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カテゴリー: life

  • IRCTCのケータリング

    IRCTCのケータリング

    駅弁ならぬ社内販売飯。各地でゲリラ的に車両に乗り込んできて食事やスナックを売る「物販ゲリラ」も多いが、こちらはインド国鉄関連会社のIRCTCによる車内販売品。

    IRCTCはネットによる乗車券販売及び予約管理、各種パッケージ旅行の販売、鉄道車両での飲食物販売等を包括して引き受ける。こういう組織は汚職や不正の温床になったりしやすいものだが、やはりいろいろ黒い噂は少なくない。

    こんな巨大利権が入札手続きなどを経ることなく、長年ずっとIRCTCが丸ごと引き受けていること、国鉄の業務とは関係のないパッケージ旅行(タイ、ドバイ、ネパール、ブータン等の海外旅行など)も販売していること、パントリー車での調理環境に非常に問題があることをメディアが取り上げ、保健省の調査が入ったりするなど話題に事欠かない。たぶん現場の業務なども孫請け会社に丸投げしたりもしているのだろう。

    車内で注文した1回目の「チキン・ビリヤーニー」これをビリヤーニーと呼べるのか大いに疑問。
    中をほじってもこんな具合。いやはや・・・。

    車内ケータリングサービスで面白いと思うのは、ラージダーニーやジャダーブディーなど特別急行で、ひところまではIRCTCではなく、ホテルチェーンに委託していたケースもあった。だが今ではIRCTCによる取り扱いに戻っている。

    車内で2回目のチキンビリヤーニー。他になかったので仕方ない。時間的にこれが本日の夕食、目的地着いたらチェックインしてそのまま寝る時間。

    この列車で2回目のチキン・ビリヤーニー。こちらのほうが少しはマシだった。

    おやつに食べたものとは味付けも何もずいぶん違った。異なる業者が異なる駅でIRCTCに納めているので当然だが、ケーララ州からカルナータカ州に入っているからということもあるかもしれない。私がトリスールから乗り込んだ列車はマンガロール駅に着くところ。急行停車駅で一つ先のウドゥピまで行く。

  • 私の車両はどこ?今どこを走っているの?

    私の車両はどこ?今どこを走っているの?

    かつてインド国鉄は、予約してある車両がどこにあるのかわからないと、車両が長大で編成数も多いため、停車わずか1〜3分程度だとたいへん焦ったものだ。今では各種インド国鉄関連アプリやウェブサイトなどで該当列車の「Rake Information」を調べると、ちゃんとこんな具合に出てくるので助かる。

    Rake Information

    また「Running Status」で、今どこを走っていて、どのくらい遅れているのか、遅れていないのかもわかるので、とても便利になった。駅で列車を待っていても、乗車して到着を待つ場合でも、大変ありがたい。

    Running Status

    こうしたものがなかった時代、駅に着くとまずは駅員かポーターに列車名を伝えて、私の車両がどのあたりに停車するのか質問、答えを聞いてからも念のため別の駅員かポーターにも同様の質問をしてクロスチェツク。

    そして乗り込んでからは、他の乗客との会話の中で、列車がほぼ定刻で進んでいるのか、遅れているのかを知っていた。夜行列車で深夜過ぎとか未明とか、多くの乗客が就寝しており、車内の照明も消してあるような時間帯に到着予定であると、ホームでの駅名表示は多くないため、「この駅は私の降りる駅なのか?」と気が気ではなかったりもした。

    今やこうした心配がまったくなくなっているため、インドの汽車旅の利便性は格段に向上していると言える。

  • 鉄道駅は情感に満ちた劇場空間

    鉄道駅は情感に満ちた劇場空間

    鉄道駅で車両の入れ替えなどで大活躍するディーゼル機関車。1980年代後半ごろは、そうした役目を蒸気機関車が担うことも多かった。

    スタンバイしてから動けるようになるまでのウォーミングアップ時間はとても長く、機関士だけでは動かせず機関助手と常にコンビでないと使えない。また機関車自体がやたらと重厚長大で、いろいろ面倒なことが多かったのだろう。だがその頃は駅のホームでそれが動くのを目にすること自体がたいへんなエンターテイメントでもあった。少なくともすでにSLを見かける機会がまず無い国からやってきた者にとっては。

