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カテゴリー: life

  • ツォ・モリリへ 3

    ツォ・モリリへ 3

    せっかくのツォ・モリリ到着だが天気には恵まれなかった。

    道を更に進んで村の中心部に入る。ここまで来るといくつかのゲストハウスの看板が目に付く。結局、ゴンパのすぐ隣のゲストハウスに宿泊することにした。ちょうどこの日にダージリンからあるリンポチェがやってくるとのことで、出迎える人たちが集まっていた。この村の人々以外に、周囲の地域で遊牧をしている人たちも大勢来ているとのことで、ボロボロの恰好をした人たちも少なくない。外地から高僧がはるばる訪問するという特別なハレの日ということもあり、ラダックの伝統的な頭飾りと民族衣装をまとった女性たちの姿もある。

    遠来のリンポチェの到着を待つ人々

    しばらくするとリンポチェのお出まし。人々が急に列を成して出迎える。さきほど見かけた伝統衣装と頭飾りの女性たちが先導して、リンポチェのクルマがやってきた。この出迎えの儀式が終わると、みんなそそくさと帰っていく。

    「いよいよお出まし」の知らせとともに道路脇に整列する人々
    伝統衣装で着飾った女性たちがリンポチェの乗るクルマを先導

    幸いなことに雨は止んだ。しばらく湖の風景をカメラに収める。そうこうしているうちに晴れ間が出てきて、ほんのわずかな時間ながらも深い青色湖の姿を眺めることができた。この時点で気温はわずか12℃。夜間には零下になることもあるのだとか。天空には晴れ、曇り、そして雨天が混在し、広大な大地に複雑な陰影を投げかけている。湖対岸の山々にかかる雲の低さに、ここは海抜4,500mであることをしみじみと感じる。

    幸いなことに少し晴れ間が見えてきた
    喜んだのも束の間、すぐに厚い雲に覆われてしまったりする。
    負け惜しみみたいだが、大地に投げかけられる陰影が刻々と変化するのを眺めているのも楽しかった。
    彼方に見えるこの山は中国なのだそうだ。
    僧侶たち

    同行のマイクとキムと斜面の展望台まで上ると、村の子供たちが集まってきた。好奇心旺盛な彼らは、ちょっと照れくさそうにしながらも、私たちにずんずん迫ってきていろいろな質問をしてくる。そうでありながらも、やはり行儀が良くて控えめなのはラダック人らしいところだ。

    村の子供たち。みんなとても利発そうだ。
    マイクとキム、そして村の子供たち

    斜面を宿のあたりまで下り、ゴンパのお堂を拝観。ちょうど10日に一度のバスが到着したところのようで、正面の広場のところに停車している。

    10日に1回、レーとの間を往復するバス。ツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着した翌朝、レーへ折り返す。

    宿とゴンパの間のスペースに大きなテントを張って営業している食堂がある。ここはかなり繁盛していて、お客がひっきりなしに出入りしている。外国人の利用者も多いようだ。特にこれといった産業もなさそうなこの村で、手際よく、相当なハイペースで仕事を続けている姿を見ていると、おそらくここの女主人は稼いだお金でもっと立派な食堂を建てたり、旅行者相手の宿を開いたり、ということになるのかもしれない。

    テントの食堂の女主人は大変な働き者

    マイクとキム、そして本日のレーからのバスで到着したという西洋人たちと楽しい会話をしながらの食事。こういう気楽な時間を持てることも旅行の楽しみのひとつである。

    この村の野犬は毛足が長く、いかにも高地かつ寒冷地に適応したものであることがわかる。ロバも毛足が長めになっている。動物もやはりこうして環境に適応するようになっているのだろう。

    テントの中に座っているのも少々寒くて辛くなってきた。私たちが宿に帰ると、テレビではクリケットの中継が放送されていた。マイクとキムはオーストラリア人らしくクリケットフリークのようで、宿の人や宿泊しているインド人旅行者とクリケット談義に興じていたが、こちらはこのスポーツについては関心がないのでついていけない。本来ならば、インドにおいてクリケットは必須科目であることは間違いないのだが。

    天気さえ良ければ、灯の少ないコルゾクの村の夜には満天の星を楽しむことができたのだろうが、あいにく空模様はそういう具合ではない。それでも雲の切れ目から湖水に降り注ぐ月の光が美しかった。

    雲の切れ目から月が覗く

    〈続く〉

  • ツォ・モリリへ 2

    ツォ・モリリへ 2

    午前11時ごろにチュマタンという温泉が出ていることで知られる集落。小さな浴場の小屋がひとつあるだけで、温泉そのものが有効に活用されているわけではない。地表から湯が湧き出ているという現象自体がひとつの観光名所となっていることから、ツォ・モリリに行くついでに立ち寄るマイナーなスポットとなっているだけのことである。

    昨夜から天気は悪く、ときおり雨がぱらついている。晴れてくれないと、ツォ・モリリの湖の深い青さを堪能できないことになるので、ちょっと気がかりである。ここから先は少々険しい山道となり、雨脚も強くなってきた。道路にはところどころ水たまりもできている。こんな禿山ばかりのところで雨が降るとがけ崩れでも起きやしないかとちょっと気になったりもする。

    遠くに湖が見えてきた。

    しばらく走ると湖が見えてきた。これがツォ・モリリかと思ったので、想像していたよりもずいぶん小さくて拍子抜けした。だが周囲の開けた景色はなかなかいい感じだ。だが周囲に村や宿泊施設らしきものは見当たらず、果たして宿泊施設が湖からどのくらい遠いのかとも思った。私が同行のオーストラリア人カップル、マイクとキムと盛んに「ツォ・モリリ」について話しているのを耳にしたナワンが言う。「え?あの湖はツォ・モリリではありませんよ。」

