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カテゴリー: news & media

  • ラダックの願い

    ラダックの願い

    社会/環境活動家、教育者として有名なラダックのソーナム・ワンチュク氏。彼がモーディー首相が国民に語るプログラム「MANN KI BAAT」にかけて、ソーナム・ワンチュク氏自身がモーディー首相に語りかける「MANN KI BAAT FROM REMOTE LADAKH」を公開したのは今から3年前のこと。

    2019年10月に突然、ラダック地域を含むJ&K州がUT(Union Territory=連邦直轄地)化されるとともに、カシミール地域から分割された。ラダックにおいては長年の悲願であったカシミールとの分離は好評であったものの、その後の行方は大いに不透明なものがあった。州としての自治、その中でのラダック自治山岳開発評議会としての自治権で保護されてきたラダックのステイタスは、中央政府による直轄統治によりどのようになっていくのかはまったく示されていなかったためだ。

    この部分についての不安の声は分離当初からあったのだが、こうした思いを代弁する形で分離から3カ月後に発表したのが、前述のワンチュク氏による「MANN KI BAAT FROM REMOTE LADAKH」であった。

    モーディー首相への支持の表明、カシミールからの分離についての感謝の意を示すとともに、ラダック地域の人々はインド平地に出ると差別的な扱いを受けることが少なくないながら熱烈な愛国者であることなどを語るとともに、ラダックが部族地域であり保護されるべき対象地域であることを説いている。

    また環境的にも繊細な地域あること、文化的にも大きな岐路にあることを挙げた上で、ラダックの保護のために新たな法律の制定を求めているわけではなく、インド国憲法付則第6の対象地域にラダックも含めてくれるようにと求めているだけなのだと訴えている。そして「インド政府は私たちに翼を与えてくれた。私たちに飛翔する自由を与えて欲しい」と詩を引用してその想いを説くワンチュク氏。

    ラダックが現在置かれている状況について、「人々のインドへの愛情が失われる前に・・・」「(インドからの)分離要求が持ち上がる前に・・・」という思いは、果たしてモーディー首相に、そして中央政府にしっかりと届いているのか、それともこのまま黙殺してしまうつもりなのか、と気になっているところだ。

    「インド憲法付則第6」にいても少々説明しておこう。

    インド憲法における12の付則(Schedule)の中にある付則第6とは、以下のリンク先のある内容である。

    Sixth Schedule(BYJU’S EXAM PREP)

    この対象地域にラダックも含めてもらいたいというのが、ソーナム・ワンチュク氏を始めとするラダックのおおかたの人々の願いである。インドの他の地域と同じように人々の移住や投資が自由なものとなり、地域外から大勢の「インド人たち」が押し寄せてくるようになると、たちまち土地は彼らに買い上げられてしまい、長年ここで暮らしてきたラダック人たちがインド人の大海の中のマイノリティーになってしまう。また大規模な投資を背景に大きな産業が興ったり、資源開発など乗り出すことになってしまうと、自然環境も大きくバランスを崩し、これまで大切に育まれてきたラダックの大自然の上に成り立ってきたラダックの人々の生活も成り立たなくなってしまうであろうからだ。

    What’s driving the protests against the Centre in Ladakh? (Scroll.in)

  • 地名変更と国名変更

    来年5月に総選挙を迎えるインドでは、BJPが再び地名変更の動きを見せている。UP州のLUCKNOW(ラクナウ)をLAKHANPUR(ラカンプル)またはLAKSHMANPUR(ラクシュマンプル)にという案が浮上。いずれにしても取って付けたような名称ではなく、それなりにきちんとその土地に由緒あるものであるとはいえ、長らく「LUCKNOW」として知られてきた州都、旧アワド王国の都の名前をそのような形に変更してしまうというのは、ヒンドゥー至上主義右派によるイスラーム文化やイスラーム支配の歴史のあからさまな否定でもある。

    Rename Lucknow as Lakshmanpur or Lakhanpur’: BJP MP urges Amit Shah(INDIA TV)

    独立以来、インド各地で地名等の変更が行われてきたが、その目的は主に以下のようなものであった。

    1. 植民地時代式の綴りを現地の発音に即したものに改める。 (CAWNPORE→KANPUR、JEYPORE→JAIPUR、JUBBULPORE→JABALPUR等)2.
    2. 英語名称を現地語名称に揃える。  (BOMBAY→MUMBAI、CALCUTTA→KOLKATA、MADRAS→CHENNAI等)

