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カテゴリー: life

  • トリシュールの街角で

    トリシュールの街角で

    トリシュールの街を歩いていて、2、3回ほど「あのう、ヒンディーわかりますか?」と話しかけられた。

    こういういかにもの観光スポットで声をかけてくるのはどういう人たちか決まっているが、やはり「旅行中で金を盗られた」「息子が病気で」という類で、要は金をくれというのものであった。同じストーリーを年中繰り返しているはず。ムンバイのヴィクトリアターミナスあたりで英語で話しかけてくる輩と同じだ。

    外国人観光客の姿が少ないぶん、ここではインド人旅行者たちがこんな具合に声をかけられているのだろう。観光地であれば、基本的に都会も地方もそんなに変わらない。

    若者はバリスタにスタバ、オールドタイマーはインディアン・コーフィー・ハウス。食事もいけるインディアン・コーフィー・ハウス。ビリヤーニーはビーフで。具材に印牛とともに角切りココナツがゴロゴロ入っていることに異郷を感じる。でも悪くない。

    デリーやラクナウなどのビリヤーニーとここ南のそれでは米も中身も味付けも違うけど、ビリヤーニーの祖先は中東のプラオ。日本で食べる洋食としてのピラフもスペインのパエジャも、ルーツは同じイスラーム圏。いわば親戚関係の料理群。それぞれの地域で「こう作ると美味しい」という経験値と知恵が集結して、独自の味付け、具材、料理法を編み出して出来上がっている。世界を股にかけて横に繋がる食文化。それぞれ個性があって面白い。

  • 活字のお仕事

    活字のお仕事

    宿の近くの印刷工房。おそらく式典招待状とか名刺とかを刷るためなのかな?今もこういうのが現役なのか。ちょっとお話を伺いたかったが、お昼休み?で誰もおらず。

  • インドあるある

    インドあるある

    近年は持参するガジェット類が多いため、部屋で使えるコンセントがひとつしかないと困る。予備があってもこんな上だと使いようがないのでさらに困る。

    あ、これは電気蚊取りに使えばいいのか!

  • 創り上げられる偶像

    西ベンガル州ではスバーシュ・チャンドラ・ボース、マハーラーシュトラ州ではシヴァージー、地域ではなくダリットの人たちにはアンベードカルといった具合に、それぞれのコミュニティを象徴するヒーローたちの存在がある。

    2000年代以降、アーディワースィー(Adivasi=先住民)の英雄として急速に存在感を高めているのがビルサー・ムンダー。2000年にビハール州から分離して、先住民族人口が占める割合が高いジャールカンド州が成立。同州政治はこのアーディワースィー出身の政治家たちがリードしてきたため当然のことながら、彼ら自身のヒーローとしての存在として焦点が当たることとなった。

    もともと英国統治に対して声を上げた「フリーダム・ファイター」として知られる人々の中にビルサー・ムンダーもいたのだが、それまでは「知る人ぞ知る」という存在。

    ジャールカンド州成立に加えて、2000年以降のインド社会の右傾化、合わせて近年の右翼勢力によるアーディワースィー取り込みの姿勢もあり、同州では「ビルサー・ムンダー」を取り上げた博物館、既存の博物館へのビルサー・ムンダー関係の展示の増強、名前を冠した公園等々による「英雄化」が進んできた。

    それまではこうしたアーディワースィーの人たちの中の「ご当地ヒーロー」がコミュニティの外で注目を浴びることも、知名度が上がることもなかった。当然その背景には差別感情や彼らを見下す風潮などもあったことは言うまでもないだろう。

    それがなぜ今になって?といえば、1990年代以降、中央でも地方でも政治の主力は権威や家柄といった名目的かつ伝統的なものではなく数の力と動員力という「大衆力」とでも呼ぶべきものにシフトしていったためだろう。

