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カテゴリー: life

  • エジプトはナイルの賜物。新首都はカイロとスエズの中間点。

    かつてどこの国でも大きな交易都市=大都会は水際に造られ、「都心」はその水際、そこから弧を描くように郊外へ広がるものであった。水運・そして生活用水の確保こそが都市の生命線であったがゆえのこと。これはインドに限らず世界中で同じだ。

    デリー、アーグラー、ラーホール、アーメダーバード、バトナー等々、いずれもこうした形で築かれた街であるし、かつては湖であった時代もあったとされる盆地内にあるカトマンズもこうした利に恵まれている。あるいは水運ではなく陸運のみで他の地域と繋がるジャイプルやボーパールにしても、大きな湖等による水資源あってこその市街地造営であった。

    とりわけ大航海時代を経て欧州列強がアジア等に築いた植民地の都市は、まず例外なく河港あるいは海港に面しており、その港に近い部分に港湾関連施設とともに行政に係る大きな建物が集まる官庁街を形成した。ムンバイしかり、コールカーター、チェンナイ、ヤンゴン、コロンボ等々、どの街も同様だ。

    そんな状況に変化を生んだのは鉄道、道路などの交通ネットワーク、遠隔地へも水資源を分配する水道の他、電気・ガス等のエネルギーの普及、通信網の整備等を含めた今に通じる基礎的なインフラの普及。これによって本来は水際にしか拡張しえなかった市街地がより周辺へと広がり、水が手に入らず利用できなかった土地でも人が住んで商工活動を行うことができるようになった。

    そんなわけで、ミャンマーのネーピードー、エジプトの新首都(名前は未定か?)などのように、かつては街を築くことすら無理だった場所に、よりによって巨大な首都を造るということが可能になったわけだ。

    そうは行っても平穏無事で成長が続く時代だけとは限らないので、立地・環境面からハードルの高い場所への首都移転というのはいかがなものなのだろうか。もちろんそういう場所が選択された背景には、解決しなくてはならない入り組んだ利権がなく、開発の青写真を描きやすいという前提があってのことなのだろう。今回はインドに係る話ではないのが恐縮ではあるのだが。

    エジプトの新首都建設、莫大な費用をまかなう「砂漠の錬金術」(asahi.com)

  • ウクライナの地名表記を改めるならば・・・

    ロシアによる侵攻をきっかけに、ウクライナの地名の日本語表記が変更された。今後は人名の表記にも適用されるのだろうか。こういうものは何かきっかけがあると突然変更されることがあるけど、何かきっかけがないとまったく変わらないもの。

    バングラデシュの地名表記なのだが、おそらく「東パキスタン時代」のウルドゥー語表記をカタカナ化したものをバングラデシュ成立(1971年、ずいぶん昔のことだ)以降も引き続き用いているようだ。

    たとえばローマ字でNARAYANGANJと表記して「ノロヨンゴンジ」、BARISALと表記して「ボリショル」と発音するのがバングラデシュだが、今も変わらず日本語での表記は「ナラヤンガンジ」「バリサル」となる。RAJSHAHIも語の意味からもウルドゥー/ヒンディー式にはラージシャーヒーと読みたくなるが「ラッシャヒ」になる。

    バングラデシュの地名表記がこんな調子なのは、ベンガル語を国語とする新生バングラデシュ成立後、日本語表記の見直しがなされなかったからだろう。苦労してパキスタンから分離独立した際、日本でも大きく報道されていたはずだが「バングラデシュの人たちに連帯感を示して、新生国家の地名はパキスタンのウルドゥー語風の読み方から改めて、ベンガル語風の読み方に変更する」という具合にはならなかったのは、当時の日本の関心は地理的にもっと近いベトナムやインドシナ情勢にあり、バングラデシュはその蚊帳の外だったためかもしれない。

    このように、日本語での表記は現地での発音に近いものとするという前提はあるものの、周辺地域との歴史的な関係や文化的背景などから、もともとそうなっていない地域はけっこうあるのかもしれない。ウクライナの地名がロシア読みに倣ったものとなっていた理由は、ロシアを中心とする旧ソヴィエト連邦時代に日本で定めた表記が引き続き使われていたからに他ならないだろう。

