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投稿者: ogata

  • パティヤーラー5

    パティヤーラー5

    シーシュ・メヘル近くにあるグルドワラー・モーティーバグ・サーヒブへ。ここもまた名刹として知られるグルドワラーだが、敷地内にある大変立派で快適そうなダラムシャーラーがスィク教団の富を象徴しているようで印象的であった。

    その後、Neemrana’s Baradari Palaceに行ってひと休み。ここは現在も王家が所有する宮殿だが、ニームラーナー・グループが運営しているヘリテージ・ホテル。お茶だけ飲みに立ち寄ったが、なかなかいい感じ。ただしお客が宿泊している雰囲気は感じられず、かなり空いているようであった。

    「パティヤーラー・ペッグ」にちなんでThe Pegと名付けられたバー兼カフェ

    〈完〉

  • パティヤーラー4

    パティヤーラー4

    地図をもらおうと、パティヤーラーのパンジャーブ州政府観光局に行ってみた。不在だったが、職員の携帯番号が書いてあり、ダイヤルしてみたが、「1時間くらいしたらオフィスに行く」とのことで、「じゃあいいです。」と電話を切った。

    そこからリクシャーでQila Chowkへ。ここはQila Mubarakの出入口前のバーザール。壮麗な建物なのだが、いかんせんメンテナンスがなっていない。現在、Patiala Heritage Walk と呼ばれる一連の見どころがあるのだが、それらの修復工事が一斉に行われている。

    キラー・ムバーラク手前の大きなゲート
    キラー・ムバーラクの外壁部には、商店が多数入居

    キラー・ムバーラク内部

    キラー・ムバーラク内の博物館

    外壁は荒れ放題のところが多い。

    門をくぐって入り、右手が博物館になっている。中にはこのパティヤーラー藩王国の武器その他が展示させていた。

    博物館見学していると、さきほどの番号からコールバックがあった。「あ、もういいです。」と再度断ったが、「あると便利ですから、博物館まで地図お持ちします。」と言われ、しばらくすると、本当にその人が現れた。

    たかが観光地図一枚のことで、とっても恐縮であった。生の日本人を目にして話をするのは初めてだとかで、さんざんヨイショしてくれたが、なんだか申し訳ない。

    キラー・ムバーラク界隈を散策。この城塞はキラーチョウクとその左右の壁は立派だが、裏手の部分はまったく飾り気がないし、場所によっては人の倍くらいの高さしかない壁もある。

    キラー・ムバーラクから南下すると、旧王家の火葬場、シャーヒー・サマーダーンがある。

    シャーヒー・サマーダーン入口
    シャーヒー・サマーダーン内の壮麗な建築
    上の画像の上層部
    亡くなった王族への記念碑的な意味合いで建てられたチャトリ

    そこからシーシュ・メヘルへ向かう。ここは、1847年に当時のパティヤーラー藩主、ナレーンドラ・スィンによって建てられた宮殿で、その名のとおり鏡やステンドグラスを多用した美しいパレスであるという。だが、ここも修復工事中のため建物内には入ることが出来ず、中庭から眺めるのみ。

    シーシュ・メヘル
    吊り橋の下は満々たる水をたたえる池であったという。
    工事中のため、残念ながら中庭から眺めるのみ。
    工事進行中

    敷地内には、建立が1905年と記されたヴィクトリア女王の立像があった。他には藩王の像など。敷地内のチャーイなどを出す休憩場にやってきた5人連れの男たちはバングラデシュ人であった。インドで働いているそうだが、ときどきこうして小旅行をするのだとか。

    ヴィクトリア女王の像。Moga Tehsilとは、パンジャーブ州のルディヤーナーとファリードコートのほぼ中間点にある地域。

    パティヤーラー市内では、前述のとおり、Patiala Heritage Walkの一連の見どころの修復工事のため、ことごとく工事中のため入場できなかったり、入ることができても「カメラ使用禁止。スマホ、ケータイ撮影OK」という、無粋な措置がなされていたりするのには困った。機密であるはずはないし、質の悪い写真だけ手元に残させて、訪問者をガッカリさせようという意図があるとは思えないし、なんともいただけない。パティヤーラーの街自体は、かなり見どころがあって面白いのだが。

