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カテゴリー: life

  • インドラプラスタへの観測気球

    インドでの地名改名について、日本では唐突に伝えられるため、時の政府が気まぐれで勝手に変えたと思う人は少なくないかもしれないが、実はそのかなり前から有識者や有力者の発言、市民団体からの発案などが報じられていることが多い。

    そうした中でどのような反応が市民の間から出るのか、様子を観察しているフシが感じられる。もちろんメディアもそうしたことを続報として出すので、「あの街も名前変わるかもしれないんだな」と読者は気が付く。

    以前、冗談半分で「BJPによる改名ラッシュの中でデリーがインドラプラスタになるかも?」と書いたことがあるが、実際にそういう動きはやはりあるようだ。リンク先で伝えられている事柄についても、やはり発言者独自の考えというよりも、右翼勢力による首都改名についての観測気球のようなものかもしれない。

    BJP政権下での地名改名については、「地名の浄化(シュッディーカラン)」という特徴がある。外来勢力による支配等に因んだ名前を廃してヒンドゥー的なものに置き換えることによるそれだ。

    「デリー」については、それ自体に問題があるわけではないのだが、それを英語で「デリー」と呼ぼうと、ヒンディーで「ディッリー」と呼ぼうと、ウルドゥー語で「デーヘリー」と呼ぼうとも、長い長い間、様々な外来勢力に蹂躙されてきた過去を持つ都市、地域の名称であることには変わりはない。

    そこで神話「マハーバーラタ」に出てくる都「インドラプラスタ」に替えることで、そうしたネガティヴな記憶を帳消しにするシュッディーカラン、浄化をしようということなのだろう。さすがにインドの首都の名前が変わるようなことがあると、その他の土地の地名変更とは次元の異なる強烈なインパクトとなる。

    Now, demand to rename Delhi as Indraprastha (NATIONAL HERALD)

  • 落陽の国民会議派

    国民会議派の退潮ぶりを象徴するようなニュース。アラーハーバード(現プラヤーグラージ)のジャワーハル・スクエアにある「インド独立運動の聖地」のひとつ、国民会議派のアラーハーバード事務所だが、家賃滞納で立ち退きを迫られている。

    インドの初代首相ネルーの実家「アーナンド・バワン」を訪れたことのある人はとても多いかと思うが、この事務所はその妻であったカムラー氏が地域の代表を務めたときに拠点としていた歴史的な場所だ。

    もちろん今は国民会議派の活動の本拠地、ひいてはUP州の国民会議派本部はラクナウなので、ただの地方のローカルな党事務所のひとつにしか過ぎないため、ネルー家がアラーハーバードに暮らしていたときのような重要度はないとはいえ、「ジャワーハル・スクエアのコングレス事務所」と言えば、誰もが「ああ、ネルー家のお膝元の」と思い出す象徴的な場所。ゆえにこれが危機となればニュースになる。これまでも関係者たちは幾度も資金調達に努めてきたようだが、いよいよ危なくなっている。

    同様に現代のネルー家、つまりガーンディー家であり、国民会議派の実質的な本丸であるデリーの「10 Janpath」(総裁ソーニアー氏の居宅の所在地)の主も経済的な不正疑惑の渦中にあり、専門調査機関からの聴取などを受けるなど、こちらもグラついている感じだ。

    まだいくつかの州では地元ボス政治家たちの底力により国民会議派が政権を維持している州、与党BJPと拮抗する力を持つ州もあるが、MP州で「21礼砲級の旧藩王国当主」のジョーティラーディティャ・スィンディヤーがBJPへ手下とともに移ったように、もしかするとラージャスターン州でも同様の事件が起きるかもしれない。

    先の州議会選挙戦後に大ボスのアショーク・ゲヘロートと最後までチーフミニスターの座を巡って争った、頭脳明晰かつ人望も非常に厚い若手のホープ、サチン・パイロットの動向が懸念される。あのときのふたりの抗争は「10 Janpath」にまで持ち込まれて、ガーンディー家3巨頭(ソーニアー氏、息子のラーフル氏、娘のプリヤンカー氏)による大岡裁きに委ねることにまでなったことは記憶に新しい。

