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カテゴリー: nature

  • ロイヤルエンフィールドのチベットツーリング

    新品で購入できるヴィンテージなブリティッシュバイク」のロイヤルエンフィールドによるインドやネパールでのツーリングのツアーは近年多くなっている。

    これには外国人に対してはエキゾチックなロケーションと夢のような古典バイクという取り合わせがアピールすることと思われるし、近年はインドの若者等の間でも手近にあるヴィンテージなバイクに対する関心が高くなっているということ、そして現在も生産中であることから導入やメンテナンスのコストが妥当なものであるということも、こうした企画を容易にしているといえる。

    ネパールからは「さらにエキゾチックな訪問先(?)」としてのチベットへのツーリングも組まれるようになっているが、ここにきてついに「インドで初めて」を謳うチベット行きのツーリングが企画されている。

    10月11日(日)にUP州都ラクナウを出発し、ネパールを経由してチベットを走るというもので行程は半月ほど。どういう人たちが参加するのかはよく判らないが、おそらくスタートとともにインドのメディアが取り上げることだろう。

    こんな企画が可能となることについて、印中間の関係改善ぶりを感じるような気がしないでもないが、今年の春先に中国軍がラダックの一部に侵攻した例もあるなど、今後も紆余曲折が予想される。

    ロイヤルエンフィールドによるチベットへのツアーはともかく、両国間で人々やモノの往来が盛んになることは決して悪いことではないだろう。いつの日か、経済面でお互いに抜き差しならぬ相互依存の関係が築かれたならば、そうそう危険な振る舞いに出るわけにもいかなくなる。安全保障の面でも大変有益であろう。

  • ツォ・モリリへ 4

    ツォ・モリリへ 4

    昨夜は10時くらいに寝てしまったので今朝は朝4時半過ぎに起床。まだ外は暗いが東の空が少し明るくなりつつあるのが見える。薄手のダウンを着て布団二枚をかぶっているのだが、これが厳冬期だったらどれほど寒いのか想像すると恐ろしくなる。

    暖かい時期でこういう風なので、厳冬期の生活たるや、どんな具合なのだろうか。宿は伝統的な日干し煉瓦造りで、寒々としている。水道も蛇口から出ないので、共同バスルームにはバケツが置いてある。バスルームといってもシャワーや水浴びするようにできているわけではなく、ただのトイレである。階下に暮らす宿の主人家族もずっと風呂はおろか洗濯もしていない感じだし、昔のレーの宿はこんな感じのところがあったな、と思い出した。

    起きだして少し日記をしたためていると、すぐに外は明るくなってきた。幸いなことに今日の天気は昨日ほど悪くないようだ。

    昨日の展望台から撮影しようと思い、寺院裏手の階段を上って行き、チョルテンが並んでいるあたりまで行ったのだが、犬が十数匹いて互いに争っているため、ちょっと危険かと思い、寺院の屋上から撮影することにした。

    そういえば昨夜もかなり犬の吠える声があちこちから聞こえていたし、窓の下で犬の吠える声に続いてロバの悲鳴が聞こえた。数匹の野犬たちがロバの脚に咬みついている。野良犬というのはまったくろくなことをしない。

    その可愛そうなロバとは別のもののようだが、ロバが二匹まるで会話でもしながら歩いているかのようにして連れだって進んでいた。しばらくすると同じようにして戻ってきて、まるで人間が散歩しているみたいだ。

    湖の風景をしばらく楽しんでから、宿で出してもらった簡単な朝食を済ませてツォ・モリリを出発する。湖のほとりの眺めの良いところで何か所か停車してもらって景色を堪能した。

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    コルゾクの村を出てすぐのところにあるスムドという集落には、チベット難民の子供たちを支援する組織TCV (Tibetan Children’s Villages)が運営する学校があった。つまりこの界隈に亡命チベット人居住区があるということになるが、このような気候条件の場所に定住するのはなかなか大変なことと思う。もちろんチベットにはもっと条件の悪い地域もあるのかもしれないが。

    TCVが運営する学校

    そこから昨日、ツォ・モリリと勘違いした小さな湖に向かう。ここでも少々ストップして撮影。昨日は真っ青に見えたのだが、今日は灰色。時間帯や日が差し込む角度次第なのだろう。

     

    遊牧民の移動式住居


    かなり進んでいくと遊牧民たちの姿があった。厳しい環境でこうした生活を送るというのは大変だが、中には町に定住する人たちもあるのだろうか。人々はボロボロの恰好で家畜の世話をしている。

    ツォ・カル

    その後、ツォ・カルという塩湖に行く。たくさんの塩が溜まっていて、白い岩のようになっている。少し先に行ったところにあるトゥクジェという集落にあるテントの食堂で昼食。あまり食欲の沸く環境ではないのでマギーにした。だがテント式の食堂の雰囲気はいい。明かり取りの穴が天井中央に開いていて、壁の部分には丸く腰掛けるスペースが配置されており、その上にはチベット風デザインのカーペットが敷いてある。

