近年のインドでは、ワイン需要が毎年3割前後の高い伸び率を示している。フランスやイタリアなどをはじめとする欧州産、南北アメリカやオセアニアからの輸入も好調だが、同時に自国産ブランドも着実に成長している。
国内消費を満たすだけではなく、欧州各国を対象に積極的に輸出に乗り出すようにもなっているのだ。日本でもChateau Indageを総代理店として輸入する会社があり、インド料理レストランなどで味わうことができるようになっているようだ。
インドにおけるワインの歴史は古く、インダス文明のころにはすでにブドウを原料にした酒が存在していたといわれる。またインドに進出した欧州の植民地勢力もワインを含む自国の酒文化を持ち込んだ。人の住むところ酒あり、ブドウのあるところワインありといった具合で、アルコールは地上に住む我々人類共通の文化といってもいいかもしれない。
さて、今をときめくインドのワイナリーはといえば、古代から脈々と受け継がれてきたものでなければ、大航海時代の欧州に端を発するものでもない。先述のChateau Indage、Sula Vineyard、Glover Vineyard、Vinsura Vineyardなどいろいろあるのだが総じて新しく、『老舗』といえるChateau Indageにしてみたところで、その歴史わずか25年。
それ以前からワインと称して造られていた極甘の葡萄酒もあったが、この類は昨今のトレンドとは関係がない。インドで国内消費が伸びており、輸出も盛んになりつつある『今流行りのワイン』の歴史は、まさに始まったばかりと言って差し支えないだろう。
インドのワイナリーは、マハーラーシュトラ、カルナータカ、ゴアなどといった南部に加えて、北部ではパンジャーブやカシミールに点在しており、こうしている今も数年後の初出荷を目指して準備を着々と進める新興のワイナリーがいくつもあるのだろう。
もちろんワイン人気は、インドの好調な経済を背景に、人々の可処分所得の向上していることにより、嗜好品の消費が増えた結果ではあるが、これとあわせてライフスタイルの変化により、飲酒の機会が増えたことがあるのはいうまでもない。特に以前はあまり消費されてこなかったワインについては、それまでカスタマーとしてさほど重視されてこなかった人々が、かなりまとまった規模で消費行動に加わるようになってきたことがあるのではないかと思う。
つまり女性である。酒を飲む場所=男社会であったものだが、都会ではカップルや若者たちのグループで訪れることができるお洒落なスポットが増えたことに加えて、ウイスキーやラムといった『男臭い酒』とは異なり、ワインにはソフトかつ知的なイメージがあるのではないだろうか。そのため女性にはとっつきやすく、男性のほうにしてみても女性に勧めやすいものとなる。
マハーラーシュトラのナーシクで、昨年12月に第2回目となる『India Wine Show』という見本市が開かれた。機会があればぜひ足を伸ばして、インドを代表するワインの数々の味と知識を仕入れたいと思っている。
それではみなさん、楽しいお酒を飲みましょう!