    だがこの湖はツォ・モリリではなかった・・・。
    このあたりまで来ると行き交うクルマも極端に少なくなる。

    途中の道で遊牧の人たちのテントも見かけたが、道路沿いでしばしば見かけるのは、道路作業の人たちのテント。インドの他の地域から来た人たちが工事のためにそこに住んでいる。岩を砕いてバラストを作っている人たちもいるが、夜は冷え込んで辛いことだろう。もちろん身体を洗うこともままならないはずだ。

    道路工事の作業員のテント

    「本物のツォ・モリリ」は、さらに荒野をひた走った先に見えてきた。平地では考えられないような低いところに立ち込めている雲の様子を目の当たりにすると、このあたりで海抜4,500mもあるというのも頷ける。

    最後の橋を渡ってから左に進み、湖畔の道をどんどん進んでいく。天気もますます悪化していて、雨もさらに強くなってきた。どんよりとした灰色になってしまった湖は岸辺のあたりは不思議な青色をしている。湖の遠くの部分は晴れているようで、太陽の光が注いでいるのが見える。雨が降るようになると、それまで非常に視界が良かったラダックの景色が一変して、遠くが見えなくなってしまう。やはりラダックの眺望の良さは湿度が極端に低いためであることがよくわかる。

    湖の沿岸を進んだ先には軍のチェックポストがあり、そこで追い返されることになった。そこから先、民間人はオフリミットとなっているそうだ。さきほど橋の左手を進んだのが間違いで、本来は右手に行くべきであったらしい。それでも湖畔を余計にドライブできたことは良かったと思う。午後3時くらいにツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着。

    〈続く〉

  • 下ラダックへ 7

    下ラダックへ 7

    朝5時過ぎに起きて、部屋で少し日記を書いて身支度してから宿のテラスで朝食。

    ラダックの朝日は心地よい。東の空が赤く焼けることなく、淡々と明けていく。夕方は夕方で、西の空が真っ赤に染まることなく、粛々と日が暮れていく。高度の関係もあるのかもしれないが、おそらく空気に含まれる水分が少ないからなのだろう。

    朝方の眺めが最もクリアなことはもちろんだが、それでも昼間のどの時間帯でも抜けるように遠くまで見渡すことができる。これもまた湿度が低いため、気温が上がってきても霞がかからないからだ。そのため、やたらと視力が良くなったかのように思ったりするのだが、これは錯覚であることは間違いない。

    夜は夜で、周囲に灯さえなければ、満天の星を満喫することができる。たとえ宿泊施設やその周囲で電灯が煌々と光っていたとしても、ラダックの大半がそうである「午後11時給電停止」の地域であれば、宿の窓からでも信じられないほど派手な星空を楽しむことができる。

    平地であれば、これが大気汚染に侵されておらず、空気が澄んだ地域であったとしても、文字通り流れるような天の川を眺めることは無理だ。やはりラダックの高度とともに、湿度の低さが天空の絶景の秘訣。

    これから向かうのは、レーへと繋がる幹線道路から少しそれたところにあるリキルゴンパ。ここはシャームトレックと呼ばれる一泊二日のミニトレッキングの起点にもなっている。レーからは遠くはないが、公共交通は日に1往復しかないためクルマをチャーターして訪問する人たちが多い。

    山間で、人口密度は希薄、そして外部から大規模な投資を呼び込むような産業もない地域なので、公共交通機関の頻度もまた同様に希薄なものとなる。やはりクルマをチャーターして回らないとラダックは旅行しづらいものがある。

    往来の希薄さが地域ごとの個性、独自性といったものを維持する大きな要因となっていることは言うまでもない。まずは外部からの遮断性。国境を挟んで向こうの中国側との間を行き来する公式なルートは皆無であり、インド国内にありながらも陸路でスリナガル方面ならびにマナーリー方面と往来できるのは夏の時期に限られている。観光客もインドの他の地域からの出稼ぎ人たちも、大半はこの時期にやってくる。「そこに仕事がある限り、UP州、ビハール州そしてネパールの労働者たちはやってくる。」というのがインドの常だ。

    しかしながらラダックのシーズンである夏季以外のアクセスの悪さや気候条件により、シーズン以外には訪問客が極端に少なくなる。そのため観光産業関係では、未シーズンオフは休業となる。観光以外に外地からの労働者を多く受け入れている農業もまた長い農閑期ということになるため、出稼ぎにやってくる外地の人たちの雇用機会がないという季節的な環境もまた、地域の独自性を守る働きをしてきたといえる。

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    本日、アルチーからレーに戻る途中に訪問するのはリキル・ゴンパ。勇壮な感じで造りも立派だ。やはり他のメジャーなゴンパ同様に、観光客からの収入、とりわけレーから近いこともあり、クルマをシェアして訪れる旅行者が多いこと、そしてトレッキングの起点にもなっているので、ついでに訪問する人も少なくないということがあるに違いない。

    そうした関係で、ひょっとすると従前とは違った秩序が形成されているのかもしれない。同じ宗派に属して、それまでは格上のはずであった寺院が経済面において、相対的に地位が低下したり、その逆があったりということもありえるのではないかと思う。