    【ウクライナの地名変更リスト】チェルノブイリはチョルノービリ。オデッサはオデーサに (HUFFPOST)

  • India Todayグループによるウクライナ報道  ロシア占領下エリアからのレポート

    India Todayグループによるウクライナ報道 ロシア占領下エリアからのレポート

    昨日はマリウポリからリポートしていた「AAJTAK」及び「India Today」(ともにIndia Todayグループ下の報道番組)の特派員ギーター・モーハンだが、本日はドネスクから。だが昨日までとはずいぶん事情が違うことに驚く。ロシアにより占領下にある側からの映像であるからだ。「世界で一番最初にロシア占領地からのTV報道」とのことだ。

    道端でマイクを手にして喋っている脇を「Z」の文字が入った軍用車両が駆け抜けていったり、そうした車両の兵士からも談話を取っている。伝統的な友好国インドの大手プレスであれば、ロシア占領下へも比較的容易に出来るのか、「ここから1km先には(この場所の奪還を狙う)ウクライナ側の前線があります」「ここにウクライナ側が武器を保管していたとのことです」と、ロシア占領下側からのリポートであった。ウクライナ侵攻の取材において、インドメディアはかなり有利な立場にあるようだ。

    Donetsk – the epicentre of war: Ground Report from the frontline (India Today)

    「AAJTAK」の放送画面から
    「AAJTAK」の放送画面から
    「India Today」の放送画面から
    「India Today」の放送画面から
  • インドメディアにおけるパキスタン関係者の討論番組

    インドメディアにおけるパキスタン関係者の討論番組

    「AAJTAK」の討論番組から

    インドのニュースプログラムAAJTAKにおける討論番組。普段はインド国内の政局や隣国等との国際関係などを巡る議論が国内各界や関係者等を招いて行われる。近年はコロナ禍もあり、出演者をスタジオに集めてではなく、オンラインでの開催となっている。

    そうなってくると、ヒンディー語プログラムなので出演者はヒンディー語話者のみという縛りはあっても、もはや国境はあってないようなものなので、トピックによっては、ときにはインド国外からの参加者もあった。ウクライナ情勢を巡ってはアメリカの国務省のインド系職員の参加もあったりした。この日は混迷するパキスタン政局を巡っての議論で、パキスタンの現在の与党、パキスタン正義運動や野党のムスリムリーグなどの関係者を招聘しての開催だった。

    同時に複数の者が大声で発言を続け、司会者が割って入ってもなかなか収まらないことかしばしばあるのはインドもパキスタンも同じだが、途中、パキスタンの退役軍人でもある軍事専門家が、あまりに横柄な態度で司会者や他のパキスタンからの出演者に悪態をつくため、しびれを切らした司会者が厳しい言葉で退席を命じられ、この人物が画面から姿が消えるという、普段はまず見られないシーンまであったが、そこまでヒートアップするほど盛況であったとも言える。

    インドの討論番組で、インド人キャスターの司会のもと、パキスタンの人たち、つまり当局の関係者、軍事専門家、ジャーナリスト等々が議論を交わす。インド側のお膳立てで、パキスタン人関係者たちの喧々諤々の討論がインドのニュース番組上で進行し、それをインド人聴衆が観るというような企画をいつも簡単に実現できるようになった。ある意味、歴史的な出来事といっても良い。

    こうしたものは初めての試みというわけではなく、昨年夏にはターリバーンの手中に陥落したアフガニスタンに関して、インド及びパキスタン双方の与党関係者、外交や軍事の識者等を交えての討論会がこのAAJTAKで実施されていた。

    それはともかく、従前は隣国からのニュースをそのまま流用するか、あるいはインド側のジャーナリストや識者が論評する内容を伝えるのがパキスタンに関する報道のありかたてあったが、このような形での取り上げ方はとても新鮮だ。まさにコロナ禍のポジティブな面がこれで、たぶん数年程度ではなし得なかったことが、一気に進んだ感じだ。それを私のような第三国の野次馬が見物できるのだから、これまたありがたい。