    同様に、各地のストリート名などが、植民地時代の行政官等に因んだ名前からインドの偉人や独立の志士などの名前に変更されている。インドに限らず植民地支配から脱した国々の多くでこのような名称変更は実施されていることはご存知のとおり。

    しかしBJPが政権を握るようになってからは、それ以前は見られなかった新たな形での名称変更が続いている。

    3.ムスリムの支配や影響を色濃く残す地名を「ヒンドゥー化」する。(ALLAHABAD→PRAYAGRAJ、OSMANABAD→DARASHIV、HOSHANGABAD→NARMADAPURAM等)

    この③のタイプの改名については、コミュナルな背景の意思が働いているため①及び②とは異なり、注意が必要となる。

    先述のとおり、2024年5月に総選挙が実施されることに先立ち、今後もこのような地名変更の提案が続くものと予想される。州都ラクナウのような伝統ある地名が③の形で改名されてしまうようなことが本当に起きるとは信じ難いものがあるが、グジャラートのAHMEDABAD(アーメダバード)についても、KARNAWATI(カルナワティ)に変更しようという動きもある。ひょっとすると首都DELHI(デリー)についても、INDRAPRASTHA(インドラプラスタ)に改称される未来が来るのではないかと冗談半分に言われているが、数年後にそういう日がやってきたとしても、あまり驚くに値しないのかもしれない。

    頻繁に地名変更を提案したり、それを実施したりしているBJP政権だが、報道を注意深く見ていると、そのような方向に本格的に動き出したことが大きく報じられる前に、国会議員なり地方議会議員なりの「個人的な意見」という形で、しばしば観測気球のようなものが上がっていることに気が付く。

    以下の記事は昨年末の報道だが、BJPの議員により「インドの国名を改めよう」という意見。

    BJP MP who wants to rename India: ‘PM Modi trying to restore nation’s pride … I thought my question in Parliament will expedite his work’ (The Indian EXPRESS)

    「INDIA」を「BHARAT(バーラト=ヒンドゥーの地)」あるいは「BHARATVARSH(バーラトワルシュ=バーラトの大地)」に変更しよういうものだ。

    これについては、例えば英語で「JAPAN」と呼ばれてきたのを「NIHON」あるいは「NIPPON」に変えようというようなもの。外からの呼称を内での呼び方に揃えようというもの違和感は薄い。(インド国外でBHARATという名称をご存知ない方も少なくないかと思うので、もしかすると耳慣れない奇妙な呼称に感じるかもしれないが・・・。)

    いっぽうでインド、INDIAの別称として「HINDUSTAN(ヒンドゥスターン)」もある。企業名でも「HINDUSTAN MOTORS」「HINDUSTAN PETROLEUM」等々、「HINDUSTAN」を冠したものは多く、日常会話でも自国のことを「ヒンドゥスターン」と普通に呼ぶので、なぜ「HINDUSTAN」にしないのか?と思う方もあるかもしれないが、BJPのようなサフラン右翼(サフラン色はヒンドゥーの神聖な色)にとって、やはり「BHARAT」あるいは「BHARATVARSH」こそが、あるべき母国の名称ということになる。

    なぜならば「HINDUSTAN」という名前は、元々はペルシャ(及びペルシャ語圏)の人々から見たインドに対する呼称であって、インドの人々が自国をそう呼ぶようになったのは、ペルシャ語圏から入ってきたその名称が定着したからに他ならないからということが背景にある。

  • バゲーシュワルのバーバー

    このところニュース(インドの)を点けると必ず出てくる「話題の人」となっているディーレーンドラ・クリシュナ・シャストリー。

    MP州のバゲーシュワル・ダームのバーバーとして知られており、メディアからは「迷信を広めている」と非難されているわけだが、彼のアーシュラムで信者たちがトランス状態になっている様子、彼が信者たちに対して行うダルシャンで、相手の詳細を知らずとも何で悩んでいるのかお見通しで、的確なアドバイスを与えるとされている。

    まだ26歳だか27歳で寺の主となり、背景がよくわからないことが多い不思議な「バーバー」だが、話や人のあしらいは上手いし、頭は良さそうだ。(そうでないとこんな立場にないし、メディアから「インチキバーバーだ」と騒ぎ立てられることもないだろう。)

