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カテゴリー: life

  • カナダの客家印度中華料理屋

    カナダを訪問する機会があったらぜひ訪問してみたいと思うのが、カルカッタから移住した華人が経営する中華料理屋。

    カルカッタからカナダへの移住はルートが出来上がっているためたいへん多く、「華人流出」の主な行き先はカナダなのだ。その中でもトロントとその周辺が主流。ちょうどカルカッタ華人(客家人と広東人でほぼすべて)の先祖の大半が今の広東省の梅県が出自であるように、地縁血縁を頼って移住するケースが多いためらしい。

    そんなわけで、カナダ、とりわけトロント(やその周辺)に行くと、カルカッタの旧中華街や郊外のテーングラー地区で食べられるような「客家印度中華料理」や「広東印度中華料理」といったものにありつくことが出来るという。

    揚げ物や点心類を除けば、おかずものはグレイビーを含むアイテムが多い(カレー類のようにご飯にかけて食べるため)とか、インドアイテムもレパートリーに含まれるなどといった特徴がある。

    とはいえ、一般的なカナダ人は客家料理、広東料理の区別はつかない(日本人ですらよくわからない)だろうし、ましてやカナダ移住前に香港にいようが、インドにいようが、まったく関心はないはずなので、そうした背景は「知る人ぞ知る」違いでしかないのかもしれない。

    それでもこうしたインドからの華人移民たちは、親族や同郷の仲間たちと集まると、インドの映画音楽をかけて踊ったり、祝い事の際にはミターイーを配ったりという具合と聞くので、何か接触できる機会があると勉強になりそうだ。

    トロント近郊のヴォーン市にある「Royal Jade Restaurant」は、そうしたカルカッタ起源の華人たちが営むレストランのひとつ。今も親族が経営する店がカルカッタにあるという。どちらもぜひ味わってみたいものだ。

  • 映画「THE KASHMIR FILES」

    映画「THE KASHMIR FILES」

    インドでは3/11に公開されたとのことで日本のNETFLIXでも早く取り扱って欲しい。

    インド国内でカシミールからの避難民がいることはご存知だろう。1990年代、カシミール渓谷の混乱期に故郷を追われた「カシミーリー・パンディット」つまりカシミーリー・ブラーフマンたちだ。この時期のカシミールでは、1987年の州議会選挙における不正疑惑を期に騒乱が始まり、西隣国による工作もあり、インドからの分離を求める武装闘争に発展していく。その中でカシミーリー・パンディットたちは親インド的であるとされて誘拐されたり、武装組織に殺害されたり、家屋を焼かれたりと激しい攻撃の対象となった。

    カシミールでの騒乱をイスラーム主義過激派による活動と勘違いしている人たちも少なくないが、カシミール民族による民族主義運動で、そこに西の隣国、その庇護下にあるイスラーム主義武装組織がテコ入れして煽るという構図であった。

    ともあれ、カシミーリー・パンディットたちは故郷を離れてジャンムー側に逃れた人たちが多く、さらにはパンジャーブ、デリー、UPその他各地に定着している。彼らはブラーフマンということで、その他のヒンドゥーたちはどうなったのか?と思う方もあるかもしれない。カシミールはイスラーム教徒からしてみると、平和にそして広範囲に深く信仰が浸透できた土地で、13世紀以降に広まったイスラームに大半の人たちが改宗しており、ヒンドゥーのコミュニティーはほぼブラーフマン、現在「カシミーリー・パンディット」と呼ばれる人たちしか残っていないのだ。もちろんそのパンディットのコミュニティーからも少なからず親族まるごとイスラームに改宗したという例は少なくないのだろう。

    初代インド首相のジャワハールラール・ネヘルーは、親しみを込めて「パンディット・ジー(学者様)」と呼ばれていたが、単に彼がブラーフマンの知識人であるからというわけではなく、彼自身がそのカシミーリー・パンディットの家の出であったからだ。