    蛇足ながら、デーヴァナーガリー文字で書かれるヒンディー語とペルシャ文字で書かれるウルドゥー語は、まったく別の言葉だと思っている人もいるようだが、このようにヒンディー語のプログラムにウルドゥー語話者が母語で出演して、ヒンディー語による司会のもとで、ごく当たり前に討論を展開し、それをヒンディー語話者である視聴者がこれまた当たり前に聴くことが出来るというのが、ヒンディー語とウルドゥー語の関係性でもある。

  • カナダの客家印度中華料理屋

    カナダを訪問する機会があったらぜひ訪問してみたいと思うのが、カルカッタから移住した華人が経営する中華料理屋。

    カルカッタからカナダへの移住はルートが出来上がっているためたいへん多く、「華人流出」の主な行き先はカナダなのだ。その中でもトロントとその周辺が主流。ちょうどカルカッタ華人(客家人と広東人でほぼすべて)の先祖の大半が今の広東省の梅県が出自であるように、地縁血縁を頼って移住するケースが多いためらしい。

    そんなわけで、カナダ、とりわけトロント(やその周辺)に行くと、カルカッタの旧中華街や郊外のテーングラー地区で食べられるような「客家印度中華料理」や「広東印度中華料理」といったものにありつくことが出来るという。

    揚げ物や点心類を除けば、おかずものはグレイビーを含むアイテムが多い(カレー類のようにご飯にかけて食べるため)とか、インドアイテムもレパートリーに含まれるなどといった特徴がある。

    とはいえ、一般的なカナダ人は客家料理、広東料理の区別はつかない(日本人ですらよくわからない)だろうし、ましてやカナダ移住前に香港にいようが、インドにいようが、まったく関心はないはずなので、そうした背景は「知る人ぞ知る」違いでしかないのかもしれない。

    それでもこうしたインドからの華人移民たちは、親族や同郷の仲間たちと集まると、インドの映画音楽をかけて踊ったり、祝い事の際にはミターイーを配ったりという具合と聞くので、何か接触できる機会があると勉強になりそうだ。

    トロント近郊のヴォーン市にある「Royal Jade Restaurant」は、そうしたカルカッタ起源の華人たちが営むレストランのひとつ。今も親族が経営する店がカルカッタにあるという。どちらもぜひ味わってみたいものだ。

  • 映画「THE KASHMIR FILES」

    映画「THE KASHMIR FILES」

    インドでは3/11に公開されたとのことで日本のNETFLIXでも早く取り扱って欲しい。

    インド国内でカシミールからの避難民がいることはご存知だろう。1990年代、カシミール渓谷の混乱期に故郷を追われた「カシミーリー・パンディット」つまりカシミーリー・ブラーフマンたちだ。この時期のカシミールでは、1987年の州議会選挙における不正疑惑を期に騒乱が始まり、西隣国による工作もあり、インドからの分離を求める武装闘争に発展していく。その中でカシミーリー・パンディットたちは親インド的であるとされて誘拐されたり、武装組織に殺害されたり、家屋を焼かれたりと激しい攻撃の対象となった。

    カシミールでの騒乱をイスラーム主義過激派による活動と勘違いしている人たちも少なくないが、カシミール民族による民族主義運動で、そこに西の隣国、その庇護下にあるイスラーム主義武装組織がテコ入れして煽るという構図であった。

    ともあれ、カシミーリー・パンディットたちは故郷を離れてジャンムー側に逃れた人たちが多く、さらにはパンジャーブ、デリー、UPその他各地に定着している。彼らはブラーフマンということで、その他のヒンドゥーたちはどうなったのか?と思う方もあるかもしれない。カシミールはイスラーム教徒からしてみると、平和にそして広範囲に深く信仰が浸透できた土地で、13世紀以降に広まったイスラームに大半の人たちが改宗しており、ヒンドゥーのコミュニティーはほぼブラーフマン、現在「カシミーリー・パンディット」と呼ばれる人たちしか残っていないのだ。もちろんそのパンディットのコミュニティーからも少なからず親族まるごとイスラームに改宗したという例は少なくないのだろう。