    カレッジをドロップアウトしたとは何かで聞いたが、この記事には「貧しい育ち゛数年前までリクシャー引きだった」ともある。

    シャストリー姓は本当のようだからブラーフマン。ブラーフマンでリクシャー引きというのは別に珍しい話ではないが、リクシャーを引いていた若者が数年後に宗教者となり、政治家の庇護も得ており、怪しげな奇跡やトランスなどを使って大衆の注目を引き、マスコミから非難されるほどの存在に成りあがるとは、なんだかすごいサクセスストーリーのようにも思える。インドは実力社会だ。知恵(ときに悪知恵)と機転(ときに狡猾さ)でどんどんのし上がる者は各方面にいる。

    善し悪しはさておき、エンターテインメント性の高いバーバーであるため、インド野次馬としては引き続き注目していきたい。まだまだ若いので、ある意味今後がますます楽しみでもある。

    Why is godman Dhirendra Shastri of Bageshwar Dham trending? (dailyo.in)

  • 共和国記念日の閉門式

    共和国記念日の閉門式

    常時行われているアッターリー・ワガー国境の閉門式だが、昨日1月26日は共和国記念日のためもあり、ひときわ盛況だったらしい。

    両国ともとりわけ見栄えのする精悍屈強な風貌と体格の衛兵たちを取り揃えている。間近で彼らを見たことがあるが、普段滅多にみかけない190cmから200cm級と思われる大男ばかり。

    昨日この中継録画を国営放送ドゥールダルシャンのニュース番組で観たが、最近は女性もいることにさらに驚いた。男性たちよりやや小柄だがそれでも180cm超かと思われる。整った風貌と長い手足でアスリート的な体型をした女性衛兵たち。このあたりになると、市中では目にすることは皆無なので、どうやってリクルートしているのか?とも思う。

    便宜上「衛兵」と書いたが、彼らは軍人ではなくBSF(国境警備隊)のスタッフであり、広義の警察組織の一部。

    閉門式では両国ともスタンドに「応援団」みたいなのがいてシュプレヒコールを叫ぶ。両国ともに衛兵たちが相互に調和の取れた動きを展開して、最後に門を閉める際に最前線の両国衛兵が短い握手を交わして終わる。

    Watch Beating Retreat Ceremony: Attari-Wagah Border | Republic Day 2023 (Republic World)

  • 勝利の女神が降臨 W杯決勝戦

    ワールドカップの決勝戦、試合そのものの話ではないのだが、あのシーンを目にして「誰だ?あの神々しいまでの美女は?」「美し過ぎる、この世のものとは思えん!」と思った方はさぞ多かったはず。

    トロフィーを披露する役回りで、映画女優のディーピカー・パードゥコーンが出ていたのだ。美貌と見事な8頭身は言うまでもないが、背丈が175cmくらいあるので、このような場で大変見栄えがする。

    どういう経緯でここに出ていたのか知らないのだが、本大会に出場していないインドが決勝戦でこのような存在感を示したことに、侮れないものを感じた。

    昨夜の決勝戦の場に姿を現したディーピカーという名の「勝利の女神」は、120分に及ぶ両者の激しい戦いを目にして迷いつつも、最後の最後で青と水色のユニフォームの側に微笑んだ。

    だからアルゼンチンはPK戦を制することができたのだ。そして私たちはいつもなんとなく口にしていた「勝利の女神」は、実はインドからやってくることを知るに及んだ次第。

    開催地、開催時期、全日晴天、サウジアラビアの大金星、日本の躍進、モロッコの大躍進等々、異例なことが多かった今大会は、やはり歴史的な大会であったことが、最後の舞台で大きく印象付けられた。

    FIFA World Cup: Deepika Padukone unveils trophy in final – WATCH (THE BRIDGE)

  • ドーハの歓喜

    ワールドカップのグループリーグE組の日本vsドイツの一戦、誰もが予想していなかった日本による後半の電光石火の2得点による逆転勝ち。大会の優勝候補筆頭格を相手に、日本におけるサッカー史上最大の金字塔を打ち立てることとなった。

    ワールドカップに出場していない国でもワールドカップへの注目度は高く、南アジアでもとりわけバングラデシュ、そしてインドの東北部、西ベンガル州、カルナータカ州、ゴア州、ケーララ州など、サッカー人気の高い地域では熱も上がるが、このたびの日本のドイツが相手の勝利については、その前日にサウジアラビアがやはり大変有力な優勝候補の一角であるアルゼンチンに対して逆転勝ちを演じたのと同様に、驚きを持って報道されている。

    Germany vs Japan Highlights: A World Cup of upsets – Japan stun Germany 2-1 with late strikes (THE TIMES OF INDIA)