    鉄道駅というものは、大きな駅だと全国各地から数々の列車の往来が旅情溢れる眺めだが、日に数回しか停車のない小さなローカル駅だと、これまた鄙びた感じとか郷愁とか、異なる味わいがあって良い。

    バススタンドだと、大きくても小さくても、ワサワサしているだけで、何の味わいもない。空港だとそういうせせこましい感じはない(そうでない空港もあるけど)ものの、乗り物自体が待合室から離れているためもあってか、鉄道のようなヒューマンなムードはあまりない。

    そう、鉄道駅の良さは、そういう人間らしい情感に満ちた空間であること。

    汽笛が鳴り、ガタンという音とともに少しずつ動き始める車両。窓越しにホームと車内で指を絡ませあっている男女の瞳に諦めの色が灯り、それでもホームにいる女性はゆっくりと歩きながら窓の中からじっと見つめている男性に何事か言葉を継いでいる。

    列車が速度を徐々に上げていと、互いの手を離しながらも、まだ何か伝えたいことがあるかのように歩みを早めながら、ふたりの会話はしばらく続いていく、鉄道駅でそういう光景が展開していると、それを間近に目にするこちらもジ〜ンとくる。鉄道駅には劇場空間的な趣があるのだ。

  • 鉄道車両の眺め

    鉄道車両の眺め

    鉄道事故の際の救援列車
    鉄道事故の際の救援列車
    脱線車両等を路線から取り除くためのクレーン車両

    過日、エルナクラムJN駅で見かけた救援車両といい、この日トリスール駅に停車していた脱線処理車両といい、近くで大きな事故でもあったのだろうか?と思ってしまう。

    コロナのデルタ株で多くの死者が出ていた時期には、マレーシア、シンガポール方面並びにガルフ方面からそれぞれの政府の協力により医療酸素ボンベを大量に調達したインドは、ムンバイ及びチェンナイから大量の貨物列車を動員して全土に輸送している様子がニュースになっていた。

    私が直に目にしたものでも2005年12月にインドネシアを震源とする津波被害がインド東海岸に及んだ際、緊急に仕立てたと思われる援助物資を届ける貨物車がしじゅう走っていた。

    また80年代後半にインドがスリランカ内戦に介入した際、南インドで鉄道に乗っていると無蓋車両の延々と続く車列に、戦車等の軍用車両を運搬する貨物車が多く、ギョっとしたことを覚えている。このときの介入が原因で当時のLTTEから恨みを買い、同じくLTTEにシンパシーを抱く一部のタミル人からの協力を得た手路グループにより、1991年5月に総選挙のためタミルナードゥで遊説中だったラジーヴ・ガーンディーが暗殺されてしまったのであるが。

    鉄道車両の眺めには、そのときどきの大きな出来事や世相が大きく反映されることがある。

  • 昔のケーララ州の眺め

    昔のケーララ州の眺め

    昔々訪れたときのケーララ州の街の商業地では、下階はお店で上階は住居のこんな感じの低層家屋が延々と続く光景が続いていた。

    これが連なっていた地域で、こうした建物がほとんどなくなっているので、おそらく90年代から2010年代くらいの間に次々と建て変わってしまったのだろう。こちらの写真はトリスールで撮影したもの。

    こうした変化はケーララ州に限ったことではなく、どこの地域でも伝統的な街並みというものはかなり減った。1990年代に入るまで、こうした昔ながらの眺めが健在であったのは長年続いていた低成長がゆえ。経済が調子良く回るようになってからは、街なかの様子が大きく変わっていくのは当然のことである。

  • STD/ISDブース

    STD/ISDブース

    トリスール駅構内で、いつまで稼働していたのか知らないが、STD/ISDのブースだけが残っていた。かつては、こうしたブースはどこに行っても普遍的に見られ、人々の生活インフラであったものだが、携帯電話の普及と比例して姿を消していった。今はプリペイド契約でもインド国内どこにかけても通話無料だし、WhatsAppその他の通話アプリで国際通話も無料の時代となっては信じ難いような思いがするが、通話時間とともに料金が上がっていくメーターを目にしながら相手と話をしていたものだ。

    その頃はインターネットも草創期であったため、ネット屋もあちこちに出現していた。当時はそれで「便利になったものだ」と感心していたものだが、地域や店によっては通信速度があまりに遅すぎて、メールのチェックをするだけでもひと苦労だったりもした。