    出演している名優アヌパム・ケール自身もカシミーリー・パンディットだが、彼はもともとJ&K州の外で過ごしてきた人なので、迫害を自身で経験したわけではない。もうひとつ、作品の背景として興味深いのは、上映される環境が政治的にバイアスがかかっていることが想定されることだ。BJPお勧めの映画でもあるようで、同党の治世下にある州では「免税上映」となっているらしい。

    The Kashmir Files now tax-free in Uttar Pradesh, announces Yogi Adityanath (Hindustan Times)

    上に引用したリンクはUP州における免税上映のことを報じているが、ウッタラーカンド州、ゴア州、その他のBJPが与党の州では同様の措置を講じているそうだ。「ぜひとも我が州民の皆様に観て考えていただきたい」ということなのだろう。

    実は、まさにこのカシミールの騒乱とカシミールの分離主義勢力によるカシミーリー・パンディットへの迫害は、BJPが急成長する原点であったとも言え、同党にとっては忘れることのできない原風景なのだ。ムスリムの人たちに関する悪宣伝と対立を煽る言質、少数派擁護の姿勢の国民会議派のスタンスを「トゥシティーカラン(甘やかし)」とこき下ろし、「ヒンドゥー・ラーシュトラ(ヒンドゥー国家)」を唱えて、支持を広げていった。

    国民会議派政権下で、独立以来ずっと「ダルム・ニルペークシ(世俗主義)」が国是であると教えられてきて、それでいて英国植民地時代の手法「Devide and Rule(分割統治)」を地でいくような統治手法に矛盾を感じてもいた当時の人たち。そんな中で「ヒンドゥーこそ至上」「多数派こそ正義」などと胸を張ってはいけないものと教育されてきた世代の人たちにとって、エポックメイキングな出来事であったのが、BJPが広めるまったく新しい「ヒンドゥー至上主義」。

    その至上主義というのは、驚くべきことに古典や経典に縛られた教条主義、復古主義とは無縁で、しかもカーストや階層にもこだわらず誰もが等しく参加できる。加えてインド起源の信仰であればスィクでも仏教徒でもジャイナ教徒でもなんでもOK。それまでは蚊帳の外だった低いカースト、さらには少数民族であっても歓迎されるという、極めて緩くて懐の広いものでもあったため、あれよあれよと言う間にこれが時流となり、支持を急拡大させていった。それまでメインストリームの外にいた人たちやそうした層をも取り込んで、これまでの「主流派」に合流させて、「拡大主流派」を誕生させることとなった。これが現在のBJPの支持基盤だ。メインストリームの外の人たちも合流したがゆえに、インド北東部のような「蚊帳の外」であった地域でも続々BJP政権が成立するようになった。

    もちろんそうなっていく過程で幾度も軌道修正がなされているわけだが、80年代まで弱小政党だったBJPが大きく飛躍するきっかけとなった背景がRam Janambhumi(ラーマ生誕地)問題であり、統一民法問題(インドの民法は宗教別)であり、カシミール問題でもあった。それまで少数派に譲歩ばかり強いられてきたと感じていた人たちによる「多数派の逆襲」がBJPの急伸。

    ここに描かれている当時のカシミールの世相は、後のBJPを育むこととなったサフラン精力的台頭の原点のひとつと言える。BJPにとってもそれを支持するひとたちにとっても、まさに「その時、時代が動いた」と言える思い出のひとつが、この時期のカシミールの世情である。

    映画「THE KASHMIR FILES」予告編 (Youtube)

  • 革命万歳!