    国民会議派は、このまま地平線の彼方へと沈んでいってしまうのだろうか。

    Congress struggles to clear party office dues by July 15(THE TIMES OF INDIA)

  • No Football, No Life

    第二次ターリバーン政権樹立後、2010年にスタートしたアフガニスタンのフットボールのトップリーグ「アフガン・プレミア・リーグ」はどうなったのかと思っていたが、やはり同政権誕生以降は実施されていないらしい。そこでプレーしていた選手たちはインドやキルギスなどのクラブに移って活動しているとのこと。

    この「プレミア・リーグ」では、選手たちへの報酬は出来高の日払いという、ちょっとビックリなもので、観客席はちょうど競馬場のような感じだったらしい。大半は賭けが目的で来ていたらしい。そんな具合なので、おそらくだが、「マッチ・フィックシング」も横行していたものと想像される。

    まぁ、それでもスポーツに人々が熱狂できるのは平和と安定あってこそのもの。ターリバーン政権下で経済的には大変でも、とりあえずの平和と安定はあるのかもしれないが、音楽などともにスポーツのような娯楽を認めないため、世界的なスポーツなのに、その国のトップリーグが消滅(ということはその下のリーグもだろう)という事態。「あれ?でも今でもアフガニスタン代表って活動しているよね?」と思われるかもしれないが、みんな国外在住選手たちとのこと。

    No Football, No Life。ここには人生なんてものは、もうないのだなぁと感じる。

    ‘No domestic league, no women’s football, Afghanistan’s future is uncertain’, says men’s coach Anoush Dastgir (Firstpost)

  • インドの新大統領に関する日本の報道

    日本におけるインド関係の報道は、いつもながら底がとても浅い。

    先住民出身の女性として初の大統領が誕生したことについて、先住民の有権者たちに対するアピール、お飾りであるかのように示唆しているように感じられるが、彼女はBJPの活動家として先住民地域に浸透して、先住民の人々をオルグして巻き込んで、ナクサライト(マオイスト)のような極左武闘派ではなく、社会参画を通して、マイノリティーがメインストリームに合流していく道筋を体現してきた人物。

    もちろんこういう人たちは、BJPの対立陣営である国民会議派にも多くいるし、その他左派政党等にもこうした人たちはいるのだが、右派、中道、左派いろんな方面からのこうした努力があったがゆえに、近年はナクサライト勢力はジリ貧となり、そうした勢力の牙城だった先住民地区も多くは概ね政府のコントロール下に戻り平和が訪れている。そんな背景から、先住民少数民族地域の平和と安定を象徴するような人物であると言えるのだが、なぜこんなずさんな報道をするのかと、とても残念な気がしてならない。

    国民による直接選挙でなく、国会議員、州議会議員、連邦直轄地の議員等による間接選挙による選出で、中央政府の政権与党のBJP率いるNDA(という政治アライアンス)が推す候補が、落陽の国民会議派とその取り巻き政党の推す候補に対して優勢なのは当然かもしれないが、対立候補に対して、比較しようもないほど「小者感」があり、候補に指名されるまでその名さえも知らない人が多かった元ジャールカンド州知事が、インド人ならその名を知らぬ者はなく人気も高かった超大物、元財務大臣等の閣僚歴任したヤシュワント・スィンハーを大きくリードして勝利したということは、本来ならばとてもあり得ないことなのだ。

    少数部族出身の女性、インド大統領に当選…ジャールカンド州前知事のムルム氏(読売新聞オンライン)

  • チェチェンのズィクル

    インドの話題から外れて恐縮だが、チェチェンの動画から。

    イスラームというプラットフォーム上で、地域により様々な伝統や民族性があるのが興味深い。

    多様性のイスラーム世界。大勢の男性たちが渦を巻くようにして動いていくが、反対方向に渦を巻く動きもある。それぞれにどういう意味があるのかは知らないのだが。

    チェチェンのスーフィーの人たち。こういう形でのパワフルな「ズィクル」もあるのかと感心した次第。

    Chechen Sufis (Facebook)