    ファウンテン・チョウクにある有名店のGOPAL’sへ。1Fはスイーツ、2Fはレストランとなっている。食事してから〆で甘いものをと思ったが、疲れて食欲がないので、ミターイーだけにした。どれも香り高く、品格ある極上スイーツであった。後方左から時計回りに、それぞれサフラン、ドライフルーツ各種、マンゴー、バラをフィーチャーしたもの。

    〈続く〉

  • 高額紙幣の廃止

    11月8日の夕方、日付が9日へと変わるまで、あと4時間というタイミングで、モーディー首相が、現在の高額紙幣(500ルピー札および1,000ルピー札)を廃止することを発表したことは、ニュース等で伝えられているとおりだが、当然のごとく本日のインドでは各所で混乱が起きている。

    これらのお札の廃止を受けて、新たな500ルピー紙幣と2,000ルピー紙幣が導入されるとのことだが、いつから流通するのか、全国各地に行きわたることになるまで、どのくらいかかるのかは今のところはっきりしない。今週の金曜日からATMで引き出すことができるようになるという報道はあるのだが、ごく限られた大都市の中心部にあるメジャーな金融機関に限られたことではないだろうか。

    New currency notes to be available at ATMs from Friday (INDIA TODAY)

    インドにおいて、こうした廃札は初めてではない。ずいぶん昔のことになるが1946年と1978年にも実施されている。前者では1,000ルピーと10,000ルピー紙幣、後者では1,000ルピー、5,000ルピー、10,000ルピー紙幣がそれぞれ廃止されている。

    ルピーの価値は今とはまったく異なった当時のインドとしては、相当な高額紙幣ということになる。1978年には、1USドル=8.5ルピー(1USドル=190~240円程度)であったので、1ルピーが最大25円ほどの価値があったことになる。つまり1,000ルピーは約2万5千円、5,000ルピーは10万円、10,000ルピーは25万円もの価値があったことになり、もっぱら大きな商取引で用いられるものであって、日常生活では見かけたり、用いたりすることは滅多になかったことと思われる。当時のインドの1人当たりのGDPは、わずか200USドルであった。

    今回の廃札と同じく、ブラックマネーや脱税への対策として実施されているが、前回2回と大きく異なる部分がある。まずは、最高額紙幣が1,000ルピー(約1,500円)であること、そして昔とは通貨価値が異なり、所得も向上しているため、500ルピー、1,000ルピーといった額面の紙幣は、一般市民の日常生活で頻繁に用いられる。

    これらが廃止となったことで、社会に与えるインパクトは非常に大きく、たとえこれがブラックマネーの追放や不正蓄財への打撃であるという目的を説いたところで、前回2回に較べて一般市民にも及ぶ不都合は甚だしいため、こうした施策が理解を得られるかどうかについては、かなり大きな疑問だ。

    今回廃止となった紙幣については、一定期間はATMで預け入れたり、銀行窓口でフォームを記入して交換したり出来ることになっている。昨日、本日流れていたニュースによると、その期間は今年12月一杯、1日に交換できる金額は20,000ルピーまでとのこと。

    だが先述のとおり、市民生活に及ぶ影響が甚大であることから、市民自身からはもとより、野党からの激しい批判等により、次第に緩和されていくのではないか?とも想像している。初めはかなりキビシイことを求めていても、反発を受けて、それが次第に緩くなってくるということは、インドではよくある。良くも悪くも民主主義の国である。

    ※「パティヤーラー4」は後日掲載します。

  • パティヤーラー3

    パティヤーラー3

    ブーピンダル・スィン

    19世紀初頭にパティヤーラー藩王国の王位に就いたブーピンダル・スィン。46歳で逝去するまでに、国際連盟インド代表、円卓会議のメンバーなどを歴任した。現在も営業しているパティヤーラー銀行の設立者でもあり、現在はデリーの鉄道博物館で車両を見ることができるパティヤーラー・モノレールの創設者でもあった開明的な君主。

    インド代表クリケットチームをキャプテンとして率いたことから、Captain Sahibとして現在も広く記憶されている。彼の孫で、現在国民会議派の議員で、州首相を務めたこともあるアムリンダル・スィンも同様にCaptain Sahibと呼ばれるが、彼は軍人としてパキスタンとの戦争を戦った経験があり、当時の軍での階級がCaptain(大尉)であったことによる。