    前政権の国民会議派を打ち負かしてパンジャーブ州与党となるAAP(庶民党)。本日その新政権が発足したが、就任式は実に変わったものであったようだ。州都ではなく、彼が敬愛する、そしてパンジャーブ州民が尊敬する郷土の英雄、インド独立の志士のひとりであったバガット・スィンの父祖の村カトカルカランでの開催。各界のVIPを招待せず、村人その他集まってきた市民に囲まれての就任式だったとのこと。

    またパンジャーブのチーフミニスターとなるバグワント・マーンの就任の誓いの言葉もおきまりの「私、××は神に誓って×××」という簡素なものではなく、彼のこれから5年間の任期にかける思いを滔々と述べた後、「インカラーブ・ズィンダーバード!(革命万歳!)」で締めるという珍しいもの。「革命万歳!」は、反英闘争の時代によく叫ばれたスローガンだ。

    この季節、バサント(春)を象徴する、そして革命家バガット・スィンの愛した色でもある黄色を男性たちはパグリー(ターバン)で身に着け、女性たちは黄色いドゥパッターを被って集まるようにと告知していたため、黄色一色の会場はまさに春のさいさきよいスタート、そしてこれから革命的な変化をもたらそうという熱気のようなものに満ちていたことだろう。インドで黄色の意味するところは聖性、純粋性、そして勝利の象徴でもあり、既成政治に挑戦する市民活動から始まったAAP(庶民党)には私も大いに期待している。

    INQALAB, ZINDADAD !!!

    At Bhagat Singh’s Village, Bhagwant Mann And “Rang De Basanti” (NDTV)

  • 駐米ロシア大使館前が「ゼレンスキー通り」に

    これはベトナム戦争時にカルカッタの米国領事館が所在する通りの名前が「Harrington Street」から「Ho Chi Minh Sarani (ホーチミン通り)」に改称されたことを想起させる。

    ベトナム戦争終結後、そして長く西ベンガル州の州政府与党の座にあった共産党政権が転落して、民族主義政党(トリナムール・コングレス)に交代している今なお、通りの名前は変わらない。改称時には強硬に反発していたとされるアメリカ領事館も「ホーチミン」が「歴史の教科書の中に出てくる人物名のひとつ」となった現在は、普通に「Ho Chi Minh Sarani」をおそらく何の抵抗もなく「領事館所在地」として表示している。

    今回の「ゼレンスキー通り」は非公式な標識だが、正式な名称を変更してしまうあたり、インドのほうが上手かもしれない。

    駐米ロシア大使館前が「ゼレンスキー大統領通り」に。非公式の標識で反戦訴え(Huffington Post)

  • アメリカはすごい

    アメリカはすごい

    「AAJTAK」の中継映像から

    インドのニュース番組AAJTAKのスタジオが米国国務省にいる同省のスポークスマンと繋がっている。アナウンサーやオンラインで参加している退役した軍幹部などの識者と意見交換。ジェード・タラールという名前の米国国務省の人はインド系なのだろうけど、ヒンディー語メディアに対してごく当たり前にヒンディーでの質疑応答や議論に参加できる人材がいるというのは、いかにもアメリカらしい。中国やインドその他の国から優れた人材をどんどん呼び寄せて国の発展に貢献してもらうという、そういう機会を移民にどんどん提供するという磁力と魅力に満ちているがゆえのことなのだろう。「やはりすごいなアメリカ!」と思わざるを得ない。

  • AAJTAKの本気度と大国の論理

    AAJTAKの本気度と大国の論理

    「AAJTAK」の中継映像から

    このところウクライナからの現地リポートで出てくる女性がいる。寒い気候の中で帽子をすっぽり被って厚着なので、「若い女性リポーターが修行に出されているのかな?」と、しばらく気が付かなかったが、同ニュース番組のエース級のアンカーのひとり、シウェター・スィンであったので、これはびっくり。アナウンサー歴26年のベテランである。ときどき選挙リポートなどで現地から伝える姿は見かけるが、シウェター・スィンともあろう人が、戦地でのリポートとは。ニュース番組AAJTAKの本気度が伝わってくるようだ。

    開戦以来、同チャンネルのウクライナ報道を見ていて気が付いたのだが、戦争という嗜眠に対する非人道的な行為に対して、プーチンの横暴に対して、厳しく糾弾しているのは言うまでもないが、ゼレンスキー大統領やウクライナ政府については、必ずしも両手を挙げて同情的というわけでもないらしい。戦火を招いた当事者の一角として捉えている。