  • United colors of BJP

    United colors of BJP

    INDIA TODAY 2022年7月18日号

    こちらはインディア・トゥデイ英語版の最新号。英語のものが正本、ヒンディーやタミルのほうはそれの翻訳版というような位置づけなので、英語版に数日遅れて発行される。

    よってもともとヒンディー語その他の地元言語で発行されるニュース雑誌と異なり、読者層としては微妙だ。新聞でもそうだが、内容や論調で英字版と地元言語版で異なる部分は少なくなく、ニュースで焦点を当てる部分も違ってくるからだ。

    そんなこともあり、インディア・トゥデイもアウトルックも、英語版のほうが発行数は圧倒でに多く、ヒンディーその他のものはニューススタンドで見かけないことすらある。

    それはそうと、この号の特集は「United colors of BJP」。サフラン(ヒンドゥーを象徴する色)右翼政党として知られており、17の州政府の与党で、中央政府でも安定的に政権運営をしているBJP。90年代半ば以降に一気に党勢を増して大政党に成長したが、近年の拡大だけを見ても、右から左まで、いろいろな政党から抜けて入った有力政治家たちが多く、この記事によると現在の党内は「サフラン色」ではなく、「虹色」であるとのことだ。

    たしかにJD、RJD、BSPのような左翼政党から、そして国民会議派やそこから分かれたNCP、TMCから、シヴセーナーのような他の右翼から等々、もともと籍を置いていた政党を離れてBJP入りした人たちがとても多い。右翼政党を抜けた人を除けば、宗教色のない人たちが大半だ。とりわけ2年前に会議派からBJP入りしたジョーティラーディディヤ・スィンディヤー(旧グワリヤル藩王国の現在の当主)などはその典型だろう。

    旧藩王国王族出身の政治家たちの中でも彼は別格。英領期に各地にいくつもあった藩王国の中で最高格の21礼砲待遇。グワリヤル以外にはJ&K、ハイデラーバード、マイソールしかない。華麗なイメージのある旧ジャイプル藩王国ですら17礼砲待遇だったので、まさに「王の中の王」という具合だ。

    いわゆる「サング・パリワール」(僧伽家族、僧伽集団)は、宗教団体の世界ヒンドゥー協会(VHP)、右翼団体の民族奉仕団(RSS)、インド人民党(BJP)及びその他の傘下組織から成るが、BJPのコアメンバーはRSS出身者が多い。とりわけRSSの教宣組織にいた人たちが横滑りしてBJPに入って党組織活動家として勤務したり、選挙に出て代議士となることが多いようだ。モーディー首相もスタートはRSSのプラチャーラク(教宣師、煽動師)だ。

    80年代末から90年代前半にかけて、BJPが拡大を始めたあたりは、かなり過激な右翼政党で、政治集会などでマイノリティーのコミュニティを名指しで暴力的な言葉で糾弾していたが、その後中央政府の与党の座に就いて政権運営をするようになると穏健化していった。今でもムスリムやクリスチャンを無視するような、排除するような動きを示すとともに、地名変更や歴史認識等でBJP以前のそれとは顕著な違いがあるとはいえ、基本的に協調的、融和的なものへとシフトしている。

    今のBJPのお題目「サブカー・サート、サブカー・ヴィカース、サブカー・ヴィシワース、サブカー・プラヤース」(みんなとともに、みんなの発展、みんなの信頼、みんなの取り組み)そのものが今のBJPのありかたを示している。こうした姿勢の変化の背景には、先述の有力な「外様」議員たちの存在もあるらしい。かならずしもヒンドゥー史上主義に好意的とは限らない世俗主義の有力者たちが多く、オリジナルのBJPコアメンバーにとっても、外様たちの力もあって党勢を伸ばしていることもある。