    ゴンパからの眺めも素晴らしい。いくつかのゴンパを見学すると、いつしかどれも同じ?といった感じになってしまうものの、周囲の風景の豪快さは格別である。

    幹線道路を走っていると、次々にバイカーたちの姿をみかける。西洋人も多いが、同様にインド人も多い。荒野にはやはりロイヤルエンフィールドが似合う。半世紀以上前に設計されたバイクであるが、今でも新車で購入できるというのがいいし、そもそもデザインもエンジンの音もかっこいい。

    運転手と3日間一緒に過ごすので、どんな人か最初は少々気になっていたが、話好きで人柄も良くて楽しい旅行となった。もう10数年運転手をしているそうだが、訪れる場所についていろいろ好奇心は尽きないようで、クルマから降りてどこに行くにも同行してくれた。オフシーズンにはザンスカールに戻るのだそうだ。

    レーに戻り、これでナワンさんとはお別れ。またいつか再会することがあれば、ぜひまたもや運転をお願いしたいと思う。

    〈完〉

  • 下ラダックへ 6

    下ラダックへ 6

    アルチー・ゴンパ
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    アルチーに到着した。アルチーのメインアトラクションであるゴンパへの参道には、ゲストハウス、レストランやみやげもの屋などが集まっており、かなり観光化されている感じはするものの、その一角を外れるとまだまだ素朴な村といった風情だ。
    アルチー・ゴンパのある一角から少し離れたところにある集落の裏手には、昔の領主の古い館が見えるので、しばらく散策してみる。館は正面から見ると端正なたたずまいを残しているものの、背後は崩落している部分も多いため、今にも倒壊しそうな危険建築となってしまっている。
    遠目には立派に見える館だが・・・。
    壁はいつ倒壊してもおかしくない状態であった。
    館の手前にある集落は、どれも伝統的な建物ばかりで趣がある。近くでは麦の収穫作業中で、女性たちの姿が目立つ。そうした中にも平地から来たインド人出稼ぎ男性たちがかなりいるようだ。町中や観光地での外地からの訪問客相手の商売にかかわる仕事に比べて実入りは決して良くないものと思われるが、それでもこうして働いている出稼ぎの人たちは、月にどのくらいの収入があるのだろうか。またそうした仕事を求める人々の流れはどのようにして形作られているのだろうか。おそらくそうした人材ネットワークで稼ぐ商売人たちがいるのだろう。
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    宿の近くのベーカリー兼レストランで夕食していると、バイクで旅行している若いインド人男性がやってきた。店主に対してチベット仏教のこと、そうした関係のことを書いてある本について、その他この地域の様々な事柄について質問している。デリーから来たとのことだが、出身はハリドワールであるとのこと、
    店主がテーブルを離れてから、しばらく彼と話をしたが、マーケティングの仕事をしていたが退社して、フリーランスのライターとしてやっていくことを画策しており、これまででひと月半、これから残りひと月半をバイクでの旅行に費やす予定ということだ。
    ラダックではこれまでザンスカールを回ってきたところで、様々なゴンパを手当たり次第に訪問してきたものの、ただ訪れただけでは、仏像や仏画の意味がわからないので、それらを知るための資料を探しているという。彼の名前はアビジート。
    こうした自由なライフスタイルを謳歌する人たちがインドで増えてきている。彼の年齢は30前後くらいか。昔のインドにはあまりいなかったタイプだろうが、このような人たちが確実に増えているのが今のインドであるといえる。
    _
    〈続く〉
  • 下ラダックへ 5

    下ラダックへ 5

    地層のダイナミックな褶曲
    こちらの褶曲ぶりは非常に複雑。まるでパイのよう・・・?

    ラマユルを後にして、リゾン・ゴンパに向かう。アルチーに向かう幹線道路から外れて、川沿いの細い道を上っていく。ラダックの山肌を眺めていると、ここでもそうだが、地層の褶曲の凄まじさに目を奪われることがしばしばある。

    荒涼とした景色の中、清いせせらぎの眺めが目に優しい

    もちろんそうした激しい褶曲はラダックに限ったことではないはずであることは言うまでもない。山肌に木々が生えていると見えなくなるため、ヒマラヤ全域においてこのような具合であるはずなのだ。

    小規模な落石の除去作業が進行中

    まさに木々が極端に少ないがゆえのことだが、地滑りはかなり多いようだ。とりわけこの地域では多くない雨が降ったりすると、保水力を欠くがゆえに崖崩れは頻繁に起きてしまう。

    いずれにしても、このように乾燥した高地にはあまり馴染みがないがゆえに、どこに行っても景色がとても物珍しく感じられる。

    垂直によじれた地層がさらに浸食されたものと思われる。

    リゾン・ゴンパに到着

    リゾン・ゴンパに到着。乾燥した山々に囲まれたこの場所の周囲には、集落らしい集落も見当たらず、まさに人里離れた修行の場という感じがする。こうした寺院で起居している僧侶たちはもちろんのこと、ラダックでは村の人々の間でも、高齢者でなければ普通にヒンディーが通じることを期待できる。言葉に対する柔軟性が高い民族であるということもあるのだろうが、J&K州の公用語のひとつが話し言葉はヒンディーと近い関係にあるウルドゥーであり、誰もが学校で学んでいるということが大きいだろう。

    ゴンパの屋上からの風景

    リゾン・ゴンパを後にして、しばらくジープ道を下っていくと、運転手のナワンは道端の人影に何やら呼びかけて停車。「なぜかウチの村の人たちがいた!」とのこと。彼らはザンスカールのナワンと同じ村の出身だが、今はカールギルで暮らしているという。