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    これほど毛足の長い犬は初めて見た。まるで羊かと思う。

    そこから次第に高度を上げて、タグラン・ラという5260mの峠に向かう。ここまで高くなると、クルマで走っているというよりも、飛行機で飛んでいるような気さえしてくる。空気が薄いのかどうかは感じないが、おそらく走ったりするとすぐに息切れしてしまうのだろう。こんな峠で息を切らせながら越えて行くサイクリストもいるのだから恐れ入る。

    タグラン・ラを越えて

    場所によって地質がかなり異なるようで、山肌の色や質感がずいぶん違う。細い筋状に浸食されている岩肌もあれば、ゴツゴツとしたものもある。また砂状の斜面になっているところもある。

    クルマは次第に高度を下げて、やがてミルーの集落を越えたあたりでインダス河沿いに出る。ここまで来ると「低地に来た」という感じがする。飛行機でデリーからレーに入った際には、「高地に来た」と感じたのだが。要は比較の問題である。

    レーの近くまで来た。ラダックで雲が山間に低くたれこめていたり、谷間が雲で覆われていたりするのは初めて見た。まるでモンスーン期のヒマーチャルにいるかのようである。荒々しい景色も雲がかかると優しい感じに見える。気温は普段よりも低くて、潤いのある空気になっている。これはこれで気持ちが良い。

    同じラダック地域といっても景色や風土にずいぶん大きな差異があるし、同じ場所でも天候が違えばまったく異なった印象となる。時間さえ許せば、春夏秋冬、あらゆる季節に訪れて、そのシーズンごとの味わいを楽しんでみたいものだ。

    〈完〉

  • ツォ・モリリへ 3

    ツォ・モリリへ 3

    せっかくのツォ・モリリ到着だが天気には恵まれなかった。

    道を更に進んで村の中心部に入る。ここまで来るといくつかのゲストハウスの看板が目に付く。結局、ゴンパのすぐ隣のゲストハウスに宿泊することにした。ちょうどこの日にダージリンからあるリンポチェがやってくるとのことで、出迎える人たちが集まっていた。この村の人々以外に、周囲の地域で遊牧をしている人たちも大勢来ているとのことで、ボロボロの恰好をした人たちも少なくない。外地から高僧がはるばる訪問するという特別なハレの日ということもあり、ラダックの伝統的な頭飾りと民族衣装をまとった女性たちの姿もある。

    遠来のリンポチェの到着を待つ人々

    しばらくするとリンポチェのお出まし。人々が急に列を成して出迎える。さきほど見かけた伝統衣装と頭飾りの女性たちが先導して、リンポチェのクルマがやってきた。この出迎えの儀式が終わると、みんなそそくさと帰っていく。

    「いよいよお出まし」の知らせとともに道路脇に整列する人々
    伝統衣装で着飾った女性たちがリンポチェの乗るクルマを先導

    幸いなことに雨は止んだ。しばらく湖の風景をカメラに収める。そうこうしているうちに晴れ間が出てきて、ほんのわずかな時間ながらも深い青色湖の姿を眺めることができた。この時点で気温はわずか12℃。夜間には零下になることもあるのだとか。天空には晴れ、曇り、そして雨天が混在し、広大な大地に複雑な陰影を投げかけている。湖対岸の山々にかかる雲の低さに、ここは海抜4,500mであることをしみじみと感じる。

    幸いなことに少し晴れ間が見えてきた
    喜んだのも束の間、すぐに厚い雲に覆われてしまったりする。
    負け惜しみみたいだが、大地に投げかけられる陰影が刻々と変化するのを眺めているのも楽しかった。
    彼方に見えるこの山は中国なのだそうだ。
    僧侶たち

    同行のマイクとキムと斜面の展望台まで上ると、村の子供たちが集まってきた。好奇心旺盛な彼らは、ちょっと照れくさそうにしながらも、私たちにずんずん迫ってきていろいろな質問をしてくる。そうでありながらも、やはり行儀が良くて控えめなのはラダック人らしいところだ。

    村の子供たち。みんなとても利発そうだ。
    マイクとキム、そして村の子供たち

    斜面を宿のあたりまで下り、ゴンパのお堂を拝観。ちょうど10日に一度のバスが到着したところのようで、正面の広場のところに停車している。

    10日に1回、レーとの間を往復するバス。ツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着した翌朝、レーへ折り返す。

    宿とゴンパの間のスペースに大きなテントを張って営業している食堂がある。ここはかなり繁盛していて、お客がひっきりなしに出入りしている。外国人の利用者も多いようだ。特にこれといった産業もなさそうなこの村で、手際よく、相当なハイペースで仕事を続けている姿を見ていると、おそらくここの女主人は稼いだお金でもっと立派な食堂を建てたり、旅行者相手の宿を開いたり、ということになるのかもしれない。