    今や中央政界でも地方政界でもコアな部分からはブラーフマンはほとんどいなくなっており、数の力で勝るコミュニティから送り込まれた有力者たちが多い。パンジャーブではジャート、UPやビハールではヤーダヴ、ラージャスターンではミーナーその他、もともとは支配階級ではなかったけれども人口規模の大きなコミュニティの人たちが政界を牛耳るようになった。

    モーディー首相にしてみても、言うまでもないがOBCs(その他後進諸階級)の出。これまでインドの歴代の首相はブラーフマン、ラージプート、カトリーであった(チャラン・スィンは例外的にジャートの出)であったため、やはりそういう面からもモーディー首相は異色である。

    それはそうと、以前は政治へのアクセスはあまりなかった(票は投じても代議士として選出される機会はとても少なかった)アーディワースィー、つまり先住民であり、部族とも呼ばれる人々がマジョリティの州(ジャールカンド}が成立するとともに、そうした周辺部の人口割合が高い地域では、より慎重な扱いがなされるようになってきているし、それを象徴するかのように、アーディワースィーの人々を政治の表舞台に登場させることが珍しくなくなった。

    そうした空気の中で、アーディワースィー出身の女性、ドロウパディー・ムルムーが大統領に就任したり、国民会議派の党首がやはりアーディワースィー出身のマッリカールジュン・カルゲーが選出されたりしたのだ。当然、「ジャールカンド州といえばビルサー・ムンダー」という州内外での認知度も高まっている。

    だがビルサー・ムンダーが全国的によく知られたフリーダム・ファイターではなかったためチェンナイを本拠地とするインディアン・エクスプレス紙による「ビルサー・ムンダーって誰?」という2017年の記事がこちら。「偶像」「アイコン」というものは、ときに政治力により、時代をさかのぼって創造されるものてあることを改めて感じる。

    Who was Birsa Munda? (The Indian EXPRESS)

    ただ「アーディワースィーの英雄 ビルサー・ムンダー」と言ってもアーディワースィーそのものが幾多の異なる先住民族を総称する呼び方であり、その中には当のムンダー族以外に様々な文化や言葉の異なる少数民族がおり、彼らの中で民族を超えた共感、連帯のようなものがあるのかといえば、そういうわけではない。

    よって「アーディワースィーの英雄」というよりも、「ジャールカンド州政界の中核として台頭したムンダー族のアイコンであるがゆえに、同州のアーディワースィーを代表する歴史的人物として位置づけられた」というような、あまりストレートではない解釈が必要かもしれない。

  • LEGOのタージマハル

    LEGOのタージマハル

     

    明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

    さて、新年のインド関係の話題はこちら。

    ネコなどの動物、ピアノなどの楽器といったようなものを細かなブロックで表現する変わり種もあることがよく知られているLEGOだが、インドのタージマハルもそのラインナップに用意されている。

    私自身はパズルのような面倒なものは得意ではないのだが、もしどなたかからキレイに組み立てたものをいただけるような機会があったら自宅に飾ってみたい気がする。

    LEGO® Architecture Taj Mahal

  • 昔ながらの食堂

    昔ながらの食堂

    渋い食堂があったが、満員で外でも待っているので諦めた。昔ながらのボロっとした食堂で、かつてコーチンの食堂といえば、たいていこんな感じだった。「ああ、80年代みたい!」と足を踏み入れたくなったが、なぜか明らかによその州から来たインド人ツーリストで満杯。よほど旨いのか、何かで取り上げられて有名になったのだろうか。不思議なこともあるものだ。

  • 宿の共用スペース

    宿の共用スペース

    あまりの大音響にコップの水の表面が揺れる。

    宿近くのカトリック聖堂敷地内の特設会場でミサが開かれているのだか、賛美歌のボリュームが凄まじいのだ。終わるまでは仕方ない。

    それはそうと、本日の宿の最上階は共用スペースになっている。こういう共用スペースがあると滞在が楽しくなる。

    西洋人はいないけど、宿の人をまじえて一人旅のインド人の女の子と話ができて楽しかった。ビハールのパトナー出身だがチェンナイでIT企業に勤め、クリスマスから年始にかけて休みを取ってしばらくコーチンに滞在とのこと。