カテゴリー: economy
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今宵も楽しく
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『中国の餃子』で、ふとインドを想う
中国で製造された餃子の薬物混入事件が日本のメディアで盛んに騒がれている。JTの子会社が輸入した冷凍餃子を食べた3家族の合計10人が中毒症状を訴え、このうち3人が一時重体になっていたというのが事の発端であるのはご存知のとおり。
この餃子の製造元である中国河北省にある天洋食品厂から様々な冷凍食品を輸入していた日本企業各社が、一斉に該当製品の自主回収に乗り出した。厚生労働省も天洋食品厂から食品類を輸入していた19社に対し、餃子以外の製品についても検査するようにと指示するなど、本格的に調査に乗り出している。中国の同企業から仕入れている食品産業各社、ファミリーレストランなどの外食産業、学校給食なども中国産品の取り扱いを自粛したりするなど、この『毒物騒ぎ』がさらに大きな波紋を呼ぶことになりそうだ。
ご存知のとおり、今回の毒物成分はメタミドホスという有機リン系の農薬で、日本では使用が許可されていないものだという。これがどうして食品に混入してしまったのか?今後の原因究明が待たれるところだ。また被害に遭われた方々の早期の回復を願うとともに、今後同様の事件が続くことのないようにしっかりとした防止策を取って欲しい。まさに命にかかわる問題である。
しかし、である。ジェイティフーズ、加ト吉、味の素冷凍食品、マルハ、日本ハムなどといった日本を代表する食品産業を相手に卸していた中国企業ともなれば、相当な事業規模を持つとともに品質管理も厳重で社会的な信用も高かったはず。それなのにどうしてこんなことが起きたのだろう。
もちろん工場側が意図的に薬物を仕込むなどということはありえないはず。また偶発的な事故という線もどうなのだろうか?もしかすると、勤務先の工場に恨みを持つ一個人による故意の仕業だろうか?あるいは地元の対立する企業、ひょっとすると中国国外のアンチ中国勢力かなにかが、同食品厂のラインで働く従業員を買収して刺客に仕立てたのか?などといろいろ想像してしまう。今後の成り行きに注目したい。 -
1,00,000 Rsの格安国民車 “NANO”

フォードからイギリスの高級車ブランド、ジャガーとランドローバーを買収交渉中のターター・モータース。およびこのたび正式発表となった価格10万ルピー車の開発も進めている。最高級クラスのブランド車から、これまで自家用車が高嶺の花だった層の人々をターゲットとする格安車まで、従来生産している他の自家用タイプのクルマ、バスやトラックといった大型商用車をも含め、実に幅広いレンジのさまざまなモデルが揃う総合自動車メーカーとなる。
デリーで開催されている2008 Auto Expoで、そのターター・モータースの格安小型車NANOが目玉となっている。エアコン、パワーウィンドウ、パワーステアリングなしのシンプルな造り(エアコンは別途装備可能)のこのクルマがどうして注目を浴びるのかといえば、インドのみならず世界各地で爆発的に普及するかもしれない潜在力を秘めた世界戦略車であるからだ。
今年後半から発売される予定のNANOは、どこか既視感をおぼえるクルマだ。そう、日本の軽自動車を思わせるものがある。全長3.1m、幅1.5m、高さ1.6m。排気量624ccで33馬力の4ドア車。後にディーゼルエンジンの車種も投入する予定とか。おそらく日本独自の軽自動車やクルマ社会における位置づけなどを非常に深く研究したうえで開発されたものではないかと思う。これを『インド版軽自動車』と言ってしまっては新鮮味がなくなってしまうが、NANOの武器はその超低価格ぶりにある。たったのエーク・ラーク(10万)Rsなのだ。 -
毒も水もみんなの問題
昨今の日本のメディアでは盛んに輸入食品中に含まれる『中国毒』の問題を扱っている。加工品の場合、第一に現地での加工プロセス中での管理、中国における食品安全基準の甘さといった、体制上の欠陥、第二に低コスト化を求めて意図的に偽食品が作り出されるという倫理観の欠如といったあたりが大きな懸念材料として挙げられている。
また生鮮食品について、工業化の進行の結果として汚染された土壌で日本の基準値を超えた農薬等が使用された野菜や果物について、同様に汚染された水域で漁獲ないしは養殖された魚介類などが大量に日本市場に入ってきており、水際での散発的な抜き取り検査では全容を把握できるはずもないという声も挙がっている。 -
US$は要らない!