    スタジオに呼ばれたり、リモートでコメントするインドの国際政治評論家、軍事評論家たちともなると、NATOの東方拡大により西欧とロシアのバランスが崩れているとか、西欧による一点張りの批判には必ずしも同意できないとかいう発言も少なくない。インドは中国と違って、こうしたメディアは政府のコントロール下にあるわけではないのだが、国情が違えばこういう見立ても出てくるものなのか。ロシアはソヴィエト連邦時代から続く長年の友好国であり、「ロシアアレルギー」とは無縁で、かつて「同志」であった旧東ブロックへの警戒感もまったく無いという、インドならではの事情もあるが、それよりも大きな要因がひとつあるように私は思う。

    それは、大国ロシアの立ち位置と南アジアにおける域内大国インドのそれは、イコールではないものの、似通った部分が多いことだ。たとえばカシミールの係争問題。国際的な問題として提起したいパキスタンに対して、インドはあくまでも二国間問題であるという態度を崩さない。パキスタンやバングラデシュとの間の水利問題も同様。

    そして何年か前のパキスタン領内への空爆、そこにある越境テロ組織の拠点を叩いたとのことで、国際的には強い批判を招いてもおかしくない隣国への空爆であったが、ここでも他国による口出しを許さなかった。このときはちょうどインドの総選挙戦の始まる直前。これでBJPは大いに株を上げた。パキスタン側では「空爆の事実はない」と応じたが、やはり政権による子飼いのテロ組織があること、その基地があることを認めることになるので、「空爆された」とは、なかなか言えない。

    また、もうひとつの隣国ネパールへの、ときに横暴とも言えるほどの扱いについても、やはり二国間問題なのだ。こうした域内秩序について、同域内で圧倒的な存在感と力量を示すインドは他者による介入を是としないが、これと同様の理解が今回のウクライナ危機に対してもあるのかもしれない。オセアニア大陸北部におけるロシアの存在感を南アジアにおけるインドのそれと重ねてみると、大国の論理という共通点があるように思われる。

    インディア・トゥデイ(ヒンディー語版3月16日号)の社説記事にインドの元駐露大使のコメントが引用されていた。「もしネパールが中国と軍事同盟を結び、インドに向けたミサイルを配備するというような動きを見せたら、我々はこれを看過できるだろうか?」というもの。やはりこの点で、インドがロシアに一定の理解を示しているのは、我が身に置き換えてよく似た危機感(歴史的・文化的繋がりが深い隣国で友邦ネパールだが、近年中国にどんどん接近している)を共有しているという認識があるからという側面が大きいだろう。

    もちろんインドが自らの域内で、ロシアのような挙に出ることは、未来永劫に渡って決してありえないと思うのだが。

  • India Today系列のニュース番組で知るウクライナ情勢

    India Today系列のニュース番組で知るウクライナ情勢

    AAJTAK (ヒンディー語放送)の中継映像から

    ウクライナ危機に関するインドのニュース雑誌「INDIA TODAY」系のニュース専門チャンネルAAJTAKは情報量もあるし速報は迅速だし分析も深い。

    ご存知のとおりインド政府は友好国ロシアへの遠慮から国連の非難決議等は棄権するなど、自国民救出に奔走する一方で、ロシア・ウクライナの二国間の問題であるとして距離を置いているが、それとは裏腹に、民間のニュース番組はロシアへ厳しい批判を展開している。

    同時にウクライナを率いるゼレンスキーへも多少の疑問を呈するとともに、NATOの東方拡大へのロシアの懸念にも、これまたいくばくかの理解を示す部分もあるというスタンスのようだ。置かれている立場も旧ソ連時代からの深い仲でもあることから、ロシアに対する眼差しに異なる部分があるのは、まあ当然かもしれない。