    テントの食堂の女主人は大変な働き者

    マイクとキム、そして本日のレーからのバスで到着したという西洋人たちと楽しい会話をしながらの食事。こういう気楽な時間を持てることも旅行の楽しみのひとつである。

    この村の野犬は毛足が長く、いかにも高地かつ寒冷地に適応したものであることがわかる。ロバも毛足が長めになっている。動物もやはりこうして環境に適応するようになっているのだろう。

    テントの中に座っているのも少々寒くて辛くなってきた。私たちが宿に帰ると、テレビではクリケットの中継が放送されていた。マイクとキムはオーストラリア人らしくクリケットフリークのようで、宿の人や宿泊しているインド人旅行者とクリケット談義に興じていたが、こちらはこのスポーツについては関心がないのでついていけない。本来ならば、インドにおいてクリケットは必須科目であることは間違いないのだが。

    天気さえ良ければ、灯の少ないコルゾクの村の夜には満天の星を楽しむことができたのだろうが、あいにく空模様はそういう具合ではない。それでも雲の切れ目から湖水に降り注ぐ月の光が美しかった。

    雲の切れ目から月が覗く

    〈続く〉

  • ツォ・モリリへ 2

    ツォ・モリリへ 2

    午前11時ごろにチュマタンという温泉が出ていることで知られる集落。小さな浴場の小屋がひとつあるだけで、温泉そのものが有効に活用されているわけではない。地表から湯が湧き出ているという現象自体がひとつの観光名所となっていることから、ツォ・モリリに行くついでに立ち寄るマイナーなスポットとなっているだけのことである。

    昨夜から天気は悪く、ときおり雨がぱらついている。晴れてくれないと、ツォ・モリリの湖の深い青さを堪能できないことになるので、ちょっと気がかりである。ここから先は少々険しい山道となり、雨脚も強くなってきた。道路にはところどころ水たまりもできている。こんな禿山ばかりのところで雨が降るとがけ崩れでも起きやしないかとちょっと気になったりもする。

    遠くに湖が見えてきた。

    しばらく走ると湖が見えてきた。これがツォ・モリリかと思ったので、想像していたよりもずいぶん小さくて拍子抜けした。だが周囲の開けた景色はなかなかいい感じだ。だが周囲に村や宿泊施設らしきものは見当たらず、果たして宿泊施設が湖からどのくらい遠いのかとも思った。私が同行のオーストラリア人カップル、マイクとキムと盛んに「ツォ・モリリ」について話しているのを耳にしたナワンが言う。「え?あの湖はツォ・モリリではありませんよ。」

    だがこの湖はツォ・モリリではなかった・・・。
    このあたりまで来ると行き交うクルマも極端に少なくなる。

    途中の道で遊牧の人たちのテントも見かけたが、道路沿いでしばしば見かけるのは、道路作業の人たちのテント。インドの他の地域から来た人たちが工事のためにそこに住んでいる。岩を砕いてバラストを作っている人たちもいるが、夜は冷え込んで辛いことだろう。もちろん身体を洗うこともままならないはずだ。

    道路工事の作業員のテント

    「本物のツォ・モリリ」は、さらに荒野をひた走った先に見えてきた。平地では考えられないような低いところに立ち込めている雲の様子を目の当たりにすると、このあたりで海抜4,500mもあるというのも頷ける。

    最後の橋を渡ってから左に進み、湖畔の道をどんどん進んでいく。天気もますます悪化していて、雨もさらに強くなってきた。どんよりとした灰色になってしまった湖は岸辺のあたりは不思議な青色をしている。湖の遠くの部分は晴れているようで、太陽の光が注いでいるのが見える。雨が降るようになると、それまで非常に視界が良かったラダックの景色が一変して、遠くが見えなくなってしまう。やはりラダックの眺望の良さは湿度が極端に低いためであることがよくわかる。

    湖の沿岸を進んだ先には軍のチェックポストがあり、そこで追い返されることになった。そこから先、民間人はオフリミットとなっているそうだ。さきほど橋の左手を進んだのが間違いで、本来は右手に行くべきであったらしい。それでも湖畔を余計にドライブできたことは良かったと思う。午後3時くらいにツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着。

    〈続く〉

  • ツォ・モリリへ 1

    ツォ・モリリへ 1

    前日、レーに戻ったその足で、ツォ・モリリ行きのクルマに申し込んだ。オーストラリア人カップルがすでに予約しているとのことで、費用を折半できるのは助かる。その日の夕方、雷鳴とともに雨が降ってきた。かなり雨脚が強く、ツォ・モリリ行きの道路のことが少し気になった。

    邪悪な感じがする雲

    前日まで2泊3日の行程での運転手、ナワンさんとの再会は案外早く実現した。本日の朝6時半に宿まで迎えに来たのはまた彼であったからだ。人柄はもちろんのこと、運転も無茶はしないので安心していられる。