目下、ルピー高が続いているが、対米ドル相場上昇という現象を除いても、近年のインド・ルピーの安定ぶりはかつてなかったものだ。80年代から90年代半ばごろにかけては、その間に92年の経済危機の際のような大きな切り下げもあったが、概ね当時のインドにおける金利より少し低い程度、つまり10%前後の率で切り下げていたと記憶している。
90年代も後半に入ると、1ドルに対して30ルピー台後半、つまり40ルピーを少し切る程度、闇両替だと40の大台に届くかどうかといった具合になって以降、それ以前よりもゆっくりと価値を下げて45ルピーを越えるようになり、やがて1ドル=50ルピーあたりにまで下がってからは持ち直し、その後長らく40数ルピー台で推移するようになっていた。そこにきて今や1ドル38ルピー台、39ルピー台で行き来している。
その間、消費者物価は平均4〜7%弱程度上昇しているので、日本のようなゼロ成長の国で収入を得ている者にとって、まだまだ安く滞在できるインドとはいえ、相対的に『高く』なってきていることは事実だ。加えてGDP成長率が7%から9%台という、まさに世界の成長センターであることから、特に住民の間に可処分所得の多い都市部において、『お金を使うところ』『お金がかかるスポット』が増えている。この国を訪問する外国の人々は以前に比べて多くのお金を消費するようになってきていることも間違いないだろう。 -
その電話はブータンに通じる
ヒマラヤの小国ブータンにアメリカ向けのコールセンターが開設されるのだという。ちょうど隣国インドでイギリスやアメリカの会社によるアウトソーシングのサービスを行っているように。英語のアクセント等の訓練や一般常識等の基礎知識の訓練を行ったうえで、8月から業務が開始されるのだそうだ。
ブータン初の英語コールセンターの運営等は、バンガロールを拠点に同事業を展開するインド資本によるもの。特別な関係にある二国間にあって、やはり他に一歩先んじるのはインド企業ということなのだろう。記事中には『英国やオーストラリア向けサービスも予定』とあり、頼るべき産業があまりなく、外貨獲得手段も限られているこの国にあって、一大産業に発展する可能性があるようだ。人口およそ70万人と規模は小さいものの、1970年代よりインドの協力もあって英語教育が普及しているブータン。現場で業務に従事する人材には事欠かないのだろう。
同国は外国人の入国を厳しく制限しており、観光目的の入国でさえも通常はごく限られた短い期間のものとなり、滞在中の行動も制限されている。いわば鎖国状態にあるといえるこの国に暮らす人々が欧米の大企業のサービスを代行するというのは逆説的にも響く。だが国王主導とはいえ着々と民主化、複数政党制導入への道筋が築かれているこの国の将来を予見する重要なトピックではないかと思う。まさに大きな変化のはじまりとでも言えるのではなかろうか。
従来の権力層とビジネス界を中心に台頭する外資を含めた新進勢力の綱引き、民族主義とグローバリズムの拮抗が予想される中、中国とインドという二大国の挟間にある小国が、旧スィッキム王国(現インドのスィッキム州)やネパールといった先例を見ながら、どういう国づくりを進めていくのか大変興味のあるところだ。
ヒマラヤに問い合わせ ブータンに初のコールセンター (asahi.com) -
観光振興 北東インドとバングラーデーシュは相互補完?
インドの北東地域は観光地としての大きなポテンシャルを秘めている。外国人観光客に門戸を開放してからまだあまり年数が経っておらず、『何か新しいところ』を求める人々にとってはまだ『辺境』のイメージがあり、それ自体が魅力的であること、また南アジアと東南アジアの中間にあり文化的にも非常にユニークなことに加えて、変化に富んだ地勢もあり、トレッキングやエコツアーなどいろいろ発展する可能性があるようだ。
しかし地理的なウィークポイントも大きい。北東地域からコルカターの方角を眺めると、その間に横たわるバングラーデーシュの大きさを思わずにはいられない。ハウラーから鉄道で向かえば丸一日かかるグワーハーティーも直線距離ならば約520キロ、シローンもおよそ460キロ。西ベンガル州都から見てバングラーデーシュを越えた反対側にあるアガルタラーは300キロほどである。しかし空路を使う場合を除けば、ずいぶん遠回りになってしまい『本土』からのアクセスは芳しくない。この地域を訪れる観光客があまり増えないことの主な原因のひとつは交通の便であろう。
またバングラーデーシュにしてみても、随一の大都会ダッカはもちろん、数々のテラコッタ建築で知られるラージシャーヒー周辺、クルナのバゲール・ハートのイスラーム建築群、少数民族が暮らすチッタゴン丘陵地帯、茶園が広がるシレット、バングラーデーシュ最南端で周囲に珊瑚礁が広がるセント・マーティン島など数々の見どころを抱えるなど、観光資源も豊富である。ガウルの遺跡やスンダルバンなど、インドとの国境にまたがる史跡や国立公園などもあることもなかなか興味深い。
だがこの国についても同様にアクセスの問題がある。ヴィザが必要なことに加えて、国土をぐるりと一回りするほど長い国境線を共有している割にはインドとの間で通過可能なポイントが限られていることから、往来はあまり便利ではない。それがゆえに隣のインドに較べて観光目的で訪れる人々があまり多くないのだとも言えるだろう。
そもそもインドとは別の国になっているがゆえに、様々な華やかに喧伝される隣国に較べてこの国の魅力が取りざたされる機会も相対的に少なくなってしまう。 -
隣接州の禁酒解除でディーウ島凋落の危機?