    彼らは家族連れで、木陰に敷物を敷いてコンロで煮炊きをしていた。ちょうど昼ご飯を食べていたため、私たちもご相伴に預かることになった。

    運転手ナワン(右から二人目)と彼の同郷の人たち

    〈続く〉

  • 下ラダックへ 4

    下ラダックへ 4

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    国道1号線をカールギル方面に進み、途中からジープ道に入ってしばらく進んだところにあるアティスィー・ゴンパに向かう。

    荒涼とした景色の中の山の高みにあるその寺は、規模こそ大きくはないものの、そして僧侶は常駐していないとのことだが、なかなか趣きがある。ラマユルのゴンパの別院という位置づけだそうだ。

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    お堂に飾られている高僧の写真の中には西洋人らしき僧侶の姿もあった。運転手のナワンさんの話によるとドイツ人であるそうだ。リンポチェがドイツに転生するとは興味深い。昔は、チベット仏教の世界はチベット仏教圏であったので、その圏内に転生することで良かったのだろうが、最近は遠く西洋に転生することもあるのだろうか。

    ところで転生といっても変なところに転生すると、一般人として生活することになる。たとえば仏教圏でも日本に転生したら、日本社会でリンポチェ=活仏としては扱われないだろうから、「発見される」こともないことになる。すると仏教圏からはるか彼方のドイツに転生したとして、いったいどうやって見つけられるのか?と不思議に思う。

    ラマユル遠景

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    その後、ラマユルに戻り、ラマユル・ゴンパを見学する。境内はよく整備されているし、僧坊も同様のようだ。20年以上前に訪れた際には、ラダックのどこの寺院もひどい状態であった。やはり現在はお金の回りがよくなったのだろう。インド人観光客が増えている。文化財の補修や保守のため、どこかから補助が出ているのかもしれないし、インド経済そのものが向上しているため、このあたりにもお金が回って来るようになったのかもしれない。

    同様に、外国人観光客から入場料を徴収するようになったこともこれに寄与しているのではないかと思う。多くの外国人観光客は寄付を置かないため、このような形で徴収すると、寺院の財政に寄与するものが少なくないことは間違いない。ちなみに現在、この寺院が外国人から徴収している入場料は50ルピーである。

    寺院で日々を送る僧侶たちの生活にかかるコストがあるわけだし、法要や祝祭その他でかかる費用もある。また寺院の修復やメンテナンスにも相当な金額がかかるわけなので、こうした形で定収入を確保することは運営上必須だ。

    こうしたチベット仏教の世界について門外漢なのでよく知らないのだが、寺院運営にかかわる事務方の人たちもかなりいるのではないかと思う。寺院の予算や収入・支出の管理、同宗派の他の僧院との連絡調整、地元社会との緊密な連絡等々いろいろあるはずだ。大学が教授・講師陣だけで成るものではなく、数多くの事務方の人たちがいるのと同様に、僧院が僧侶の修行だけで成り立つとは思えない。寺院の規模が大きくなるほど、そうした俗世間じみた仕事は多くなるはずだ。

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    在家の人たちがこれに携わっているのかもしれないし、僧衣をまとっていてもそうした事務仕事を主に扱う役割の人がいるのではないかと思う。それはたとえば入場料のチケットを販売している人などだ。一般人もいれば、僧衣を着ている人の場合もある。寺院がどのような形で収入を上げているのかはよく知らないのだが、いくら名刹であっても、そこに僧侶という多数の人々の生活を支え、宗教団体としての活動を維持していくためには、きちんと営利を上げていくことと、きちんとした予算や収支の管理が必要であることは言うまでもない。お寺を訪問しても壁画や仏像の意味さえよくわからない私だが、そうした現実的な部分に関心がいってしまう。

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    灌漑がなされているところには豊かな緑
    ラマユルから少し下ったところにある通称「ムーンランド」

    〈続く〉

  • 下ラダックへ 3

    下ラダックへ 3

    ダーまで来ると、海抜はかなり下がるためか、少々暑苦しく感じる。それでも優に標高3,000mはあるはずなので、高地であることは間違いないのだが。

    _

    さて、今晩はどこに滞在しようかと思い、アーリア人の村、ダーも魅力的なのだが、ここに来る途中で眺めの美しさに心打たれたスクルブチャンに向かうことにした。村では夕方遅くなってからも収穫作業中で、人々は忙しく働いていた。ゲストハウスの類はないので、どこかホームステイできるところはないかと尋ねまわってみたが、受け入れているところは見つからず、そのままラマユルに向かうことにする。

    スクルブチャンの村は収穫の時期

    カルツェ方面にしばらく走り、インダス川の対岸に渡り、カールギル方面への道を進む。ラダックはどこもそうだが、水があり、人々が耕作している地域以外は乾燥しきった大地が続き、木々の姿もない山肌が続いている。

    地層が垂直になっている巨大な岩盤

    地面がむき出しであるがゆえに、地層の激しい褶曲を目の当たりにすることができるため、太古の時代には海の底であった現在のヒマラヤ地域は、インド亜大陸とユーラシア大陸が衝突して持ち上がった結果、形成させてきたものであることがよくわかるとともに、現在もさらに成長しているということも納得できるのである。同時に、山肌や大地の色合いからして、場所により地質が大きく異なることも観察できるようになっている。

    おそらくラダックだけではなく、インドのヒマラヤ地域全域に共通することなのだろうが、他の地域では豊かな緑に覆われているため、そうとは気付かないものだ。

    ラマユル近くの通称「ムーンランド」。ここの地質も特徴的だ。

    ラマユルに到着すると、すっかり陽は暮れていた。ここはメジャーな観光地なので、ラマユル・ゴンパの周辺にはいくつもの宿が軒を連ねている。

    宿泊したところの中庭には、バイクでツーリングしているグループが食事をしていた。デリーからヒマーチャル・プラデーシュのマナーリーを経てラダックまで走行してきたメンバーはスペイン人とフランス人で、そのリーダーはツアーの主催者であるスペイン人のパブロさん。恰幅の良い中年男性だ。