    初代インド首相のジャワハールラール・ネヘルーは、親しみを込めて「パンディット・ジー(学者様)」と呼ばれていたが、単に彼がブラーフマンの知識人であるからというわけではなく、彼自身がそのカシミーリー・パンディットの家の出であったからだ。

    出演している名優アヌパム・ケール自身もカシミーリー・パンディットだが、彼はもともとJ&K州の外で過ごしてきた人なので、迫害を自身で経験したわけではない。もうひとつ、作品の背景として興味深いのは、上映される環境が政治的にバイアスがかかっていることが想定されることだ。BJPお勧めの映画でもあるようで、同党の治世下にある州では「免税上映」となっているらしい。

    The Kashmir Files now tax-free in Uttar Pradesh, announces Yogi Adityanath (Hindustan Times)

    上に引用したリンクはUP州における免税上映のことを報じているが、ウッタラーカンド州、ゴア州、その他のBJPが与党の州では同様の措置を講じているそうだ。「ぜひとも我が州民の皆様に観て考えていただきたい」ということなのだろう。

    実は、まさにこのカシミールの騒乱とカシミールの分離主義勢力によるカシミーリー・パンディットへの迫害は、BJPが急成長する原点であったとも言え、同党にとっては忘れることのできない原風景なのだ。ムスリムの人たちに関する悪宣伝と対立を煽る言質、少数派擁護の姿勢の国民会議派のスタンスを「トゥシティーカラン(甘やかし)」とこき下ろし、「ヒンドゥー・ラーシュトラ(ヒンドゥー国家)」を唱えて、支持を広げていった。

    国民会議派政権下で、独立以来ずっと「ダルム・ニルペークシ(世俗主義)」が国是であると教えられてきて、それでいて英国植民地時代の手法「Devide and Rule(分割統治)」を地でいくような統治手法に矛盾を感じてもいた当時の人たち。そんな中で「ヒンドゥーこそ至上」「多数派こそ正義」などと胸を張ってはいけないものと教育されてきた世代の人たちにとって、エポックメイキングな出来事であったのが、BJPが広めるまったく新しい「ヒンドゥー至上主義」。

    その至上主義というのは、驚くべきことに古典や経典に縛られた教条主義、復古主義とは無縁で、しかもカーストや階層にもこだわらず誰もが等しく参加できる。加えてインド起源の信仰であればスィクでも仏教徒でもジャイナ教徒でもなんでもOK。それまでは蚊帳の外だった低いカースト、さらには少数民族であっても歓迎されるという、極めて緩くて懐の広いものでもあったため、あれよあれよと言う間にこれが時流となり、支持を急拡大させていった。それまでメインストリームの外にいた人たちやそうした層をも取り込んで、これまでの「主流派」に合流させて、「拡大主流派」を誕生させることとなった。これが現在のBJPの支持基盤だ。メインストリームの外の人たちも合流したがゆえに、インド北東部のような「蚊帳の外」であった地域でも続々BJP政権が成立するようになった。

    もちろんそうなっていく過程で幾度も軌道修正がなされているわけだが、80年代まで弱小政党だったBJPが大きく飛躍するきっかけとなった背景がRam Janambhumi(ラーマ生誕地)問題であり、統一民法問題(インドの民法は宗教別)であり、カシミール問題でもあった。それまで少数派に譲歩ばかり強いられてきたと感じていた人たちによる「多数派の逆襲」がBJPの急伸。

    ここに描かれている当時のカシミールの世相は、後のBJPを育むこととなったサフラン精力的台頭の原点のひとつと言える。BJPにとってもそれを支持するひとたちにとっても、まさに「その時、時代が動いた」と言える思い出のひとつが、この時期のカシミールの世情である。

    映画「THE KASHMIR FILES」予告編 (Youtube)

  • 革命万歳!