    World Cup: Japan bank on ‘insider’ knowledge (The Telegraph)

    FIFA World Cup Germany vs Japan: फीफा वर्ल्ड कप का दूसरा उलटफेर, जापान ने 4 बार की‌ चैम्पियन जर्मनी को हराया (AAJTAK)

    思えば今から29年前、1994年10月にこのドーハでアメリカワールドカップ・アジア地区最終予選の最終節、対イラク戦で2-1とリードして迎えた後半のロスタイム、コーナーキックからの得点で2-2に追いつかれて引き分けたことにより、勝点でイーブンであった韓国に得失点差で下回ったことからグループ3位となり、ワールドカップ本大会行きを逃すという惨劇が起きた。

    まさにそのピッチ上で中盤選手としてプレーしていたのが現在日本代表を指揮する森保一監督。「悲劇」から30年近い年月を経て、このドーハの地で「歓喜」を演出したことに、因縁めいたものを感じる。

    世界のトップクラスの代表を下すという歴史的な出来事となったが、目標へ到達するための通過点のひとつ。日本代表の次の試合は11月27日のコスタリカ戦、そして12月2日には、今大会の最強チームではないかと思われるスペイン代表とのゲームが控えている。グループリーグE組2位の位置を確保して、決勝トーナメントへ進出し、悲願のベスト8を達成できるよう期待したい。

  • グジャラート州議会選とAIMIMの今後

    グジャラート州議会選が面白いことになっている。ムスリム政党AIMIMはハイデラーバードを本拠地とする地方政党ながらも、発言力と強い指導力を持つ党首のアードゥッディーン・オウェースィーのもとで、このところ全国政党化しつつあるのだが、州のムスリム人口11%以上のグジャラート州議会選にて、議席数182のところ30議席で候補者を出馬させる。

    これまで27年間、ずっとBJP政権が続いてきた同州、モーディー首相の故郷でもあるわけだが、今回も圧勝の観測のある中、反BJP勢力として初めてこの州で覇権を狙う庶民党がどこまで票を伸ばせるのか、そして退潮の会議派はどこまで持ちこたえることができるのかが焦点であるわけだが、両者の支持層をいずれも削り取る形でAIMIMが入ってきた。

    AIMAIMが、俗に「BJPのBチーム」と揶揄されるのは、こうした選挙戦にAIMIMが割って入ることにより、反BJP票の一定部分を同党が刈り取ってしまうため、結果としてBJPに利することになるからだ。つまりAIMIMは反BJP陣営ながらも、BJPから見ると「敵の敵は味方」的な結果を生んでいる。今回もそういうことになるかもしれない。

    あともうひとつ面白い点としては、インドでこれまでムスリム自身が存在感のある政党を持たず(ムスリム政党がなかったわけではない)、ムスリムの支持する政党は国民会議派あるいは左派政党であった中、ようやく有力なムスリムによるムスリムの政党が台頭してきたことだ。

    ムスリムの政党と言ってもAIMIMは宗教政党ではない。ムスリムの宗教団体が母体ではなく、世俗のムスリムの人たちによる政党だ。党首のアサードゥッディーン・オウェースィーは法曹家という点も昔ながらの保守政党らしいところだ。

    職業柄、たいへん弁の立つ人で、この人の演説もなかなか楽しい。知的で含蓄のある受け答えからメディアウケもなかなかで、報道番組への出演も少なくないが、複数の政治家、識者、ジャーナリスト等が出演する討論会でのやりとりはあまりうまくないようで、案外打たれ弱い面を垣間見ることもあるが、この人と彼の政党AIMIMが今後さらに勢力を拡大していき、国政の場でも一定の影響力を持つようになることは間違いないだろう。

    Does AIMIM stand a chance in Gujarat? (DECCAN HERALD)

  • 新しいダリット政治家の時代

    昨日、国民会議派にダリットの政治家マッリカールジュン・カルゲーが選出された。

    7月に行われた大統領選ではBJP推薦のダリットのドロウパディー・ムルムーが勝利を収めて就任したように、インド政界では国民の統合と斬新かつ公正な政治の象徴としてダリットが登用される例が増えているようだ。

    もちろんそれらは投票(国民会議派総裁は党員による投票、インド大統領は国会議員及び地方議会議員による投票)を得て決まるものであるだけに、それらを支える広範囲な支持が必要であることは言うまでもない。