    大変な功績があった人でありながらも、現在、人々の間で共有されるプーピンダル・スィン伝説は、これとは違った側面らしい。

    それは「絶倫王」だ。

    10名と言われる正妻以外に25名とも言われる側室を持ち、判っているだけでも80名ほどの子供をもうけている。王というものは、スポーツ新聞ネタになるような部分でも、常人の域を大きく凌駕してこそ、人々に長く記憶されるものなのだろう。

    ブーピンダル・スィンの像

    〈続く〉

  • パティヤーラー2

    パティヤーラー2

    何か特定のご利益があるということになっているスィク教寺院もあるようだ。パティヤーラーにあるグルドワラー・ドゥク・ニルヴァーラン・サーヒブは、「グルドワラー鎮苦院」といった具合の名前で、様々な病気にご利益があるということになっている。最近、物忘れがひどいので、私もちょっとお願いしてみた。

    右下は沐浴者が掴まるための鎖。水の中では鯉が泳いでいた。

    寺院内にある沐浴地には、壁で外界の視界を遮る女性用の場所もしつらえてあった。池には等間隔で鎖が伸ばしてある。池の中はガートになっているのだが、数段下ると足が付かないほど深くなるようだ。泳ぐことができず、浮くことすらできない人が大半なので、溺死防止だろう。まさに命綱だ。

    これとは別の話になるが、市内には、カーリー寺院がある。それは元々、パティヤーラーの藩王が建てさせたものであるとのことなのだが、その由来は後継ぎが生まれず、困っていた藩主が夢で神託を受け、「カルカッタまで徒歩で赴き、地元のカーリー女神に祈りを捧げること、そしてその別院をパティヤーラーにも建てること」などを告げられたのだとか。

    藩主が本当に徒歩でそんな遠くまで旅をしたとは思えないし、後付けで出来た逸話か、あるいは俗説なのかもしれないが、なかなか面白い話ではある。

    そうした由来あってか、カーリー信仰の本場でインド東部のベンガルとはまったく反対の西部にありながらも、けっこうにぎわっている。

    パティヤーラーは旧藩王国の面影を残すエリアもあり、緑地にも恵まれた美しい街で、滞在するには心地好い。

    鉄道施設の写真を撮ると警官から煩いことを言われかねないが、パティヤーラー駅舎もまたパティヤーラー藩王国時代そのままではないか?(たぶん・・・)と思われる趣のあるものだ。駅前道路との立地の兼ね合いもあるが、鉄路と並行しない駅舎というのは珍しい。

    〈続く〉

  • パティヤーラー1

    パティヤーラー1

    アーナンドプル・サーヒブのバススタンドから10時のバスで出て、午後1時半にパティヤーラーに到着した。

    どうせ寝るためだけなので、バススタンド近くの500から700Rsくらいの宿に泊まるつもりだったが、パティヤーラーが近くなったあたりで、宿泊施設をスマホで検索してみると、ちょっといいホテルがインドの旅行予約サイトで結構安く出ていること、新しくアカウント作るともらえるクーポンみたいなのを利用すると得なことを知った。普段は予約サイトで宿を予約などしないのだが、中級クラスのホテルの場合は、こういうものを利用したほうが有利なことがあるということが判った。

    可笑しいのは、連泊する場合、そのままチェックイン日とチェックアウト日を入れてしまうよりも、一泊ずつで取ったほうが安くなる場合もあること。

    バスを降りてから、サイクルリクシャーでそのホテルに向かった。室内も外見に相応しい感じで快適。全館改装したばかりのようだ。これで税サ込で2000Rsを切るというのは、いまの時代、けっこうお得だ。もし連れがいれば、二人でも同じ料金なのでもっと得になる。リュックを背負ってホテルのフロントまで来ていながらも、そこでスマホを操作して予約するというのも間の抜けた話ではある。

    〈続く〉

  • 80年代後半の「ネコババ事件」

    パンジャーブ旅行にきて、ふと思い出したことがある。カリスターン運動が激しく燃え上がっていた80年代後半、インドのパンジャーブは、外国人にとって、事実上オフリミットとなっていた時期があった。

    「事実上」というのは、内務省発行の入域許可書があれば、「3の付く日」つまり、毎月3日、13日、23日に国境近くのアムリトサルの街に直行するバス(基本的にはデリー発、場合によってはハリヤーナー州のアンバーラーから出ることもあったように記憶している)が出ていた。乗車することができるのは、降車してからすぐに国境を越えてパキスタンに行く人たちのみ。そんな具合だったが、状況によっては運休となることもときどきあった。

