることなどを考え合わせれば、隣国とのベターな関係を築くことをより強く必要としているのはバングラーデーシュのほうだろう。経済の広域化と協力関係が進展するこの時代にあって、これら両国が今後どういうスタンスで相対することになるのか、かなり気になるところだ。
First India-Bangladesh train link (BBC South Asia) -
草の根パワーで建てた鉄道駅
大地に果てしなく伸びる鉄路。両側にこれまた果てしなく続く農村風景を眺めているといつしか車窓風景から見える舗装道路や家並みの密度が高くなってきて町に入ってきたことがわかる。列車は次第に速度を落として、物売りの呼び声や赤いシャツのポーターたちが行き来する長いプラットフォームに停車する。そしてしばらくすると『ガタン』と車両が揺れて列車は静々と再び前に進み始める。そしてさきほどまで目にしていたのと同じようなどこまでも広がる景色とそこに点在する民家や小さな集落を目にしながら長い長い時間を過ごすことになる。そんなときにふと思うのは、この人たちは鉄路のすぐ脇に暮らしていながらも、いざ鉄道を利用しようと思ったらずいぶん遠くにある駅まで足を伸ばさなくてはならないのだなということ。
工業化・商業化の進展とともに人口も拡大を続けてきたインド。蒸気機関車からディーゼル機関車へ、そして一部地域では電化されるなど車両その他鉄道施設は近代化を進めてきたにもかかわらず、ラージダーニーやシャターブディーといった時代が下ってから導入された特別急行を除けば、通常のexpressやmailといった急行列車が大都市間を結ぶのにかかる時間はそれほど短縮されていないようだ。しかしそれには理由がある。駅が増えているからだ。おそらく日本で『高速道路を走らせる』『新幹線を引っ張る』といった事柄が利益誘導型の政治家たちの道具となってきたように、インドでも『地域に鉄道駅を造る』という事業は、地元を票田とするリーダーたちの目に見える大きな実績にもなるのだろう。それでもまだまだ『駅が足りない』ことは、この国の物理的な広さと人口分布の広がりを象徴しているといえる。
いつだか何かのメディアで、ビハール州やU.P.州などの田舎に『Halt』と呼ばれる臨時停車スポットが非合法に乱立されていることを書いた記事を目にした記憶がある。それらの多くが『正規のもの』に似せた名前であったり、地域で広く知られた聖者の名前を被せたものであったりすることが多いとのことだ。中でも圧巻は現在の鉄道大臣であり、ビハール州首相でもあったことがあるラールー・プラサード・ヤーダヴの妻の名前(彼女自身も前ビハール州首相)を付けた『Rabri Halt』まで出現したのだそうだ。これらの不法Haltは逐次鉄道当局により撤去されているとのこと。
しかしこれらを必要としているのは、レールは敷かれていても列車が停まる肝心の駅がない地域の人々。『駅が欲しい』という願いはあれども、政治的な後ろ盾がなければそうした声はなかなか届かないのだろう。
そんな中、自分たちで駅を建ててしまった村人たちがいるという話には驚いた。デリー・ジャイプル間にあるシェカーワーティー地方のジュンジュヌ地区にある四つの村で人々が協力しあって80万ルピーの資金を捻出し、レンガを積み上げてプラットフォーム、ベンチ、水道、チケット売り場から成る小さな駅を建ててしまったのだというから驚きだ。バルワントプラー・チェーラースィー駅は開業から1年半経過し、毎日4本の列車が停車しているという。資金集めや建設作業といった労苦もさることながら、天下の国鉄にこれを正規の停車駅として当局に認めさせた行動力と手腕もたいしたものだ。インド農村版『プロジェクトX』といったところだろうか。特に用事があるわけではないのだが、機会があればぜひこの駅に降り立ってみたい。建設にかかわった村人たちに尋ねてみれば、実に興味深い話をうかがうことができそうだ。
राजस्थान में रेलवे का एक ‘जनता स्टेशन’ (BBC Hindi) -
ミャンマーのインドな国鉄
ヤンゴン駅発バゴー行きの7UPという急行列車に乗りこんだ。ここを出て2時間あまりで到着する最初の駅がバゴーである。モン族の王朝の古都で英領時代にペグーと呼ばれていた。
アッパークラスの車両では通路左側に一列、右側に二列の大型な座席が並んでいる。リクライニングもついていてなかなか快適だ。この列車はバゴーを出てからさらに北上を続け、マンダレイなどにも10数時間かけて走るのだが、そんな長距離でもこれならば寝台でなくとも充分耐えられそうだ。これで空調が付いていると更に良いのだが。