    これまでもダリット出身の政治家はいた。独立直後の初代法務大臣、アンベードカル博士がそうであったように。だが、当時は彼のような優れた法曹家がたまたまダリットでもあったというような具合で、風当たりも強かったため、彼は仏教徒に改宗。以降、ダリットの人々の間では同様に仏教徒に改宗する人々が増えるなど社会の分断の象徴でもあった。ゆえに現在のそれとは大きく異なる。

    また90年代以降はUP州でダリットを主な支持基盤とする大衆社会党が躍進し、政権を担うこともあった。女性党首でやはりダリットのマヤワティーのカリスマ的な指導力と人気もあったが、やはり社会から広範囲な支持を得ることはなく、その後は同じく後進階級ではあっても支持層が異なる(ヤーダヴを中心とするOBCsその他後進諸階級)の社会党との争いが続き、やがては同州にもこれらふたつの後進階級の支持を集める政党による支配をよしとしない人々によるBJPへの人気が高まり、現在はBJP政権下にあるなど、やはり社会全体から支持を集めるものではなく、既存の政治に対するアンチテーゼとしてのダリット指導者であり、ダリット政党でもあった。

    実際、その大衆社会党政権下にあった当時のUP州では、あたかも一種の「文化大革命」でも起きたかのような混乱であったと聞く。州政府幹部の首が多くすげ替えられ、ダリット層の人々が何か事件の犠牲になると現地にすぐマヤワティーを始めとする政権幹部が急行し、現地警察を糾弾。警察幹部ですらいとも簡単に左遷あるいはクビになるなど、戦々恐々とした感じであったのだとか。またその他のUP政府の各組織内人事にも政権等はさかんに介入するなど、なかなか大変なことになっていたらしい。

    そんなわけで、「台頭するダリット指導者」の多くは、既存政治に対する「抵抗勢力」であり、既存の体制の中でマジョリティーの中の一員として活躍するというケースはあまり例がなかった。

    インドにおける「マジョリティー」内に深く浸透したBJPは、近年においては少数民族、辺境など遠隔地、そしてダリットを含めて、以前は浸透の度合いが非常に薄かった部分での支持拡大に努めており、その一環としてダリットの大統領を候補に立てたわけだが、党中央の意向どおりにその他広範な層がダリットへ候補への圧倒的な支持を集めるほど、「機は熟していた」とも言える。

    国民会議派総裁選における候補者としてのマッリカールジュン・カルゲー選出(かなり直前になってからガーンディー家から直々の出馬要請があった。しかしその段になってインドメディアで「マッリカールジュン・カルゲーって誰?」という記事が出回るなど、彼自身の支持基盤外ではほとんど無名の人物であったと言える。

    そんな彼が当選した背景には、他の出馬者で野心溢れる海千山千の強者ボスたちにとって、彼らの中の誰かが当選することにより、自分の立場が弱体化するとか、党内パワーバランスが崩れることを危惧しての手打ちがあったのかもしれないし、有力候補でありながらも敗北したシャシー・タルールが選挙の公正さに疑問を呈すなど、何かガーンディー家の意を受けての操作があった可能性も否定できない。

    そんなバックグラウンドがありつつも、ダリットが出馬したこと、ダリットが当選したことに対するネガティヴな動きなどもなく、ダリット政治家がマジョリティーの中で当然のこととして活躍する土壌がとっくに出来上がっていることが見て取れるなど、ダリット政治家にとっての新しい時代が到来したと言える。

    もちろんこうしたダリット政治家に期待される役割としては、出身コミュニティーや地域に拘泥しないニュートラルな指導者としての立場であり、ある意味、米国や英国で台頭し、首相や大統領といったポストすら射程距離に入っているインド系政治家たちが、労働運動や民族的蔑視を糾弾するような政党、組織から出るのではなく、保守系政党の一員として活躍しているのと似ている部分がある。

    Meet Mallikarjun Kharge, The Dalit Leader Who Became Congress President In Historic Win (Outlook)

  • インドは政治も面白い

    インドには風刺漫画家として全国的な人気を博したR.K.ラクシュマンのような例もあるし、有力な政治家として台頭して右翼政党(シヴセーナー)を立ち上げた人物(バール・タークレー)もあった。

    とにかくマンガによる政治風刺が盛んな風土がある。ニュース番組でも「アージタク」の報道の合間に挿入される風刺アニメ「So sorry」を始めとする秀逸かつときに大変強烈な批判を含んだものが評判になる。