    前政権の国民会議派を打ち負かしてパンジャーブ州与党となるAAP(庶民党)。本日その新政権が発足したが、就任式は実に変わったものであったようだ。州都ではなく、彼が敬愛する、そしてパンジャーブ州民が尊敬する郷土の英雄、インド独立の志士のひとりであったバガット・スィンの父祖の村カトカルカランでの開催。各界のVIPを招待せず、村人その他集まってきた市民に囲まれての就任式だったとのこと。

    またパンジャーブのチーフミニスターとなるバグワント・マーンの就任の誓いの言葉もおきまりの「私、××は神に誓って×××」という簡素なものではなく、彼のこれから5年間の任期にかける思いを滔々と述べた後、「インカラーブ・ズィンダーバード!(革命万歳!)」で締めるという珍しいもの。「革命万歳!」は、反英闘争の時代によく叫ばれたスローガンだ。

    この季節、バサント(春)を象徴する、そして革命家バガット・スィンの愛した色でもある黄色を男性たちはパグリー(ターバン)で身に着け、女性たちは黄色いドゥパッターを被って集まるようにと告知していたため、黄色一色の会場はまさに春のさいさきよいスタート、そしてこれから革命的な変化をもたらそうという熱気のようなものに満ちていたことだろう。インドで黄色の意味するところは聖性、純粋性、そして勝利の象徴でもあり、既成政治に挑戦する市民活動から始まったAAP(庶民党)には私も大いに期待している。

    INQALAB, ZINDADAD !!!

    At Bhagat Singh’s Village, Bhagwant Mann And “Rang De Basanti” (NDTV)

  • 駐米ロシア大使館前が「ゼレンスキー通り」に

    これはベトナム戦争時にカルカッタの米国領事館が所在する通りの名前が「Harrington Street」から「Ho Chi Minh Sarani (ホーチミン通り)」に改称されたことを想起させる。

    ベトナム戦争終結後、そして長く西ベンガル州の州政府与党の座にあった共産党政権が転落して、民族主義政党(トリナムール・コングレス)に交代している今なお、通りの名前は変わらない。改称時には強硬に反発していたとされるアメリカ領事館も「ホーチミン」が「歴史の教科書の中に出てくる人物名のひとつ」となった現在は、普通に「Ho Chi Minh Sarani」をおそらく何の抵抗もなく「領事館所在地」として表示している。

    今回の「ゼレンスキー通り」は非公式な標識だが、正式な名称を変更してしまうあたり、インドのほうが上手かもしれない。

    駐米ロシア大使館前が「ゼレンスキー大統領通り」に。非公式の標識で反戦訴え(Huffington Post)

  • アメリカはすごい

    アメリカはすごい

    「AAJTAK」の中継映像から

    インドのニュース番組AAJTAKのスタジオが米国国務省にいる同省のスポークスマンと繋がっている。アナウンサーやオンラインで参加している退役した軍幹部などの識者と意見交換。ジェード・タラールという名前の米国国務省の人はインド系なのだろうけど、ヒンディー語メディアに対してごく当たり前にヒンディーでの質疑応答や議論に参加できる人材がいるというのは、いかにもアメリカらしい。中国やインドその他の国から優れた人材をどんどん呼び寄せて国の発展に貢献してもらうという、そういう機会を移民にどんどん提供するという磁力と魅力に満ちているがゆえのことなのだろう。「やはりすごいなアメリカ!」と思わざるを得ない。

  • AAJTAKの本気度と大国の論理

    AAJTAKの本気度と大国の論理

    「AAJTAK」の中継映像から

    このところウクライナからの現地リポートで出てくる女性がいる。寒い気候の中で帽子をすっぽり被って厚着なので、「若い女性リポーターが修行に出されているのかな?」と、しばらく気が付かなかったが、同ニュース番組のエース級のアンカーのひとり、シウェター・スィンであったので、これはびっくり。アナウンサー歴26年のベテランである。ときどき選挙リポートなどで現地から伝える姿は見かけるが、シウェター・スィンともあろう人が、戦地でのリポートとは。ニュース番組AAJTAKの本気度が伝わってくるようだ。

    開戦以来、同チャンネルのウクライナ報道を見ていて気が付いたのだが、戦争という嗜眠に対する非人道的な行為に対して、プーチンの横暴に対して、厳しく糾弾しているのは言うまでもないが、ゼレンスキー大統領やウクライナ政府については、必ずしも両手を挙げて同情的というわけでもないらしい。戦火を招いた当事者の一角として捉えている。