    クルマを手配した旅行代理店の前には、本日同乗するオーストラリア人カップルが到着していた。彼らと簡単な挨拶をして、ツォ・モリリへ向けて出発。

    彼らはオーストラリア人だが、現在はロンドンに在住であり、7か月の予定でアジア旅行を楽しんでいるそうだ。明るくておしゃべりな人たちで、いい旅行になりそうな予感がする。このようにクルマをシェアしての泊りがけという場合、同行者に恵まれることもまたひとつの大切な要素である。

    レーを出発してから東へ進む。ツォ・モリリ方面とパンゴン・ツォ方面への分岐点となるカルーの集落で朝食。そして一路東へと向かう。パンゴン・ツォやヌブラ行きのような険しい山道を想像していたが、途中いくつかの橋を越えて急坂もあったものの、比較的穏やかな感じの道である。

    軍用車両の往来が大変多い

    ちなみに、レーからツォ・モリリ行きのバスが出ているようだが、月に3往復のみということなので、クルマをチャーターしないとなかなか行きにくい。

    〈続く〉

  • 下ラダックへ 6

    下ラダックへ 6

    アルチー・ゴンパ
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    アルチーに到着した。アルチーのメインアトラクションであるゴンパへの参道には、ゲストハウス、レストランやみやげもの屋などが集まっており、かなり観光化されている感じはするものの、その一角を外れるとまだまだ素朴な村といった風情だ。
    アルチー・ゴンパのある一角から少し離れたところにある集落の裏手には、昔の領主の古い館が見えるので、しばらく散策してみる。館は正面から見ると端正なたたずまいを残しているものの、背後は崩落している部分も多いため、今にも倒壊しそうな危険建築となってしまっている。
    遠目には立派に見える館だが・・・。
    壁はいつ倒壊してもおかしくない状態であった。
    館の手前にある集落は、どれも伝統的な建物ばかりで趣がある。近くでは麦の収穫作業中で、女性たちの姿が目立つ。そうした中にも平地から来たインド人出稼ぎ男性たちがかなりいるようだ。町中や観光地での外地からの訪問客相手の商売にかかわる仕事に比べて実入りは決して良くないものと思われるが、それでもこうして働いている出稼ぎの人たちは、月にどのくらいの収入があるのだろうか。またそうした仕事を求める人々の流れはどのようにして形作られているのだろうか。おそらくそうした人材ネットワークで稼ぐ商売人たちがいるのだろう。
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    宿の近くのベーカリー兼レストランで夕食していると、バイクで旅行している若いインド人男性がやってきた。店主に対してチベット仏教のこと、そうした関係のことを書いてある本について、その他この地域の様々な事柄について質問している。デリーから来たとのことだが、出身はハリドワールであるとのこと、
    店主がテーブルを離れてから、しばらく彼と話をしたが、マーケティングの仕事をしていたが退社して、フリーランスのライターとしてやっていくことを画策しており、これまででひと月半、これから残りひと月半をバイクでの旅行に費やす予定ということだ。
    ラダックではこれまでザンスカールを回ってきたところで、様々なゴンパを手当たり次第に訪問してきたものの、ただ訪れただけでは、仏像や仏画の意味がわからないので、それらを知るための資料を探しているという。彼の名前はアビジート。
    こうした自由なライフスタイルを謳歌する人たちがインドで増えてきている。彼の年齢は30前後くらいか。昔のインドにはあまりいなかったタイプだろうが、このような人たちが確実に増えているのが今のインドであるといえる。
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    〈続く〉
  • 下ラダックへ 5

    下ラダックへ 5

    地層のダイナミックな褶曲
    こちらの褶曲ぶりは非常に複雑。まるでパイのよう・・・?

    ラマユルを後にして、リゾン・ゴンパに向かう。アルチーに向かう幹線道路から外れて、川沿いの細い道を上っていく。ラダックの山肌を眺めていると、ここでもそうだが、地層の褶曲の凄まじさに目を奪われることがしばしばある。

    荒涼とした景色の中、清いせせらぎの眺めが目に優しい

    もちろんそうした激しい褶曲はラダックに限ったことではないはずであることは言うまでもない。山肌に木々が生えていると見えなくなるため、ヒマラヤ全域においてこのような具合であるはずなのだ。

    小規模な落石の除去作業が進行中

    まさに木々が極端に少ないがゆえのことだが、地滑りはかなり多いようだ。とりわけこの地域では多くない雨が降ったりすると、保水力を欠くがゆえに崖崩れは頻繁に起きてしまう。

    いずれにしても、このように乾燥した高地にはあまり馴染みがないがゆえに、どこに行っても景色がとても物珍しく感じられる。

    垂直によじれた地層がさらに浸食されたものと思われる。

    リゾン・ゴンパに到着

    リゾン・ゴンパに到着。乾燥した山々に囲まれたこの場所の周囲には、集落らしい集落も見当たらず、まさに人里離れた修行の場という感じがする。こうした寺院で起居している僧侶たちはもちろんのこと、ラダックでは村の人々の間でも、高齢者でなければ普通にヒンディーが通じることを期待できる。言葉に対する柔軟性が高い民族であるということもあるのだろうが、J&K州の公用語のひとつが話し言葉はヒンディーと近い関係にあるウルドゥーであり、誰もが学校で学んでいるということが大きいだろう。