    こうした世俗の顔、所属党名に頼らず個人的な人気、あるいはカーストベースの支持(インドではこういうのは多い)で選挙に楽勝できる大御所が集まってきてくれることはBJPにとって大きな力となる。有権者にしてみても、以前はBJPに何がしかの抵抗感があったとしても、現在のように宗教色、右翼感のない有力者たちが出馬していると、票を投じやすい。もちろん外様たちにとっても古い会議派その他の殻を脱ぎ捨てて勢いのある大政党に所属することで、より選挙に強くなり、良いポストも与えられるため、両者Win-Winの関係と言えるだろう。

    そんなわけで、「サフラン色政党の内部は虹色」と表現しているわけだが、今のところは見られないコアな右翼メンバーと外様の対立の可能性についても記事内で触れられており、なかなか示唆に富むものがある。

    BJPという政党のこれまでの歩みとともに今後の姿についても注目していきたい。

    United colors of BJP (INDIA TODAY)

     

  • タージ・マハルvsテージョー・マハーラヤ論争の続き

    このような論争で、史跡を管理するASI(インド考古学局)がいちいち回答しなくてはならないのはおかしいし、裁判沙汰になることもまともではない。

    しかし興味深いことに、こうしてイスラームに関係する史跡や礼拝施設は、「元はヒンドゥーの寺だった」と疎外化されていくのに、ヒンドゥー教以前からのアミニズム信仰については、どんどんヒンドゥー化されていくという流れがある。

    チャッティースガル州を訪問して同州南側のアーディワースィー(先住民)が多い地域の定期市を訪問した、親の仕事の関係で、そうした人たちと一緒に育ったというムスリム男性にガイドを依頼して、何日間か一緒に回ってもらったことがある。眺めただけではわからないこと、先住民に関する知識がないとわかり得ないことなどとても多いので、たいへん勉強になった。

    その中で彼はこんな例を挙げていた。

    アニミズムを信仰するアーディワースィーの人たちの礼拝施設は、「デーウグリー」と呼ばれるが、ただの石が置かれているだけだったり、なんの変哲もない木のある空間だったりすることが多い。そんな場所に一般の人々が住み着いて人口が増えてくると、いつの間にかヒンドゥー教のお寺になってしまうのだという。

    その場所に神性があるがゆえに、建物が建てられて、プージャーリーがそこを司るようになり、一般の人たちが出入りするようになる。そこを信仰してきたアーディワースィーの人たちにとっては、それ以前からある石ころ(?)こそが神聖なものなのだが、結局ヒンドゥー教の大海に飲み込まれてしまうらしい。

    今は大きな街となっているジャグダルプルにも、もともとはデーウグリーがいくつもあったそうだが、今はほとんどヒンドゥー教寺院になっているのだとか。

    土着の信仰は敵視することなく、懐広く包み込む特性がある一方で、外来の信仰を奉じるムスリムやイーサーイー(キリスト教徒)は執拗なまでに拒絶する、そんな面が感じられる。

    No Hindu idols in Taj Mahal basement: Archaeological Survey of India in response to RTI plea (INDIA TODAY)

  • 気になるモノを見かけたら、迷わずバスを降りよう!

    グジャラート州でラージコートからブジへと移動中、この建物が見えたので「一目惚れ」してバスを降りた。インドの公営中距離バス料金は高くないので支払い済みの運賃をフイにしても痛くない。そして目にした建物は壮麗で、やはり素晴らしかった。

    1936年に完成した建物だそうだが、そんなに時代が下ってからもこんな大がかりな建物が在地の王侯によって建てられていたというのは、ちょっとビックリだった。

    建物は「マニ・マンディル」。王が妻であるマニ・バーイーに捧げて建てたお寺とのこと。一般客が参拝する寺院には見えないので、おそらく王家専用のプライベートな寺だったのだろう。昔のインドの諸侯、貴族や豪商の宮殿や館には、そうしたプライベートな寺というものはよくあった。そうした「寺」に専属の僧侶や司祭が常駐しているということも珍しくなかったようだ。