    スタジオに呼ばれたり、リモートでコメントするインドの国際政治評論家、軍事評論家たちともなると、NATOの東方拡大により西欧とロシアのバランスが崩れているとか、西欧による一点張りの批判には必ずしも同意できないとかいう発言も少なくない。インドは中国と違って、こうしたメディアは政府のコントロール下にあるわけではないのだが、国情が違えばこういう見立ても出てくるものなのか。ロシアはソヴィエト連邦時代から続く長年の友好国であり、「ロシアアレルギー」とは無縁で、かつて「同志」であった旧東ブロックへの警戒感もまったく無いという、インドならではの事情もあるが、それよりも大きな要因がひとつあるように私は思う。

    それは、大国ロシアの立ち位置と南アジアにおける域内大国インドのそれは、イコールではないものの、似通った部分が多いことだ。たとえばカシミールの係争問題。国際的な問題として提起したいパキスタンに対して、インドはあくまでも二国間問題であるという態度を崩さない。パキスタンやバングラデシュとの間の水利問題も同様。

    そして何年か前のパキスタン領内への空爆、そこにある越境テロ組織の拠点を叩いたとのことで、国際的には強い批判を招いてもおかしくない隣国への空爆であったが、ここでも他国による口出しを許さなかった。このときはちょうどインドの総選挙戦の始まる直前。これでBJPは大いに株を上げた。パキスタン側では「空爆の事実はない」と応じたが、やはり政権による子飼いのテロ組織があること、その基地があることを認めることになるので、「空爆された」とは、なかなか言えない。

    また、もうひとつの隣国ネパールへの、ときに横暴とも言えるほどの扱いについても、やはり二国間問題なのだ。こうした域内秩序について、同域内で圧倒的な存在感と力量を示すインドは他者による介入を是としないが、これと同様の理解が今回のウクライナ危機に対してもあるのかもしれない。オセアニア大陸北部におけるロシアの存在感を南アジアにおけるインドのそれと重ねてみると、大国の論理という共通点があるように思われる。

    インディア・トゥデイ(ヒンディー語版3月16日号)の社説記事にインドの元駐露大使のコメントが引用されていた。「もしネパールが中国と軍事同盟を結び、インドに向けたミサイルを配備するというような動きを見せたら、我々はこれを看過できるだろうか?」というもの。やはりこの点で、インドがロシアに一定の理解を示しているのは、我が身に置き換えてよく似た危機感(歴史的・文化的繋がりが深い隣国で友邦ネパールだが、近年中国にどんどん接近している)を共有しているという認識があるからという側面が大きいだろう。

    もちろんインドが自らの域内で、ロシアのような挙に出ることは、未来永劫に渡って決してありえないと思うのだが。

  • India Today系列のニュース番組で知るウクライナ情勢

    India Today系列のニュース番組で知るウクライナ情勢

    AAJTAK (ヒンディー語放送)の中継映像から

    ウクライナ危機に関するインドのニュース雑誌「INDIA TODAY」系のニュース専門チャンネルAAJTAKは情報量もあるし速報は迅速だし分析も深い。

    ご存知のとおりインド政府は友好国ロシアへの遠慮から国連の非難決議等は棄権するなど、自国民救出に奔走する一方で、ロシア・ウクライナの二国間の問題であるとして距離を置いているが、それとは裏腹に、民間のニュース番組はロシアへ厳しい批判を展開している。

    同時にウクライナを率いるゼレンスキーへも多少の疑問を呈するとともに、NATOの東方拡大へのロシアの懸念にも、これまたいくばくかの理解を示す部分もあるというスタンスのようだ。置かれている立場も旧ソ連時代からの深い仲でもあることから、ロシアに対する眼差しに異なる部分があるのは、まあ当然かもしれない。

    ロシアへの態度は、もしかしたら世代によっても大きく異なるのかもしれない。ニュースキャスターが原発施設への攻撃を厳しい非難を含めて伝え、原子力関係の識者が「原子炉が無傷であったとしても安心できはしない。電源喪失という事態になれば冷却できない状態で炉が加熱して爆発という事態になる。欧州最大級の原発がそんなことになったら、どうなるのか、想像することすら恐ろしい。なぜこんな愚かなことをするのか」と批判する一方で、年配の軍事評論家はこんなことを口にする。「ソ連時代に建築された発電所なので、ロシアは施設の配置や構造をすべて判っているので問題はない。発電所を占拠すること、原発でさえ躊躇せず襲うということで心理的な圧力をかけているのだ。情報戦の一環でもある」といった具合。