    ロシアへの態度は、もしかしたら世代によっても大きく異なるのかもしれない。ニュースキャスターが原発施設への攻撃を厳しい非難を含めて伝え、原子力関係の識者が「原子炉が無傷であったとしても安心できはしない。電源喪失という事態になれば冷却できない状態で炉が加熱して爆発という事態になる。欧州最大級の原発がそんなことになったら、どうなるのか、想像することすら恐ろしい。なぜこんな愚かなことをするのか」と批判する一方で、年配の軍事評論家はこんなことを口にする。「ソ連時代に建築された発電所なので、ロシアは施設の配置や構造をすべて判っているので問題はない。発電所を占拠すること、原発でさえ躊躇せず襲うということで心理的な圧力をかけているのだ。情報戦の一環でもある」といった具合。

    インドのある程度以上の年代の人たちの間では、今もどこかに旧ソ連やロシアへの信頼感、憧憬のようなものがまだあるとしても不思議ではない。80年代以前、旧ソ連は社会主義の同志で、ポーランドやチェコのように旧ソ連に圧迫された経験もないため、ネガティブな感情を抱きにくいということもある。おまけに国境を接していないので領土問題もなく、旧ソ連時代には様々なレベル・分野での交流も盛ん、インド各地の大きな街にはモスクワに本部があるソビエト専門の書店があった。英語やヒンディー語をはじめとするインドの言語に翻訳された書籍が並んでいた。私もときどきそういう店で「インド人用のソ連書籍」を買ったことがある。同じ時期の日本から見たソ連への感情とは180度異なるものがあったように思う。その頃のインドはいわゆる「消費主義」へ批判的な風潮もあり、当時のソ連と心理的にも親和性は高かったのかもしれないし、彼らの進んだ科学技術への憧れもあったことだろう。

    AAJTAKで特異なのは、複数の特派員を送り、「グラウンド・リポート」として、キエフや郊外の各地から映像とともに情報を伝えていることだ。私たちの世の中の非常時であるとして、日々の放送内容の大半をウクライナ情勢に費やす心意気には打たれるものがある。印パ関係が緊張したときでも、「日々まるまる印パ関係」ということはなかったのに、ウクライナ侵略開始以来ずっと「ほぼまるごとウクライナ危機専門ニュースチャンネル」になっている背景には、この局がこの戦争について大変な危機感と問題意識を持っているからに他ならないだろう。国営放送及び民間放送の他局は通常通りに大半が国内ニュースで、ときどきウクライナ関係の映像が挟まる程度、あるいは脱出先の東欧からインド軍機で帰国したインド人留学生たちを取材する程度であるため、その特異性は際立っている。

    INDIA TODAY (英語放送)

    前述のとおり、AAJTAKはニュースメディアの「India Today」グループの放送局だが、この「India Today」名の英語放送も運営しており、ほぼ同じ内容のニュースを英語で見ることもできる。インドの多くのニュースチャンネルは、国営放送から民放まで、インターネットでもライブ放送をしている。インドでオンエアしている内容をそのままネットで見ることができるわけだ。日本放送局も同様のサービスをしてくれれば良いのにと思う。日本からの現地レポートが手薄ないっぽうで、国際報道の分野でも台頭するインドからのニュースで、よりわかるウクライナ情勢。ウクライナ情勢に関して、今ぜひ視聴をお勧めしたい。

  • 今の華人の若者たちはすごい

    コールカーターでは、華人系企業が生産するチリソースをはじめとするソース類の販売で、ホットな競争が繰り広げられているらしい。日本のメディアで、ときどきインドの華人を取り上げる際には、いつも紋切り型の「衰退する華人コミュニティ」が言われるが、これは以前からの報道から孫引きしたような記事ばかり書いているから。

    今の華人の若い世代は、高学歴でカナダ、米国などへの留学経験を持つ人たちも少なくなく、斬新なアイデアで家業に貢献していく。そんな中でシンガポールのNGOと組んで旧中華街のヘリテージの復興などにも力を入れており、彼らの上の世代とはぜんぜん違うオープンさと大胆さがある。