    昔は・・・といってもどのくらい遡るかによるが、80年代から90年代前半くらいだと、宿で一人旅の若いインド人と会うことはほとんどなかったし、しかも女性というのは皆無だった。

    ものすごくお喋りでずんずん前に出てくる人だ。たぶん頭の回転も早くてすごく仕事もデキそうな感じ。こういう若い人たちが今のインドを引っ張っているのだろう、きっと。

    民家をそのまま宿に転用してある。
  • 精神文化

    精神文化

    こちらは宿の部屋のテーブル。テーブルの脚が壊れたところで、いちいちお金と手間暇かけて直す必要はない。部屋の隅、角の部分に当てて使えばよいのだ。

    あるものをあるがままの状態で工夫して使う、必要な範囲でなんとかしてやり過ごすという「ジュガール」な精神性はよく言われるところだが、完璧を求めない70点主義という部分も、私たち日本人は大いに手本とすべきだろう。

    インドの精神文化とはかならずしも深遠かつ高尚なものとは限らず、「テキトーにやり過ごす」という面でも如何なく発揮されるものだ。

    そこには「こんなことは生きていく中において大したことではない」という悟りもあるわけで、些細なことにこだわる理由など、本来はどこにもないのである。

  • 行く手に野犬

    行く手に野犬

    ご覧のとおり、こちらは昼間のヤギの写真だが、もしこれが夜間で行く手に4頭くらいの野犬と思しきグループがいるとかなり緊張感がある。これがヤギだとわかったときには安堵するものだ。

    ヤギはもちろん牛や水牛だって通行人に頓着しないものだが、犬だけはその限りではない。その犬にしてみたところで、通りかかるのがヤギ、牛、水牛であれば、普通は騒ぎ立てたりしないのに、相手が人間だと騒ぎ立てるのが腹立たしい。しかも土地に不慣れなヨソ者と見ると、カサにかかってワァワァと大騒ぎし、その声を耳にしてさらに他の犬たちの加勢がやってくる。野犬というのはホント厄介な存在だ。

  • ランチはビーフ

    ランチはビーフ

    ランチはコーチンでビーフとパローター。旨すぎて心までとろけるかと思った。印牛、なかなかあなどれない。やはり個人的には、食肉としてはコク深いビーフとマトンが最上だと思う。

     

  • ビエンナーレ

    ビエンナーレ

    コーチンに来た目的は12月から3月までという長丁場で開催されるビエンナーレ(Kochi-Muziris Biennale)。フォートコーチンの東側海岸沿いに連なる歴史的な建物で展示等が行われ、インド内外様々なアーティストたちが参加している。

    絵その他の創作物には、中庭の樹木を利用してのものや来場者たちが演奏できる楽器のような作品、映像や写真など多岐にわたる。かなり遠くから来ていると思われる家族連れやカップル等も多い。こういうビエンナーレが開催されるコーチンは、なんと文化的な街なのだろうか。

    こうしたアートの展示を見学するためにどこかへ旅行する、というのは私の行動パターンにはなかったのだが、アーティストの友人からこの催しのことを聞いて、普段はしないことを目的に出かけてみようと思った次第。

    インドを含めた世界の様々なアーティストの作品を直に観ることができて、とても新鮮な喜びであるとともに、歴史的な建物でこれが開催されるという器の部分もたいへん良かった。

    さらには私たちが普段思い描くようなアートだけでなく、シリアからレバノンに逃れて作物の開発を行う団体での仕事に従事する難民の人たち、インドのナガランドの人々の暮らしを追った作品など、短編の社会派ドキュメンタリー作品も上映されているのもまた気に入った。