    カースト上は最上ということになっている「ブラーフマン」という僧侶・司祭階級の人たちだが、世俗の社会の中で支配者となるのは稀で、タークルその他、在地の支配階層、あるいは成功した商業カーストの人たち、つまりカースト上はブラーフマンよりも下で、社会を支配していた層の人たちの庇護のもとで日々の糧を得ていた人たちが多い。これはプライベートな寺に限った話ではない。

    そのマニ・マンディルだが、訪問時は残念なことに改修工事中で、中に入ることはできなかった。

    それでも、ここを通過する前に渡った川に架かる橋の手前にもヘリテージな感じの建物が垣間見えていた。せっかくバスを降りたのだから、とテクテク歩いて戻ってみると、さすが旧藩王国の王都だけあって、見事なゲートの先には王都時代の建築物が多く残る旧市街があるとともに、見ごたえのある王宮も見学することができた。

    インドのバス旅行では、こうした「寄り道する」楽しみがある。これもまた「一期一会」の風景との貴重な出会いである。もちろんバスの運行頻度が高い場所であって、午後遅い時間帯ではないという条件が必要だが。

    これは市内移動でも同様で、何か気になる建物や眺めがあったら、そこで降りて確かめてみるという楽しみがある。こちらは市内移動なのでフイにする料金は痛くも痒くもない。せっかく気になる眺めがあっても、日没近かったり、乗り継ぎがあったり、時間を遅らせることができない理由があることも少なくないだろう。

    そんなときでも、建物を画像で残しておくという意味ではなく、場所を記録しておくため、ガタガタ揺れる車内からスマホシャッターを切っておくと、位置情報を利用して後日容易にその場所を再訪することもできる。

    いい時代になったなあ、と思っていたら、新型コロナによるパンデミックのため、しばらくインドを訪問できずにいる。これほど、様々な技術が進んで、世の中が「無機物化」しているような気がしていたが、こうした病原ウイルスに対して人間界は極めて弱いのは昔々から変わらず、やはり私たちは自然界の中の一部なのだなぁ、と変に感心してしまうのであった。

    Manimandir, Morbi – the love symbol (Youtube)

  • 長いこと繋がらないと・・・

    今回のAUの通信障害。一社の通信ネットワークに問題が生じても他社のネットワークに乗り入れて通信を確保する「ローミング」の仕組みすらなかった。問題が生じるかもしれないことを、そもそも前提としていなかったからなのだろう。

    インドあたりだと携帯通信コストが安いこともあり、異なる2社くらいのSIMを利用している人は多い。ひとつは仕事用、もうひとつは私用だったり、あるいは田舎や山間部でもネットワークが広い国営BSNLと通信品質の高い民間会社という組み合わせだったりと、人によって様々だ。とりわけ最近はデュアルSIM対応のスマホが多いので、容易にそうしたバックアップができる。

    ハンドセットと通信抱き合わせでの販売もないわけではないが、通常はスマホはスマホ、SIMカードはSIMカードで、それぞれ別々に購入するので、「私はドコモ」「俺はAU」というようなことにはなりにくい。

    州によっては、騒擾があると携帯ネットワークそのものが政府の命令により遮断されてしまう場合もある。それが顕著なのは、カシミールであったり、西ベンガル州の山間部、ダージリン周辺であったりする。それが2日、3日程度の話ではなく、長期間に及ぶこともこれまでよくあった。

    そうした地域では、日本ほど社会や産業がネットワークに依存する度合いが高くはないとはいえ、今の時代そうした場所でもネットなしには生活が成り立たない人たちは多いし、そうした産業や医療機関も当然あるわけだ。一体どうしているのだろうか?