    宿泊先のすぐ近くにあるとも限らず、電気事情の良くない地域では、せっかく出向いても停電で利用できないということもしばしばあった。

    今ではそれらのことが、夕飯後に宿のベッドの上に寝ころんだままで、それ以上の事柄がいろいろ出来てしまうのだから、ありがたいものだ。飛行機、鉄道やバスの予約にしてもそうだし、次の宿泊地のホテル予約も同様。日記類もGoogle Documentなどを利用するようになったので、前夜に宿の部屋でノートPCで書き綴った内容の続きを昼間の列車内でスマホで打ち込んだりもできる。

    今後10年後、15年後は更に大きく発展して、どんな環境になっているのか、今からはとても想像がつかない。

  • 鉄道駅の有料待合室

    鉄道駅の有料待合室

    有料待合室内

    近年のインドの主要駅では、従前の待合室以外にホテル運営会社などが委託を受けて切り盛りする有料待合室も用意されていることが多い。こうしたものが導入される前も上級クラスの乗客用とそれ以外の乗客用で分かれていたのと同じように、上のクラスを利用する乗客たちが阿鼻叫喚の環境を避けようとする、いわば選別・差別化の意味合いが強い。

    選別・差別化というと、何かネガティブな印象を与えるかもしれないが、90年代以降のインドのおいては、まさにこの選別/差別化が広範囲に可能となったことから旅行をはじめとするレジャー産業が急成長することとなった。

    例えば宿ひとつとってもお金さえ払えば快適かつ清潔で、ミドルクラスの人たちが家族を同伴しても安心できる宿泊施設は、ちょっとマイナーなところになると、とても少なかったし、移動手段としても長距離を安全かつ快適に移動できる自家用車の普及はまだ先の話だった。道路にしてみても、狭かった国道でトラックやバスなどがチキンレースを展開している状態で、あまり家族で遠出をしようという気にはなりにくかった。

    1980年代、「一億総中流」などと言われた日本で、幸か不幸か、一家の稼ぎ手がインド転勤となり何年間か過ごすことになったとしても、たまの長期休暇で一時帰国するとか、シンガポールやバンコクに保養に行くことはあっても、インド国内をせっせと旅行する気にはなれなかったのと同じだ。

    90年代に入るとインド人による自国内での旅行がブームとなり、その後マーケットは急拡大を続けて現在の状態となった。1990年代に入るあたりまでは、インド各地の観光地等で目立つのは外国人であって、インド人観光客というのはわずかなものであった。それが今では各地の観光客の主体はインド人であって、外国人はその中に細々と存在するに過ぎない。外国人訪問客が減ったわけではなく、インドの人々がこぞって旅行するようになったからだ。

    その背景には宿泊施設が広範囲で多様化していき、それまではあまり脚光を浴びなかった小さな観光地にも利用しやすく安心なホテルが増えるとともに、インドのマーケットに多数乗り込んできた外国の自動車メーカーによる様々なモデルが選択できるようになった。次第に道路事情も改善していき、人々が家族や仲間を連れて休暇時期に各地を訪問してみたくなる環境が揃ってきたのだ。

    こうした有料待合室もそうしたインフラ的なもののひとつ。本日利用してみた待合室はあんまりパッとしないが、他ではちょっとしたホテルのロビーみたいになっているところもある。利用料金は1時間あたり30Rs。

    たとえば午前3時半に到着して、そのまま夜明かししたいような場合、深いソファでしばらくグ〜ッとひと寝入りするのもいいかもしれないし、深夜あたりに出発する列車を利用するのだが、それまで身の置き場がないということでも、夕方以降、こんなところで仮眠しながら時間まで待つのもいいかもしれない。

  • ハデハデ食品

    ハデハデ食品

    鉄道駅だと大きなパックで売られているので身に余るが、鮮烈オレンジ、蛍光イエロー、ショッキングピンクなどのハデハデなハルワーを見かける。こういうのは、夜遅くなって電気が消された車内でもよく見えそうだ。

  • オートリクシャーのメーター

    オートリクシャーのメーター

    昔々の金属ゴリゴリのカッコいいメーターから電子メーターに変わって久しいが、それでもやはり時とともにメーター表示料金変更により表示と実際の料金が乖離するようになり、「換算表」が備え付けられるようになる。(メーターがほとんど用いられない地域も少なくないけど)