    今の平穏なパンジャーブの様子からは想像も出来ないが、スィク教徒の分離活動家たちによる要人誘拐、殺害その他の乱暴狼藉が日常茶飯だったのだ。州の政治家、州政府役人、パンジャーブ警察、軍人の中にスィク教徒が占める割合が高く、同じスィク教徒の親インド派と先鋭化した分離独立派の抗争という側面もあった。

    個人的な話になるが、そんな時代に「猫ババ事件」は起きた。

    当時、ニューデリー駅前のパハールガンジ地区にあったハニーゲストハウスのドミトリーに泊まっていた私に、同じ大部屋に宿泊していた1人が声をかけてきた。
    「俺、これからすぐに出てアムリトサル行きのバスに乗るんだ。○○号室の✕✕に渡さないといけないお金があるけど、奴は今部屋に居ないんだ。だからよろしく頼む。絶対渡してくれよな、頼んだぜ!」

    私は一度は断った。確か50ドル相当のインドルピーだったと思うが、当時のバックパッカーにとっては、ちょっとした大金だ。ちょっと節約すれば、100ドルでひと月滞在することが可能だった時代だったので、半月分の生活費ということになったからだ。そうでなくても、よく知らない相手のお金を預かり、これまたよく知らない相手に渡すというのも実に困る。当時、駆け出しの旅行者(笑)であった私は、旅慣れた年上の男の押し出しの強さにすっかり腰が引けていた。

    「今日の夕方に出て、鉄道でネパール国境に行くので・・・」と言っても、「いや、俺は今の今すぐに出なきゃならないから。よろしくな!」とベッドに現金を放って出ていってしまった。

    そのとき、ドミトリーには私しかいなかった。すでにチェックアウトしていたのだが、出発の時間まで、空いているベッドに寝転んでいても何も言われないという、実に鷹揚な宿であった。実際のところ、宿泊者が何人いるのかマネージャー自身が定かではなく、ドミトリーに「点呼」しに来ることもあるといういい加減さであった。

    さて、私は✕✕という男の顔さえも知らない。しばらくしてから、彼が滞在しているという部屋をノックしてみたが、やはり不在だった。私が宿を出る時間まで、ドミトリーには誰もいなかったので、後を託すこともできなかった。

    仕方がないので、ネパールに入ってからは、ネパール通貨に両替して、自分の旅費の足しにしたのだが、カトマンズにあったストーンハウスロッジのドミトリーに滞在していたとき、同宿の人たちと食事に出ると、こんな話が出た。

    「俺なぁ、日本人にネコババされたでぇ。」
    彼が言うには、デリーで泊まっていた宿で、どういう経緯なのかよく判らなかったが、同宿の日本人から返してもらわなければならないお金があったものの、相手の男は彼が宿に戻る前にドロンしていたのだと言う。

    場所はまさにハニーゲストハウス、時期もだいたい同じくらいなので、どうやら私に無理やりお金を押し付けたあの男のことのようであったが、金額は私が預かったものの倍くらいのことを言っている。彼が話を膨らませているのか、それともあの男が半分の金額だけ私に預けたのかは知らない。

    ここで「あぁ、僕が預かったのはその半分だったけど」などと口にすると、ロクなことにならないのは明らかなので、黙って相槌を打ちながら話を聞いていたが、たいそう居心地が悪かった。

  • アーナンドプル・サーヒブ

    アーナンドプル・サーヒブ

    アーナンドプル・サーヒブは、スィク教第9代目のグルーであるグルー・テーグ・バハードゥルによって、1665年に開かれた町で、アムリトサルに次いで、スィク教の2番目に重要な場所であるとされる。

    宿泊先のホテルの目の前にある公園にそびえる巨大な記念碑は、カールサーのマークを頂いており、いかにもスィク教の町に来たという気がする。広がりの割には密度が低く、ガランとした印象を与える町だが、民家のひとつひとつの敷地は広めで商店などもかなり大きく、田舎町の割には暮らし向きもちょっと良さそうなのは、インドにおける先進州のひとつ、パンジャーブらしいところだ。

    公園の記念碑にははカールサーのシンボルが・・・。

    ケースガル・サーヒブの門前町には銃刀店のように見えるものがあるが、これはシンボルとしてのキルパーンを売る店。よくスィク教徒がベルトのようなものに差して斜めがけにしているものだ。なかなか精巧に出来ているものもあり、記念にひとつ購入してみたくなる。