    KDDI、auの通信障害「ほぼ回復」と発表–発生から丸2日と14時間半 (CNET Japan)

  • 返り討ちのスペシャリスト

    インドにはEncounter Specialistと称される警官たちがいる。犯罪捜査の中で、ギャングや凶悪犯と遭遇し、銃等で狙われる中で反撃してこれを仕留めてしまうスペシャリストということになっている。

    とりわけ景気が良くなって犯罪が増えたのか、それとも多くの民間テレビニュースチャンネルが勃興して、センセーショナルな報道が過熱していく時代であったためか、90年代半ばから2000年代に入るあたりにかけて、インド各地、特にムンバイを始めとする商取引が盛んで不動産取引も多い地域を中心に、このEncounter Specialistがメディアで大きく取り上げられるようになった。

    プラディープ・シャルマー、ダヤー・ナーヤク、プラフル・ボーンスレー、ラヴィンドラ・アングレー等、大きな「エンカウンターでの活躍」があると、ニュース番組等で、まるでスターのような扱いだった。幹部ではない現場の警官がテレビのインタビューで繰り返しフィーチャーされるというのは、それまではなかったことで、とりわけダヤー・ナーヤクはそうした取材に気さくに応じるなどメディアへの露出が大きかったためか、彼をモデルにした「AB  TAK CHHAPPAN (今まで56人」という映画まで制作・公開されたほどだ。

    だが、こうした「Specialist」たちが、40人、50人、60人・・・中には100人超と、エンカウンターで被疑者たちを撃ち倒すいっぽうで、そうした本人たちや警官隊には犠牲者がほぼ出ていない不自然さに対して疑問の声も上がるようになった。

    実際には、犯人を移送中に郊外の人気のないところで車外に出して殺害していたり、建物内で拘束した後、問答無用で撃っていたことなどが明らかになり、こうした「Encounter Specialist」たちが今度は次々に逮捕されたりクビになったりということが続いた。警察にとって裁判で証言されると都合の悪い人物であったり、政治がらみの依頼によるものも疑われるなど、外から真相を知るのは困難な闇の世界である。

    2004年にはグジャラート州で「イシュラト・ジャハーン事件」というのも起きた。警察による当初の発表では、パキスタンのテロ団体との繋がりが疑われたというイシュラト・ジャハーンという女性及び乗用車に同乗していた3名を含めた計4名が警察車両を武器で攻撃し、警官たちはこれを返り討ちにして仕留めたとのことであったが、遺族たちが「テロリストと関係があるはずはないし、武装などしてたはずもない」と訴え出て、長く粘り強い法廷闘争の末、亡くなった4人の無実を勝ち取った。

    そうしたこともあり、今では警察による「エンカウンター」については英雄視どころか疑いの目が向けられるようになっているが、こうした疑わしいケースでクビになったはずの警官が、他州の警察でひっそりと復職していることもあるようだ。

    かつてのように「50人退治した」「60人退治した」というような英雄譚として特定の「Encounter Specialist」が祭り上げられることはなくなったし、警察も仕留めた警官自身を特定しないようになっているようだ。

    それでもまだどこかでこうした「私刑による死刑」を容認する空気はある。映画で逮捕された凶悪犯を証拠不十分で釈放、しかし担当した警官自身はそれが真犯人であることを知っており、義憤から殺害するというようなシーンやこれに類するものが今も散見される。

    また2020年にマッディヤ・プラデーシュ警察に逮捕されて、ウッタル・プラデーシュ警察に引き渡され、同州で裁判を受けるはずだったヴィカース・ドゥベーというヤクザがいたのだが、警察による移送中に車両が事故を起こし、その際に警官の銃を奪って撃ちながら逃走しようとしたという、不可解な「エンカウンター」で殺害されるという事件があった際、警察を非難する声とともにこれとは反対に称賛する向きも多かった。こちらも同様に司法への期待感があまりなく、それならば警察が始末をしてくれれば、という感情が下敷きにあるようだ。

    同様の「カルチャー」はパキスタンやスリランカなど周辺国にもあり、リンク先の記事にもあるように重篤な人権問題だと非難されている。

     

    Explained | Police encounters in India: cases, convictions and court orders (THE HINDU)