    彼は、90年代にはデリーでラージャスターンの建築史を学ぶ学生であったという。その後、スペインで仕事に就いていたが、2年前から再びデリーにやってきて、旅行代理店を経営しているそうだ。彼の店はバイクによるツーリング専門で、お客がスペイン人、フランス人の場合は自分がツアーを率いて、それ以外の場合は雇っているインド人スタッフに任せていると言う。

    10月にはブータン行きのツアーを予定しているそうだ。そのツアーは12日間で、デリーからバグドグラに飛び、そこからスタートしてジャイガオンからブータン入りするものだという。1日あたり2,500ドルもするそうだ。宿泊代は込みというがやはり飛び抜けて高い。かなり富裕な層の人たちが参加するのだろう。

    自室に戻ってから、しばらく日記を書いていようかと思ったが、10時15分くらいで電気が消えてしまう。その後点灯することなく11時を回った。ノートPCのバーテリー駆動で日記を書いていたが、真っ暗な中ではとても目が疲れるのでやめて寝ることにした。

    〈続く〉

  • 下ラダックへ 2

    下ラダックへ 2

    荒野をひた走ると、やがてザンスカール川に出た。冬季にかの有名なチャーダルトレックが行われるあの川だ。

    ザンスカール川

    そこから川沿いにしばらく進むと、やがてインダス川との合流点に到達する。やや黒い感じの水のザンスカール河がミルクのような色のインダス河と交わると、その先は完全にインダスの色になって流れていく。人も水もそうだが、やはり量の多いほう、影響力の強いほうの色に染まるようだ。このあたりでは観光客向けにラフティングも行なわれているそうだ。

    ザンスカール川(左)とインダス川(右)の合流点

    滔々と水が流れるのとは裏腹に、どこまでも木々の姿がない荒々しい光景が続く。ただし水の流れがあるところにはちょっとした木立が形成されていたり、集落があったりする。

    チェックポスト

    本日向かうのはアーリア人の谷と俗称されるインダス沿いのアーリア系の仏教徒たちが暮らす地域。レーから一路カールギル方面に向かう。カルツェを少し過ぎたあたりにチェックポストがある。ここで、運転手がパスポートとパーミットの写しを持ってオフィスに向かう。この先が二差路になっていて、右側がダー、ハヌー方面、左がカールギル方面となる。前者のルートに向かう場合はパーミットが必要となる。

    木々のない山肌の地層。褶曲具合がすさまじい。

    ダー、ハヌー方面に進み、最初に訪れたのはスクルブチャンの村。ここには古い領主の館がある。外はややきれいに修復されているが、中は荒れ果てるがままといった状態。一階は仏間になっており、上階は居室になっていたらしい。ラダックの伝統建築として価値の高いものであると思われるので、今後も修復が進むことを期待したい。

    スクルブチャンの村
    昔の領主の館

    村ではちょうど収穫の時期で、麦藁が畑や道端に積み上げてある。家屋も大きめで比較的きれいなものが多く、他に比べて豊かな村らしいことはわかる。詩的かつ牧歌的な眺めが美しい。かなり大きくて真新しい家もあるのだが、どういうところから収入を得ているのだろうか。

    この村にあるゴンパを訪れてみた。階段を上ったさきのお堂は修復作業中で、仏像の作りかけのものも置かれており、壁にタンカを描く職人たちが作業中。そのさらに上のお堂はなんと岩をくり抜いて造られたものであった。坊さんがチャーイはどうかと勧めてくれたが、あいにく時間がないので丁重にお断りした。

    作りかけの仏像
    岩をくりぬいて造られたお堂

    このあたりの人々は、普通のラダック人に見えるので、インダス川沿いのそう遠くないところにアーリア系の人々が居住している地区があるとは、にわかに信じがたい。

    ところどころで清流が流れている。非常によく澄んでいるのだが、これがインダス河に流れ込むとやはりインダス河の色になって流れていく。

    さらに進んでハヌーを通過してビャマー、そしてダーへと向かう。ハヌーに着いたあたりから確かにアーリア系らしき人たちが多くなった。ブロクパと呼ばれる人々だ。かなり日焼けしている人たちが多いため、見た目は平地のインド人のようにも見える。おそらく彼らが平地のインドに出たら、ラダックから来たとは思われないことだろう。それでいて名前を名乗るとまったくそれらしくないので、珍しがられることだろう。

    ここから先にはガルクン、ダルチクといった村があるが、後者はムスリムになっているらしい。ハヌー、ビャマー、ダーといったところに住んでいる人たちは仏教徒だが、アーリア系の仏教徒というのは珍しい。もっとも改宗したのは19世紀くらいからであるとのことなので、それまでは独自の宗教があったのだろう。おそらくその時期あたりから外部との行き来が盛んになったということも示唆しているのではないかと思う。ブロクパの居住地域のうち、もっと西側のムスリム化されたエリアでもそのあたりから改宗が進んだのだろうか。

    おそらく学術的に興味深いものがある民族なのだろう。彼ら独自の言葉があり、仏教以前の文化も残っているらしいし、そのひとつには収穫祭であったり、ほおずきや花を髪飾りにしたりするといった習慣があるようだ。おそらく独自の装いもあるのだろうが、現在では男性は洋服、女性はパンジャービーを日常的に着用しているのが見て取れる。こうして独自の伝統は次第に廃れていくことになるはず。