    こんなのこそ、安いアンドロイド端末をここに据え付けて、その都度アップデートし続けられるアプリのようなもので運用すれば良いのにと思うのだが。いや、個人のスマホでは表示される内容の信頼性に問題あり・・・か。

  • コンパクトなトリプルタップ

    コンパクトなトリプルタップ

    ひとつの電源タップから3つに分割できるタップは他にも持っているのだが、これは特に小型・軽量なのが良い。そして丸型のソケットだけではなく、日本のようなフラットタイプのものにも対応するスグレもの。

    近年はガジェット類の持参が増えた結果、宿泊先のコンセントが足りず、テレビの電源を抜いて使ったりもするが、これがあれば心強い。また、タップ自体がヘタっていて電気が取れないことがよくある鉄道車両などでも、一度これを噛ませると電気が取りやすようだし、他の乗客が必要とする場合にもひとつの電源を分け合うことができて良いだろう。いろいろ融通が利きそうなタップだ。

    こうしたグッズは「見かけた時に即座に買う」のが大切。高いものではないし、後からもっと良いものが見つかればそれもまた幸い。

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  • トリスールでパリクラマー

    トリスールでパリクラマー

    トリスールの街の中心にほぼ四角形の大きな土地があり、その中心に名刹ワダッカムナータン寺院及びこれに従属するいくつかのお寺が集まっている。

    この四角い土地を「ラウンド」と呼ばれる環状道路事情が囲んでおり、その東西南北をそれぞれ「ラウンド・イースト」「ラウンド・サウス」「ラウンド・ウェスト」「ラウンド・ノース」と称している。道路は一方通行で時計回りに交通が流れている。ちょうどロータリーがとびきり巨大になったイメージだ。

    これにより街を代表する大寺院の周りでパリクラマー、つまり仏教やヒンドゥー教寺院などで普遍的に見られる「時計回りに巡拝」することになるわけなので、特別な意味が加わる。例えは大げさかもしれないが、カイラス山周辺を五体投地しながらぐるりと巡礼するイメージだ。

    朝から晩まで、そして深夜から未明は交通量はたいへん減るとはいえ、毎日どれほど多くの人たちがワダッカムナータン寺院の周囲をパリクラマー(巡拝)していることになるのだろうか。

    ここを観光客として訪問する我々も例外ではない。街の造りの関係上、一度や二度は意識せずともパリクラマーを行っていることになり、トリスールの街が功徳を積むことに貢献しているのだ。私も徒歩でこれを実施してみることにした。

  • インドのシンガーのミシン

    インドのシンガーのミシン

    日本でミシンと言えば祖母の時代の女性的なイメージがあるが、インドでミシンといえば路地や小さな店舗で仕事をしている男性たちの印象がある。

    インドでミシンといえば寡占状態にあるシンガーだが、創業171周年だそうだ。1852年と言えば、なんと「インド大反乱」勃発の5年前、英国政府ではなく東インド会社が統治していた頃からあるわけだ。そして創業翌年の1853年にはボンベイ・ターネ間で初の鉄道が走り、その後各地で鉄道建築を進めていき、インドの交通革命が始まったのだ。

    おなじみの黒い金属製の足踏みミシンは、長年改良を続けて現在に至るわけだが、おおよその形などは当時からさほど姿を変えていないというシーラカンス。

    散歩していたら新品ミシンをたくさん置いてある店があり、値段を聞いてみると、「8,500Rsだが今なら1,500Rs引いて7,000Rsなんですよ」と言う。つまり今のレートで12,000円強ということだ。

    懐かしい記憶の中に、田舎で暮らしていた祖母の家にこのタイプの(もちろんインド製ではなく日本製)ミシンがあり、足元の踏板で速度を調整しながら上手に縫いものをしている様子を幼かった私はすぐそばでしげしげと眺めていた記憶が蘇ってくる。

    こういう歴史的なミシンが今でも大量に生産されてドカドカとマーケットに出ているというのは、とてもすごいことに思える。

    祖母の家にあった日本のシンガーミシンもこれとほとんど変わらない形状だったようだ。そんな大昔のものが今も新品で生産されているインドに畏敬の念を抱かずにはいられない。