  • 金曜日の後には土曜日がやってくる

    金曜日の後には土曜日がやってくる

    ウッタルプラデーシュ州では、「反社会的行為」への対応としての「ブルドーザー政治」がすっかり定着してしまっている。反ムスリムの姿勢を強く示すBJPの中でも1992年のバーブリー・マスジッド破壊事件で暴徒たちを組織して煽動したとされる「右翼の中の最右翼」ヨーギー・アーディティャナートがチーフミニスターを務めるのがウッタルプラデーシュ州。彼は「ブルドーザー・ババー」とも呼ばれるようになっている。いつもサフラン色の衣類を身にまとっているが、この人はゴーラクプルにある名刹ゴーラクナートの高僧でもある。

    ムスリムによる暴動、ムスリムによる反政府的な運動があると、その首謀者とされる人物の家に政府が差し向けたブルドーザーやパワーショベル(これらをインドではまとめてブルドーザーと呼ぶ)が差向けられて、家屋であったり所有しているビルであったりを「違法建築である」「建物に違法な部分がある」として破壊してしまうのだ。

    インドに限ったことではないのだが、このあたりの国々の家屋には屋上に鉄筋の柱がむきだしで突き出ているのをよく見かける。あたかも建築中であるかのように。ある程度お金が溜まってゆとりができたら、さらに上階を建て増すことができるようにしてあるのだ。また都市部の建て込んだ地域では、本来所有している地所から少しはみ出した構造物があったりすることもある。多かれ少なかれ多少の「違法性」のある建物は少なくないのだろう。

    政府所有の土地に勝手に家を建てて占有している人々(スクウォッター)が集住しているようなところで、行政がブルドーザーを何台も送り込んで壊し、更地にするというようなことはしばしばあり、それらがニュースになるということは昔からあった。それでも事前に通告がなされて、その地域でひとまとめに実施するものであった。

    その日になってから処分通知書とブルドーザーが同時にやってきて、該当家屋だけをピンポイントで破壊、というのはこれまでなかったので、あたかもその所有者である当人への処罰であり、見せしめでもあるかのように、家屋が破壊されるのが特徴だ。ゆえにこれを「ブルドーザー政治」と呼ぶ。

    その様子はテレビニュースでもオンエアされ、人々が広く知るところとなるので、家屋の所有者は知らずとも、メディアには事前に知らせているのだろう。「先日の暴動の首謀者をやっつけている!ヨーギー政権はよく働いているじゃぁないか!」と印象付けるための広報活動と言える。

    画像はウッタルプラデーシュ州チーフミニスターのヨーギー・アーディティャナートのメディア担当アドバイザーであるムリティャンジャイ・クマールによるツイート「ウプドラヴイー、ヤード・ラケーン・キ・ハル・シュクラワール・ケー・バード・エーク・シャニワール・ザルール・アーター・ハイ(反乱者どもよ、忘れるなよ、いつも金曜日の後には、ある土曜日が必ずやってくる)」という言葉。ここにあるのはまさにそのブルドーザーが家屋を破壊している様子だ。

    金曜日の後は土曜日というのは当たり前のことなので、「だから何だよ?」と思われるかもしれない。

    その意味だが、「イスラーム教の聖日金曜日の後には、ヒンドゥー教の凶事をもたらすシャニの神の日が来る」(イスラーム教徒が浮かれた後には、ヒンドゥー教の凶神が罰しに来る。だから覚悟していろよ)という脅しなのである。

    なお「シュクラワール(金曜日)」「シャニワール(土曜日)」だが、単に曜日としての「ワール」ではなく、「イスラーム教徒の金曜礼拝の日」に起きた「ワール(攻撃)」と「シャニ」による「ワール(攻撃、打撃)」と掛けてもいるのだろう。「イスラーム教の礼拝の後に起こした暴動の後には、必ずヒンドゥー教の神による報復がある」というデュアルミーニングとなるけだ。このあたり、言葉の使い方は確かに上手い。

    今後は、「ヤード・ラッケーン、ハル・シュクラワール・ケー・バード、エーク・シャニワール・ザルール・アーター・ハイ」を「覚えていろよ、借りはきっちり返してやるからな」として、あるいは「ハル・シュクラワール・ケー・バード・シャニワール・ザルール・アーター・ハイ」を「因果応報」の意味として、慣用句のように使用されることになりそうな気がする。