    ビャマーで彼らのごく新しい仏教寺院を訪れたが、誰もいなかった。特殊な少数民族の寺であるにもかかわらず、完全にチベット仏教式であることには驚かされる。運転手が管理人を探してきてくれて扉を開けてもらって中を見学することができた。管理人の話によると、この寺は昨年できたばかりとのこと。建設資金はダライラマによる提供であるとのこと。

    ビャマーの真新しい仏教寺院

    お堂の中はかなり変わっていた。大勢が入ることができるホールになっているのではなく、いくつかの個室になっている。仏間のある部屋、その隣には応接室、そして寝室がある。貴賓、つまり高僧が訪れる際に宿泊施設として用いられるのだという。これが二階部分。一階部分は高位のラマの居宅になっているとのことで見学することはできなかった。

    ビャマーの集落

    村で若い女性たちの姿があるが、やはりアーリア系の人々であることが一目でわかる。アーリア人の谷、Aryan Valleyという俗称はなかなかいいので、まさにこの名前で観光客誘致するとかなりうまくいきそうな感じがする。だがアーリア人の谷といっても、北インドの人たちもまたアーリア系であり、欧州の人々もそうなので、「アーリア人」という言葉が何かエキゾチックなものとして彼らの耳に響くことはないのかもしれない。

    ダーの村に来ると、ラダックの普通の家のようなものもあるが、どこか違うたたずまいの建物もある。横に細長い村で、どんどん進んでいった先にはゲストハウスがある。しかし電球がなく、聞くともともと電気は来ていないとのこと。ただ近くでの水力発電の電気により、庭にある電球は灯るとのこと。

    村の中には水路が引かれており、明らかにラダックの他の地域の人々とは異なる風貌の女性たちが洗濯しながらお喋りに興じている。太古の時代に亜大陸方面に移動してきたアーリア人たちの中の小さなコミュニティがラダックのこの地域に住み着き、近代に入るまで外部との交渉も限られており、独自の文化と信仰を守り続けていたということは非常に興味深い。

    ダーの村の家屋の入り口。ラダックの他の地域とはかなり違う感じがする。

    〈続く〉

  • 下ラダックへ 1

    予約したクルマは、午前7時に宿の前で私を拾ってから出発ということになっている。運転手のナワンさんは、昨日夕方に旅行代理店で会って少し話をした。30代の彼は、毎年シーズンには妻子をザンスカールに残してレーに単身でやってきて、主にチャータージープの運転をしているという。

    もっと若い頃には、軍の基地関係の運転手をしていたこともあるとのことだ。1999年のカールギル紛争のときには、まさにカールギル界隈で仕事をしていたとのことで、戦争の恐ろしさを身近に感じたという。

    2泊3日で同行してあちこち連れて行ってもらう相手なので、その人柄は少々気になるところ。ちゃんとした感じで性格も良さそうな人物なのは幸いだ。もっともラダックでは感じの悪い人に出会った記憶はあまりないのだが。

    昨日の印象では好感の持てる人物だが、宿の庭に出てしばらく待っているものの、7時半過ぎても来ない。約束と時間には律儀な印象のあるラダック人だが、ちょっと気になるので昨日聞いておいた携帯電話にかけてみるが繋がらない。

    しばらくやきもきしていると、ナワンさんはやってきた。「すみません。配車の関係でちょっとトラブルがありまして・・・。」

    寝坊しただけなのではないかと思うが、旅行代理店で約束した車種であるので、まあいいのだが・・・。

    月面のような風景の中をひた走る。国境地帯なので、どこに行っても軍施設が沢山あり、軍用車両が走り回っている。幸いなのは、この地ではまさに国境守備のための軍であり、地元の人々と軍との関係は良好であることだ。

    高地戦の部隊として地元ラダックでリクルートされた「Ladakh Scouts」を除けば、外来の部隊がこの地の守備に当たっているわけだが、同じJ&K州の西部にあたるカシミール地区と異なり、インド軍の銃口は国境の向こうの敵軍に向けられている。

    カシミール地区においては、国境向こうのパーキスターン側への編入ないしはパーキスターンによるバックアップによるインドからの分離を支持する意見も多い。さらには、パーキスターンによる工作や諜報といった活動はもとより、インドに対する武装闘争に加わる人々も少なくないという背景もあることから、軍の銃の向けられている先は、国境の向こう側であるとともに地元住民でもある。軍による地元住民に対する重篤な人権侵害の事例も多く、人々の中で自分たちがインドによる占領下にあると感じる人が少なくないのは当然の帰結である。そこまで毛嫌いしておらず、治安対策に関する必要悪だと思う人たちにとっても、あまり好意的には捉えられていないだろう。

    話は戻るが、これに比較すると、同じ州内の東部にあたるラダック地区では、国境の向こう側の中国に対する感情としては、チベット文化圏に対する侵略者、抑圧者のイメージでしかないがゆえに、たとえ文化的・人種的に異なるJ&K州からの分離要求はあっても、インドからの分離、あるいは中国への併合要求などあり得ない。そして、インド軍は、恐ろしい中国の侵略を防いでくれる守護者であり、軍に関連する産業は観光や農業を除けば数少ない就労機会、そして投資機会を与えてくれる存在でもある。

    地元の人々の人口の大半がチベット仏教、そして残りがムスリムであるこの大地で、幹線道路沿いや軍施設周囲に点在するヒンドゥー寺院やスィク寺院は、軍関係者が参拝するものである。