    ゴンパの屋上からの風景

    リゾン・ゴンパを後にして、しばらくジープ道を下っていくと、運転手のナワンは道端の人影に何やら呼びかけて停車。「なぜかウチの村の人たちがいた!」とのこと。彼らはザンスカールのナワンと同じ村の出身だが、今はカールギルで暮らしているという。

    彼らは家族連れで、木陰に敷物を敷いてコンロで煮炊きをしていた。ちょうど昼ご飯を食べていたため、私たちもご相伴に預かることになった。

    運転手ナワン(右から二人目)と彼の同郷の人たち

    〈続く〉

  • 一夜明けて 1

    一夜明けて 1

    宿の建物の手前は家庭菜園

    宿泊先の宿では、お客が庭先に出てきて本でも読み始めたり、おしゃべりを始めたりすると、ジャールカンド州から出稼ぎにきている使用人たちが、すぐにチャーイとビスケットを出してくれる。宿の清掃は行き届いているし、サービスも良く、非常に好感度の高い宿泊施設だ。

    昨夜、外で夕食を摂って戻ってきた際にしばらく話をしたアメリカ人、ラダックで活動するNGO関係者のスイス人と彼が今回率いているスタディーツアーの参加者として来ている数人の欧州人たちと朝食を共にする。他愛のない会話をいろいろな国々からやってきた人たちとすることができるのは旅行の楽しみのひとつでもある。

    その後、歩いてメインバザール近くのカフェでチャーイを飲みながら、WIFIでネット接続してメールのチェックをする。最近、こういう環境はインドでも着実に増えていて、ラダック地方では少なくともレーにいる限りは、ウェブ接続にはあまり困らない。

    レーの町は電気の24時間供給体制という「歴史的な変化」でどう変わるのか?

    昨年からのことのようだが、給電が午後7時から午後11時までというあまりに貧弱な状況からは脱却しており、レーとその周囲では、電気は基本的に24時間供給されるようになっている。もちろん停電は頻繁にあるのだが、「自家発電のある施設以外では1日に4時間しか電気が来ない」のと、「停電は多いが、市内全域で1日中電気を使うことができる」というのでは、事情が180度転換したと言ってもいいだろう。これは「歴史的な変化」として、地元の人々の間で共有される記憶となるのではないかと思う。

    そんな具合なので、これまではなかなか難しかった商売が可能になったり、販売できなかった品物が売れるようになったりするということもあるだろう。人々のライフスタイルにも少なからず影響を与えることだろう。

    そんなことを考えていると、やはり停電になった。店内にかかっていた音楽は止まり、ネットにも繋がらなくなる。するとそれまで黙って手元のタブレットやPCに向かっていた人たちが、手近にいる人たちとの会話を始める。電気が来ない、というのはそんなヒューマンな側面もある。でもはるか彼方の人たちと通信したり、ここからは目に見えないほど離れている国で起きていることなどの情報を入手したりすることよりも、本来ならば声をかければ振り向くことのできる距離にいる人たちと大いに語り合うことのほうが自然なことであるに違いない。

    店内にいた若い北東アジア系男性は日本人であったが、アメリカの大学にて勉強中で、途中で休学してデリーの大学で環境建築を学んでいるとのこと。グジャラートの農村やラダックの農村などをはじめとする、環境と調和した伝統的な建築を調べているのだそうだ。この人は日本語がよくできないのかどうか知らないが、なぜかこの人との会話はすべて英語となった。

    「日本人とふたりきりで英語で話す」というちょっとレアな体験。日本人以外の人を交えて話をする場合、「みんなで会話するために」当然英語で喋ることになるが、自国の人とふたりきりという場面で、英語で話すというのはあまり記憶がない。外国育ちで、国籍は日本であっても日本語は不得手というケースもあるので、「日本語は出来ますか?」というのも失礼かと思い遠慮しておいたが、陽気でおしゃべりな好青年であった。

    トレッキングや登山のツアー参加者を募る旅行代理店の店頭の掲示

    シーズンのレーの町では、インドの様々な地域の人々の姿があり、また様々な国々の人々が行き交っている。この時期の主要な産業といえば、当然のごとく観光業ということになるため、商業地区に無数に散らばる旅行代理店の店頭には、シェアジープ、トレッキング、バイクのツーリングその他の参加者を募るポスティングがなされている。

    ツーリング仕様のエンフィールドのレンタルバイクをよく見かける。

    このところ人気が急伸しているように見受けられるのは、ストク・カングリー(6,153m)登頂のツアーだ。高度からして本格的な登山ということになるので、素人が気軽に参加して大丈夫なのか?とちょっと気になったりもするが、あちこちに参加者を募る貼り紙を見かける。