    その語句の背景はやがて忘れられていくわけだが、そうした中でウッタルプラデーシュ州の「ブルドーザー政治」が故事として、その「慣用句」の成り立ちの理由として、その頃の物知りが「昔々、こんなことがあってね」と、若い人たちにその知識を披露したりするのだろう。

  • 強力なシールドが消えた 

    80年代末から90年代にかけての弾圧の時代にもスーチーが投獄されることはなかったと記憶している。

    彼女の父親、暗殺されたアウンサン将軍の同僚であったり、部下であったりした世代の人たちが軍幹部だった頃なので、アウンサンへの敬意や恩義、幼い頃からよく知っていたアウンサンスーチーを可愛がっていたなど親近感などもあったのかもしれない。また彼女の母親は駐インド大使などを務めていたこともあり、もともと政府幹部に近い距離にあったことも背景にあったのではないかとも想像する。

    もちろんその頃、ビルマのお札にはすべてアウンサン将軍の肖像が描かれるなど、国民的な英雄であり、その愛娘であった彼女への扱いは慎重であったのは当然のことでもあったのだろう。

    1988年8月8日に同国の国民が一斉に政府に民主化を求める抗議活動に立ち上がったとき、英国で結婚生活を送っていたアウンサンスーチーが体調の悪い老いた母親の介護のため帰国していたまさにそのとき、1988年8月8日にビルマの国民たちが政府に民主化を求める抗議活動のため、一斉に立ち上がったことを受け、同国の独立の父であるアウンサン将軍に関する研究生活(父親のことを学術的に研究するという人も稀だが)を送ったことがある彼女にとって、父の遺志を継ぐことは当然の義務であったのかもしれない。

    その行動は1990年の総選挙という形で結実したわけだが、アウンサンスーチー率いるNLDは大勝したにもかかわらず、当時の軍政は政権を明け渡さないどころか、NLD幹部を次々に拘束し、アウンサンスーチーはインレー湖近くの自宅に軟禁されることとなった。

    そんな最中に高名なチベット学者でもあった英国人の夫が重病で余命いくばくとなり、軍政は彼女にしきりに帰国を勧めていたが、無理矢理連行して国外追放するような手荒な真似はしていない。もちろんひとたび故郷を後にすると、二度と戻ってくることができないことを知っていた彼女は耳を貸さなかった。

    民主化活動家やジャーナリストたちはいとも簡単に殺害されたり蒸発したりしているのに、アウンサンスーチーだけは、まるで目に見えない強力なシールドで守られていて、悪人たちは決して指一本触れることすら出来ないようで、常々不思議に思っていたのは私だけではないだろう。

    民主化運動後、お札からはアウンサン将軍の肖像は消え、政権の意向もあり国のアイコンとしてのアウンサン将軍の描写は次第にフェードアウトしていくことになったようだが、今はすでに彼女自身が父親を超えるスケールのアイコンとなった。

    そんなアウンサンスーチーを投獄した今の軍政幹部たちだが、もはや世代交代を重ねて、アウンサン将軍のことは書物で読んだり話に聞いたりして知っていても、本人と直接の面識のある人はいない。今回彼女を刑務所に送るということの背景には、彼女やその父親へのそういう距離感もあるのかもしれない。親子と個人的な付き合いはなく、アウンサン将軍への絶対的な敬意というものも、民主化運動開始以後の軍政による、英雄アウンサン将軍のレガシーに距離を置いたことなどから、軍政側には彼女に対する一定の敬意のようなものはすでに無いのだろうか。

    アウンサンスーチーはすでに77歳。ただでさえ残された時間はとても短いのに、現在までのところ11年の禁固刑が確定しており、これまで起訴されている件ですべて有罪ということになれば、刑期は150年を超える可能性がある、とリンク先記事は指摘している。

    ミャンマー国軍、スーチー氏を刑務所に収監 (産経新聞)