ちょっと見まわしてみて、車両の造りがずいぶんインドのそれに似ているなあと思った。まず気がついたのは前席背面に付いている折り畳みテーブルである。ここに『SUTLEJ』の文字が入っているので、ひょっとしてこの車両はインド製ではないのだろうか。そう気がつくと、天井の扇風機、壁のプレートの合わせ目の細いアルミ板のシーリング、戸の引き手や窓の造 り、つまり外側の鎧戸、内側のガラス戸、そして座席番号を示すプレート等々、どこに目をやってもインド風である。
果たしてトイレに行こうと出入口のほうに行ってみると、トイレのドアを開けるとそこにあったのはまさしくインドの車内風景であった。そして手を洗おうと差し出すとそこには見慣れた蛇口と金属の洗面台。シンクの縁にはインド国鉄のマークまで入っていて、ちょっとビックリ。上に目をやると、そこには『Railcoach Factory, Kapurthala』というプレートがあった。これは紛れもないインド製車両であった。 -
デリー発ラーホール行き列車でテロ
デリーからパーキスターンのラーホールに向うサムジョーター・エクスプレスは現在往復週二便運行されているが、日曜日にデリーを出発したこの列車が深夜前後にパーニーパト付近を通過中に二度爆発し炎上。乗客の7割以上がパーキスターン国籍の人々であったとされるが、現在までこの列車に乗り合わせていた人々のうち66名の死亡が確認されている。
タイミングからして、明らかにパーキスターン外相が今月20〜23日の予定でインドを訪れる直前を狙って印パの対話を妨害しようという、両国間の関係改善の流れに揺さぶりをかけようという試みなのだろう。犯行グループが所属すると思われる組織名がふたつばかり挙がっているものの、まだどちらからもテロ実行に関する声明は出ていない。いかなる主義・主張があろうとも、こうして人々を巻き添えにする暴力が正当化されることはないし、一般市民の共感を得ることはあり得ない。
それでも両国の人々にとって相手国への不信感を生じさせ、今後政府間の対話に大きな差し障りを生むことは確かだろう。まさにそれこそが犯人とその背景にあるものの目的であり、現在の両国の対話ムードに冷水を浴びせることができれば大成功といったところであろう。それにしても印パ分離以来すでに60年経とうかというこの時代になってもその悲劇を逆手にとってこうした事件が起きるのは実に悲しいことである。
どの国にあっても、私たち普通の市民にとって一番大切なことは世の中が平和であること、日々の暮らしが安全であることなのだ。血を流すような抗争、身内や自分自身が命を落とすかもしれないような争いなど誰が欲するものだろうか。不幸にもこの事件で犠牲になられた方々の御冥福をお祈りするとともに、無辜の市民を犠牲にする暴力に対して大きな怒りを表明いたしたい。
Samjhauta Express blasts (The Times of India) -
暇中楽あり

世界有数の鉄道大国インドでやたらと長距離を走る列車は珍しくない。デリーを夜10時半に出て終点プーリーに翌々日の早朝5時半に着くプルショッタム・エクスプレス、デリーを午後9時前に出て三晩過ごした後に早朝4時にアッサムのディブルーガルに到着するブラフマプトラ・メールのように足かけ4日かかるものなど、さすが大きな国土にワイドな鉄路のネットワークを広げている国だけある。
ヒマな車内で、膝元に広げた活字に目を落としていれば車内の振動で目が疲れて眠くなり、車窓を眺めていても似たような風景が延々と続いているので飽きてしまうものだ。それでも移動する距離が長ければ長いほど、ふと気がつくと周囲の風景が一変していたり、途中から乗り込んでくる人々が手にする新聞の文字、彼らの話すコトバが違ってくること、駅のホームで売られるスナック類が違うものになっていたりすることなどに、この国の大きさを感じたりするものだ。陸路の長旅は退屈だけれども楽しい。
その中でも最も長い距離を行く汽車といえばヒムサーガル・エクスプレス。ジャンムー・ターウィーからカニヤクマリまでの3751キロを73時間半かけて走る。月曜日の深夜近くに出発して木曜日の深夜過ぎつまり金曜日に日付が変わってから到着するため足かけ5日かかることになる。逆方向のカニヤクマリからジャンムー・ターウィーへは金曜日午後2時過ぎに出発して月曜日の午後2時前に着く4日間の汽車旅である。