先日、禁酒州のグジャラート州では酒類に関する部分的な解禁が予定されていることを伝えたが、同州で近い将来アルコールが本格的に解禁となったらどうなるだろう。酒類販売のライセンス、バーの営業許可その他大きな利権が動くことになるだろうし、酒造会社の工場も各地に進出してくるかもしれない。合法化されると白昼堂々といろんな酒が購入できるようになり、バーの許可を得たレストランでは普通にビールなど楽しむことができるようになる。これまで酒をたしなむ習慣がなかった堅物も『さてどんなものだろう?』と手を伸ばしやすくなる。酒を取引することが『罪』でなくなると意識の上でもかなり大きな変化が起きるのではないだろうか。アルコール類がいとも簡単に入手できるようになると、若年層の飲酒も社会問題化するのではないかと予想している。とかくこの世の中、何ごとかが『解禁』されると大きな反動があることは珍しくない。
だか州内はもとより、グジャラート州の禁酒政策により恩恵を蒙ってきた隣接する連邦直轄地ディーウの行方もちょっと気になっている。 -
今年は中印観光友好年

2007年は日印交流年であるとともに『中印観光友好年』でもある。
このほどビハール州のナーランダーで玄奘三蔵記念堂が落成した。この記念堂建設事業には驚いたことに約半世紀もの年月がかかっている。1950年代に両国間で合意し建設が始まったものの中印紛争が勃発、そして長らく続いた両国の敵対関係のため工事は長らく中断。両国の関係改善にともない2000年になってから工事が再開され、両国の関係機関等の協力のもとで建設が進み、ようやく2007年2月になって落成式を行なうことができたのだ。
両国間での各界の要人たちの様々な目的による頻繁な往来、国防面での交流と協調の促進も提言されているが、経済・商業面での結びつきの強化に向けてはインド側もかなり力を入れているようで、『メイド・イン・インディア・ショー』や『インド・ファッション・ショー』といったプログラムの開催が予定されている。
そして交流年としての看板である『観光』自体については、インドや中国から海外旅行を楽しむ人々が増えてきたとはいっても、それぞれの国の人口の大多数である庶民は両国間を観光で行き来できるような恵まれた環境にはないため、文化使節として京劇、ボリウッドダンサーたちの往訪、文化展、スポーツ大会、ブックフェアにフードフェスティバルの開催といった交流事業が中心を占める。
予定されている様々な活動のひとつに先述の玄奘三蔵記念堂の落成も含まれているが、中国側にインドによるモニュメント建設計画もあり、河南省洛阳市に『インド式仏教寺』が建つ(すでに完成しているのかもしれない)のだそうだ。
また中国政府は今後5年で500人の若者をインドから受け入れることを決定している。どのような目的でどれくらいの期間招致するのかよくわからないのだが、インドの将来を担う有望な若者たちの中に親中派の芽を植え付けようというのが目的であろう。
長い国境を接している割には、地理的・政治的な障害に遮られて国民同士による直接の行き来は希薄だった両国。関係改善と政府が音頭を取っての交流促進のムードの中、折りしも経済グローバル化と飛行機による大量輸送の時代ということもあり、インド・中国間の人やモノの行き来は両国間の歴史始まって以来の急速な進展を見ることだろう。中国におけるインド企業やインド人たちのプレゼンスの台頭以上に、インドを中心とする南アジア地域に企業家精神に富む『新華僑』たちが次々に進出してくる様子が頭に浮かぶ。
これまでインド在住の中華系住民のイメージを代表してきたのはコルカタ華人たちだが、今後新たに大陸から進出してくる人々にお株を奪われてしまう日はそう遠くないように思われる。
「中国インド観光友好年」開幕 (人民網日本語版) -
金の卵か?新型フリッジ『MITTI COOL』