    こちらは現在進行中の「バーラト・ジョーロー・ヤートラー(インドを結ぼう、繋ごうキャンペーン。カニャクマリーからカシミールまで、会議派の指導者や活動家たちが交代しながら団結を呼びかけて徒歩行進していく)」への風刺アニメ。報道機関からではなくBJPから出たものだが、有力政治家の離脱やラージャスターン州その他会議派が与党の地方政府内のお家騒動なども含めて、とてもよく出来ている。

    つまり「党内をまとめることすらできない会議派に国がまとめられるはずがないだろう」というものだ。

    インド政治についてある程度把握をしていないとなかなかわからないかもしれないが、このように厳しい言葉だけではなく、ユーモアで市民へ呼びかける政治活動もある。

    インドは政治も面白い。

    Congress Jodo Yatra Animation

  • 電話の「もしもし」、そして挨拶も「ハロー」でなく「ヴァンデー・マータラム」に

    電話の「もしもし」、そして挨拶も「ハロー」でなく「ヴァンデー・マータラム」に

    マハーラーシュトラ州政府は、同政府や関連団体で働く職員たちに「電話に出るときはハローではなく、ヴァンデー・マータラムと言う」、そして人と会うときも「Helloではなく、やはりヴァンデー・マータラムと言う」というお達しを出したのだとか。

    ヴァンデー・マータラムというのは、「母なるインドに帰依します」とか、「母なるインド万歳」というような意味だが、やはり宗教性のあるフレーズなので、ムスリムやクリスマスチャンには相当抵抗感があるはず。

    ヴァンデー・マータラムは、インドのNational Songでもある。インド国歌は「ジャナガナマナ」ではないか、と言う人もいるかと思うが、たしかにNational Anthemは間違いなく「ジャナガナマナ」なのだが、このNational Songは言ってみれば「国民歌」。19世紀後半にベンガルの高名な詩人が創った詩にタゴールが旋律をつけて、ヴァンデー・マータラムという曲が出来上がった。

     

    それほど愛着のある歌とはいえ、「もしもし」や「こんにちは」がヴァンデー・マータラムというのは異常だ。シヴセーナー + BJPの連立デュアル右翼政権のマハーラーシュトラ州。

    Not hello, say Vande Mataram on calls: Maharashtra govt directive to officials (THE INDIAN EXPRESS)

  • BHARAT JODO YATRA (インドを繋ごう!行脚)

    BHARAT JODO YATRA (インドを繋ごう!行脚)

    インドの政治のデモンストレーションには、単なる往来でのデモンストレーション以外にダルナー(座り込み)、ハルタール(ゼネスト)、ブーク・ハルタール(ハンガーストライキ)等々の手法があるが、最も準備と覚悟が必要なものは「ヤートラー(行脚、行進、旅)」だろう。

    本来、ヤートラーは「アマルナート・ヤートラー」「チャールダーム・ヤートラー」等のように聖地を巡礼したり歴訪したりする宗教行為だが、政治におけるヤートラーは各地を歴訪して支持を訴えながら、そして賛同する人たちを巻き込みながら進んでいく政治行脚となる。これは聖地巡礼と同様、基本的に「パド・ヤートラー(Pad Yatra)」となり、長期間に渡る徒歩での移動となるため、これを実施する場合には周到な準備と断固たる覚悟が必要だ。

    斜陽の国民会議派がこのたび「バーラト・ジョーロー・ヤートラー (Bharat Jodo Yatra)=インドを繋ごう行脚」、をスタートさせた。明らかに植民地時代にマハートマー・ガーンディーが率いた「バーラト・チョーロー・アンドーラン(Quit India Movement)」を意識したものだ。後者は英国に対してインドを放棄するように求める行脚であったのに対して、今回のものは、「インドに憎しみと分裂をもたらす政治(BJPによる)に反対して、インドのコミュニテイーや地域をしっかり繋いでいこう」というもの。ヤートラー(行脚)を主導するのはラーフル・ガーンディー。全行程てこれを率いるとみられており、彼とその側近がこのヤートラー(行脚)の核となり、総勢120人から150人程度とみられる。

    すでにカニャークマリーをスタートしているが、これから12の州を通って終点はカシミールのシュリーナガルまで。150日間つまり約5カ月かけて、タミルナードゥのトリバン、コーチ、ニーランブル、カルナータカのマイソール、ベーラッリー、ラーイチュル、テーランガーナーのヴィクラーバード、マハーラーシュトラのナーンデール、ジャルガーオン、ラージャスターンのコーター、ダウサー、アルワル、UPのブランドシェヘル、デリー、ハリヤーナーのアンバーラー、バンジャーブのパターンコート、J&Kのジャンムーといったところが主な経由地で、最後はスリーナガルで行脚を終える予定。距離にして3,570kmという壮大なものだ。