    〈続く〉

  • 一夜明けて 2

    一夜明けて 2

    クルマの手配の関係で、レーの中心部にある旅行代理店経営者のワンチュクさんとやりとりしていた際、息子さんが明日のパンゴンツォ行きの予約をしていた人に電話しているのが聞こえてきた。

    「もしもし・・・。あなたが予約されていたシェアジープなのですが、がけ崩れにより、少なくとも二、三日は道路が不通になるようです。払い戻し、あるいは出発日時の再設定ということになりますが、オフィスまでお出でいただけませんか?」

    出発前ならば、お客としても対応できる余地はいろいろあるのだが、帰り道にこうなってしまうと、道路が再開するまで待つしかない。どこかに観光に出てレーに帰着する翌日にデリー行きのフライト、そのまた翌日が帰国便というスケジュールを組んでいたら、即アウト!である。日本人の場合は、タイトなスケジュールを余儀なくされている人が多いので、こういうところがなかなかキビシイ。私が向かうのはパンゴンツォではないので他人事ながらも、そうした場合の対応をいろいろと考えてしまう。

    クルマの手配をしているうちに正午を大きく回ってしまった。旅行者相手の食堂で昼食をした後、近くにあるカフェで大きなアンズのタルトを注文すると、もう腹一杯になってしまった。

    昼食
    昼食後のデザートはアンズの大きなタルト
    上の画像のタルトの中身の材料 アンズ

    その後、シャーンティ・ストゥーパに上る。道路から頂上まで、およそ15分程度だろうか。やはりここからの眺めは素晴らしく、レーとその周囲のインダス川沿いに開けた緑したたる大地とその周囲の不毛な山々を望むことができる。空は曇ってきた。北の方角から雷の音がして、ドラゴンでも出てきそうな気がする。

    日本山妙法寺が建立したシャーンティ・ストゥーパ
    色合いはともかく、カタチは和風
    水が得られる部分の緑とそれ以外の部分の不毛さとのコントラスト
    大きな町ながらも居心地の良いレーの町。やはりここが名実ともに乾燥した大地の中の「大きなオアシス」であるがゆえのことか。

    昨年来たときは、その前の訪問から20年ほど経っていたこともあり、その変容ぶりには大変驚かされたが、今回は昨年と特に変わったようには感じられない。だが旅行業関係の人によると、昨年に比べて訪問客はかなり減っているそうだ。「春先には中国による侵犯があったし、6月にはウッタラーカンド、ヒマーチャル・プラデーシュで大雨による大災害があったりもしたので、ヒマラヤ地域は危険ということになっているのかもしれない」とのこと。

    特にここでシーズンに働いている人たち、そうした人たちが従事する産業といえば、往々にして観光関係(農作業に従事する他地域からの出稼ぎ人も多いが)ということになるため、現地での情勢はもちろんのこと、近隣地域の動きや災害に関する風評によっても景気が大きく左右されてしまうことになる。

    もちろんどんな産業にも固有のリスクや弱点等はあるものだが、観光業というのは、自助努力だけではどうにもならないファクターが大きいのは辛いところだ。

     

  • 一夜明けて 1

    一夜明けて 1

    宿の建物の手前は家庭菜園

    宿泊先の宿では、お客が庭先に出てきて本でも読み始めたり、おしゃべりを始めたりすると、ジャールカンド州から出稼ぎにきている使用人たちが、すぐにチャーイとビスケットを出してくれる。宿の清掃は行き届いているし、サービスも良く、非常に好感度の高い宿泊施設だ。

    昨夜、外で夕食を摂って戻ってきた際にしばらく話をしたアメリカ人、ラダックで活動するNGO関係者のスイス人と彼が今回率いているスタディーツアーの参加者として来ている数人の欧州人たちと朝食を共にする。他愛のない会話をいろいろな国々からやってきた人たちとすることができるのは旅行の楽しみのひとつでもある。

    その後、歩いてメインバザール近くのカフェでチャーイを飲みながら、WIFIでネット接続してメールのチェックをする。最近、こういう環境はインドでも着実に増えていて、ラダック地方では少なくともレーにいる限りは、ウェブ接続にはあまり困らない。

    レーの町は電気の24時間供給体制という「歴史的な変化」でどう変わるのか?

    昨年からのことのようだが、給電が午後7時から午後11時までというあまりに貧弱な状況からは脱却しており、レーとその周囲では、電気は基本的に24時間供給されるようになっている。もちろん停電は頻繁にあるのだが、「自家発電のある施設以外では1日に4時間しか電気が来ない」のと、「停電は多いが、市内全域で1日中電気を使うことができる」というのでは、事情が180度転換したと言ってもいいだろう。これは「歴史的な変化」として、地元の人々の間で共有される記憶となるのではないかと思う。

    そんな具合なので、これまではなかなか難しかった商売が可能になったり、販売できなかった品物が売れるようになったりするということもあるだろう。人々のライフスタイルにも少なからず影響を与えることだろう。

    そんなことを考えていると、やはり停電になった。店内にかかっていた音楽は止まり、ネットにも繋がらなくなる。するとそれまで黙って手元のタブレットやPCに向かっていた人たちが、手近にいる人たちとの会話を始める。電気が来ない、というのはそんなヒューマンな側面もある。でもはるか彼方の人たちと通信したり、ここからは目に見えないほど離れている国で起きていることなどの情報を入手したりすることよりも、本来ならば声をかければ振り向くことのできる距離にいる人たちと大いに語り合うことのほうが自然なことであるに違いない。