生活の知恵をベースに開発された、グジャラート発の電気を使わないエコな冷蔵庫があるそうだ。表面に少しずつ滲み出て気化することにより、素焼きの壺の中に入れた水は外気よりもかなり冷たく保たれる。空気中の湿度が低いほどその効果は高くなるわけだが、この原理をそのまま利用して作ったのがこの『フリッジ』なのだ。ワンカネールに住む陶工の発案によるもので、ボディはもちろん焼き物でできている。四角い素焼きの水タンクの中に冷蔵室がしつらえてある・・・といったイメージだ。
上部の丸いフタを取り大量の水を注ぎ込むだけで準備完了。気化熱で冷やされた水は冷蔵室内の野菜や牛乳などを適温で保ってくれる。この水はボディの横に取り付けられた蛇口をひねると出てきてそのまま飲用となる。この古くからの知恵による新しいフリッジはデリーのプラガティ・マイダーンで開催中の第26回インド国際貿易フェアにも出品されている。
NDTVインディアの報道によれば価格は2000ルピー。『冷蔵庫』の大きさにいくつかバリエーションがあるのかどうかはよくわからない。画像の展示品のサイズは小さすぎるようなので、家庭の小型冷蔵庫くらいあればと思う。しかし素焼の陶工たちが手作りするものなので、このくらいの大きさが限界だろうか?
ともかく電気不要なので停電を気にする必要はないし、ランニングコストもゼロ。一見何てことないアイデア商品だが、農村などからの引き合いは決して少なくなさそうだし、ひとたび当たればこの『冷蔵庫』作りに精出す村々も出てきたりすると雇用吸収力もバカにならないだろう。ターゲットとなるべき層はインド国内のみならず南アジアや周辺各国の相当広い範囲に及ぶ。素朴ながらも今後大化けが期待される目玉商品かもしれない。
部屋の隅にちょこんと置いても邪魔にならないし、エコ・フレンドリーな温度に冷やしたビールや果物を楽しんでみるのも普段とは違った味わいがありそうだ。私もひとつ買ってみようかな?
粘土製、太陽エネルギーの「エコロジー冷蔵庫」誕生 (AFP BB News) -
ブラジル化?を目論むイースト・ベンガル

カルカッタを本拠地とするイースト・ベンガルは、言わずと知れた名門サッカークラブ。代表チームでエースストライカーのブーテイヤー(現在は同チームのライバルであり同じくカルカッタをホームとするモーハン・バーガーンに所属)もプレーしていた同クラブは1920年にスタートという長い歴史を持つ。まさにインドの地においてサッカーという競技の歴史とともに歩んできたのである。
創立年のみ較べてみれば、FIFAランキング第一位でワールドカップ優勝最多(5回)を誇るブラジルの有名クラブの数々と肩を並べている。例えばコリンチャンスは1910年、パルメイラスは1914年、サンパウロFCは1935年だ。
ブラジルのサッカーの歴史は19世紀末に遡ることができる。しかし当初は社会上層部の欧州系移民の競技であった。20世紀に入ってから1920年代あたりまでに大衆化が進んだ。そして1933年にプロチームが発足したものの、20世紀前半まではブラジルのサッカーはほぼ白人が独占するスポーツであった。
現在同国が大勢の混血や黒人の選手たちを擁して、高い個人技とそれをベースにした即興的かつトリッキーなプレー、豊かなイマジネーション溢れるパスワークなどを通じて人々を魅了するようになったのは1950年代も後半から1970年代にかけて遂げた大変身の結果である。ペレやガリンシャなどに代表される非白人の名手たちが表舞台に次々に登場して『サッカー王国』の地位を築いた。その後のさらなる飛躍ぶりは私たちが目の当たりにしてきたとおりである。
イースト・ベンガルに今期から就任したペレイラ監督は、母国ブラジル以外でもこれまでサウジアラビア、カタール、シンガポールなどでも指揮を取るなど国際経験も豊か。氏のスタイルは徹底した『ブラジル化』が特徴であるという。それはプレースタイルであり練習手法でもあり、あらゆる面からサッカー王国のエッセンスをインドに注入したいと考えているようだ。