    銃砲店のように見えるが神具ならびにスィク教グッズの店
    ミニチュアのキルパーン
    名刹 グルドワラー・ケースガル・サーヒブ

    沐浴地は寺の敷地の外にあり、それがちょっと今ひとつという部分はある。おかげでドラマチックな視覚効果はない。

    沐浴地

    町には、他にも大小のグルドワラーが沢山あり、ターバンを巻いたスィク教徒がマジョリティ?であるかのように見える。アーナンドプル・サーヒブ一番の名刹、ケースガル・サーヒブでは、敷地内に巡礼宿もずいぶん立派な建物がいくつもあり、快適そうだった。信徒ではない外国人でも泊めてもらえる。

    立派で快適そうな巡礼宿

    ただしスィク教施設ではタバコはご法度なので、喫煙者の私にはハードルが高く、市内のホテルに泊まった。

    こちらはケースガル・サーヒブの別院

    ヴィラーサテーカールサー(Virast-e-Khalsa)というスィク教博物館(あるいはスィク教のテーマパークというべきか・・・?)は、月曜なので休館だった。インドにおける博物館は月曜休館という法則は、教団施設も同様らしい。

    さて、ケースガル・サーヒブとその別院を参拝したので、アーナンドプル・サーヒブを後にする。パンジャーブ州の道路は素晴らしいが、町と町を結ぶ路線バスも、なかなか良かったりする。

  • スプレー式の紅茶

    エアゾール式の紅茶

    しばらく前からスプレー式の紅茶が話題になっている。

    NO MORE TEA BAGS

    紅茶には相当うるさいと思っていたイギリスで、このような製品が発売されるということに少々ビックリした。私たちの感覚に照らしても、スプレー缶からプシューッと出てきた濃縮液にお湯を注いで飲むというのは、なんだか気持ちが悪い・・・というのが、一般的な思いではないだろうか。少なくとも、味わいや香りを楽しむための嗜好品という感じはしない。

    もっとも私たちだけではなく、発売先のイギリスの人々をも含めた一般的な感想が、「こんなのアリかよ?」という具合であるがゆえに、話題となるのだろう。

    粉末のインスタント紅茶はいくらでもあるし、スプレー式にしても、すでにコーヒーでは同様の製品が出ているので、あまり驚きはしないのだが、せっかくの嗜好品である。通常は、ティーバッグでさえも「インスタント感」があるが、いくらなんでもスプレー式にしてしまっては、あまりにぞんざい過ぎるような気がしてならない。

    ちなみに、スプレー式の紅茶の存在については、この製品が世界初というわけではないようだ。このようなブログがある。

    ホーネン・カフェ・イン・ボトル

    しかしながら、日々、紅茶無しでは生きていけない私にとっては、こうした「邪道」もぜひ体験しておきたいところなので、入手する機会があれば、後日その感想をご報告したいと思う。

  • UP州議会選前哨戦

    来年早々に州議会選挙を控えるインドのUP州で、国民会議派の同州のトップや州首相も務めたことがあるリーター・バフグナー・ジョーシーが、なんとBJPに移籍しそうだというニュース。当地のブラーフマン出身政治家の代表格の大物政治家がこうなってしまうと、UPでの会議派の退潮ぶりに拍車をかけることになりそうで気になる。

    Congress leader Rita Bahuguna Joshi likely to join BJP: Reports (firstpost.com)

    現在、州与党の社会党も、党首のカリスマ政治家、ムラーヤム・スィン・ヤーダブの息子で州首相であるアキレーシュと身内の政治家との間のお家騒動で、党が割れる、新党が結成されるかも?との報道もあり、もっとも重要な州のひとつを今度は落としてやろうと勢いの良いBJPを大きく利することになりそうだ。

    Mahabharat in UP’s Yaduvansh Spells Trouble for Akhilesh Yadav (The Quint)

    まだだいぶ先なので、今後どのように推移するかわからないのだが、現在までの世論調査によると、以下のリンク先のように予想されている。

    Uttar Pradesh (UP) Opinion Poll (Elections.in)