    本日、私が探しているのは、ある方面に向かうシェアジープなのだが、特定の場所についてはいくらでもそうした貼り紙が見られるのだが、今回の私の目的地の場合はその限りではない。旅の道連れがいれば、二人で割り勘にするだけでかなり違うのだが、そうでないのはソロで旅行する自由度との引き換えでのコスト高と思って観念するしかない。

    いくつものモスクがある旧市街地と隣接する商業地界隈

    商業地域がムスリム居住地区に隣接しているためか、あるいはこの業種自体がそのコミュニティの得意分野であるということなのかはよく判らないが、旅行代理店関係者はムスリムがとても多い。

    今回、クルマのアレンジを依頼することにしたのは、そうしたムスリム業者ではなく、ラダック人仏教徒のワンチュクさんの店。30年以上に渡って営んでいるというから、この業界では老舗ということになるだろう。家長である彼の指揮下で、彼自身の息子と娘が取り仕切っているため、誰かが不在でもオフィス内での連絡がちゃんと行き届いている印象を受ける。

    古からの交易路にあたるラダック地域では往々にしてあることだが、家族内でも顔立ちがずいぶん違う。典型的なチベット系の風貌のワンチュク氏に対して、息子はちょっと浅黒くて顔だちは父親とはやや違った感じ。色白で美人の娘さんはアーリア系の特徴が容姿やスタイルに出ているようで、家族3人と会っただけで、彼の一族には様々な民族の血が混淆していることが窺えるようだ。

    レーのメインバザール。ラダックの「丸の内」といったロケーションながらも、商う人々はとても感じがいい。

    〈続く〉

  • ポプラと水路の風景

    ポプラと水路の風景

    ちょっと奮発してチキンのシズラー

    レーの市街地をしばらく散歩してから、ポプラの木立の中に席を並べているレストランで昼食。背の高い木のさらに限りなく上に広がる高い空。ラダックらしい風景だ。

    こんな空を見上げるだけでいい気分になってくる。

    ポプラといえば、レーから郊外に出ると水路と並んで走る道の両側がポプラ並木になっているところが多い。村の中でも道、水路、ポプラ並木がセットになった景色をよく見かける。

    サワサワと流れていく水に心洗われるような気分

    仏教寺院の存在や家屋のたたずまいを除けば、中央アジアにも通じる雰囲気がある。古の時代には中央アジアとインドを結ぶ交易路にあったラダックだが、今もそうした地域と陸続きであることを思い起こさせてくれる。

    どこの国にいるのか判らなくなるような景色

  • デリーからレーへのフライト

    デリーからレーへのフライト

    早朝5時前に、枕元でけたたましく鳴るアラーム音で目が覚めた。スマートフォンを使うようになって久しいが、これのおかげで不要となったものは多い。目覚まし時計、メモ帳、システム手帳、音楽プレーヤー等々。中には「カメラも要らなくなった」という人も少なくないかもしれないが、写真についてはいろいろこだわりがあるので、私はそこまで割り切ることはできない。
    昨日予約しておいたタクシーで空港へ。日曜日早朝ということもあり、道路はガラガラで実に快適だ。飛行機はターミナル1Dから出る。数年前から操業している新しい空港ビルだが、それ以前の古いターミナルの時代の頃の混雑ぶりなどまるで遠い過去のこととなり、ゆったりとした気分で搭乗待ちできるのはいい。フードコートで注文したマサーラー・ドーサーをパクつきながら、空港でのヒマな時間は日記を書いたり、フェイスブックに投稿したりしながら過ごす。
    インドでもスマートフォンの普及は著しい。少し前まではその類の携帯電話を持っているのは一見してエリート風の人たちであったが、今ではそうとは決して思えないような人もそんなので写真を撮ったりしている。一頃は圧倒的な人気だったブラックベリーはすっかり影を潜めてしまい、高級機といえばやはりアイフォーンかギャラクシーの上級機種のようだ。写真といえば、インドでも携帯電話やスマートフォン普及の関係で、日常的に写真撮影する機会が増えているのだろう。
    フライトは定刻に出発した。雪山が連なる景色を見ることができることを期待して、窓側の席にしたのだが、そうではなかった。今年はモンスーンが派手に雨をヒマラヤ地域に降らせているためか、厚い雲に覆われている。それでも雲の切れ目から氷河の様子が伺えたりするのはさすが世界の屋根ヒマラヤだけのことはある。
    雲が厚い
    左下に見えるのは氷河
    氷河の拡大写真
    ようやくその雲が切れたかと思えば、まるで違う惑星のようなラダック地域に入っていた。どこまでも連なる水気のない、草木の存在感とは無縁の切り立った山々、水が流れて谷を形成したらしいにもかかわらず、水は流れていない。ごくわずかに水の流れが存在するところに緑があり、そこに人が生活していることがわかる。こうした景色はどこから始まり、どこで終わるのだろうか。
    この山々の向こうはチベットか・・・?
    荒涼とした景観の中でごくわずかに存在する緑。そこには水があり、人々の日々の営みがある証でもある。
    こうした厳しい風景はヒマラヤ地域西部のムスリム居住地域にもあるが、寛容でゆったりとした自由闊達さが感じられるチベット仏教圏とは異なる。もしラダックがイスラーム化されていたら、人々の気質はかなり違うものとなっていたことだろう。もちろんラダック地域そのものがムスリム地域に隣接しているためもあり、居住しているムスリム人口は決して小さくはないのだが。
    機体は次第に高度を下げて、空港近くに広がる軍のバラックの様子が目に入ってきた。
  • パンカム村への道4