話は日本サッカーに戻る。ジーコがJリーグ草創期に鹿島アントラーズを日本のトップレベルにまで引き上げて黄金時代を築いたことを思い起こさせるものがある。1993年の開幕戦では当時40歳だった彼は名古屋グランパスエイトを相手にハットトリックを決めてチームを勝利に導いた。試合後に相手チームの選手が『憧れのジーコ』にサインを求めたという逸話もあった。当初は選手と指揮官を兼任する形でフィールドにも出ていたが、『サッカーの神様』としてのネームバリューはもちろんのこと、まだよちよち歩きだった日本のプロサッカー界に彼がブラジルから持ち込んだものは大きかった。後に代表チーム監督に就任してからの評判は芳しくなかったことは残念であったが、彼が日本サッカー界に伝えたそれは技術、戦術でもあり、スピリットやサッカーに対する思想でもあった。
Jリーグ発足後の日本におけるサッカーの『大衆化』の勢いは相当なもので、それ以前は『観るスポーツ』としてはラグビーやアメフトの人気にさえ及ばなかった競技が、プロリーグ発足数年後にはプロ野球をしのぐほどの観客を動員するようにさえなる。これは子供たちのスポーツとしてのサッカーの競技人口の急速な拡大につながり、それまで花形だった少年野球を志す子供たちの数が突如減少したことから、『チーム存続の危機』という悲鳴が聞こえてきたのはそれから間もなくのことである。
かつてのブラジルと違い、日本のサッカーは特定のエスニック・コミュニティや特別な階層の人々による占有物ではなかったとはいえ、決して数のうえでは多いとはいえない愛好家たちによるどちらかといえばマイナーな競技であった。サッカーの底辺の拡大つまり『大衆化』は、日本のプロサッカーのレベル向上、ひいてはこれまで3回を数えるワールドカップ出場に貢献したひとつの大きな要素である。
サッカーというスポーツに憧れてその道を目指す少年たちが増えてくれば、世界第二位の人口を擁する大国がFIFAランキング130位台という不名誉な地位に甘んじることはないはずだ。つまるところインドのサッカーが世界の底辺から抜け出すために最も必要なものは、国内におけるこの競技の『大衆化』にほかならないだろう。かつてはブラジルで、近年では日本でもまさにこれが飛躍へのカギであった。
ペレイラ監督がイースト・ベンガルに持ち込もうとしている『ブラジル』とは単にプレースタイルや練習手法を模倣するということではないだろう。サッカーという競技においてユニバーサルに通用するセオリーや技術などを、ブラジル式の手法で噛み砕いたものをインドに注ぎ込もうとしているはずだ。
インドのトップチームの更なる強化というスペクタクルな効果が他チームを含めたリーグ全体のレベルを引き上げ、サッカーが子供たちにとって本当に『カッコいいもの』になり、ピッチ上の選手たちが『憧れのプレーヤー』として圧倒的な存在感を示すようになったとき、インドでサッカーの『大衆化』がジワリと始まるのだろう。インドの歴史的なクラブチーム、イースト・ベンガルの新たな試みに今後注目していきたい。 -
小売外資規制緩和 日本からも熱い視線

インドの街並みを特徴づけるものとして、商業地域を担う主体が小規模な小売業者たちであることが挙げられるだろう。近ごろインドの都会に林立するようになった大型のショッピングモールにしてみても、喧騒の街角ではなく静かでモダンな建物の中であるという『器』が違うこと、多くがこぎれいで洒落た店であることを除けば、個々の業者たちが規模の小さな商いをしていることに変わりはない。
日本のヨドバシカメラ、ビックカメラといった電化製品の総合アウトレット、あるいは大手ディスカウントストアと呼ばれるロヂャースやドンキホーテのような店舗、西友やダイエーといった大型スーパーのような大規模小売業者は見当たらないし、同一の看板を掲げて傘下の店舗を全国規模で展開するフランチャイズ式の商売も、ファストフードや携帯電話の販売店などを除けばあまり見ることができないのが従来のインドであった。一見これらに少々似ているものも確かにあったのだが、正確には従来型の規模の小さな小売業者がやや大型化したものという位置づけになるだろう。
