コミュナルなテンション

BJPの広報担当者によるイスラーム教預言者に関する侮辱的な発言があったとして、インド各地そして世界各地から非難の声が上がっている。イスラーム諸国では駐在しているインド大使が現地政府に呼び出されて叱責を受けたりなど、受難が続いているらしい。

インドでは政治問題等に関する討論番組が盛んだが、そうした場への出演者のひとりが「インドネシアのような小さな国の政府に我がインドの大使が呼び出されて叱責を受けるとはまったくもって心外な侮辱的な扱いである。BJPはこれを甘受しておるのか?」などと、まったく的外れな発言をしていたとともに、インドネシアを小国呼ばわりするのにも驚いたりした次第。

先週末は、金曜礼拝後にインド各地で同時多発的にムスリム群衆による抗議活動が巻き起きたとニュースになっていた。デリー、ラクナウ、ハイデラバード、スリナガルその他、いろいろな街で時を同じくして一斉蜂起のように発生したことが伝えられていた。ラダックのレーのような小さな町でもそうした活動があったという。これらの背景に相互に繋がりはないのか、焚き付けた者がいないかどうかなど、各地の警察が連携して調査しているとも報じられた。

この2日ほど前、大衆に対する煽動的な言動があったとして、AIMIMのリーダー、アサードゥッディーン・オーウェースィーに関するFIR(First Information Report=犯罪報告書)が出されたことがニュースになっていたため、彼やAIMIMを中心とする、あるいは経由するネットワークに疑いの目が向けられているのだろう。

関連ニュースでは、デリーからの報道でDCP(Deputy Commissioner of Police)から談話を取っていた。シウェター・チョウハーンという、いかにもキレ者という感じの喋りで自信に満ちた堂々たる対応であった、年齢はまだかなり若いと思われる女性で、おそらくデリー警察ではなくIPS(Indian Police Service)採用だろうか、男社会の中では毎日突っ張っていないと甘く見られそうだし、部下や同僚も本人よりもかなり歳上のようだ。エリートはエリートで、それはまた大変なのだろうなぁとか、いろいろ想像してしまう。実際、エリート官僚のまだキャリアの浅い頃には、なかなか周囲とうまくいかないことやハラスメントもいろいろあったりと、苦労も多いものらしい。

インタビューに応じるDCP (ニュースチャンネル「AAJTAK」の放送画面から)

話は抗議活動に戻る。先日はカーンプルでムスリム暴徒による大規模な投石事件が報じられていたり、それに先んじてこのところデリー、マトゥラー、バナーラスなどで、それぞれイスラーム関係施設が元はヒンドゥー寺院であったとして、調査を許可せよだの、ヒンドゥー教徒たちの礼拝を許可せよだのと、裁判所に訴え出るなど、マイノリティーへのパワハラとでも言うべき事案が相次いでいる。

そこに来てのBJPのヌールプル・シャルマー(広報担当の女性)による発言であり、これを受けての「一斉蜂起」であった。こんな具合だと、インドにおいて、ここしばらくはコミュナルなテンションは続くのであろう。

Two killed as Muslims and Hindus clash in India (REUTERS) 

ラッパーの死

5月29日に、パンジャービーのラッパー(パンジャーブ州議会議員でもある)のスィッドゥー・ムーセーワーラーがクルマで移動中に十数発の銃弾を撃ち込まれて殺害されるという凄惨な事件があった。関与が疑われているのは、パンジャーブ出身のギャング、ローレンス・ビシノーイーだが、現在デリーのティハール刑務所に収監中なのになぜか?と言えば、塀の中からスィッドゥーを脅迫していたローレンスは、彼の殺害を決めて、在カナダのパンジャービーギャング組織と連絡を取り、カナダからパンジャーブ現地の手下だか協力関係にある者たちがスパーリー(ヒットマン)として送り込まれたらしい。今どきのインドらしい国際間の連携とも言える。

こうしたリスクを抱えている有名人たちには、先の州議会選挙で国民会議派が負けて庶民党政権となるまでは、手厚い警護が付いていたのだが、政権交代後は「セレブを特別扱いしない」という庶民党の方針から警護体制の簡略化が実施されており、まさにそれを突いての犯行であったとされる。

それまでスィッドゥーは防弾処理を施された車両で複数のガードマンたちと往来していたとのことだが、この日は自家用車で、後続車両におそらくライフルを手にした護衛が付くのみであったといい、高性能銃器を手にしたプロの殺し屋による奇襲には対応できなかったようだ。

サルマーン・カーン自身も、ローレンスからずいぶん前から脅迫されてきたひとりで、身の安全が危惧されているため、この事件後は警護が大幅に強化されることになったと聞く。

インドの音楽関係者にしても映画人にしてもこの手の脅迫にかかる事案は昔から多く、かつてはグルシャン・クマールのような超大物さえも殺害されたことを記憶している人は多いだろう。

Salman Khan’s security beefed-up outside his Mumbai apartment after Sidhu Moose Wala’s murder. Here’s why (THE ECONOMIC TIMES)

 

Tejo Mahalayaの本

デリーのクトゥブ・ミーナール、バナーラスのギャーンヴァーピー・マスジッドの論争と時を同じくして展開しているアーグラーのタージ・マハルが「ヒンドゥー寺院を改変して建てられたもの」という主張。