    インドのある程度以上の年代の人たちの間では、今もどこかに旧ソ連やロシアへの信頼感、憧憬のようなものがまだあるとしても不思議ではない。80年代以前、旧ソ連は社会主義の同志で、ポーランドやチェコのように旧ソ連に圧迫された経験もないため、ネガティブな感情を抱きにくいということもある。おまけに国境を接していないので領土問題もなく、旧ソ連時代には様々なレベル・分野での交流も盛ん、インド各地の大きな街にはモスクワに本部があるソビエト専門の書店があった。英語やヒンディー語をはじめとするインドの言語に翻訳された書籍が並んでいた。私もときどきそういう店で「インド人用のソ連書籍」を買ったことがある。同じ時期の日本から見たソ連への感情とは180度異なるものがあったように思う。その頃のインドはいわゆる「消費主義」へ批判的な風潮もあり、当時のソ連と心理的にも親和性は高かったのかもしれないし、彼らの進んだ科学技術への憧れもあったことだろう。

    AAJTAKで特異なのは、複数の特派員を送り、「グラウンド・リポート」として、キエフや郊外の各地から映像とともに情報を伝えていることだ。私たちの世の中の非常時であるとして、日々の放送内容の大半をウクライナ情勢に費やす心意気には打たれるものがある。印パ関係が緊張したときでも、「日々まるまる印パ関係」ということはなかったのに、ウクライナ侵略開始以来ずっと「ほぼまるごとウクライナ危機専門ニュースチャンネル」になっている背景には、この局がこの戦争について大変な危機感と問題意識を持っているからに他ならないだろう。国営放送及び民間放送の他局は通常通りに大半が国内ニュースで、ときどきウクライナ関係の映像が挟まる程度、あるいは脱出先の東欧からインド軍機で帰国したインド人留学生たちを取材する程度であるため、その特異性は際立っている。

    INDIA TODAY (英語放送)

    前述のとおり、AAJTAKはニュースメディアの「India Today」グループの放送局だが、この「India Today」名の英語放送も運営しており、ほぼ同じ内容のニュースを英語で見ることもできる。インドの多くのニュースチャンネルは、国営放送から民放まで、インターネットでもライブ放送をしている。インドでオンエアしている内容をそのままネットで見ることができるわけだ。日本放送局も同様のサービスをしてくれれば良いのにと思う。日本からの現地レポートが手薄ないっぽうで、国際報道の分野でも台頭するインドからのニュースで、よりわかるウクライナ情勢。ウクライナ情勢に関して、今ぜひ視聴をお勧めしたい。

  • 今の華人の若者たちはすごい

    コールカーターでは、華人系企業が生産するチリソースをはじめとするソース類の販売で、ホットな競争が繰り広げられているらしい。日本のメディアで、ときどきインドの華人を取り上げる際には、いつも紋切り型の「衰退する華人コミュニティ」が言われるが、これは以前からの報道から孫引きしたような記事ばかり書いているから。

    今の華人の若い世代は、高学歴でカナダ、米国などへの留学経験を持つ人たちも少なくなく、斬新なアイデアで家業に貢献していく。そんな中でシンガポールのNGOと組んで旧中華街のヘリテージの復興などにも力を入れており、彼らの上の世代とはぜんぜん違うオープンさと大胆さがある。

    近年始めた「ドラゴンボートレース」に、カルカッタの中国領事館からも支援も取り付けるなんていうのも、とにかく中華人民共和国と距離を置くという姿勢を貫いてきた古い世代には想像すらできないことだろう。

    いまどきのコールカーター華人の若者たちはすごい。

    リンク先は、そうした若い人たちに関する記事ではないが、こうした若い世代の台頭で活気のあるコールカーターの中華食品業界における「ソース戦争」のトビック。

    The Sauce Wars: Competing for the most-authentic tag (The Telegraph online)