    店内にいた若い北東アジア系男性は日本人であったが、アメリカの大学にて勉強中で、途中で休学してデリーの大学で環境建築を学んでいるとのこと。グジャラートの農村やラダックの農村などをはじめとする、環境と調和した伝統的な建築を調べているのだそうだ。この人は日本語がよくできないのかどうか知らないが、なぜかこの人との会話はすべて英語となった。

    「日本人とふたりきりで英語で話す」というちょっとレアな体験。日本人以外の人を交えて話をする場合、「みんなで会話するために」当然英語で喋ることになるが、自国の人とふたりきりという場面で、英語で話すというのはあまり記憶がない。外国育ちで、国籍は日本であっても日本語は不得手というケースもあるので、「日本語は出来ますか?」というのも失礼かと思い遠慮しておいたが、陽気でおしゃべりな好青年であった。

    トレッキングや登山のツアー参加者を募る旅行代理店の店頭の掲示

    シーズンのレーの町では、インドの様々な地域の人々の姿があり、また様々な国々の人々が行き交っている。この時期の主要な産業といえば、当然のごとく観光業ということになるため、商業地区に無数に散らばる旅行代理店の店頭には、シェアジープ、トレッキング、バイクのツーリングその他の参加者を募るポスティングがなされている。

    ツーリング仕様のエンフィールドのレンタルバイクをよく見かける。

    このところ人気が急伸しているように見受けられるのは、ストク・カングリー(6,153m)登頂のツアーだ。高度からして本格的な登山ということになるので、素人が気軽に参加して大丈夫なのか?とちょっと気になったりもするが、あちこちに参加者を募る貼り紙を見かける。

    本日、私が探しているのは、ある方面に向かうシェアジープなのだが、特定の場所についてはいくらでもそうした貼り紙が見られるのだが、今回の私の目的地の場合はその限りではない。旅の道連れがいれば、二人で割り勘にするだけでかなり違うのだが、そうでないのはソロで旅行する自由度との引き換えでのコスト高と思って観念するしかない。

    いくつものモスクがある旧市街地と隣接する商業地界隈

    商業地域がムスリム居住地区に隣接しているためか、あるいはこの業種自体がそのコミュニティの得意分野であるということなのかはよく判らないが、旅行代理店関係者はムスリムがとても多い。

    今回、クルマのアレンジを依頼することにしたのは、そうしたムスリム業者ではなく、ラダック人仏教徒のワンチュクさんの店。30年以上に渡って営んでいるというから、この業界では老舗ということになるだろう。家長である彼の指揮下で、彼自身の息子と娘が取り仕切っているため、誰かが不在でもオフィス内での連絡がちゃんと行き届いている印象を受ける。

    古からの交易路にあたるラダック地域では往々にしてあることだが、家族内でも顔立ちがずいぶん違う。典型的なチベット系の風貌のワンチュク氏に対して、息子はちょっと浅黒くて顔だちは父親とはやや違った感じ。色白で美人の娘さんはアーリア系の特徴が容姿やスタイルに出ているようで、家族3人と会っただけで、彼の一族には様々な民族の血が混淆していることが窺えるようだ。

    レーのメインバザール。ラダックの「丸の内」といったロケーションながらも、商う人々はとても感じがいい。

    〈続く〉

  • 屈強な大男にとってもやっぱり怖い!?

    ラダックのレーでデンマークから来た旅行者と知り合った。大胆不敵な印象を与える面構え、そして背丈190cm以上あるガッチリとした巨漢で、「建物のような」印象を与える頑健な男性である。

    ラダックに来る前には、自国から一緒に来たガールフレンドとカシミールでトレッキングをしていたそうだが、その彼女はホームシックになって急遽帰国することとなり、それで傷心状態にあるせいか知らないが、レーに入ってからは5日間ほど腹具合が悪くなって寝込んでいたのだという。見た目の豪快さとは裏腹に案外繊細な男らしい。その彼がこんな話をしていた。

    「お腹の具合も良くなってきて、一昨日の夕方はレーの中心部に出て食事をしていたんだ。ここに来る前に出会ったことがある人たちと再会して、飲んで会話して楽しかった。でもその後、まだ午後9時半くらいだったと思うけど、町の中心から少し離れたところにある宿まで戻るのが大変だった。」

    『どうしたの?』

    「どうも犬がねぇ・・・。宿への路地に野犬の集団がいて、ちょっとビビリながら近づくと、やっぱり吠えてくる。石を投げるとちょっと後ろに下がったりはするけど、結局同じところに戻ってくるんだ。自分たちの数に自信を持ってか・・・。」

    『そりゃあダメさ!犬は人の気持ちがよく判る。だから怖れていると敏感に感じ取るんだ。でも夜分に集団で囲まれたりすると恐ろしいね。僕も野犬は嫌いなので判るけど。それでどうしたの?』

    「同じ方向に行く地元の人でも通りかかれば、くっついて行こうかと思ったけど、誰も来なかった。仕方なく町の中心まで戻って、手近なところにあったゲストハウスに泊まったよ。犬なんかのためにアホくさいかもしれないけどね。」

    『ハハハ!可笑しいけど、賢明だったかもしれないよ。アンラッキーなことが続く中で、野犬にも咬まれてはたまったものじゃないね。』

    「そう。無事に通り抜けられる気がしなかったからね。」

    一見、「この世に怖いものはなし!」と宣言しているかのように見える立派な体格と風貌ながらも、やはり夜道で野犬の集団に出会うと怖いのか、と妙に納得。

    野良犬たちさえいなければ夜道はどんなに歩きやすいことか・・・。