    社会党、同じく近年、幾度か政権与党に就いたことがある大衆社会党は、ともに後進階級出身の政治家(前者はOBCsの中でもとりわけヤーダブの人たちの権利権益を代表し、後者はダリット、つまりアウトカーストの人たちの利益拡大に働きかけた。ともに指導層はそれらの階級出身者が大半)たちが、下積みの人たちの権利意識を向上させ、民生の向上をはかったことの意義は大きい。また、どちらも大きな票田となるムスリム層への積極的な働きかけにより、コミュナルな衝突を抑えてきたことについて、一定の評価が出来るだろう。
    こうした党が、政権を実現するということは、大衆が投票という行動によって革命を成就させたようなもので、中国などではあり得ない民主主義インドならではの現象という輝かしい側面があった。

    同時に、自らの票田となる層に対する、我田引水のえこひいき、身内に偏った権利構造、上層カーストとの対立を激しく煽り、ときに手足となって乱暴狼藉を働くヤクザを用いて、異論を押し潰すなど、社会の亀裂を生むなど、決して肯定出来ない側面も多かった。同様に、恐喝、誘拐、殺人などの容疑がいくつもかけられている無頼政治家も多く、決してクリーンな政権ではなかった。

    とりもなおさず、上層カーストによる支配は、少なくとも政治の世界では、すっかり過去のものとなったUPだが、ここにきて、それに対する揺り戻しが起きているようで興味深い。
    前述の社会党のアキレーシュ・スィン・ヤーダブについては、オーストラリアの大学で、環境工学だか土木工学だかの修士号を取得した人で、20代後半に国会議員に当選して政治家の道へ。州議会の代議士となるのはその約10年後。

    父親の七光りで、UP州で歴代最年少の首相となるが、即断即決かつ有能な政治家であることは、ほどなく世間が知ることとなった。私自身も大変好感を抱いているインドの政治家のひとりだ。

    アキレーシュ自身はクリーンなイメージのある人物で、古参の大物リーダーや自身の身内の年長者に対しても、汚職や不祥事については厳しい態度で叱責や処分に臨むなど、豪腕ぶりを発揮してきたが、今回の社会党内のゴタゴタは、そうした行動が裏目に出たと言える。
    さて、今度のUP州選挙がどんな具合になるのか、どちらに転んでも全く関係のない野次馬としては大変興味深い。

  • サダル・ストリートの「ホテルチェーン」

    コールカーターのサダル・ストリート。英領期に元々は欧州人地区。20世紀に入ってしばらくするとユダヤ人地区、ベトナム戦争時には赤線地帯、それ以降は安旅行者地区と、変遷を続けてきた。

    近ごろはかなりキレイな宿も出てきており、スィク資本でムンバイーを本拠地に、いくつかのホテルを展開するBAWAグループがホテルを開いたりしたのにはちょっと驚いたが、サダル・ストリートの地元資本?によるホテルグループもいくつか宿泊施設を展開している。

    オーナーがムスリムのそのグループが運営するHotel Golden Appleが開業して間もないあたりで利用してみたことがあったが、とってもスタイリッシュな内装と施設にビックリした。ウロ覚えだが、2010年か2011年あたりではなかっただろうか。おまけに料金が確か1,200Rsとずいぶんお得なことにも感心したものだ。現在の料金は、2,500Rsくらいからのようだ。

    ただし、スタッフの態度はやはり界隈の安宿と同じで、部屋に置いてあるルームサービスのメニューが「ブルースカイカフェ」のものであるのには笑えた。注文すると出前しに来るのだろう。
    元々が安宿のオヤジとその取り巻きがやっている?と思うので、手入れもせず、すぐに汚くなって、周囲のボロ宿と同化してしまう「標準化現象」を見せてくれるのではないか?と予想していたが、案外そうでもないらしい。

    大都市の割には、カルカッタは中級クラスのホテル料金が安めなので、2,500Rsとか3,000Rsくらいのレンジならば、もっといい地区がある。わざわざサダル・ストリートに宿泊する必要はないように思うのだが、まあ、何かと便利な地区ではある。

  • インド国鉄客車のクラス分け

    宿泊を伴わないチェアカー車両のみを利用する近距離移動(それでも大きな国なので、8時間とか9時間とかザラだが)のShatabdi Express(「世紀急行」の意)から派生したJan Shatabdi Expressの運行が定着してからずいぶん経つ。

    Shatabdi Expressのような停車駅が少なく、他の急行列車よりも格段に迅速な移動を可能にした特別急行は、空調付き車両のみで、クラスの位置づけが高いため、当然、運賃もそれに応じて上がる。