    こうしたヤートラーがどんな効果を生むかといえば、インド現代史においては大きな役割を担ってきたといえる。ガーンディーが幾度となく繰り返したヤートラーで、それまで存在しなかったと言える「我らインド人」というナショナリズムを醸成させて独立へと向かう大きなうねりとなっていった。

    大きく時代が下ってからは1990年9月から10月にかけて実施されたラーム・ラト・ヤートラー(ラーマの神輿の行脚)の影響力は凄まじかった。当時は小政党だったBJPが初めて率いた本格的なヤートラー(行脚)だ。このヤートラーは社会に大きな影響を与え、それまで政治的には取るに足らないちっぽけな存在だったサフラン色のヒンドゥー右翼の魅力へ人々の注目が集まるとともに、1992年に起きた「ラーマの生誕地」に建っているとされるバーブリー・マスジッド破壊事件へと雪崩れ込んでいく。

    アーヨーディヤーのラーマ生誕地に「ラーマ寺院を再建させよう」という呼びかけにより、それまでは中道左派の国民会議派とそれに対する左派及びその他民主派による綱引き、つまり左寄りの勢力によるパワーゲームであったインド中央政界に、突然「ヒンドゥー右翼」という大きな極を生み出した。それは爆発的な勢いで拡大していった。あたかも地軸が一気に飛んで、熱帯が北極南極になるような、そうした極地が熱帯になってしまうような、大きな変化を生んだのがこのヤートラーだった。ここから10年も経たない1998年にはBJPを筆頭とするNDA(という政治アライアンス)が誕生し、5年間の任期を全うするまでになった。80年代まで大きな中道左派政党(国民会議派)と左派政党が覇を競いあっていた中央政界が、ごくわずかの期間で極右vs中道左派+左派の対立構造になるという、まるで別の国になってしまったかのような激しい変化を生むきっかけとなったと言える。

    サフラン色のヒンドゥー右翼勢力による「我らヒンドゥーが主役」というスタンスの「右傾化」については、いろいろ評価の分かれるところだが、この「我らが主役」というスタンスは各方面に及んだ。それ以前は社会の様々なセグメントを大きな樹木のような国民会議派、あるいは左派政党、はてまたその他の民主派政党が代弁するという構造から、そうしたコミュニティー自身が「我ら地域の民族政党」「我らカーストの政党」「我ら部族の政党」「我らダリット(不可触民)の政党」etc.が立ち上がり、あるいは既存の政党がそのように衣替えするといった具合に、大きく包括的な政党任せではない独自の政党を持ち、合従連衡する傾向が強くなっていった。

    その結果として、やはり「数こそが力」であるわけで、政界におけるブラーフマンやタークル層のプレゼンスは大きく低下し、数的規模で勝る「OBCs(その他後進諸階級)」に加えて、それまでは数を自分自身たちの中に集結する術を持たなかったダリット、部族が自らの政党を構成して強い力を奮うようになった。州の分割により、たとえばジャールカンドのような部族がマジョリティを占める州になると、州政界では「部族でなければ人ではない」とでも言わんばかりに部族出身者が統治する世界に変貌していくこととなった。

    そんなわけで、サフラン化と表裏の関係にある「我らが主役主義」の機運が高まったことにより、結果としてさらなる民主化と大衆化が進行していったとも言えるとともに、そうした機運を高める大きなきっかけのひとつとなった。BJPだが、インド国外では「昔ながらのヒンドゥーの価値観への復古」と誤解している人たちは少なくないが、実はカーストのヒエラルキーとは無縁のニュートラルな組織だ。現在首相を務めるモーディー氏にしてみたところで、OBCs(その他後進諸階級)の中の「テーリー(油絞りカースト)」という出自なのだから、復古主義とは異なる新たに創出されたポピュリズムに基づく政治であることは明白だろう。伝統的に支配階層がリードしてきた国民会議派とは大きく異なるし、共産党のように大衆運動を標榜しつつも、中核となる政治局員は高学歴で家柄も良い「知識階級が支配してきた共産主義運動」のほうが、よほど「保守的で昔ながらのインド」に見えてしまうのだ。