距離はもちろんのこと、J&K、パンジャーブ、ハリヤナー、デリー、ウッタル・プラデーシュ、マディヤ・プラデーシュ、アーンドラ・プラデーシュ、タミル・ナードゥ、ケーララと九つの州をまたいで亜大陸を縦断する。これほど沿線の景色、気候、人々や風物が大きく様変わりする列車は世界でもあまり例がないはずだ。北インドの酷寒期に空調無しのクラスで起点から終点まで利用するには、冬物から夏物までの衣類を持参する必要がある。
今では時間がもったいないので長距離の移動には飛行機を利用する。そのためこんな長い距離の汽車に乗る機会はなくなった。でも入れかわり立ちかわり乗り込んでくる他の乗客たちとおしゃべりしたり、大きな駅に停車するたびに繰り返される喧騒や物売りの様子を傍観していたりしながら、有り余る暇を無為に過ごす余裕(?)が欲しいものだと時に思う。
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メトロが変えるか? 街の風景

先日、ムンバイー・メトロのことについてアップした後、インディア・トゥデイ(10月4日号)に各地で広がるメトロ建設計画について書かれた記事が掲載されていることに気がついた。
それによると、アーメダーバードとコーチン以外にも、バンガロール、ハイデラーバードでもこうしたプランがあり、コルカタでも市街東部にネットワークを広げることが構想されているとある。都市部の過密化が進む中で、交通渋滞の減少およびスピード化というふたつの相反する効果が期待できるうえに、公害と交通と減らすことにも貢献するため、まさに時代の要請にマッチするといったところらしい。
個人的には既存のバス等の交通機関に較べて安全性と質も格段に高く、公共交通機関というもののありかたについて大きな指標となりえることからその存在意義は極めて大きいと考えている。ちょっと想像してみるといい。インドでクルマもバイクといった自前の足を持たず、でも運良く自宅も職場もそれぞれメトロの駅近くにあったとすれば、毎日それで通勤できたならどんなに楽なことだろう。たとえすし詰めの満員だって他の交通機関よりもずっと安心だ。
メトロのネットワークが広がるにつれて、また他の交通機関と競合する部分が多くなるに従い、既存の交通機関のクオリティの向上もある程度期待できるだろう。またコルカタで検討されているように利用者たちの利便を図るため、市民の足として相互補完するためバスとメトロの走行ルートや停留所などの調和や共通チケットやパスといった構想もやがて当たり前のものとなるのかもしれない。
渋滞、長い信号待ち、事故などによる遅れなどもあり、時間的にあまりアテにならない都会の路上交通よりもずっと正確に動くメトロは、ときに細い道を通ったり複雑なルートを取ったりするバスにくらべて、同じ時間かけて進む距離も長い。そのため人々の通勤圏も広がり都市圏をかつては思いもよらなかった遠い郊外へと拡大できる。
人々はそこにマイホーム取得の可能性を感じ、需要をアテこんだデベロッパーが開発を進める。それまで二束三文にしかならなかったような土地の資産価値がグンと上がり・・・といったお決まりのパターンとともに、周辺の小さなタウンシップを呑み込む形で市街地が拡大していくことになる。こうした動向の副産物として、いつしか都心部(デリーに限らず)の旧市街などからより条件の良い地域に流出する人々や店などが出てくるといった、いわゆるドーナツ化現象が起きることもあるのだろうか。
それはともかくこうした動きの中で、インドの街にありがちな極端な過密さも多少緩和される・・・といいのだが。
ただしメトロ建設の問題は、インドのような途上国にとって実に高い買い物であることだ。先述のインディア・トウデイの記事中には、世界中のメトロで経営的に成功しているのは香港と東京くらいと書かれているのだが、果たして本当だろうか。
でも極端な話、車両と人員と運行ルートさえ確定すればすぐにでも開始できるバスのサービス(しかも前者ふたつは往々にして民間業者による請負が多い)に比較して、メトロというものは都市交通機関としては初期投資も維持費もケタ違いに高いことを思えば、あながちウソではないのかもしれない。
こうした夢が描けるのは、もともとのスタート地点が低いため発展の成果が視覚的に認知しやすいこと、地域的にはいろんな問題を抱えつつもマクロな視点から眺めた経済が好調続きであることに尽きるだろう。しかし総人口の6割以上を20代以下の若年層が占めるこの国で、多くの人々が『今日よりも良い明日』を期待できるのは実に喜ばしいことではないだろうか。