    普通の急行列車と違い、乗車中にお茶、スナック、食事などが提供されるため、飛行機内でのサービスを思い浮かべてもらえばよい。これは乗車券代金に含まれる。

    さて、先述のJan Shatabdi ExpressのJanについては、一般庶民のことを指しているので、より経済的に余裕のない層でも利用出来るようにしたものだ。車内サービスは有料となり、AC無しの車両も連結されている。

    基本的には普通車とグリーン車しかない日本と異なり、インドの鉄道のクラスは8区分程度となり、かなり複雑だ。

    「8区分程度」としたのは、寝台クラス(長距離列車)と座席クラス(短・中距離列車)は、通常、同じ列車に連結することはない。用途が異なるため、一概に上下に分けることはできないものがあるからだ。

    また、同じ最上級クラスの1Aというカテゴリーでも、通常の急行列車と、運行に優先権を持つ特別急行とでは、使用する車両も違うことがあるので、これもまた同一のものとして扱うのは適当ではないだろう。

    最上級の1Aの下には、2A、3A(どれもAC付き)と続き、事実上のAC1等、AC2等、AC3等となるが、その下に近距離のACチェアカーなどを挟んで、「1等車」があることに釈然としない人もいるかもしれない。(現在、これが使われる機会は減っているが、要はACなしの一等車だ。)

    これほどにクラスが多いことは、植民地時代からの伝統により、国家予算とは別枠の「鉄道予算」を持ち、(確か、現在でも発表となるタイミングさえ、一般の予算と異なる)鉄道大臣が首相、内務大臣に次ぐナンバー3の位置づけとなっているインドの事情がある。

    ただし、次の会計年度から通常の国家予算と統合されることになったため、92年間続いた措置はついに終焉を迎えることとなった。

    Separate Railway Budget scrapped: How will it impact fiscal management and what is the political fallout? (DAILY NEWS & ANALYSIS)

    往々にして官業というのは、とりわけ強大な権限を持つところは、「これでもか!」と増殖を重ねていくもの。植民地時代は1等、2等、3等というクラス分けであったが、今のようにクラスが乱立するようになったのは、概ね90年代以降の現象のようだ。エアコン付きの客車が増加したことに起因する。

    さて、こうしたクラス分けについて、利用者の側にとっては、経済事情に応じて、安いものを選択できるということもあるが、払う余裕のある人については、車内のアメニティの差に金を払うというよりも、混雑を避けたり、同乗したくない層の人たち(階級社会らしいところだ)を避けたりすることが出来るという需要がある。それにしても客車のクラス分けが多いことについては、効率の観点から整理しなくてはならない時がやがて来るだろう。

    乗車クラスの違いによる料金差ははなはだしい。下記リンク先の記事は、2004年の内容なので、料金自体が現在のものとは異なるが、どの程度の差があるのか把握するための参考にはなるだろう。

    天国か地獄か、インド列車のしくみ(2) (indo.to)

    また、急行列車の種類についても、鉄道旅客輸送の高速化とともに、サービスと利便性向上の両方の観点から、従前の停車駅が少なく、走行に優先権を持つSuper Fastのステイタスを持つ急行とそれ以外、加えてSuper Fastの上を行くRajdhani Express(長距離列車)とShatabdi Express(短距離・中距離)といった構成であったものに加えて、先述のJan Shatabdi以外に、エアコンクラスを安価に提供するGarib Rath Express、停車駅が極端に少ないDoronto Express等といった新しいカテゴリーの急行列車も導入されて多様化が進んでいる。このあたりについても、整理しなくてはならない時期がいつかやって来るかもしれない。

    Super Fastの上のカテゴリー名が、急行列車の名前になったり、単に出発駅と終着駅が休校列車の名前になったりすることが多くなっている現在、英領時代から続いたSuper Fastのカテゴリーの「Frontier Mail」(ボンベイから現在のパキスタンのペーシャーワルまでを結んでいた。印パ分離後はアムリトサルが終点)のような伝統ある急行列車の名前が、「Golden Temple mail」と改称されたりしたのは寂しい気がする。

    これよりも歴史が古く、1世紀以上も運行されており、かつてはボンベイからペーシャーワルまでを結んだ「Punjab Mail」の方は今も健在だ。この急行列車の終着駅はパンジャーブ州のフィローズプルとなっている。