    ヒンドゥーのみならず仏教、ジャイナ教、スィク教徒等を含めたインド起源の宗教の信徒たち、そしてこれまではインド政治の周縁部に位置して長らく国民会議派の地盤でもあったチベット仏教徒たちのラダック地方、そして中央政界への反発も強かった北東部にも広く浸透を見せるなどの広がりを見せているなど、その懐の深さも特筆すべきだ。その反面でムスリム、クリスチャンといった外来の信仰を持つコミュニテイーへの冷淡さと敵視を問題とする向きも多く、政治の分断を進めているという批判も多い。

    さて、今回のBharat Jodo Yatraだが、インド独立以来最大にして最長のヤートラー(政治行脚)となるものとみられるが、これが同国の政治の流れを力強く変えるきっかけとなるのだろうか。BJP陣営は、このヤートラーについて様々なレベルでこれを非難する声明を出すなど、強く警戒していることは間違いないようだ。

    しかしながら国民会議派党内をしっかりと繋ぐことが出来ずにいるラーフル・ガーンディーに、人望も人気も高くない彼がこの重責を担うことができるのかということについては、この際おいておこう。このようなヤートラーを敢行するからには、相当な覚悟と自信があるはずだ。一行が目指す「近未来の自分たち像」は、「21世紀のマハートマー・ガーンディー」と「現代のジャワーハルラール・ネヘルー&サルダール・パテール」か。

    それにしても、私たちからしてみると、国会議員たち、州大臣や州議会議員たちが政務を放り出して「半年の行脚に出る」なんて・・・と思ったりするのだが。

    近年、というよりもインド独立後、これほどロングランのヤートラーは聞いたことがないので、国会会期中、州議会会期中に彼らはどうするのか、一時的に中断して会議にでるのか、それとも放棄してヤートラーに注力するのか、野次馬的な関心もそそられる。

    国民会議派による特設サイト「Bharat Jodo Yatra(インドを繋ごう行脚)」

    Shri Rahul Gandhi flags off and joins Bharat Jodo Yatra in Kanyakumari.(カニャークマリーからヤートラー開始時の様子)

  • たかが名前、されど名前

    大統領官邸からインド門を結ぶ大きな通り「RAJPATH(統治の道)」。界隈には中央官庁が集まっており、まさにインド統治の中心地。この「PATH」は英語の「PATH(パス)※小道、通路」ではなく、サンスクリット起源の「PATH(パト)※道、道路」なので、のどかな散歩道ではなく、権力者が進む「覇者の大道」のイメージ。

    英領時代は現在の大統領官邸はインド総督の官邸で、この通りは「KINGSWAY(王の道)」と呼ばれていたものが独立後に改称された。そんな経緯のある「RAJPATH(統治の道)」が「KARTAVYA PATH(任務の道)」に改められるとのニュース。

    「王の道」から「統治の道」そして「任務の道」へと変遷。前者ふたつは、お偉いさんがふんぞり返っているような響きがあったが、最新の名前は生真面目なお役人がしっかりとお勤めしているような姿が目に浮かぶ。まさに「物は言いよう」だが、都市名、道路名、施設名の変更が多いインド。

    そこにかかる手間や費用もあるのだろうけど、正式名称が変わったところで通称される名前はそのまんまだったりするので、ややこしいだけのような気もする。

    それはそうと、デリーが神話の「インドラプラスタ」に改名されるのはいつだろうか。サフラン右翼周辺部から、ときどき観測気球でも上げるかのように、「☓☓の☓☓氏が改名を提言」みたいな小さな記事がメディアに掲載されるが、今のところは大物感のある人物からの提起はないようだ。さすがに首都名ともなると、ハードル高く、息長く準備を進めているのか、いないのか。準備していないことを願いたい。まぁ、個人的には名前はいじらずにおいて欲しいのだが。これはインドの政府が決めること。

    話は飛ぶが、サフラン右翼の人たちの認識では、インド最後の王朝ムガル帝国はインド人たちの歴史ではなく、イギリスの前にインドを征服した侵略者たちの歴史。それ以前のイスラーム王朝も同様。「インドの歴史」として私たちが読むものとは、この部分が大きく異なる。つまり彼らにとって、それは「インドで起きた歴史」であっても「自分たちインド人の歴史」ではない。

    そんなわけで、名前を神話時代の「インドラプラスタ」への変更を本気で提起するとき、「デリーを我々インド人の手に取り戻した」というような主張となるのは目に見えている。

    たかが名前とはいえ、やっぱり名前は大事。そんな日が決して来ませんように・・・。

    Rajpath all set to be renamed Kartavya Path (The Indian EXPRESS)