    近年始めた「ドラゴンボートレース」に、カルカッタの中国領事館からも支援も取り付けるなんていうのも、とにかく中華人民共和国と距離を置くという姿勢を貫いてきた古い世代には想像すらできないことだろう。

    いまどきのコールカーター華人の若者たちはすごい。

    リンク先は、そうした若い人たちに関する記事ではないが、こうした若い世代の台頭で活気のあるコールカーターの中華食品業界における「ソース戦争」のトビック。

    The Sauce Wars: Competing for the most-authentic tag (The Telegraph online)

  • インド入国最新情報 (2022年2月)

    オミクロン株騒動もある程度落ち着き、世界の往来は少しずつ、それでも着実に復活しつつある。日本の鎖国状態もわずかながら緩和されるとともに、今後感染力がさらに強い変異株が出てこない限り、牛歩のようなペースでありながらも、次第に元あった姿に、本来あるべき形に戻りつつあるのだろう。

    そんな中で、ティラキタさんが公開された現時点でのインド入国についての準備と注意点のまとめ。こういう具合に簡潔にわかりやすくまとめていただけると大変ありがたい。もっとも状況はどんどん変化していくものなので、「だいたいこういう具合か」と把握したうえで、実際に渡航される際には再度自分自身での確認が必要になるとは思う。

    もう3年目に入ってしまった新型コロナウイルス感染症に係るさまざまな問題に加えて、ロシアによるウクライナへの侵攻という、これまで長く培われてきた国際秩序が音を立てて崩壊していくような危機を迎えて、私たちの世界は今後、どのような変化と展開を見せていくのかとはなはだ不安にならずにはいられない。

    パンデミックの終焉と国際平和というふたつの事柄は、目下、世界中の誰もが切に願っていることであろう。

    コロナ禍中のインドへ インド入国についての必要な準備と注意点  TODO リスト付き【2022年2月版】(ティラキタ駱駝通信)

  • ラターの歌声は永遠に

    先日亡くなったラター・マンゲーシュカル最後のリリース作品(2019年)となったリリースのSaugandh Mujhe Is Mitti ki。このとき90歳。さすがに全盛期の伸びやかな歌声ではないが立派なもの。この人のすごいところは、10代から70代に入るあたりまで、ずっと全盛期だったところだ。ゆえに生涯3万曲を超える歌を世に放った「インドの音源」。今でもインドの街なかでで彼女の歌声が流れない日はない。

    それにしてもこの「Saugandh Mujhe Is Mitti ki」という歌の内容といい、曲が始まる前の語りの内容といい、自身による最後の作品となることを予見していたかのような愛国的なもので、いかにも彼女らしいと思う。

    Saugandh Mujhe Is Mitti Ki (Youtube)

  • 特集「ヒジャーブ」

    特集「ヒジャーブ」

     

    インディア・トゥデイ3月2日号の特集は「ヒジャーブ」。この下敷きとなっているのは、今月カルナータカ州のある学校で起きた出来事とそれに対する学校の反応がインド国内はおろか、海外でも大きく取り上げられるトピックになっていることがある。

    「私はムスリムなのでムスリムらしい格好で学校に通う」と、ヒジャーブ姿で登校した女子生徒。これを学校側が見咎め注意するも改めないためクラスへの出席を禁止、女子生徒は裁判所に訴え出るという顛末に。校内ではこの生徒に反発する生徒たちがアンチ・ムスリムの行動に出たり、外野の大人たちまで学校近くやSNSなどで騒ぎ立てるという具合になっている。

    これがインド国内でテレビなどでも大きく取り上げられると、BBC、アルジャジーラその他、海外の有力メディアでもカバーされるようになり、かなりホットなトピックになっている。これが目下の「ヒジャーブ論争」であり、これに対応して組まれた特集が今回のものという次第。

    こちらに張ったリンクは「インディアン・エクスプレス」の記事だが、同じインドメディアでも立ち位置が異なるものだと切り口や意見が異なるのはもちろんのことだが、イギリス、フランスなど欧州の報道陣による記事、隣国パキスタンや湾岸諸国の記事などと読みくらべてみると、さらに興味深い。視点や問題とする部分が大きく異なり、カルナータカ州の両者が折り会える着地点はないように思えてくるからだ。