    パンカム村への道4

    朝5時過ぎに起床。その1時間ほど前に竹で編んだ壁から光が漏れているので、もう外は明るくなっているのかと思い、トーチを出して時計を見てみると、まだ4時前であった。

    Kさんは午前3時半くらいにトイレに起きたそうだが、そのときには村の眺めが見えるくらい、月が煌々と照っていたのだそうだ。私が見た壁から漏れる光も月のものであったらしい。

    午前5時過ぎのパンカム村に朝日が昇る。
    パラウン族の仏教寺院

    朝5時半に隣の仏教寺院に行くと、朝の勤行はすでに終わりの頃合いであった。この時間帯の気温は20度と涼しい。やはり高度が少しあるからだろう。海抜1,000mもないとは思うが。

    朝食。一番手前はバニヤンの葉のスープ煮。こんなの初めて!

    朝食は、卵焼き、ナスの煮物、昨日と同じ米とバナナの花のおこげ、そして特記すべきはバニヤンの葉のスープだ。バニヤンといっても大きくなるバニヤンとは少し種類が異なるものだそうだ。このあたりでは野菜、野草以外にも食用となる木の葉も多いようだ。食物繊維の摂取にはいいだろう。

    泊めていただいた民家二階の寝室
    村を出発

    朝8時に村を出発。あとはほとんど下るだけである。昨日とは違うルートで、より緩やかな感じだ。このルートは雨季には使わないのだという。ところどころで川になってしまうからだそうだ。でもこのトレッキングを雨季に行なうのはかなり大変だろう。足元はぐじゃぐじゃになるし、ヒルも出るしで、苦痛を伴うこと必至だ。

    東南アジアの川らしくないほど澄んでいる。

    幾つかの川を渡る。簡素な橋もあれば、切り倒した木の幹を向こう岸に渡しただけのものもある。後者は浅瀬になっているから可能。イチジクの木もあり、実が落ちていたが、ここでは食用にはしないとのこと。割ってみても、においをかいでみても、間違いなくイチジクであった。日本のそれよりも固めで、外観はより赤いが。バニヤンの葉のような、まさか食用にするなどとは想像もつかないものが食卓で供されたかと思えば、我々にとっては当たり前の「果物」が食用にされないとは興味深い。

    画像奥のほうでは、村の子供たちが水に飛び込んで遊んでいた。

    川の水際の豊かな風景を楽しむ。子供たちが川にザブンと飛び込んで遊んでいる。増水期にはそうもいかないだろうが、この時期ならば小さい子供たちだけで戯れていても大丈夫だろう。日本の江戸時代の村の様子もこんな具合であったのではないだろうか。

    このところ経済面で大いに注目されているミャンマー。最大の商都ヤンゴンはこれから大きな変化の波に揉まれていくことになるわけだが、こうした山間の村々もまた同様に、スタート地点があまりに低かっただけに、今後の変化の度合いは非常に大きなものとなることだろう。

    だが気になるのは、多様な生活文化を持つ少数民族の人々が、これまで長く伝統的なライフスタイルを大切に世代を継いで継承してきたわけだが、その変化の大波の中でそうしたものが時代遅れで未開なものであるとして切り捨てられてしまうのではないかと、気になっている。

    村のコミュニティの中の人々で、経済的にベターな暮らしを得ることができるようになった人々が出てくると、彼ら自身もまたそのような価値判断を持って、自らの民族の文化を軽んじるような方向に行くようなことがないことを願いたい。

    スィーパウの町からパンカム村へは、日帰りも可能だ。朝5時過ぎか6時くらい出発して、少し早いペースで飛ばせば昼前には着くだろう。登りの傾斜もゆるやかなので途中キツイ場所もない。村でしばらく休憩してから午後1時くらいに出て、少々早足で下れば、スィーパウの町に日没までには到着できるだろう。

    だがこのルートの醍醐味は、やはり村に宿泊することにある。そう遠からず、もっと奥の村へのルートも旅行者たちの間で知られるようになり、ミャンマーのこのあたりといえば、少数民族の村々を訪れるトレッキングが楽しいということが、内外に広く知られるようになるのも時間の問題ではないかと思う。