乱暴に単純化してしまえば、主要駅前や繁華街などに大型商業施設がドンと構えて地元商店街を睥睨する、いわば『大>小』『会社>個人商店』というシンプルな対立軸の中におけるある意味安定した華夷秩序的な構図が日本の街中風景とすれば、ひとクセもふたクセもあるオッサンたちや明日を夢見る血気盛んな若者たちが群雄割拠して、絶え間なく衝突しながら浮沈を繰り返す活気溢れる状態なのがインドの街中ということが言えるのではないだろうか。
そんなインドは世界第八位の小売市場と言われる規模の巨大さから、小売業を生業とする海外企業からも今後の市場開放がどのように進むのか大いに注目されている。今年1月には単一ブランドを販売する場合おいては51%を上限とする外資本の参入を認められるようになったものの、ウォルマートのような外資の大型店舗による小売業者の進出を認めるところにはまだいたっていない。
とはいえ、小売外資規制緩和が『あるのか?』ではなく、すでに『すぐ目の前!』という差し迫った状態になる中、近ごろ本格的なスーパーやコンビニをチェーン展開し始めた国内勢力が、やがて始まる外国企業による攻勢を迎え撃つ地盤を固められるようにと政府が時間を稼いでいるのが昨今である。
風雲急を告げる中、『日本小売業協会』による『インド最新流通視察ツアー』なるものが来年3月に予定されている。欧米の郊外型アウトレットを展開する企業が進出を控えていることを踏まえたうえで、同種の事業を急ピッチで進める国内財閥系企業の動きを学ぶとともに日本の小売関連企業の進出の可能性を探るのがこのツアーの趣旨らしい。
近い将来、デリーやムンバイーなどで『伊勢丹』で買い物したり、夜半に『ファミリーマート』にノコノコ出て行き弁当を買ったり・・・といった日常がフツーになってしまうようなことがあるのかどうかわからないが、インドのすぐ東に位置するアセアンの国々の都会ではそれなりに長い時間をかけて(国や地域によって時期はさまざまだ。第二次大戦後間もなくからという地域もあれば、日本や欧州が『戦後』から抜け出した60年代からというところもある。あるいは80年代以降の好調な経済成長を受けて外国資本の注目を浴びるようになった国々もある。ともあれ東南アジアでは外国企業による小売業のチェーン展開や大型総合店舗の上陸という現象がかなり前からジワジワと進行してきたことになる。その中で進出企業の『撤退』まで数多く経験している。
これに対してこれまで数々の規制等により『未開地』として残されてきたインドでは、多くの国々が経てきた数十年におよぶ時間を飛び越えて一気に奔流にさらされることになるため、相当大きなインパクトを受けることは容易に想像がつくものの、実際それがどれほどの規模のショックとなるのかちょっとわからない。もちろん地域や業種によっては細々と単品あるいはごく限られた品数を小売しているだけでは商いが成り立たなくなるケースも出てくるのだろうが、影響は決してそれだけではなく『インドで流通革命!』と表現されるような一大事が起きるのではないだろうかとも思う。
もちろん外資をはじめとする大型商業施設が林立してみたところで、従来の小売業者たちがいなくなってしまうわけではないのは日本のみならず東南アジアの国々を見てもわかるとおり。また外国企業や国内大手資本がターゲットとする中間所得層よりも下の部分には貧困層を含むさらに膨大な人口を抱えているが、彼らまでもが新しい顧客層として取り込まれるわけでないことは言うまでもないだろう。それでも商業地内での力関係が、それ以前の『群雄割拠型』から『華夷秩序型』へとシフトすることは間違いないように思われる。
大型商業施設の進出は、小さな店舗で客を待つ『一国一城の主』たちにどの程度の影響を与えるのかは今後人々が目にしていくことになる。そして街中の風景も今後ずいぶん変わっていくことだろう。