    Amid hijab row, a refrain from a Kerala school: ‘Idea is to be inclusive, that’s what India stands for’(The Indian EXPRESS)

    学校に通う以上、そこの制服を着用することは進学を決めた時点で了解済みのはず。インドにおいても大多数の人たちがそう考えるはずだが、こうして社会問題化する側にはそれなりの意図と目的がある。行動を起こしたのは女子生徒個人であっても、そうさせることを仕向けた大人たちの存在があったのかもしれない。

    さて、カルナータカ州の学校においてムスリムの女子生徒が問題提起した「ヒジャーブ問題」だが、さらに波紋を広げ、ついに死人が出るまでの衝突にまでなっている。学びの場で発生した問題とはいえ、広くコミュナルな緊張を招きかねないトピックなので、1日でも早く収束してもらいたいと願うしかない。

    Security tightened in Karnataka’s Shivamogga after ‘murder’ of Bajrang Dal worker (Hindustan Times)

  • サント・ラヴィダース・ジャヤンティ

    先日、2月16日はサント・ラヴィダース(聖者ラヴィダース)またはグルー・ラヴィダースの記念日。この日がラヴィダースの誕生日であったとされる。ラヴィダースに因みのある施設等で人々が集って祝う。

    ラヴィダースは宗教家としてバクティ運動の中心のひとりとして知られているとともに、社会改革家としての側面もあった。万民の平等を唱えた人であったことから、ダリット層での人気も高い。選挙戦最中のUP州、ウッタラーカンド州、パンジャーブ州で右から左まで、政治家たちがこぞって「ラヴィダース参り」をしている。そんな中でモーディー首相もこのとおり。インドのリーダーたちにとって、こうした参拝はその支持層に対する「あなたたちをいつも気にかけていますよ」という姿勢を示すための大切な行為だ。

    近年のBJPの支持の安定した拡大の背景には、こうしたダリット層や部族層への着実な浸透がある。つまり以前は国民会議派、左派政党、各種地域政党の支持基盤であったところに大きく切り込んでいるからだ。そうした中でそうした旧被差別層の福利拡大にも取り組んでいる。BJPのスローガン「サブ・カー・ヴィカース、サブ・カー・ヴィシュワース、サブ・カー・プラヤース」(みんなの発展、みんなの信頼、みんなの取り組み)はただのお題目ではなく、BJPの本質として支持されるのは当然だろう。これでマイノリティー(ムスリム及びときどきクリスチャンへも)への冷淡な姿勢さえなければ、本当に良いのだが、

    RAVIDAS JAYANTI ‘Very special moments’: PM Modi takes part in ‘Shabad Kirtan’ at Ravidas Mandir in Delhi – Watch (ZEE NEWS)

    しかしながら常々感心するのはパールスィーの人たちの位置取り。外国起源(血筋だけでなく信仰も含めた)のコミュニティー、ムスリムやクリスチャンは冷遇されるいっぽうで、同じく外来というか、信仰だけではなく血筋すら外来の(先祖がイランから移住してきたパールスィーだがパールスィー以外と結婚するとパールスィーではなくなってしまう)パールスィーはBJP政権とも大変相性が良く、インドでいつの時代もインドのどこでも「愛国的コミュニティー」として認識されている。このあたりの世渡りの上手さはさすがである。あたかも10世紀に今のグジャラートのサンジャーンで現地の支配者に定住の希望を申し出たときの誓いが今の時代にも生きているかのようだ。

    (その誓いとは、定住に難色を示す支配者の目の前でミルクいっぱいにミルクを注ぎ、そこにスプーン1杯の砂糖を加えるが、コップからは一滴のミルクもこぼれることはなかった。「かように私たちはこの大地に溶け込み、世の中をを甘くすることを誓います」と述べたという故事のことである。)