    主に写真と文章(及び短い動画クリップ)になるが、インドの部族地域でのマオイストへの取材で描き起こした彼らの思想、それとは裏腹に屈託のない若者たちらしい日常(多くはマオイスト影響地域で「徴兵された」若年層)も描かれているなど、見応えがあった。

    アートといっても扱う幅が広かったことも、私の興味関心と重なる部分が多くて良かったと思う。

  • 偏西風

    DICE+にお試し加入。「ガザの美容室」と「ラッカは静かに虐殺されていく」を観たかったため。無料期間の2週間のみ利用する予定。入会金はなく、月額費用だけなので、今後も興味を引かれる作品があれば、ひと月だけ入るかもしれない。

    「ガザの美容室」は、パレスチナ人との結婚によりガザに移住し、アラビア語に堪能なロシア人女性が経営する店とそこに集う女性顧客たちの間でストーリーが展開していく。始めから終わりまで、店内(及び店の前の道路)のみで完結する話なのだが、店内で繰り広げられる女性たちの確執と外で始まる戦闘がシンクロしていき、緊張感とスピード感に溢れる力作。

    キリスト教徒の店主、店内の10人の顧客たちのひとり、敬虔な女性を除けば、誰もヒジャーブを着用せずタンクトップやブラウスなどラフな洋装の女性のみの空間。ただ画面の姿のみ眺めていると、スペインやポルトガルなど、南欧のひとコマのようにも見える。パレスチナを含むレバント地方はかつてローマ帝国の領域。後にアラブ世界に飲み込まれたとはいえ、DNA的には南ヨーロッパとあまり変わらないため、造作の似た人たちがいるのは当然のこと。人種よりも文化や言語が世界を区分するのである。

    「ラッカは静かに虐殺されていく」は、ISISの「イスラーム国」首都となってしまった故郷ラッカで抑圧される同胞を救おうと国外で反ISIS活動を進めるジャーナリストたちのグループを題材にした作品。重たいテーマだが、事実をベースにしているだけに大変見応えのある作品であった。

    両方ともアラビア語による作品だが、mumkin(可能)、umr(年齢)、qabzaa(占有)、maut(死)、mushkil(困難)、bilkul(まったくもって)、galat(過ち)、kharaab(悪い)、jawaab(返事)、tasveer(写真)、hamla(攻撃)、aazaadee(自由)、khauf(恐怖)、qatl(殺人)、yaani(つまるところ)等々、ごく日常的な馴染み深い語彙がたくさん出てくる。ヒンディー語にはアラビア語から入った語が多いからだ。

    これがアラビア語ではなく、アフガニスタンを舞台裏にしたダリー語(ペルシャ語)映画だったりすると、ペルシャ語起源のヒンディー語彙もまた膨大なのので、耳で音を追いながら字幕を見ていると、インドにおける西方からの影響はいかに巨大かつ圧倒的なものであったかをヒシヒシと感じる。

    もちろん言葉だけではなく、ヒーナー(日本語ではよく「ヘンナ」と表記される)、パルダー(男女隔離)、履物を手にして相手を叩く(最大級の侮辱表現)等々の日常的な習慣などにもごく当たり前に西方から入ったものが生きており、それは食事や建築手法などでも同様。

    またアラビア語ではなく、ペルシャ式の表現として、インドのニュースで凶悪犯に対する「Saza-e- Maut(死刑)」判決の報道、道を歩けばダーバーやレストランの名前で「Sher-e-Punjb」をよく目にする。

    パキスタンからの越境テロが起きると、その背後に「Jaish-e-Mohammad」や「Lashkar-e-Toiba」といった原理主義武装組織の名前が挙がる。ペルシャ語式に接尾辞「e」を所有決定子として前後の語を繋ぐことは日常ないのだが、「e」で繋いだひとまとまりの語が外来語として用いられているのだろう。

    中東方面の映画やドキュメンタリーなどを見ると、様々なものを西から東へと運んだ「偏西風」のようなものを強く感じる。

    DICE+