    <完>

  • パンカム村への道3

    パンカム村への道3

    パンカム村に到着。左手はパラウン族の仏教寺院の門

    午後2時過ぎに、パラウン族が暮らすパンカム村に到着。本日宿泊する先の民家で昼食を出してもらう。米はもち米で、料理は菜食料理。西洋人の中には肉を嫌がるものがいるので、トレッカー相手には菜食にしているのだという。もちろん西洋人たちの間ではヴェジタリアンは決して珍しくないとはいえ、多くの場合は冷蔵保存施設などありもしない村という衛生上の理由、加えて目の前で鶏などが殺されるのを目にしたくないといったことなどが理由だろう。また民家側のほうとしてみても、やはり肉を出すのは高くつく。

    昼食。手前は米とバナナの花の炒め物である。

    出てきた昼食は、もち米、春雨のスープ、米とバナナの花の炒め物でおこげのようになったもの、ジャックフルーツの実の炒め物であった。魚醬は使われていないようで、何か発酵調味料が使用されているような気がする。ちょっと不思議な味わいだ。ちょっと洗練させれば面白い料理になるかもしれない。

    村のたたずまいは、プラスチック製品とわずかながら電気が来ている(川での自家水力発電かどうかは知らない)があること、バイクを持っている家があること、人々の多くが中国製の洋服を着ていること、屋根がトタンであることを除けば、数百年前とほとんど変わらないのではないかと思う。今も料理の燃料は薪だし。それがゆえに森林伐採が進むということもあるかもしれない。

    宿泊する家の隣は仏教寺院。木造の建物で、これまたそう言われないとお寺とは気が付かない。前にシャン州に来たときに、木造の仏教寺院が珍しく思えたが、実は村に来るとこういうのが普通にあることがわかる。村に来てこそ、その民族のオリジナルな文化の基層部分、根幹の部分に触れることができるともいえるだろう。

    宿泊先の民家
    村の中で最大級と思われる家屋

    山間の村ではあるが、元々は馬を乗り回していたというパラウン族たちはバイクをよく利用している。どれも安価な中国製だが、これを用いることにより、行動できる半径が何倍にも伸びる。村からスィーパウまではバイクで一時間ほどで着くということなので、飴で道がグジャグジャになるモンスーン期を除けば、町の仕事に就いて、ここから通勤することだって不可能ではないだろう。町からその程度の距離であれば、今に道路が舗装される日も来るだろうし、四輪が乗り入れることができるようになる日も来るはずだ。

    もちろんそういう時代になると、村の様子は大きく様変わりして、スィーパウの町角とあまり大差なくなっていることだろう。ここが少数民族の人々と出会うトレッキングの中継地として、観光客を多く呼び込むようになってくると、住民たちもパラウン族ばかりではなくなり、他の地域の人々、シャン族はもとより、ビルマ族、中華系、インド系の人たちも商機を求めて移住してくるということになるのではないだろうか。もとより商売にかけては、明らかにパラウン族よりもそうした人々のほうがノウハウも経験もある。

    しばらくのんびりして過ごしてから、ウィン氏に午後4時半に村の北側を1時間ほど案内してもらった。このあたりはまだ森林が少し残っている。やはりこの丘陵地はどこも一面鬱蒼と茂ったジャングルであったのだろう。ここでも斜面には茶が栽培されているが、やはりちゃんと手入れされてはないようで、植え方も乱雑で、まばらに植えてある。

    馬たちが草を食む姿もあった。パラウン族の人々がバイクに乗るようになる前に重宝していた日々の足である。

    茶摘み歌が聞こえてくる谷間。ショボショボと生えている灌木のようなものは実は茶の木。

    西側に開けた谷間に来ると、とても涼しくていい風が吹いている。遠くから茶摘み女の歌声が聞こえてきた。何を唄っているのか皆目見当もつかないが、その澄んだ声色に心奪われる。ぜひとも次代にも残してほしい村の風物だ。

    村の遠景

    村に戻り、すっかり日が暮れてきたあたりで、宿泊先の家で出された夕食は、よくわからない山菜やらいろいろあったが、特に印象的であったのはコンニャクだ。日本のそれよりももっと水分が多いようだ。これを炒めてある。それとナマスのようなものもある。昼食のときもそうであったが、火の通っていないものは遠慮しておく。これまた不思議な味で、正直なところあまり食欲は湧かないのだが、ここでしか食べることができない貴重な体験でもあるので、しっかりいただく。

    夕食。コンニャクという食材はパラウン族にもあるとは少々驚いた。左の皿はコンニャク料理。

    夕食時、そして夕食後には外で星を眺めながら、同行のKさんといろいろな話をする。少し雲がかかっているものの、満天の星の眺めは美しい。漆黒の天空に無数の小さな穴が開き、そこから光が漏れているような気さえする。

    9時半くらいに就寝。簡素な造りの木造家屋なので、人が少し動くと揺れる揺れる。誰かが寝返り打っただけで地震かと思うくらい家屋がグラグラッと激しく振動するので驚いてしまう。

    <続く>