「タージ・マハル」ではなく「テージョー・マハーラヤ」であるとする論争だが、元々ジャイプル藩王国所有の地所であったという主張等々のニュースが日々インドから流れる中、ヨタ話であってもネタ的には興味深い部分もある。インド雑学の見地からは、とうてい看過できないものがある。インドアマゾンのKindle本を検索すると、書籍の概要からしてドンピシャのものが見つかったので購入。今話題になっている「テージョー・マハーラヤ」の元ネタはだいたい網羅されていそうだ。

正しい歴史認識が最も大切であることは言うまでもないし、ヨタ話を擁護するつもりももちろんないのだが、そうした言いがかりの根拠としているもの、でっち上げの内容と根拠とするものについて把握しておくことは大切だ。

編集者兼著者のStephen Knappという人物は、インド(及びその他の国々)でヴェーダ関係の書籍をいくつも出しているなど、西欧人(たぶんオーストラリア人)ながらも、極右勢力とは親和性がとても高いように思われる。

著者 : Stephen Knapp
ASIN : B06ZZ6GXN5

インドとロシア

ロシアへの武器依存度が高いインドがリスクヘッジのため新たな調達先を広げる動き。

それでもロシア非難へとスタンスを変えることはないだろう。インド自身、1971年に武力による現状変更を実施した(第3次印パ戦争、これにより東パキスタン解消、バングラデシュ成立)ことがあるだけでなく、POK問題(パキスタン占領下のカシミール)過去がある。

2年前にJ&K州からラダック地域を分離させ、ともに連邦直轄地としたインドだが、その分離前の州議会総議席111のうち、24議席はPOKに与えられている。(他国支配下にあるため、この24議席分の選挙区からは立候補も選挙の実施もなく空席)分離後のカシミールでもPOKの24議席は保持される。そう、隣国支配下にあるカシミール西部はインドからすると不可分の自国の領土。

インドにとってこの地域でのパキスタンとの境界は一事的な停戦ラインにしか過ぎないLOC(実効支配線)であって、国境ではない。パキスタン+中国の同盟関係及び核の保有などもあり、LOCが西方に移動したり、POKがインドの手に戻る可能性は限りなく低いとはいえ、もし将来何かあって、力関係がインドに俄然優位に傾くことがあれば当然、インドは現状変更へと乗り出す可能性は高い。ウクライナ問題の向こうに透けて見えるのは、中国と台湾の関係だけではない。

かつてインドによる武力行使のため、国土を大きく削られるとともに人口の半分以上(1971年当時、西パキスタン人口5,900万人、東パキスタン転じてバングラデシュ人口6,500万人)を失った過去があるパキスタン。今回のロシアによるウクライナ侵攻をメディアで目の当たりにしたことにより、核による抑止力を持つことの重大さを確信していることだろう。

それだけではない。インドと友好的な関係にあり、両国国民が旅券なしで国境を往来することができ、査証なしで居住することも出来る特別な関係のネパール。近年は大きく中国の側に傾倒するとともに、印中両国の間でバランスを取っているように見えるが、将来中国軍の基地を置かせるような動きがあれば、インドは軍事行動を含めた大変厳しい態度で応対するはず。それに対して国連で非難決議が提出された場合、これを握り潰してくれるのはロシアということになる。そう、東パキスタンを潰したときも当時のソ連の後楯がなければ無理だったかもしれない。印露の仲は実に深い。

インド、武器調達先の多様化模索 ロシア依存脱却へ (REUTERS)

リンガムか噴水か

ギャーンヴァーピー・マスジッドで見つかったとされるシヴァリンガムの画像とのこと。右翼はリンガムであると主張し、彼らに同意しないものは噴水だとか。裁判所の仲介により、モスクに調査団を受け入れさせる前から、メディアではモスク内のヒンドゥー的な意匠、つまり建物内の持ち送りの梁や柱の構造であったり、壁面に掘られたヒンドゥー的なデザインを含む彫物であったりをも映し出しており、意図的にヒンドゥー寺院では?という視覚的な誘導を行うなどといったこともあった。

しかし昔からヒンドゥーがマジョリティーであったインドの環境下でムスリムの建築物にヒンドゥー教徒の職人集団が関わることは、ごく当たり前のことで、ムガル全盛期の代表的な建築物郡群すべてにヒンドゥー的な要素は見られる。それは中東地域ではほとんど見られない庇であったり、インド起源のヒンドゥーや仏教の象徴でもあるハスの花の意匠であったり、ベンガル式のジョールバングラー型の屋根であったりと様々だ。もともとそうした多文化融合の造形がインドのイスラーム建築の特徴でもある。

それにしても不思議なのは、このモスクの「ギャーンヴァーピー」という名称。普通はアラビア語やペルシャ語で、それらしい命名をするものだが、なぜサンスクリットで「知恵の泉」と名付けたのか。実に珍しい。

まさにこれこそインドの多文化社会を象徴するようなもので、本来ならば内外に誇れるもののように思うのだが、その名前がゆえに標的になっているとすれば、なんと皮肉なことだろうか。

Shivling or fountain in Gyanvapi mosque? Here’s what IIT-BHU experts say (INDIA TODAY)